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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  大人の見る絵本 生れてはみたけれど 還暦の誕生日に亡くなった小津は、人生の見取り図を眺めやすい。『出来ごころ』までが前半生の30年、『母を恋はずや』からが後半生で4作目からトーキーになる。赤ん坊時代も含めた前半生だけで傑作を次々と発表しており、それだけでも映画史にゴシックで名を残したことだろう。とりわけ本作。前半のギャグの連発には、ただただ恐れ入るしかない。それも客観的に外部にある笑いではなく、自分たちの子ども時代を思い出させつつ生まれてくる笑いだ。だから後半の苦みが「取ってつけたよう」にはなってない。前半の笑いの当然の帰結として、苦くなってくる。そこに子どもであることの苦さ、子どもを持つことの苦さが浮き上がっている。笑わせたあとでペーソスも加える、ではなく、笑いがそのままペーソスに移行している。これが20代の男によって作られたことに驚かされるが、その若さだから・そしてついに家庭を持たなかった監督だから、と考えたほうがいいかもしれない。こんな映画を撮ってしまう男が、家庭を持てるわけがない。[映画館(邦画)] 10点(2013-01-12 09:50:07)

2.  男はつらいよ 寅次郎夢枕 《ネタバレ》 長期にわたったシリーズもののベストを判断するのは難しいが、それぞれの作品を観たときのトキメキの記憶で比べてみると、私は本作で一番ときめいた。寅の恋路がうまくいくってのの最初で、恋路でもないんだよな、ラッキョは緊張しないでいられる女性だったわけ、そして他人(米倉斉加年)の恋を優位に立ってクスクス笑いながら見ていた寅が、突然当事者になってしまいガクガクッとなってしまう。この転換に唸りましたな。パターンの引っくり返しでありながら、ただそれだけでなく、すごくキャラクターとして納得がいく。寅の悲劇の核がここにある。寅という人物がしっかり確立された一編であり、また八千草薫でなければならないマドンナだった。彼女のほうもすんなり納得できる。ラストのとらやで「あたしが振られたのよ」とか言って、まわりが冗談だと笑っていると「なんでおかしいの」と言うその語り口が(あくまで社交の範囲内の会話でありながら、本当にどうして理解されないのか、と思っているのが半分、理解されないことに対する苛立ちが半分)絶品だった。八千草さんてテレビの「岸辺のアルバム」では、スルッと不倫に走ってしまう貞淑な人妻をリアリティみっちりで・しかも不潔感皆無で奇跡のように演じたし、だいたい「ちょっと普通でない人」をやらせると凄いんです。[映画館(邦画)] 9点(2013-12-31 09:31:52)(良:1票)

3.  お早よう これはトーキー以後の小津で、蒲田サイレント時代のリズムが一番感じられ大好きな作品。子どものハンストが『生れてはみたけれど』の反復という直接的な関係もあるが、どちらかと言うと、おでこをツンとする仕種が『生れては…』のまじないを思い出させ、タンマの仕種も絶妙に使われている。給食費請求のゼスチャー、「書いて示せばいいのに」と思ってしまう我々は、トーキー以後の映画を見て育ってしまった人間の無言観で、ここは「字幕」に頼らず沈黙の身振り・仕種で伝えようとしなければ、サイレント時代から映画を作ってきた矜持が許さないのだろう。久我美子のトンチンカンな解答が笑わせてくれる。若夫婦がジャズを口ずさみながら横断するカットは、チンドン屋好きの成瀬ならまだしも小津のトーキーで見るとかなり異様に映るが、サイレント期の、学生の応援団(『落第はしたけれど』)や肩を組んで歩む不良グループ(『朗らかに歩め』)の再来なのではないか。ところで、四つの家の配置がいつもよく分からなくなるので(住んでる東野英治郎でさえ間違うくらい)今回は図を描いてみた。草の土手がある側に杉村春子と高橋とよ、ブロックの斜面がある側に長岡輝子と三宅邦子が並んでいるよう。異常なのは奥と手前両方を土手状の斜面で視界を塞いでいることで、こんな住宅地現実にあるだろうか。庭の眺望が必ず隣家によって遮られる小津の嗜好が、拡大されたのであろう。つまりこの住宅地が一つの家のようで、小津映画でおなじみの部屋から部屋への出入りを、隣近所に広げてみたわけ。移動する四人の主婦が小津常連の名手ばかりで、最良の弦楽四重奏のようなアンサンブルを楽しませてくれる。全編天上の音楽を聴くような傑作で、トーキーになってもこういう純粋なコメディをもう2、3本作っておいてくれてても良かったのに、と思うけれど、一本でもあるだけ嬉しい。登場する駅は、蒲田の川向こうの八丁畷であった。[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-10-07 09:35:47)(良:1票)

