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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
1. 女は二度生まれる 《ネタバレ》 見終わった直後ですが、恐怖のあまり、いまだ動悸がおさまりません。 序盤は、大映の様式的な映像美のせいもあって、わりと落ち着いたテイストの人情喜劇かと思ってましたが、芸者置屋をやめて以降の流れはかなり目まぐるしく、主人公の心理にも話の展開にもついていくのが難しくなる。そして最終盤の10分間は、気持ちがえぐられるような衝撃の展開。ラストシーンは、(最初のレビュアーの文章にもありましたが)まさしくブラックホールのような終わり方でした…。これほど予想を覆す脚本の映画は観たことがないので大きなショックです。 これはリアリズムのための手法だと思うけど、やはり藤巻潤のキャスティングがえげつない。そこが通常のセオリーを大きくひっくり返しています。 しかし、よくよく考えてみれば、序盤の会話にもあったように、2人は戦争で家族を失った犠牲者なのです。主人公は、それゆえにこそ互いに分かり合える関係を期待したのだろうけど、逆に言えば、戦争の犠牲者だからこそ、他人を利用してでもしたたかに生きるほかなかったのかもしれない。実際、いくら祈ったところで靖国神社は救ってくれなかったのだし、それは主人公自身も同じなのだから、藤巻潤の残酷さを責めることはできないのでしょう。[インターネット(邦画)] 8点(2024-04-12 01:51:20)《改行有》 2. 思い出のマーニー 《ネタバレ》 なるほどね。とても良く出来ている。大林宣彦の「さびしんぼう」の物語に似ていますが、大林のほうがこの原作を読んでいたのかしら? さらにこのアニメは宮沢賢治も引用して、より普遍的な構造に組み立て直したのでしょう。ついでにいえば、じつは松田聖子も引用されてる感じ(笑)。そこらへんの話は長くなるので自分のブログにでも書きますが、簡単にいえばイマジナリーフレンドとの交流がもたらす成長物語なのですね。基本的には反復されてきたモチーフの組み合わせでしょうけれど、とても綺麗にまとめられているし、作画や音楽の美しさにも不満がありません。8点です。[地上波(邦画)] 8点(2023-01-14 00:18:24) 3. おくりびと 《ネタバレ》 遺体に丁寧な装いをして旅立ちの演出をする職人の技を、楽器を慈しんで音楽を奏でる人間の技に重ね合わせるというアイディアはなかなか洒落てるし、「白鳥」「鮭」「小石」といった最上川流域の素材をたんなる「風景」に終わらせず、テーマに結びつけて有機的に繋いでいく手腕といい、随分と器用な脚本だと思う。「遡上して産卵する鮭」「力尽きて死にゆく鮭」「塩焼きの白子(フグ)」といったメタファー、あるいは「飛来する白鳥」「旅立つ白鳥」「クリスマスのフライドチキン」といったメタファーを、産まれること、死ぬこと、食べて生きることに重ね合わせながら物語に厚みを与えていますね。石文のメッセージがお腹の赤ん坊に伝えられるラストシーンにまで、こうしたアイテムが抜かりなく行き届いていて、悪く言えば、ちょっと「小慣れた脚本」だとすらいえる。 ◇「汚らわしい!」と叫んだ妻の拒絶反応に対して賛否両論あるようですが、私には十分に理解できました。拒絶の理由のひとつは、音楽家から死体処理という職業への落差。その落差の大きさを主人公も感じていたがゆえに妻に真実を話せなかったわけですし、妻にとってもこの落差を知った衝撃は大きい。二つめは、真実を取繕った夫によって、夫婦の信頼が裏切られたこと、それ自体への拒絶です。そして三つめが、腐乱死体や自殺死体に触れることに対して一般的に抱く文字通りの「穢れ」の感覚であり、これも私は無理からぬことだと思う。それらが混然となった感情の中で「汚らわしい!」の叫びになったのだけれど、その中でももっとも重要なのは、あくまで「夫婦の信頼」の問題なのであって、それさえクリアできれば、職業の問題は夫婦間で十分に乗り越えられると考えたからこそ、妊娠した彼女は無条件で山形に戻ってきたのだと思います。 ◇もうひとつ重要なシーン。父のところへ行けと説得する同僚(余貴美子)や妻を振り切って、主人公がその場を走り去ろうとするシーン。あのまま走り続けても、彼に行く場所はありません。その彼をカメラは正面からとらえている。走れば走るほど、後方で妻の姿が遠ざかっていく。それを見れば、彼が引き返さざるを得ないことは理解できると思います。脚本の器用さが目立ってしまう本作品の中で、演出的にもっとも優れたシーンだと思いました。[DVD(邦画)] 7点(2011-07-14 02:11:09)(良:1票) 4. オペレッタ狸御殿 《ネタバレ》 いろんな意味で予想と違いました。まさに“狸にばかされた”って感じです。 かつての大正から昭和初期(戦前)を舞台にした清順作品と同様、美と享楽のためには暴力を愛することも厭わない「安土桃山」という時代設定は、やっぱりファシズムの臭いをそこはかとなく漂わせてたし、オダギリジョーの美しさを引き出すためにも、この耽美的な時代設定は正解だろうと思った。けれど、実際には、オダギリジョーは期待したほど美しくない。色気にも乏しい。それどころか、終盤になって美空ひばりが登場するやいなや、物語は、戦後=昭和的なヒューマニズムによって救済されて、前半部のファシズムの臭いなんてキレイさっぱり洗い流されてしまう。そして人の良い「狸ばかり」が巣食う戦後日本の、平和かつ人情にあふれた価値観が、高らかに肯定されつつ謳いあげられて、すっかりハッピーエンドなんですから、もう鈴木清順のことを「大正時代の人」なんて呼ぶことはできません。チャン・ツィイーの美しさがこんなにも「狸っぽい」なんて驚きです。まあ、キツネにばかされる陰鬱さに比べたら、狸にばかされるバカっぽさのほうが人情味もあって楽しいし、キライじゃありません。狸のおかげで、まるで日中戦争なんて無かったかのように思えました。それから、唐突過ぎるカットの割り方、羞恥心のないズームアップなどをあらためて見てたら、清順の映像感覚って、もともとポルトガルっぽいところがあるんだな、なんてことも思った。[DVD(邦画)] 7点(2007-08-29 04:21:26)《改行有》
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