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21.  機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 《ネタバレ》 初見は劇場公開時、人生初の単独上映観賞作品。 新規作画多数。新設定でナンバリングされたガンキャノンが2機に。ギレンに美人秘書が、ララアの軍服、セイラの入浴シーンと見どころが多い本作。 オープニングのキャメル艦隊戦、スクランブル発進の慌しさに対し静かな音楽、やけに落ち着いたアムロと鳥肌モノの演出が映える。 ただ、初期の第2次世界大戦みたいな世界観から、ニュータイプが連呼されてオカルトっぽさが増してきたのと、登場人物がほとんど軍属で、戦場が舞台になっているので、サイド6編はあるけど、一般人目線での楽しみは少なく思う。 “白い奴”。敵が恐れる程の怪物となったアムロは、行方不明だった父と再会するが、父は自分や母への関心をすっかり失っていた。 守るべき人も故郷もなく、ようやく出来た愛する人を殺してしまったアムロは、自分の能力を戦争を終わらせるため、ザビ家を倒すために使うことにする。 一方ララアを失い、アムロにも勝てなかったシャアにとって、キシリアを殺すことは目的ではなくなっていた。ザビ家を倒すことよりニュータイプの未来を見てみたいというのはシャアの本音だったと思う。 若者が社会で突出した能力を発揮すると、自分よりちょっと劣るが有能だった先輩に、突然ヤキを入れられることがある。最後にシャアがアムロに挑んだ白兵戦がそれかもしれない。『究極のセールスマンは、落ちている石ころすらも売れる』と言うが、言い換えると『商品・売り物に依存しない』と言う意味らしい。ガンダムの操縦能力だけがアムロの考える自分の存在理由だったから、それを使って世の中の為に戦争を終わらせ、ララアのもとに行く。まるで社会人が、退職後のハワイ旅行だけを楽しみに休みも取らず会社のために命を削るようなもの。戦争の元凶が滅び、アムロは父の作ったガンダムを捨て、母に会いに行ったコア・ファイターすらも捨てて、生きて帰るべき所、自分にとって本当に大事なものを見付けられたエンディング。『ビギニング』そして『めぐりあい』と、挿入歌のタイミングも神がかっている。 アムロの脱出を誘導するカツ・レツ・キッカ。戦場で能力に目覚めたという解釈が一般的だろうか?彼らはこの誘導以前に、Ⅱでガンダム工場の爆弾を全部外したり、アムロに爆発のタイミングを叫んだり、脱走するコズン少尉を先回りしてトラップ仕掛けたり、そもそもⅠのサイド7で一緒に行動していた親が死んだのに、この歳の子どもがピンピン生きていたことも、彼らこそが本当の意味(殺し合いの道具じゃない)での生まれながらのニュータイプだったからだと思う。ジオン・ダイクンが提唱し、両軍が研究している謎の新人類ニュータイプ。アムロら少年少女が、悩み苦しみながら覚醒する能力。でも次世代の幼い子どもたちは、当たり前に、生まれながらのニュータイプ(しかも無自覚)だった。というのがこの作品最大のオチだと思う。 『宇宙世紀0080、この戦いの後 地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた』 TVと共通のナレーションが、戦争の終わりをアッサリと伝える。これでガンダムの物語は終わった。その後は戦争(グリプス戦争とかネオ・ジオン紛争とか)の無い、ニュータイプの作る平和な世界が生まれた。 …だけど再放送から爆発的な人気になり、アニメを見ない大人までも巻き込んで社会現象になる。ガンプラ、グッズ、SF考察、コスプレ集会。そんな中で作られたこの三部作映画の最後、富野監督から英語のメッセージが入る。 ~そして、今は皆様ひとりひとりの未来の洞察力に期待します~ という意味だそうだ。大人にまで広がったこのブームは、監督には予想外だったんじゃないだろうか?少年少女の成長のために作ったものを、大人の事情でほじくり返して、また作らされる。自分の意図しない売れ方は面白くなかったに違いない。 だとしたらあの英文は「みんな誰でもアムロみたいなニュータイプになれるんだよ」と言う優しい言葉というより、「さぁガンダムブームは終わったよ。アニメに夢中になるのはやめて、学校や会社で頑張るんだよ」という、歪んだ社会現象に対する監督からのメッセージに思える。 当時は今以上に英語が生活に浸透してない時代。辞書片手に英語が読める歳になったら、俺の言いたいこと解るだろう。というメッセージ。 だから、富野喜幸(本名)が作りたかったガンダムは、ここで終わり。 以降作られる富野由悠季(ペンネーム)のガンダムとは、切り離して観てください。[映画館(邦画)] 9点(2021-01-09 20:03:54)《改行有》

22.  機動戦士ガンダム 《ネタバレ》 テレビアニメに少し新規作画を加えて編集した劇場版だから、映画としての評価が難しい。けど、ガンダム三部作以外に、こんな特殊な制作過程を経た映画を評価する機会は少ないと思うのと、私自身、重度のガンダム好きなので、シリーズの広がりや、映画では描かれていない設定にはなるべく触れないで、この映画版のみを評価してみたい。 初見は小学一年の頃で、映画館で一人で見た初めての映画だった。オープニング、大画面一杯に迫るザクの顔に、かなりビビったっけ。 アムロの戦争体験は強烈で、敵による無差別攻撃と連邦軍の誤射で、ガールフレンドの母や祖父が死ぬのを目の当たりにしている。敵と戦わなければ死ぬ。自分が船を守らなければ全てを失う。15歳の少年には過酷すぎるアムロの戦争体験。 いつのまにか軍属にさせられたアムロは地球の故郷で母に会う。ホワイトベースが隠れてるポイントから約30kmの街。連邦軍の支配下で、街中には規律の乱れた連邦兵が昼間から酒を飲む。その近所の教会ではボランティアがキャンプを張っているが、そこには毎日敵のパトロール隊が見回りに来る…未来の世界なのに、戦線の距離感は戦国時代並みだ。戦争のこう着状態がずっと続いているから、こんな辺境ではたぶん両軍とも、適当に戦わずにやり過ごしていたと思う。 そんな街で敵兵を撃つアムロ。逃げる敵兵も撃つ。生き残る為に、敵を見たら殺すのがアムロの体験してきた戦争。なのに何で母は分かってくれないのか?母親にしてみたら、久しぶりに会った息子が積極的に人を殺そうとしたら、それはショックだろう。アムロは母と分かり合えない怒りを、敵の小さな前線基地にぶつける。戦争で自分が生き残る為には、敵は殺すものだから。 最後は敵軍の総帥の演説。打倒独裁が連邦軍の正義だが、アムロは何のために敵と戦うのか? 三部作で一番地味だけど、ベースとした第二次世界大戦の色が濃いのと、アムロ自身が普通の生活から戦争に巻き込まれて、自ら戦う過程、民間人から軍人(又は少年から社会人)になっていく過程が共感出来て、大人になってからは一番好きな作品。これを子供向けのロボットアニメでやってしまったのが凄いな。 作画は確かに残念。当時、今のようなDVDやBDがあれば、完全新規作画で作り直せたかもしれないけど、だけど丸っこいザクや作画の勢いとかが感じられて、これも悪くないと思える。あと『特別編』という音声取り直しのDVDが出ているけど、オリジナル版の鑑賞がおすすめ。[映画館(邦画)] 9点(2020-12-27 21:29:17)《改行有》

