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1.  マルサの女 《ネタバレ》 映画は大好きだったけど、この当時邦画って殆ど観てなかったんです。何でしょう、青臭い子供向けのアイドル映画か、カビ臭い年配の人が楽しむものって感じで、アニメ以外に私に合う邦画作品って無いと思ってました。 そんな中登場したのがこのマルサの女。子供向けでも年配向けでもない、とてもスタイリッシュな作風。そのまま当時のバブル期日本を舞台としたリアリティ。脱税という扱っているテーマの重厚さと、それを面白可笑しく、決して悪ノリしない絶妙なコメディタッチな味付け。こんな邦画もあるんだ!!って、本当に目からウロコでした。以降、邦画は殆ど観ないのはそのまんまだったけど、伊丹映画だけは別格として観てましたね。 税務署(&マルサ)と脱税の戦いって、とっても地味なテーマだと思うけど、ヤクザは出てくるけど銃撃戦とか度を越したアクションを入れること無く、しっかりと地味なまま、あくまでリアル路線で押し通した手腕が見事。序盤しっかり港町税務署の日常業務を入れて、身近な脱税のあるあるネタをたっぷり入れて、いわゆるハウツーものとして、観る人の興味を惹きつけるのに半分の時間を割いている。だって亮子がマルサ入るの、映画始まって1時間後だよ?タイトル『マルサの女』なのに。この思い切ったバランスの取り方がもう、伊丹監督すごい。 そして板倉亮子のキャラクター。おかっぱ頭にそばかす。レイバンのサングラスから除く眼光の鋭さ。頭の回転が速い切れ者税務署員。一方寝癖で出勤するシングルマザーで、残業しながら5歳の大ちゃんに電子レンジの使い方を教える、完璧じゃない一面も覗かせる。普通の税務署のベテランおばさんを、総じてとても魅力的な女性に魅せる手腕が素晴らしい。 彼女だけでない、権藤の足が悪い理由は描かれないけど、杖突いて歩く印象的な姿。憎めない悪党のお手本のような人物像が素敵。「俺たち、会う度におめでとう言い合ってるな」バーで亮子とサシ飲みするところの人間味と強敵感、ほんのり生まれる男女の感情。この時のハンカチの、結末での使い方がもう、カッコいいこと。あの印象的なテーマソングと昭和末期の風景と夕焼けの美しさが、何年経っても忘れられない。 花村もマルサの管理課長も、マルサのジャック・ニコルソンも、働いてる大人の男って感じがとっても素敵。それとちょい役でもクセ強めな登場人物が揃ってる。私は特に宝くじの男の高い声のギャップと、ブルブルって首を振る銀行の課長が好き。 私は邦画の、いわゆる“濡れ場”が嫌いだったんだけど、この映画のはどれも笑える。看護婦の乳首を必死に吸うジジイ。「女はここに隠すんだー!」オバサンのM字開脚。スリップ姿で屋根を這うオバサン。「ダメよぉ~、ダぁ~んメ!!」。極め付きはケツに挟まったティッシュ。 『邦画の濡れ場なんて、笑えば良いんだよ』って、伊丹作品が教えてくれた。ありがとう伊丹監督![地上波(邦画)] 10点(2024-01-13 14:28:28)(良:1票) 《改行有》

2.  ルパン三世 カリオストロの城 《ネタバレ》 私の世代のルパンはピンクジャケットでしょうか。でも全然観てなくて、夕方の再放送の赤ジャケが一番馴染みがありました。 夏休みとかの午前中に放送されていた、もっと古いルパンが緑ジャケですね。チャーリー・コーセイの歌が格好良く(子供には可笑しかったけど)、インパクトが有りましたね。 ルパンのTVアニメは当初、ハードボイルドな怪盗&殺し屋という大人向けの作風でしたが、あまりの低視聴率から監督が自主降板。テコ入れで参加させられたのが宮崎監督。大人向けに完成しているルパンというキャラを、視聴率のために子供向けに軌道修正して創り変えられたそうです。健闘及ばず、緑ジャケのルパンは23話で番組打ち切りという結末を迎えました。 再放送で人気が出たルパン。本作公開当時、テレビでは赤ジャケのルパンが放送されていました。赤ジャケのルパンは155話もの長寿番組となり、以降映画やTVスペシャルでは、赤ジャケがルパンの代名詞となっています。 では何故、カリオストロでは緑ジャケに逆戻りしてたのか?宮崎監督はおそらく、自分が育てた(産んだわけではない)不遇な緑ジャケ・ルパンの、最後の大冒険・引退の物語として、本作を創ったんじゃないでしょうか?そうであれば、本作の優しいルパンが、モンキー・パンチ氏の創ったアダルトなルパンとも、コミカルな赤ジャケとも違うことが観えてきます。 最初のカジノでルパン一味は「ざっと50億」もの大金を手に入れます。モナコだから円ではなくフランかな?'79年あたりは1フラン=50円~60円。これはもう一生遊んで暮らせるお金です。泥棒稼業の“退職金”としては充分な金額だったハズ。 だけどルパンは偽札だからって捨ててしまいます。自分たちの“退職金”が偽札だったなんて恰好悪いコトが出来なかったんでしょう。 「次元、次の仕事は決まったぜ!!」カリオストロ公国のゴート札。ここを攻略したって偽札しか手に入らないはず。尻尾を巻いて逃げ出した、駆け出しのチンピラ時代の精算なのか。思い残しを無くすことが、今のルパンが考える“仕事”なのかもしれません。そう考えると、たまたま出会った少女を悪い奴から助ける事も、今のルパンには立派な“仕事”なんでしょう。 派手なベンツから安い大衆車フィアットに乗り換え、100円ライターを使ってシケモクを吸い、カップうどんを食べる。そして何より不二子を“追わなくなった”ルパン。不二子とは実に1年ぶりの再会。 豪勢なもの、精巧な偽札、不二子との縮まることのない男女の関係さえ、今のルパンには宝物では無くなっていたのかもしれません。 カリオストロのダム湖の秘密を暴き、無垢なお姫様と一緒に暮らす未来も掴めたのに、彼女を抱きしめることなく立ち去るルパン。 「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」ルパン三世の長い歴史の中で、クラリスの心ほど価値のあるものがあっただろうか? 「おめえ、残っててもいいんだぜ?」返事をしないルパンが、不二子の収穫、偽札の原盤を見て元気を振り絞る。そして追いかけっこはいつまでも続く… 宮崎監督が育てた緑ジャケットのルパン三世は、宮崎監督の考える最も価値のあるものを盗んだからこそ、このカリオストロの城が最終回なんです。[地上波(邦画)] 10点(2023-05-27 01:23:31)(良:1票) 《改行有》

