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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  ワールド・アパートメント・ホラー 日本人にとって「外人」は、黒船以来、さらにはマッカーサー以後、まずアメリカの白人によって代表されるんだけど、本作には出てこない。台湾、中国、フィリピン、パキスタン、バングラデシュとアジア人ばかり。しかも彼らに個性を勝手に付けないで、「日本人の目を通して見たアジア人一般」であり続けているところがこの作品の面白さ。まずタテマエとして「アジアは一つ」「隣人と仲良くしなければならない」「日本で苦労している外国の方たちの立場に立って」といった無垢な弱者としてのアジア人像ってのがある。それと同時に(欧米文化はどんどん入ってくるのに)いまだに未知の闇というアジアに対する不気味感もある。どちらも個性を持てない。それを反映した映画世界は、ホラーに近づいていく。住人たちに追い詰められて「日本人は白人なんだ」って言っちゃうとこ、せりふの上からだけ見ればテーマを整理しすぎたと思うが、ちょっとためらって言うし、言って、あれ? 変だな? というニュアンスがあったし、あそこらへん、正直に1991年の日本人だった気がする。クレーンでゆっくり浮遊しながらアパートを見る視点。[映画館(邦画)] 6点(2013-08-29 09:39:03)

2.  別れのタンゴ 戦後にも高峰三枝子のメロドラマは作られ、私は『懐しのブルース』ってのとこれを見て満腹になったが、ほかにもまだまだ『想い出のボレロ』とか『情熱のルンバ』とか、目が星と光るような題名のがある。『懐しの…』は見事なまでの通俗メロドラマで一つの典型として見られるものだったが、第二弾のこれは原案が吉村公三郎というせいか『暖流』の設定を思わせるような・ちょっと階級闘争的なヒネリを加えてあって、意外と拾いもの的に楽しめた。若原雅夫の高峰に対する憎悪が、階級憎悪と重なりかけるんだ。それがすぐ和解して愛になっちゃうのも、頬の傷だけで何とか納得させてしまう。そこらへんメロドラマの味付けにも時代的反映があるんだなあ、と思った。あと面白かったのは、ヒロインが劇中で歌手となりスターとなって、この映画の中で『別れのタンゴ』という映画を撮ってしまうこと。こういうスター成功譚は戦前からあるが、この作品を地方の映画小屋で見ている高峰ファンが、かつて彼女とラヴロマンスがあったと錯覚できるような作りになってる。メロドラマにもメロドラマなりの工夫の歴史があるのだ。[映画館(邦画)] 6点(2013-03-22 09:56:06)

3.  わが青春に悔なし 本作が作られたのは、まだこれからの日本の進路が定かでないころで、世情もとりあえず共産党的な気分が沸騰していた(とりわけ東宝撮影所内は)。そういうシナリオをもらった監督は、こんな感じでいいのかなあと手探りで前半を作ったよう(藤田進の事務所の前、入るのをためらう原節子のカットの連続で季節のうつろいを表わすのは『姿三四郎』の復習だ)。後半の農村の場になって、好きだったソ連映画のタッチを大っぴらに練習することが出来た。ここに至って気合いが入ってきたのが分かる。原が昼間一人で田へ出て行くあたりの悲壮感、木々が嘲うところなどなど、もう完全に黒澤タッチ(『蜘蛛巣城』のバーナムの森)。原節子も全編を通し徹底してバタ臭く、しばしば泰西名画風のポーズを決めたり、ヨーロッパ・とりわけロシア的なものへの傾斜がうかがえる(彼女が弾いていたのはムソルグスキーの「展覧会の絵」だし、原が出たもう一本の黒澤映画はドストエフスキーの『白痴』だ)。監督はこのシナリオから左翼イデオロギーでなく、「平凡なものよりギラギラしたものへ志向する」ヒロイン像を中心に据えたのだ。[映画館(邦画)] 6点(2012-03-10 10:04:43)

4.  私は二歳 《ネタバレ》 エッセイ映画というか、育児本をベースにして一本の映画を撮る試み。普通の監督ならその芯のなさが足かせになるところを、この人は好き放題が出来ると喜んでるみたい。子どもの動きを記録したドキュメンタリー調からアニメまで動員している。小ネタの連鎖でブツブツになりそうなところを、大きく前半の団地時代・後半の姑との同居時代と分けて、まとめている。託児所の不足、はしかへの対応、などの「役立つ情報」も織り込み、しかしちゃんと劇映画としての構えを崩さない。役者では後段の浦辺粂子の姑が傑作で、確信犯的甘やかしのベタベタ感が、嫌味にならずに「お祖母ちゃん一般」の姿になっているのは大したものだ。しっくりしてなかった嫁と姑の女連合が、亭主のしくじりで共同して攻撃してくるあたりがおかしい。昔の映画は時代の映像記録としても楽しめるが、それだけでなく時代の傾向の記録にもなっていて、本作で団地から親の家に移る展開は、おそらく当時の傾向を反映していたのだろう。子どもの成長とともに家族は一軒家に移り、団地はいつも若夫婦が入れ替わって回転していく、ってのが団地発足当時の計算だった。しかし大都市部の住環境はそれほど甘くなく、団地で高齢化が進む未来が待っているとは、このころはまだ誰も考えてもいなかったわけだ。[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-10-08 10:11:26)