4.  男はつらいよ 寅次郎恋歌 酔っ払いを連れてきた寅が、さくらに唄を歌わせる。あの後の自責の念が募るあたり、いいなあ。唄のうまい身内を自慢したい軽い気持ちで呼び込んだことから、自分が妹に対して迷惑ものであると悟り、「俺はこの店の空気と違うんだ」と身に沁みてしまう。内と外の切り替えがうまく出来ない人なんだな、基本的に彼は。そういうモチーフはシリーズを通してしばしば現われるが、このエピソードなんかはとりわけ哀切。あとヒロシの母親の死が重いモチーフとして本作の中心にあるが、寅が焼香に現われる場や、さくらが義父宅に電話すると寅が出るあたりで笑いに代えている。池内淳子が経済的にきつい目にあっても、仁侠映画のように殴り込みにいけない寅であった。このシリーズは東映の仁侠映画のパロディとして始まったものだったが、社会悪に対する怒りを行動にすることの無力をしみじみ知らされた70年代の雰囲気を記録してもいた。[映画館(邦画)] 8点(2014-01-24 09:39:26)(良:1票)

5.  男はつらいよ 柴又慕情 渥美・おいちゃん(ここでは松村達雄になってしまったが)・おばちゃんの演技と、倍賞・前田の演技の質の違いをうまく使ってるんだなあ。こういう異質な要素が混在するって、コメディを作るときは難しいと思うんだが、それをうまく使っている。寅がヒロシをからかうと「ひどいこと言うなあ、にいさんは」なんてあたり。ヒロシのマジメくささを微笑ましく見せるような笑いの場に変えて、二つの世界のズレを生かしている。たぶん前田吟は「若者たち」の山本圭に連なるキャラクターで、60年代だったらそのままで堂々と主役を張れたはずだ、マジメさだけを売り物に。ところが69年に断層が出来、プログラムピクチャーの本通りが東映の仁侠映画から寅さんシリーズに移ったように、マジメがマジメだけじゃ使えなくなってしまった。マジメの前田吟を、異質な要素としてときにからかい・ときに逆にとらやの人たちを対象化する存在として、とらやに呼び込んだよう。寅の恋の物語としては、ベースの形を味わえる。「また来るって、また来るって」とか「ヨシッ」とかウキウキするかと思うと、二人っきりになるとオロオロしてしまい、さくらが帰ってくるとホッとしてすがるあたり。ほんと子ども。だから大人の相談に入れてもらえない。本シリーズでは『七人の侍』の面々が、“男らしさを無理に貫く寂しい人”として登場するが(あと志村喬や三船敏郎)、今回の宮口精二も良かった。監督の『七人の侍』へのオマージュであり、また批評でもあるんだろう。[映画館(邦画)] 8点(2014-01-13 09:40:14)(良:1票)

6.  男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 《ネタバレ》 最近『ジョーズ』を再見したら、夢がジョーズの寅があったな、ということが気になり、調べたらこれだった。逆の流れでなく、夢づたいに思い出させる力があるのが寅シリーズの強さだ。これは「芸術とは何ぞや」を軸に語った一編。のちに『あじさいの恋』でも芸術(陶芸)と金銭の関係に触れるが、これでは酔った宇野重吉がちょろちょろっと描いて7万円の愕然から始まる。名前を有り難がる芸術市場への皮肉のようでもあるが、そこまでは言えないか。ついで龍野の旅になり(この風景の美しいこと)、宇野重吉と同行することで「車先生」になるあたり、やはり「名前で尊重される社会」への皮肉で通じ合っているような。宴会の里芋コロコロ。このシリーズでは食べ物のギャグが不思議と印象に残る。芸者ぼたん。この突き抜けた明るさがいかにもコロッと騙されそうなキャラクターで、また騙されることが美質に感じられるのが大事。後半で騙されたぼたんに一緒に付いていく社長もいい。工場の宴会に来てもらった返礼になっている。名前で有り難がるのではなく、相手の実質の行為に実質で応えようとする。寅はこういう現実社会の悪にはまったく無力で、池内淳子の『寅次郎恋歌』以来いつも傍観せざるを得ない。ただし本作では最後に宇野画伯の牡丹の絵を持ってきてきれいに締める。「金銭に代えられない芸術の価値がある」と言葉にすると愛想がないが、それを軸にして一編の人情話に見事に仕立てている。[映画館(邦画)] 8点(2013-11-28 09:14:16)(良:2票)

