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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  忠次旅日記 子分が強盗になっているのを知った忠次の苦衷。活劇としてよりも日本風悲劇としてのトーンが満ちている。悲壮さへの誘惑もある。大きな樽を入れた構図、暖簾を分けて立つ娘お粂、など印象深い。呼びかける声がだんだん大きくなるのは、そのまま字幕が大きくなることで表現される。フィルムの断片だけが発見された「信州血笑篇」の方は、どうも気分がつながらなくて困ったが、「御用篇」はかなりまとまった部分が残されたので大丈夫。戸板に乗せられたまま夜の川を渡るあたりの悲壮の極み。日本映画は敗者への共感を描くと特別味わいが深まるんだ。伏見直江(ポスターには「新入社」と書かれていた)が密告者を調べる蔵の中のシーン。これはサイレントならではの緊張ある場面で、名前を呼ぶ字幕と影のある顔とのリズムがだんだん切迫していく。で最後の捕り物。ここが残ったので、作品の活劇としての味わいがうかがえた。上下に動く蔵の戸を、開けよう・閉めようとしている争いを内側から眺めるカット。隙間から見える足だけの活劇というアイデアだが、アイデア倒れになっていなかった。追い詰められ密閉された場所での覚悟が画面をうずめる。おそらく三部作全編を通して観られれば、滅びへ向かう巨大な下り斜面が見えてくるのだろう。フィルムの欠損部分でリズムを崩されるのがすごく気になるってのが、オリジナルのリズム感の洗練を思わせる。[映画館(邦画)] 8点(2011-12-30 10:59:21)(良:2票)

2.  痴呆性老人の世界 干し固まっていたような痴呆性老人、その豊かな内面が突然広がりだすところに感動がある。タオルの畳み方を皆に教える。あるいは餅つきで、アンコを包んでキュッと絞り切るあたりの手際のよさ。いつもムッツリしてたお婆さんが、孫の面会で別人のように穏やかな顔になる。自分の名前もよく言えなく、旦那が生きているのか死んでいるのかも分からないサダ子さんが、百人一首を上の句の五文字を与えられただけですらすら後を言えるとこ、彼女が百人一首に熱中していた少女時代までが急に匂い立ってきて、ズーンと奥行きが出てくる。子どもに会いにと風の中を歩いていくお婆さんだって、自分の子どもが幼かったころの壮年期が湧き返っているわけだ。彼女たちが生きてきた時間が「過去」から解放されて溢れ出す。時代の氾濫とでも言いましょうか。もう「痴呆性老人の宇宙」。この豊かな何層にもなった時間の渦を肯定的に捉えている。もう「痴呆性」という部分はさして関係なくなってきて、老人一般のドラマになっている(お爺さんはどうなんだろう、という疑問は湧くが)。たまたまこういう症状が出たおかげで、その宇宙が外に表われた、そこのところを作者は手際よくキャッチした。クリスマスプレゼントでチャンチャンコを一番喜んでいるところに女を見る作者も、女性であります。お正月が終わって送りにきた付き添いが、お婆さんがほかのことに熱中している間にこっそりと去っていくシーン、去った戸口からパンしてお婆さんを捉えるのが切ない。さらにもっと切ない二年後が続くんだなあ。[映画館(邦画)] 8点(2010-10-11 10:06:36)(良:1票)

