みんなのシネマレビュー
せんべいさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
投稿日付順123
変更日付順123

1.  モスラ対ゴジラ 《ネタバレ》  元々、私が当作品を観たのは小学校のときに1回だけでした。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と【怪獣大戦争:1965年】は、フジテレビで夏休みの夕方にしょっちゅう放送されていた一方、当作品は、日本テレビの日曜の夕方に放送されたのを観たきりだったのです。  また、私にとって【モスラ:1961年】こそ、初めて(TVで)観た【東宝の怪獣映画】であり「あの大好きなモスラが死んでしまう映画だから…」と再見を敬遠していた面もありました。  しかし最近、当作品はかつての東京オリンピック(昭和39(1964)年10月開催)の間近である4月29日に公開されたと気付きました。「だからなに?」という気はしたものの、せっかくなので57年後の同日にDVDをレンタルして鑑賞した次第です。  さて、結果は…1回だけしか観ていなかったこともあり、断片的だった記憶がつながりスッキリしました。しかも以下のように、大人ならではの目線による発見・感想も加わり、観て良かったです。  まず、いつもながら、伊福部サウンドは絶好調!。関沢新一さんによる脚本は、ほど良くメッセージ性が盛り込まれ、本多監督の演出にも温かみがあり、特に漁村などのロケ場面は生活感が伝わってくる印象を受け、観やすかったです。円谷英二さん率いる特撮スタッフの皆さんについては、これは推測ですが…『キングコング対ゴジラ(1962年)では、コングについてアメリカ側から注文や制約があった。一方、今度のモスラとゴジラは国産だから自由にやれるぞ!オリンピック共々、日本の底力を見せてやる!』とでも言わんばかりの勢いが伝わってくる思いがしました。コロナ禍による閉塞感がある現状下での鑑賞だったので、なおさら、そう感じたのかもしれません。   また【亡くなった親モスラの翼で覆われていた卵から、双子の赤ちゃんモスラが顔を出す】とういうシーンは覚えていたのですが…今回の再見で、ザ・ピーナッツさん達が扮する妖精(小美人)達の「モスラは滅びません。卵から新しい命が産まれます」という台詞と共に【命のつながり】というものを、特に感じました。そのため“大好きなモスラが死んでしまう映画”という子供の頃のネガティブなイメージを払拭できました。そして赤ちゃんモスラ達がゴジラに勝ったとき、これまたコロナ禍のためもあってか「日本も、新たな若い命が次世代を担っていくんだ」といった思いが重なったりもしました。  さらに、あらためて特撮について言及すると、モスラ親子に命を吹き込んだ操演担当のスタッフさん達のチームワークは勿論、そのモスラ達を引き立てるように、ゴジラに扮した中島春雄さんが演技をしておられるのだと再認識できました。演技という意味では、特にB作戦での「よし!(ゴジラに)勝てるぞ」と自衛官に言わしめた臨場感は、中島さんの、電撃で苦しむ熱演によるところが大きかったでしょう。スローモーションでもあの動きだったわけですから、実際の撮影では、動き難いスーツの中で、どれほど速く全身を動かし、息苦しく汗だくだったことか…あらためて敬意を表します。  ところで、ラストは酒井記者(宝田明さん)と三浦博士(小泉博さん)による「お礼は、我々がいい社会をつくることだ」「うん。人間不信の無いね」という台詞で締め括られます。  しかし現在、日本国内に留まらず国際的にも【人間不信の無い社会】が実現しているかというと…当作品のように【様々な“力”を背景に、己の欲望を押し通そうとする人々】と【信頼や節度による人道的な社会を実現しようとする人々】のせめぎあいやバランスで、世の中が動いているように思います。  そのため「当作品の公開から57年も経ったのに、ちっとも変ってないじゃないか。むしろ、コロナ禍で状況が危うくなっていないか?」と言えなくもありません。しかし、ここはひとまず「57年前の作品を、当時と同じ4月29日に観られたのは、人々が最悪の事態を回避してバランスを保ってきた努力があればこそ。コロナも乗り越えられるはず」と思うことにします。  さて、採点ですが…【同じように東京オリンピックを控えている当時の日本と、現在の日本】を考える意味で、意義深い作品ではないかと…いや、ちょっと大袈裟ですね。シンプルに【昭和パワーに溢れた元気が出る映画】として楽しめればいいかと思います。大甘とは思いますが【モスラ】や【地球最大の決戦】と同様、10点を献上させていただきます。  そして最後に…今回、【コロナ禍】を意識して投稿しましたが…数年後に読み直したとき「コロナね…そんなこともあったな~」というように、良い意味で笑って振り返れる世の中になっているよう願っています。 *【モスラ】と【地球最大の決戦】は、別途、レビューを投稿しております。[DVD(邦画)] 10点(2021-05-05 17:17:02)《改行有》

2.  火垂るの墓(1988) 《ネタバレ》  終戦の日が巡ってきました。今年は日テレで放送しないようなので、今さらですが投稿します。  まず初見時のインパクトから。私が最初に当作品を観たのは、父と共に、叔父(父は末っ子だったので、叔父とは、かなりの年の差がありました)の家に泊めてもらったときです。  それまでも、戦時中を舞台にした実写の映画やTVドラマは観ていたものの…【現在、活躍中の役者さん達が、戦時中の衣装を身につけ、すすけたメイクをしての再現】では、私にはどうしても【表面的な作り物】という印象を否めませんでした。  一方、当作品は【絵】のはずなのに、否、【絵】だからこそ、私には描写が非常に生々しく感じられ、没入できました。  没入できたのは、徴兵経験のある叔父と観た体験も大きかったかもしれません。叔父は、真剣な眼差しで、ただひたすら黙って観ており、そこには【無言の説得力】がありました。  次に、当作品が【となりのトトロ】と同時上映だったことに鑑み、次第に思うようになったことについて。それは「もし、サツキとメイも、生まれた時代が、清太や節子と同じで、同じ境遇になったら…」ということです。  もちろん、サツキなら、叔母さんの手伝いを頑張りつつ、次第に「これ以上、迷惑をかけられない」というように、家を出るまでの過程は、清太達と違うものになるでしょうが、最後はきっと同じ運命が待ちうけていることでしょう。そして事情を知らない通りすがりの女や男から「汚いなあ」「アメリカ軍がもうすぐ来るちゅうのに、恥やで、駅にこんなんおったら」と言われてしまうことでしょう。そう思うと、私は冷静ではいれません。「親を亡くしたのは、子ども達の責任ではない!事情を知らずに、ゴミ呼ばわりするな!」というように…。  最後は、皆さんのレビューを拝読してみて、賛否両論、様々な意見があるにせよ「観る者を、冷静にしておけない“激しい感情を触発する”作品だな…」ということです。  冷静に考えれば、野坂昭如氏の体験に基づいているとはいえ、これは【作り話】です。観客受けしやすいように清太をサツキのようなキャラクターに変更し、叔母さんを【最初から二人を厄介者扱いする徹底的に憎たらしい人物】に脚色すれば、少なくとも私の場合、もっと勧善懲悪的に感情をシンプルに処理できるはずなのに、当作品は、そうではありません。次第に関係がこじれていく展開になっており、私には複雑な気持ちが募ります。ましてや、私が激昂する「汚いなあ/恥やで」という女や男だって、脚本に書かなければ済むはずです。  その意味で、観客受けする脚色に成功した典型は、TVアニメの【フランダースの犬:1975年】でしょう。主人公のネロ一人を取り上げても、年齢を原作の15歳から10歳へ引き下げ【周りからひどい仕打ちを受けても、悲しみこそすれ、恨んだりしない、心優しい少年】というように、アニメ独自に脚色しています。その結果、誰もが涙を注ぐキャラクターになったと思います。あのアニメを見て「絵が落選する場合だってあり得るのに、その場合の対策を講じなかったネロの見通しの甘さ・生活力の無さが、パトラッシュを巻き添えに死を招くことになった。まさに自業自得」という感想を抱く人は、誰もいないでしょう。しかし原作は、このような感想が少なからず寄せられるような内容になっていると思いますし、だからこそ、原作しか知らない海外の人達は【日本人が当アニメ版に寄せる愛着】を、理解し難いのでは…と思われます。  したがって、清太だって、アニメ版のネロのようなキャラクターに脚色していれば、観客の皆さんから非難されることはなかったでしょう。高畑監督は、フランダースの犬の製作にタッチしていなかったとはいえ、当然、この【観客受けする脚色】は知っていたはず。敢えて、こうした脚色をしなかったのは、高畑監督の目指したリアリズムなのかな…と思ったりしています。  …というように、私自身、何とかニュートラルな立場で文面を書いてみましたが、やはり冷静ではいられません。それは、どうしても幼い節子が、あまりにもいたたまれないからでしょう。それほどまでに節子の描写はリアルなものとして、私の胸に刺さっています。  「アニメ、恐るべし」…この言葉は、当アニメを観た野坂昭如氏が発したお言葉だそうですが、私にとっては「高畑監督、恐るべし」 です。  さて、採点ですが…①「アニメは子どもが見るもの」という意見がまだ根深かった時代に、【映像表現】としてのアニメーションの可能性を具現化した高畑監督及びスタッフの皆さんへ敬意を表し、また、②清太と節子は架空の存在とはいえ、現実には、この二人のように、戦争によって両親を失い、生きることが出来なかったあまたの子供達への鎮魂を込めて、10点を献上します。[地上波(邦画)] 10点(2020-08-15 16:27:06)(良:1票) 《改行有》

