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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  夢は夜ひらく 《ネタバレ》 主役は「スパーク三人娘」のひとり、園まり(あと二人は伊東ゆかり・中尾ミエでポップス系の印象を強く残していた。園さんも最初のうちはあちらの歌を歌っていた記憶があるが、すぐに純歌謡曲路線・ムード歌謡の世界の人になった)。役名もマリで、山本陽子がヨーコで分かりやすいというか、安易というか。マリがヨーコに誘われて訪れたクラブで歌手がエスケープしちゃってて、急遽代理で歌うことになる。最初は尻込みし、歌の入りのところで間違い、すみませんもう一度お願いしますとおろおろ、ヤレヤレという表情をクラブのマネージャーがして、でも二度目の前奏で乗ってくる感じがあって「なんでもないわ」を歌うの。おーっ、と見直すマネージャー。と段取り通りに正確に進行する心地よさがあった。その前にドリフターズが歌う「涙くんさよなら」に「愛しちゃったのよ」が混ざってくるギャグもあった。一応恋の話があって、死んだやくざの兄の子分・岬さんって高橋英樹ね。大衆映画では話の骨格によく兄妹が仕組まれるのはなんでなんだろう。男女でありながら清く、家庭の記憶につながっていくからか。布施明はただステージで「霧の摩周湖」を歌い、当時の小悪魔奥村チヨはタバコの売り子から歌手へと出世していく。初めてマリが岬さんと踊るシーンは、暗い照明、呟くような園まりの歌声など、グッと来ちゃった。横浜ドリームランドの観覧車のシーンも暗かったが、これは物理的に十分照明が採れなかったのであろう。グッと来なかった。園まりの丸顔は、団令子といいあの時代の流行だったんだな。高橋英樹は横浜の港からブラジルへ去っていくのであった。監督は同年にやはり山本陽子と『大巨獣ガッパ』も手がけた野口晴康。[映画館(邦画)] 6点(2013-11-25 09:48:59)

2.  雪に願うこと ばんえい競馬はよくドラマに登場するが、スポーツの爽快よりもイジメに見えてあまり好きではない。精神主義的な人生論が投影されやすいからかも知れない。なんか体育教師が「根性!根性!」と気合いを入れているよう。そんな私でも湯気を立てる馬のシルエットは美しく、息を呑んだ(美しけりゃあっさり共感してしまう主体性のなさ)。映画における湯気とか煙は、なぜこんなにも美しいのだろう。光を感じさせる装置だからだろうか。いくつかの映像の美しさでモトをとったと思った。見上げる廃橋と、雪に埋もれた廃橋。撮影に手間をかけてます。厩舎でのリハビリの話でもあるわけだ。感謝の気持ちを屋根へ雪玉を載せる行為で見せるのがよい。[映画館(邦画)] 6点(2013-10-15 09:09:48)

3.  ゆれる 法事ってのは、つまり「身内」の全員集合なんだな。その濃密さ、鬱陶しさ。弁護士までおじさんなんだ。娘が不意に「触らないでよ」と振り返るあたりの緊迫感をあとにも欲しかったが、やや尻すぼみの印象。この映画はつまり顔見知りだけで暮らしてることのたまらなさの話だったと思うんだが、香川照之の意味不明な笑いがやはり絶品でした。彼は歌舞伎の顔見知りだけで作っているような閉鎖社会にこのあと入っていったんだが、狂気にまで近づく彼を見てると心配になる。「兄弟」ってのは「身内」でいて、そこから逃亡する通路でもあるのか、それとも最も強大な身内なのだろうか。[DVD(邦画)] 6点(2013-10-10 08:44:56)

4.  雪之丞変化(1963) じめじめした復讐譚をカラッと乾燥させたモダンの美に変えている。後の東宝での金田一ものを予告するよう。といってパロディではなく、人生の裏街道の人たちが彼らだけで一つの社会を作っているという面白さは生きている。歌舞伎の白浪ものに通じていくような確かさがあり、無理をしている余計な力みがない。監督にとってはこれが一番自然と思わせる確かさ、これが大事だ。スター総動員のお祭り映画で、それぞれの役者にどう役を割り振ったか、という楽しみもある。義賊・闇太郎に憧れる小者・昼太郎なんてふざけた三枚目を雷蔵にやらせたり(せっかく義侠の行動しても成果はライバルのものと思われてしまう)、山本富士子のお初姐御もいい。ちょっとイメージと違う役を配して、それがハマる楽しさ。この監督は基本、こういう遊びの映画で溌剌とする。こういう映画のときとりわけ自在にやってる気持ちよさが感じられる。セットのデザイン的遊びも一級で、昼太郎が義侠をする貧民窟の路地を屋根から捉えたカット。[映画館(邦画)] 8点(2013-08-19 10:00:01)