3.  注文の多い料理店 まず静かな林の夕方の気配が美しい。葉がきらめいているのか、チカチカしている感じや風の肌触りがよく出ている。しかし見事なのは「山猫軒」だ。あの原作からこんな広大な建造物を想像した人はいなかっただろう。外観ではない、複雑な構造が内側に組み込んでいく迷宮としての山猫軒。迷宮がもともと持つ、地図を失った心細さが、ここでは裏返された探検への期待として展開していく。薄暗さと静けさ。狭い廊下から鏡の間に抜け、蝶が乱舞したかと思うと、さらに地下深くの運河を越えたりもする。観客も耳を澄まし、足音を忍ばせて猟人の彼らに従っているような気分。イメージの展開は奔放だが少しもはしゃいだ気分はなく、一つ一つの場面の底には、必ず美しい寂しさが横たわっている。原作にあった恐怖感は薄められ、この作品では山猫軒で最後に出会うものへの期待が、この寂しさの中でしだいに高められているような感じすらある。それはもう単においしい料理への期待などを越えた、何やら分からないが荘厳で偉大なものの気配、孤独を通り抜けて初めて見上げることのできる巨大な何かである。二人の猟人はその最後に待っているものがもしかすると死かも知れないとうすうす気づきながらも、自分自身に調味料を振りかけながら、魅入られるようにしてこの迷宮の奥深く、山猫たちの舞踏の場まで来てしまうのではないだろうか。遺作となる作品にしばしば見られる澄明感が、ここにも満ちている。漠然と遠くに感じられていたゴール、その死がごく身近な自分だけの終着点として感じられたとき、いま生きている現実の世界はもしかすると、その死を包み込んだ寂しく美しい迷宮となって見えてくる。若い健康な者にとっては抽象性のカバーをかけられてしまう死が、その迷宮を通過することによって具体的な手触りを帯び、親しみさえ感じられてくるような気分。この映画はその気分を、すぐれた原作を得て、まれに見る凝集度で提示した。原作の中心に置かれていた、食べる=食べられるで組み立てられた世界観は、さらに死の要素を加えて、畏れる=魅せられるのベクトルをも持つようになり、奥行きの深まった限りなく美しい小宇宙を構成したのであろう。[映画館(邦画)] 8点(2009-11-10 12:13:32)

4.  ちびまる子ちゃん 映画となるとエッセイ的ではもたず、大野君・杉山君の友情物語を中心にして、まる子は語り手に退いた。背景が立体的になっているのも、スクリーン向きの配慮か。小学校の運動会を一通り描いていて、準備から各競技、夕陽の中での後片付けまで、懐かしい。小学校のときの友だちってのは、だいたい別れ別れになっちゃって、生涯の友とはならないもので、それが独特の雰囲気を持つんだ。楽園時代と言うか。クラス中が一つの夢の中に漂いだす、その仲間の感じ。少年の夢がクラスの仲間たちを巻き込んで実現していく。お別れ会はあざとくならなかった。花輪君の金に糸目を付けない手品の後で、まる子が宙に浮くお札をやる。エンディングにズラッと出てくるNTTグループの名前が凄かった。[映画館(邦画)] 7点(2013-11-21 09:43:31)

5.  チ・ン・ピ・ラ(1984) ラストの白服の船長さんの嘘っぽさ・いかにも取ってつけた感じが柴田君の幻影のようでもあって、それほどキズとは思えない(寺山修司の映画によく出てくる海軍軍人を連想したので、より幻想っぽく思ったのか)。三十男の焦りという中心テーマの侘しさがいい。じゃれ合うチンピラのままでいたいけど、やくざの成熟社会(親分子分のキッチリした関係)に追い詰められてもいるわけで、ヤーさんの“制服”への嫌悪感もある。で、すぐデパートの屋上へ行ってしまう。アマチュアなんだな、もうしばらくアマチュアで居続けたい。親分と一緒にメロンに手が伸びちゃうなんてスケッチもよかったな。サインペンで刺青に色を入れる、これがラストで生きてくるんだ。[映画館(邦画)] 7点(2013-09-05 13:29:18)

6.  父と暮せば 《ネタバレ》 木村威夫の美術は『海と毒薬』などリアリズム作品でも、そのリアルさの底に怪談めいたものが潜んでいるような設計になっていて、清順映画のときと通じていた。黒木作品ではあんまりそういう印象がなかったのだが、本作では出た。実際これはリアルな怪談が、木村のセットの中で「ぶらーりたらーり」と展開していく。本作はセットがほとんどの舞台であり、木村威夫を堪能できた。舞台劇を映画化した長所はこういうところに出ているのだから、せっかく原田芳雄の一人芝居で頭上に太陽が二つ「ぺかーぺかー」と輝いた残酷さを示したとこで、CGの原爆シーンを入れてイメージをしぼませてしまうのが分からない。映画化に際しては舞台では見せられないものを提示しなければ、と思ったのだろうか。しかしああいう分かりやすく説明する画面をすぐ入れるってのは、テレビの発想だ。舞台では味わえない映画ならではのリズムは、要所で挿入される地蔵の顔や焦げた人形のカットなどにあった。直接的には「原爆瓦」など被爆資料のアップ映像も舞台ではよく見せられないもの。そういうところでちゃんと「映画」しているんだから、あのCGは不要だった。音楽。松村禎三の控え目なピアノの調べが、要所で外さずに入ってくる。静かにさざなみだった音形が反復されつつ半音ずつ崩れていくようなモチーフが印象的で、すべてを融かす原爆の不気味さと被爆者への鎮魂が同時に感じられるよう。ラスト「おとったん、ありがとありました」の決めゼリフに続いてピンとピアノの高音が鳴り、それからその崩れゆくモチーフが沁み込むように流れてくると、やはり胸がいっぱいになる。[DVD(邦画)] 7点(2011-11-12 09:34:31)