3.  チリンの鈴 《ネタバレ》  公開当時、私は小学校高学年。低学年の妹も一緒に、家族一同で映画館にて鑑賞。実は、お目当ての映画は当作品でなく【親子ねずみの不思議な旅】でした。当作品のことを知ったのは、映画館に足を運んだ当日、入場を待つ間にロビーに貼られていたポスターを見たときです。ポスターは【手前に、笑顔でこちらを見ている子羊のチリン/奥に、オオカミがいる】という構図で、私は「何だかアメリカのアニメの【ラムヂーちゃん:1971年にNHKで放送。その後、東京12チャンネル(現:テレビ東京)の夕方に再放送】みたいだ。きっと可愛くて笑いに溢れたギャグアニメなんだろうな」と連想しました。  さて、上映の順番は、この【チリンの鈴】が先でした。観始めると…「ラムヂーちゃんと違って、ずいぶん、もの悲しい感じの歌で始まったぞ…あ!チリンが出てきた!やっぱりラムヂーちゃんと同じで可愛いな。ナレーションも、ラムヂーちゃんをオオカミから守る“犬のおじさん”の声の人だ(注:当時、高木均さんのお名前は知りませんでした…)。きっと、これから楽しい場面になるんだろうな…」と頭を巡らせていたのですが…その後、あまりにもラムヂーちゃんと【落差】のある展開にビックリ。子供心にも「ディズニーとは違う、日本だからこそ創れた作品だ」と誇らしく思ったものです。一方【親子ねずみの不思議な旅】は「ふ~ん…」という程度でした。  月曜日になり、早速、私は、クラスで、その素晴らしさを伝えたのですが「サンリオって小さい女の子向けでしょ。しかもアニメ映画なんて観に行って恥ずかくない?」とからかわれただけでした。  しかし、その後も、私の心の中から【チリンの鈴】が消えることはありませんでした。公開当時、他のクラスメートに比べ、腕力に恵まれなかった私は【強さ】について葛藤していた時期であり、当作品を観たことで、少なからず“人生を誤らずに済んだ”という一面があるからです。一方【親子ねずみの…】は、すぐ忘れてしまいました。  大人になって、やなせたかしさんの同名の絵本が原作だと知って読みました。さらにDVDもあるとわかり再鑑賞。映画の脚色は「原作を上手に膨らませている」とあらためて感心しました。唯一、残念だったのは、絵柄や自然の風景描写(の一部)が、ディズニーの、特に【バンビ:1942年】に似ている印象を受けたことです。よく言えば「バンビへのオマージュ」「ディズニーをお手本にしている」「ディズニーに追いつき、追い越せの気概の現れ」であるのでしょうが、当時の日本のアニメ業界における“ディズニー映画へのコンプレックス”と言えなくもありません。しかし、今のディズニーでも、絶対に取り扱わないストーリー(少なくとも、このような結末にはしない…)だと思います。  現在でも【日本での暴力事件/世界の様々な地域での紛争】をニュースで目の当たりにするたびに「暴力や紛争を起こす人達も、かつてはチリンのように、可愛らしく無邪気な子供だったはずなのに…」と、やるせない思いで一杯になります。私にとって、当作品が心の中から消えることは、無さそうです…。  さて、採点ですが…上記の通り【残念だった面】はあるものの、私の人生に示唆を与えてくれた作品です。原作者のやなせたかしさん、アニメ化に踏み切ったサンリオ創始者の辻信太郎さん、波多正美監督を始めとするスタッフの皆さんの【心意気】に敬意を表して10点を献上します。できれば【強さ】に憧れがちな男の子や、そのご家族に、お子さんが思春期に入る前に、是非、観てほしい作品です。  また、当作品とDVDでカップリングされた、やなせたかしさん原作の短編アニメ【ちいさなジャンボ】【バラの花とジョー】もお勧めです。やなせさんの世界を堪能できると思います。 *令和2(2020)年7月23日(木)~26日(日) 追記  【あらしのよるに:2005年】の投稿を機に、誤字があると気付いたので、誤字を修正の上、以下の文面も追加しておきます。  上述の通り、当アニメ版の内容は、絵本を脚色しており、強調されているメッセージが違う印象を受けます。絵本の場合は【復讐と、その果てに残るもの】という感じでしょうか…。私にとっては、その違いが重なり合って、一層、味わい深く、絵本もアニメ版も、両方とも好き、というか、胸にズシリと残ります。  【あらしのよるに】と同様、【オオカミと草食動物】になぞらえた寓話ですが、全く違う内容です。人によって【チリンの…】か【あらしの…】で、好みが分かれる場合がある…かもしれません。[映画館(邦画)] 10点(2020-06-20 20:46:25)《改行有》

4.  くるみ割り人形(1979) 《ネタバレ》  ↓の【movie海馬さん】のレビューを拝読し、レンタル店でDVDの【1979年:HDリマスター版】及び【21014年版】の両方を取り寄せて鑑賞しました。  まず前置きから。私にとって公開当時は、観たくても観られなかった作品です。  その前年、サンリオ製作の【親子ねずみの不思議な旅/チリンの鈴:1978年‐同時上映】は映画館で観ました。特に【チリンの鈴】は「ディズニーとは違う、日本だからこそ創れた作品だ」と子供心にも誇らしく思ったものです。しかし当時、私は小学校高学年。低学年の妹も一緒の家族での鑑賞でしたが、クラスで素晴らしさを伝えても「サンリオって小さい女の子向けでしょ。しかもアニメ映画なんて観に行って恥ずかくない?」とからかわれただけでした。  一方、当作品は、人形アニメ作品。当時から子供心に【人形アニメが、どれほど手間がかかるか。セルアニメと違い大量人員による分業には限界があり、コマ撮りは極めてパーソナルな作業になる:注…大人になってからの言葉に変換しています】と知っていました。「きっとサンリオは素晴らしい作品に仕上げたに違いない」…しかしCMの映像には【主役の二人を乗せて飛んでいく馬車を“キキとララ”が見送る場面】が映っていました。私は「映画館へ観に行ったら“あのお兄さん、おかしいんじゃない?”と、自分より年下の女の子やそのお母さんに、白い眼で見られるかも…」と腰が引け、観るのを諦めました。  その後、TV放送されたようですが、機会を逸してしまい…さらに歳月が流れて我が子とサンリオ・ピューロランドへ行ったときには、園内の劇場ロビーに、クララ達の人形が飾ってあり「サンリオにとって、今でも大切にしている作品なんだ。それなのに、未だに観ていないなんて…」と後ろめたさが、ずっと残っていたのです。  こうして41年の歳月を経ての初鑑賞でしたが、感動しました。可愛らしい人形達が、見事に創り込まれたセットの中で、美しい光の演出と凝ったカメラワークで動く!動く!…と、ワンカットワンカットから目が離せませんでした。  特に闇を基調とした【時計の中/ネズミたちの根城/森】といった場面は、当時のフィルムの感度を考慮すると【挑戦的】だったのでは…と推察しています。現在の人形アニメはデジタル技術により、撮影のたびに一コマ単位で再生し直し、動きを確認・補正(撮り直し)しながら作業を進めることできます。しかし、この時代はフィルムの一発撮り。現像しなければ、仕上がりはわからない。テスト撮影をして臨んだでしょうが「背景はうまく感光したけど、クララが黒ずんだ/くるみ割り人形の赤い色が上手く発色していない」といったことで撮り直しに…といったこともあったかもしれません(的外れならスイマセン…)。  一方、ジプシー占いのおばさんは、文楽人形をアレンジしたものでしょうか?…コマ撮りとは異なるゆったりした動きが、異様な存在感を醸し出して迫力があると感じました。  また【マリー姫の呪いを解くために国中から集められた名士達が、アピールするシーン】も印象深かったです。当時の芸能界を彩った有名人の方々が【声の応援出演】として声をあてておられます。しかも、姫の父親である皇帝に「名士と言われる人達も、結局は独りよがりの者ばかり…」と言わしめるためだけに7分間も費やして…。場面の位置づけは【お遊び的】なものですが、録音した出演者達の言いまわしに合わせたアニメートは大変だったと思います。しかもこの場面の人形達に、私はとても親しみが沸きました。それもそのはず。観終わった後、DVDの解説で、監督の中村武雄さんやアニメーターの真賀里文子さんは、私が小学校の低学年時代に、学校や公民館で上映された短編作品【花ともぐら:1970年/てんまのとらやん:1971年】に携わった方々だと知りました。地道に人形アニメをつくり、私達を楽しませて下さったお二人を始めとする数多くの方々に感謝しないではいられませんでした。    さらに、クララが、今どきの「自ら運命を切り開く戦うヒロイン」でなかったのも新鮮でした。傑出した力は無くても、懸命にくるみ割り人形を思いやり、守り抜こうとする…こうした“内なる強さ”を秘めたヒロインだって、私はまだ現在でも“あり”だと思います。  さて、採点ですが…当時の人形アニメの技術の粋を結集した力作でしょうし【夢のようで夢ではないような…】というこの物語のシチュエーションにも人形アニメはピッタリで、現在でも色あせたものではないと思います。スタッフの皆さんへの敬意を込め10点を献上します。  おそらく「CGでやれば簡単じゃん」という方々もおられるでしょうが…是非、【手作り】の情熱を感じていただける方々にご覧いただきたいです。[DVD(邦画)] 10点(2020-06-07 17:36:21)《改行有》

