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プロフィール |
コメント数 |
420 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
http://onomichi.exblog.jp/ |
年齢 |
55歳 |
自己紹介 |
作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。 |
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1. ロボジー
《ネタバレ》 爺さんにロボットの衣装を着せて、本物のロボットにみせかける。現代のハイテクノロジーの時代には有り得ない「設定」故に多くの人々がロボジーの正体を見抜けない。
漫画的な発想として、このアイディアは「有り」かもしれないけど、実際の映像を見てしまうと、やっぱりこれは設定として「有り得ない」。いくらなんでも、バレるでしょう。あのロボジーの動き。訳の分からないセンサーの説明。意味のない制御用パソコン。不自然な設定ばかりが気になって、話に集中できなかった。(僕のような)理系の人間に夢を与えない、そんなのファンタジーじゃないよ。それ以外は面白かったけど。。。[DVD(邦画)] 7点(2012-05-16 00:28:28)《改行有》
2. ロスト・イン・トランスレーション
《ネタバレ》 この映画、実は現代版の「東京物語」とも呼べる。元々、ソフィア・コッポラは東京という街をアメリカ人が迷い込む異国の地、自発的な孤独を生み出す環境として捉えているように思うが、それは正に小津の『東京物語』の主題でもあったはずである。これはある意味で外国人を主人公にすえたからこそ描かれ得る、本来的な「東京」の姿なのであるが、僕らはもうそういった見立てというか作為なしに、都市としての東京に現代的な物語としてのリアリティを感じないのかもしれない。確かに東京という物語は矮小化し、偏在化しつつあり、それはもう「東京」でなくても全く構わないとも思える。
本当の『東京物語』であれば、東京という場所における笠智衆と原節子の立ち位置が小津の世界観として一番しっくりくるが、それがこの映画では逆転<笠智衆がスカーレットで、原節子が都市生活に疲れたビル・マーレイ>しているところがアメリカらしい彼らの基本的なイノセンスの構図<子供こそが穢れなき存在であること>なのだと言える。そう考えれば、スカーレットの異様な子供っぽさも理解できるような気がするが、それを現代社会というタームに照らし合わせてみれば、また別の意味での新しさをも想起させる。
『ロスト・イン・トランスレーション』は都市という孤独を鮮明に描こうとするが、孤独は現代という空間であまりにも無自覚に受け入れられている為にその悲哀の輪郭はとてもぼやけている。抵抗しつつもそれを受け入れざるを得ないこと。それがたぶんビル・マーレイの悲劇であり、スカーレットの常態なのだろう。その受け入れ方の違いはある意味でとても切実である。
[DVD(字幕)] 8点(2007-04-20 23:02:48)《改行有》
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