みんなのシネマレビュー
なんのかんのさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2336
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
投稿日付順12
変更日付順12

1.  子宝騒動 《ネタバレ》 かなり昔に見たのだが(封切時ではない)、傑作のわりにしょっちゅう見られる映画ではないので、日記に記録してあるいくつかのギャグをここに披露しておくのも無駄ではあるまい。子沢山で貧乏人の主人公、家には「律義者の子沢山」という習字が貼られている。不払いがかさみついに電気も切られ、文字通り電灯を切り取られ持ってかれてしまう。いろいろ金策をめぐる展開があってのち、ついに隣家に忍び込む。金庫のダイヤルを回していると、そのすぐ脇でその家の主婦が繕いものをしている、なのにお互いがなぜか気がつかない、針立てやアイロンなど小道具を使ってはらはらさせ笑わせる展開だったと思う。ここでその主婦が産気づき急きょお産の手伝い、水道の水を出しっぱなしにしたので家が水浸しになり、台所を泳いで往復する、というギャグもあった。その後メインの、報奨金つき豚を捕まえんとする騒動になる。ラグビー場にまぎれこみ、豚をタックルしていく痛快さは、ロイドやキートンに劣らなかった。トンカツ屋、結婚式場、墓地などへと追っかけが続き、墓石が倒れていくのが凄かった。そういう躍動シーンで押していった後で急に静かな場面になり、大家さんが竹垣の道を散歩してるところ。問題の豚を見つけポイと放り投げると、その竹垣が倒れて豚を追う群集がワーッとなだれこんでくる静から動へのタイミングの妙。そして泥田でのドタバタの頂点に至る。とにかくスラプスティックとしての純度が高く、20年代末ごろからこのころまでで日本映画が喜劇の文法を完璧にマスターしているのが分かった。なお斎藤寅次郎のサイレント喜劇はもう一本「石川五右衛門の法事」いうのも前世紀末に発掘されたが、それはこれより劣る。[映画館(邦画)] 9点(2007-12-21 12:33:06)

2.  河内山宗俊 たまたま時代の設定が過去だったというだけで、会話だけ取り出せば昭和の現代劇の様相。かえって戦後の時代劇のほうが様式性が強くなってしまっているのかも知れない。直次郎はここではそこらにいるグレかけた気弱な少年だし、三千歳とはミッちゃんと呼びあっている。金子市の中村翫右衛門が傑作で、永年留年して大学に居着いてしまっているような雰囲気のある男、しかし実は死に場所を探していた余計もののニヒリズムも持っている、というあの時代の若者像をくっきりと代表している。“市井”という言葉がこんなにも似合うセットはそうそうなく、その中の住人としては雪の舞う世界などうっとりと見惚れていられるが、余計ものの目を通すと、唯一どぶだけが奥への逃げ路として続いている圧迫も感じられる、という素晴らしい造形。古女房のやきもちという、どちらかというと喜劇の要素を転換点に、ドラマが悲劇性を帯びていくのも、時代の影か。松江邸のニセ僧道海は、設定だけが歌舞伎と同じで、全然違うドラマに仕立てて読み換えの面白さになっている。見事な傑作だが、ただ音楽がうるさく、ラストの立ち回りで「ロミオとジュリエット」が流れ出すと、やはりのけぞる。[映画館(邦画)] 8点(2009-10-14 12:00:58)