5.  プロジェクトA子 《ネタバレ》  私が当作品を観たのは、約30年前。フジテレビでの夕方の放送(当作品の終わりに流れたテロップ:スーパータイム ‐ クェート機ハイジャック事件など ‐ から、1988年4月の放送と思われます)を機に鑑賞。何となく観始めたのですが「北斗の拳をはじめ、様々なアニメのオマージュ・パロディに溢れている!何故、A子が馬鹿力なのか、いちいち説明せず、漫画チックなアクションで押しまくるパワーが素晴らしい!」と、すっかり気に入り、途中(クレヨン画風の映像で、幼稚園時代の因縁を回想する場面)からビデオ録画しました。録画開始後は、巨大宇宙船を交えたメカアクションに、A子とB子のアクションを融合させる…というセンスにも感動しました。放送後、録画を繰返し観たのは勿論、レンタルビデオでノーカット版を観たり、レンタルCDを聴いたり…と、しばらく熱中したものです。  そのため、他の皆さんのレビューを拝読している間、挿入曲の【Dance Away/Follow your Dream】、さらに、A子「スクリュー・キーック!ドォーッ!」→B子「赤城山ミサイル!」といった台詞・場面の数々が頭の中を駆け巡り、テンションが上がりました。  早速、私もレビューを書こうと、レンタル店でDVDを…と思ったら、取り寄せ不可能とわかり…このたび、当時録画したビデオを発掘・再鑑賞した上で、投稿しました。  さて、再鑑賞(録画した、後半の約40分間の範囲)の感想ですが…やっぱり面白かったです!。以下、皆さんのレビューを通じて初めて知った事実も交えて書きます。  まず、今更ながら【くりぃむレモンシリーズとして製作されたのが発端/同時上映が、旅立ち‐亜美・終章】と知りました。「30年前の自分の熱中ぶりが、如何に表面的で知識に乏しいものだったか」を痛感したのと同時に「それまでエロに向けていたエネルギーを、創造的に発散させたことで、これほどのパワー溢れる力作になり得たのかも!」と思いました。いずれにせよ、良い意味で「男子向けの作品だな!」と再認識しました。また、ここまで底抜けに単純明快な作品として完遂するまでに、企画段階でも相当な押し問答があったはずであり、西島克彦監督達が、どれほどのエネルギーを注いだかを、察して余りあるものがありました。  もう一つは【M監督が「こんな映画は作ってはいけない」とおっしゃっていた】ということ。何となく私も感じてはいましたが、やはりそうだんたんですね…。確かに、東映アニメーションが【東映動画】という名称の時代から製作に携わっていたM監督にとって、【アニメブーム】以降に現れた当作品の【80年代テイスト】は、堕落のように映っても無理ないかもしれません。しかし【A子が、ミサイルを飛び石のように踏み越え、巨大宇宙船に向かっていくシーン】をはじめとする漫画チックな演出の数々は、十分、M監督の演出に通じるものがあるような…。それに当時のアニメ界が、ある種の閉塞感に満ちていたことは確かだったと思います。その閉塞感を打ち破るべく、西島監督は【A子】を、M監督は王道の【漫画映画】の復活をめざして【天空の城ラピュタ】を創ったのでは…とも思っています。そして奇しくも【A子】と【ラピュタ】が公開されたのは、共に1986年。この【昭和末=3年後から平成】という時期に、根底では共通する面がある(と私は思うんですけど…)2作品が発表されたことは、偶然を越えた【日本アニメ界の節目】のようなものを感じずにはいられません。  公開から30余年…【ラピュタ】に対し、当サイトでの【A子】のレビュー数は非常に少ないものの、平均点は決して負けていないことを嬉しく思います。最近、仕事疲れで投稿がストップしていたのですが、当作品の再鑑賞で元気を取り戻しました。ありがとうA子!  さて、採点ですが…【男子向け】ではあるものの、まだデジタル技術を使っていない【手描きアニメ】で、これだけ元気溢れる力作は滅多に無いと思います。【ラピュタ:私は10点を献上】と双璧をなす【昭和末】に生み出された傑作の一つとして、西島克彦監督と森山ゆうじ作画監督をはじめとする、作り手の皆さん達への敬意を込め、10点を献上します。  備考:若い人達が観ると、良くも悪くも【オタク志向の作品】と思われることでしょう。しかし当作品が公開当時(私がTV放送で観た当時も含む)は、まだオタクという言葉は一般化しておらず、敢えて言うなら【アニメファン/アニメマニア】という呼称が該当するかと思います。【オタク】が浸透したのは、その後に別のMによる【事件】があってからです。そのため、個人的には【アニメファン(マニア)】という言葉と共に語ってほしい作品です。[地上波(邦画)] 10点(2019-07-18 21:49:12)(良:1票) 《改行有》

6.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】【モスラ:1961年】と共に鑑賞する機会を得たので、投稿します。  ラドンは、小学生のときにTV放送された【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年/怪獣大戦争:1965年】で知り、“ゴジラと互角に戦い、協力してキングギドラを追い払った頼もしい怪獣”という印象を持っていました。当作品は、その後、同じく小学生の間にTVで観たのが最初です(かつて、日本テレビの日曜のPMに“社長シリーズ”など東宝映画をよく放送していた時期があり、その一環だったようです)。さらに1~2回、TV放送を観たと思いますが、初見時の記憶が強烈でした。  そして【三大怪獣…】らと共に約30年ぶりに観ました。以下、①殆ど覚えていなかったシーン、②今回の再見で初めて認識できたシーン、③あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーン、の3つに分けてお伝えします。   まず、殆ど覚えていなかったシーンとは、前半の炭鉱の場面です。メガヌロンが部屋に現れる箇所しか覚えていなかったので、今回の再見でやっと筋道立てて認識できました。そして↓の【S&Sさん】がおっしゃる通り「洋画なら、ここだけで一作品にするのでは」と思うほどしっかり作られていると思いました。おそらく洋画の場合、グロテスクな殺傷シーンを見せ場にするような作風になるだろうと想像しますが…私にとっては、病室に亡骸が運ばれてくる当作品のシーンだけも十分、生々しく感じました。  また、本多監督の真骨頂でしょうか、炭坑で生きる人々の生活感のある描写が見事だと思いました。惜しむらくは「キヨの兄・ゴロウが、我が夫のヨシゾウの命を奪った」と誤解していたおタミさんが、キヨと和解する場面があれば、なお良かったでしょう。こうした【人間ドラマの浅さ】は、他のレビュアーさん達のご指摘の通りだと思います。  次に、今回の再見で初めて認識できたシーンとは、【謎の超音速飛行物体】について各国が放送する場面です。その中に「その飛行物体は、速度・航続距離などから判断すると、ただ1個の物体による被害だとは考えられません。すなわち、北京襲撃11:00、マニラ襲撃11:20…」と“ラドンは1匹ではない”と示唆するアナウンスがあります。私は小学生当時から「ラドンは2匹いる」と思っていましたが、このシーンもその伏線だったようです。  私が「ラドンは2匹」と思ったのは【小鳥の卵が割れたのを機に、ラドンの孵化の記憶がシゲルに蘇るシーン】があったからです。今回の再見でも、小学生当時と同様【帰ってきた大人ラドンの声と共に砂ぼこりが巻き上がり、赤ちゃんラドンが喜んでいる場面】だと思いました。しかし観る人によっては【砂ぼこりも鳴き声も、赤ちゃんによるもの】という印象を受けかねない【曖昧さ】もあると思いました。もし赤ちゃん独自の声を挿入していれば【曖昧さ】を払拭し、福岡の場面で誰もが「思った通り2匹いた」と確信できたかもしれません。  さらに、あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーンとは、ラドンが本格的に登場してからの特撮シーンとエンディングです。  佐世保や福岡での特撮シーンは、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私が詳しく書くまでもないでしょうが…特に突風による破壊シーンは、9年後の【怪獣大戦争:1965年】でも再活用されるほどの素晴らしい出来栄えだと、私も思います。  こうして迎えたエンディング…畳みかけるような阿蘇山への砲撃は、ラドンへの一方的な暴力のようで小学生当時から辛かったです。そして1匹目は噴火に耐えられず落ちてしまい、2匹目も、助けようとして近づくものの叶わず『それなら私も…』とでもいうように身を重ねて炎に包まれていく…このように観た当時の私は【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】でのゴジラとラドンの台詞(小美人による翻訳)を思い出しました。『人間は、我々を苛めてばかりいるではないか』『そうだ、そうだ』…私は「ああ、こういうことだったのか」と、胸を締め付けられる思いが残りました…後年、炎の熱でワイヤーが切れるなど偶然が大きい場面だったと、私も知りました。しかし、今回の再見でも胸に迫る気持ちに変わりはなく、偶然を名シーンに昇華し得たのは、スタッフの皆さんの情熱があればこそだと思います。  さて、採点ですが…上記の通り【人間ドラマの浅さ/2匹いることを示唆する演出の曖昧さ】といった面は否めません。しかし【東宝初のカラーの怪獣映画大作】としてのパワーは十分伝わる仕上りだと思います。【三大怪獣】のまさに“一翼”を担う存在として、【ゴジラ:1955年】や【モスラ:1961年】と同様、大甘だとは思いますが、10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-02-01 22:12:12)《改行有》