7.  男はつらいよ 寅次郎忘れな草 このシリーズでは旅先の風景シーンがいつも素晴らしく、本作も北海道の広さなど見事なものの、今回心に残るのは、東京のリリーがらみの二つの情景だ。母との場、それとリリーが立ち去った部屋のうつろさ、まるで北海道の広さの対照物のような狭さ・暗さがザックリ心に染み入り、こういうシーンがあるせいで、作品はぐんと深まる。「俺たちアブクみたいなもんだ」とかっこよく詠嘆しながらも、寅には北海道まで迎えに来てくれる身内がいた。身内がいるっていいものだ、と思わせておいて、後段になって、リリーの身内=母が登場し、金をねだる。リリーが悪態をつき、言い返すか何かしてくれればまだいいのに、ここで母に泣かれる。このベトベトした「身内」というもののやりきれなさが、五反田(?)の高架下や濁った川が画面を埋める狭苦しさと重なる。明るいとらやの人たち全員に拮抗する暗さをこの母(利根はる恵)は一人で持ち、ワンシーンだけなのにこれまでの母娘の軋轢の長い歴史をしっかりと示した。あと寅がリリーの去った部屋を訪れるシーンもいい。彼女の内面を語ってくるすさんだ室内。別の部屋の住人がこわごわ応対する。かたぎの住人にとっては、女に逃げられたやくざのヒモにしか見えない寅なのだ。アブクみたいなリリーと寅、「とらや=身内」という背景を除いてしまうと、寅もこの荒廃した情景にふさわしいという現実を一瞬のうちに見せたシーンだった。ヒロシが憧れる「広いところを旅する気ままな暮らし」の後ろには、こんな部屋が隠れている。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-14 09:58:33)(良:1票)

8.  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 町の人たちがごく素直に、寅が入り婿になると決めてるとこがいい。杉田かおるとの会話でポロッと出て「そうじゃないんですかあ」なんて感じおかしかった。とらやを離れると寅は普通の大人に見えてるんだ、ときには本人以上に見えてることもある。これけっこうシリーズのポイントなんじゃないか。寅がとらやに帰ってくるのは、無力な駄目男に戻ってやすらうために帰ってくるってこともあるんじゃないか。このギリギリのところでの臆病に共感してしまうなあ。今回はマドンナがかなり積極的に意思表示してた。出戻り娘の寂しさという逃げ道を用意してあるのが山田の丁寧さ。そしてまた父と弟との緩衝材の役割りに戻っていくことになるのか。緩衝材というより、男二人がうまく彼女を使ってコミュニケートする仕組みを三人で納得している感じもある。日本の家における女性の役割り。このシリーズで下校シーンは女生徒が多い。いかにも「家」に帰っていくという感じが強いからだろう。男生徒だとフラフラ寄り道して寅になってしまったりするからだ。[映画館(邦画)] 8点(2013-01-05 10:23:59)(良:2票)