23.  ミンボーの女 《ネタバレ》 これもまた凄い映画です。今までの伊丹監督の映画にもヤクザは出てきましたが、本作は伊丹版ヤクザ映画でしょうか? 昭和の時代、芸能界とヤクザは切っても切れない関係だったと聞きます。だからかどうか解りませんが、ヤクザ映画は邦画の一大ジャンルを占め、そこに登場するヤクザは、入れ墨してて怖いんだけど、男気があってカッコイイ主人公が多いんですよね。ある意味、ヤクザのイメージアップに貢献していたんじゃないでしょうか。鶴田浩二や高倉健、菅原文太に憧れて、その道に足を踏み込んだ若者も、少なくなかったことでしょう。 一方、本作のヤクザは弱いものから金を巻き上げる、怖くて悪いだけのヤクザです。しかも人を騙し、弱みを握って、罠に嵌めて、恫喝して金を巻き上げる、手口も汚いし、お世辞にもカッコイイとは思えないヤクザです。ヤクザ映画と伊丹映画。実際に私達の周りにいるヤクザって、どっちなんでしょうかね? 怖いヤクザの化けの皮を一枚一枚剥がし、恫喝は出来ても、そう簡単に暴力は振るえないヤクザの実態を丸裸にしてみせます。映画を観る私達も、セキュリティ対策の鈴木と若杉のように、まひるから対策を学び、「もうヤクザなんて怖くない!」とまで思わせる力量は見事です。集団でホテルに来たヤクザの一団を、鈴木がホテルマンたちの先頭に立って、涼しい顔で撃退するシーンは本当にスカッとします。 伊丹監督が、ヤクザを敵に回す覚悟があって本作を制作したのかは疑問です。脱税、宗教団体&地上げ屋ときて、今度はヤクザの実態を暴くハウトゥを映画にしてみようか…。なんて具合に、単に娯楽としてスタートした可能性は否定できないですよね。 前作『あげまん』が思いのほか公開後の評判が良くなかったためか、本作は伊丹監督らしいスタンダードな仕上がりとなっています。 ただ当時は、こんなにクオリティ高いのに、マルサと同じようなジャンルが続いてしまい、“伊丹監督ってこういうのしか面白く撮れないのかな”なんて、マンネリ感を感じてしまっていたように思います。今思うと贅沢な考えですよね。 公開直後の伊丹監督襲撃事件は、却って監督を本気にさせてしまったのかもしれません。いわば襲撃も、映画を見た観客のレスポンスの一つ。自分が暴こうとした真相に近づいた証拠!くらいに思っていたのかな?なんて。 今となっては真相は解りませんが、映画業界が持ち上げたヤクザのイメージを、地の底に突き落とす力を持った映画なのは、間違いありません。[地上波(邦画)] 8点(2024-06-18 22:18:56)(良:1票) 《改行有》

24.  用心棒 《ネタバレ》 これは、格好良い。日本男児の格好良さが全部詰まっている。そんな気がする男の映画です。 一昔前までの、外国人が想像する日本人の男=侍。それって映像作品で言えば、かなりこの映画から来てるんじゃないでしょうか? 実際には勤勉で真面目で仕事が細かい日本人。その裏で、本作の桑畑三十郎のような日本人像も確かに存在します。 棒っ切れを投げて行く先を決める。悪党が覇権を争う街に、無関係なのに首を突っ込む。この男の行動原理が『楽しいかどうか』。居酒屋に戻っては“飯”を食い“酒”を飲む。大きな体で忍び足して、内緒話に聞き耳を立てる。自分の話題だとぺろっと舌を出す。こんなお茶目な男、女なら惚れてしまうだろう。一瞬で悪党三人も斬り殺す腕っぷしの強さ。こんな男に『おめぇ、強ぇんだってな?』なんて言われて喜ばない男が居るだろうか。ただ強いだけじゃない。寡黙な中に人間の魅力が詰まっている。 回転式拳銃と八州廻りが出てくるので、江戸時代末期の設定だろうけど、どこか異国感がありますね。女郎が踊る時の楽曲も賑やかでどこか南米風な味わいも…。米国の『血の収穫』という探偵小説を下地にしているそうで、そう考えると時代劇を下地とした西部劇『荒野の用心棒』の親和性が高かったのも頷けます。最後の見どころ、丑寅一家対三十郎。卯之助も亥之吉も見せ場もなく簡単に斬り捨てられます。日本の映画界で長年培われた殺陣の手法を廃し、徹底した現実主義を貫いた斬り合いが、時代劇の新時代を切り開いた黒澤作品らしく感じられます。[DVD(邦画)] 8点(2024-05-23 23:12:04)《改行有》

25.  その男、凶暴につき 《ネタバレ》 この映画の僅か3年前(え?たった3年前だったの?)、『たけしの挑戦状』というファミコンソフトが出ました。不良サラリーマンが海の向こうに宝探しに行く内容だったけど、ゲームを進めるには難易度が高すぎて、カラオケしたりパチンコしたりと町をブラブラするだけのゲームになってました。警官やヤクザはもちろん、無関係な市民や奥さん、子供まで、殴れます。 今思うと、たけしは“日常の中の暴力”を、ファミコンという新しい娯楽で表現しようとしたのかもしれません。ゲームバランスは滅茶苦茶だったけど、案外たけしの考えた通りの再現度だったのかもしれません。 『コドモには見せるな……』のキャッチコピーを覚えています。無抵抗な浮浪者を遊び半分で痛めつけ殺してしまう少年たち。橋の上から船のオジサンに空き缶を投げて「バカヤロー!」と叫ぶ子どもたち。自分を捕まえようとする刑事と取っ組み合いになり、バットで頭を殴る容疑者。自供させるために何発ものビンタ。日常生活でその辺にありそうな、街の片隅で偶然目にしてしまいそうな、目を背けたくなる暴力描写。『まさか自分がこんな目に遭うとは…』そんな被害者の声が聞こえてきそうな、爽快なアクション映画と違って、痛みを感じる映画でした。 暴力を振るう側が相手に対し躊躇してないこと。相手の受ける痛みを一切感じてないこと。この一方的な無感情の暴力が、観ている私に痛みを感じさせるんだと思います。また恨みや憎しみで暴力を振るっている訳じゃないのも恐怖です。そして暴力が行われるまでと、行われた後の“間”が怖い。痛いのは一瞬なんだろうけど、その前後がずっと痛い。もし私が現場を目の当たりにしてしまったら、きっと観なかったことにして通り過ぎようとするでしょう。そんな観たくもない暴力を延々と見てる気分で、何かとても生々しく感じました。 我妻と清弘。仕事仲間からも距離を置かれる2人。無機質な倉庫に指す光と深い影がとても印象的。無言で撃ち合う2人。正義も悪も無い、2人の狂気がぶつかり合う最後の対決は、延々と暴力を積み重ねた本作のクライマックスとして相応しい結末でした。[地上波(邦画)] 8点(2024-05-14 00:53:05)(良:1票) 《改行有》