7.  モスラ(1961) 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】と共に、当作品も鑑賞する機会を得たので投稿します(なお、勢いで投稿した後に、皆さんのレビューを拝読し、2日後に追加・修正させていただいております。良投票してくださった方、ごめんなさい…)。  当作品は、私が幼稚園にあがるかあがらない頃に、TVで初めて観た【東宝製作の怪獣映画】です。幼い私は「モスラは、ウルトラマンに出てくるヒドラやシーボーズと同じで、悪い怪獣(スイマセン、当時の私はこういう言葉を使っていました)じゃないぞ。悪いのは、あの外国人だぞ。お願いだから、小さいお姉さん達(スイマセン、当時の私は“小美人”という名称が頭に入りませんでした)を、早くモスラに会わせてあげて…」と一生懸命、祈るように観ていたのを覚えています。  その後、高校生の頃にTV放送されたとき(放送用のカット版)は、幼児期の記憶が蘇ったのと同時に「インファント島の人々が石を打ち鳴らして警告する姿などに『もう戦争はたくさんだ』という当時の製作スタッフの皆さんの真摯な願いが随所に込められていると思う。まさに日本だからこそ作り得た力作だ!」と感じ入ったものです。  そして、今回、DVDでノーカット版を観たわけですが、以下、3つの感想を持ちました。  まず、ドラマについて。他のレビュアーさん達と同様、フランキー堺さんのコミカルな演技に好感が持てました。そしてドタバタに脱線せず、真面目な展開を崩さない本多監督のバランスの良い演出に感心し、最後まで飽きずに観るこができました。  次に、特撮について。これも他のレビュアーさん達が語り尽くしておられますが…東京の街並みをはじめ、全て手作りされたミニチュアは大規模で、その労力を考えるだけでも、当時のスタッフの皆さんの熱いエネルギーが伝わってくる思いがしました。それにしても、渋谷界隈は、↓の【カシスさん】のおっしゃる通り、今とは様相が随分違っています。不謹慎かもしれませんが「現在の街並みは、モスラが“通過”した後につくられたのではないか」…そんな連想が頭に浮かぶほど、渋谷での破壊シーンに迫力を感じました。敢えて言うなら、汚れ塗装まで施した渋谷街に比べ、ニューカーク・シティのミニチュアは作り込みが甘い印象を受けました。しかし、提携した外国の映画会社の要請で急遽、作製したものなので仕方ないかな…と思います。それでも、モスラによる突風で無数の車が飛び交う絵作りには抜かり無く、さすがだと思いました。  最後に、テーマについて。今回は【戦争 ― 平和】以上に【一部の人間の欲望のために、多くの人達が不幸になる】という点が印象に残りました。特に「モスラには善悪の区別はありません。私達を島に戻す本能しかないんです」という小美人の台詞を反映するように、モスラは、ただひたすらに小美人を求めて、周囲を破壊しながら突き進みます。その姿を、私は【自然災害】のように思いました。製作当時は想定していなかったでしょうが【一部の国の利益追求のために地球温暖化の歯止めがかからず、その気候変動の巻き添えになる人々】という図式を、今回、連想しました。その意味合いで【平和】を捉え直すなら【国際的な相互理解と協働】といった言葉が今日的なのかもしれません。  さて、採点ですが…上記で言及したテーマほどに深読みしなくても【私利私欲に対し、 善意・良心が勝利する物語】として素直に観られる作品だと思います。【ゴジラ:1954年】が【人間の営みの影や悲しみを描いた傑作】なら、当作品は私にとって【幼児期+高校時代+現在…】と積み重ねた思いのもと【人間の光の部分を(信じたいと)描いた力作】として、対の存在です。私も10点を献上させていただきます。 ━ 備考 ━  幼児期から耳に焼き付けられた「モスラ―やっ!モスラ~♪」の歌声…今回の再見で、小美人を演じたザ・ピーナッツお二人の声量やパンチのある歌いっぷりを、やはり素晴らしいと思いました。後年、モスラは東宝作品に何度も登場し、小美人もコスモスと名を変えたりして多くの女優・歌手の方々が演じています。歴代のモスラ作品を観た各世代の皆さんごとに「この人達の歌声こそ最高!」という親しみがあることでしょう。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:40:38)(良:1票) 《改行有》

8.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》  昨年末に、あるレビュアーさんが当作品を再投稿(変更レビュー)されていたのを機に、全員の方のレビューを拝読しました。その結果、無性に観たくなったので、DVDをレンタルして観てみました。  実は、私にとって初めて観た【ゴジラ映画】が当作品です。当時、私は小学生。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。その中で観て、すっかり夢中になりました。ドラマ部分で言えば、王女の「私は金星人」、進藤・兄の「私は日本の警察官。あなたのボディーガード!」という台詞が記憶に残りました。  その後も、放送されるたびに観たものですが、ここ30年ほどは観る機会もなく歳月が流れました。また、↓の【へちょへちょ】さんがおっしゃる通り、赤ひげ(黒澤明1965年)の製作が遅れたために急遽つくられた【埋め合せ作品】ということも、私も近年に知っていました。  そして今回、再見したわけですが…  まず、印象に残ったのは【埋め合せ映画】とは思えない熱の入れようだと思ったことです。単なる【埋め合せ】なら、大半を既存のフィルムをもとに再編集した作品を公開する選択肢もあったはずです。確かに構想に3年かけたと言われる【モスラ:1961年】に比べて、市街地のミニチュアは小規模であり、自衛隊との攻防シーンは皆無、しかも決戦の舞台が富士の裾野なのは、製作が短期間だったことを物語っているように思います。しかし、それはあくまで“見比べたら”の話。キングギドラという新怪獣を創造した時点で「時間などの制約はあっても、決して安直な作品にはしない!」と宣言して製作を始めたのも同然だったのでは…と思いました。  そのギドラについて言えば、現在では「ギドラが金星を滅ぼした理由が描かれていない」と批判されそうですが…そんな理屈抜きに、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ギドラが威風堂々として格好いいです。ゴジラ達を弾き飛ばしたりする姿は、まさに凶悪無比の宇宙怪獣!これこそキングギドラの真の姿だ!と私の中に眠っていた【ガキ】の心が蘇りました。ギドラの設定からも分かるように、核の警鐘といった従来の重々しい路線から離れて娯楽に徹した【冬休み・お正月映画】に相応しい作品だと思いました。  またドラマについても特撮同様に手を抜かず【進藤・兄:王女の探索と護衛】【進藤・妹:預言者(王女)と小美人の保護】【村井助教授:隕石調査とキングギドラの登場】の3つが、クライマックスに向けて一つにまとまっていく構成は、あらためて上手いと思いました。なお、個人的には、前半の、進藤宅の居間でのやりとり=兄をからかう妹→怒って妹を掴む兄→「おかあちゃ~ん」と言う妹→「およしよ、2人とも、いい歳して」と諫める母親…という何気ない日常シーンに非常に親しみを感じました。本多監督の怪獣映画では、こうした生活感や温かみのある描写が伝わってくるものが多いように思います。     さて採点ですが…当作品が公開された1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが秋に開催された年だとあらためて気づきました。当時の日本全体に溢れていた勢いとエネルギーが当作品にも反映されていたのかもしれません。製作の追い込み時期は、まさにオリンピックの真っ只中だったでしょうから、スタッフの皆さんは「今、オリンピックで日本勢が大検討している。我々も負けずに良い作品に仕上げよう!」「我々が頑張れば、きっとオリンピックでも日本勢は勝てる!」と活き活きと取り組んでおられたのではないか…と想像したりしています。  このようなわけで、一般的な感覚でなら7~8点の作品かもしれませんが、昭和のエネルギー満載の元気が出る映画として、大甘で10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:32:40)(良:2票) 《改行有》