3.  婚前特急 《ネタバレ》 無礼だった田無君(浜野謙太)を懲らしめてやろうという計画が進んだ結果、一室に四人が集まる状況になり、突然貧者のプロポーズの場と化して過剰にロマンチックな空気が満ち、さらに他の三人が百人一首で話が盛り上がれば、チエちゃんは面白くないを通り越し敗北感深まり、唐突に田無君にキスして脱走する。ここらへんのリズム感、いい。この性格の悪いヒロイン(粘土人形投げるのも、字を書くのも堂々と左利き)、それをずっと対象化しつつ、でも突き放さずに描いてきた映画、このシーンでなんか彼女がかわいく見えた。そもそも田無君に「俺たち付き合ってないじゃん」と皮肉でも嫌味でもなくサラッと言われたことがショックだったときから、彼女の敗北は始まっていたんだろう。ほとんどのシーンに吉高由里子がいる映画で、たぶん田無君がらみの土手の場と、警察からの帰りの場のみ、ヒロインを含まない。五人のうち彼だけこの映画の中で特別な地位にあることがそれだけでもうかがえるが、最初っから「メリット=楽」の田無君は魅力的だった(私事になるが、土手で彼が奏したアフリカの民族楽器カリンバは私も持ってて、よくポロンポロンはじく。心落ち着くんだな)。ラストシーンがファーストシーンを裏返してるのもいい趣向だし、最後まで憂い顔の年上の後輩も楽しい。[DVD(邦画)] 7点(2013-02-01 10:18:54)(良:1票)

4.  五人の斥候兵 国策映画で戦争そのものを描く場合、敵が強いと国策に合わないし、敵が弱いとドラマとして成立しない、というパラドックスがある。で大局的な視野を捨てて、局所的な出来事に目を向け、そこに集中することで映画作家としての誠実を尽くそうとした、ってことはありましょうな。戦場における理想的な心意気の世界。負傷した兵が送り返されるのを嫌がり、無理して「ほら、銃ならちゃんと持てます」と言うのに対して、部隊長がその心を汲みながら「命令だ」というあたりなんか、やがて一つの型になっていくのの初めのころのケースだろう。斥候に出て行くときの不安定な(舟に据えたカメラ?)の視点なんかもいい。敵兵の表情が見えないのはうまいのかズルいのか。そのかわりときどき敵兵の視点になってトーチカから斥候兵を狙い撃ったりするシーンがあり臨場感。田坂監督の当時の言葉によると「小津君の入営がこの映画を作ろうと思った一つのきっかけだった」という。当時の小津の軍隊日記には本作がキネ旬の1位になったことを記し「それほどの作品だったかな、まだ見てないが『路傍の石』のほうがいいんじゃないか」てなことを書き込んでいる。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-26 09:39:34)

5.  今度は愛妻家 《ネタバレ》 この手の趣向は珍しくなくなったが、けっこう好きなんだ。たぶん映画で一番イキる趣向なんじゃないか。フィルムはもともと「現実の記録」の手段として誕生した来歴があって、そこを突かれるとグッと来る。作るほうも趣向だけに頼らなくなって、シナリオを練ってくる。セリフもいろいろ良かった。「俺が想像もつかないようなこと言ってくれよ」とか。本作の味わいの一つは、軽いトヨエツ。最近は「眉間にシワ」な役に定着しかかっていたところ、違う役が来て楽しそうに演じているのが心地よい(昔は軽い役も好んでやってた。床屋の髪形写真のモデルになってたのは何だったっけ…)。とりわけ前半、ランコに妻の死を嘘泣きっぽく告げるとこなんかの喜劇タッチ。ここらへんに喜劇タッチがあるので、後半が生きてくる。演技も設定に合わせて舞台劇っぽく線のハッキリしたものにし、そのクサみも作品のトーンと合っていたと思う。沖縄旅行から帰って、現像もしてないほどカメラから離れていたことが分かってくる後半、「眉間にシワ」的にはなるものの、それは前半のハシャギのいわば解説だ。石橋蓮司は、まあこれぐらいはやるだろうという役者なので、さして驚かぬ。「差別されなかったらオカマやってるカイがないじゃない」ってセリフは、いいとこ突いてた。浜田岳が出てくると仕掛けがある気配が漂ってしまうのは、彼の責任ではないな。[DVD(邦画)] 7点(2012-02-09 12:22:25)(良:1票)