26.  カメラを止めるな! 《ネタバレ》 ゾンビ映画なのに監督のゾンビ愛が全然感じられない。こういう自主制作っぽいので言えば『桐島…』の方がゾンビ愛あるかも。それらしい設定を適当にくっつけた、悪く言えばオイシイとこだけパクった、駄目シナリオじゃないでしょうか? 日本軍の実験って話はアリだけど、どうして西洋のオカルトに結びつけてしまったのかなぁ…ゾンビ発生の原因といえば、宇宙からの怪光線、科学薬品、生物兵器。このあたりがお約束です。 ゾンビ映画の起源はロメロ・ゾンビ。バタリアンやバイオハザードなんかもそうだけど、死人が蘇るファンタジーに、リアリティを持たせたから、今のゾンビ映画史があるのに、血で書いた五芒星じゃオカルトだよ。とてもじゃないけど映画好きの作ったゾンビ作品とは思えませんでした。 『ONE CUT OF THE DEAD』という番組の裏側から、日暮監督が、映画好きの延長ではなく職業監督になってしまった理由が観えてくる。元女優の奥さんは役に入りすぎるため引退を余儀なくされ、映画好きな娘はこだわりが強すぎて撮影現場をクビになる。妥協に妥協を重ねて続けてきたであろう、今の監督の仕事。職業監督は自分の“好き”を入れちゃ駄目なんですね。 イケメン俳優に自分で「作品の前に番組なんです」って言っていたのに、カメラが回ると「これは俺の作品だ!」ってアドリブ。最初の鑑賞では笑えて、複数回鑑賞後はアツいものを感じました。 このシーンをカメラ(モニター)越しに観ていた真央は、きっと神谷くんだけを観ていたんでしょう。あんな熱演を終えて戻ってきた父にも素っ気ない。 こんなどうしようもない作品の中で、監督は何故か五芒星にこだわりました。思えば本当のゾンビの起源はブードゥー教=オカルトなんですよね。日暮監督はゾンビ映画好きのお約束を敢えて入れず、コッソリとオリジナリティを入れようとしたのかもしれません。 「日暮さ~ん。作品の前に、番組なんです」機材の故障で、オチをアッサリ捨てるプロデューサーに、食って掛かる日暮監督。普段の父を知っているだけに、驚いてる真央の表情がイイんだこれが。父の番組なんてチャンネル変えてしまうくらい、どうとも思っていないのに、カメラには映らないところで繰り広げられる作品への情熱。真央が考える“戦場”で戦っている父の姿。 愛を感じないゾンビ映画の裏側に、息を殺して潜ませた監督の作品愛。トラブル続きの中、どうにか完成させるために奔走するスタッフ。そして最後に父を支えた家族愛。事前にオチを知る事もなく、また期待が高まり過ぎることもなく、無事、上田監督が観せたいものを観ることが出来ました。心から笑えて、ほっこり出来ました。そして『私は映画が大好きだわ』って、再認識出来ました。[映画館(邦画)] 8点(2024-04-10 23:58:47)(良:1票) 《改行有》

27.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 日本ほど特撮怪獣が沢山創られた国はないでしょう。主にウルトラ怪獣ですが、ゴモラ、ゼットン、バルタン星人と、きっとどの世代でも名前くらいは知っているんじゃないでしょうか?そんな中で、元祖であり王者と言える怪獣がゴジラです。 私はちょうどゴジラ空白の世代でした。小さい頃、ウルトラシリーズは沢山再放送されていましたが、ゴジラ映画は観たことなくて。子供向けの雑誌などから『人類の味方として、悪い怪獣と戦う正義のゴジラ』なんてイメージがあった程度でした。そんな中“まだ白黒映画の時代、最初のゴジラは人類の敵だったんだよ。そして今度公開されるゴジラ('84)も、悪者なんだよ。”なんて聞いて、何かとても不思議な感じでした。 本作を最初に観たのは20歳くらいの頃です。街の焼ける様子、逃げ惑う人々から、まだ戦後間もない印象をとても強く感じました。公開年は、戦争が終わって僅か9年。でも僅か9年でここまで復興している日本の逞しさと、ゴジラという巨大なモンスターを創り上げた日本の受けた傷の深さが感じられました。 アメリカの水爆実験が生んだ怪獣ゴジラが、本土に上陸して無目的に都市を破壊する。令和に入った現在に至るも、唯一無二の被爆国として、当事者のアメリカ人を主要人物に出すことなく、原水爆を表現した作品と言えるでしょう。 どうしても後年のシリーズ化したゴジラのイメージに引っ張られていたため、今回始めてゴジラのデザインが理解できた気がしました。モノクロ映像のゴジラの、黒くゴツゴツしたあの皮膚は、水爆の高熱で表皮が焼け焦げてたんですね。 背中のヒレは皮膚に刺さったガラス片でしょうか。そしてゴジラは苦しみの叫び声を上げながら、自ら焼け野原にした東京の街を彷徨います。 本作公開の僅か9年前に、他国により自分の国が焼かれる地獄を観た人々が作った地獄絵図。この映画からは、他国に国を焼かれた恨み節より、日本をここまでしてしまった、原爆が落ちるまで戦争を続けてしまった、自ら国を焼け野原にしてしまった、そんな自責の念が感じられます。 山根教授のゴジラを保護し、生命力の研究をするべきだという主張は、今なお放射能被害に苦しむ被爆者たちを救うことが出来たらという気持ちからでしょう。そう考えるとオキシジェン・デストロイヤーは、例えるなら苦しみから逃れるための安楽死に思えます。 芹沢教授がオキシジェン~の研究成果ごと死を選んだ結末は、どんなに苦しくても前だけを見て生きていく。そんな日本の決意にも思えます。 本作を観てどう思うかは人それぞれですが、戦争で受けた傷を娯楽映画にしてしまう日本人のパワー。創意工夫。結果本作は、世界でいちばん有名な日本映画の一つになりました。[ビデオ(邦画)] 8点(2024-04-03 23:51:41)(良:4票) 《改行有》