3.  七人の侍 《ネタバレ》 黒澤監督の全盛期の作品って、実は観たことが無くって(乱と影武者だけ)。何かこう『観る時には正座しなきゃ駄目かな?』なんて、“世界のクロサワ”って冠に自ら敷居を上げて鑑賞。 普通に大人から子供まで楽しめる娯楽作品だったことに驚愕。肩肘張ってたところ、一気に楽な姿勢を取り戻して、戦国末期の世界感を堪能できた。『その世界に入り込める』というのは映画では結構重要な要素で、最近の邦画だと特に演者が番組とかで観る芸能人に見えた瞬間から現実に引き戻される。だけどこの作品では、三船ではなく菊千代、志村ではなく勘兵衛と、まるでこの世界で生きているように思えた。 序盤、言葉の聞き取りにくさは感じたけど、案外慣れてしまうもの。聞き取れない言葉はすっ飛ばしても楽しめるのが娯楽作の醍醐味かもしれない。 二百七分という長時間も、一部:侍集め『侍を七人集める』 二部:準備『侍と百姓の掘り下げ』 三部:戦闘『残る野武士三十三人を斬る』と、綺麗に三部構成に分かれている。それぞれの達成条件が解りやすい。 登場人物の魅力も一際で、平八の薪割りは胴に入っていて、浪人生活の長さを感じさせるし、五郎兵衛の優しそうな笑顔は仕官先を探している浪人(第一印象が大事)らしい。 利吉の女房の表情に息を呑む。目が覚めても慰み者の身は変わらず。現実世界に希望も見出だせない虚しげな表情の美しさ。一転して驚き、恐怖、恨みの笑みに変わる。凄い。ここで初めて味方側にも犠牲者が出るが、最後はとても淡白だ。あんなに魅力的な人物が、何の余韻も残さずに呆気なく死ぬ。娯楽映画とは言え、死の緊張感がある。単身闇討ちを掛ける久蔵が無事帰ってきたことへの安堵と、勝四郎が代弁する魅力。子どもたちが七人の侍遊びをしたら、きっと菊千代役と久蔵役の取り合いだったことだろうな。 魅力的な登場人物と分かり易い物語。よく出来た娯楽映画で、とっても面白かったです。[DVD(邦画)] 10点(2022-05-15 23:21:13)(良:2票) 《改行有》

4.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》 劇場で2連続で観て以来、TVでやってても観ることなく、今回DVDを買って36年ぶり?に観ました。 やっぱり面白いなぁ。宮崎監督が実力に伴う評価をされてきた時期の作品なので、アブラの乗り具合が違う感じ。フラップターとかゴリアテとか、アイデア満載の不思議なメカを出し惜しみしないところが、才能が溢れてる感じで好き。私は特にオープニングの永遠に穴を掘れるショベルがお気に入り。 宮崎監督の才能だけでなく、当時のアニメーターの実力、久石譲さんのセンス。要塞襲撃のカメラワークとテンポと音楽は神懸かってます。 さて“血湧き肉躍る冒険活劇”については皆さんのレビューをご参照頂くとして、“思春期と成長”について書いてみます。 少年少女の冒険は、なにも宝探しや悪者との追いかけっこだけじゃない。身近な女の子を異性として意識するのも立派な冒険。 おさげアタマに地味なネイビーのワンピースを着た、いかにも幼い少女という出で立ちだったシータ。パズーの服を着て帽子を被れば女の子だとバレないくらい。パズーの家で目覚めてから靴を履くシーンの子供っぽさは、誰も見てないところだけど、彼女のあどけなさを強調するために敢えて入れたんだろう。 そんな子がタイガーモス号に乗ってからは、ウエストを絞って、猫背がちだった背筋を正し、胸を強調してきたからさぁ大変だ。まさに“カワイイは作れる”を実践するシータ。大人の海賊たちも彼女にメロメロなんだから、パズーも溜まったものじゃない。 タイガーモス前と後で、胸に限らず等身から表情まで女になるシータ。当然、わずか3日位の劇中で彼女が成長したのではなく、主人公であるパズーがシータを“同年代の子供”から“異性”として見るようになったからだろう。 パズー目線だけでなくシータの中でも成長が見られるのは、ドーラからキッチンを任されたシーン。汚いキッチンを相手に腕まくりをするシーンから、極端に胸が大きくなる(ように見える)。『さぁ男どもの腹を満たすぞ!』と、彼女の中の女“母性”が目覚めたシーン。 ラピュタに上陸して、シータが腰の紐を解こうとしてると、パズーに急に抱きかかえられた時に不意に出た声。ヘタクソならここは「キャッ!」とか言わせるところを「うわっ」と言わせる。この「うわっ」は、女性が気を許した相手だけに“素の自分を見せる”アレね。当時のアニメのヒロインは普通「うわっ」って声出さないでしょう。宮崎監督と横沢啓子さんの手腕、高等テクニック。その後2人は(一瞬だけ)熱いハグをしてクルクル回りだす。シータの腰に回した手。ボーっと見上げる空にはツガイの鳥(ヒタキ)。あぁもうエッチ。 そして若い2人は滅びの呪文を唱えてしまう。皆さん大好きな「バルス!」。呪文の結果はあの通りだったけど、効果の範囲が分からない呪文を唱える意思の強さ。自分たちだけでなくドーラ達も死ぬかもしれない。もしかしたら世界が滅ぶかもしれない。好きな人を守るために世界を滅ぼしてしまおう。って思える若さが良い。少年に出来るのは世界を救うことでなく、目の前の女の子を助けるので精一杯なんだ。 ラピュタは子供向けのマンガ映画のワクに収まらない青春映画。未来少年コナンのラナと同じ12歳という年齢は、当時の宮崎監督の中の、性の対象/非対象の境界線だったんだろう。最後まで子供の容姿だったラナが、いかにしてナウシカ(16)のような“女”になるか。シータは登場時ラナ(子供)っぽく、映画の終わり頃にはナウシカ(女)っぽくなっている。その成長を安直な色気ではなく、直接的な描写・表現を入れずに一本の映画で表現。 パズーも赤ら顔一つ観せず、真っ直ぐな冒険少年の姿しか観せないから見落としがちだけど、少年少女の大冒険の中に、思春期の異性への思いを織り込んでいるのは、見事としか言いようがない。[映画館(邦画)] 10点(2022-05-03 12:05:13)(良:2票) 《改行有》

5.  幸福の黄色いハンカチ 《ネタバレ》 映画の内容を知らなくても、結末は知ってるって人が多いであろう映画。それなのに何度観ても楽しめる大好きな映画です。 '77年の北海道が舞台のロードムービー。ちょうど映画が撮影された時代に道東に住んでいたのもあって、観る度に懐かしさを感じる。 札幌以外の市町村は、特にここ20年ちょっとで極端に過疎化が進んでしまったけど、当時の地方都市の人の多さ街の賑わいが懐かしい。 3人揃っての旅は3泊4日。網走で出会い、阿寒湖温泉に泊まる。その後足寄あたりの農家、砂川の旅館、そして終着点は夕張。美幌峠を最後に有名な観光地にはほとんど寄っていない。更に陸別でカニを食べた以外、北海道らしいご当地グルメもほとんど食べていないのも、本当の旅らしい。日本中どこでも食べられる“醤油ラーメンとカツ丼”がまた美味そうで… 誰も頼る者のいない土地で、何やかや3人が支え合って一緒に旅をする。鉄也は新しい出会いを求めて、朱実は傷心を癒やすあてのない旅だった。お互い嫌じゃないから一緒にいるのに、ついついがっついてしまう鉄也に、ラケット持って説教する勇作。かつて光枝の気持ちを考えられなかった勇作の説教は“もしやり直せるなら”と、過去の自分に言い聞かせていたのかもしれない。照れ隠しのように「ミットもない」で〆るのは、鉄也への優しさにも思えるし、光枝と会う決心が揺らいでいる不安な気持ちの現われにも思える。 ガタイの良い勇作が、ずっと狭い後部座席に座っているのも、終始勇作の気持ちを表現しているよう。旅が進むにつれ、徐々に明らかになる勇作の過去。妻と暮らした街に近付くほど自信を無くしていく姿。流産した光枝にとった当時の自分の態度。あれだけ腕っぷしが強く男らしい勇作だけど、過去の自分と向き合うのがどれだけ怖いことか。最終日にウジウジして行ったり来たりさせてしまう弱さ。これが勇作の一人旅だったら、あれこれ言い訳をして逃げてしまったかもしれない。そんな勇作を勇気付ける若い二人が微笑ましい。 当たり前のように風にたなびく黄色いハンカチ、それも大量のハンカチがホッとさせてくれる。ここは結末を知っていた初見の時も、また何回再視聴しても、やっぱりジーンと来てしまう。ゆっくりと光枝に歩み寄る勇作。 光枝の顔も見ず、別れの挨拶もしないで走り去る二人もまた良い。勇作はもう大丈夫だって確信して、道端で人目もはばからず熱い抱擁をする若い二人は、歳を重ねて再会出来た勇作と光枝の心の中を代弁しているんだろう。 生ビールより瓶ビールが好きで、居酒屋とかでサッポロ・ラガー(赤星)が出てくると、ついつい嬉しくなってしまうのは、間違いなくこの映画の影響。[地上波(邦画)] 10点(2022-03-21 10:57:16)(良:3票) 《改行有》

