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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  新・座頭市物語 一作目は平手造酒がいて天保水滸伝の時代。これでは天狗党が絡んできてずっと幕末も押し詰まったころの印象があって、時代的に見てどうなんだろう、そう不自然でもないのかな。よくわかんない。市が周囲にロウソクを立てて居合いをし、順番に斬れ落ちていき、居合いのわざよりもそれで暗くなるのがいい。師の娘坪内ミキ子は18歳ということになっている。カタギになります、地道な暮らしを立てます。とカタギに戻ろうとするアウトローが、でも戻れないというお話の設定。いいのは仇と狙う須賀不二男。やられる覚悟で市に向かう男気、カタギになろうとしている市を見てサイコロ勝負、半だった目をそっと四六の長に変えて「運のいい野郎だ」とか言って去っていくの。それだけじゃないんだけどね。[DVD(邦画)] 7点(2013-12-16 09:55:53)

2.  四月の魚 絶対映画にならないテレビ番組は、ってのをかつて考えたことがある。クイズ、天気予報、事件・事故の現場中継、ナマのスポーツ、などを考えて、料理番組も思った。そしたら「在日外国人夫人の人気番組」って雑誌の記事で「料理番組」があった。実用番組としてでなく美術鑑賞として日本料理を楽しんでいるらしい。料理というのも社交芸術のひとつなのだった。そんなことを考えていて本作。料理映画というジャンルと呼べるかどうか。料理図鑑で見る美しさを越えた何かが動画で表現された、とは思えません。もっと官能性というか、秘めやかさというか、隠微な悦びみたいなもの、が料理にはありそうなんだけど。着眼点のみ評価します。あと、大林映画で大人しか出ないドラマというのも珍しい。「バイオレンスやセックスを嫌ってちゃ駄目だよ」という説教に、クシャミで応えたのは監督自身か。丹波哲郎が登場しただけで、場内は大受けだった。[映画館(邦画)] 6点(2013-06-08 09:21:21)

3.  自由学校(渋谷実監督作品) 説教臭のないファルス。全員均等に裁きながら、裁き手が不在であること。時代批評とはこうでなければならない。登場人物の動きも豊か。冒頭の佐分利信のゴロゴロ、樹に揺れる佐田啓二、歌舞伎座でひょいと飛び出てくる淡島千景、などなど。みんな少しずつ動きが過剰。軽い。その合い間にネットリした重さが不意に現われ(元軍人の現代風俗への嘆き、笠智衆の岡惚れ男が手当たり次第に家のものを投げ散らす)、その釣り合いがかなり納得いくのだ。カップルを襲う強盗ってのが出てきたけど、あれは重さより軽さのほうだった。同時代を描くにあたって、あまり深刻すぎず、かといって楽観もすぎず、結論は未来の人に委ねましょうという謙虚さがある。[映画館(邦画)] 7点(2013-06-02 09:41:31)

4.  就職戦線異状なし 情報もの的な青春群像もの、ってことになるのか。バブル期の優雅なリクルートの記録になった(『大学は出たけれど』と二本立てで上映すると昭和平成における学生の就職比較を学ぶ講座になるでしょう)。「なりたいものより、なれるもの」になっていくことより、「なりたいもの」が外部から決定されていくとこに、この時代の問題点があったんでしょうな。若者たちが社会を手玉にとってるようでいて、実は嬉々としてシステムの中に飛び込んでいく、ようなところがあって、こういう方向にはより強固な「社会」が存在する気がして、いささか不安を感じたが、その未来が今になってるわけだ。会話が弾むところは脚本協力の坂元裕二か。本田博太郎の不快感をもっと大きく扱ってもよかった気がする。ラスト近くの「楽園の終わり」の感覚は悪くない。仲間っていいもんだ。でもそれ本来「社会」と拮抗させるべきものなのでは、と思うのは、バブル時代を謳歌しなかった者の僻みか。[映画館(邦画)] 6点(2013-05-23 09:42:02)