28.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 タイトルがもう、気になって気になって。『桐島くんが出てこない映画』って情報は入ってたけど、他は何も知らない状態。やっぱ永年指名手配の桐島聡から名前持ってきたのかなぁ?なんて思っていたところ、先日聡の方が出てきたので鑑賞。 同じ時間を、違う人物の目線で、何度も何度も繰り返す。なんか面白い。さっき声掛けたのはこの子達だったのか。みたいな多面的な捉え方だけでなく、あの場面をどんな気持ちで観ていたのか?とか。他人の目線では分からなかった本人の気持ちがよく分かる。上手い。 スクール・カースト上位・下位という大きなククリだけでなく、グループ内にも上位・下位があり、その表現がまた妙に生々しくて。私とは世代は違うんだけど『当時そういう気持ちになったわぁ~』と学生時代が懐かしく思い出される。 カースト下位の者が、上位の者の気持ちを汲み取り、機嫌を損ねないように気を使うところ。実果が表向き沙奈に気を使い、かすみには本音を話す。沙奈はトップの梨紗の親友ポジションを自負してるから、それを維持するための下位への行動が、まるで中間管理職。 カースト最底辺の映画部部長が、吹奏楽部部長と戦うところ。カーストの上下が曖昧どうしの戦いは、ある意味異種格闘戦のよう。その場所じゃなきゃダメな亜矢の言い分は、まるでCGアニメのピーピング・ライフのような可笑しさを感じた。 ちょっと顔が怖いのに優しい野球部キャプテン。カーストの上下がひっくり返ってる宏樹との関係も、どこか可笑しい。 桐島がキャプテンだったバレー部。戦力ダウンの責任を同じリベロの風助に擦り付け、練習名目で鬱憤をぶつける。 桐島がもたらせた衝撃。彼が並ぶ者の居ないカーストの絶対的トップなのが伝わる。自分の彼女にも親友にも事情を伝えず、突然全てを決めた桐島。本人不在のカースト下位たちが、勝手に右往左往しだす。 そして、思っていたのと全然違うスケールの結末に、この映画が大好きになった。あ、この映画の主人公は宏樹でなく前田だったんだ。 野球部キャプテンが宏樹に掛けた最後の言葉。一番に屋上を後にする風助の言葉。映画を撮り続ける前田の言葉。出来るのにやってこなかった宏樹のこれからが始まる。主題歌もまた良いんだわこれが。[DVD(邦画)] 8点(2024-02-03 19:00:11)《改行有》

29.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 ゴジラは“日本を襲う破壊の象徴”です。初代ゴジラは原爆。シン・ゴジラは東日本大震災。そして本作のゴジラは太平洋戦争(※書き方として東京大空襲と迷いましたが)でしょうか。 圧倒的な物量を誇るアメリカ軍を相手にした戦争は、まさにゴジラを相手に戦うようなものだったことでしょう。 最初のゴジラは軍人だけの基地に出てきました。そしてより巨大になって本土に上陸し、街を壊して人を踏み潰します。 戦争は軍人同士が海の向こうで戦うものだと思っていたのに、空襲で自分の家が焼かれ、家族が殺される。アメリカ軍の無差別爆撃とゴジラの破壊行為。両者にどんな違いがあるだろうか。 三丁目の夕日の、少し前の日本が舞台。帝国海軍も警察予備隊も無い、自衛能力のない時代の日本とゴジラの戦い。役目を終えた軍艦が呼び起こされ、日の目を見ることのなかった戦闘機が空を舞う映像は、過去のゴジラ作品のどんな秘密兵器よりもアツい展開でした。 焼け野原から徐々に復興していく東京の町並みと、少しずつ生活も安定してきて、家族になっていく敷島と典子。ようやく前を向いて生きていこうとした矢先…自分が死ぬのが怖くて特攻出来なかった敷島。彼が特攻しなかったから家族が死んだわけではないけど、戦うべきときに戦わなかった報いが、後々重くのしかかる。因果応報。終わらない戦争。 人間ドラマに重点を置いた本作、後半涙腺緩みっぱなしでした。説明が丁寧だから、展開は読めるんです。それでも涙が出てきます。ありえない最後も全然受け入れられました。エンドロールが始まっても、ほっぺが涙でベチャベチャです。想像以上に良いものを観せてもらいました。 さて。彼女に何があったのか。彼を突き飛ばした後、あの勢いで吹っ飛んだんだから、五体満足なハズはない。 街に飛び散ったゴジラの肉片には、強い放射能だけでなく、強い再生能力も有している。首筋のアレは、飛び散ったコレなんだろう。 何か不吉な未来を暗示しているようにも思えるけど、私は“マイナスを乗り越えてきた日本人”を表しているんだと思った。 どんなに傷つき、どんなに破壊されても立ち直ってきた日本。過去の被害を隠すこと無く、むしろ吸収して乗り越えてきた日本人。戦争、原爆、大地震も乗り越えた日本人は、ゴジラによる未曾有の破壊を受けても、それさえも吸収して乗り越える力があるんだ。という意味だと解釈しました。 …ただもし今後『ゴジラ・ゼロ』とか続編があるなら、解釈変わるだろうけど。[映画館(邦画)] 8点(2023-11-21 00:00:20)《改行有》

30.  男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 《ネタバレ》 シリーズ17作目。はははっジョーズだ! 源ちゃんの千切れた腹わたにボカシ掛かってるわ(※BSテレ東)、そこまでリアルに再現したんだなぁ。さくらは狂った挙げ句サメに食い殺されるし、現実と夢の関係を考えたりもしたけど、こりゃ何も考えてないわ。単に息抜きとして楽しんで創ってるんだわ。 満男の入学祝いというのが劇中時間の経過を感じさせる。あとおばちゃんが寅のことを「寅さん」から「寅ちゃん」に呼び方を変えてる。何作前からかなぁ?ご祝儀袋にいくら包んだんだろ? シリーズ随一の名作と呼び声の高い本作。普段のように寅がバカをやるのでなく、お人好しな一面と、男気のある一面を見せる下町人情話。 この話が発祥かどうかは解らないけど、文無しジジイが実は金持ちで~ってのは割とよくある話。そして実は高名な画家で絵が高く売れて~ってのも黄金パターンかもしれない。古本屋店主が絵を見て青観作だと気づく展開は、解っちゃいるけど“おぉ~~!”ってなる。 青観と志乃のエピソードは、後からなるほど~と納得。当時の状況を知っていると、より意味深く感じられたことだろう。 前半と後半で別な話になるパターンかと思いきや、後半に大きな足跡を残す青観先生。借家のボロボロの床の間に似つかわしくない素晴らしい牡丹の絵は、芸者に身を落とし、貸した金は帰らなくても、明るく前向きに生きていくぼたんの生き様のよう。 「決まってるじゃないかよ、お前さんと所帯を持とうと思ってやって来たんだよ。」初めての決着が着かないパターン。この終わり方大好き。リリーの結婚話で、気まずい空気を作ってしまったから、ぼたんには自分から冗談としてジャブ打ちしといたんじゃないかなぁ?それだけぼたんとの気さくな関係を大事にしたかったんじゃないかな。 東京に向かって手を合わせる最後もすごく爽やか。一本完結の良い人情映画を観たなぁって気分にさせてくれました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-09-09 17:35:03)《改行有》