6.  千と千尋の神隠し 《ネタバレ》 大好きで何度も観てしまう映画。 公開当時は月に何度か映画館に通っていて、その際に千と千尋のCM(オープニングから両親が豚になるまでの冒頭映像)を観て、『宮崎監督、今度はオカルト映画を作ったのかな?』と、その世界観と、今までとは違う“美少女じゃない”主人公に引き込まれた。この時点でもうこの映画が好きになってた。 過去の経験から宮崎映画は子供連れが多い。今回レイトショーを選んで正解だった、静かに鑑賞できた。 日常の風景から早々に知らない世界に放り投げられる感。ナウシカもラピュタもそうだけど、架空の世界を作らせたら宮崎監督の右に出る者がいないと思う。 日本が舞台なだけに、初めて見るけどどこか懐かしい飲食店街。現実にありそうでない油屋の建物。山形の銀山温泉、群馬の四万温泉、愛媛の道後温泉、台湾の九份…ズバリここです!って場所がないぶん、却ってあっちこっち温泉地や繁華街から、良い意味での既視感が感じられ、日本の文化って、良いなぁって再認識させてくれた。※油屋の湯は沸かしの薬湯っぽいから、温泉じゃないと思うけど、ちょうどこの頃温泉ブームだったね。 八百万の神ってのも良い。見た目が怖かったりするけど、大根やひよこが神様っていう日本古来の神に対する考え方は、最強だったり奇跡を起こしたりの海外の神様と全く違って、発想がほのぼのしてて、穏やかだなぁ。たぶん私の根っこの部分がすごく共感したんだな。 「ここで働かせてください!」「私のことはハク様と呼べ」「おめぇ良くやったなぁ!」建前と本音、上司という存在、職場の友人…遊ぶための小遣い稼ぎのバイトではなく、生きていくために働くこと。私自身が社会に出て間もない頃だってのもあって、温々した学生生活から、突然社会に自分を合わせなければいけなくなった千尋の気持ちがよく伝わった。 初日震えながら知らない部屋の布団に入る千。後日その部屋で肉まん?を食べる千。自分の家じゃないけどホッと出来る部屋になってるのが良かった。そう、休憩室とか食堂とか、会社でホッと出来る居場所って大事なんだよ。 千の気持ちになって物語を楽しんだけど、失敗しながらも自分の力で努力する千と、何も積み重ねてないカオナシ。こういう中身のない大人いるよな…一歩間違えると私もカオナシだ。それと同時に自分の居るべき場所って大事だなって思った。カオナシはひとまず銭婆のもとに行けてよかった。 最後に湯婆婆を「お婆ちゃん」と呼ぶ千尋。退職した怖い上司が、ただのお爺ちゃんになっていたのを思い出した。社会の仕組みはどこも似たようなものでも、会社の関係は所属中だけのもの。あんな怖い湯婆婆も、外から見ればただのお婆ちゃんなんだな。 なんかすっごく話が反れてしまってるけど、仕事で辛い時、ここで頑張ってる意味を再確認したい時とかに観たくなる映画。 で、観た後は温泉行きたくなるんだよなぁ。[映画館(邦画)] 10点(2021-08-09 22:23:50)(良:1票) 《改行有》

7.  家族ゲーム 《ネタバレ》 「…気持ち悪いですよ」「俺だって気持ち悪いよ」不条理ギャグ漫画が流行る以前の不思議なコメディ映画。 郷愁を感じる昭和の工業地帯、団地、街並みの夕暮れの景色がとてもとても綺麗。 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ  夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ  夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 夕暮れ 茂之は吉本と会話するとき、常に薄ら笑い。学校ズル休みの時や、吉本にビンタ返しが決まった時の、したり顔がまた良い。近所の若い奥さんが来てるのにリビングでブリーフ一丁になるとか、いかにも当時の子ども子どもした中学生。 学校ではハラスメントとか気にしない、教師が偉そうにしていた時代。成績の悪い方から答案用紙を返すのは、なんか懐かしくて笑えた。今じゃやれないだろうな。 ブスでバカな浜本はそんなにブスじゃないが、ちょっと知能に問題あるのか?授業中紙袋被ってたり面白い子なんだけど、イジメでやらされてたのかな。当時の自分にはどう見えていたんだろう? 小~中学生は、ブスとか馬鹿とかクソ垂れ流しとか、そういうレッテルを貼られると、事実がどうであれ終わる。卒業まで言われ続けるから死活問題だろう。 ワンカットの合格祝いぶち壊し。父親が茂之は元々頭が良い。だの、私立の吉本が大したこと無いな。だのとデリカシーの無いことを言い出してからの吉本。サラサラのスープにスプーンを無意味にカツカツ打ち付けながらの静かな怒りが凄い。 最後のヘリコプターと昼寝。私も初見時(30年くらい前)、不気味だなぁって感じたけど、そう思った人、結構多いんだな。 当時は「睡眠性の毒ガスで、みんな死んじゃったのか?吉本が暴れてて、警察のヘリが来たのか?」なんて思ってたけど、今回見ても解らなかった。 戸川純が何かしたんじゃないか!う~ん…捻り過ぎて遠くなってる気がする。 死ぬまでにもう5回は見ると思うので、そのうち新しい解釈が浮かんだら書き足します。[CS・衛星(字幕)] 10点(2020-12-17 00:40:20)《改行有》

8.  蜘蛛巣城 《ネタバレ》 これは戦国時代を舞台とした怪談(オカルト・ホラー)映画じゃないでしょうか。この映画から強く感じたのは“恐怖演出の巧みさ”でした。寂しい荒野に建つ『蜘蛛巣城跡』の木碑、野太い声の男性合唱が不気味。木碑が霧に覆われ、巨大な城に変わることで、観ている者を戦国時代に導きます。『乱』でも圧巻だった重さを感じさせる城。騎馬武者が駆ける力強さ。足軽の走る音。黒澤監督の描く戦国時代表現は、今観ても臨場感がありますね。 冒頭部分の合唱は、鷲津と三木が蜘蛛手の森で迷った際の、老婆の枯れた声の独唱と対になっています。予言を残し、忽然と姿を消す老婆と小屋から、不気味な怪談話へと誘導されていきます。藤巻が自害した“開かずの間”の、血の跡の生々しさ。時鳥の鳴き声。浅芽の歩く衣擦れの音。 この、映画館(私は部屋だけど)から戦国時代へ、更に怪談の世界へと誘導する演出が見事です。 物語を極力単純にする(それでいて飽きさせない)ことで、観るものに余計なことを考えさせない。=現実に引き戻させない。黒澤監督は映画を観るものを、自然とその世界に入り込ませる技術に秀でていると感じます。 終盤、戦に備える両陣営の豪華さと、鷲津の演説に盛り上がる戦演出。鳥の大群が場内に入る不吉な空気と、気が狂った浅芽の怪演出。 最後は娯楽映画として、きちんと驚かせてくれました。有名な無数の矢衾の画は圧巻です。 鷲津の最後は、戦のいち場面でありながら、観るものに恐怖を感じさせ、蜘蛛手の森が動くのは、鷲津の目には怪(道理がない話)でありながら…。凄い。 本作では『“戯曲”に“能”を取り入れる』試みがされていて、開かずの間で密談する場面、鷲津と浅芽の、能面のような、まばたきをしない演出が映えます。 後年の黒澤映画では、役者の顔に寄らない、いわゆる“引き”の画が多くなるため、何か『芸術作品を観せられている』感が強くなってしまったように感じたけど、白黒映画時代の黒澤作品は“娯楽映画”として、単純に楽しめます。 今回DVDで鑑賞。字幕があることで台詞の理解が補強されました。[DVD(邦画)] 9点(2024-02-17 11:44:01)《改行有》