5.  雪之丞変化(1935) 東海林太郎の「むらさき小唄」が流れて始まるが(トーキーになり映画主題歌でレコード業界とつながった最初のころだろう)、私が見たのは総集篇で、ハラハラの設定までナレーションで準備してしまうのは参った。でも舞台がらみのシーンはなかなか見せます。悪女伏見直江に閉じ込められたはずの雪之丞が、ちゃんと町娘姿で舞台に立つとこ。もちろん映画の観客は闇太郎に助けられたことを知ってるし、間にあうだろうかどうだろうか、なんて心配してないが、嬉しいね。毒婦の鼻をあかしてやって痛快、っていうのとも違う。女形というものの非現実性から来る不思議を目の当たりにした、という感じだろうか。あるいはやはり舞台シーン、雪之丞を狙う男二人、毒婦の差し金で野次ろうと待ち構えているゴロツキども、御簾の中で目を配る伏見のカットなど、純粋な悪意が描かれるあたり。どうして映画のなかの劇場ってのは、こうドキドキさせるんだろう。とりわけ歌舞伎という芝居は客席に花道を一本通しただけで、小屋全体が舞台になってしまった演劇であり、小宇宙になっている。奈落では仇の二人が取っ組み合って地獄を現出しているし、外の廊下では男が殺されているし、もう小屋全体がドラマの興奮に詰まって、それでいて客席以外は不気味に静まっている。何か良くないことが起こらずにはいられない、と納得させられてしまう。白い雪之丞と黒い闇太郎を同一人が演じる、ってのも大事なんだろう。悪役が『七人の侍』の村の長老、高堂国典だった。[映画館(邦画)] 8点(2013-06-22 09:57:52)

6.  夕陽に赤い俺の顔 「殺し屋」というイメージが持っているある種の情緒(ニヒルで・孤独で・斜に構えた)を、無効にしたい思いが感じられる。ちょうどヨーロッパ映画などでもポップな風潮が流行ってきたころで、その流れに乗ったのか。本来なら背反されるものが一緒にあることの「肩透かし感」みたいなもの。ドクターは医者と殺し屋を両立させていて、殺された人物に「ご臨終です」と宣告する。(当時の)近代的な団地をそれぞれの変装で行くおかしさ(殺し屋たちの個性が弱いのが残念、和風やくざの三井弘次なんかもっとうまく使えなかったか)。寺山の特徴は、情緒を排斥したい気分と、情緒にひたりたいウェットな志向とが重なっているポップ感で、殺し屋たちはドライにコンクールで腕を見極めようとするが、彼らが歌う歌は船頭小唄の替え歌で「俺は下町殺し屋さ~」となる。もちろんこの対比のおかしさがポップでもあるんだけど、情緒纏綿とした大正歌謡や下町という風土の肌合いへの志向は、ただ対比のために持ち出されたものでなく、彼の好みでもあったはずだ。監督篠田は松竹ヌーベルバーグとして括るのとは別に、鈴木清順と同時代人という(今まで考えたこともなかったが)世界的なポップの風潮での括りもあるんだなあ、と発見した。[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-02-25 09:58:21)

7.  夢の涯てまでも この人は求心力よりも遠心力の人だったけど、これはもう分解寸前までいってる。前半の世界旅行は正直言ってほとんどノレなかった。部分で言えばリスボンの路面電車なんかは悪くないんだけど、前半キチンと物語としての面白さを出していないと後半生きないから、これでは困る。でも作家の質として仕方ないんでしょうな。皮肉なことに、その物語が終わって人々が映像病に閉じていく後半、オーストラリアに入ってからのほうが若干面白いんです。荒野をさすらうあたりからこの人のトーンが出てくる。世界の終わりという大規模なスケールのところから、次第に極所に集中してくる。盲目の母に視界を与えるという家の世界になり、そこから個人の夢の世界にと狭く狭くなっていく。意外と「家族」って、この作家のポイントなのかもしれない。世界はあまりに広すぎ、個人の夢はあまりに普遍から遠い。家族の愛を単位としたらどうか、って。も一つ意外だったのは、映像の病いから抜け出すのが「言葉」なんですな。映像作家の皮肉な結論。映像は閉じ、言葉は開く。映像(夢)は人それぞれのものだが、言葉は普遍に使われているものを借りて綴っていく。そこに開かれるものを見ている。ハイビジョンによる夢の映像ってのがウリだったが、ある種の夢のような感じ・明晰でないことの美しさは出ていた。今見るとどうだろうか。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-03 09:56:33)