31.  男はつらいよ 寅次郎相合い傘 《ネタバレ》 シリーズ15作目。本シリーズで流血を観たのは初めてじゃないだろうか?…劇中夢の話だけど。過去最大級にお金が掛かった夢だなぁ。帆船のミニチュア特撮まで出てきたわ。 当レビューサイトで平均点も高くレビュー数も多い。1作めを除くと最高傑作の呼び声も高い本作。 噂が独り歩きじゃないけど、何故か有名な『メロン騒動』の部分だけは、以前動画で観てました。コトがメロンだけに、たかがメロンって馬鹿らしい可笑しさと、されどメロンって笑えないリアリティの、さじ加減がまた秀逸だなぁ。 真顔で「…ワケを聞こうじゃないか」で引き込まれ、そっくりな博のモノマネで吹き出したわ。おいちゃんがお金投げて、おばちゃんが泣き出す修羅場っぷり。とどめのリリーの一括。寅に掌返しで「他人様」と言われたからこそ言い返せた口上に、とらや一家でなくてもスカッとしてしまう。あぁでも、寅は悪くないんだよなぁ。本作『寅次郎メロン騒動』でも良いんじゃないか?ってくらい。 そのあとの雨の中の相合い傘。大人げない姿を見せた寅と、つい言い過ぎたリリーの、気遣いたっぷり、心をくすぐる男女の会話が堪らない。結婚とかお付き合いとか、そういうのでなく、この瞬間が最高なんだよね。 「お兄ちゃんのお嫁さんに…」心から“それも良いな”って思った嬉しそうなリリーと、口に出した後、そんな生活は自分には無理なことを悟っていくリリーの表情の変化。ここで一拍置ければよかったのに帰ってきてしまう寅。冗談にするしか出来なかった二人の間が悲しい。 「オレみてぇバカとくっついて、幸せになれる訳がないだろう?」最後に来て寅のこのセリフ。「女が幸せになるのに、男の力を借りなきゃいけないとでも思ってるのかい?」小樽の港でのリリーのセリフ。 リリーが去って大雨が降るなか、傘を持って掛け出せない寅の背中、さくらへの語りが寂しすぎる。だからタイトル『寅次郎相合い傘』なんだな。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-09-02 17:00:40)《改行有》

32.  キル・ビル Vol.1(日本版) 《ネタバレ》 “KILL BILL”『ビルを殺れ』って、映画秘宝のポスターがまた格好良かった。そういやラスト・サムライやロスト・イン・トランスレーションも同じ年(2003年)だっけ。酷評のパール・ハーバーの2年後にこれ。格好いい日本題材映画ラッシュ。ニッポン・ヨイショ。 これまでの日本を題材にした洋画って、どこか日本を小バカにしてるっていうか、良く言えば欧米との文化の違いを笑おうって意図があったように思えたんだけど、この映画は、本気で日本を格好いいと思って創ったんだろうなぁって、そんな思いが感じられました。 タランティーノが日本好きとはいえ、そこは商売。大金が動いてるんだから、自分の趣味を入れつつ、興行的に売れるように創るのがプロ。さすが仕事人だなぁと思いました。 架空の日本。刀を持ったまま飛行機乗れないからって、日本人みんな刀を持ってて、飛行機にもバイクにも“刀を置くところ”創ってしまう設定の強引さ。 オーレン石井の過去。日本が舞台だからって、日本制作のアニメーションで再現。グロ表現も突っ走ってますね。 たしかフィルム・コミッションで、困難な東京ロケも一部(バイクのシーンだったよね)したと思うけど、青葉屋の死闘では、西麻布の居酒屋をセットで再現する念の入りよう。 そうそう、青葉屋の宴会中クレイジー88の下ネタジョークに、素で笑っちゃってるGOGO夕張と、日本語が分からず愛想笑いしてるオーレンが可愛い。 有名な布袋の楽曲も『新・仁義なき戦い』と共に世に埋もれるところ、この映画がキッカケとなって、今でも多方面で引っ張りだこのテーマソングに昇華させる。これがプロの仕事だなって思います。 その布袋のテーマソングで繰り広げられるテレビCMで存在を知り、なんか日本語が飛び交う不思議な洋画として、私も興味津々で観に行きました。 まさかここまで人を選ぶバイオレンス映画だったとは。手足が斬られ、血飛沫舞う地獄絵図。一緒に行った友達は無言になってましたよ。どうしてくれんだ。最高の裏切りっぷりじゃないか。[映画館(字幕)] 8点(2023-08-27 15:42:28)《改行有》

33.  男はつらいよ 寅次郎忘れな草 《ネタバレ》 シリーズ11作目。ようやく、タイトルの意味が通じる内容の作品登場。 忘れな草の花言葉は「真実の愛」。またリリー(ユリ)の花言葉は「純粋」。 寅が散財して買ったおもちゃのピアノが、タコ社長のうっかり一言のせいで、一気に価値のないものになった時の空気の変わりようが、また絶妙だったわ。必死にピアノをフォローするおいちゃんと博。おばちゃんは奥で魚屋に電話「なんか、お刺し身ある?え?タコだけ~?」最高のタイミングで鐘の音がゴーン…まぁここからいつもの修羅場になるんだけど、間の取り方が、上手いなぁ。 そして舞台は網走です。山田洋次×網走と言えば『幸福の黄色いハンカチ』。個人的には健さんが食堂でビールを飲むシーンと並び、本作の網走の港は名シーンだと思います。二人たたずむ寅とリリー。夜汽車から見る明かりの話。この時の寅次郎の手。指には下品な金の指輪。そしてリリーの足の赤いペディキュア。同様に赤いマニキュアの指先にはセブンスター。二人がカタギじゃないことを一枚の画で観せる。そして海に出る父と見送る子たちを、寅とリリーの対岸に置く辺り、綿密に計算したのではなく、自然とそうなったんだろうな。美しい。山田洋次と網走はよっぽど相性が良いのかな。 今までとは違うタイプのマドンナのリリー。中学で家を飛び出てフーテン暮らしという、同じ境遇のリリーに、寅もさぞシンパシーを感じたことでしょう。酔ってとらやに来たリリーをなだめる寅。「昼間みんな働いて、疲れて寝てるんだ。ここはカタギの家なんだぜ?」こんな格好いい大人な寅を、旅先でなくとらやで観られるなんて。 寅を大人の男として信頼して、子供のようにワガママを言えるリリー。そうか登だ。登の女版がリリーなんだわ。先の話をチラッと調べたらやっぱり。前作を最後に登はしばらく出て来なくなります。メッチャ残念。 一方リリーが結婚して、寿司屋の女将になったのは急展開。今までの作品同様、マドンナは寅のそばから離れて終わるんだけど、1作限りではあまりに勿体ないマドンナだったからなぁ。さて次回はどんなカタチで登場するのかな?[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-08-09 22:39:05)《改行有》