7.  忠臣蔵外伝 四谷怪談 風に吹き散る桜で始まる。はらはらと散る情緒に対抗するように。また琵琶の響きを入れたことで、話に一歩退いた地点を作れた。少し離れることが出来た。とにかく一つの解釈にはなっている。忠臣蔵と女の争いを対比し、後者のほうにマットウなものを見ようとしている。ドラマを動かすのはお梅、彼女がここまで重要に扱われた四谷怪談はほかにないだろう。荻野目慶子の痴呆ぶり、ちょっとやりすぎかとも思うが、まあ見てて楽しい。この一家をほとんど魔物として描いたわけだけど、ラストで、でも彼らのほうが浪士らよりはマシと見えてくる。本当なら岩は武士のすべて、赤穂がたにも悪さをするべきなのだが、そこまでの裁き手にするとカレンさがなくなってしまうか。前半の伊右衛門のケダモノぶりは、ふと『仁義の墓場』などを思い出させた。決起の宴と結婚の宴とをヤマに持ってきたのは正しい、男の狂乱と女の狂乱、琵琶の響きが二つをつなげる。ラスト、実像となった伊右衛門と岩が、透き通る虚像の浪士たちを眺める場になるのではないか、とちょっと想像してしまった。忠義の世界のウツロさを映像で駄目押ししてもらいたかった。[映画館(邦画)] 7点(2010-07-14 12:03:58)

8.  チョコレートと兵隊 《ネタバレ》 これは戦時中、日本研究のために米軍がいくつか取り寄せた日本映画の中の一つで、これは反戦映画なんじゃないか、と疑問に思われたといういわく付きの作品。藤原釜足演じるいいお父さんが、戦争に行って死んでしまう話だから、向こうの人から見たらそう思えるかも知れないし、戦後の反戦映画のプロットにもなりうる設定だ。でも当時の日本人は、こんないいお父さんを死なせた敵を許すまじ、ってふうになったのだろう。これを逆に考えれば、戦後作られた反戦映画も、視点を変えれば戦中の国策映画になってしまうわけで、怒る対象の不在ってところが日本の反戦映画の問題点なんだと思う。そういうメッセージ以外のところは丁寧な生活描写で、藤原釜足もよく、いい出来の映画だと思った。実はこの映画で一番ハッとしたのは、夫に赤紙が来て妻の沢村貞子が「しかたがないや」なんてセリフを言うところ。戦前の映画見てて一番不自然なのは、召集令状が来ると内輪の場面でも家族が「おめでとう」とか「やっとこれでお国のためにたてます」とか、建て前の反応しか見せないところで、そこらへんに対しては特に検閲が厳しかったんだなあ、と思ってたんだけど、この作品では消極的ながらも、肩を落とし溜め息をつく気分が描かれていた。昭和13年というまだ比較的ゆとりがあった時期のゆえか、それともけっこうこの程度の表現はほかにもあって私が目にしてないだけなのか、「しかたがない」のを乗り越えるところに検閲官は意義を見いだしたのか、分からない。しかしそういうシーンが戦前にもあったことを知って、ちょっとホッとした気持ちになれた。[映画館(邦画)] 7点(2009-05-02 11:59:29)