9.  生きる 《ネタバレ》 そのうちDVDを買おうと思っていたところ、BSで放送されて有り難く視聴。'50年代初期の日本の風景。戦後間もない、まだ簡素だけど生き生きと賑やかな町並みが、観ていて楽しい。 課長職で、立派な家に息子夫婦と住み、家政婦も居る。傍から見れば羨ましい限りの生活。病院で死を悟り、家に帰り、仕事に行くため目覚ましをセットする。もう死ぬのに、何で仕事を続けないといけないのか? 心のなかで何度も『光男、光男…』と叫ぶ様子がまた切ない。これからどう生きていけば良いのか。愛する妻に先立たれ、まだ幼かった光男を育て上げることは、渡辺の生きがいに違いなかったろう。今では光男も既に結婚し、西洋かぶれのベッドにガウンと、夫婦で好きなように生きている。一人息子からも必要とされていない今の現実と、死ぬことを言い出せない冷え切った親子関係。 志村喬の目の輝きがとても印象深い。働いて“死骸と一緒”の時は輝きのない目をしていて、死を受け入れて、どう生きるかを模索しだしてから、目が輝く。やせ細る顔と対象的に、生きることへの執着を表すようなギラギラした目。 まず飲む打つ買うと、今までと真逆の生き方をしてみる。残りの人生を自分のために使ってみる。ピアノ伴奏で歌いだす“ゴンドラの唄”。暗い歌が場にそぐわないのはもちろんだけど、どんどん伴奏とズレていくところが、娯楽では満たされない虚しさを感じさせる。暗い空気のタクシーの中で、娼婦が歌う“カモナマイハウス”。帰る家(家庭)など無い渡辺と、心情を察して涙ぐむ小説家の対比が見事。 小田切くんに靴下を買ってあげよう。一緒に遊んで、甘いものもご馳走しよう。残りの人生を若い女との時間に使うと思わせておいて、人が喜ぶ姿に生きがいを見出したんだと気がつく流れがテンポが良くて伝わりやすい。パタパタ跳ねるうさぎのおもちゃと「こんなものでも、日本中の赤ん坊と仲よしになれたような気がするの」そうか、目の前の人を喜ばせるだけじゃなんだ。という気付き。「やる気になれば!」「ワシにも何か出来る!」遂に生きがいを見つけた渡辺の後ろから“ハッピーバースデートゥーユー”。 本作の主題である、渡辺が『生きる』姿を観せず、通夜の席に飛ぶ流れは、今の目で観ても思い切った手法。全てが終わってから振り返る手法は『市民ケーン』のアレンジなのかもしれないけど、その後の職員たちの気持ちの変化が、当時のお役所仕事の風刺として印象深い。また『素晴らしき哉、人生!』とは異なり、自ら、あの状況で気が付き、出来ることをやりきった渡辺の姿は、映画の中のお話に終わらせず、どんな人にもやる気を湧かせたんじゃないだろうか。 ブランコで一人“ゴンドラの唄”を歌う渡辺の目に、生きていた時のような輝きはない。祭壇の遺影と同じように。公園という自分が生きた証を残し、満足して死んでいったんだろう。 台詞がよく聞き取れなくて、居酒屋で小説家に渡すアレが何か分からず。あと録画したものにテロップが入ってたので、やっぱ字幕の付いたDVD買うか。[CS・衛星(邦画)] 9点(2024-02-03 11:54:59)(良:1票) 《改行有》

10.  タンポポ 《ネタバレ》 『死』のハウツー映画の後に『生』の根幹にある『食』をテーマにしてるところが見事。ショートコントみたいなサブストーリーを散りばめてますが、本作のメインテーマがラーメン。ラーメン歴40年の老人が伝授するラーメンの食べ方。いきなり口に運ぶのでなく、見て、箸で撫でて、心のなかでつぶやく…「何が『後でね』だよ~」って、私までラーメンを食べたくなってしまう。 この、口に運ぶ前に食べ物の情報を味わう事こそが、'80年代半ばから今でも続くグルメ・ブームの基本だと思います。そしてこのブームの最大の火付け役が、漫画『美味しんぼ』と、映画『タンポポ』だったと思ってます。 この2作品がキッカケとなり、「あの店の◯◯が美味い」なんて飲食店の情報がメディアで取り上げられるようになり、単に『美味い・不味い』だけだった味の追求に『何がどう美味いのか?』って理由・根拠が求められるようになり、一億総グルメ評論家となって、誰でも楽しめる娯楽として、お店に点数やランクを付けるようになっていきました。 さて、令和の時代に小説の老人が食べるラーメンを観ると、まるで社員食堂のラーメンだ。あれ?こんなだったっけ?当時は美味そうに観えたんだけどなぁ…このおよそ40年の間に、ラーメンってとんでもなく進化してしまったんだなって思う。言い換えると、この映画が発端のラーメンブームがあったからこそ、今のラーメンがあるんだろう。余談だけど40年前に大人気だった札幌のラーメン屋で、今でも人気なお店って少ないです。当時大人気だった玄咲は閉店。時計台は様変わり。味の三平や純連は頑張ってます。 ラーメンの次に出てくるのが、タンポポが作る朝食。おひつのごはん、豆腐の味噌汁、たまご納豆、ぬか漬けに鯵の開き。これがまた実に美味しそう。この40年で進化したものもあれば、変わらないものもある。食ってとっても面白い。 ここでターボーが言う「母ちゃんの作った料理は美味いからねぇ~。ラーメンも日本一だよね!」ここがもう、この映画の答え。伊丹監督が創った食ブームの答えなんです。 たとえ他人にはどんなに不味くても、母親が自分のために作った料理こそが、最高のご馳走なんだ。って。 やれ、あそこのラーメン屋が美味いだ不味いだなんてのは、お金が動く情報の世界の話だよね。って。 数あるサブストーリーの中で、きっと一番印象に残るのが、死に際にチャーハンを作るお母さんじゃないでしょうか? チャーハンをガツガツ食べる家族。それを見て微笑み、死んでいくお母さん。こんな短時間の物語から、食べることは、生きていくことなんだなって、改めて思わせてくれました。 そして“お母さんの母乳を吸う赤ん坊”で映画は終わる。どれだけお金を掛けたグルメも母親の味は超えられない。 余談だけど伊丹監督の次の作品は“看護婦の乳首を吸う死にかけの老人”から始まるマルサの女。人間の『欲』を扱った映画。 神がかってる。[地上波(邦画)] 9点(2024-01-20 15:51:51)(良:1票) 《改行有》

11.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 八月の末、友だちと長万部町の水柱を見てきました。飯生神社の敷地内から突如吹き上がった、高さ30mもの水柱。「ブフワッ!!ブフワッ!!」と轟音とともに吹き上がる姿は、神々しくもあり、また意味不明なところが、どこか可愛らしくもありました。 突如50日目に止まった水柱。…一体何がしたかったんだろう??50日もの間吹き出し続けた大量の温泉水と天然ガス。あれ、もし吹き出さずに一気に大爆発とかしてたら、大変な大惨事になってたりしないかな?もしかしたら創社250年ほどの飯生神社の神様が、町の住人を救うために、頑張って奇跡を起こしたのかも?…なんて。 さて、映画だけを観た私の解釈書きますね。この映画はきっと、瀧が過去を変える物語ではなく、三葉の未来が変わる物語です。もっと言うと、宮水神社の御神体が、糸守町の住人たちを守るために、めっちゃ頑張った物語。 でもいくら神様とは言え、住人を守りたいからとは言え、郷社か村社クラスの神社の神様なので、彗星の軌道を変えたりは当然無理。人の意識をちょっと変えるくらいは出来るみたい。 巫女である三葉に対しては普通の人よりスゴい奇跡が起こせて、まだ中学生の瀧に組紐を渡したことで、未来の瀧と入れ替わりが起こせるようになった。三葉に瀧の体を通して彗星が落ちた未来(瀧から見て過去)を見せる。だけど三葉だけ未来の大惨事に気づかせても住人は救えない。だからあの瞬間の“奇跡の避難訓練”のために、ちょっとずつ小さな偶然(奇跡)を起こしていったんだろう。 瀧と三葉の連絡手段はスマホのメモ機能。この時代、手っ取り早く自分に電話を掛けたり、名前をモトに相手がフェイスブックやミクシィ(懐)やってないかとか調べるのにGoogle検索も使わない謎。神様ともなると、無意識に通話や検索は使おうと思わないよう、2人を仕向けることくらいは出来たんじゃないだろうか?入れ替わっている間だけ、テレビの情報番組やカレンダーを無意識に見ないようにする、日付と曜日のズレを気にしない(でも口噛み酒を奉納に行く朝、休日なのに制服着てしまうなど、体内時計と曜日のズレが生じてる)など、神様だったらきっと、それくらいは出来るだろう。奇跡って言うより、偶然とか、たまたまとかのレベル。 克彦がオカルト好きで時限式ダイナマイトを仕掛ける知識があったのも、克彦の父がダイナマイトを簡単に盗める場所においてたのも、早耶香が放送部員だったのも、三葉の父が宮水神社の巫女である母(二葉)を愛し、その後神主にはならず、住人が認める町長になったのも、あの日の“偶然という名の奇跡の避難訓練”の下地作りだったように思う。 三葉と入れ替わりが無くなった瀧は、記憶の中の風景を絵に描いて、飛騨まで出掛けて足で探す。スマホの時代になんて原始的な。でも1000歳以上の神様のさせることだから… そして瀧はたった3年前の彗星の事を忘れてるんだけど、飛騨まで行って、町中聞きまわって、3年前の大惨事のヒントも無い…なんて事あるかな?ラーメン屋で「糸守って、まさか、あの彗星の?」ってミキ先輩と司の会話で、記憶を引っ張り出すかのごとく思い出す。というか思い出したのか?ミキ先輩たちも“糸守”って聞くまで思い出さなかったのか?飛騨まで行って?実はここで、大惨事の記憶を刷り込まれてないだろうか?瀧(たち)は大惨事を忘れてたんでなく、知らなかったんじゃないだろうか? …ここ、自分でもあまり整理出来てないけど、2回め観たとき、この3人の飛騨旅行からかたわれ時までくらいが、大惨事があった時間軸に思えた。だからこの時間軸だけには犠牲者名簿とか存在する。のかなぁ?とか。 かたわれ時に2人は出会う。三葉たちにはまだ走り回ってもらうけど、ここでもう神様の奇跡は成就、住民が助かる未来に変化したんだろう。 ここで瀧の過去に彗星の大惨事で死んだ三葉は存在しなくなり、三葉の未来に大惨事が起きた時間軸の瀧は居なくなる。お互いの過去(未来)に存在しないから、お互いの大切な名前を忘れる。 “忘れる”ことと“無かった”ことは違う。瀧が入れ替わってから6年後。三葉が入れ替わってからは、なんと9年も後。すれ違う電車でたまたまお互いの目が合う。きっとこのくらいが、小さな町の神社の神様が、本来起こせる精一杯の奇跡。 点数、ちょっと甘めです。“天気”より上にしたらこの点数に…。ただジブリ以外のオリジナルアニメ映画の将来への期待と、それに見合う成果を残した作品なので、ひとまず。[地上波(邦画)] 9点(2022-11-11 00:26:38)《改行有》

12.  アポロ13 《ネタバレ》 実際の事故を極力忠実に再現するジャンルの傑作。同年代のジュラシック・パーク同様、今まで再現できなかった映像を創ることが出来るようになり、後のCG技術の発展にも大いに貢献した映画だと思う。 CGに頼らない部分(ヒューストンの管制室、アポロ13号船内、シミュレーター、ジムの家など)の作り込みも丁寧で、セットとCGのいわばハイブリッド感の素晴らしさが味わえる。後のCG飽和期の“映像の嘘くささ”が無いのは、CG黎明期のこの時代の作品に多いと思う。 記録映画として淡々とした作品にならず、娯楽性が高いのもこの作品のすごい所で、ちょっとした“味付け”の上手さがとても活きている。 14号搭乗の予定が繰り上げで13号に。13という数字。打ち上げ2日前のメンバー交代。『そういえば今から思い返すと、アレって不幸の前兆っぽいよな』って、きっと後から言われだしたような出来事を、打ち上げ前に畳み掛けるように入れる。 クルーによる船内撮影とそれが中継されてないこと。からの「世界中が見守っています」って野次馬根性丸出しの生中継。実際あそこまでリアルタイムに放送していたのかどうか。テロップや臨時ニュース程度だったかも。 これも実際どうかは解らないけど、大気圏突入から交信復活までの2分近い間も映画的に盛り上げる。 単純に娯楽映画のスパイスをパッパと振り掛けているだけで、素材の面白さ(実際の事故だけに不謹慎な表現かもしれないけど)を充分に引き出している。 ジェームズ・ホーナーの音楽もセオリー通りで、宇宙空間では宇宙っぽい曲を。回収部隊の揚陸艦イオージマが出ると軍隊っぽい曲を。工夫がないと一蹴する事も出来るけど、映画好きの脳にこびり着いた既知の高揚感、不安感、安心感を湧き起こさせる、奇をてらわない演出だと考える。 この映画で観てほしいのは、CGの凄さや映像の目新しさではなく『栄誉ある失敗』と呼ばれたアポロ13号の事故とその生還への努力。ドキュメンタリー番組とは違う娯楽映画としてのアプローチ。映画という媒体が持つ表現力。観るものに伝える説得力。簡単に言えば映画の素晴らしさだろう。[地上波(吹替)] 9点(2022-10-13 11:23:36)《改行有》

13.  ゴンドラ 《ネタバレ》 風景がとっても綺麗なんだ。昭和末期の懐かしさもあるんだけど、「あ、この景色をもう少し観ていたいなぁ」って思ってたら、思いのほか長回しで観せてくれる。そのため、ゆったりとした気持ちで観ることが出来たわ。 初潮が来たのに頼れない母親。話題にもしない親子関係。1人で淡々とナプキンを買い、淡々と水着を洗う無表情の11歳が悲しすぎる。象徴的に視界を遮るブラインド。親子どちらも見たくないものは見ない、2人とも、都合の良いものだけを見るブラインドを持っている。 セリフがないから最初何を考えているか解らない窓拭きの青年と、孤独な少女。2人が出会い、再会し、夜の公園で語り、雨の夜に泊まり、2人きりの旅行へ・・・どう考えたって青年の不満が爆発するとかして、2人とも不幸な結末になることを想像してしまう。 地面に書いた楽譜を消す清掃車。メトロノームの音の奥で夫婦喧嘩。大好きな父親との思い出は、夫婦喧嘩の場面ばかり。夢の中のかがりは黄色のドレス。家庭も学校も現実がイヤすぎて、“もう無理”って意味の黄色信号なんだろう。黄色が象徴的に使われている。 良の優しい言葉に、最初しばらくはツンツンと不機嫌に答えていたのに、段々打ち解けて、良について次々質問するかがり。「青だよ」徐々に心も開いていく。かがりなりのお礼だろうか、良の海の話を絵に描くかがりが可愛らしい。無愛想に現金を渡してた子が、徐々に心を開いていく過程が丁寧に書かれている。グラスの水に広がる青い絵の具も、かがりの安心感や安らぎの現れかもしれない。 高熱を出したときも夫婦喧嘩していた両親。ここでは赤が使われている。母親の服装も赤。かがりの限界を超えたんだろうな。 〜※レビュー数が少ない作品にも関わらず、ここから先はかなりのネタバレを含むので、出来ればこの作品を観てから、読んでみて下さい。〜 東北の田舎で、良のお母さんが作った素朴なご飯をみんなで食べる。「この魚美味しい」こんな事言いそうにない子だと思ったのに。 不安の象徴だった蜘蛛が、ここでは良の実家を守っている。大きい浴衣でニコニコ笑顔。家の中が笑いに包まれて、観てるこちらの心もほぐされる。 山道や海岸を延々と歩く2人の映像。何のドラマも起きない、特にセリフもない時間だけど、すっごく心地よい。おにぎり美味しそう。 これさ、ラピュタ以降のジブリが何度もトライしている、リアル路線の完成形じゃないかな。伊藤監督というのか。長編映画初監督作品で、コレって凄いことだと思う。ノスタルジーの押しつけを感じない自然の心地よさ。 かがりの両親は最後、どうなったのかな。あの建物は何だろう?警察?裁判所?あのベンチの距離から2人の再婚は考えにくいから、かがりの親権を父親に譲ったのかな?って勝手に想像。 スクラップ・アンド・ビルドで建造物だらけの住みにくい都会。田舎を捨てて東京に集まっていく若者たち。廃れた田舎で以前のままの生活を続ける高齢者。若者の居なくなった学校は壊してそれっきり。そんな田舎で壊れたゴンドラを、別の壊れた船の板で直す良は、まるで父親との関係を修復しているようだ。 「もう帰るトコなんて無いの」から「帰りたくないなぁ」に。かがりの気持の変化が、セリフの少ない映像で充分に表現されていたと思う。 そんなかがりに良が送った言葉「どんど晴れ!」。「君が好きだ」とか「ずっと居て良いんだよ」とか「2人で頑張ろう」なんてありきたりの言葉でなく、『めでたし、めでたし。』って意味の方言。素晴らしいセンス、言葉のチョイスだと思う。 チーコを海に還して、かがりの心にも帰る田舎が出来た。だから東京に戻ってもきっと頑張れる。純真無垢な2人に私まで元気を貰えたわ。 さぁ明日から私も頑張ろう。[インターネット(邦画)] 9点(2022-07-29 00:07:43)《改行有》

14.  台風クラブ 《ネタバレ》 初めて観たのは、私が登場人物と同年代のときだったから、自分の延長を見ているようで、なんか嫌だったんだな、きっと。 そもそも相米監督作品とは相性がイマイチだから、今回の再見も何の期待もしてなかったんだけど、それがまぁ、すごい映画だったんだわ。 台風、子供の頃は怖くて仕方がなかったけど、中学生くらいになるとワクワクして待ったっけ。ここ(家の中)は安全だけど、明日になったら外の世界や日常生活が吹き飛んでしまうのではないか?という淡い期待。 教室から見える台風直前の揺れる木々。極端に照明を落とした夕方の職員室の暗さ。学校に取り残される心細さ。壊れていく理性。大人の居ない世界。深夜のバカ騒ぎ。 主人公は三上くんだ。勉強が出来て、女の子にモテて、野球部で彼女も居て、優等生でもありバカも出来る。何不自由無い中学生活を送る三上くん。 そんな三上くんに、身近な大人の梅宮は「お前は15年も経てば今の俺になるんだよ」と言い放つ。「僕は貴方にはならない」と言い返す三上くんの出した結論。「死は生きることの前提」。死んだような大人になるより、今の自分のままの死を選ぶ。あぁいかにも中学生な結論。 翌月曜日の明の話から、三上くんは生きているんだと思う。けど、犬神家やっちゃって、社会的には死んだのかも。 中学生。まだ学力で分けられる前の、雑多な集団生活。まだ子供でもあり、身体は徐々に大人になりつつある。ヒョロヒョロの身体にブラジャーを付けた工藤夕貴ほか主演の子達、子供っぽさを残した彼らがとてもリアルに当時の中学生を演じている。清水の「おかえり」「おかえりなさい」「ただいま」。子供にもそれぞれの世界があることを思い出させてくれる。 思春期に起きる副作用。大人と子供の中間。今でこそ中二病という言葉でくくられているけど、この年代の難しさ、脆さ、危うさは、エヴァ辺りがしっかり描くまで、“そんな時期もあるから”と、適当に描かれていたと思う。 教室越しの揺れる木々は、彼らの内面のざわめきを表現し、職員室の暗さは彼らの将来に対する不安感を描いていたのかもしれない。 私の世代には直球ド・ストライクな、中学時代の“何も経験してないのに妙に悟りきった”こっ恥ずかしい過去を思い出させるトリップ映画。[地上波(邦画)] 9点(2022-03-13 17:28:54)《改行有》

15.  八日目の蝉 《ネタバレ》 -八日目の蝉-というタイトルの意味に色々な説があるようだから、決まった答えはないんだろう。私は“本来は与えられない時間”と解釈した。蝉は八日目を迎えられない。でももし八日目があったら?という意味なのかと。それは希和子にとって、自分が産むことの出来なかった子との時間。薫と名付けるつもりだった、中絶したために産まれて来なかった娘と暮らす時間なんだろう。 誘拐。最初は秋山家への突発的な復讐心からの行動だったろうけど、不倫相手への執着よりも、子供に対する母性が勝ってしまったんだろう。秋山に身代金や何かを要求するでなく、希和子にとって恵理菜は薫となり、掛け替えのない四年間を過ごすことが出来た。 裁判での、まるで秋山夫婦を見下すような感謝の言葉は、娘との“本来は与えられない時間(八日目)”を過ごすことが出来た、希和子の本心と思えてならない。もうそれだけで、あの四年間の思い出だけでもう充分だから、出所後に当時の写真を取りに来た。もとから成長した恵理菜と会うとか、そういう考えは無かったんだと思う。 恵理菜の母親は逆に、奪われた時間が戻ってきた。誘拐されて生死不明の娘が四年後に戻ってきた。これもまた“本来は与えられない時間(八日目)”なのに、こんなに嬉しいことはないハズなのに、失った時間を埋められないまま、空回りした母性。 他の蝉が見られなかった“八日目”が、必ずしも幸せな時間ばかりとは限らない。 そんな二人の母親に育てられた恵理菜。不倫関係から出来てしまった“望まれない子”を自分の境遇と重ねて、堕ろす決意で産婦人科に向かった恵理菜。だけどお腹の子に“八日目”を与える決意をする。生まれ出る前に目覚める母性。記憶の奥底に封じ込められた希和子から与えられた愛情。 永作博美の演技が素晴らしかった。写真館で、顔を上げるあの数秒はホント神がかっていた。薫と過ごせる時間がもう僅かしか無いことを肌で感じている表情。あんな素晴らしい感情表現が出来る女優なんだ。 小池栄子も素晴らしかった。猫背気味で自信なさげに恵理菜の跡を付いて回る姿は、私の知ってるタレント・小池栄子ではなく、安藤千草という男性恐怖症の一人の女性をしっかりと演じ切っていた。 薫ちゃん役の子が「暗いねえ~。怖いねえ~。」って言う言い方が、私の友だちそっくりで・・・彼女私より2つ歳上なんだけどね。 “見上げてごらん 夜の星を”のシーンで泣いた。この歌だったんだ。恋愛や不倫は男と女がするものだけど、その先に女は母性が目覚め母親となる。子を産めなくなった母親に芽生えてしまった他人の子への母性。「その子はまだご飯を食べていません!」あまりに悲しい別れの言葉。とても良い映画でした。[インターネット(邦画)] 9点(2022-01-06 00:43:15)(良:2票) 《改行有》

16.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 公開当時は観客入れ替え制ではなかったので、同時上映のホームズと併せて、2回連続で観た初めての映画。 当時の私の年齢を考えると、内容を充分に理解していたとは思えないが、難しいながらも原作漫画も読んでいたし、映画についても子供向けのアニメじゃない、何かとっても凄いものを観ている気持ちになっていた。私にとって、アニメが子供が観るだけの娯楽じゃないと思えた、何かターニング・ポイント的な作品だったのが、このナウシカだ。 10代の頃は金曜ロードショーで放送される度に観ていたけど、そのうちビデオかLDを買おうと考えて録画はせず、20代以降になると一度鑑賞したくらいで、今回…久しぶりの鑑賞となった。高画質の必要性も感じなくなっているので、BDでなくDVDを買うことにしたんだけど、定価が結構高いので、ついケチって中古で買ってしまった。残念なことに中に入ってる説明書(?)がクシャクシャで…ジブリやピクサー作品を中古で買う時は、前の持ち主が小さな子供の場合があるから、注意が必要だわ。 久石譲さんの重厚な音楽、刺繍のような歴史絵巻。オープニングからなんかもう、感無量。 巨大な“蟲”と呼ばれる生命体。腐海と呼ばれる森。まだ謎だらけの巨神兵。騎士と銃と戦車があり、飛行機を船と呼ぶ世界。「父はもう飛べません」「ゴルが風が臭うと言うとります」セリフから創られる広い世界観。一気に公開当時の頃に引き戻される感覚。 ナウシカという不思議な少女。16歳と幼いけど、設定だとユパ様があの容姿で45歳なので、現代ならナウシカも成人以上の立場だと思う。村人に慕われる優しさを持ちながら、コマンド兵を殺す荒さを併せ持つ。今回観ていて気がついたのは、父が殺されて腐海の植物の研究を止めたこと。村人のため研究していたと言いつつ、内面では父親に対してかなりコンプレックスを持っていたようだ。幼少期に父に王蟲の幼生を殺されたことを、彼女の中でどう処理していたのか。原作や当時のガイドブックをもう一回見てみるかな。 一番好きなシーンは、腐海に落ちるバージを救うため、マスクを外して気持ち良さそうに風を受けるナウシカ。混乱する城おじを一発で従わせる行動力。あんな笑顔を見せられたら、誰だって従ってしまうよ。さすが村の長、ナウシカ凄い。 一方で酷い長がペジテの市長。映画観ていて『本当にコイツがラステルやアスベルのお父さんなのか?2人の父は他にいて(ペジテ王とか)、この人はただの行政の長なんじゃないか?』って思ったくらい。娘を人質(手枷が後のラステルの扱いを想像させて痛々しい)にされ、ペジテを放棄して少人数乗りの飛行艇で逃げて、恐らくまだ市民も残るペジテ市を蟲に襲わせるなんて。しかも最後、生存者を巻き添えに船ごと自爆まで考える始末。エンディングで風の谷がトルメキアとの戦争を回避(クシャナが本国に掛け合ったんだろう。)したのに比べ、なんと独善的で利己主義な人物だろうか。 ナウシカが最後に着たラステルの服(だと思う)。胸のマークは海亀だろうか?ペジテと海亀?…飛行ガメ…関係ないな。最後、生き残ったペジテ市民が風の谷で暮らしてるのに、今回初めて気がついた。そういえば、人間以外で今の世界と共通の生物が出てこないなって思ったら、川にカエルが泳いでた。 王蟲の暴走で明らかに跳ね飛ばされたナウシカが、どうして生きていたのかとか疑問は残るけど、映画は映画で特に不満なく観られるし、血みどろの漫画原作とはまた違った、スッキリした魅力があると思う。 安田成美のイメージソングも全然平気で、当時の予告編を観ていると、むしろこの歌と歌声が好きな私がいるのも、驚きの発見だった。[映画館(邦画)] 9点(2021-12-12 19:25:41)(良:1票) 《改行有》

17.  犬神家の一族(1976) 《ネタバレ》 推理物としてみると伏線とかヒントもなく、かと言って意外性もなく“あぁそうだろうな”って結末。ホラーとしてみるとペンキのような真っ赤な血のりと人形丸出しの死体でショボい。でも、恐い。幼少期の記憶が、この映画を“恐いもの”としてインプットしているんだろうけど、私はこの映画をサスペンスでもホラーでもミステリーでもなく“怪談話”として観ていたんだと思う。 幼少期の夏まつり会場。公園に掛かる橋のたもと。しだれ柳の下に片足のない軍服を着た兵隊が居た。夜だからロウソクを灯して、軍帽を被って下を向き続ける日本兵。足元に小銭の入った空き缶…オバケを見たとかでなくホントの話。'70年代後半に傷痍軍人…の偽物だったらしいけど、怖かったなぁ。そんな時代の子供だから、終戦直後を舞台としたこの映画の出す空気は、四谷怪談とか武士が出てくる大昔の怪談話でなく、いまの私の時代に繋がる身近な怪談話に感じらて、恐くて恐くてマトモに観てはいられなかったっけ。 そんな記憶から、ビビリの私が再視聴したのはごく最近。キッカケはYou Tubeで短い動画を見たんだけど、テーマソングが私の古い記憶をグルングルンと呼び覚ました。そしてデカデカと映される明朝体。あぁ、エヴァはここから…。これは、買うしか無いとDVDを購入。黒い床、重たい壁、綺麗だけど年季の入った襖。寂しい廊下の電気。重苦しい空気を醸し出す和洋折衷の犬神家の屋敷。街の風景と併せて映像の美しさが際立つ。石坂=金田一のフケ、探偵の経費。加藤=警部の粉薬、よし解った!。金田一の乗る車の運転の荒さといったお約束。そして女中役の坂口良子はいちいち可愛くて一服の清涼剤。佐清のあまりに立ったキャラクター。ゴムマスク恐い、焼け焦げた顔も恐い。マスクを被ったあとの口をモゴモゴ動かすのも恐い。湖から伸びる両足のインパクト。これほどの映像美を感じさせる死体の画は右に並ぶものがない。 製薬会社の裏でケシの栽培をして、軍と結びついて一代で財を築いた佐兵衛。これが最大の秘密でなく、地元の知ってる人は知っている暗黙の事実だったこと。犬神家の佐清、佐武、佐智、小夜子。愛人の子・静馬。そして珠世。犬神の屋敷の中で繰り広げられる男女関係。みんな犬神佐兵衛の血を引く子と孫なこと…なんて気持ち悪い内情だろう。 今まで表沙汰にならなかった財閥の内側が、相続で起こった醜い争いとともに、次々と白日のもとに曝されていく。出征が巻き起こした混乱と、今までの閉鎖的な習慣をぶち壊した敗戦。戦争が暴き出したドロドロした系譜の内側と、そこに繰り広げられる人間模様が、オバケなんかよりずっと恐ろしい。[地上波(邦画)] 9点(2021-09-20 15:20:12)《改行有》

18.  ピンポン 《ネタバレ》 もう何回観たか解らないくらい。 だけど漫画もアニメもまだ観てない。きっと面白いんだろうな。でも、大好きな映画の印象を変えたくないんだよな… 毎年、暑い夏の金曜日の夜中に観る映画。私の中では花火大会やお盆の帰省なんかと同じように夏の風物詩の一つになってる。 卓球にそれぞれの自分の思いをぶつける高校生たちを観ていると、高校当時運動部でもなかったくせに、私も何かを頑張ろうと、熱くなれるのだ。 主要メンバーが生涯ベストと言っても良いくらいの演技を見せてくれる。窪塚には不釣り合いと思えるペコのオカッパ頭が妙にハマっていたし、ARATAは内向的で繊細なスマイルというキャラクターのイメージそのまま。 中村獅童の坊主&眉なしドラゴンは恐ろしいくらい威圧感と迫力があった。チャイナの相手を見下した演技と、負けそうなときの焦燥感の落差。 内股の小泉先生とガニ股のおばばの対比も良い。 アクマはペコと話す時、海王の先輩と話す時、退学後の本来の自分。努力したけど実らなかった凡人の表現がとても良く出来ていたと思う。 今年はスマイル中心に観てみた。ポンポコピーが孔に飛ばされたことを気遣う優しさがあるのに、アクマにはズバッと才能がないと言い放つ。 ペコに「なんか疲れる。卓球も人間関係も」なんて本音を言っていたスマイル。最後、一番不似合いな外回りの営業マンになったのか?(※教師なん?) ルービック・キューブを常に弄ってたけど、最後の試合前に6面完成したみたいだ。あれだけ弄くり倒してたのに、6面完成したら興味がなくなって、階段に置いていくのがスマイルという人物なんだろう。だからあれだけの才能があっても、卓球を続けなかったんだな。 スマイルがひたすら走るシーンが好き。夜になって知らない街でふと我に返るシーン。 復活したペコがタムラでひたすら汗だくになって玉を返すシーン。風間が1人ゴム縄でトレーニングするシーンも好き。 シーンにマッチした選曲も素晴らしい。映画で高揚したテンションを維持しつつ、サントラ聞きながら今年もダイエット頑張るぞってなれる。[映画館(邦画)] 9点(2021-07-28 00:10:07)《改行有》

19.  飢餓海峡 《ネタバレ》 W106方式という撮影技法のためか、映像が荒く製作年よりも古い作品に見える。 この方式の影響か解らないけど、軽快で躍動感があるカメラワークが面白い。 トラックが到着して、そこから警官隊がワラワラ降りてきて、そのまま舟に乗り込んで出港までを勢いよく撮り流す。 東京の下町の人混み。そこで客引きをして働く八重。警官が捕物を始め、逃げるタチンボ達。柱に隠れてやり過ごす八重。飲み屋街に逃げる頃にはカメラは屋根の上。後ろを振り返りながら逃げる八重、ゴミゴミした飲み屋街…ここまでワンカット。 こんななめらかに動きのある映像、当時どうやって撮ったんだろう? イタコの話は訛りが強くてよく解らないけど「(三途の川を渡ってしまえば)我が戻る道は一筋もござらい」のように言っている。八重のマネ「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」。イタコを知らない多吉は、その言葉を自分の運命と重ねたんだろう。多吉にとって津軽海峡が三途の川。 共犯の二人は多吉が殺したんだと思う。 帰り際「今度いつ来るの?」と言う八重、戻る道がない多吉。お代の50円とは別に渡した34,000円は、殺した二人への供養の意味もあったと思う。犯した罪を善行で償おうとしたんだろう。その後も善行を重ね続ける。臆病だから罪を認める勇気もない。 樽見と名を変え、自分なりに罪を償って、余生を過ごしていたところに八重が来る。この時の樽見の落ち着き具合は、見ていて多吉とは別人じゃないかと錯覚させる。忘れたい過去の自分を10年も探していた女。衝動的な殺人。 10年前の自供は、もしものときのために前々から用意していた筋書きだろう。 何とか助かる道を模索する樽見に弓坂が見せる舟の灰。善行で罪を償ったつもりでいた自分を、10年も追ってきた人間がここにもいた。 「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」 八重殺しを自供することも、隠し通すこともしない、出来ない。 現世でも地獄でもない三途の川、津軽海峡に身を投げる多吉。臆病な善人らしい最後かもしれない。[CS・衛星(邦画)] 9点(2021-05-28 11:13:29)(良:1票) 《改行有》

20.  Love Letter(1995) 《ネタバレ》 ~Love Letter~恋文。愛を告白する手紙…って甘酸っぺーなーもう。 手紙文化が滅びつつある今でも、たぶん、まだ多少は使われるであろう“手紙で告白”という手段。 時代設定が私の世代に近く、回想シーンの学校風景から女の子の髪型まで、みんな懐かしく思えた。デジカメやカメラ付き携帯が普及するちょっと前って、ネットで検索しても当時の画像とかあまり出てこない。当時の写真とかは、まだそれぞれの家庭のクローゼットに眠っているんだろう。 樹たちの中学時代の描写がとても綺麗。自転車のライトで答案用紙見るシーンなんて、そんな体験が無くても懐かしさを感じさせる。薄氷の張る丘を滑り降りる樹の美しさも忘れられない。 家が国道になる…そうそう、札幌から小樽に向かう国道5号線はかなり危ない道で、昔は冬道の事故が多かったけど、私が免許を取る頃には走りやすく改装された。って聞いた記憶がある。 同じ顔の二人、同じ名前の二人、死んだ人に手紙が届き返事が来る。ちょっとしたミステリーが適度に興味をくすぐって序盤からグイグイ楽しめた。 タクシー運転手の「似ているなぁ…」はあったけど、博子は免許証の写真、卒業アルバムの写真を実際に見てるのに義母に「私に似てますか?」って聞く辺り、博子と樹はそんなに顔が似ているわけではないんだろう。実際に中山美穂が一人二役を演じているが、決して瓜二つとかではなく、二人はきっと空気や匂いなんかが似ていて、樹(男)は、そういう女性を好きになったんだろう。 主役意外の登場人物がしっかり描けているのも楽しい。強烈キャラ及川早苗は、彼女で一本映画が撮れそうだし、家の取り壊しは妥協できても、病院まで走るのは譲らないお爺ちゃんも面白い。 生徒全員を覚えている浜口先生は恩師の鏡。ネットが普及していないあの時代に、生徒のその後(しかも転校している)まで気に留めているなんてスゴい。 漫画やアニメっぽくもあるけど、登場人物のほんのちょっとした厚みが、それぞれの人にも物語や想いがあることを感じさせ、作者が書きたいメインテーマだけ強調した、その辺の物語とは一線を画す。 文通から中学時代の甘酸っぱい思い出を思い出し、実はその人が亡くなっていたことを後から知る。 最後、図書館の本にラブレターが挟まってる?と思ったが、貸出表の裏ってのがすごくイイ。誰も借りない本の裏に込められた想い。 仕事もサボりがち、実家からも出ていかない。日々を適当に生きていた樹の人生、ここから先大きく動き出すんだろうな。[CS・衛星(邦画)] 9点(2021-04-24 15:45:49)《改行有》

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