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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  キャバレー日記 チェーンのキャバレーで店長を目指す男の話で、そのイヤーな感じは良く出ていた。軍隊調の挨拶など。ある種の被管理願望っていうのか。それがあまりに陰鬱なので、いろいろ滑稽なシーンがあっても笑えないんだな。作者がマゾヒスティックな喜びに浸りすぎちゃって批評の目が薄らいだのか、あるいは作者の中を通過しきっていない不消化のルポってことなのか。伊藤克信はノーマルな会話はダメだけど、普通の演技でない叫んだりするとこでいいんだ。これ池袋の名画座(文芸地下)で観たんだけど、近くに伊丹十三が座っていて驚いた。1983年3月4日のことである。この3日前の3月1日には銀座の名画座(並木座)で『人情紙風船』を観、そこでも伊丹十三に出会っていたのだ! 私も暇だが伊丹さんも暇だなあ、と驚いたが、これの併映が森田芳光の『マル本・噂のストリッパー』で、伊丹さん『家族ゲーム』の撮影に入っていたころか、監督の力量を観に来ていた“仕事がらみ”の観賞だったのであろう。ついでにそれにもちょっと触れておくと、純情青年がストリッパー(岡本かおり/『家族ゲーム』にもちょっと出ている)に抱く憧れの話で、淡い哀感を伴う成長物語になっており、私には根岸作品より面白かった。太田あや子との会話「これ自信作なんです」「自分で作ったんですか?」「買ったの」なんて、距離を置いて丁寧な口調でボソボソと語り合ってるのが、まさに森田調でした。[映画館(邦画)] 6点(2012-06-08 10:13:10)

22.  キネマの天地 《ネタバレ》 映画は芸術よりも観客を励ます娯楽であるべきだ、という思想がまずあって、そこに通俗性の導入が企てられている(出生の秘密やラストの父の死など)。だがこのクセモノの作者たち(山田洋次・井上ひさし・山田太一)が、芸術と娯楽を対立概念として捉えたままで満足しているとは、どうも思えない。本当なら、芸術と娯楽の境界が曖昧になるところまで練り上げて、そこに通俗的なるものを導きたかったのではないか。そこへいくまでに作品が小さく固まってしまった、という気がしてならない。ラストで藤山寛美にダメを押されると、結局これは観客が素朴だった時代の通俗映画への単なるノスタルジーに終わってしまったのではないか、と思えてしまう。観念的だったホンが、スラプスティック化されて生き生きしたものになり、観客にも歓迎されていく、なんてあの具体的な姿勢で全編押していってもらいたいのに、助監督が映画への信頼を回復する、という重要な部分が、アカギレの女中に活動は楽しいと言わせるだけでは、彼が書いたシナリオと同じで、ナマすぎた。通俗と言われるもののバイタリティーをもう一度映画に回復させたい、という作者たちの気持ちはよく分かる。しかし通俗という言葉がしばしば悪口に使われるのもやはり理由のあることで、類型化による鮮度の後退という大きな欠点があるわけだ。『寅』シリーズが素晴らしいのは、パターン化されそうなところをいつも何か撹乱させる要素を含ませて鮮度を保たせていたからである。あれは通俗性を織り込みながらも、優れた娯楽映画だった。[映画館(邦画)] 6点(2011-01-09 12:22:53)

23.  菊五郎の鏡獅子 これの英語版ってやつもスクリーンで観ているが、「ライオンダンス」なんだな。舞台の長唄連中は「バンドマン」さ。彼ら自分がバンドマンだったとは気がつくまい。太鼓は「ドラム」だったか。これはあくまで六代目菊五郎(今の勘三郎の母方のおじいさん)の記録ということに重心が置かれてしまうフィルムで、さして小津めいたものを探しても意味はあるまい(このちょっと後に撮った『淑女は何を忘れたか』に歌舞伎座のシーンがあるけど)。六代目はこの記録を気に入らなかったらしく、「俺はこんなに下手かい」と人に言っていたそうだ。もっぱら正面と上手より斜めからのと二つの視点に、ときに上からのカメラも加わる。花道はまた別。空襲にやられる前の、戦前の歌舞伎座の内装が記録されてもいる、と思ってるんだけど、これ本当にあそこなんだろうな。借り切って深夜に撮影したって話はよく聞いた。でも獅子頭に引きずられて花道を引くところなど、花道より下手側の客席がなかったように記憶してて、というか花道が壁ぎわにあって、…あれ? 桟敷席ってのは戦前もあったんだろ? 映ってたかな? などと混乱している。冒頭のバンドマンたちが、説明的な画面もなく消えてしまうのも不親切。[映画館(邦画)] 6点(2010-07-04 12:04:38)

24.  休暇 《ネタバレ》 西島秀俊が、観客にはどんな罪を犯したのかも分からず、抽象的なイケメンの死刑囚になってるところが、突っ込まれても仕方のないとこなんだけど、あくまで執行官のドラマなんだから、ってことなんでしょうなあ。たしかに「業務としての殺人」を体験するのが本作の焦点。それまでほとんど固定されていた構図が、近づいてくる執行官の足を移動で捉え、その後の粛々と進行していく「儀式」の圧迫感はかなりコタエる。そこで行なわれる殺人を出来るだけ無感情に進行させようとする儀式。唯一殺人の生臭さが生じそうな足のバタつきを押さえる係としての主人公。その殺人とひきかえに与えられた新婚旅行というドラマ設定も悪くはない。新しく被保護者となる絵を描く少年が死刑囚とダブらされていて、「抱き止めること」で両者が重ね合わされる。ただそこまでの緊張に比べ後の締めが緩く、音楽も安直で、もう一つエグる展開があるのかと思ってたら終わっちゃった。とは言え、大杉漣の「人の命をなんだと思ってるんだ」と小林薫の「所長だってこれで飯を食ってるんでしょうが」のやりとりは、死刑制度が存続している国の国民として、こちらも無関係に聞き過ごすわけにはいかなかった。[DVD(邦画)] 6点(2009-08-13 12:01:31)(良:1票)

25.  銀座二十四帖 《ネタバレ》 まず多摩川の新田銀座というところから始めて、花の出荷で本家の銀座へ導くシャレた入り。堀がどんどん埋め立てられているころの変貌期銀座の記録にもなっている。森繁による社会学的ナレーションが面白い。そごうが建築中だったり、怪しい裏町がありまだヒロポンを売ってたりする。ここらへん戦後を引き摺っている(そもそも満洲時代に描かれた絵の作者探しというところで戦争とつながっている)が、明るいネオンはやがてくる60年代の予兆であり、そのネオンをバックに悪の支配者が死んでいくってのは、まさに55年という40年代と60年代の中間点らしい話だ。あふれるばかりの登場人物にちょっとアルトマンの味もある。[映画館(邦画)] 6点(2008-12-03 12:09:04)

26.  菊次郎の夏 《ネタバレ》 この人は「母」よりも「男たちの遊び集団」にひかれてる。母のテーマを終えた後でも、ダラダラと男たちだけで遊び続ける。ヤクザや草野球も同じで、なんか暇そうな男たちの集団だった。監督はこういうのが好きなんだな、と思う。子どもに競輪を占わせるとこや、盲人のふりをして車を止めようとするとこなど、コント的に面白いところはあるが、どうも一本の作品として好きになれないのは、この人の映画では「自分らの集団」以外には迷惑をかけても平気ってとこがあって、小市民の私にはそこらへんがけっこう引っかかってしまうのだ。長距離トラックの運転手に無礼な口をきき撥ねつけられたからって、フロントガラス割ったり棒切れで殴ったりしなくてもいいであろう、彼は少なくとも労働してるんだぜ、と変に倫理的に見てしまう。いちおう後でやくざに殴られるからチャラになるという考えなのかな。[映画館(邦画)] 6点(2008-11-30 12:03:11)(良:1票)

27.  きらきらひかる 《ネタバレ》 『今度は愛妻家』の薬師丸とトヨエツは、これでもう共演してたんだった。きずもの同士の共感ってことなのかなあ。弱い立場の店員にあたるのは、よくないですよ。不機嫌をはらす対象がつかめない時代ってことなのか、あるいは故意にズラしているのか。なんか感覚が実感として分からない作品が出てきた最初のころだったなあ。紺君が、先にお風呂使わせてもらいました、って出てきて三人でそばを食べるあたり、面白かったってんじゃないけど、なんかここらへんの感覚は分かるんだ。でもこれ80年代の感覚かもしれない。夜の道にシマウマを見るあたり、もっと劇的の演出しても良かったんじゃないかと思うけど、それだと70年代のフェリーニか。しみじみ良かったのは土屋久美子で、「人生ってのは、いいもんよ、(間)お客さん」の、この(間)がなかなか良かった。あと「大きな古時計」も懐かしかったが、それ知ってるのは平井堅でじゃなくて、60年代の「みんなのうた」でだった。[映画館(邦画)] 5点(2012-02-10 09:59:00)