5.  詩人の生涯 人形ではなく切り絵アニメ。沈んだタッチが美しい。その分ラストの赤いジャケツが鮮やかになる。母の血の色。唐突に巻き込まれていく母。脇で疲れ果てて眠っている若者。「その糸は持っていかれては困るような気がするんだけどな」。そして凍りついていく描写の数々が素晴らしい。赤いジャケツが若者の背に負ぶさっていくところ。老婆や糸買いの女の顔がいい。何度もチェコのアニメに賛辞を寄せるなどアニメーション好きだった安部公房は、自作の映画化のなかでも本作を気に入っていたらしい(やがて川本がチェコでアニメを撮ることになるのだが)。労働者が液体人間になっていく「洪水」などと同じく、プロレタリアSFとでも呼べる初期の傑作短編が原作で、独特の終末が進行していくイマジネーションの奔放さが圧倒的。[映画館(邦画)] 8点(2013-05-13 12:38:15)

6.  将軍と参謀と兵 これフィルムセンターで見たんだけど、戦後に上映された版だと思うんだ。厳密に言うと違う映画としなけりゃいけないんだろうが、たぶんそれしか残ってないんじゃないか。と勝手に思い、データに不備・間違いがあったら、登録者・私の責任です。つまりどうなってるのかと言うと、冒頭にちょっとだけ反戦ぽいナレーションとシーンがつく。水島道太郎が遺骨を抱いて帰ってくる映像を加えて、戦後の日本でも上映可能な映画にしてしまっている。中身はずっと戦中の国策映画なのに。これって日本の戦争映画の特徴だ。憎々しい敵が出てこなくて、戦争より戦場にこだわる(かえって子ども向けのアニメなどでは、大東亜共栄圏の意義を教育するためか白人の敵が出てくるが、大人用には心理的な戦意高揚を重視したのだろう)。戦場における兵士の友情や苦労などを描く。カボチャばかり食べてる将軍の飯に卵を用いる兵の忠、そのことに気づき、さりげなく「卵うまかったぞ」と言う将軍の恩、そういうパターンであるから、戦後上映してもそう問題にはならない。日本の戦争映画の特質がよく分かるフィルムだ。そのことが逆に戦後の反戦映画の弱さを知ることにもなる。「大変だった」への同情のレベルだから、タイトルを変えるだけでたちまち国策映画にもなり得るんだ。ちょい役で小林桂樹も見えた。まだ余力のあったころなのか、ドンパチはけっこう派手。田口哲監督。[映画館(邦画)] 6点(2013-04-07 09:49:56)

7.  昭和残侠伝 唐獅子牡丹 シリーズ2作目の、まだ様式が固まっていない試行錯誤がうかがえるのが面白い。1作目は終戦直後だったので、本シリーズで戦前が舞台になるのは本作からとなる。任侠ものの味わいには戦前の風俗が大事だと思っているので、そこに感謝(『残侠伝』というタイトルを見ると最初はずっと戦後を舞台にした『日本侠客伝』みたいなものを考えていたのではないか。だから池部の起用も前年の篠田正浩『乾いた花』の好演もあっただろうが、なによりも“戦後”という時代を代表する俳優だったからなのではないか)。本作は宇都宮の採掘場、次作は銚子近くの漁師町と、地方のいかにもやくざが強そうなあたりを舞台にするが、以後の東京の戦前風俗になってやはり一番しっくりする。路線が定まってなかったので池部の扱いが中途半端で、前半健さんに沓掛時次郎的な役を振ったので、屈折する池部とタイプがダブってしまい困っただろう。池部は満州帰りと変な洋装で登場しズッコケるが、道行きシーンではちゃんと決める。本作でいいのは、悪役の水島道太郎にも「石工あがり」という過去を振ってることで、石を平気で傷つける子分を怒鳴ったりする。仁侠映画ではこの手の丁寧さがしばしば見られる。道行きから一家への殴りこみはうっとり見られるが、石切り場での争いは安手のアクション映画になってしまってた。こういう失敗を重ねて様式が固まっていったと思えば、それさえ嬉しく見てしまうのがファン心理。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-19 09:38:45)(良:1票)