8.  夢千代日記 前半は良かった。ひなびた感じ。でもそれは諦念の世界に通じていきやすく、テレビのときも思ったんだけど、それが反核のメッセージとうまくつながらないのよね。画面が滅びる美しさを奨励しているようで、その滅びの美しさと反核とを正面からきちんとぶつけられたら、テーマとして深まったんだろうが、なんとなく雰囲気として立ち込めるだけになってしまった。腹貸し女と本妻とのシーンはちょっとホロッとした、でも肝心の本筋の北大路君の話が詰めが甘くて大時代的。ラストの桜と吉永さんの顔と踊りとのオーバーラップは俗悪でした。これが監督の遺作か、もう弱ってたのかな。テレビの音楽は武満だったが、あっちも弱ってて『暗室』(無機質なフルートの響きがとてもよかった)で組んだ松村禎三を起用。なんか滅びの映画になるわけだわな。松村さんもいいんだけど、テレビ版の武満の印象が強くて。[映画館(邦画)] 5点(2011-08-09 10:11:05)

9.  夢(1990) 《ネタバレ》 1話の「狐の嫁入り」と4話の「トンネル」が好き。傑作だと思う。しずしずとした行列とキッと振り向く顔の動きのコントラストは、ほとんどすぐれたミュージカルの気合いになっている。あるいは黒澤の能の趣味と関係があるのか。能と言えば「トンネル」の構造はまったく能そのもので、主人公が迷いを残した亡者に出会う形式を取っている。主人公がとうとうと語る弁明と、無表情な兵士たちの沈黙の切り返し。この無表情の沈黙が重い。主人公の弁明をそのまま受け取ったとも思えず、それならいっそ激して言い募ってくれればいいのに、彼らは無表情の帝国陸軍兵士のままトンネルの奥に消えていく。しかし代わって犬が牙を剥いて吠えついてくる。兵士たちの無念さの塊りが、この犬に凝縮されているよう。この映画は異界のものたち=自然界との接触が一つのテーマだ(だからほとんどが屋外の話。ついでに言っとくと、ここのところ三作品『影武者』『乱』とこれは、すべて大きな門から外へ追放される場面が共通する)。その異界の威嚇と異界への謝罪と。狐であり桃の木であり、そして死者の代理をする犬。かつて三船敏郎が演じ続けたような強い意志を持つ人物の登場しないこの映画では、ひ弱な主人公が異界の自然界に恐れを抱きながら遍歴し、ひそやかな嫁入り行列からにぎやかな葬列に至る。たしかに後半は意見表明が剥き出しになっていて映画としては弱いのだが、根っからの映画人であった黒澤さんをここまで切迫させたものに思いを馳せたい。[映画館(邦画)] 8点(2010-07-09 12:04:08)(良:1票)

10.  ゆきゆきて、神軍 《ネタバレ》 奥崎さん見ているとやっぱ、迷惑な人、という印象が一番先に来る。奥崎さんよりも、押しかけられた家のほうに気持ちが行っちゃう。すぐ殴るし。奥崎さんて、話し合うわけじゃなく、自分の「正義」の物差ししか持ってない人だから、そもそも対話にならない。自分の信念を開陳するだけ。吉田伍長の話をもうちょっと聞きたいな、と思っても、すぐ奥崎さんが割り込んできて、興奮して、ああヤバいな、と思ってると蹴り出す。困ったもんです。一家の小さな平和を守りたい、という押しかけられた側の家族の気持ちのほうに共感しちゃう。「大義」の前に犠牲にされていったかつての日本の家族の縮図にも見えてきて、奥崎さんってあの皇軍の神髄を保存してるんじゃないか、と思えてくる。「正義」のためにはすべて許される、という発想が、敗戦の価値観の転換を越えてもまだ生き続けている気色悪さ、そこにこの映画の一番の手応えを感じた。脇の人の方が興味深く、平気でニセ遺族を演じる奥さんなんか、この人だけで一本のドキュメンタリーを作ってほしいと思ったほど。料理店やってる元衛生兵、日本兵「は」食べなかった、と言う人。あんな凄いことを、声も低めずヒョロッと言ってしまう。あの時代と今とで切り替えがきちんと出来ている。人間の精神というものの強靭さを感じた。いろんなことを考えさせられた映画ではあるが、あきらかにカメラの存在が奥崎さんを煽っており、ドキュメンタリーの手法としては一歩踏み外してしまっていると思った。[映画館(邦画)] 7点(2010-04-23 12:03:07)(良:2票)