9.  男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 《ネタバレ》 夢から覚める場がない、タイトルバックが江戸川土手でない、マドンナがとらやの座敷に上がらない、などの変化あり。室内の暗さが今回は目立ち、京都の伝統を出す意識的なものもあろうが、マドンナ(かがり)の暗い情念とも通じていたよう。今回の趣向は、寅がマドンナに追いかけられる、という点。今までもホンワカムードになったのはあるけど、一途に思いつめられて付け文をそっと渡されたりまでする。その前に丹後でかがりの家に泊まることになっちゃうのが予備段階の緊張。かがりの母が近所の手伝いに出てしまい居心地の悪くなる寅の晩餐、自分からお酒を求めるかがり、狸寝入りしている寅、そっと部屋に上がってきて寅の横にしばらく座るかがり(娘のランドセルを取りに来た、という理由はある)。その心理のだんまり芝居を見ているようなせめぎ合いが見事。かがりは失恋の痛手に、加納の「人に気を使うな」という叱責の言葉が重なりズタボロで、ゆきずりの・下駄をくれただけの下駄顔の男に弱った心が一気に傾く。翌朝の別れのとき想いが溢れ、ずっと船を見送り続けているかがりのカットの積み重ね。なんか蛇体となった清姫のような凄味さえ感じられてくる。山田洋次は、臆病になってはならぬといつも言いながら、そうい臆病になる人たちをいとおしんでもいる。寅も含めて。ここらへんシリーズ通してのテーマ。あともう一つシリーズの重要なモチーフとして、かがりは外での寅と内での寅の違いを江の島で指摘した。外で会ったときは優しいのに、家に帰ると違った人になっちゃったみたい、って。本作では恒例のとらやでマドンナがもてなされる場がない。今までの寅は、とらや一家の暖かさの代表としてマドンナに気に入られていた面があったが、本作で個人として自立した(!)、ってことか。あじさい寺に寅が満男を連れてきたのを見て、かがりはちらっと表情を翳らせる。ここには「寅は寅の所属する家の人なんだわ」という嫉妬と落胆がある。寅は旅先ではけっこう大人として振舞えていた。濃い人間関係が生まれそうになったら、無名の旅人としてその場を去れる状況では強い。しかし名を持った個人として剥き出しで女性に対さなければならなくなると、たちまち恐怖に囚われてしまう。そしてシェルターとしての家の代理人を誰か、さくらがだめなら満男でもいい、必要になるのだ。デリカシーのある男はつらいよ、って寅は言うだろうが。[映画館(邦画)] 8点(2012-04-21 10:12:12)(良:2票)

10.  おかあさん(1952) この映画の怖いところは、母が次々に襲ってくる不幸から家族を守り続けているようで、その家族が順番に消えていくところ。家族の幸せを願うことが、その一家を解体していく現実。避けようがない病気を送った後には、娘を手放さなければならず、さらに精神的な頼りとなっていた手伝いの男も遠ざけなければならない。やっと露店から自分の店として再建できた家から、一人ずつ人が消えていく。中北千枝子に髪を触れられた娘はやがてこの家を去り、遠からずもう一人もこの家を去っていくだろう。これは成瀬の『麦秋』なんだと思う。あの解体していく大家族の物語を、成瀬の小市民の世界に移すと、こうなるんだ。どちらも厳粛な諦観が底に流れている。母はメソメソしないが、肝っ玉母さん的に豪快に笑うわけでもなく、激さない矜持を持ちながら不幸を通過させていく。どこかニヒリズムの匂いがする。成瀬の世界観がかなりクッキリ現われた代表作と言ってもいいんじゃないか。とちゅう股覗きしている子どもの視点になって逆さまの看板を捉えたり、映画館での「終」の画面で驚かせたり、けっこう遊んでおり、これは脚本の水木洋子の企てかもしれないが、サイレント映画を経てきた成瀬の可能性が高いと思う。加東大介、中北千枝子の常連脇役もそれぞれいい仕事をしており、とりわけ加東はベスト。どちらかというと「お嬢さん」役の印象が強い香川京子のパキパキした下町娘も新鮮だ。(そうか、岡田英次も香川京子も今では実質一人息子・一人娘になっちゃってるんで、なかなか結婚はスムーズに行かないかも知れんなあ。パン屋の長男がひょっこり生還すればいいんだが。まてよ、最後にクリーニング屋にやってきた見習い店員が16歳といってたから、娘とは二つ違い。あれを将来婿に育てて、と田中絹代は算段するかもしれん。まだまだひと波乱ありそうだぞ。)[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-10-24 10:06:07)

11.  鴛鴦歌合戦 ミュージカル映画観てると、ときに思わぬ人が歌ってるのに出会うことがある。最近では『ヘアスプレー』でのクリストファー・ウォーケンか。かつて『ロシュフォールの恋人たち』では、ミシェル・ピコリが歌ってるのを目撃した。でもやっぱり一番驚いたのは、これの志村喬、片岡千恵蔵の連発だなあ。しかも時代が時代だし。なんかここらへんの映画の軽薄な陽気さって、好き。こういう「軽薄の力」が、中国大陸で無茶やってんのと同時進行で生きていたんだ。日本が、この片岡千恵蔵まで歌わせる軽薄さの側にしがみついて、眼を吊り上げるような馬鹿真面目を排除し、心を入れ替え地道に軽薄し続けていたら、日本現代史はあんな陰惨なものにならなかったんじゃないか。別に「時代の不安」の裏返しのヒステリックな笑いじゃないの。ただただ健康な陽気さが満ちている。伴奏が入ってくるあたりのムズムズ感がたまらない。こういう映画が作られていたことをアメリカが知ったらどう思うだろう、とふと考えたものだが、その後、日系人収容所描いた『愛と哀しみの旅路』というすごい邦題のハリウッド映画の中で、デニス・クエイドがこれ観てディック・ミネを真似て歌い踊るシーンを目にした。アメリカに勝ったと思った。[映画館(邦画)] 8点(2010-05-03 12:04:35)(良:1票)