34.  続・男はつらいよ 《ネタバレ》 BSなんかで放送された映画は、レコーダーに録画したのをDVDに焼いて、後日それを観てます。男はつらいよは50作もあるので、間違いなくどれが何作目か解らなくなるので、タイトルの他に“○作目”って書いてます。さてシリーズ2作目。当時は本作でシリーズ終了予定だったそうで、寅次郎の過去を広げる作品で、“続”の名が示す通り前作の続き=後編の色合いが強く感じられました。オープニングの歌も2番でしたね。 序盤で涼しい顔してさくらに5,000円札を渡して、見えないところで「痛かったなぁ今のは…」ってボソッと言う寅が人間らしく、訪ねてきた男が息子だと知った菊が、一瞬嬉しそうな顔をしたあと「今頃なんの用事かね、銭か?銭はあかんで」と突き放すのもまた人間らしい。親子だなぁ。 グランドホテルが今で言うラブホテルだったのと、ラブホに女中が居るのも驚いた。女中がお茶持ってきたり浴槽とかバイブとか鏡とかの説明するんだね、カルチャーショック。お決まりのお笑い要素、お母さんとか母親とか言っちゃダメって言ってるそばから次々と言っちゃったり、葬儀の車で藤村先生ととなりになったり。“気まずい状況”を笑いにするのは、寅さんシリーズらしい面白さ。 2作品を前編と後編として考えると、本作の根っこにあるテーマは引き続き“寅次郎の家族との再会”です。そして前編に当たる1作目が妹の結婚に甥の誕生と“若さと生”がテーマだったのに対し、後編に当たる本作のキーパーソン、母と恩師による“老いと死”がテーマでしょう。 京都で再会した散歩先生は寅に「お前の母親もいつかは死ぬ。その時では遅いのだぞ」と会いに行かせる。母との再会は、観ていて辛くなるほど凄まじく重たい結末に。だけどその後、寅が先生と2人で泣いてるのが、映画全体が湿っぽくならない上手い塩梅だと思いました。 今朝、天然のウナギが食べたいと言った恩師が、夕方には静かに死んでいる。死はそれくらい突然訪れる事を身を持って体験した寅。あれだけ凄まじい出会い方をした母親と、仲良く三条大橋を歩いていく。前作の登とのエンディング同様、菊と寅が仲良く歩くまでに至った過程を省く作風が想像力を掻き立てて、私はとても綺麗な終わらせ方だと思いました。 ところで、前作のマドンナが坪内冬子。本作のマドンナが坪内夏子。同じ坪内姓なのって、御前さまと散歩先生って親戚とか遠縁とかなのかな? 冬子に夏子。あと妹がさくら(春の花)、母親がお菊(秋の花)と、『前作がヒットしたから急きょ創られた』みたいだけど、この2作品で見事に完結させてます。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-06-03 17:16:18)《改行有》

35.  男はつらいよ 《ネタバレ》 寅さんはテレビドラマの最後にハブに噛まれて死んでしまった。って、バラエティ番組で観た記憶がある。そんな主人公が銀幕に蘇り、ギネスに載る長寿シリーズ化するとは、当時のスタッフたちも、ファンたちも、思っても見なかったことだろう。 本作はまだ長期シリーズ化は考えていなかったため、一本完結のまとまりの良さを感じる。…といっても、シリーズの各作品の関連性・連続性なんて、殆ど感じない作品だけど。寅さんは私も、数作品程度は摘んで観てみたことはあるけど、全話CSで放送されるこの機会に、通して観てみようと思い立った次第です。さぁ最後まで完走できるかな? 1作目にして寅さんの基本設定が全部入ってるように思う。寅が帰ってくる。トラブル起こして出ていく。マドンナに恋して気分良く戻ってくる。フラれる。出ていく。更に柴又のレギュラーキャラは、本作で殆ど全員出てくるんじゃないかな?まさか1作目からさくらが結婚して、満男まで産まれるとは思わなかった。このまんま50作突っ走ったのか。やっぱりすごい作品だわ。 1作目は他作品と違って、寅が20年ぶりに柴又に帰ってくる。寅さんと言えば『生まれも育ちも東京葛飾柴又』…って本人言ってたけど、14歳で出ていって以来の帰省だろうから、地方の方が長くなってるぞ? さくらが凄く可愛い。私が観たのは'80年代以降のシリーズだったから、本作の若くて美しいさくらに驚いた。たぬき顔で茶髪で膝上スカートで脚が綺麗で身体細くて。キーパンチャーなんてモダンな仕事してて。キツネ目でいい加減で馬鹿でヤクザな寅と、兄妹なのが信じられない。 本作は冬子がマドンナ・ポジションだけど、真のマドンナはさくらじゃないかな。20年ぶりにやっと会えたら、結婚して離れ離れ。本作以降いつも隣りにいるけど、永遠に距離が縮まることのないシリーズの陰のマドンナ。そんなさくらにスポットが当たったのが、まさかの1作目だったとは。 大企業のBGからお見合い、結婚、出産と、1作の間に大人の階段を登っていくさくらに対し、35歳にもなって麦わら帽子に釣竿持って冬子のところに遊びに行く子供みたいな寅。『生まれも育ちも東京葛飾柴又』あぁ、寅次郎って20年前から、14歳の頃から時間が止まっているんだな。 父との大喧嘩から家を飛び出し、テキ屋稼業で生計を立て、舎弟の登の面倒を見て、可愛い妹は嫁に行き…『男はつらいよ』の意味が、マドンナにフラれるから以外の意味も、しっかり持たせてある1作目でした。 一年後、喧嘩別れ同然に故郷に帰したハズの登と一緒にテキ屋をしている寅次郎にほっこり。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-05-24 23:48:27)(良:1票) 《改行有》