9.  地上(1957) 大正時代の雰囲気が満ちていて、それだけで嬉しい。どの程度正確な時代考証なのか分からないけど、こんな感じなんだろうなあ、と思わせるだけの説得力はある。洋装と和装がごっちゃになってる独特のファッション(野添ひとみのお嬢さまファッションにはちょっと笑っちゃったけど)、家々のたたずまい、牧歌的な風景の中を長く連なる貨物列車、ハーモニカのドナウ川のさざなみ、などなど。「坊っちゃん」よりこっちだけど、昭和モダニズムには至らぬという、濃い二つの時代の隙間で夢見ているような大正の味がある。まして金沢という地方都市。陶器工場のストライキですら、鉄や油の匂いのしない素朴な労働運動といった印象で、因習の残る芸者屋と町の中で併存している。友人の労働者と恋人の社長令嬢との間で引き裂かれる貧青年、という主人公は、本人も没落地主の末裔という設定があることで、奥行きがでた。[地上波(邦画)] 7点(2008-03-04 12:22:36)

10.  茶の味 なんであなたは三角定規なの、のほうが、山よ山よ山は生きている、よりよかった。普通に喋ってる感じと普通でないとことの同居。人工的な画面と夕焼けの自然な場面との同居、でもある。CGを溶け込ませるでなく・際立たせるでなく、同居させている。そういう変な感じ。変なことやってるでしょ、という「どうだ」の姿勢がくどくなりそうなところを救う三浦友和・手塚理美の存在が大きい。栃木県茂木町だそうだ。囲碁囲碁と叫びながら、やがて囲碁マンになって正義の妄想にひたる。うんこを載せられたやくざの幽霊が、掃除をしてるときもボーッと立ってる。さか上がりが出来て仏頂面の少女は最後に笑う。もうちょっとで「どうだ」という態度への反発が起こるギリギリのところで、なんかうまくかわされてしまう。[DVD(邦画)] 6点(2014-02-01 09:21:39)

11.  血と骨 『ゴッドファーザーPARTⅡ』でしょうなあ。船でニューヨークならぬ大阪にやってくるところから始まる移民のドラマ。ほとんどオープンセットで展開するのは好み。でも長編小説の映画化はどうしても、エピソードの並列になってしまう。連続ドラマにこそ向いている。「弦楽のレクイエム」調の音楽で、人々はこうして生きたという鎮魂のようでもある。立つ人々の印象が強い。喧嘩を見守って立つ人々、警察の前で待って立つ人々。当事者ではないことにホッとしつつ、当事者を取り囲んで生きてきた無名の人々の厚み、というか。首吊った田畑智子の図がなにやら神々しかった。パゾリーニの『テオレマ』の屋根に、こんなの浮かばなかったっけ? そういう部分部分で息を呑む瞬間はあった。豚の解体。[DVD(邦画)] 6点(2013-09-30 09:37:22)

12.  超少女REIKO いろいろ演出の工夫もあり、助監督上がりの初監督作品の気合いが感じられる(やがて彼はゴジラ担当となっていくが、ホラーのほうが向いてたよう)。ヒロインの登場シーン、影で見えなくして、浮き上がった鉛筆立てで顔隠し…と凝った状況下で炎のなかに玲子の文字が浮かぶ仕掛け。窓からの青い光がありさの顔を捉えるとか、図書館に亡霊が現われる唐突さもいい。けどパソコン少年の実家に現われたとこは惜しくも失敗。そもそも欧米ゾンビメイクはあんまり好きじゃなく、あれしないほうが怖かったな。家庭科室の小麦粉に線が引かれていくのもいい。一本が曲がってきて、それが複数になってって。降霊会のときの音、コツコツが盛んになってきて、テーブルが動き出す、そういった段取りが大事だ。ライトが動くと折り畳み椅子が弾けていって、その先にありさが立ってるの。ラストの対決は、文化祭のイベントを巡っていく律儀さ、壁押し潰しなど「童夢」を思い起こす。美術室の浮き上がるありさの脇にトルソが浮き上がってくる。初監督作で、やりたかったことをせっせとやってる感じに気合いが感じられた。「学校って意外とホラーね」なんてせりふもあり、「愛は力かもしれないけど、力は愛じゃないわ」と言うありさ嬢にウンウンとうなずいている私であった。[映画館(邦画)] 6点(2012-10-20 09:32:39)