11.  誘拐報道 原作読んでないからなんとも言えないけど、この題名は内容を表わしてないよね。おそらく本では最後の協定違反についての弁明のようなものが主になってたんじゃないか。映画製作のバックに読売新聞がいるんでそれは描かねばならず、けっきょく新聞記者の部分が映画としてお荷物になってしまった。演出は『さそり』の頃みたいにやたら凝らず、落ち着いている。犯人の家庭が一番よく、いつも夢を追いかけててやがてその追いかけているという姿勢に安住していってしまう男ショーケンと、夢を信じていない妻小柳ルミ子の夫婦にリアリティ。子どもを持て余してるんや、という犯人の声で、被害者の両親が子どもの無事を知る、なんてのも、そういうもんだろうな、とひどく納得した。[映画館(邦画)] 6点(2009-10-13 09:13:55)

12.  夕やけ雲 小市民の哀歓を、いや“歓”がなくて“哀”のみの世界を描いて、しかしイデオロギー的な怒りにはならず、あるのは純粋な“幻滅”、こういう幻滅や断念によって我々の社会は動いているんだなあ、という発見に胸を衝かれる。ハリウッドの成功物語の対極のような映画。だが庶民が傷をなめ合っているような卑しさはかけらもなく、毅然とした芯がある、毅然と幻滅を受け入れていく。考えてみれば世界的に見ても、こういう日本の庶民映画が娯楽として成り立っていたのは、かなりユニークな事例ではないだろうか。姉の久我美子の現代っ子ぶりが、やや戯画が大振りになっていたが、あとは実に丁寧で、横丁の狭い魚臭い場所から高台に暮らす少女へ憧れる、という地理感覚も正確(東京の馬込だったか)。そして妹との別れのエピソードだ。木下は移動撮影に心象を重ねるのが実にうまい人だが、ここでもロングの横移動が哀切きわまりない。[映画館(邦画)] 7点(2009-05-10 12:17:22)

13.  憂鬱な楽園 映画で青春の退屈を表現するとこうなる。底では焦燥がくすぶってるんだけど、空回りするばかり。ドンブリかかえて外で食事をする、列車が動くのを見守って。そういう気分。上海でレストランを始めるという、ここの現実と連続していない夢があって、それがあるだけかえってわびしいというか、情けないというか。うだうだしているところに不意の暴力があるが、しかしそれも派手に炸裂するわけではなく、くすぶる感覚。そしてとうとうラストでは、車でさえ田圃の中に止まってしまう。「燃えあがらなさ」というものを丁寧に描くその手つきはすごいんだけど、見てるほうはくすぶりばかりが残って、当然スッキリする映画ではない。この監督は、不良・チンピラ・やくざを好んで描くが、それらを描いて普通の「不良・チンピラ・やくざ映画」のスッキリした快感をもたらさせないことにかけては、徹底している。[映画館(字幕)] 6点(2009-04-26 12:15:33)

14.  夕凪の街 桜の国 麻生久美子が「誰かに死ねばいいって思われてたのに生きてる」って言ったとき、おっ、ここがポイントだぞ、と思った。あの戦争のとき、多くのアジアの人に日本人は死ねばいいと思われた。その恨みを持たれた日本人の代表として、なぜ広島の庶民がむごく死なねばならなかったのか、この外から見ると理屈があって、こっちから見るとひどく理不尽というズレが、原爆の悲惨を世界に訴える上での障害になっている。そこに切り込んでいくのかと思っていると、どうも「死ねばいいと思っている誰か」とは、ここではアメリカだけのようで、もちろんアメリカを告発し続ける必要は未来永劫あるのだけれど、そこに「死ねばいいと思っていたアジア」の視線も含めていかないと、どうしても声は弱くなる。そうすれば、なぜ東京でなく広島だったのかという重要な疑問にも、もうちょっとで至れたのだ。米軍が「死ねばいい」と思ったのは広島の庶民であって、東京の軍の参謀や政府・天皇は話し相手として残しておいた。東京の庶民は平気で焼き殺したが、中枢に損害は与えなかった。日本対アジア・アメリカという図式でなく、広島や東京やアジアの庶民対米軍・日本軍という対立が見えてくる広々としたところまで、もうちょっとだったのだ。そこらへん、実に惜しいと思った。現代編で、父への尾行が時間を超えた追跡になっていくところをもっとうまく演出できたんじゃないか、などといろいろ不満はあるが、こういう映画さえ作られなくなったらオシマイ、と思ってるので、このぐらいで。[DVD(邦画)] 6点(2008-09-04 10:57:25)