8.  12人の優しい日本人 『12人の怒れる男』って、これ日本だったら、ってついつい考えつつ見てしまう。三谷さんもそうだったんだろうな、と凄く腑に落ちた。その感想文をドラマにしたような本作は、単なるパロディではなく、日本人論として良く出来ている。①まず情から入ってくること。被告に同情するか否かが、ポイントになる。②個人より団体戦になる。チームが出来てしまい、無罪派は有罪派に負けるなっ、で気勢が上がる。③傷害致死で妥協しようと、落としどころを探る。ここらへん、いちいち笑ったが、日本社会のいろんな場面で目にしていることばかりで、そうそう笑っててもいられない。④休憩時間で雑談っぽくなると、みなけっこう喋りだすのもリアル。一番分身のように感じたのは上田耕一で、議論とか会議とかは向いてないんです、と逃げ腰。議論がほとんど喧嘩として神経を傷めつけてくる。でも何か役に立たなくちゃと思い、有罪・無罪と書かれた専用の投票用紙をせっせと作ってる。「縁の下の役割りなら一生懸命手伝います、そっちやりますから議論は勘弁して」というスタンス。これ分っかるなあ。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-01-17 09:55:48)(良:4票)

9.  シコふんじゃった。 学園スポーツものだけど、若大将もやらなかった相撲。学校名が実在のを引っ繰り返してるだけという、堂々の手抜きが潔い。教立大学に本日医科大学。単位と引き換えに一日だけ入部し、しかしホンキになっていくという設定。青春ものの爽やかさを、当時は久しぶりに感じられた映画だった。前半狭いところで話が進んだのち、パッと合宿で緑が広がり、土手と空、ここで「悲しくやりきれない」が流れ出すと(ある限られた世代だけかも知れないが)グッときてしまう。そうなのだ、青春って言ったら、土手で友と語らうものなのだよ。向こうの畦道を本日医科大学の面々がまわし姿でランニングしていると、さらにジーンとしてしまう(考えてみれば変な映画だ)。青春ものでありながら、主人公に恋が絡まないのも珍しい。一応夏子さんがいるんだけど、彼女は冬吉を向いてて、彼女には春雄が向いてて、彼にはでぶの正子さんが向いてる。秋平君は青春の渦の中心の穴的存在のよう。この手のシモネタでくすぐられていいのかと抵抗しつつも、下痢をこらえる竹中直人の深刻な表情には、やはり笑わされた。ラストに流れる「林檎の木の下で」でまたグッときちゃう。[映画館(邦画)] 8点(2012-10-28 09:38:17)

10.  時代屋の女房 過去を引きずる後ろ向きの群像、となるとあまり目新しさは感じられないんだけど、詠嘆調でなく場面場面にカラッと鮮やかなシーンを入れて引き締めている。あるいはセリフ、「別れた男に少しでも傷を負わせたら、女はバンザイよ」。大坂志郎の新幹線ホームで見せるイキイキした顔。とにかく細部が生きてる映画だ。電話の伝言、ビクター犬、猫のアブサン、シーツ。途中でネチネチし出すかと心配させたが、大丈夫だった。ただ主人公の父の死や、学生運動などを折り込んだのはどうか。そういったものを入れるのなら、もっと主人公の心のなかの「凄味」を出さないといけなかったんじゃないか。飲み屋の女主人がプロレスあがりってのも面白かったな。[映画館(邦画)] 6点(2012-08-31 09:25:53)

11.  女優(1947) 終戦直後の山田五十鈴と、新劇草創期の松井須磨子とが重なった。女性解放の爆発が日本中に起こっていた当時の山田が、ちょうどこう噴火している最中だった。デモーニッシュと言ってもいいほどの、女優のバイタリティが見もの。周りの人間が実に嫌に作られている。革新的であるべき人間の集団でさえ持っている陰湿な旧弊さ。ここに新劇草創期と終戦直後が二重写しに見えてくる。抱月が死んだ後の稽古のシーンが見応えあり。彼女も周囲に劣らず嫌な女だなあと思いつつ、讃仰してしまう。列車の光がモチーフになっていた。日光の旅行を回想するシーン、画面から人物だけがすっと抜けていく効果がこんなにも美しく決まったのは、あまりない。[映画館(邦画)] 6点(2012-05-11 09:50:54)