9.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》  平成28(2016)年は、当作品が劇場公開されてから30周年なので、良い節目と思い投稿します。それにしても膨大なレビュー数と高得点ですね!。以下、公開時に映画館へ行くまで→場内の雰囲気→鑑賞後に頭をよぎった不安・心配→ジブリ映画浸透後の思い→採点…という構成でお伝えします。  公開当時は失礼ながら、私にとって宮崎駿監督のお名前は、まだ認識が十分ではなく、当作品は【未来少年コナン(1978年放映のNHK初のTVアニメシリーズ)を創った監督・スタッフさん達の映画】という括りでした。コナンは娯楽作品としてグイグイ引き込まれただけでなく【自然と人間の在り方】への真摯なメッセージが込められており、非常に感動しました。ルパン三世・カリオストロの城(1979年)も、アニメとしての大胆なアクションは勿論ですが、コナン同様【観る者をいい気持ちにするツボ】を心得ているな~と感心したものです。続く、風の谷のナウシカ(1984年)も、王蟲や腐海の描写の秀抜さに驚いたのは勿論ですが、コナンから続く【自然と人間の在り方】をテーマに据えている点で一貫しており、作り手としての強い信念を垣間見る思いがしました。ただし、カリオストロの城もナウシカも、TV放映での観賞だったので「この新作は映画館で観よう」と思った次第です。さて、結果は…。  上映前に読んだパンフレットには【子供が楽しめるかつての“漫画映画”を復活させたい。そのために、時代を越えて愛されている“小説・宝島”のような冒険映画にしたい】という趣旨の文面が掲載されており、共感しました。そして上映が始まると…“漫画映画”的なコミカルな動き・演出に、場内はおおいに沸いたものです。笑う場面では皆で笑い、手に汗握る場面では一同で固唾を飲み…と場内が一体となっていることが肌で伝わってきました。帰りに「良かったね」と活き活きと喋っているお子さんと親御さん達の姿を今でも忘れられません。コンセプト通りの、否、それ以上の傑作になっていると、これまた感動しまた。私の中で、ようやく宮崎駿監督の名前がしっかりとインプットされました。  鑑賞後、しばらくして、店頭にあった関連本を読みました。製作のこぼれ話として「子供達が“これなら自分にも出来る”と重ね合わせやすいように、パズーとシータのアクションは控えめにしました。一方、つい、ドーラ達を活躍させたくなったので、パズー達とのバランスに苦労しました」といった趣旨の文面を目にしました。感心すると同時にふと不安がよぎりました。「子供は超人的な力を持つヒーローに、自分を重ねる面がある。そうなると映画館まで足を運んでくれるだろうか?。もし観たとしても、自分が場内で体感したように熱中してくれるだろうか?」と思ったからです。また、コナンではなく、ナウシカから観た人達からも一部分ですが「王蟲のような生き物が出てこないなど自分が思っていたのとはイメージが違う」など戸惑う感想もありました。このようなわけで、私は映画館での感動とは別に「果たしてヒットするのだろうか…」と心配になりました。その心配が的中したわけではないと思いますが、当時の興行成績は振るわず「自分が映画館で得た一体感は、少数派に過ぎないのだろうか…このまま、この作品は埋もれてしまうのだろうか…」と非常に寂しく思いました。さらに「コナンから連綿と続くテーマ・作風の集大成だとは思うが、それだけに、今後、新たな作品を創れるのだろうか?」とも思ったものです。  あれから長い年月が流れました。私の心配が取り越し苦労だったことは言うまでもありません。しかしTVでの【スタジオジブリの人気作品ベストテン】といった類のコーナーでは、ラピュタはいつも下位でした。「パズーとシータのアクションを控えめにしたせい?。海外でも評価された、もののけ姫(1997年)や千と千尋の神隠し(2001年)などに比べ、今となってはラピュタは地味なのか?シンプルすぎるのか?」と歯がゆい気持ちになったものです。そのため、当シネマレビューを拝見して救われた気持ちになりました。  さて、採点ですが…私は、超人的な力を持たない普通の子供達(シータはペンダントを働かせる力があると言えばありますが…)が、大人の後押しで助け合いながら、最後に大人以上の力を発揮して大団円に至る当作品が大好きです。↓の【シネマレビュー管理人さん】がおっしゃっている通り、ラピュタが無ければ、このサイトは存在しなかったかもしれず、その意味でも価値のある作品だと思います。最初に観たときの感銘そのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし10点を献上します。そしていつか「時代を越えて愛されている“天空の城ラピュタ”のような冒険映画をつくりたかったんです」という作り手さんが現れて、新たな名作を生み出すのを願ってやみません。[映画館(邦画)] 10点(2016-08-27 20:14:18)《改行有》

10.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》  ゴジラ (1984年)に続き「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトのもと、ゴジラが単体で登場する作品としては32年ぶりとなった第3段。なお、GODZILLA(1998年)も単体での登場作品ですが、製作側が「原子怪獣現わる(1953年)のリメイクを作りたかったが、資金集めのため、ゴジラのネームバリューを借りました」と言っているので除外します。  私は1984年版を「コンセプトは良いのに表現力が伴わず、非常に残念」と思っているので、以下、主に【1984年版との比較】という観点でお伝えします。  まず一つ目。1984年版に比べ、危機的状況の臨場感がはるかに上回っていると思いました。他の皆さんがおっしゃる通り、東日本大震災-2011年-の記憶がまだ遠いものでないからでしょう。ゴジラ1作目(1954年)も、太平洋戦争終結時-1945年-から9年しか(人によっては“9年も”のようですが…)経っていませんでした。その点、1984年版は、こうした生々しい記憶・体験の空白期での製作だったので、どうしても【頭の中でのシミュレーション】に留まっていたように思います。ある意味、当時は、幸せな時代だったのかもしれません。  次に二つ目。1984年版に比べ、シミュレーションとしての情報処理が洗練されていると思いました。1984年版は、膨大な情報量を消化しきれず、説明で一杯一杯で平板な展開になっていました。一方、シン・ゴジラは、前半に【会議や手続きなど諸々の理屈っぽい情報】を集約して【もたつき・まどろっこしさ】として表現し、後半になるに従い【対策実行のシミュレーション】に絞って【シャープ・スピーディー】な展開になっていたと思います。  三つ目として【本筋に影響しない恋愛ドラマ】を挿入しなかったことも気持ち良かったです。1984年版で一生懸命に演じていた田中健さんと沢口靖子さんには申し訳ないですが、登場シーンのたびに映画の流れがもたつきました。一方、シン・ゴジラの、長谷川博己さんと石原さとみさんとのやりとりは【対立から協働へ】とまとまり、恋愛感情も芽生えず、清々しさを感じました。  四つ目として、1984年版の【スーパーX】のような架空のメカを使わなかったことも嬉しく思いました。あれから32年経ちますが、スーパーXと思しきものは未だ自衛隊に存在していません。シン・ゴジラの【血液凝固剤】も架空ですが、スーパーXほど突飛な印象は受けず“あり得る”と思えました。  さらに五つ目。音楽も、1984年版はドキュメンタリータッチにしたかったのか?一部を除いて使い方が控えめで、音楽と共にその都度、映画の流れが途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。その点、シン・ゴジラの音楽は【普通】に劇的効果を上げていると思いました。この【普通】が1984年版では【普通】ではなく「音楽を下手に使うと却って展開を邪魔する悪い手本」のように感じていただけに、シン・ゴジラでは安堵しました。  最後に六つ目。これは比較ではなく私の推測ですが…1984年版は製作発表時こそ「現在にゴジラが現れたら…」というコンセプトで出発したものの、途中から「華が無いから、東宝シンデレラ(1984年に発足したオーディション。第1回グランプリが沢口靖子さん)が出演する場面を入れよ」「火山に誘導する対策だけでは地味だから、スーパーメカを出せ」といった会社からの営業上の注文が出てコンセプトがぼやけ、現場は混乱し、映像と音楽を十分にリンクさせる時間もなく…といった事情で、上記のような残念な仕上がりになってしまったのでは…と思ったりしています。そして樋口真嗣氏は当時19歳で、特殊造形助手として1984年版の製作に携わっていました。そうした製作現場の実情(あくまで私の推測ですが…)を痛感した樋口氏は「いつか、会社からの注文に振り回されない、本来めざした現代版ゴジラを作ってやる」と思ったかもしれません。だとしたら、今回、庵野秀明氏という最強のパートナーを得てその宿願を果たした…きっと、今は亡き橋本幸治監督をはじめ1984年版の作り手さん達も「樋口よくやったぞ!」と褒め称えているのではないか…そんな【32年越しのインサイドストーリー】を想像するぐらい、シン・ゴジラには感激しました。  さて、採点ですが…物心ついたときからCG特撮が当たり前の若い人達にはショボいと感じる部分があるにせよ、1984年版をタイムリーに知っている私としては、↓の【どっぐすさん】と同様に「これがずっと望んでいたゴジラだ!1984年版だってこのように作れば傑作になり得たはずなんだ!」と庵野・樋口両監督への感謝の思いで一杯です。私が勝手に想像するインサイドストーリーも加味し10点を献上させていただきます。[映画館(邦画)] 10点(2016-08-17 21:20:19)(良:3票) 《改行有》

11.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、GODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。原子怪獣現わる(1953年)を観た後でした。『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』というストーリーラインこそ、前年発表の米映画『原子怪獣現わる』をなぞったものだとは思ったものの、「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。  ただし、その後に、私はビデオで怪獣王ゴジラ(1956年)という作品も観ました。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】という海外向けの再編集版であり、1作目のメッセージ性を見事に削ぎ落としていました。後年、ある本で海外の書評を読みましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面に複雑な気持ちになったものです。GODZILLA(1998年)が公開された当時も「1作目と比べてどうか」という評論はたくさんありましたが【日本人が語る1作目】と【アメリカの人々が語る1作目】では、かなりの温度差があると言っていいのではないかと思いました。  さて、採点ですが…当作品の優れた点は、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私がここで繰り返すまでもないかと思います。日本が生み出した傑作として文句なく10点を献上します。[ビデオ(邦画)] 10点(2016-08-06 15:13:14)(良:1票) 《改行有》

12.  喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》  この映画を見たのは、小学生の頃、TV放映時でした。当時、雪国である両親の郷里に帰るにも夜行列車などを乗り継いだものです。そのため、映画の中で赴任地が地図で映し出されるたび「こんな遠くに…」と驚きました。一緒に観た両親は、特に戦時下の場面で「殉職と簡単に書いてあるけど、戦闘機の機銃掃射で亡くなったということなんだよ」「お前のお爺さんやお婆さんは、戦争中、このような苦労をして子育てをしたんだよ。そして私達も空襲などに怯えて暮らしたんだよ」と涙ながらに語ってくれました。  その後も、TV放映のたびに観ましたが、都内の松竹系映画館の閉館直前に企画された特集上映で、婚約した彼女と観に行きました。自分達の未来(職業は灯台守ではありませんが)を重ね合わせながら「人生には苦労がつきものだが、二人一緒なら乗り越えていける」と語り合ったものです。  そして今回、DVDで再見しました。あらためて、夫婦の何気ない言葉や仕草の機微の一つ一つ、悪く言えば「似たり寄ったり」の繰り返しから紡ぎ出されるものが、この映画の味わい深さだと思いました。また、各赴任地でのエピソードは、その場限りのものだけではありません。【男木島で息子さんが亡くなりそうなとき、安乗崎で息子さんが買ってくれたバッグを握りしめて病院へ向かう】【息子さんの遺骨を抱えて帰るとき、観音崎で出会った“交通事故でお子さんを亡くしたのを機に、気がふれてしまった奥さん”と、自分の心境を重ね合わせる】というように、エピソードが幾重にも重なり合っていることも、あらためてわかりました。重なり合っているといっても、必ずしも物語を劇的に展開させるわけではありませんが、私達一般人の人生における各エピソードの関連性とは、このようなものでは…と思います。こうした重なり合いが縁で娘さんが結婚し、夫婦二人で灯台の灯をともして門出を祝うラストに至ります。見応えのある2時間40分間でした。  なお、DVDを通じて感じたのは、それだけではありません。①交通網が発達した現代の地理的感覚のままで、この映画を観る方、②灯台守の人達の業務内容の詳細を期待して観ようと思う方、③「次から次へ」といったスピーディーな場面展開や、大どんでん返しといったストーリー展開(そのための伏線)に慣れている方…このような方々には、観るのがしんどいだろうな…感じるものは人それぞれ、万人受けは難しい作品だな…とも思いました。  さて、採点ですが、万人受けは難しいとは思いつつも、灯台守の人達をはじめ、当時の時代を真摯に生きた人々、そして、この作品を世に送り出した木下恵介監督やスタッフの皆さんへの敬意を込め、10点を献上します。[DVD(邦画)] 10点(2015-07-26 19:38:17)《改行有》