15.  誘惑者 ゆったりとしたテンポがけっこう心地よかった。ゆったりというより、ねっとりか。陽が陰っていく部屋の味わい。ただミステリーとしてはあんまりスッキリしなかったような。門倉聡いう人のギターの音楽がなかなかいい。これもう二十年近く前の映画で、草刈正雄はいくつだったんだろう。この人は二枚目という十字架を背負いつつ、それでも一生懸命世界を広げようとしているマジメさがあって嫌いじゃないんだけど、でもなんか代表作に恵まれずズルズル来てしまった。最近ではとうとう『女王陛下の草刈正雄』までやって。日本映画はこういうタイプをうまく使いこなせない。加山雄三だって、喜八・黒澤・成瀬以後ズルズルと若大将でつぶして七十にしちゃったし。[映画館(邦画)] 6点(2008-04-19 12:16:34)

16.  幽閉者 テロリスト わあー、60年代のATG低予算映画的気合いプンプンの作品。ノスタルジーと一番離れたような作風だが、なんかとても懐かしかったのは確か。こういったとんがった「ひとりよがり」が日本映画から消えてしまって久しい。でも、映画史って「ひとりよがり」が普遍を獲得していく歴史でもあったわけで。あの政治の時代を内側から体験した監督がどう総括するのか、と思って見ていたが、総括なんかしない。地下の革命家まで呼び出して、さらなる討論と試行錯誤(思考錯誤と表記したいところ)を繰り広げる。もうトリックはいらない、と叫ぶ主人公。現在の眼からはあの政治の季節は、ついに思考が地に足をつけられなかった観念の時代と見えるが、あの時代の眼でこっちを眺めれば、その無思想ぶりは、誰かがわざと仮装させているなんらかのトリックにしか見えないのだろう。[DVD(邦画)] 6点(2008-02-19 12:23:35)

17.   《ネタバレ》 水の上の閉鎖空間ということで「春夏秋冬そして春」の浮き堂を思い出すが、こちらで閉じ込められているのは姫。(「魚と寝る女」とも類似性がありそうだけど未見)。王子に助け出されるまでの本当に骨格だけの寓話で、よくぞここまで削ぎ落としたと褒めてもいいが、痩せすぎてるとけなしたい気持ちもある。じいさんが単なるエロおやじでなく、精神性を感じさせる人物なのが大事だ。言葉というものがいらないまでの一体感で暮らしていた船、弓は外へ向けては武器になり、内に向けては愛の調べを奏でる楽器になる。その弓のように張りつめていた精神性。とにかくこの監督が描く愛は、ひとつとして市民社会に受け入れられるようなものはない。そういう愛の世界が船上に築かれていた。そこに外の音楽が入り込んでくる。別に張りつめてなく精神性も感じられないけれど、その凡庸さが心を穏やかにするような音楽が、ヘッドホンから聞こえてくる。それが外部。市民社会の音楽だ。姫の救出がひとつの高貴な王国の崩壊となるのも、寓話の宿命であろう。[DVD(字幕)] 6点(2007-12-18 12:30:06)(良:1票)

18.  ユメ十夜 《ネタバレ》 デパ地下で試食品をハシゴし、けっこうお腹がいっぱいになったが食事をしたという満足には至らず、でもたまにはこういう日もいいかと思う、そんな感じの映画。この割り当て時間だと本格派より一瞬芸的世界のほうが印象に残りやすく、ひとつ選べと言うなら、単純にただきれいなアニメの第七夜か。あとは見立ての面白さを楽しんだ。運慶をパフォーマーに、旅客船を宇宙船ふうに、豚をブスに、それぞれ解釈して話を読み換える興味。さらに、市川崑のサイレント映画を見られたことと、本上まなみのブタを見られたこと。[DVD(邦画)] 6点(2007-11-17 12:16:04)

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