36.  おくりびと 《ネタバレ》 私の地方では“湯灌の人”って呼び方だったかなぁ?葬儀屋さんの仕事の一環だと思っていたけど、納棺師という独立した職業があることと、案外歴史は浅いことなど、この映画をキッカケに、雑学知識がちょっと増えた気がします。 人の死という重たいテーマだけど、程よくコメディ要素を入れて、エンタメとして取っ付き易い作品にしています。 妻の「汚らわしい」発言は、ちょっとオーバーな演出に思えたかな。まぁ遺体に触った手で触られることに抵抗を感じるのは無理の無いけど、潰した鶏の頭や足まで食卓に並べる人が言うセリフじゃないような…活タコにビビってたのに… 裏表のない夫婦関係だからこそ出てきた言葉って考えたいところだけど、奥さんに内緒で1800万円ものチェロを買う。納棺師になったことを黙っている。突然実家に帰る。妊娠したことを告げずに突然帰ってくる…ちょっと変わった夫婦関係だわ。 困ったのは旧友の見下した態度。「もっとマシな仕事しろ」は、東北山形の土地柄なのか、納棺師の成り立ちに対してだろうか。普段納棺師について考えたことがなかった分、そこまで言われる仕事なの?って。 ただこうした極端な反応があるから、彼らの丁寧な仕事ぶりが光って見える。納棺師に対する見方が変わる。 考えたら世界中に葬儀の手順や儀式があって、この“納棺”は日本独自の文化なんだろうね。所作がとても美しく、良い風習だよなぁって思えました。 この映画が葬祭業にスポットを当てて、生活から切り離せない尊い職業の一つとして認識させた功績は大きかったと思います。 そして人の死という重たい生業で生活している人もいる事を思うと、軽いコメディ色も上手な味付けに思えました。 死と隣合わせの生。生きる象徴の食。干し柿、フライドチキン、フグの白子の美味そうなこと。そして性。広末のスタイルとファッションのエロ可愛さ。余貴美子はなんか居るだけでエロい。困ったことに。[CS・衛星(邦画)] 8点(2023-05-09 20:19:33)《改行有》

37.  座頭市喧嘩旅 《ネタバレ》 初・座頭市。いや面白いわ。勝新太郎といえば丸々っとした中年男の印象しかなかったけど、思ってたのとぜんぜん違う。最初の賭場から格好良い。「暗闇ならこっちのもんだ、見当付けて斬ってきな!」台詞もバシッと決まってて、痺れるわぁ~。 続き物で、前作と繋がりがあるのか、各話単体の話なのか解らないけど、この話だけでも市がどういう人物か充分に理解できる単純設計。普段の穏やかな口調と、啖呵を切る迫力の落差が凄い。 居合斬りの格好良さだけが売りではなく、籠屋の親分とのお美津を取り返すやり取り。堂山の彦蔵との値段吊り上げのやり取りから、市の一筋縄ではいかなさが滲み出ていてまた面白い。 そしてお久がなんか良いなぁ。悪者側の女だけど、つくづく男運が悪いというか要領が悪いというか。憎めない人物像が好感。 驚くほど出てくる『メクラ』って言葉。私の子供の頃は、まだあった言葉だなぁ。反対の言葉は『メアキ』って言うのか。「やぁ~い、メクラだメクラだぁ~」って追いかける子供、それ見て笑う大人。…こりゃ今の世の中じゃ地上波でも衛生でも放送できないか、こんなに面白いのに。『胡麻の蠅』とか普段聞かない言葉も出てきて、勉強になるなぁ。 本作は五作目。座頭市は作品数も多いけど、他の作品もこれくらい良く出来た娯楽映画なのかな。観てみたくなった。[インターネット(邦画)] 8点(2023-03-04 12:48:38)《改行有》

38.  高校生ブルース 《ネタバレ》 オープニングの4バカ(あ、ウルトラマンタロウの人だ!)、女子の生理日チェックに、もっとヌードや性行為が売りの、ロマンポルノ的な映画かと思っていたけど、大人に成りかけの子供が妊娠してしまうという、当事者の悩みと苦しみが丁寧に描かれていて、エロスよりそっちに関心が向かってしまい、観終わって心がズシンと重くなる内容でした。 スラッとしてスタイルと姿勢が良く、顔立ちが整っていて、今の目で観ても美しい関根恵子。当時15歳にしては大人びて観える。 彼女の表情が演技演技していなくて、例えば昇に妊娠を告げる不安げな表情。佐伯のオジサマに嫌悪感を示す表情。とてもデビュー作は思えない。 興味本位で美子と関係を持って、妊娠を告げられて動揺する昇の台詞。責任を背負いたくない感じがよく出ている。 それでもスラックスにネクタイで、妊娠の本を読んだり産婦人科に行ったりと、子供なりに何とかしようともがき苦しむ姿が生々しい。堕胎費用を工面しようと、美子にも家族にも内緒でバイトするところなんか、自分が撒いた種、美子の妊娠を無かった事にする努力がリアル。内田喜郎がこれまた見事に演じていた。賢そうで内気っぽく、イザって時に頼りなさげなところが、イケメン五十嵐とまるで違う。でも目に力があるなぁ。窓際から美子を見る姿に、昇が何を思っているのか手に取る様に解る。 クライマックスの体育倉庫の衝撃。本当に、痛いんじゃないか?これ、演技なのか?関根恵子、演技でこんな表情出来るのか?デビュー作で。若干15歳で。 昇の苦しそうな表情から、徐々に遠慮が無くなる負の感情も伝わってくる。自分が撒いた種なのに、まるで逆恨みのように。延々と続く苦しみの表現に思わず目を伏せたくなってしまうが、目が離せない。映像の力が凄い。 硫酸。いつも笑っている少女。微笑ましいカップル。そして今の自分。「~これから始まるのよ…」オープニング同様、堂々と胸を張って歩く美子が美しい。[インターネット(邦画)] 8点(2023-01-12 23:00:31)《改行有》

39.  鬼龍院花子の生涯 《ネタバレ》 面白い!五社英雄監督作品と相性イマイチな私だけど、この作品はとても面白かった。少し前の日本社会の裏側アリ、女同士の闘いアリ、もちろん濡れ場アリと、しっかり五社五社してるんだけど、何だろうこの映画。そうだ朝ドラだ。 貧しい家庭から丁稚奉公同然に養子に出され、家業とは正反対の女学校を目指して勉強し、親に反対されつつも好きな人と暮らし…たまたま観出した朝ドラが大当りだったような、そんな面白さ?夜の朝ドラ?裏社会の朝ドラ?そんな感じ。だから朝ドラ好きな人はきっと楽しめます。 何より仲代達矢演じる鬼政のキャラクターが面白い。凄みはもちろん、人間味が溢れていて、もし目の前に居たら絶対怖いんだけど、なんか憎めない魅力がある。労働者同盟の件で須田から三行半を突きつけられた時の行動は、もう声を出して笑ってしまった。五社さんがこんな映画を撮れるなんて思わなんだ。もちろん仲代さんの持ち味が大きいんだけど、遺憾なく発揮されていた。 岩下志麻の歌も良い役だった。いつもの岩下さんのように触れちゃいけないオーラを出してるんだけど、どこか親しみやすい温かみが感じられた。松恵が初潮を迎えた時、笑若が聞こえるようにイヤミを言えるくらい、親しい存在の姐さんなんだろうなぁ。って。 圧巻は松恵役のふたり。仙道敦子はまだ13歳なのに目に力がある。お駄賃貰ってお礼言うシーンなんて、当時の子役の演技としては満点じゃないだろうか。夏目雅子の、散々抑えて抑えての演技からの「なめたらいかんぜよ!」の迫力は目がバチッと覚める格好良さ。鬼政に遺骨を握りしめて微笑むところまでがワンセットで素晴らしい。 ワンセットと言えば、歌が酔ってつるに絡む所で「なめたらいかんぜよ?あてぇは鬼政の女房やき…」を幼い松恵が隣で聞いていて、それを受けての「あてぇは…鬼政の娘じゃき…なめたらいかんぜよ!」だから映える。母と子の絆。 “鬼龍院花子の生涯”何とも不思議なタイトルだ。ちょっと頭の弱い、空気の読めない、ワガママな子。『おとうさん おねがい たすけて』はがきの裏にひらがなで、鉛筆で書かれた文字。 有名なタイトルなのに、こちらのキャスト一覧に名前も出てない女優さん。高杉かほりさんだって。wikiのページもない。 映画のオープニング、出演者紹介の、何人目に出てくるかな? 仲代達矢 夏目雅子 中村晃子+佳那晃子 夏木マリ+高杉かほり(新人)+新藤恵美  ←はいココ! 内田良平+綿引洪+小澤栄太郎 …決して当時の東映が、力を抜いていたわけじゃないみたいな、そんな印象。公開前の予告編ではオオトリに名前が出てました。 この殆どスポットの当たらない花子がタイトルなのが面白くて、色んな解説を読んでも、どうもストンと落ちません。なんかそこを含めて素晴らしい作品だと思います。[インターネット(邦画)] 8点(2022-11-21 20:29:25)《改行有》

40.  TRICK トリック 劇場版 ラストステージ 《ネタバレ》 TVシリーズの1作目をリアルタイムで観られたのは、本当に幸運だったと思っています。金曜の深夜、さぁ寝ようか…って時にたまたま流れていた新番組。ぼんやり観ていたら目が離せなくなって…こんな夜中にこんな凄いドラマ流して良いのか?って。 TVドラマのDVDセットを買ったのは、後にも先にもTRICKとTRICK2だけ。私にとって本当に特別な作品でした。 TRICK劇場版の出来がイマイチで、金曜ナイトドラマからゴールデン帯に進出した第3シーズンで、ガッツ石まっ虫とかって悪ノリキャラが出た時点でTRICK熱が冷めて、パタッと観なくなりました。 前置きが長くなりましたが、劇場版4作目にして最後の最後との事で、自分の中でもこの作品群に決着を付ける意味で、劇場に足を運びました。 まぁ酷い出来です。第3シーズン以降の悪ノリ・テイストはそのまま。マンネリ化したドラマパート。面白くないギャグ。ノルマでもあるのか?ってくらいに、質より量と言わんばかりに、1分に1回ペースでコテコテのつまらないギャグを入れてくる。稀に初期の頃みたいな面白いギャグもあるんだけど、つまらないギャグのラッシュに埋没してしまうのが残念に思います。 ギャグとドラマのバランスが逆転しているから、奈緒子も上田や矢部に対して最初からタメ口・呼び捨て。いや基本は“さん付け”で呼ぶから、ギャグパートの“呼び捨て”が活きるんでしょ。 劇場版になるとどうしても人がどんどん死んで、重たい空気になるのは相変わらずです。ただ、そもそもこのドラマは、本物の霊能力者に殺された父の真相を追い求める奈緒子の物語。結構重いんです。菅井きんと母之泉って、視聴者に1作目エピソード1を意識させる演出が、本当に最後の作品として創ってるんだなぁって思わせます。 最後の最後で芸能界を引退した前原さん登場。やっぱTRICKは菊池でも秋葉でもなく、石原なんだと再認識。瀬田くんも出てほしかったな。大病される前の元気な野際陽子さんが観られるのも、今思うと嬉しいです。 上田次郎は、あのキャラのままで現在まで続けても、何ら違和感を感じないキャラクターですね。矢部謙三も。 だけど山田奈緒子は…仲間由紀恵も本作では34歳。マンネリドラマだけに、20歳の頃から成長してないキャラを演じ続けるのは、彼女もきっと苦しかったと思います。気になったのが南国が舞台なのに奈緒子は、昼夜問わず終始長袖&ロングスカート。単に日焼けできないのか、肌が弱いのか、自分の代表作の最後だから、頑張ってくれたんだと思います。でも最後は半袖でしたね、ひと安心。 フーディーニで始まりフーディーニで終わる。「上田さん、最後に一つ賭けをしましょう・・・そしたら、餃子と寿司を死ぬほど奢ってくれ!」死を前に上田に見せた、奈緒子の寂しそうな精一杯の笑顔。 「生まれた時から、笑ったり、冗談を言ったりすることが苦手だった…練習しても上手くいかない。」第一話で一番最初の奈緒子の自己紹介。そんな彼女の14年ぶんの笑顔に、もう涙が止まらない。そして鬼束ちひろの神曲『月光』。ギャグパートにクスリとも笑わなかった劇場の、あっちこっちからすすり泣きが…みんな照喜名みたいにTRICKが大好きな人たちなんだな。だってみんな、公開初日の最終上映に来るくらいなんだもの。 単にこの映画が終わるのではなく、14年前の金曜深夜から続いた物語が、いま終わる。 この作品でブレイクした仲間由紀恵と阿部寛は、今後も芸能界の第一線で活躍するだろうけど、山田奈緒子と上田次郎には、もう会えないんだなって。 深夜0時直前の研究室。出会った時と同じマジックを見せる奈緒子と、目に涙一杯貯めて嬉しそうに微笑む次郎。山田と上田の2人だけの“ラストステージ”。 なんと完璧なエンディングを用意してくれたんだろう。あまりの余韻に劇場が明るくなっても暫く立てませんでした。 客観的に観て中身は3~4点です。だけど14年も続いた物語の、期待を大きく上回る素晴らしいエンディングに、この点数を付けさせていただきます。[映画館(邦画)] 8点(2022-10-24 23:56:53)《改行有》

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