12.  男はつらいよ 知床慕情 《ネタバレ》 山田監督は東映の健サンとか日活の浅丘ルリ子とか、かつて映画会社の個性がはっきりしていたころの看板スターを自分のチームに取り込むのが好きで、映画史への尊敬が感じられる。それも特別出演的な付けたりでなく、ちゃんとスター俳優として扱っている。で今回は三船。『七人の侍』のメンバーでは志村喬と宮口精二がすでにいい役を貰っていて、これが「ストイックな男であることにこだわりすぎて孤独」って役だったのが特徴。今回の三船もそう。東宝の名監督への尊敬と、それへの批評が感じられる。そのストイックを破って告白させるんだから。そして告白できない寅。ちょっと池内淳子の『寅次郎恋唄』を思い出させる縁側のシーンがいい。ラストでりん子ちゃんがまた東京に出てくるのが厳しい。けっきょく知床には若い娘を引き止めておくものがないという現状。知床の人情を賛美しつつ、しかしそれに吸い込まれるのには抵抗を示す。山田洋次の平衡感覚と言えばそれまでだけど、でもそういうふうに行きつ戻りつさせることが大事なのであって、単なる折衷主義とは違うと思う。「寅さんと喋ってると、あくせく働くのが嫌になる」「そういう悪影響を人に及ぼすんですよ、あいつは」なんて会話もあった。今回は夢がなく、またとら屋で寅とマドンナが一緒になるシーンもない。[映画館(邦画)] 8点(2010-05-01 11:55:48)(良:1票)

13.  男はつらいよ 寅次郎紙風船 これけっこう好きなの。シリーズ中期の安定した語り口で、『あじさいの恋』や『口笛を吹く寅次郎』あたりと比べると地味だけど、同じくらい好き。岸本加世子がらみの部分でやや物足りないとこもあるが、部分的にキラッと光る。たとえば東八郎とのケンカ。「おまえの店の一軒や二軒なくったって、世間様は何ともないんだぞ」。こんなところに裏打ちされている庶民の必死さ、それと寅との乖離、さらにそこから寅の人生の自由と孤独も見通せる。そしてもう何度も見ているはずなのに、寅がフッてしまう場面てのはいつもいい。コミュニケーションて本当に難しいんですよね。デリケートになっちゃってて、互いに臆病になってしまっている。一歩さがって相手の出方・様子をうかがっているうちに、二人の距離が開いていってしまい、しかもそのことに当事者がなぜかホッとしてしまったりするんだな。そこが丁寧。自分を卑下し過ぎるってことなんだけど、これ股旅ものにあるある種の疚しさにも通じていて、日本人にとっては普遍的な礼儀正しさにも感じられる。作者はこれを肯定しているわけじゃなく滑稽と捉えるんだけど、肯定はしないが微笑を持って、だから人間いいじゃないか、と見ている感じ。このシリーズではいつも女優がうまく見え、テレビなどではさして印象に残ってなかった今回の音無美紀子もよかった。重層的な人生を見せてくれる、とりわけ舞台が東京に移ってから。夢の手術シーンがシュール。[映画館(邦画)] 8点(2010-01-14 12:02:45)