12.  十三人の刺客(2010) 《ネタバレ》 暴君を仕留めたいのか、柵で囲ったテーマパークで遊びたいのか、見てて分からなくなる。絶対有利な高いところに立っての弓を放棄して肉弾戦に移るのは、ありゃ遊びたい気持ちのほうが勝っているからとしか思えない。その前だって火牛が登場したり、よく考えると効果の分からない見た目の派手さを選んでいる。いや、派手結構よ。それならそのエンタテイメント精神で一貫してくれればいいんだけど、「命を軽んずる武士道は立派だろ」イズムがしばしば見え隠れしてて不快。だいたい「立派な切腹」シーンてのが気持ち悪く(歌舞伎みたいに完全に様式の中に閉じ込めてしまえば、切腹だろうが子殺しだろうが大丈夫なんだが)、それが頭と中盤に二つもあるのは辛かった。宿場であんな大普請してたら噂が伝わっちゃうよな、とか、どっちも金がふんだんに使えるんだ、とかブツブツ思ってしまうのも、エンタテイメントに徹してくれてないから。エンタテイメントとして楽しめるのも弓を放棄するまでの、仕掛けが繰り出されるあたりまでで(一応ワクワクしました)、大人数のチャンバラになると至って退屈。他人がテーマパークで遊んでるのを長々見せられてもなあ。良かったのは前半の屋内シーンの廊下の暗がり。[DVD(邦画)] 6点(2011-11-16 10:21:26)(良:1票)

13.  食卓のない家 松竹出身の松竹らしからぬ監督であったが、最後の作品はホームドラマになった(監督が熱望していた『敦煌』は、とうとう製作権を得られず)。ほとんど家族の内部に視点を固定して、家族が襲われた悲劇を眺めていく。この主人公が社会に対して決然としていた、ってことを具体的に見せられればいいんだけど、「何もしなかった」ってことを演出するのは難しい。押しかけるマスコミとか、テレビで謝罪させられるほかの親とかやると、陳腐になってしまう。言葉で立派立派とか冷酷冷酷って言っても、こちらに映像としての手がかりがないので仲代さんが浮いちゃう。この家族をカメラが離れたのは真野あずさ兄妹のシーンだけか。弁護士のとこでも必ず誰か家族がいた。そのことによってこの家族を客観視するチャンスが観客に与えられなかった。あの真野あずさはいらなかったんじゃないか。岩下志麻に全部おっかぶせちゃえば30分削れたみたい。金魚鉢割るとこ、一発のシーンであるべきなのを角度を変えて繰り返してた。小林さんが、こんな野暮やると思わなかった。「おかあさん、きちがいだから」と次男に迫るとこはよかった。ちょっとノレたのは後半の釈放劇のあたり、あのお父さんの、自分はキリッとやってるのに国家がそれに付き合ってくれない、という裏切られたような気持ちね。小林作品の仲代は最後まで信念の人だった。もっともそれを独白で表現してしまうんだけど。武満が晩年の小林に作った音楽は、『燃える秋』といいこれといいメロディアスな「分かりやすい」曲になる(『東京裁判』の音楽の記憶があんまりないが、たしか陰気な弦の響きのパターンで、少なくともメロディアスではなかったな。武満さんは『黒い雨』など戦争がらみの作品ではだいたい弦楽レクイエム調)。本作ではスメタナの「モルダウ」みたいな、ミ、ラ~シド~レミ~と言うシンプルなメロディラインで驚かされた。それが複雑な武満トーンで味付けされ、美しい抒情をかもしている。[映画館(邦画)] 6点(2011-09-08 10:26:44)

14.  支那の夜 [前後篇] 古い劇映画は当時の記録映画としての意味も持ち、その意味でこれは「あの時代の日本人の自分勝手なエエカッコシイの精神」を知るに優れていた。兄的な立場、我慢している立場、そして教育者という立場。そのままあの戦争の大義に重なる。「白人に支配されているアジアを、アジアのなかの兄さんである日本が、もう我慢できずに解放してやるのだ」。現実にある抗日運動に対しては、一応上海で日本人が傍若無人に威張っていることは認めざるを得ない、そこにある現実だから。それは認めてそういう「一部の不届きな日本人」に説教する。でこちらにひとつ負い目を負わせておいてから、李香蘭の方には「抗日運動は目隠しされた愛国心」だと言えば、これを観ている日本の観客はその二つで釣り合いを取ってしまう。全然レベルの違うものを釣り合わせて、納得させる。李香蘭の崩れた旧家と、日本の兵士の戦死。そういったゴマカシの釣り合わせの果てに「だからこそ手をつながなければならないのよ」となってしまう。そしてそれを情緒のレベルで許してしまう日本人のいい加減さ。ひどい話であるが、そのひどさを平気で生んだ当時の日本人の精神が、この映画にはしっかり記録されていて貴重。[映画館(邦画)] 7点(2011-06-04 09:56:35)