13.  八甲田山 《ネタバレ》 この映画は、封切り当時、雪山の恐ろしさを私に伝えたい父に連れられて映画館で見ました。当時の私は小学校の高学年でした。以下、当時の感想を、他のレビュアーの皆さんの感想も絡めながら書きます。まず、大画面で見たからでしょうか、雪山での登場人物の顔は、概ね区別できました。青森5連隊と弘前31連隊の場面上の区別にあたっては、「31連隊は、少人数で耳当てをし、歩くときに小声で数を数える」を手掛かりにしました。そしてどんなに努力しても立ちはだかる山・木々・崖・吹雪の夜…という出口の見えない5連隊の場面展開には「絶望」を感じました。また「我々には磁石がある」と道案内を断ったことに端を発する大隊長の態度が事態を悪化させたことは、「組織論」を知らない子供の私でもわかりました。そして「5連隊の人達には一人でも多く助かってほしい。神田大尉は、徳島大尉と再会してほしい」と祈るように見ていたため、全く眠くなりませんでした。徳島大尉の子供時代の回想シーンも印象的でした。私の父も自分の故郷の山や川を自分の原点としていつも語っていたため「つらく苦しいとき、子供時代の故郷の思い出が、生きる力になるんだ」と子供心に思ったものです。このように大画面に没入していたため、遺体安置所で神田大尉の奥さんが「徳島様とお会いできるのだけを楽しみにしていました」と語った瞬間、私は生まれて初めて、映画・TVドラマで涙を流したのでした…。このように、小学生をも感動させる力が、この映画にはあったのです。 その後、年齢を重ねながらTV放映を見るたび、スタッフの皆さんや、実はオールスターキャストだった俳優さん達の、並々ならぬ情熱・苦労・忍耐にも思いを巡らせるようになりました。ただし、最近、DVD(特別愛蔵版)で見たときには、雪山での登場人物の顔が黒くつぶれてしまって違和感がありました。同時収録の予告編での顔はそれほどでもなかったので、おそらくディスク収録上の問題と思われます。私はテレビ画面を一時的に明るく調整して対処しました。もし今後、DVDでご覧になる方で、暗くて顔の区別がつかない場合には、同じようにしていただくと、少しはましになるかもしれません。 さて、採点ですが、最初に見たときの感銘そのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし、10点を献上します。芥川也寸志さんの音楽と共にいつまでも鮮明に蘇る、私にとっては永遠の名作です。[映画館(邦画)] 10点(2015-02-11 19:51:54)(良:2票) 《改行有》

14.  大魔神逆襲 《ネタバレ》 私はこのシリーズをテレビで見た世代です。最初に見たのは小学生の頃、2作目に続けて見ました。当時は単純に楽しめましたが、中学生のときにあらためて見たときは複雑な気持ちでした。中学当時は宇宙戦艦ヤマトに端を発するアニメブーム真っ盛りで、特撮ものは校内で「幼稚なもの・見るに値しないもの」とこき下ろされていたのです。そのため、この3作目については「特撮シーンは良くできているのに、ドラマ部分の子供達の演技は、お世辞にも上手いとは言えないように思う。だから周りから馬鹿にされてしまうんだ」と悔しくて仕方ありませんでした。  30年以上経って、1作目・2作目と共に鑑賞したところ、当時とは印象が変わりました。子役さん達の演技は、さほど気になりませんでした。私自身が子供の親となり、すっかり親の目線で子供達の山越えに感情移入していたのです。「安全面には配慮していたのだろうが、危なげな山間での撮影は子役さん達にも酷だったのではないだろうか」と撮影エピソードにも想像を巡らせました。むしろ気になったのは、他の皆さん達もおっしゃる通り、荒川飛騨守の悪役としての設定についてです。1作目・2作目の領主と異なり、武人像を壊すどころか、魔神に言及する場面さえありません。鶴吉が身を捧げるときも「杉松と大作だけは許してあげて下さい」と祈っているのであって「悪い領主を懲らしめて下さい」とは言っていません。それなのに、宝剣で刺し貫かれてしまうほどの怒りを大魔神から向けられてしまう最後には少々同情してしまいました。敢えて言うなら、神の使いである鷹の射殺が逆鱗に触れたと言えなくはありませんが、あくまでその場での部下の判断であり、飛騨守の命令ではありませんし…。 特撮については、2作目で控えめだった実物大の手・足のアップによるアクションが復活し、火薬工場の設定を活かした派手な爆発シーンも増えました。一方、天災を魔神の行為として表現した冒頭のシーンにも迫力を感じました。もし、リメイクされるときが来たら?、この冒頭の表現も加え、驕れる悪者達をなぎ倒してくれたら…と思ったりしています。  さて、採点ですが、荒川飛騨守の設定に物足りなさを感じるものの、当時のスタッフの皆さん達の誠実な仕事ぶりは十分伝わってきました。3部作をまとめて日本特撮映画の古典的名作と位置づけ、大甘で10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2015-02-07 16:14:38)《改行有》

15.  大魔神怒る 《ネタバレ》 私はこのシリーズをテレビで見た世代です。そして初めて見たのは小学生の頃、この2作目でした。1作目はもっと年齢が高くなってからです。皆さんのご意見の通り、1作目のほうが私も「知的」には名作だと思い、その旨、レビューにも投稿しているのですが…、私の場合は、この2作目が最初だったものですから、1作目を見たとき「顔が変わるときのポーズが違う…」「伊福部昭さんのBGMも何となく違う…」「磔になった人を障害物として乱暴に倒してしまうんだな…」と実のところ違和感がありました。30年以上経って、ようやく、1作目と共にこの2作目も鑑賞できたのですが…湖から現れた大魔神の顔が変わるときのポーズを見て「そうそう!これが自分の知っているポーズだ!子供の頃、よく教室で真似したよな…」、そして湖が割れて大魔神が歩き出すときのBGMは1作目には流れていなかったメロディーであり「これこそ、自分の心に刻み付けられていた大魔神の音楽だ!」と小学生の頃の感激が一気に蘇ってきました。水に濡れて黒光りする大魔神も1作目とは一味違う魅力があると思いました。磔になった小百合姫(藤村志保さんが初々しいこと!)を丁寧に地面に横たえるシーンや、ラストで湖の底から鐘が響いてくるシーンも記憶の通りで感動しました。今回の大魔神は正確には「大守護神」と言ったほうがよく、そのため、人間の善悪を超えた恐ろしい存在として描かれた1作目を見た方々には確かに物足りないとは思います。しかし、私にとっては「情緒的」に大好きな作品であることは否定のしようがなく、子供時代に刷り込まれたものの大きさに驚きました。    平成28(2016)年8月13日(土)追記:最近「今から50年前の昭和41(1966)年8月13日に当作品が公開された」と気づき、あらためてDVDを観直しました。公開当時はお盆であると同時に、終戦の日の8月15日とも重なる時期であり、まだ終戦の昭和20(1945)年から21年間しか経っていませんでした(若い人達には21年間は長いかもしれませんが、年配の私にとっては、あっという間です)。そうなると【善良な人達のために、悪者を炎と共に滅し、平和を祈って鐘を鳴らす守護神】として描いた当作品は【人間を容赦なく踏み潰す・串刺しにする】といった生々しい表現の多かった第1作に比べてインパクトは弱くても、いや、だからこそ、公開当時の観客の皆さんには、むしろ受け入れられやすかったのではないか…と思いました。そして湖底から平和を祈る鐘の音が響き渡るラストシーンは【陰ながら見守って下さっているご先祖さま達/戦争で亡くなられた方々への鎮魂】と重なって、観客の皆さんには、真摯に心に響いたのではないか…そんな想像を巡らせながら観ることができました。ちょっと深読みしすぎかもしれませんが…。  さてあらためて採点ですが…第1作は紛れもない傑作であり「1作目ありきの2作目」だとは思いますが、やはり個人的には、当作品もひいきしちゃいます。最初の投稿当時と変わりなく【3部作をまとめて日本特撮映画の古典的名作】と位置づけて10点を献上します。[DVD(邦画)] 10点(2014-12-08 23:37:29)《改行有》