6.  腰弁頑張れ 成瀬が第二の小津と言われたのは、あくまで小市民の哀歓という題材によるのであって、フィルムはもう完全に異質。窓から室内を見たり、保険の話を妻としている時にその話題の家族のインサートカットがナウく入ってきたり、表現主義風のところなんかネガまで使っている。病室のシーン、ぽたんぽたん手術皿に水がしたたってそこで蝿が溺れかけているなんてナーヴァスに迫ったかと思うと、逆光で母がうろうろしているとこの光と闇の美しいこと。こういったものは全部小津にはない。そして成瀬の特徴とも言えるトボトボ歩きがある。画面の右上に向ってやや俯瞰気味で少年がトボトボと歩いていく。この情感は成瀬独自のもので、この現存最古のフィルムにも「成瀬ウォーク」が確認できたのは嬉しい(同年に作られた『ねえ興奮しちゃいやよ』ってののフィルム、どっかから出てこないかなあ)。外界が目に入らぬ人物と、その人物をそっくり包み込んでいる外界、どこへ行こうという歩行ではなく、自分自身を稀薄に溶かしてしまおうとしているような歩行。これが本当にいいんだなあ。PCLに移る前から、松竹の習作時代から、もう成瀬はナルセだったのだ。[映画館(邦画)] 7点(2010-11-06 16:01:09)(良:1票)

7.  絞死刑 前半の面白さだけだったら、ためらわず大島最高作と断定してしまうんだけど、後半抽象論になって浮いてしまうのが不満。外に出ての妄想シーンまではいいと思うんだけど、「姉」が見える見えない以後の展開は、映画よりも剥き出しのシナリオ文学って感じで。いかにも60年代末という時代を反映はしている。これ音の効果もいいんだ。ぶるぶる震えるときの手錠のカチャカチャやら、生きているということの鼓動、朝鮮人部落の声、など。あの姉の演説にRが、どうもしっくりこない、と不同意を示すとこに誠実さがある。ドアの外の国家がまぶしく輝いているところは、やはり迫力がある。特定の代表者があるわけでなく、国家とは一つの状況だということか、けっきょくRも妄想の世界へ消えてしまったという意味なのか、あるいはこちら側がひとつの妄想の体系だと言っているのか。など理屈をいろいろこねる楽しみはあるが、前半のブラックユーモアで押し通してもらいたかったなあ。[映画館(邦画)] 7点(2010-06-15 11:58:42)

8.  コミック雑誌なんかいらない! 《ネタバレ》 とにかく内田裕也が芸能レポーターやってるってだけでおかしい。内田裕也一人でもおかしい、芸能レポーターってものもそもそもおかしい、そのおかしさは異質のものだったんだけど、それが重なるとまた第三のおかしさが生まれてくる。「深く静かに愛が潜行しているものと思われます」なんてレポートのおかしさが、内田が言ってることでさらにおかしくなる。後半、御巣鷹山で啓示を受けて、まともなジャーナリストへと目を開いてしまうんだけど、これどうかなあ。面白さは減じてしまったが、同時進行製作としてこうなってしまったって感じで納得できもする。マジメな人だから。三浦和義のシークエンスが一番いい。逮捕シーンも収められたことで、さらにこの三浦さんて人のホントかウソか分からない・いかにもテレビ的なところが、ナマナマしく記録できた。一和会のとこに行ったときは、裕也さんちょっとビビッてたんじゃないの。「カメラちゃんと撮ってるか」も良かった。あらゆる劇映画は時代の記録映画である、という真理を、最初から中に組み込んだ作品。[映画館(邦画)] 7点(2010-06-04 12:02:15)

9.  午後の遺言状 俳優にそれぞれ彼らの実人生を投影しているのがミソで、俳優だったり、能役者だったり、不倫の恋だったりをダブらせてる。脱獄囚とのやりとりのあたりからベテランシナリオ作家の弾みが感じられ、あのファルスのタッチをラストまで維持できなかったかなあ。新藤兼人は、日本映画黄金期に、多くの重要な監督たちにせっせとシナリオを提供していたことはもっと評価されていいと思っているのだけど、そういう他人に提供したシナリオのほうが自分の監督作のよりも肩に力がはいらず、映画作法としての純度の高さを感じることが多かった。この作品で、初めて自分の映画のシナリオで、そういった“軽み”を描けたのではないかな。表彰式のシーン、あるいは杉村・乙羽のやりとりの場など。背景を若々しい新緑が埋め、そこで老人が老人を使って描く老年の世界という貴重な映画が展開している。[映画館(邦画)] 7点(2009-06-27 11:55:02)

10.  ゴジラ(1954) 映画館で見ると、あの足音の迫力が違う。タイトルのときに、音楽にかぶせて非同調的にあのズシンズシンという足音と例の叫び声がはいり、この効果がすでに素晴らしい。東京湾の遊覧船が襲われるときもこのズシンは聞こえ、現実の足音というよりも、もっと象徴的な響きなのかもしれない。たとえば空襲のときの爆音の記憶とか(焼夷弾じゃああいう音はしないか)。避難する人たちに空襲の記憶が重なっていたのは間違いなく、ゴジラは戦争の不安の結晶であるが、また科学者の倫理という問題も当時は生々しかったのだろう。とりあえず戦争は過去のものになったが、核兵器の不安は現実のものだった(今だってさらに核が拡散しているのに、不安を感じる能力が現代人からは消えてしまっている)。科学者の責任は、目の前に突きつけられているテーマだったのだ。あと気のついたとこでは、ゴジラは国会議事堂から上野浅草をまわってるんだな。当時はまだあそこら辺のほうが、西側よりも壊しがいのあるメジャーな地域だったのだ。そして今見て際立つのがラストの厳粛さ、暴れ狂う怪獣を叩き伏せるのではなく、水中でやすらっているところを襲う。水面に一度苦悶のあがきが出て滅んでいく。酒で眠らされて退治されたヤマタノオロチのような怨霊性が、こんなところにも出ている。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-20 12:18:20)

11.  今年の恋 ジャズを聞きながら勉強する高校生の田村正和は開けた横浜、それが友人の家である東京の料亭の古風な感じと対比される。またその彼ら若い世代とそのちょっと上の岡田茉莉子の世代との対比もある。ラストは京都で除夜の鐘を聞くという正月映画らしい流れだが、岡田が日本髪を結って特急に乗っているのが、ちょっと驚きだった。東京オリンピック前だと、正月ならそういう髪で娘(オールドミスになりかけといった微妙なところ)が特急に乗ってても不自然ではなかったのだな。でもたぶん田村正和の世代になると、ヘンだろう。またそれぞれの家に、東山千栄子、若水ヤエ子の婆やなり女中なりがいるのも時代か。こういう軽いスケッチ風の作品のほうが、時代を、その中の微妙な世代の違いも含めて、濃く残してくれる。[映画館(邦画)] 7点(2008-09-12 12:12:38)

12.  好人好日 笠智衆が数学教授をやるの。数学教授は変人というステレオタイプがあり、やってることはまさにステレオタイプなんだけど、笠さんだといいんだよね。あの喋り方かな。ああいう喋り方を許してしまう状況、っていうか、映画の現場もよかったんだと思う。俗物の作り方もいいのかもしれない。三木のり平に勲章を盗まれて、神道ナントカ会の菅井一郎が「陛下から頂戴した勲章を盗まれるとは何事」といきまくあたり、俗物が対比されている。かつて『勲章』という風刺映画を作った監督の勲章へのこだわりもうかがえる。この菅井一郎って役者さん、どちらかというとこういうクサい芝居する人だと思うんだけど、なぜか小津の『麦秋』ではそれほど気にならないのが不思議。そういえば、笠はあれでは菅井のせがれだったんだ、そして本作には『秋刀魚の味』と同じ娘がいる。[地上波(邦画)] 6点(2013-09-14 09:43:26)

13.  婚約三羽烏(1937) 脚本も島津だから、会話がいい。上原と妹の雰囲気なんか、この監督は「妹的なるもの」の監督だな、と思う。語り口のうまさが、後味を良くしている。上原がホルン吹くのは『オペラ・ハット』の影響?(前年の映画だが、どれくらいの時間差で日本公開だったのか)笑わせるとこは、佐野の入社試験の際の河村黎吉のオヤマ。佐分利のずうずうしさ(送ってきた佐野の下宿に蒲団敷いて寝てしまい、そのまま住み込む)。上原が客寄せのために空を見上げて中へ連れ込んでくる。こういったあれこれに、当時の三人のキャラクターがどういう方向で受け入れられてたのかが確認でき、楽しい。[映画館(邦画)] 6点(2013-03-27 09:56:35)

14.  コタンの口笛 こういう差別ものってどういう姿勢とっていいのか難しく、とりわけアイヌ差別なんてほとんど知らないわけで、現状に対してどの程度の「つくり」がなされているか分からない。主人公が完全無欠すぎるような気がした。でも差別が存在するのは間違いなく、無知ゆえの批判をしてしまってはいけない、といささか居心地が悪い。踊りを見せている人たちの苦痛にも触れるべきだったろう。けっきょく全体として「耐える」という方向に収まってしまっていたように思う。進駐軍のヘリコプターの音が入ったり、この監督ではかなり異色作とは言える。ロングショットを撮らせると美しい。道とか夜の校庭とか、特別「自然と交歓してる」という感じでもないんだけど、人が存在することの心細さ、というのかなあ。道が奥に続いていく感じ。音楽はもちろん伊福部さん。ドン、タタ、ドン、タタタって。水野久美がいなくなったままで終わっちゃうのなんか、『稲妻』の姉が行方不明のまま終わっちゃうのを思い出し、成瀬的だと一瞬思ったが、脚色者が違うんだから偶然だろうね。とりあえず山内賢の少年時代に息を呑んでください。[映画館(邦画)] 6点(2013-01-22 09:58:01)

15.  この子を残して かすかに黄色がかった色調。回想の懐かしさに、沈んだ落ち着きを与えて格調高い。長回しやゆっくりとした移動で、けっこうのどかだった戦時中の地方都市が丹念に描かれていく。この懐かしいのどかさを奪われたということが木下の怒りの原点だろうから、ここは大事。おそらく作者にとって一番思い入れが深かっただろう淡島千景の祖母を、後ろに控えさせて隠し味的にしている慎み深さもいい。この主人公にはさして共感湧かなかったが、米兵に黙って写真撮られるところなど良かった。しかし原爆映画はつくづく難しい。この大量殺戮兵器に対して、もう怒りとか憎しみとか普通の神経では計れないのだ。限度を越えた愚劣さに対しては哄笑で答えるしかないと思えてしまうのだが、それは無力な自嘲として終わってしまいがちなものでもある。そしてその無力感がまた原爆を育ててしまう。原爆が具体的に私たちの生活から何を奪っていったのかを、丁寧に想像する作品が作られねばならない。木下はそれをやろうとしたのだろう。ネックになるのが被爆シーンをどう撮るかだ。演出困難なのである。本作も木下としてはずいぶん思い切って汚れた画面を作ったと思うが、やはりちょっとしたガス爆発事故という感じ。遺体がまだ美しすぎる。記録写真にはある、人間の尊厳に対する陵辱が感じられない。フィクションで原爆映画を作る難しさはここなのだ。いくらむごたらしい遺体を造形できても、たぶん方向が違うんだろう。こしらえものが現実の歴史と拮抗する新たな地点を、劇映画作家はさらに探し続けなければならない。[映画館(邦画)] 6点(2012-09-30 09:29:56)

16.  告白(2010) 《ネタバレ》 ストーリーの展開に無理が目立ち(とりわけ後半グズグズ)、また口当たりのいい映像の流れには飽きが来て、正直観ている間は低評価。でもラストの松たか子の「なーんてね」のセリフで、これはこれで今の時代の嫌な一面を突いてるな、とは思った。映画に蔓延してるのは「とりあえず小馬鹿にする態度」。いじめの本質かどうかは分からないけど「小馬鹿にする」ってのは重要な要素だろう。茶化す、ってことでもある。真剣なもの(それはときに暑苦しくもある)を避けて、クールであろうとする。クールに見えようとする。そのためには他人にとって切実なものまでを、小馬鹿にする。それは生々しいものから逃げたい臆病の変形なんだけど、現代はその必死に冷笑する気分が過飽和状態になっていて、それがあちこちで「いじめ」として結晶してるんじゃないか、そんなことを思った。そして娘の死への復讐という真剣な思いを完成させるためには、最後に「なーんてね」という小馬鹿にする言葉がトドメになる。しょせんエンタテイメント作品ではあるが、でもだからこそ、これが決めゼリフとしてぴたりハマったのが、現代の状況を射抜いていた(かつて「なんちゃってオジサン」という都市伝説があったけど、あれはまだ愛嬌があったな)。登場する全員が救いようなく壊れていく。暗い雲だけが動いていく。[DVD(邦画)] 6点(2011-08-03 10:04:12)(良:1票)

17.  孤高のメス 《ネタバレ》 地方を舞台に、熱血青年が古い因習に挑む、ってのは「坊っちゃん」以来の日本物語の定型で、「先生」と呼ばれる聖職ってのも大事なポイントなんだろう。イイモンはやたらかっこよく、ワルモンは俗物臭ぷんぷん。物語としてはそれでいいのかもしれないが、もし臓器移植への問題提起だとしたら、ちょっと話が都合よすぎる。ドナーの家族が、移植によって臓器の一部でも生き継がれればいい、と理想的に判断してくれて協力的。問題はすべて、移植を認めていない当時の法律や俗物の医師たちに寄せられる。これでは正解は「臓器移植」と最初から定まっていて、問題提起というより移植推進のプロパガンダだ。脳死の問題が医者の正義感だけに託されている。あの俗物の医者たちが脳死判定する可能性を除外している。脳死の問題は、たとえばずっと病院で臓器を待っている好青年がいて、そこにほとんど脳死状態の怪我人が運び込まれてくる、なんてとき、閉鎖的な日本の病院世界できちんと厳密な脳死判定がされるだろうか、という不安があるとこだ。臓器提供をためらう家族をこそ登場させなければならないんじゃないか。それでいて手術後は意外とあっさりゴタゴタは処理されてしまって肩透かし。脇筋の、子連れ看護婦の熱血医者に寄せる、敬愛と自分に言い聞かせているような恋愛感情の描き方が、押さえながらも筋を通していて味わえた。子どもが母の日記を読み、仕事一途だった母にもこういう華やぎの気持ちがあったと知る展開になっているのも良い。最後の別れの場では、ずっと「怒っている」夏川結衣が年齢相応にドタドタと車に走り寄り、「私は本当は○○○○が好きなんです」と告げるところでホロリ。ロケをした港は、震災の被害を避けられたのだろうか。[DVD(邦画)] 6点(2011-05-27 09:57:30)(良:1票)

18.  恋文(1985) いっそ肺病にして、大正ロマンに時代移してやれば面白味が出たかもしれない。度を越して「優しい男」を感動させるのに現代で来られると、ただのバカに見えちゃうとこもある。部分的にはいいとこもあるのよ。人の流れに逆らって歩く二人の長いシーンとか、「別れてくれ」言われるところの倍賞さんの堂々とした顔とか、離婚の相談所へ電話するときのチャリンチャリンの音もいいね。ブラインドを指でカチャカチャやるような、なんとない仕種をさせると、この監督はうまい。だけど男が二人の女に愛されるほどの魅力に乏しかったな。ラストは靴音遠ざかったとこで切っちゃったほうが良かった。[映画館(邦画)] 6点(2011-04-04 09:55:04)

19.  殺しの烙印 正直言って、日活首脳部の気持ちもちょっと分かるな。どの程度までギャグとして見ていいかわかんないから困っちゃうとこあんのよね。水道管のシーン。飯の匂いを嗅ぐ、ってのもそういうとこあるし。ライター広告からの狙撃はマジでしょ。アドバルーンは△ね。南原君と二人の対決シークエンスなんか、荷物に腕組んでドアに立つなんてとこは生き生きしてんの。迷いなく純粋にいいなと思ったとこは、波止場のシーンで撃たれた相手が落ちて縄に引っかかるところ。蝶だらけの部屋とか、8ミリ映像との会話とか、変に凝ったとこはかえって軽く見えてしまった。といってこの監督は「変に凝る」ところをみな楽しみに観てるんだから、気分が合わなかったってことかもしれない。この人の映画は、観るときの気分が大事なんだ。だいたい様式的なものってのはみなそう。たとえばミュージカル観て、なんでこいつら急に踊り出すんだ、なんて気分になったら、即、中止したほうがいい。[映画館(邦画)] 6点(2011-02-14 09:43:32)

20.  ゴールデンスランバー(2009) 《ネタバレ》 最初のうちはかなりワクワクした。巻き込まれていくあたりの緩から急への展開。少し無理があるかな、と思うところがあっても、とりあえずリアリズムの線で見ていられたけど、ショットガン撃つ刑事やら通り魔君やらが絡んでくると、ファンタジーの線に近くなって、もうちょっとリアリズムの地平で踏ん張ってもらいたかった。こういう話ならば、そうでないと締まるところが締まらない(事件後すぐに容疑者を、市民の視線がある住宅地で警察が普通持ってない武器で殺しちゃ、オズワルドにも仕立て切れないんじゃないか)。いや、あの二人の演技はいいのよ。浜田岳はもちろん、不気味に上機嫌な永島敏行もそこだけ取り上げれば印象に残るキャラクターになってるんだけど、全体から見ると「邪魔」って気がした。そういった夾雑物が多すぎ。それは映画を活気づかせるより、主人公の「追い詰められぶり」を薄めてしまっている。まあつまりこれ、巻き込まれ型サスペンスっつうより、ほろニガ青春回顧もののほうに比重がいってる、ってことなんだろう。テレビレポーターが、主人公の「正義の味方」のときの画像に「そう言えば人を見下したような表情をしていたのが印象的でしたね」とかいうコメントを入れてたのが、実にアリソー。終わって冒頭を見直したら、ちゃんと子どもが母親に、ある仕種をしていた(あの階で彼がエレベーターから降りたことを竹内結子はどうやって確認したのか知りたかったんだけど、そもそもあの夫婦、彼がハンコを確認しているわずかの時間で、グルッと回っただけですぐにエスカレーターで降りてたが、あれはエレベーターがあの階止まりだった可能性を示唆する行動であって、ならまあ納得できるが、しかしエレベーター停止シーンで耳を澄ますと「3階です、下へまいります」のアナウンスが聞こえ、また竹内結子はエレベーターに乗ったさい新たにボタンを押していたのだから、すでに屋上から乗っていた彼はより下の階のランプを点灯させていたはずである、しかし点灯している階は彼女が押した左上隅の一つのみにしか見えず…。あ、そうそう、リアリズムじゃないのね、ファンタジー、ファンタジー…)。[DVD(邦画)] 6点(2011-01-31 10:36:00)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS