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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  怪竜大決戦 《ネタバレ》  TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、その埋め合わせのために鑑賞。この目的で最初にレンタル店で取り寄せてもらった【大忍術映画 ワタリ:1966年】は、残念ながら私にとって【赤影】のような作品にはならず、続けて観たのが当作品です。  当作品の脚本は【赤影】と同じ伊上勝さん。監督は倉田準二さんと共に【赤影】を支えた山内鉄也さん。実は、小学生のとき、当作品をTVで2回ほど観たことがあります。ただ、当時の私は【怪獣映画】の視点から「ゴジラや大魔神に比べるとちょっとな…」という認識に留まっていました。しかし【恐竜・怪鳥の…】と【ワタリ】で引きずったやり場のない気持ちはどうしようもなく、再見へと駆り立てられたのでした。さて、結果は…  良い意味で【子供向けの忍者映画】として「こんなに面白かったとは!これぞ赤影に通じる作品だ!」と感激しました。ノスタルジックな主題歌を始め、当時のワイヤーアクションや合成技術を交えた忍術シーンの数々は「これぞ昭和だ!当時の男の子達を忍者ごっこへ駆り立てたトリック映像だ!」とワクワクしました。怪竜(大ガマと竜)の場面も、意外に(失礼…)良かったです。怪竜達の造形は、眼が電灯のように光るなど作り物めいていますが、皮膚感は良好な印象を受けました。城のミニチュアも精巧で壊れっぷりの見事さに感心しました。東宝や大映と違って特撮監督がおらず、山内監督達で試行錯誤して撮ったそうですから、そのことを考えれば素晴らしい出来栄えと思われます。  感激したのはこれだけではありません。  まず、主人公二人がいい!。自雷也ことイカヅチ丸を演じた松方弘樹さんは清々しく、ヒロイン・ツナデを演じた小川知子さんは初々しく…というように、お二人のその後のキャリアを知っているだけに、とても新鮮な気持ちになれました。  次に、悪役もいい!。【赤影】に出演した天津敏さん扮するユウキ・ダイジョウは勿論ですが、それ以上に、オロチ丸を演じた大友柳太朗さんが印象に残りました。大友さんは【ワタリ】にも出演されていましたが、当作品のほうがアクションが多く、最後の負けっぷりも威風堂々としていて、久しぶりに悪役らしい悪役を観た思いです。  また、トリック以外の【絵作り】もいい!。例えば【ツナデと、その祖母・蜘蛛ババが別れの言葉を交わすシーン】は、山の陰影をバックに、二人を際立たせるように撮影した様子が伺えます。子供向けでも手を抜かない作り手の皆さんの誠実な姿勢に感じ入りました。  さらに、時代劇としてもいい!。内容は【仇うち/悪の道に堕ち、師匠を殺めた兄弟子と、それに立ち向かう若き弟子との宿命の対決/悪役である父と、主人公との板挟みに苦しむヒロイン】…と、時代劇の【お約束】がてんこ盛りです。監督の山内鉄也さんは、後年、TVシリーズ【水戸黄門】を手掛けたそうですが、元々【お約束に基づく物語運び】の演出に長けておられたのかもしれません。最後は一騎打ちで勝敗を決っしますが、これは【時代劇の東映】としての誇りのなせるシーンかもしれません。  ところで【大人目線】で考えれば「元・尾形家の領土にもう城は無い。あるのは、これからお前たち領民が創る美しい野や畑だ。健やかに育ち、いい土地を創るのだぞ」というイカヅチ丸の締めの台詞は、↓の【くるきまき】さんのおっしゃる通り、現実的ではないかな…と思われます。きっと隣国の領主が侵攻して来るか、たとえ領民による自治が実現しても様々な意見・利害対立が生じ、それを統制する権力的な存在が現れることでしょう。ただ、当時は、高度経済成長を背景に【国や大手企業による開発で、故郷の野や畑から追いやられた人々のこと/開発の結果としての公害】が社会問題になっていました。その意味では「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という【昔話の締め括りのフレーズ】と同様に『現実にはあり得ないにしても、こうであってほしい』という願いが込められた台詞として受けとめていいのかもしれません。  さて、採点ですが【恐竜・怪鳥…】の反動で、再見当初の感激は10点でした。冷静に考えて①あくまで子供向けであり、大人の鑑賞に堪える同時期の【大魔神三部作:1966年】に比べると…、②オロチ丸が悪の道に堕ちた理由も描かれていれば、アメリカの某スペース・ファンタジー映画シリーズに負けない見応えになっていたかも(笑)…という2点を差し引き、8点とさせていただきます。いずれにせよ、私には嬉しい作品になりました。きっかけを作ってくれたとも言える【恐竜・怪鳥…】を、ようやく肯定的に胸にしまっておけそうです。[DVD(邦画)] 8点(2018-08-16 21:58:40)《改行有》

22.  大忍術映画 ワタリ 《ネタバレ》  TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、今さらながら、その埋め合わせのために観ました。  私も、長年、知識としては「①東映がTV進出を念頭に、漫画・ワタリを映画化。②そのままTVシリーズにしようとしたら、原作者の白土三平氏が映画の作風に激怒したために頓挫。③代わりの原作者として横山光輝氏を招き、TV化したのが赤影だった」と把握していました。その意味で、↓の【伊達邦彦さん】がおっしゃる通り、【赤影のパイロットフィルム】と考え、今回、初観賞しました。レンタル店でDVDを取り寄せてもらって観ましたが、さて、結果は…    確かに、“青影”を演じた名子役・金子吉延さんや、“白影のおじさん”を演じた牧冬吉さんが出演しており、かつ、特撮だけに着目すれば【赤影】を想起させる場面がたくさんありました。しかし「掟の秘密を知った者は始末する」というように登場人物達の命が次々と奪われていくストーリー展開は、断じて【赤影】ではないと思いました。かと言って、それなら【白土三平ワールド】を表現しているかというと…表面的にはシリアスなストーリーであっても、雰囲気は、当時の明朗快活な東映時代劇の作風が漂っており、中途半端さは否めないようにも思いました。  私にとって白土三平氏の作品の映像化と言えば、TVアニメシリーズの【サスケ:1968~1969年】と【カムイ外伝:1969年】です。仮に、これらのTVアニメが先に世に出ていれば、ワタリが東映で映画化されることは無かったのでは…と思われます。一応、【少年忍者 風のフジ丸:1964~1965年】というTVアニメシリーズを東映は手掛けているようですが、この時点から白土三平氏は、原作者として名ばかりの扱いだったようで…。  さて、採点ですが…上述の【恐竜・怪鳥の…】に4点を献上した私としては【恐竜・怪鳥の…】に比べれば、まだいいかな~とは思う一方、他のお二人のレビュアーさん達がおっしゃる通り、白土三平氏が激怒するのも無理は無いと思うので、プラス1点どまりの5点とさせていただきます。  そして、結局は、【恐竜・怪鳥の伝説】の再見に対する気持ちを埋め合わせるという、本来の観賞目的は達成されず、満たされない思いは【怪竜大決戦:1966年】の再見へと続くのでした…[DVD(邦画)] 5点(2018-08-16 21:52:11)《改行有》

23.  恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》  【空の大怪獣ラドン:1956年】を投稿したとき、ちょうど【あばれて万歳】さんが当作品の投稿をされており拝読しました。それを機に、レンタル店でDVDを取り寄せてもらいました。時間はかかりましたが、その間に、他の皆さんのレビューも拝読した上で鑑賞・投稿させていただきました。  当作品が公開されたのは、私が小学校高学年のとき。ポスターの絵は格好いいと思いましたが…女の人が首長竜にくわえられており「この映画には、女の人が食べられるシーンがある」と直感しました。当時は【ジョーズ:1975年】などが流行っており、私は“人間が食い殺される”ということを想像するだけで怖くて仕方がなかったため、当然、当作品についても、映画館には足を運びませんでした。  後年、テレビ東京の午後に放送されたものを、途中(翼竜が町の人達を襲うシーン)から観ました。おそらく、↓の【さくぞう】さんが録画したときの放送では…と思います。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。音楽にしろ特撮にしろ「日本映画低迷期(力作もありましたが…)である1970年代の映画の典型だな」と感じたのです。そして、木の枝で主人公達が繰り広げるラストシーンも「長い・くどい・見苦しい」と、悪い意味で印象に残り「映画館へ行かなくて正解だったな」と思いました。  今回、再見してみて、当作品の【特徴】は、他のレビュアーさん達が言い尽くして下さっていると思ったので、以下、【脱線話】を…。  今回、私は、ムク・ショウヘイを見るなり「あ…TVシリーズ・仮面の忍者 赤影(1967~1968年)の“白影のおじさん”じゃないか」と思いました。上述のテレビ東京の放送を観たときには、既に出番を終えていた(食い殺されていた)キャラクターだったんですね。観終わった後、白影こと牧冬吉さんをはじめスタッフさん達を調べたところ…監督の倉田準二さんと、脚本家の一人である伊上勝さんは【赤影】のコンビだと知りました。きっと牧さんは、お二人から声をかけられての出演だったのだろうと思いました。  ♪優しいおじさん白い影。三人揃って力を合わせ…これは【赤影】の主題歌の3番の歌詞の一部です。ムク・ショウヘイが単なる役柄だったとはいえ、“優しい白影のおじさん”が、あのような最期を遂げたのは、悲しかったです。  年配のレビュアーさんならご存知かと思いますが、【仮面の忍者 赤影】は、残酷描写が皆無の明朗で真っすぐな作風でした。赤影・青影・白影といった忍者達のデザインや繰り出される忍術は、時代考証は横に置き、自由奔放で無邪気さに溢れていました。今から数年前、我が子が幼い時にDVDで第1部(金目教篇)をレンタルして観たのですが、「監督、この忍術のアイディアはどうでしょう?」「お、いいね!やってみるか!」といった活き活きした製作現場が目に浮かぶようでした。一緒に観た子供も夢中になり、しばらく二人で“忍者ごっこ”に熱中したものです(残念ながら第2部以降は、レンタル店から無くなり、観られずじまいとなっております…)。  それに比べ【恐竜・怪鳥の…】は血生臭くアダルトな場面もあり…と、あまりにも【赤影】とは対照的だと思いました。推測にすぎませんが「ジョーズのヒットに便乗して儲かればいいから…あ、そうそう、サービスカットとして女性の下着姿もお忘れなく」といった上役さんからのお達しで、倉田監督達は仕方なく作ったのでは…と思えてなりません。  なお【恐竜・怪鳥の…】の開始22分めに、赤ちゃんを背負ったお婆さんが、昔から伝わる子守唄を歌う場面があります。もし、あのように、その土地に根づいた雰囲気をもとに【赤影】のような作風にしていたら…億単位の製作費をかけたようなので【昔々、湖に潜む“ホオズキのように赤い眼をした竜=実は首長竜”に挑んだ者達がいた。それが現在でも伝説・子守唄として西湖に残った】といった時代劇にするのも可能だったと思います。忍者が登場するかどうかは別にしても、そのほうが、倉田監督達は、伸び伸びと本領を発揮して【ドカベン】との同時上映に相応しい作品になり得たのでは…と思ったりしております。おそらく当作品とは違った意味で突っ込みどころ満載になったでしょうが、ずっと好印象のものになったかと思います。  さて、採点ですが…【赤影】と【恐竜・怪鳥の…】の隔たりは10年です。“お家芸の時代劇の要素を盛り込んだ東映初のカラーのTV特撮番組”という意欲作だった【赤影】から10年の間に、映画会社・東映に及んだ諸事情を象徴する“迷作”が、この【恐竜・怪鳥の…】と言えるかもしれません。率直な印象は2~3点ですが、倉田準二監督・伊上勝さん・牧冬吉さん達に【赤影】で楽しませてもらった感謝の気持ちを込めて1点を加え、計4点とさせていただきます。[DVD(邦画)] 4点(2018-02-22 22:46:04)(良:2票) 《改行有》

24.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】【モスラ:1961年】と共に鑑賞する機会を得たので、投稿します。  ラドンは、小学生のときにTV放送された【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年/怪獣大戦争:1965年】で知り、“ゴジラと互角に戦い、協力してキングギドラを追い払った頼もしい怪獣”という印象を持っていました。当作品は、その後、同じく小学生の間にTVで観たのが最初です(かつて、日本テレビの日曜のPMに“社長シリーズ”など東宝映画をよく放送していた時期があり、その一環だったようです)。さらに1~2回、TV放送を観たと思いますが、初見時の記憶が強烈でした。  そして【三大怪獣…】らと共に約30年ぶりに観ました。以下、①殆ど覚えていなかったシーン、②今回の再見で初めて認識できたシーン、③あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーン、の3つに分けてお伝えします。   まず、殆ど覚えていなかったシーンとは、前半の炭鉱の場面です。メガヌロンが部屋に現れる箇所しか覚えていなかったので、今回の再見でやっと筋道立てて認識できました。そして↓の【S&Sさん】がおっしゃる通り「洋画なら、ここだけで一作品にするのでは」と思うほどしっかり作られていると思いました。おそらく洋画の場合、グロテスクな殺傷シーンを見せ場にするような作風になるだろうと想像しますが…私にとっては、病室に亡骸が運ばれてくる当作品のシーンだけも十分、生々しく感じました。  また、本多監督の真骨頂でしょうか、炭坑で生きる人々の生活感のある描写が見事だと思いました。惜しむらくは「キヨの兄・ゴロウが、我が夫のヨシゾウの命を奪った」と誤解していたおタミさんが、キヨと和解する場面があれば、なお良かったでしょう。こうした【人間ドラマの浅さ】は、他のレビュアーさん達のご指摘の通りだと思います。  次に、今回の再見で初めて認識できたシーンとは、【謎の超音速飛行物体】について各国が放送する場面です。その中に「その飛行物体は、速度・航続距離などから判断すると、ただ1個の物体による被害だとは考えられません。すなわち、北京襲撃11:00、マニラ襲撃11:20…」と“ラドンは1匹ではない”と示唆するアナウンスがあります。私は小学生当時から「ラドンは2匹いる」と思っていましたが、このシーンもその伏線だったようです。  私が「ラドンは2匹」と思ったのは【小鳥の卵が割れたのを機に、ラドンの孵化の記憶がシゲルに蘇るシーン】があったからです。今回の再見でも、小学生当時と同様【帰ってきた大人ラドンの声と共に砂ぼこりが巻き上がり、赤ちゃんラドンが喜んでいる場面】だと思いました。しかし観る人によっては【砂ぼこりも鳴き声も、赤ちゃんによるもの】という印象を受けかねない【曖昧さ】もあると思いました。もし赤ちゃん独自の声を挿入していれば【曖昧さ】を払拭し、福岡の場面で誰もが「思った通り2匹いた」と確信できたかもしれません。  さらに、あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーンとは、ラドンが本格的に登場してからの特撮シーンとエンディングです。  佐世保や福岡での特撮シーンは、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私が詳しく書くまでもないでしょうが…特に突風による破壊シーンは、9年後の【怪獣大戦争:1965年】でも再活用されるほどの素晴らしい出来栄えだと、私も思います。  こうして迎えたエンディング…畳みかけるような阿蘇山への砲撃は、ラドンへの一方的な暴力のようで小学生当時から辛かったです。そして1匹目は噴火に耐えられず落ちてしまい、2匹目も、助けようとして近づくものの叶わず『それなら私も…』とでもいうように身を重ねて炎に包まれていく…このように観た当時の私は【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】でのゴジラとラドンの台詞(小美人による翻訳)を思い出しました。『人間は、我々を苛めてばかりいるではないか』『そうだ、そうだ』…私は「ああ、こういうことだったのか」と、胸を締め付けられる思いが残りました…後年、炎の熱でワイヤーが切れるなど偶然が大きい場面だったと、私も知りました。しかし、今回の再見でも胸に迫る気持ちに変わりはなく、偶然を名シーンに昇華し得たのは、スタッフの皆さんの情熱があればこそだと思います。  さて、採点ですが…上記の通り【人間ドラマの浅さ/2匹いることを示唆する演出の曖昧さ】といった面は否めません。しかし【東宝初のカラーの怪獣映画大作】としてのパワーは十分伝わる仕上りだと思います。【三大怪獣】のまさに“一翼”を担う存在として、【ゴジラ:1955年】や【モスラ:1961年】と同様、大甘だとは思いますが、10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-02-01 22:12:12)《改行有》

25.  モスラ(1961) 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】と共に、当作品も鑑賞する機会を得たので投稿します(なお、勢いで投稿した後に、皆さんのレビューを拝読し、2日後に追加・修正させていただいております。良投票してくださった方、ごめんなさい…)。  当作品は、私が幼稚園にあがるかあがらない頃に、TVで初めて観た【東宝製作の怪獣映画】です。幼い私は「モスラは、ウルトラマンに出てくるヒドラやシーボーズと同じで、悪い怪獣(スイマセン、当時の私はこういう言葉を使っていました)じゃないぞ。悪いのは、あの外国人だぞ。お願いだから、小さいお姉さん達(スイマセン、当時の私は“小美人”という名称が頭に入りませんでした)を、早くモスラに会わせてあげて…」と一生懸命、祈るように観ていたのを覚えています。  その後、高校生の頃にTV放送されたとき(放送用のカット版)は、幼児期の記憶が蘇ったのと同時に「インファント島の人々が石を打ち鳴らして警告する姿などに『もう戦争はたくさんだ』という当時の製作スタッフの皆さんの真摯な願いが随所に込められていると思う。まさに日本だからこそ作り得た力作だ!」と感じ入ったものです。  そして、今回、DVDでノーカット版を観たわけですが、以下、3つの感想を持ちました。  まず、ドラマについて。他のレビュアーさん達と同様、フランキー堺さんのコミカルな演技に好感が持てました。そしてドタバタに脱線せず、真面目な展開を崩さない本多監督のバランスの良い演出に感心し、最後まで飽きずに観るこができました。  次に、特撮について。これも他のレビュアーさん達が語り尽くしておられますが…東京の街並みをはじめ、全て手作りされたミニチュアは大規模で、その労力を考えるだけでも、当時のスタッフの皆さんの熱いエネルギーが伝わってくる思いがしました。それにしても、渋谷界隈は、↓の【カシスさん】のおっしゃる通り、今とは様相が随分違っています。不謹慎かもしれませんが「現在の街並みは、モスラが“通過”した後につくられたのではないか」…そんな連想が頭に浮かぶほど、渋谷での破壊シーンに迫力を感じました。敢えて言うなら、汚れ塗装まで施した渋谷街に比べ、ニューカーク・シティのミニチュアは作り込みが甘い印象を受けました。しかし、提携した外国の映画会社の要請で急遽、作製したものなので仕方ないかな…と思います。それでも、モスラによる突風で無数の車が飛び交う絵作りには抜かり無く、さすがだと思いました。  最後に、テーマについて。今回は【戦争 ― 平和】以上に【一部の人間の欲望のために、多くの人達が不幸になる】という点が印象に残りました。特に「モスラには善悪の区別はありません。私達を島に戻す本能しかないんです」という小美人の台詞を反映するように、モスラは、ただひたすらに小美人を求めて、周囲を破壊しながら突き進みます。その姿を、私は【自然災害】のように思いました。製作当時は想定していなかったでしょうが【一部の国の利益追求のために地球温暖化の歯止めがかからず、その気候変動の巻き添えになる人々】という図式を、今回、連想しました。その意味合いで【平和】を捉え直すなら【国際的な相互理解と協働】といった言葉が今日的なのかもしれません。  さて、採点ですが…上記で言及したテーマほどに深読みしなくても【私利私欲に対し、 善意・良心が勝利する物語】として素直に観られる作品だと思います。【ゴジラ:1954年】が【人間の営みの影や悲しみを描いた傑作】なら、当作品は私にとって【幼児期+高校時代+現在…】と積み重ねた思いのもと【人間の光の部分を(信じたいと)描いた力作】として、対の存在です。私も10点を献上させていただきます。 ━ 備考 ━  幼児期から耳に焼き付けられた「モスラ―やっ!モスラ~♪」の歌声…今回の再見で、小美人を演じたザ・ピーナッツお二人の声量やパンチのある歌いっぷりを、やはり素晴らしいと思いました。後年、モスラは東宝作品に何度も登場し、小美人もコスモスと名を変えたりして多くの女優・歌手の方々が演じています。歴代のモスラ作品を観た各世代の皆さんごとに「この人達の歌声こそ最高!」という親しみがあることでしょう。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:40:38)(良:1票) 《改行有》

26.  怪獣大戦争 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と共にDVDで観たので投稿します。  私が当作品を初めて観たのは小学生のとき。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】の放送の翌日もしくは翌週に観たと思います。その後も放送されるたびに観ましたが、私の中では【三大怪獣…:以下、前作と表記します】とセットになって覚えている作品です。  以下、小学生当時に印象に残っていた場面と今回の再見での感想をお伝えします。  まず、オープニングのテーマ曲は、小学生当時から印象に残っていました。ずっと当作品用のオリジナル音楽だと思っていたのですが…後年に第1作目のゴジラ(1954年)を観て、↓の【アンドレ・タカシさん】と同じように、実は1作目で使われていた曲だと知りました。しかし、多くの方々がこの曲を聞いたとき、当作品を想起するのでは…と思います。そして「ボリュームを最大に上げて鳴らしていただきたいのです」という緊急放送と共に始まるクライマックスで、再び、この曲が流れます。小学生当時からワクワクしたものですが…それだけに【シン・ゴジラ:2016年】のクライマックスで、この曲が流れたときには、グッとこみあげるものがありました。今回の再見でこの曲を聞いたときは【ワクワク】と【グッ】の両方を体感させていただきました。  次に、エックス星で、ゴジラ・ラドン・ギドラが戦い、最後にゴジラが【シェーッ】をする有名な場面について。かつて、私は【シェーッ】を知らず、単に『ヘヘッどんなもんだい!』と得意になっているポーズだとばかり思っていました。後年に知り、ようやく今回の再見で「確かにシェーッだったんだ!」と、記憶と知識を整合できて良かったです。  その次は、正体を明かした波川女史が、ネガフィルムのように変化して消滅してしまう場面について。小学生当時から衝撃的でしたが、今回の再見で、まさに【存在を消し去る】という意味で、流血を伴うよりもセンスのある映像表現だと思いました。そして「あなたの監視役を続けているうちに、あなたは計算(機)以外の人になったのです」と言わしめる波川女史とグレンとの温かい交流が、映画の前半にもう少し描かれていれば、一層、この場面が、悲恋の名シーンとして盛り上がったのに…と思ったりもしました。  さらに統制官の「我々は未来に向かって脱出する!まだ見ぬ未来に向かってな…」は、小学生当時から強烈に刻み込まれていたのですが、他のレビュアーさん達にとっても、良くも悪くも印象深いようで…やはり名(迷)台詞なのかもしれません。  最後に、後半の怪獣登場のシーンについて。かつては気づきませんでしたが、【前作】には、日本の怪獣映画の定番ともいうべき自衛隊と怪獣との攻防シーンがありませんでした。それを盛り込んだ当作品は頑張っている!と思った一方、突風で建物や車が吹き飛ばされる場面には、他のレビュアーさん達もご指摘のように、【空の大怪獣ラドン:1956年】や【モスラ:1961年】からのカットが流用されていました。手抜きと言えばそれまでですが、同じような場面をゼロから作る手間を考えれば、これも一つの方法論と言えるかも…と思いました。ちょっと、ひいき目すぎるかもしれませんが…。    さて、採点ですが…冒頭でお伝えしたように、私にとっては【前作】とセットでインプットされている作品なので、悪い印象は持っていません。ただし、大人の視点で観ると、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り「ギドラを操るほどの科学力があるなら、最初から地球に来てゴジラとラドンを操ってしまえば良かったのでは?」とも思えます。ギドラ自体も“操られていた”という設定だと、【前作】の「金星を滅ぼした凶悪無比の宇宙怪獣」というステイタスが揺らいでしまうかな…ということで、【前作】よりも1点を減じて9点とさせていただきます。  それでも、今回の再見で【前作】と同様、私の中に眠っていた【無邪気なガキの心】を蘇らせてもらい、少し元気になれたように思います。さ~て、今年も頑張ろう!。[DVD(邦画)] 9点(2018-01-11 21:36:41)(良:1票) 《改行有》

27.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》  昨年末に、あるレビュアーさんが当作品を再投稿(変更レビュー)されていたのを機に、全員の方のレビューを拝読しました。その結果、無性に観たくなったので、DVDをレンタルして観てみました。  実は、私にとって初めて観た【ゴジラ映画】が当作品です。当時、私は小学生。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。その中で観て、すっかり夢中になりました。ドラマ部分で言えば、王女の「私は金星人」、進藤・兄の「私は日本の警察官。あなたのボディーガード!」という台詞が記憶に残りました。  その後も、放送されるたびに観たものですが、ここ30年ほどは観る機会もなく歳月が流れました。また、↓の【へちょへちょ】さんがおっしゃる通り、赤ひげ(黒澤明1965年)の製作が遅れたために急遽つくられた【埋め合せ作品】ということも、私も近年に知っていました。  そして今回、再見したわけですが…  まず、印象に残ったのは【埋め合せ映画】とは思えない熱の入れようだと思ったことです。単なる【埋め合せ】なら、大半を既存のフィルムをもとに再編集した作品を公開する選択肢もあったはずです。確かに構想に3年かけたと言われる【モスラ:1961年】に比べて、市街地のミニチュアは小規模であり、自衛隊との攻防シーンは皆無、しかも決戦の舞台が富士の裾野なのは、製作が短期間だったことを物語っているように思います。しかし、それはあくまで“見比べたら”の話。キングギドラという新怪獣を創造した時点で「時間などの制約はあっても、決して安直な作品にはしない!」と宣言して製作を始めたのも同然だったのでは…と思いました。  そのギドラについて言えば、現在では「ギドラが金星を滅ぼした理由が描かれていない」と批判されそうですが…そんな理屈抜きに、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ギドラが威風堂々として格好いいです。ゴジラ達を弾き飛ばしたりする姿は、まさに凶悪無比の宇宙怪獣!これこそキングギドラの真の姿だ!と私の中に眠っていた【ガキ】の心が蘇りました。ギドラの設定からも分かるように、核の警鐘といった従来の重々しい路線から離れて娯楽に徹した【冬休み・お正月映画】に相応しい作品だと思いました。  またドラマについても特撮同様に手を抜かず【進藤・兄:王女の探索と護衛】【進藤・妹:預言者(王女)と小美人の保護】【村井助教授:隕石調査とキングギドラの登場】の3つが、クライマックスに向けて一つにまとまっていく構成は、あらためて上手いと思いました。なお、個人的には、前半の、進藤宅の居間でのやりとり=兄をからかう妹→怒って妹を掴む兄→「おかあちゃ~ん」と言う妹→「およしよ、2人とも、いい歳して」と諫める母親…という何気ない日常シーンに非常に親しみを感じました。本多監督の怪獣映画では、こうした生活感や温かみのある描写が伝わってくるものが多いように思います。     さて採点ですが…当作品が公開された1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが秋に開催された年だとあらためて気づきました。当時の日本全体に溢れていた勢いとエネルギーが当作品にも反映されていたのかもしれません。製作の追い込み時期は、まさにオリンピックの真っ只中だったでしょうから、スタッフの皆さんは「今、オリンピックで日本勢が大検討している。我々も負けずに良い作品に仕上げよう!」「我々が頑張れば、きっとオリンピックでも日本勢は勝てる!」と活き活きと取り組んでおられたのではないか…と想像したりしています。  このようなわけで、一般的な感覚でなら7~8点の作品かもしれませんが、昭和のエネルギー満載の元気が出る映画として、大甘で10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:32:40)(良:2票) 《改行有》

28.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》  当作品の公開時、私は高校生でした。原田知世さんの大ファンだったクラスメートが観に行き「大半の観客は、同時上映の【探偵物語:薬師丸ひろ子さん主演】が目当てで、当作品の上映中は苦笑・失笑ばかりだったけど、俺は応援するような気持ちで観たぞ。内容や雰囲気など作品自体も良かったぞ」と熱く語っていたのを覚えています。  しばらくしてTV放映されたので観たのですが、私も好感を持ちました。全編にわたるノスタルジックな雰囲気をはじめ、それまでの大林監督作品の【ハウス:1977年】や【ねらわれた学園:1981年】などに典型的なギャグ要素(そのセンスに私はついていけなくて…)が皆無の作風に安心しました。若手俳優さん達の演技は、確かにお世辞にも上手いとは言えませんでした。しかし既にそれまでの評判でわかっていましたし、特に【実写映画版・火の鳥:1978年】から知っていた尾美としのりさんの喋り方からは「主演に合わせたのか、それとも作風に合わせたのか、演出で意図的に棒読み調に統一したのかな…」という印象を受けたので、私は気にしませんでした。また、数々の台詞についても【1970年代の青春ドラマ・スポ根ものの台詞や演出を“くさい”とお笑いのネタにする】という当時のTVバラエティーの風潮に懐疑的だった私は、逆に真っすぐな気持ちで受けとめました。  その後も、深夜放送等でたびたび観ていたのですが、今回、某ローカルTV局でノーカット放送していたので録画し、20数年ぶりに再見しました。さて結果は…。  まず、障子に映るシルエットで表現されたオープニングタイトルからして「単なる学園SFものではない」とあらためて思いました。この場面に限らず、光と影を基調とした映像の数々には【当作品公開の数年後、ホームビデオカメラに押され生産中止の危機にあった8ミリフィルムについて、映像表現の媒体としての価値を力説していた大林監督の姿】を思い起こしました。タイムリープの場面には【実写のコマ撮り】や【スチール写真の切り抜き風に演出した人物のアニメーション】を複合させた、言わば【8ミリフィルムカメラの限定的な機能でも可能だった映像表現の再現】のような一面を感じました。そして、主人公をはじめとする若者像や風景描写は、リアルな学生や現実の街並みというより、大人が懐かしさをもって思い出すプライベートなイメージのように思いました。これらのことから【商業(アイドル)映画という体裁で製作した個人映画・自主映画】という印象も受け、大林監督のキャリアがあればこそ実現した贅沢な作品とも言えるかな…と思いました。  なお、ストーリーについては、現在、子供を持つ親となった私には、切なさを通り越してつらいものを感じました。主人公は「普通の女の子に戻りたい」と言っていたのに、未来人との出会いで本来の【幼なじみと結婚し、母となり…】という【普通の営み・人生の喜び・命のつながり】が断ち切られたように思います。このことと、交通事故で息子夫婦や孫の命を奪われた隣の老夫婦の姿とが重なったのです。そして「ひとが、現実よりも、理想の愛を知ったとき、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?」というオープニングの字幕が、重苦しくのしかかってきました。それだけにエンディングは「これは、フィクションですよ。気楽な気分で現実に戻って下さいね」と感じられ、救われた気持ちになりました。【それまでの雰囲気のぶち壊し】が、私にはプラスになったわけです。  さて、採点ですが…個人的には10点にしたいところですが、当作品を好意的に観られるかどうかは「演技や台詞をとりあえずスルーできるか」「ストーリーを追うよりも雰囲気を味わえるか」「ゆったりした展開を、詩的なものとして受け入れられるか」「タイムリープの場面を、アマチュア的な手作り映像へのオマージュとして好意的に捉えられるか」「エンディングで気持ち良く気分転換できるか」にかかっているかな…と思います。このように、万人受けする作品ではない点を差し引きつつ、それでも大林監督が生んだ名作として9点を献上いたします。[地上波(邦画)] 9点(2017-03-12 14:18:36)(良:3票) 《改行有》

29.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》  平成28(2016)年は、当作品が劇場公開されてから30周年なので、良い節目と思い投稿します。それにしても膨大なレビュー数と高得点ですね!。以下、公開時に映画館へ行くまで→場内の雰囲気→鑑賞後に頭をよぎった不安・心配→ジブリ映画浸透後の思い→採点…という構成でお伝えします。  公開当時は失礼ながら、私にとって宮崎駿監督のお名前は、まだ認識が十分ではなく、当作品は【未来少年コナン(1978年放映のNHK初のTVアニメシリーズ)を創った監督・スタッフさん達の映画】という括りでした。コナンは娯楽作品としてグイグイ引き込まれただけでなく【自然と人間の在り方】への真摯なメッセージが込められており、非常に感動しました。ルパン三世・カリオストロの城(1979年)も、アニメとしての大胆なアクションは勿論ですが、コナン同様【観る者をいい気持ちにするツボ】を心得ているな~と感心したものです。続く、風の谷のナウシカ(1984年)も、王蟲や腐海の描写の秀抜さに驚いたのは勿論ですが、コナンから続く【自然と人間の在り方】をテーマに据えている点で一貫しており、作り手としての強い信念を垣間見る思いがしました。ただし、カリオストロの城もナウシカも、TV放映での観賞だったので「この新作は映画館で観よう」と思った次第です。さて、結果は…。  上映前に読んだパンフレットには【子供が楽しめるかつての“漫画映画”を復活させたい。そのために、時代を越えて愛されている“小説・宝島”のような冒険映画にしたい】という趣旨の文面が掲載されており、共感しました。そして上映が始まると…“漫画映画”的なコミカルな動き・演出に、場内はおおいに沸いたものです。笑う場面では皆で笑い、手に汗握る場面では一同で固唾を飲み…と場内が一体となっていることが肌で伝わってきました。帰りに「良かったね」と活き活きと喋っているお子さんと親御さん達の姿を今でも忘れられません。コンセプト通りの、否、それ以上の傑作になっていると、これまた感動しまた。私の中で、ようやく宮崎駿監督の名前がしっかりとインプットされました。  鑑賞後、しばらくして、店頭にあった関連本を読みました。製作のこぼれ話として「子供達が“これなら自分にも出来る”と重ね合わせやすいように、パズーとシータのアクションは控えめにしました。一方、つい、ドーラ達を活躍させたくなったので、パズー達とのバランスに苦労しました」といった趣旨の文面を目にしました。感心すると同時にふと不安がよぎりました。「子供は超人的な力を持つヒーローに、自分を重ねる面がある。そうなると映画館まで足を運んでくれるだろうか?。もし観たとしても、自分が場内で体感したように熱中してくれるだろうか?」と思ったからです。また、コナンではなく、ナウシカから観た人達からも一部分ですが「王蟲のような生き物が出てこないなど自分が思っていたのとはイメージが違う」など戸惑う感想もありました。このようなわけで、私は映画館での感動とは別に「果たしてヒットするのだろうか…」と心配になりました。その心配が的中したわけではないと思いますが、当時の興行成績は振るわず「自分が映画館で得た一体感は、少数派に過ぎないのだろうか…このまま、この作品は埋もれてしまうのだろうか…」と非常に寂しく思いました。さらに「コナンから連綿と続くテーマ・作風の集大成だとは思うが、それだけに、今後、新たな作品を創れるのだろうか?」とも思ったものです。  あれから長い年月が流れました。私の心配が取り越し苦労だったことは言うまでもありません。しかしTVでの【スタジオジブリの人気作品ベストテン】といった類のコーナーでは、ラピュタはいつも下位でした。「パズーとシータのアクションを控えめにしたせい?。海外でも評価された、もののけ姫(1997年)や千と千尋の神隠し(2001年)などに比べ、今となってはラピュタは地味なのか?シンプルすぎるのか?」と歯がゆい気持ちになったものです。そのため、当シネマレビューを拝見して救われた気持ちになりました。  さて、採点ですが…私は、超人的な力を持たない普通の子供達(シータはペンダントを働かせる力があると言えばありますが…)が、大人の後押しで助け合いながら、最後に大人以上の力を発揮して大団円に至る当作品が大好きです。↓の【シネマレビュー管理人さん】がおっしゃっている通り、ラピュタが無ければ、このサイトは存在しなかったかもしれず、その意味でも価値のある作品だと思います。最初に観たときの感銘そのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし10点を献上します。そしていつか「時代を越えて愛されている“天空の城ラピュタ”のような冒険映画をつくりたかったんです」という作り手さんが現れて、新たな名作を生み出すのを願ってやみません。[映画館(邦画)] 10点(2016-08-27 20:14:18)《改行有》

30.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》  ゴジラ (1984年)に続き「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトのもと、ゴジラが単体で登場する作品としては32年ぶりとなった第3段。なお、GODZILLA(1998年)も単体での登場作品ですが、製作側が「原子怪獣現わる(1953年)のリメイクを作りたかったが、資金集めのため、ゴジラのネームバリューを借りました」と言っているので除外します。  私は1984年版を「コンセプトは良いのに表現力が伴わず、非常に残念」と思っているので、以下、主に【1984年版との比較】という観点でお伝えします。  まず一つ目。1984年版に比べ、危機的状況の臨場感がはるかに上回っていると思いました。他の皆さんがおっしゃる通り、東日本大震災-2011年-の記憶がまだ遠いものでないからでしょう。ゴジラ1作目(1954年)も、太平洋戦争終結時-1945年-から9年しか(人によっては“9年も”のようですが…)経っていませんでした。その点、1984年版は、こうした生々しい記憶・体験の空白期での製作だったので、どうしても【頭の中でのシミュレーション】に留まっていたように思います。ある意味、当時は、幸せな時代だったのかもしれません。  次に二つ目。1984年版に比べ、シミュレーションとしての情報処理が洗練されていると思いました。1984年版は、膨大な情報量を消化しきれず、説明で一杯一杯で平板な展開になっていました。一方、シン・ゴジラは、前半に【会議や手続きなど諸々の理屈っぽい情報】を集約して【もたつき・まどろっこしさ】として表現し、後半になるに従い【対策実行のシミュレーション】に絞って【シャープ・スピーディー】な展開になっていたと思います。  三つ目として【本筋に影響しない恋愛ドラマ】を挿入しなかったことも気持ち良かったです。1984年版で一生懸命に演じていた田中健さんと沢口靖子さんには申し訳ないですが、登場シーンのたびに映画の流れがもたつきました。一方、シン・ゴジラの、長谷川博己さんと石原さとみさんとのやりとりは【対立から協働へ】とまとまり、恋愛感情も芽生えず、清々しさを感じました。  四つ目として、1984年版の【スーパーX】のような架空のメカを使わなかったことも嬉しく思いました。あれから32年経ちますが、スーパーXと思しきものは未だ自衛隊に存在していません。シン・ゴジラの【血液凝固剤】も架空ですが、スーパーXほど突飛な印象は受けず“あり得る”と思えました。  さらに五つ目。音楽も、1984年版はドキュメンタリータッチにしたかったのか?一部を除いて使い方が控えめで、音楽と共にその都度、映画の流れが途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。その点、シン・ゴジラの音楽は【普通】に劇的効果を上げていると思いました。この【普通】が1984年版では【普通】ではなく「音楽を下手に使うと却って展開を邪魔する悪い手本」のように感じていただけに、シン・ゴジラでは安堵しました。  最後に六つ目。これは比較ではなく私の推測ですが…1984年版は製作発表時こそ「現在にゴジラが現れたら…」というコンセプトで出発したものの、途中から「華が無いから、東宝シンデレラ(1984年に発足したオーディション。第1回グランプリが沢口靖子さん)が出演する場面を入れよ」「火山に誘導する対策だけでは地味だから、スーパーメカを出せ」といった会社からの営業上の注文が出てコンセプトがぼやけ、現場は混乱し、映像と音楽を十分にリンクさせる時間もなく…といった事情で、上記のような残念な仕上がりになってしまったのでは…と思ったりしています。そして樋口真嗣氏は当時19歳で、特殊造形助手として1984年版の製作に携わっていました。そうした製作現場の実情(あくまで私の推測ですが…)を痛感した樋口氏は「いつか、会社からの注文に振り回されない、本来めざした現代版ゴジラを作ってやる」と思ったかもしれません。だとしたら、今回、庵野秀明氏という最強のパートナーを得てその宿願を果たした…きっと、今は亡き橋本幸治監督をはじめ1984年版の作り手さん達も「樋口よくやったぞ!」と褒め称えているのではないか…そんな【32年越しのインサイドストーリー】を想像するぐらい、シン・ゴジラには感激しました。  さて、採点ですが…物心ついたときからCG特撮が当たり前の若い人達にはショボいと感じる部分があるにせよ、1984年版をタイムリーに知っている私としては、↓の【どっぐすさん】と同様に「これがずっと望んでいたゴジラだ!1984年版だってこのように作れば傑作になり得たはずなんだ!」と庵野・樋口両監督への感謝の思いで一杯です。私が勝手に想像するインサイドストーリーも加味し10点を献上させていただきます。[映画館(邦画)] 10点(2016-08-17 21:20:19)(良:3票) 《改行有》

31.  GODZILLA ゴジラ(1998) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。*テレビ東京でも8/1(月)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品は、公開前から「ハリウッドがゴジラをつくる」「1作目を意識した作品を目指している」と話題になり、しかも、なかなか全身像を発表しないなど、じらした宣伝をして巷を賑わしたものでした。そして夏に公開…私は当時、冷房のないアパートで独り暮らしをしていた頃であり、避暑を兼ねて映画館に足を運びました(笑)。ただし、もともと当作品が話題になるずっと以前に、原子怪獣現わる(1953年)とゴジラの1作目(1954年)をビデオで観ていたので、比較してみようとは思いました。  さて、実際に観てみると…真っ先に思ったのは「これって『ゴジラの1作目』でなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは私に限らず、公開当時のマスコミでも話題になりました。またゴジラ(1954年)のレビューにも明記していますが、当時のアメリカの人々が知っているゴジラの1作目は、怪獣王ゴジラ(1956年)という題名で日本でも公開された再編集版でした。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】というコンセプトでまとめたものであり、1作目の「反戦/核の脅威への警鐘」といったメッセージ性を削ぎ落とした作品でした。ある本で、この再編集版をオリジナル版だと思っている海外の書評を読む機会がありましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面でした。そのためGODZILLAを観たとき「あの書評は、個人的な感想ではなく、当時のアメリカの人々一般の考えを代弁したものではないか。そのため、GODZILLAも“ゴジラの1作目よりも優れた本当の怪獣映画である『原子怪獣現わる』をリメイクしよう”という意識が、製作サイドに働いたのではないか」と思ったものです。  事実、後年になって、↓の【あばれて万歳さん】がおっしゃっている通り、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたことを知りました。私の当時の直感は、当たらずとも遠からじのようでした…。  なお、公開当時を知る方々ならご存知だと思いますが、当作品の製作にあたり、アメリカ側は当初「ゴジラの製作権を全てアメリカ側が買い取り、以後、東宝には一切ゴジラを作らせない」という条件を出したそうです。上記のようにゴジラへの愛着が全くなく(読み直してみて、全くないと言いきるのはちょっときついかな…とも感じましたが、シン・ゴジラの製作陣に比べれば…と思ってしまいます)、ビジネスチャンスとしか考えていなかったこの条件に応じなくて、本当に良かったと思います。当時の東宝の皆様に敬意を表します。もし応じていたら、シン・ゴジラは存在しなかったわけですから…。  さて、採点ですが…製作サイドが『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったと言っているわけですから、ゴジラ映画としては0点です。もし将来『The Beast from 20000 Fathoms:原子怪獣現わるの原題』と改題し、登場する巨獣の名前をリドサウルスに吹き替えたなら、6~7点ぐらいはつけさせていただきます…否、あの巨獣はイグアナが放射能で突然変異したもの。イグアナは草食です。何故、魚を食べるのでしょう?…その安直さに、やっぱり4~5点かな…。[映画館(字幕)] 0点(2016-08-06 15:18:49)《改行有》

32.  ゴジラ(1984) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。テレビ東京でも8/2(火)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品が製作発表された1983年当時、高校生だった私の周囲では「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトに期待感を持ち、完成を楽しみにしていたものです。しかしスーパーXという架空のメカが登場するとわかり、一同、劇場へ行く気持ちが萎えました。そして公開時の1984年の冬は、↓のあばれて万歳さんがおっしゃっている通り「ゴーストバスターズ」「グレムリン」と共に「クリスマス・お正月映画‐3G決戦!」と宣伝されたものでしたが…観客の皆さんの評判は、良いものではありませんでした。そして、その後のTV放映を観て「ああ、やっぱり…」と思ってしまったものです。  今回、あらためて観直して「残念」な作品だと思いました。以下、三つの点から述べます。  まず一つ目。「現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトを完遂するなら、スーパーXを出さずとも【ゴジラを倒すにあたり、米ソが何と言おうと、被爆国として二度と核兵器は使わない→しかし自衛隊の総力を挙げても倒せない→渡り鳥の発する超音波を再現し、ゴジラの帰巣本能を刺激して誘導し、見事に成功する】だけでも、十分、見応えのあるものになったのでは…と思います。当作品が公開されてから30年以上経ちましたが、いまだにスーパーXと思しきメカは作られていません。たとえ「ゴジラが実際に現れた後の日本」という設定だったとはいえ、やはり実際の科学水準に比してスーパーXは突飛な存在であり、せっかくのコンセプトを壊してしまったと言わざるを得ないと思います。作り手の皆さんの間でも、スーパーXについては、意見が分かれたのでは…と推察しています。  そして二つ目、何よりも致命的に感じたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、展開が単調・平板すぎることです。まず各シーンについて、俳優さん達は、経験値により上手い・下手の差はあるにしても、皆、熱演していると感じましし、特撮も頑張っていたと思います。しかし各シーンどうしのつながりや場面転換がぎこちない印象を受けました。さらに音楽も、ごく一部を除いて控えめな使い方をしており、各シーンと共に消えがちでした。ときには、あるワンシーンの中でさえ【特撮のカットで流れていた音楽が、実写(本編)のカットになった途端、突然消えてしまう】という箇所もありました。その結果、映画の流れも、音楽と共にその都度ブツッと途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。映画音楽には、シーンやカットどうしの流れを円滑につなぎながら盛り上げていく効果もあると思います。映画監督さんの中には、この効用を「安易」と嫌って音楽の使用を極力避ける場合があるようですが…ドキュメンタリータッチをねらって控えめにしたのでしょうか?。  最後に三つ目、これは総論となりますが…ゴジラと銘打ちながら実は、原子怪獣現わる(1953年)のリメイクをつくりたかったというGODZILLA(1998年)よりも(→詳しくは、GODZILLA(1998年)のレビューをご覧ください)、「ゴジラを復活させたい」という作り手の皆さんの思いはずっとピュアだったと思うのです。それなのに、GODZILLAのほうが【劇映画・娯楽映画】としては無難に仕上がっているのが残念でなりませんでした。↓のアングロファイルさんがおっしゃっている通り、コンセプト(アイディア)はいいものの、表現力が伴っていなかったようです。おそらく、スタッフの皆さんも「本当はもっとハラハラドキドキの映画になるはずだったんだけど…」と物足りなさ・悔しさが残ったのではないかと、推察しています。シン・ゴジラ(2016年)を観た当時のスタッフさんの中には「そうそう!本当はこういう風にしたかったんだ!」と思う方もおられるかもしれません。  さて採点ですが…【劇映画・娯楽映画】としての出来映えだけなら3~4点ですが、結果はどうあれ、ゴジラが単体で登場する貴重な作品の一つであり、原点回帰を目指した点は素晴らしいと思います。そして「ゴジラを復活させたい」というスタッフの皆さんの情熱が、後の「VSシリーズ」、そして、同じく原点回帰をねらったシン・ゴジラ(2016年)へとつながったのだと思います。その情熱を加味し、大甘で6点を献上いたします。[地上波(邦画)] 6点(2016-08-06 15:15:51)(良:1票) 《改行有》

33.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、GODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。原子怪獣現わる(1953年)を観た後でした。『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』というストーリーラインこそ、前年発表の米映画『原子怪獣現わる』をなぞったものだとは思ったものの、「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。  ただし、その後に、私はビデオで怪獣王ゴジラ(1956年)という作品も観ました。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】という海外向けの再編集版であり、1作目のメッセージ性を見事に削ぎ落としていました。後年、ある本で海外の書評を読みましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面に複雑な気持ちになったものです。GODZILLA(1998年)が公開された当時も「1作目と比べてどうか」という評論はたくさんありましたが【日本人が語る1作目】と【アメリカの人々が語る1作目】では、かなりの温度差があると言っていいのではないかと思いました。  さて、採点ですが…当作品の優れた点は、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私がここで繰り返すまでもないかと思います。日本が生み出した傑作として文句なく10点を献上します。[ビデオ(邦画)] 10点(2016-08-06 15:13:14)(良:1票) 《改行有》

34.  RAMPO(奥山バージョン) 《ネタバレ》 公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年。事前に「プロデューサーの奥山和由氏が作品の出来に満足できず、奥山氏自らも作り直した。最終的に、黛版・奥山版という二つのバージョンが同時上映(ただし別々の映画館で)されることになった」と話題を集めていました。私は、まず黛版を観てから、当作品を観ました。そして当作品については劇場内でアンケートも募っており、その中の選択肢に「まるで洋画のようだった」という文面も盛り込まれていました。当時は邦画に元気がなく現在よりもずっと洋画に押されていた時代であり、奥山氏の「洋画に負けない映画を作ってヒットさせたい」という熱い思いが感じられました。 実際に観てみると…内容の骨格自体は黛版と同じであり、部分的に娯楽色を際立たせた演出を加えるという、言わば“改良版”といったものでした。確かに黛版に比べて娯楽映画として観やすくなっていると思いました。プロデューサー主導の映画という意味では、奥山氏なりに、最後まで諦めずにベストを尽くした作品と言えるかもしれません。 ただし、奥山氏には申し訳ないのですが…私の主観には合わず、最後まで感情移入できずに終わりました。黛版のレビューにも書いていますが、①主人公の江戸川乱歩氏について、実在の人物というより「創作物を現実のものにする不思議な力がある」というようにフィクションに取り込んでしまった設定自体に違和感を抱いてしまったこと、②【明智小五郎=モックン】という点も、私にはどうもイメージが合わなかったこと、の二点が引っかかってしまったのです。 そもそも、いわゆる江戸川乱歩ワールドは、おどろおどろしくマニアックな面があると思います。大ヒットを狙う娯楽映画という意味では、最初からファミリー向けに【怪人二十面相/少年探偵団】を題材にしたほうが…と思ったりもしました。 私にとっては「可もなく不可もなく」であり、5点ということで…。[映画館(邦画)] 5点(2016-01-31 20:10:14)《改行有》

35.  RAMPO(黛バージョン) 《ネタバレ》 公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年。事前に「プロデューサーの奥山和由氏が作品の出来に満足できず、奥山氏自らも作り直した。最終的に、黛版・奥山版という二つのバージョンが同時上映(ただし別々の映画館で)されることになった」と話題を集めていました。私はまず、この黛版から観ました。 感想としては、確かにとても堅実な作風だな、と思ったものの…黛監督には申し訳ないのですが、NHKの土日の夜に放送しているスペシャルドラマを映画館で観ているような気持ちをぬぐいきれませんでした。 また、これまた申し訳ないのですが、主人公の江戸川乱歩氏について、実在の人物というより「創作物を現実のものにする不思議な力がある」というようにフィクションに取り込んでしまった設定自体にも違和感を抱いてしまいました。【明智小五郎=モックン】という点も、私にはどうもイメージが合わず、最後まで感情移入できずに終わってしまいました。この感情移入が難しかったという点は、次に観た奥山版も同じでした。 ただし、あくまでも私の主観にはまらなかっただけであって、黛監督は誠実に作り込んだと思います。奥山版のレビューにも明記しましたが、大ヒットを狙うエンターテインメント色の強い娯楽映画をめざすなら、ファミリー向けに【怪人二十面相/少年探偵団】を題材に選んでいれば、奥山氏が不満を持つような作風にはならなかったのでは…と思ったりしています。いや、そうだとすれば、監督も違う人に依頼していたかもしれません。 私にとっては「可もなく不可もなく」であり、5点ということで…。[映画館(邦画)] 5点(2016-01-31 20:07:27)《改行有》

36.  盲獣 《ネタバレ》  江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開の「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。    最初に上映されたのが、恐怖奇形人間(1969年・石井輝男監督)であり、拍手喝采の大爆笑で幕を閉じるという独特な空気がまだ残っている中、次に当作品が上映されました。私は何の予備知識もなくスクリーンに向き合ったのですが、さて結果は…。  まず、監禁された空間の中での男女の密室劇という意味で、真っ先に連想したのは、ウィリアム・ワイラー監督のコレクター(1965年)でした。映画化にあたり何かしら影響は受けていたと思います。ただし、コレクターがワイラー監督らしく礼節を保ったやりとり主体の演出に徹していたのに対し、当作品は少しずつ異常性がエスカレートしていくストレートな演出がなされており対照的だな…と思いました。しかしストレートと言っても、四肢を切断する壮絶な最期は、オブジェを通じて間接的に表現されており、露骨な流血に頼らない演出に感動しました。それは周りの観客の皆さんも同じだったようで、先の「恐怖奇形人間」のラストとは異なる、敬意を込めた拍手が場内を包み込み、幕を閉じたのでした。  なお、主演の船越英二さんは、他のレビュアーさん達もおっしゃっているように、私が物心ついたときには、テレビドラマ「熱中時代」の校長役など温和な壮年男性というイメージが強かっただけに、若かりし頃には、このような役を演じていたことにも新鮮味を感じました。    さて、採点ですが…当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品です。「誰にでもお勧め」とはいきませんが、密室劇の力作として8点を献上いたします。  平成30(2018)年2月25日(日)変更: 【イニシャルK】さんの【江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間:1969年】のレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。その一環として当作品の「RAMO」の箇所も「RAMPO」に修正…それだけの変更です。悪しからず…[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:03:26)《改行有》

37.  江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 《ネタバレ》  江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開された「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。  私は全く予備知識が無かったのですが、友人をはじめ周りの観客さん達は、みんな知っていたようで、上映が始まったときから、何かしら“期待”しているような独特な空気が場内に漂っていました。そして、ちょっとした場面で笑いが沸き上がりました。当初、私は「何で?」と思いましたが、話が進展するにつれて、確かに演出は、ちょっと“違う”ほうへ向かっているように感じました。場内独特のテンションは次第に上がっていき、そして…花火のように打ちあがって爆死し、宙を漂う兄妹のラストシーンは、悲しい場面のはずなのに、拍手喝采の大爆笑が沸き起こったのでした…。  後日、カルト的な人気のある作品であり、主人公の父親を演じた土方巽氏は著名な舞踏家であることも知りました。そして別の映画館であらためて再見しました。オールナイト上映のような笑いは沸かず、私としては一安心。良くも悪くも伝わってくる作り手のパワーを堪能させていただきました。そして、特に島のシーンでは、石井輝男監督と土方氏及び暗黒舞踏の皆さんが「我々は、安直に世間に迎合するような娯楽映画なんぞ創らないぞ!真の芸術を体現するぞ!」と熱く語り合いながら撮影したのだろうな…といったことも目に浮かびました。それにしても、当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品であり、不思議な因果を感じないではいられません。  さて、採点ですが…下手をすれば、いわゆる“お蔵入り”になりかねない作風でありながら、カルト映画として、多くの?人達に愛され続けているその不思議な力に敬意を表し、8点を献上いたします。  平成30(2018)年2月25日(日)変更: ↑の【イニシャルK】さんのレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。それだけの変更です。悪しからず…でも最後に…やっとDVD化されたんですね!天国で、石井監督や土方氏は、ほくそ笑んでおられる…かな?[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:00:12)(良:1票) 《改行有》

38.  屋根裏の散歩者(1992) 《ネタバレ》  公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年(1992年に完成したようですが、公開は100周年に合わせたようです)。松竹系で大々的に宣伝・公開されたRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)に物足りなさを感じていた私にとって、当作品と、押繪と旅する男(川島透監督)の予告編は、非常に怪しげな雰囲気に満ちているように思い、大変インパクトがありました。小劇場レベルの公開でしたが、早速、観に行きました。  「押繪と旅する男」も当作品の両方とも、美術担当は同じ池谷仙克さん(ウルトラセブンの後期の怪獣をデザインされた方!)なのですが、映像から醸し出される江戸川乱歩の怪しげな雰囲気(と私が感じているもの)は、当作品のほうが圧倒的に上のように思いました。さすがは実相寺監督とのコンビは最強だと思いました。思惑通りに“思い”を実行していく場面にもグイグイ引き込まれました。それだけに、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、エロいシーンを入れずに原作通りの場面を描くだけでも、十分、怪しげな世界を伝えることは出来たように思います。それでも、原作を大胆に脚色・再構成した「押繪と旅する男」と対照的に、原作を忠実に映画化した作品かな…と思っています。  余談ですが、この作品は「屋根裏の散歩者」とカップリングで公開されたためか、サントラCDも両作品が同時収録されていました。  さて、採点ですが…観てから20年以上も経つものの、江戸川乱歩の原作を忠実に映画化した作品として私には強烈な印象が残っています。エロい場面があり、内容もマニアックなので「誰にでも…」とはいかない点を差し引き、個人的に気に入っている「押繪と旅する男」と同じく8点を献上いたします。  平成30(2018)年2月25日(日)変更: 【イニシャルK】さんの【江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間:1969年】のレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。その一環として当作品の「RAMO」の箇所も「RAMPO」に修正…それだけの変更です。悪しからず…[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 19:54:07)《改行有》

39.  押繪と旅する男 《ネタバレ》  江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年に、屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)とカップリングで公開された作品(サントラCDも両作品が同時収録されていました)。両作品の予告編を観たとき「これこそ江戸川乱歩の世界だ」とでもいうような怪しげでおどろおどろしい雰囲気を感じました。その後、近場の某映画館の最終時間に、当作品だけが上映されると知り、早速、観に行きました。  印象深いテーマ曲と共に、暗闇に光が一つ、また一つ…と少しずつ増えていくように字が現れるスタッフ・キャスト紹介のオープニングに期待が高まりましたが…いざ本編が始まると、思ったほど、怪しげでおどろおどろしい雰囲気を感じることが出来ず、むしろ綺麗な映像だと思いました。また「原作をそうとう脚色している」と直感したものの、どこまでが原作で、どこからが脚色なのか…という点に引っかかってしまいました。また、一般的な娯楽映画と異なり、各場面のつながりを時系列・論理的でなく、意図的に崩す演出をしていたこともあり、最後まで没入できずに終わりました。 しかし再び観たいと思いました。何故なら、映画とは別に、当時の私は「お年寄りの方々に対し“人は誰しも、子供時代があって現在があるのだ”という意識を持って接するべきではないだろうか…」と自問自答していたからです。その意味で、当作品はとてもタイムリーに思えたのです。  後日、原作を読み、脚色部分との区別がついたので、別の機会にもう一度、映画館に足を運びました。今度は、私なりに、ずっと“わかる感じ”がしました。自分の人生に否定的だった孤独な老人が、亡くなる直前に【転機となった少年時代/現在/空想】との間を錯綜しながら折り合いをつけ、幸せな気持ちで旅立ってゆく過程を描いた作品…と受け止めたのです。少年時代では、夫に振り向いてもらえずに満たされぬ思いを抱えた義理の姉との危うい関係が、陰影に富んだ映像で上手く表現されていたと思います。そして登場人物が一堂に会して蜃気楼を観るラストシーンは、極楽浄土を示唆しているのでは…と思いました。  ただし【双眼鏡の前後を逆にして覗くことで、兄が実際に小さくなり、そのまま押繪に入っていく】という原作の場面は、映画では【少年が双眼鏡を覗くと強い風が巻き起こり、次の瞬間、兄は押繪に入っていた】と間接的に描いていました。そのため、原作を読んでいないと、何故、兄が押繪と一体になり得たのかは、わかり難いのでは?…と思いました。もっとも、原作を既読の上で観る人が大半なのかもしれませんが…。  結局、その後、レンタルビデオでも何度も観ましたし、サントラCDも買って現在に至ります。CDには、ラストシーン向けの別バージョン曲も収録されていました。明るいメロディーであり、やはりラストは極楽浄土だったんだろうな…と思いました。なお、現在、自分が調べた限りでは、DVD収録版は発売されていないようで残念です。  さて、採点ですが…所謂【見応えたっぷり/永遠の名作】といったタイプの映画ではありませんが、私にとって、江戸川乱歩の原作を活かした佳作として強く印象に残る作品です。大甘かもしれませんが8点を献上いたします。[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 19:47:14)《改行有》

40.  青い山脈(1963) 《ネタバレ》  まだビデオレコーダーが自宅に無く、録画というものが不可能だった学生時代に、深夜放送で観ましたが、私にとって3つの驚きがありました。   一つ目は、映画の内容についてです。主題歌は懐メロでお馴染でしたが、私は【山脈のような試練を乗り越えて幸せを掴む格調高い大河ドラマ】のようなものを連想していたのです。しかし実際は、田舎町で繰り広げられる偽ラブレターの是非を問うものだったとは…そのギャップに驚きました。真面目なテーマを扱っている一方で、明らかに観客の笑いを狙ったコミカルな演出が散りばめられており、最後まで飽きずに観ることが出来ました。  二つ目は、日活映画のイメージについてです。私が物心ついた頃から、すでに日活はロマンポルノ路線に入っていました。そのため「以前は、こんな爽やかな青春映画を作っていたんだ!」と大変、新鮮に感じました。  三つ目は、吉永小百合さんの役柄についてです。吉永さんも、私が物心ついた頃から【おしとやかな女性役】が定着していたため、活発なキャラクターが新鮮、というより、伸び伸びと自然な印象を受けました。浜田光夫さんとのコンビ作品も、この映画を機に観るようになりました。  その後、原作を読んだり、1949年版・1975年版をテレビ放送で観ました。1949年版は原作に忠実で、タイムリーに【これからの男女交際・民主主義に基づく新しい日本】といった理想を高らかにうたった作品だと思います。一方、1975年版は【真剣な眼差しで見つめ合う】といった真面目な恋愛ドラマ調の演出が強調されていました。見比べてみて「同じ原作でも、こんなに違うものなのか」と感心したものです。  さらに後年、1963年版はビデオでも再見し、当時のお正月映画として公開されたと知りました。老若男女が一堂に会し爽やかな笑いに包まれながら新年を迎えた当時の映画館の様子が目に浮かんだのと同時に、そうした位置づけの映画として、脚色・演出もピッタリだと、あらためて思いました。また、最近、某バラエティー番組で、高橋英樹さんが「三枚目役だったので、撮影当時は非常に抵抗感があったが、そのときの経験が役に立った」といったことをおっしゃっていました。私は高橋さんが熱演してくれたガンちゃんが大好きです!。  さて、採点ですが…一般的には“お正月映画”であって佳作レベルかもしれませんが、私にとっては【3つの驚き】と共に忘れられない作品です。大甘かもしれませんが、8点を献上しちゃいます。[地上波(邦画)] 8点(2015-08-29 21:36:54)《改行有》

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