13.  ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 テレビ版でのエッセイ的なお笑いよりもストーリーを中心にして、それにファンタジー的な音楽シーンを織り込んでいる。エッセイでは映画としてはもたないという判断だろう。しかし時間の節約か製作費の節約か、若干お手軽になり、一本の映画としては水っぽくなってしまった。買い物ブギの終わりに出てくるウサギ耳のオッサンに笑ったのと、夜のプラットフォームに明かりがついてうなぎ電車が通過していくとこが良かった(あと「めんこい仔馬」とか、この人の趣味はヒロシの一世代前のもの・さらには友蔵の二世代前のものが影響しているのか、堂々と古くて面白い)。まる子がよそのオネエサンのことばっかり言うんでつまんない実のお姉さんのスケッチなんかが入っているところの目配り。あの絵描きのオネエサンは、著者の青春の分かれ道がダブっているのかも。[映画館(邦画)] 6点(2011-11-17 10:18:15)

14.  忠臣蔵(1958) 子どものころは師走になるとだいたいどこかのテレビ局で忠臣蔵をやっていた。ぼんやりとこの話の元は歌舞伎なんだろうとか思って親と一緒に見ていた。そののち長じて歌舞伎の仮名手本忠臣蔵を見ると、かなり違うのに驚いた。刃傷や城明け渡し、京での遊楽などの場はあるものの、映画で繰り返し見た細かなエピソードは全然なく(一晩での畳替えやら、赤垣源蔵徳利の別れやら)、忠臣蔵物語のネタはどこから来たものなんだろうと気になった。当時一番近いと思えたのは三波春夫の浪曲歌謡曲の世界で、映画はこういうのの寄せ集めなんだろう、と思い直した。ちゃんと調べたことはないが、それが近いのではないかと今では思っている。けっこう好きなエピソードは内蔵助が別の武士の名をかたって江戸へ向かう途中、本物と遭遇してしまうやつ。映画では大物をいつも起用していて、本作では鴈治郎だった。これ「勧進帳」をヒントにしてるんではないか。偽装がばれそうなトラブルと、それを「察してくれる」人情の世界、のヴァリエーションになっている。庶民の勧進帳人気で、ああいうのを一つ語ってみたいと講談師なり浪花節語りなりが思い、忠臣蔵を背景にこしらえた一幕が、スタンダードになっていったのだろう、そしてこういう忠臣蔵サーガが次第に結晶していった…、そんなふうに考えている。一本の映画として面白いとは言えないが、知り尽くしている物語に載せて、オールスターを見渡せる楽しさ(たとえば紅白歌合戦のような)が当時はあったと思われる。[CS・衛星(邦画)] 5点(2013-12-23 09:39:35)

15.  地平線 これ原作も新藤さんが書いてて、岩波新書だったかな、豊かなエピソードが良かったんだけど、そのおいしいところをカットしてつまんない部分だけつなげたって感じ。収容所でみんなで滝を作り始めた話なんてすごくいいのに、映画では集団で抗議するシーン。残念だなあ。二世言葉をリアリズムで再現したのは立派かもしれないけど、ちゃんとした日本語喋ってるのをよく知ってる俳優さんが演じると、滑稽に見えちゃう(昔『アラスカ物語』ってので丹波哲郎がインディアンの大酋長やってたので笑ったのを思い出す)。一番ヘンなのは家族構成で、永島君と乙羽先生が夫婦で娘の秋吉が16歳、その妹の田中美佐子は、そのころ放送中だった「おしん」で乙羽先生と嫁姑のいびり合いをしてたもので、もうまともな家庭には見えなかった。永島君の顔がヘンなまっ茶色のメイクだったし(もしあちらの日焼けの見事なリアリズム描写だったらゴメン)。収容所から帰ってきたとき、親切だった隣人もいたんでしょ。そういうところで原作は厚みを感じられたのに、なんか移民の苦労話ということで愚痴ばかり集めてしまったんじゃないかなあ。日本の風土のなかだと「愚痴」が芸術に昇華される例もあるんだけど(成瀬とか)、あの乾いた国では、あくまで愚痴は愚痴。[映画館(邦画)] 5点(2012-12-18 09:43:41)

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