14.  小原庄助さん 《ネタバレ》 このもと封建地主、保守的なのではない。ミシン教室も開き野球もする。農村文化の振興おおいにけっこう、ただその旗振りは勘弁してくれ、というところ。ダンス教室もいいが自分は踊らない、柔道していたころを回顧する。和尚の娘を連れ戻すことを頼まれても、まあこういう生き方(ヤミ)もあろうと帰ってくる。村長になる気はない。時代に対するこのスタンスに、とても共感できた。家が重しになって働けなかった、でもこれで自由になれた、というラスト、「終」ではなく「始」と出る。古い拘束に対するヤンワリとした批判、これは新東宝の映画で、おそらく当時の東宝だったらもっと戦闘的に封建的なものを槍玉に挙げていただろう。でも裏を表に返しただけの民主主義演説映画よりこっちのほうが実感がこもってるし、名画として残ったのもこっちだった。家を横切る長い移動撮影が印象的だが、借金取りを見かけてロバだけを家に帰すあたりの、のどかな詩情も捨て難い。[映画館(邦画)] 8点(2009-01-30 12:20:52)

15.  男はつらいよ 噂の寅次郎 細かいギャグは忘れても、マドンナが誰だったのかさえ忘れても、大滝秀治の坊さんに「女難の相が出てる」と告げられるやつ、として記憶に残る作品。もう少し若いころの寅だったら、オロオロうろたえるリアクションになってたかもしれないが、いいのは「分かっております」と淡々と受け入れているところ。「分かっている」んだ。女難に至る女性関係を持てない、という女難もあるのか。啖呵売では女房持ちと偽って商売をしているし、旅先ではさばけた大人の態度で女性(泉ピン子)と対せるのに、とらやではコワバってしまう。大原麗子が別居していると知って、子どものように店先で前後にステップしてる軽さが本性。夢の石仏から抹香臭さがあり、社長自殺か? のエピソードから救急車、「こんにゃく物語」の挿話と、暗い影がけっこう作品を覆っていた。ラスト近くの北風吹き込むとらやも電灯つけずに暗い。女難どころか妻帯にも至れない寅は、離婚したばかりのマドンナにどう対応していいのか分からない。その無力を寅も自覚している。妻帯し一家を構えることの重さが寅にはたぶん耐えられない。柴又駅のホームでさくら・嫁と志村喬・舅が交わす会話のいい感じは一生味わえない男だろう。旅先の人間関係の稀薄なところでのみ闊達な寅なのだ。本人が言っていたように「暗い男」なのである。働きに来た大原麗子におばちゃんが「赤坂の虎屋とは関係ないんですよ」と念を押すのがおかしい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-08-24 09:39:44)

16.  おはん 幸吉君にとってはすべてが「ひとごと」なの。ミヤコ蝶々に「変な関係だんな」って言われた後に「そうやろなあ」と感想を呟く。何事も主体的に選ばず、ずるずると生きてる。息子の死のときだけ、人生の現場に引きずり出されてしまった。そういう男だから、大工の棟梁みたいな職人気質の世界の人物の世界から見ると、軽蔑される。でも女には(ミヤコ蝶々を含め)けっこうかわいがられる。そういう上方の伝統的な男。おはんという女は、けっきょくよく分からないんだけど、おそらくもっと野暮ったい感じなんじゃないのか、それを吉永小百合がやるとこに面白味があったのかも知れない。駅での不気味な微笑の一瞬のために彼女を起用したのかも。どうしようもなく愚図な女が、その愚図に徹することで輝き出してくる、そういう話と思った。おかよのほうは分かりやすい。こちらも上方の伝統に則った勝気な女。おはんの再登場シーンの細かいカットの連続、幸吉の意識にハッハッと入ってくるよう。[映画館(邦画)] 7点(2013-08-10 09:28:58)

17.  男はつらいよ 純情篇 《ネタバレ》 前作『望郷篇』でひと区切りつけたかったシリーズが、さらなる長距離走になっていった第六作。テーマは大袈裟に言えば「故郷からの独立の難しさ」となりましょうか。故郷へ逃げ帰る宮本信子のエピソードで始まって「帰るところがあるから俺はダメなんだ」と寅は自覚し、「でも俺帰るとおいちゃんもおばちゃんも喜ぶからな」と理由を見つけて柴又に帰る(タイトルでは珍しく故郷の空撮もあり)。ところが帰ると邪険そうなおいちゃん・おばちゃん、その理由である下宿人若尾文子と顔を合わせ…、という段取り。あわせてヒロシが独立したがるという重い話題もあり、親(故郷)の金をあてにする。社長への義理と夢との葛藤はもっと突っ込めるモチーフだが、寅の無責任ぶりで笑いをとってあっさり決着。いつもマドンナ役の魅力を引き出すシリーズだが、今回の若尾はあんまりパッとしなかった。夫が迎えに来るとすぐ帰ってしまうのは彼女の役ではないような。「女って弱いわねえ」と呟くだけ(逃げ帰れる故郷のあった宮本信子との対比)。啖呵売(たんかばい)がたっぷり収録されてるのが本作の特徴。小沢昭一が「日本の放浪芸」を完成した年で、そういう民俗学的なものへ世間の興味があったのか、それとも監督の小沢の労作への直接オマージュだったとも考えられる。「消えつつある文化」としての寅の口上を学生(?)が録音してる場面があり、はっきり滅ぶ側の人間として寅が眺められている。本作の締めとして「故郷ってやつはよう」と寅が言いかけると、電車のドアが締まって最後まで言わせない節度。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-07-20 09:57:43)(良:1票)

18.  お葬式 日常が演劇的空間になってしまうおかしさ、がときどき現われる。悔やみの言葉(せりふ)からしきたり(しぐさ)まで、手本に何とか習って演じ終えてしまおうという気持ち。ビデオで練習したり、みな一生懸命演じ終えようとする。猫八など役者が適材適所で、ゲートボール仲間なんか貫禄。藤原釜足(隣室の暗闇にじっとしていた)。わっと泣き伏すと勝手のほうからどれどれと(うきうきと)見に来る感じがいい。霊柩車登場のものものしさと疾走感。一つ一つは面白いんだけど、ディテールの足し算以上のものにはならなかったような。日常が演劇的空間にあらたまってしまう面白さにもっと執着してくれたほうが好みだった。[映画館(邦画)] 7点(2013-07-09 09:00:16)

19.  おもひでぽろぽろ 《ネタバレ》 都会のOLが有機農業青年と出会う話なんだけど、その悪意のなさが、けっこう心地よかった。こういう話だと定番である「都会にウンザリしている描写」もない。子どものころの憧れのままで、田舎を思っている。ちょっと単純すぎるかと思いながら、その単純さが気持ちいいのも確かだった。おはなはんのテーマや、ひょっこりひょうたん島や、わが世代をストレートに狙っている(ただ電信柱のトクマ文庫はスポンサーへの配慮優先で時代違いだろう)。学級会も懐かしかった。廊下を走った人を委員は走っていって掴まえていいのか、というようなことを議論するの。分数の割り算、3分の2のリンゴを4分の1で割るとはどういうことか、とか学校のあれこれ。給食の時間に流れていたハンガリアン舞曲は、のちのハンガリー民謡の伏線か。OL篇の丁寧さは、ある限界にまで来てて、ここまで来たら実写と違わないじゃないか、と思ったが、アニメだからって非現実的な世界でなければならないことはなく、雨あがりのしずくや朝日の差すとこなんか、いいんだ。確信犯的な狙いか。都はるみが「ローズ」歌い出したときは、何が始まったんだ、と思っていると、昔の友だちが湧き出してきて、まあ、泣けますわな。[映画館(邦画)] 7点(2013-05-01 09:45:44)(良:1票)

20.  男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 《ネタバレ》 夢で肉親が死に絶えているのが不気味。その悪夢に対する配慮か、珍しく寅がサクラたちと一緒にいるラストになるが、これはこれで悪夢。セッタの半分を熊に食いちぎられて気を失っている寅をみなが担いで運んでいるのを上空から撮り、上昇してパンして終わるってんだから異様でしょ。こういうヘンなトーンの作品を時々入れとくのも、シリーズものを長持ちさせる上で大事と思われ、本作はその「ヘン」を味わう一編。娘の結納で「これでこの界隈に独り者はいなくなった」と社長が言ってしまってからハッとなり、すかさずオバチャンが「寅ちゃん」と叫んで、ああいつものデンで店先に寅がムッと立ってるんだなと思わせといて、実は小包の配達というズラシ(商売ものの地球儀のプレゼント)。こういうマンネリの部分でフェイントをかますのも、シリーズものならではの工夫だ。カタギの登が懐かしかった。大河小説にあるような、忘れかけていた人物再登場の味わい。あと本作では佐藤B作との絡みの場が楽しく、『黄色いハンカチ』みたいな役を、健さんとまったく逆の男に演じさせてみたおかしさ。トニーの宿のうらぶれた感じは、たとえばリリーの下宿などを思い出させ、こういうところ手を抜かない。[映画館(邦画)] 7点(2013-04-13 09:59:17)(良:2票)

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