28.  キャタピラー 《ネタバレ》 若松監督作品に、普通の意味での映画的陶酔は期待していない。「永遠のシロート」と言うか、シロートっぽい表現のくどさがときに、洗練の対極の異様な力を感じさせることがある。その一瞬を待ち受けるように観ている。もっぱらそれは暴力がらみの場面で起こるのだが、今回は違った。いや、妻が旦那の軍神を殴るところもかなり「異様な力」なのだが、本作で一番キたのは、旦那をリアカーに積んで村を回るシーンだ。精神的な暴行。闇の中でうごめいていた夫を、軍神として陽光の中にさらけ出す。世間に対しては貞節な軍神の妻としてまっとうしながら、同時に夫を辱める(「五体不満足」の乙武さんの覚悟を逆に思った)。辱めているのは夫だけではなく、村の人々もだ。「これがあなたたちの軍神です」と巡る。軍神というフィクションを一度迎えてしまった人々は(夫も含め)、その辱めを辱めと感じなくとも受け入れていかなければならない。敬礼して佇立する。農家の嫁はけっきょく、おしっこの処理と性欲の処理と、もっぱら下半身の処理のための存在だったことを如実に示したあとでの復讐。もちろんそこには強姦された中国女性たちの亡霊もかぶさってきているだろう。いくさは日本と中国の間で起こるより前に、男と女の間で起こっていたのだ。それを踏まえた上で「歴史の被害者」としての夫が、もっとクッキリ出ても良かったのではないか。[DVD(邦画)] 5点(2012-02-04 10:18:39)(良:1票)

29.  喜劇 駅前開運 芸達者を集めて当時のプログラムピクチャーの贅沢さがうかがえ(うち二人がのちの文化勲章受章者だ)、しかも監督が豊田四郎、それなのにぜんぜん楽しめない。芸達者が芸惜しみをしてると言うか、テキトーなくすぐりで終始してしまうので、観てて歯がゆい。まあ24作続いたシリーズの22作目ということで、かなり疲労が来てはいたのだろう。設定は悪くないんだ。東口にスーパーが出来、西口にマンモス団地が出来、しかし間をつなぐのが開かずの踏切で、それによって東口商店街と西口商店街の思惑が交錯する、って現実の赤羽駅界隈を生かしている。さらに公害問題も絡め、68年の世相の記録としては上等。なのに大枠の設定が個々の笑いを生む段になるとあんまり生きてなく、どこかにあったような恐妻コントと戯画化された悪徳政治家風刺をつなげていくだけなの。人情喜劇という手法が社会との落差をを埋め切れなくなったということか、とも思ったが、この翌年(つまり駅前シリーズが終わった年)から『男はつらいよ』が始まっているわけで、要するに制度疲労による世代交替の時期だったと思ったほうがいい。映像の記録としては、団地の脇に広がっていた連隊跡地の広漠とした風景が収められているのが貴重。[DVD(邦画)] 5点(2009-12-11 12:12:44)

30.  キングコング対ゴジラ 数十年ぶりに見直した懐かしの映画。フワリと宙に浮くキングコングにファンタジックな味わいはあったけれど、おおむね怪獣がらみのシーンが記憶よりもかなりチャチだったので呆然とした。「モスラ」は見直しても充分感動できたのに。そのかわり、おそらく子どものときは退屈していたであろう島の住民の踊りに魅せられた。伊福部昭節全開、フェリーニにおけるニーノ・ロータもかくやと、映像と音楽のコラボレーションの輝かしき達成! 暗黒舞踊のようなモダンダンスをリードする根岸明美(この3年後に「赤ひげ」の名演)も妖しくまた美しい![DVD(邦画)] 5点(2007-09-13 12:15:20)

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