5.  私は猫ストーカー 私自身、猫ストーカーなところがあるので、とうてい客観的な評価は出来ない。ただ猫のいる世界の空気を実に的確に捉えているなあ、と感嘆するばかり。猫がいると風景が変わるんですな。具体的には視点が下がる、なにかこちらも隠れた場所から世界を見ているような緊張した気分になる、そして外界の音が猫のためのBGMのように思われてくる。主観的にしか断定出来ないけれど、この映画での町の音にはすごくその感じがあった。遠くで聞こえる子どもの声や何かの機械音などが、猫が存在する効果を上げるために鳴らされているように思われてくる。というか、猫と自分が世界から隠れているのを糊塗するために「普段」を装って奏でられているように思われてくる。だから、振り返ると塀の上でベターッと猫が寝ている、なんてシーンが実に嬉しい。あれが猫の味わい、共犯の味。それと秘伝の伝授によって、猫にタッチするにはときどき目をそらさないといけないことを教わった。つい見つめて逃げられてしまっていたのだ。ためになった。観終わってから、この監督、オムニバス映画『コワイ女』で一番面白かった「鋼」の人と知った。こりゃ覚えておいたほうがいい名前だ。揺れていたリンゴがピタッと止まる正確さ、ヒロインの顔のアップが挿入される的確さ、など猫がいないシーンも悪くない。[DVD(邦画)] 7点(2010-03-25 12:03:02)

6.  若い季節(1962) 《ネタバレ》 テーマ曲に乗って、皆が明朗に笑いながら並んで歩いてくる。いい感じ。空撮の日比谷から赤いスポーツカーを捉え、淡路社長の出社。ますますいいノリ。そして植木等が出ただけで場内が浮きたつのは、東宝映画の常とは言いながら、たいしたものである。バカ踊りの、あのいかにも宴会芸的な安っぽさの魅力を何と言ったらいいのだろう。腹が据わってる、とか、頼りがいがある、とかいった古い美徳をすべてコケにした痛快さ、というか。ホレボレする。この時代の映画は何かというとすぐビルの屋上に上がりたがる。会社の一同を集めての訓辞、そして軍艦マーチに乗って宣伝部員らがヘラヘラと踊る。いいなあ。銀座通りにはまだ都電が走っていく。団令子はおそらく現代の基準で言えば“デブ”だろうが、この時代は“グラマー”の範疇だった。健全な時代だった。人見明がズーズー弁で笑わせる。由利徹といい若水ヤエ子といい、当時はズーズー弁が笑いの重要な要素だった。植木等と坂本九が持ち歌を交換し、九が「サラリーマンとは気楽な稼業と~」とやれば、植木が「上を向ういて~」とやる。まったく見終わって何も残らない映画だが、何か朗らかになってたな、という気分の記憶だけは持続する。[映画館(邦画)] 6点(2009-06-12 12:06:09)

7.  悪い奴ほどよく眠る 《ネタバレ》 冒頭の結婚式シーンはサスペンスのお手本ですな。まず記者団の闖入で波立てる。ひそひそ声、コロスとしての記者団と本舞台での演劇としての儀式。びっこの花嫁の入場、三橋達也の「殺す」という凶々しい言葉がはいるスピーチと、驚きをつなげながら、影の演出者である三船は一切しゃべらない。そしてとどめのケーキ入場まで、ほとんど完璧と言っていい。次の見せ場は、釜足の葬儀の場で志村のホンネのテープを流すところか。組織が個人を切り捨てる残酷、『酔いどれ天使』で、三船が親分の声を聞くマージャンの場の再現でもある。あと西村晃を追い詰めたりしてきびきび進むんだけど、後半主人公の内面の苦悩、香川への愛とかが出てくると、ちょっとネバついてしまう。彼の人間性を描いたがために、サスペンスとしてはモタついてしまう。でもこのスカッといくだけで押し切れないところが、良くも悪くも黒澤さんの姿勢で、明治人の求道精神と言うか、これはやっぱりこれで良いのだ、と思いたい。香川の善意が主人公を窮地に至らしめるってのは、次の『用心棒』なんかでも繰り返されるモチーフだな。森雅之がエプロン着けてバーベキューやってる良き家庭人の姿を見せるあたりの怖さもいい。[映画館(邦画)] 8点(2008-09-25 12:16:55)

8.  私が棄てた女 回想シーンがどれも美しい。海の景色、馬追いの夕景のシルエット、スターの家を見に行ったときの桜吹雪。原作のらい病院を老人ホームにして、宗教的な求道性を監督は社会性に置きかえている。これは監督の権利として許される範囲内。ただこの監督はちょっと余計なものを付けちゃうとこがあって(たとえば『青春の門』でガイコツの山を貨車に積んでみたりとか)、ここで終わってもいいのにってとこでオマケがついてしまう。まあ、つけまつげのない浅丘ルリ子の顔が見られるのも珍しくていいんだけど。河原崎長一郎は、渋谷での待ち合わせのあたりからして、うまい。 [映画館(邦画)] 7点(2008-05-02 12:18:33)(良:1票) 《改行有》

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