16.  大魔神 《ネタバレ》 私はこのシリーズをテレビで見た世代です。小学生の頃、何故か2作目・3作目しかお目にかかれず、ようやくこの1作目を見られたのは、高校生の頃、しかもちょうど大魔神が動き出すシーンからでした。そのときに率直に思ったのは「ゴジラと同じで、大魔神も最初は正義の味方ではなかったんだ!」ということ。できれば大魔神が動き出すまでのドラマ部分を見たかったのですが、なかなか機会に恵まれず、約30年後にようやく見られました!。想像していた通り、非常に真面目な手堅い時代劇(今の若い人から見ると退屈かもしれませんが…)だと感心しました。ドラマ部分で個人的に敢えて物足りないな…と思ったのは、タケ坊の父親がどうなったのかということ。忠文をおびき寄せるために小源太の代わりに吊るされていたものの、どうやら亡くなってはいなかったようだ…というところまではわかりましたが、その後については描かれませんでした。もちろん、主人公は大魔神だから大勢には影響はないのでしょうが…。大魔神の描写については、皆さんのレビューで語り尽されているので私がここで繰り返す必要はないかなと思います。いずれにせよ、当時の大映が社運をかけて製作しただけあって、作り手の情熱が細部に至るまで行き届いた見ごたえのある名作だと思います。願わくば、伊福部昭さんのBGMをはじめとして音響がステレオになると迫力はもっと増すのでしょうが…そのあたりは想像して楽しんでおります。[DVD(邦画)] 10点(2014-12-08 23:32:28)

17.  キングコングの逆襲 《ネタバレ》  昭和パワー満載の【キングコング対ゴジラ:1962年/以下、対ゴジラと表記します】に続けて鑑賞。左記作品と同様、当作品は見損ねていました。  今回、予備知識として【TVアニメ版キングコング:1967年放送】とリンクした日米合作映画だと知りました。「♪ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホ~!ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホー!大きな山をひとまたぎ、キングコングがやってくる。怖くなんかないんだよ。キングコングは友達さ」…これは【アニメ版】の主題歌の一節です。実は、私にとってコングとの出会いは、このアニメ版(再放送)でした。当時は幼少で、しかも後年、再放送されなくなったため、細かいことは覚えていませんが、アニメ版のコングは、アメリカ人の男の子と友達であり、気が優しくて力持ち。最終回ではニューヨークで暴れてしまいますが、男の子の活躍で周りの人達に優しさを理解されてハッピーエンド…子供心に「コングさん」と親しみを込めて呼んでいたものです。  そのため、小学生のとき映画館で観た【1976年版】はショックでした。頭では「アニメ版とは別物」とわかっていても、血みどろで死んでしまう結末は、私の心の中のコングさんをズタズタにしてしまったのです。後年【キングコング2:1986年】が公開されましたが【興行上の理由で、無理やり製作した】という印象をぬぐえず、鑑賞の対象外。大人になり【猿人ジョーヤング:1949年】を観て、心は救われたものの「ジョーはコングさんではない…」という思いは残っていました。  そして今回、当作品を観たわけですが、さて、結果は…  まず、テーマ曲が終わった後の【前置きとしての潜水艦内での場面】がとても短い(後で計測したら約2分)。すぐ北極の秘密基地に場面が変わりメカニコング登場。さらに南の島へ…とテンポ良く展開し、キングコング登場!。しかも気が優しくて力持ちのコングさんではありませんか!。ヒロインのスーザンともすぐ理解し合えて、私は一安心。それだけに、メカニコングとの決戦前の「戦っちゃダメ。あれは生き物じゃない、機械なの。勝てないわ」というスーザンの台詞には、内心『このコングさんも、結局、死んじゃうの?』と不安になり…ラストでは『やっぱりコングさんは、僕らの王者・世界の王者(主題歌のフレーズです)だ!』と大喜び…と、すっかり幼少時の気持ちに戻って熱中してしまいました。  さて、このままでは、あまりにもお子様の感想のため【大人目線】で観直しました。  まず、特撮は、現在は【作り物という前提で、良く出来ているかどうか】という視点で観る必要があるでしょう。その意味で、コング(“さん付け”は控えます)の造形は、今となってはチープですが、それでも顔立ちは【対ゴジラ】を挽回するかのようにバージョンアップ。かつ、当時の技術なりに表情を変化させ、コングの喜怒哀楽を表現していたと思います。勿論、表現には、スーツアクター中島春雄さんの演技によるものも大きいと思われます。  次に、本編(ドラマ)は【対ゴジラ】と異なりコミカルではないものの、けっして暗くもなく、重苦しくもなく、とても観やすかったですし、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ドクター・フーとマダム・ピラニアは魅力的でした。なお、当時の女性悪役について、私は『男性悪役の行動に疑問を感じ始め、主人公達に味方をして命を落とす』というイメージを持っていました。ちょうどTVシリーズ【仮面の忍者赤影:1967~68年】の【金目教編】に登場する“闇姫”がそうだったように…そのため、ピラニアの最後は【定石通り】とはいえ、切なかったですね。  さらに、ゴロザウルスが泡を吹いて絶命するシーンには「確か円谷英二さんは、子供達に配慮して、怪獣の流血を避けていたんだよな…」と思ったのですが…後でコメンタリーを聴くと「アメリカの製作サイドから血を流すよう要求されたが、円谷さんは信念を貫き、泡にした」と知り、感動しました。一方、本編のドクター・フーの最後は、口から血を吐くシーンになっています。コメンタリーでは解説されませんでしたが、本多監督がアメリカ側に譲歩したのかもしれません。それでも【白い波を被せて映像を和らげるよう配慮している】と、私は感じました。これらは【新しい表現を追求するあまり、残酷描写にエスカレートする】よりも【良識ある作家性】が反映されているのでは…と思います。  さて、採点ですが…一般には6~7点でしょうが、私にとって【コングさんを生き返らせてくれた作品】です。大甘ですが【オリジナル版あっての…】という1点のみを差し引き、本多・円谷コンビの【コングへの愛情】に溢れた良作として9点を献上させて下さい。 *【キングコング対ゴジラ:1962年】は、別途、レビューを投稿しています。[DVD(邦画)] 9点(2020-10-11 19:16:20)(良:1票) 《改行有》

18.  くるみ割り人形(2014) 《ネタバレ》  ↓の【movie海馬さん】のレビューを拝読し、レンタル店でDVDの【1979年:HDリマスター版】及び【21014年版】の両方を取り寄せて鑑賞。  実は、2014年当時、仕事に忙殺されていたからなのか?このリニューアル版のことは全く知りませんでした。これを機会に観ることができ、良かったです。このレビューでは【1979年版】で書ききれなかったことも含めてお伝えします。映画での【用語】も、【1979年版】のものを使いますが、悪しからず…。  まず【1979年版】を鑑賞し、感激した上での【21014年版】だったわけですが…リニューアルにあたっての【変更点】を、以下のように予想してから鑑賞に臨みました。  「声の出演は仕方ないとして、おそらくBGMも総入れ替えだろうな…。70年代のポップス調を加味した音楽は、当時は最先端でも、映像に比べ、観客からは急激に古びた印象を与えてしまうだろうから…」  「森下洋子さんによる【バレエのシーン】や、昭和の芸能界を彩った有名人の方々の“声の応援出演”による【名士達のシーン】は、カットだろうな…。現在の子供やその親御さん達が観ても『あの森下洋子さんが出演してくれたんだ!くるみ割り人形と言えばバレエとは切り離せないものね』『あの大橋巨泉さんが!この声はひょっとして坂上二郎さん?!…そうそうたるメンバーが声をあてているな~。しかも、ぞれぞれの話術と人形の動きがよく合ってるじゃないか!』といった感激や面白さは、沸いてこないだろうから…」  「お菓子や果物の妖精達が、チャイコフスキーの音楽に見事にシンクロして踊る【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】は、約6分間もある力のこもった場面だったけど、途中に出てくる【ハロー・キティ】のデザインが、現在とは違うから、ここもカットかな…少しは残してほしいけど…」  実際に観て、あまりにも予想通りでちょっとビックリ。率直な感想は、サンリオ創始者・辻信太郎氏の「これだけの力作を忘れさせてなるものか!何としても若い世代に伝えたい」とでもいうような【執念】を感じたことです。増田セバスチャン監督は「現在のお客さん達に観てもらうには、どこを削り、どこを補正するか」という観点で、辻信太郎氏の期待に十分、応えたのでは…と思います。  また、クララを始めとするキャラクター達の【声の出演】は、思ったほどには【1979年版】のイメージを損なっていないように私は感じ、とりあえず一安心。まあ、広末涼子さんの【マウゼリンクス夫人】は、この際“脇”に置いておくとして、配役について個人的な思いを加えると…【ドロッセルマイヤーおじさん】の顔立ちは【1979年版】の【西村晃】さん、【フランツ】の特に目元や口元が引き締まったときの顔つきは、同年版の【志垣太郎】さんそのもののようだと、あらためて実感しております。【市村正親さん/松坂桃季さん】には申し訳ないですけど…。  なお、【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】の前振りでもある【森下洋子さんと清水哲太郎さんのバレエシーン】はどのように補うのだろうと思ったら、代わりに【一対の雌雄の蝶々から始まって様々な生き物に“愛”がつながっていく】というものでした。映像の雰囲気は、NHK【みんなのうた】に流れそうな印象を受けましたが、まあ、こんなもんなんでしょうかね…。その後【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】が、幾分かですが流れたことに安堵しました。  ところで、これは観終わってからですが…DVD特典の宣伝映像では「極彩色ミュージカルファンタジー」と銘打っていましたけど、これってミュージカルでしょうか?【ミュージカル】の厳密な定義は知りませんが、少なくとも【歌】が少なすぎなような…きゃりーぱみゅぱみゅさんの歌は、あくまで【エンディングソング】なので、別扱いでしょう。もっとも、“商業的な都合”で、このように宣伝せざるを得なかったのかもしれませんが…。  さて、採点ですが…上述の通り、辻信太郎氏の【執念】と、その期待に応えた増田セバスチャン監督を始めとするスタッフの皆さんへの敬意を表する一方、あくまで【1979年版】があってこその作品という意味で9点とさせていただきます。ただし限りなく10点に近い9点ですので、監督さん・スタッフの皆さん、ご容赦ください…。  この【2014年版】を観て、少しでも【1979年版】を観て下さる方々がいらっしゃれば幸いです。因みに、私が観た【1979年版】のHDリマスター版の画質は、十分、鮮明でした。【2014年版】は「極彩色」と銘打っていたこともあり、色彩の“彩度”を強調加工していましたが、見比べさえしなけば、【1979年版】も、十分、色鮮やかだと思います。[DVD(邦画)] 9点(2020-06-07 17:40:29)《改行有》