15.  女学生と与太者 《ネタバレ》 昭和ひとけたの邦画はギャングやヨタモノが跳梁していて嬉しい。アメリカ映画の影響か。でも冒頭の夜の街の移動から宝石泥棒に至るタッチは、ドイツ映画の『アスファルト』を連想させられる。ビビッてる阿部正三郎の前のテーブルにカッとナイフが刺さったりする。話の本筋は、水久保澄子を姫として、与太者三人組が騎士道的に仕えるという話。そこにO・ヘンリーが重なったりするのだが、どこか日本的なものもあって、そのチグハグ具合がおかしい。ラストの金庫あけなんかまるっきりイタダキなんだが「きれいになって出直さなくちゃならない」なんてとこは、任侠もの的な日本の匂いがする。みんな元気よく走る。走るだけでなく、電柱に上ったり、終わりのほうでは自転車で東京へ疾駆する。これに水久保嬢の洋裁学校でのいじめが絡み、ここの女教師で洋服姿の飯田蝶子が見られるのも珍しい。とにかく戦前の町並みが映るだけで嬉しくなってしまうもので。[映画館(邦画)] 7点(2011-05-19 09:56:14)

16.  純情二重奏(1939) 《ネタバレ》 高峰三枝子‐万城目正コンビの記念すべき第一作、らしい。つまんなかったね。戦後の高峰の歌謡メロドラマと比べてもつまんない。レコード会社を舞台にしているとこなんか同じ筋で、ああいうのの原型はこれか、という得心を得られるのだけが意義。ストーリーとしての大筋は「親の心子知らず」から和解へ、というものだけど、つまりはレコードを売る目的の映画。ラストで三番まで歌ったのを二回繰り返したのにはまいったね。とにかく映画の観客の脳に歌を刷り込んで帰りにレコード買わせよう、という魂胆がアリアリ。それまでにも湖畔などで主題歌は十分聞かされてるのよ。でもまあ、ラストということで一回は許されるよね。丸メガネの霧島昇もいいしさ。でも終わったとこでアンコールって言う奴がいて(坂本武だったか)、人々の合唱も加わり、「あたしも歌わせていただくわ」という令嬢もはいり、斎藤達雄のくさい表情もあるし、客が順々に立ち上がる感動シーン極めつけの演出もあるから、まいいか。ここで指揮していた斎藤君が、うっと胸を押さえると、すぐ墓のカットになるのは、笑いを通り越してただただ唖然。[映画館(邦画)] 5点(2011-04-21 09:54:38)

17.  人生は琴の弦のように これはまず「地形」の映画である。盲目の主人公が見ることの出来ない遠景から、足もとの斜面に至るまで、作者の慎重な選択が感じられる。監督はかつてテレビのインタビューで、パゾリーニが好きだと言っていたが、その影響もあるかもしれない。しかし黄河のほとりのうどん屋シーンの不思議な緊張感はオリジナルなものだ。怒涛渦巻く背景を生かした地形の中で、セリフの少ないドラマが演じられる。地形が観客に与えるインパクトは強烈で、非日常の世界に・それも東洋的な光沢を持った神話の世界に一気に連れ去ってしまう。シートウが恋人の顔を地形になぞらえて手で探っていくシーンがある。盲人が視線の代わりに手でもって恋人の顔の上を放浪し、触覚が視線になって未知に向かい合ったわけだ。またこれは「音楽」を巡る映画である。『黄色い大地』からすでに、彼の映画では音楽が重要な役割りを演じてきたが、本作で前面に押し出された。人々に和をもたらす彼の琴、最後は自分のために弾き切ろうとする。が、主人公は芸術に裏切られる。人のためでも自分のためでもなく、芸術はそれ自身のために存在するという無慈悲さが剥き出しになる。芸術に魅せられるとはどういうことなのか。それでも音を掻き鳴らさないではいられない人間の可憐さのようなものが感じられても来るのだ。さらにこれは「放浪と定着」の映画でもある。村人は二人の盲人を神として歓迎するが、定着は許さない。おそらく定住したらただの乞食になってしまうのだろう。民俗学的なテーマでもあろうが、芸術=非日常のありように関する問題でもある。大きな争乱を一気に鎮めてしまう力は偉大であると同時に恐ろしくもある。そのようなものには居座ってもらっては困る、時々訪れて去っていくのが一番いい。芸術とはそういうきわどい存在なのだろう。謎のようなうどん屋の女将の歌に「誰だって自分の家にはいたくない」というリフレインがあった。女=妻というものがそもそも定住の象徴なのに、その女が放浪へ導く歌を暗示している。彼女はけっこう重要な存在で、芸術に関わってしまった人間の皮肉な運命そのものを操っているミューズなのだろうか。ああ、なんかとても多層的に観られる映画であった。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-20 12:27:19)

18.  十階のモスキート 内田裕也の魅力のひとつに、声を張り上げると上ずっちゃって軽くなり、ドスが効かなくなる、ってところがある。悪役専門だったら致命的な欠点なはずなんだけど、この人の場合、それを独特の滑稽味として持ち味にしてしまった。彼自身も意識してるんだと思う。絶対に普通の人じゃないという目つき・顔つきと、おどおどした感じを含む卑小な声とのアンバランスによるおかしみ、それがいつも気を張って生きている現代人にとって、けっこう普遍的な共感を呼ぶことになったわけだ。ラストの強盗シーンで、そのアンバランスは十分活用された。話は、しだいに借金地獄になってくとこにリアリティ。競艇で一発で決めてしまいたいと思う心理なんか、分かるもんなあ。十階へ階段を使って常に上っていくのがタイトルの意味。[映画館(邦画)] 6点(2011-03-26 09:57:36)

19.  社長漫遊記 《ネタバレ》 オリンピックの前年いうことで、社長のアメリカかぶれはもっと生々しい皮肉になってたのかも知れない。役者のちょっとした仕種なんかにくすぐられるところが多い。これ小林桂樹のトーク付きで観たんだけど(成瀬巳喜男の『女のなかの他人』と、筧正典の『新しい背広』ってほのぼの小品と、小林桂樹が出てるという以外共通点を見つけづらい風変わりな三本立てだった)、かなりアドリブ的に入れたところがあると言ってた。一番光ってたのはやはり三木のり平で、ときにすごく残忍な表情を浮かべながら、それを全体の喜劇トーンにうまく溶かし込んでいる。社長と刺々しくやりあったり、ちょっとした独のあるセリフを付け加えたりするのが、わさび的に絶妙。森繁も、無理にフォークでそばを食べるとこなんか、わざとらしさの極致なんだけど、笑ってしまう。尊大さと、ふっとした卑小さとをくるくる交換するおかしさ。フランキー堺の三世(?)言葉のおかしさ、こんな程度のことで笑ってはいけないと思いつつ、これも笑ってしまう。チームワークの良さで、場そのものが生き生きしてるってことなんだろう。池内淳子の消防芸者ってのは、火事があると野次馬で見に走り出してしまうっての。[映画館(邦画)] 6点(2011-03-15 12:28:23)

20.  ジャズ大名 《ネタバレ》 監督本来のリズムが感じられた作品はこれが最後だったかな。十字架が東西南北を示すようなどうでもいい細工が、画面を生き生きさせる。不意に岩陰から現われる「ええじゃないか」の絶妙なカット割り。何と言ってもこの映画最大のアイデアは城の設定で、ただ横に長いってだけで後はどうなってるのかよく分からない、というすごいセット。ソロバンに乗って滑っていけるんだもんね。この妹が唐十郎の後ろにじっと控えているあたりのおかしさ(喜八先生の娘とか)。ヤケクソ気味のジャムセッションは筒井好みだが、ドンツクドンドンツクツクは間違いなく喜八先生の世界。おかげ参りも官軍もなぜかなだれ込んできて、地上の戦闘とは無関係に、明治になってもジャズは続くのでした。『肉弾』も戦争の終わりをドラム缶に閉じ籠もって通過させる男が主人公だったけど、こっちのはもっと積極的な拒否みたいなもんだ。筒井のアナーキーが、いいふうに喜八先生のアナーキーと共鳴した。[映画館(邦画)] 8点(2011-01-30 12:09:05)

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