19.  ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間― 《ネタバレ》  私はかつて【ぴあ・フィルムフェスティバル】や【イメージ・フォーラム】で、自主映画や実験映像を数多く観ました。その結果、これら【映像作家志向の人】と、【一般の人=役者さんの演技・ストーリー・脚本・キャラクターなどに焦点を当て、“劇”映画として観る人】とでは「面白い・優れている」の視点が全く違うことを思い知らされました。  その意味で、当短編劇場は【劇映画】と【実験映像】の中間的な印象。起承転結があって観やすかったです。物語の展開は、皆、予想がつきましたが、それぞれ映像表現が素晴らしく、没入できました。特に「サムライエッグ」は“個人的な事情”から、感情を揺さぶられました。以下、各作品の感想を明記します。  ●「カニーニとカニーノ」は、宮崎監督から継承した画風による王道アニメ調。【借りぐらしのアリエッティ:2010年】を彷彿とさせる【小さな生き物たちの視点からの世界】をはじめ【水面及び水中を漂う浮遊物】など、ディテイールの表現の豊かさが素晴らしかったです。映像化にあたって、おそらく実際に沢へ出向き、ときに水中を覗き込み、ときに水槽で生き物たちの生息場所を再現して…というような、米林監督らスタッフの皆さんの試行錯誤が目に見えるようでした。そしてクライマックス。モンスターのように描かれた川魚(多分、イワナ?)、絶体絶命の危機、そして「やっぱり鳥って“恐竜の生き残り”なんだな」と思えるサギの描写は、劇場の大画面で観たかったかも…。それにしても、アリエッティの発表当時から感じていましたが、米林監督は、まさに“ディティール表現の作家さん”であり、長編よりも、こうした短編でこそ、本領を発揮できるのでは…と、思いました。  ●「サムライエッグ」は、【食物アレルギー ━ アナフィラキシーショック】に関するもの。この【食物アレルギー】の題材にふれるたびに、私は、1980年代後半に報道された【給食のおそばを食べた結果、そばアレルギーによるアナフィラキシーショックで亡くなった小学生の男の子】のことが頭をよぎります。そのため、冒頭の病院のシーンから、胸が苦しくなりました。しかも、その後に描かれるのは、主人公・シュン君の学校生活とお母さんを中心としたご家族の心遣いの日々。楽しいはずのお誕生会やお祭りが常に死と隣り合わせ…因みに、私の子供の同級生の男の子も、様々なアレルギーのため、給食とは別に、お母さんが毎日、お弁当を届けていました。その男の子は今、立派に成長していますが、本人やご家族の日々のお気持ちはどのようなものだったか…そのため、高畑勲監督から継承したであろう、百瀬監督による【水彩画タッチのしっとりやわらかい映像で、リアルに淡々と紡ぎ出される日常描写】の一つ一つに対し、私は、上記の同級生の男の子のことが重なり「シュン君、そうだよね…お母さん、そしてお父さん、そうだよね…」と、込み上げてくる感情を必死でこらえながら観るはめになりました。そして、突然、襲ってくるアナフィラキシーショック…次々と沸き上がってくる身体の変化の表現は、シュン君の心までも映し出しており、まさにアニメならではと感じると同時に、非常に怖かったです。シュン君が助かり、立ち向かう決意をし、無事に同級生たちと自然教室(河口湖)へ行けたエンディングに至り、ようやく私の気持ちも晴れました。  ●「透明人間」は【周りから見えないことで、反社会的な行動をエスカレートさせていった2000年発表の某アメリカ映画】とは対照的な作品。周りから存在を認識されない孤独・空虚さ、そして【上下左右・天地の高低差の移動を通じ、この世から消えそうな状況から必死でもがくように留まろうとする心像風景】を描写した、山下監督による映像表現は、これまたアニメならはでしょう。赤ちゃんの救出を機に、【実験映像】的な暗く歪んだ映像から、ジブリやポノックらしい色彩豊かな映像へと転換した演出には、ホッとしました。比べるのは野暮でしょうが、上記の某アメリカ映画のように【何かというと“アクション”の名のもと、暴力・殺人・流血シーンを“迫力ある映像”として売りにする作品】に懐疑的な私は、ポノックの皆さんには、是非、暴力路線に堕さないよう、否、これらを浄化するような映像作品を作り続けてほしいと思います。  さて、採点ですが…3話とも15分程度だから良かったのであって、長編なら中だるみしてしまったことでしょう。短編だからこそ可能な映像表現の強みがあると思います。他のレビュアーさん達と同様、是非、この【短編劇場】はシリーズ化してほしいです。個人的には10点にしたいところですが…【起承転結のある“劇”映画の体裁をとる以上、観る人によっては、物足りなさを拭えない】という点を差し引き(それでも大甘で)、9点とさせていただきます。[地上波(邦画)] 9点(2019-09-23 18:17:26)(良:1票) 《改行有》

20.  怪獣大戦争 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と共にDVDで観たので投稿します。  私が当作品を初めて観たのは小学生のとき。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】の放送の翌日もしくは翌週に観たと思います。その後も放送されるたびに観ましたが、私の中では【三大怪獣…:以下、前作と表記します】とセットになって覚えている作品です。  以下、小学生当時に印象に残っていた場面と今回の再見での感想をお伝えします。  まず、オープニングのテーマ曲は、小学生当時から印象に残っていました。ずっと当作品用のオリジナル音楽だと思っていたのですが…後年に第1作目のゴジラ(1954年)を観て、↓の【アンドレ・タカシさん】と同じように、実は1作目で使われていた曲だと知りました。しかし、多くの方々がこの曲を聞いたとき、当作品を想起するのでは…と思います。そして「ボリュームを最大に上げて鳴らしていただきたいのです」という緊急放送と共に始まるクライマックスで、再び、この曲が流れます。小学生当時からワクワクしたものですが…それだけに【シン・ゴジラ:2016年】のクライマックスで、この曲が流れたときには、グッとこみあげるものがありました。今回の再見でこの曲を聞いたときは【ワクワク】と【グッ】の両方を体感させていただきました。  次に、エックス星で、ゴジラ・ラドン・ギドラが戦い、最後にゴジラが【シェーッ】をする有名な場面について。かつて、私は【シェーッ】を知らず、単に『ヘヘッどんなもんだい!』と得意になっているポーズだとばかり思っていました。後年に知り、ようやく今回の再見で「確かにシェーッだったんだ!」と、記憶と知識を整合できて良かったです。  その次は、正体を明かした波川女史が、ネガフィルムのように変化して消滅してしまう場面について。小学生当時から衝撃的でしたが、今回の再見で、まさに【存在を消し去る】という意味で、流血を伴うよりもセンスのある映像表現だと思いました。そして「あなたの監視役を続けているうちに、あなたは計算(機)以外の人になったのです」と言わしめる波川女史とグレンとの温かい交流が、映画の前半にもう少し描かれていれば、一層、この場面が、悲恋の名シーンとして盛り上がったのに…と思ったりもしました。  さらに統制官の「我々は未来に向かって脱出する!まだ見ぬ未来に向かってな…」は、小学生当時から強烈に刻み込まれていたのですが、他のレビュアーさん達にとっても、良くも悪くも印象深いようで…やはり名(迷)台詞なのかもしれません。  最後に、後半の怪獣登場のシーンについて。かつては気づきませんでしたが、【前作】には、日本の怪獣映画の定番ともいうべき自衛隊と怪獣との攻防シーンがありませんでした。それを盛り込んだ当作品は頑張っている!と思った一方、突風で建物や車が吹き飛ばされる場面には、他のレビュアーさん達もご指摘のように、【空の大怪獣ラドン:1956年】や【モスラ:1961年】からのカットが流用されていました。手抜きと言えばそれまでですが、同じような場面をゼロから作る手間を考えれば、これも一つの方法論と言えるかも…と思いました。ちょっと、ひいき目すぎるかもしれませんが…。    さて、採点ですが…冒頭でお伝えしたように、私にとっては【前作】とセットでインプットされている作品なので、悪い印象は持っていません。ただし、大人の視点で観ると、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り「ギドラを操るほどの科学力があるなら、最初から地球に来てゴジラとラドンを操ってしまえば良かったのでは?」とも思えます。ギドラ自体も“操られていた”という設定だと、【前作】の「金星を滅ぼした凶悪無比の宇宙怪獣」というステイタスが揺らいでしまうかな…ということで、【前作】よりも1点を減じて9点とさせていただきます。  それでも、今回の再見で【前作】と同様、私の中に眠っていた【無邪気なガキの心】を蘇らせてもらい、少し元気になれたように思います。さ~て、今年も頑張ろう!。[DVD(邦画)] 9点(2018-01-11 21:36:41)(良:1票) 《改行有》

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS