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プロフィール
コメント数 116
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから9年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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41.  あらしのよるに 《ネタバレ》  【チリンの鈴】を投稿したら、その2日前に、当作品が投稿されていました。「確か【あらしの…】は【チリンの…】と違い、ヒツジでなくヤギだったけど、オオカミが絡む物語だった」と思い、皆さんのレビューを拝読させていただきました。  皆さんのレビューを拝読するまで、私は漠然と【ベストセラーの絵本のアニメ化。“対立や支配・被支配”の関係にある所属集団を“オオカミとヤギ”に置き換え、異なる立場の垣根を越えて育まれる友情の物語】と思っていました。しかしレビューの拝読で「え?同性愛を意図したお話なの?…メイをメスにして異性愛のお話にしたほうがシックリくる?そうなの?」と戸惑いました。  そこで「原点に帰って観賞しよう」と決意。絵本(講談社の大型版‐第1~7巻)を図書館でかりてから、DVDをレンタルしました。   まず、絵本を読んだ感想から。 【第1巻:あらしのよるに】は【①互いに異なる立場にあり、②同じフレーズに対して別々のイメージを抱いているにもかかわらず、③絶妙に会話が成立する面白さ】を軸にしたシチュエーション・コメディという印象。勿論、聞き手である子供達には「正体がばれて、ヤギさんが食べられたらどうしよう…」といったハラハラドキドキはあるでしょうが、少なくともこの時点では、奇妙な【友情もの】であっても【感動の物語】ではないな…と思いました。本来、この1巻だけで終わるはずだったとか…。  【第2巻:あるはれたひに】は、子供達には「食べちゃうの?/食べられちゃうの?」とハラハラドキドキの要素は増すでしょうが、ユーモラスな語り口はそのまま。これもシチュエーション・コメディの一種という印象。  【第3巻:くものきれまに】もコメディの印象。特に【ヤギの友人・タプが、去ったかと思ったら再び現れ、慌てふためくメイ】のシチュエーションの繰返しは、吉本新喜劇やドリフのようなドタバタ場面を連想しました。  しかし【第4巻:きりのなかで/第5巻:どしゃぶりのひに/第6巻:ふぶきのあした/第7巻:まんげつのよるに】は、シリアス路線へ…。しかも【性愛的】なニュアンスが目立ち始め、巻が進むほど【目を合わせる/濡れて冷たくなった身体に、温もりを感じた】【いつも一緒にいられることが楽しかった/二匹の心はもう一つになっていた/今夜は、あんたと、こんな綺麗な月が観られて最高の夜/ええ、ガブと一緒なら】【ああ、あの身体、あの歩き方、大好きな相手だから、すぐにわかる/もう、二度と、あの優しい眼でこの私を見てはくれない】…これらのフレーズ(絵本は仮名文字ですが、私なりに漢字に変換)は【恋愛もの】の常套句のような気がしました。さらに【これ以上、一緒にいたら、おいら、何をするかわからねえ/早くどっかに行ってくれ、おいらが我慢している間に…】も、好きな女の子の前で、性的衝動を抑えている健気な男の子のセリフでは?と思ってしまいました…ただ、少なくとも最後の【健気な男の子のセリフ】という感想は、私が【大人】だから連想するものであり【絵本が想定している読み手・聞き手である子供達】なら、このようには感じないでしょうが…。  最終的には、ストーリー以上に【当初の製作意図を越えた反響により、おそらく様々なプレッシャーにさいなまれながらも、足掛け11年間で見事に物語を完結させた、きむらゆういち先生の努力】に感動しました。  次に、アニメ版の感想は…絵本なら、読み手・聞き手による想像力によって補えるような【曖昧な面】も、映像作品となると具体的にきっちり描写しなければならず、杉井ギサブロー監督を始めとするスタッフの皆さんの多大な苦労が伝わってきました。  ただ、キャラクター達の容姿にしろ、声(性別)にしろ【作り手の一解釈として、具体的に既定せざるを得なかったこと】が、逆に、絵本ならではの【読み手・聞き手なりの自由なイメージや解釈の広がり】を奪ってしまったとも言えるかな…と思いました。そのあたりが、当サイトでの様々な批判的な意見につながっているのでは…という気がしています。  さて、採点ですが…杉井ギサブロー監督には申し訳ないですが「あくまで“一解釈”であって、絵本で読んだほうが…」という意味で、基本は「可もなく不可も無し」の5点。ただし、きむら先生・作の【あかちゃんのあそびえほんシリーズ:偕成社】で、一時期、個人的に大変お世話になったこともあり、先生への感謝を加味して6点とさせていただきます。  いずれにせよ、当アニメはファミリー映画であり、一人でも多くのお子さんが、観終わったとき「これからも友達と仲良くしよう」という気持ちが残れば、成功なんじゃないかな…と思います。  *備考:【チリンの鈴】は、別途、レビューを投稿しています。[DVD(邦画)] 6点(2020-07-23 14:02:55)《改行有》

42.  ゴジラ(1984) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。テレビ東京でも8/2(火)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品が製作発表された1983年当時、高校生だった私の周囲では「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトに期待感を持ち、完成を楽しみにしていたものです。しかしスーパーXという架空のメカが登場するとわかり、一同、劇場へ行く気持ちが萎えました。そして公開時の1984年の冬は、↓のあばれて万歳さんがおっしゃっている通り「ゴーストバスターズ」「グレムリン」と共に「クリスマス・お正月映画‐3G決戦!」と宣伝されたものでしたが…観客の皆さんの評判は、良いものではありませんでした。そして、その後のTV放映を観て「ああ、やっぱり…」と思ってしまったものです。  今回、あらためて観直して「残念」な作品だと思いました。以下、三つの点から述べます。  まず一つ目。「現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトを完遂するなら、スーパーXを出さずとも【ゴジラを倒すにあたり、米ソが何と言おうと、被爆国として二度と核兵器は使わない→しかし自衛隊の総力を挙げても倒せない→渡り鳥の発する超音波を再現し、ゴジラの帰巣本能を刺激して誘導し、見事に成功する】だけでも、十分、見応えのあるものになったのでは…と思います。当作品が公開されてから30年以上経ちましたが、いまだにスーパーXと思しきメカは作られていません。たとえ「ゴジラが実際に現れた後の日本」という設定だったとはいえ、やはり実際の科学水準に比してスーパーXは突飛な存在であり、せっかくのコンセプトを壊してしまったと言わざるを得ないと思います。作り手の皆さんの間でも、スーパーXについては、意見が分かれたのでは…と推察しています。  そして二つ目、何よりも致命的に感じたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、展開が単調・平板すぎることです。まず各シーンについて、俳優さん達は、経験値により上手い・下手の差はあるにしても、皆、熱演していると感じましし、特撮も頑張っていたと思います。しかし各シーンどうしのつながりや場面転換がぎこちない印象を受けました。さらに音楽も、ごく一部を除いて控えめな使い方をしており、各シーンと共に消えがちでした。ときには、あるワンシーンの中でさえ【特撮のカットで流れていた音楽が、実写(本編)のカットになった途端、突然消えてしまう】という箇所もありました。その結果、映画の流れも、音楽と共にその都度ブツッと途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。映画音楽には、シーンやカットどうしの流れを円滑につなぎながら盛り上げていく効果もあると思います。映画監督さんの中には、この効用を「安易」と嫌って音楽の使用を極力避ける場合があるようですが…ドキュメンタリータッチをねらって控えめにしたのでしょうか?。  最後に三つ目、これは総論となりますが…ゴジラと銘打ちながら実は、原子怪獣現わる(1953年)のリメイクをつくりたかったというGODZILLA(1998年)よりも(→詳しくは、GODZILLA(1998年)のレビューをご覧ください)、「ゴジラを復活させたい」という作り手の皆さんの思いはずっとピュアだったと思うのです。それなのに、GODZILLAのほうが【劇映画・娯楽映画】としては無難に仕上がっているのが残念でなりませんでした。↓のアングロファイルさんがおっしゃっている通り、コンセプト(アイディア)はいいものの、表現力が伴っていなかったようです。おそらく、スタッフの皆さんも「本当はもっとハラハラドキドキの映画になるはずだったんだけど…」と物足りなさ・悔しさが残ったのではないかと、推察しています。シン・ゴジラ(2016年)を観た当時のスタッフさんの中には「そうそう!本当はこういう風にしたかったんだ!」と思う方もおられるかもしれません。  さて採点ですが…【劇映画・娯楽映画】としての出来映えだけなら3~4点ですが、結果はどうあれ、ゴジラが単体で登場する貴重な作品の一つであり、原点回帰を目指した点は素晴らしいと思います。そして「ゴジラを復活させたい」というスタッフの皆さんの情熱が、後の「VSシリーズ」、そして、同じく原点回帰をねらったシン・ゴジラ(2016年)へとつながったのだと思います。その情熱を加味し、大甘で6点を献上いたします。[地上波(邦画)] 6点(2016-08-06 15:15:51)(良:1票) 《改行有》

43.  斉木楠雄のΨ難 《ネタバレ》 TV放送されたので鑑賞。漫画の実写映画化は当作品だけに限りませんが、かつて私は原作漫画をタイムリーに(連載の途中までですが…)読んでいたので、観てみました。因みにアニメ版は観たことはありません。  今回の映画版を観て意外だったのは【照橋さん】のエピソードが物語の軸になっていたことです。何故なら【照橋さん】は、チヤホヤされ続けた女性に“あり得るかもしれない”ダークな内面(ちょっと極端すぎますが…)を戯画化したキャラクター。そのため「生身の女優さんが演じると、観客からは、役柄を越えて女優さん自体への反感へとつながり、女優のキャリアにとってマイナスになりはしないか。そうしたリスクを踏まえ、【照橋さん】のエピソードは周辺的なものに留まるのでは…」と予想していたからです。  その意味で、橋本環奈さんは、変顔を一生懸命につくりながら三枚目風で大袈裟に【照橋さん】を熱演?しており、上記のリスクを回避できた…のかもしれません。もっとも、↓の【あばれて万歳さん】もおっしゃっていますが、彼女のような“ハスキーボイス”は、外国と違い日本では“可愛い”の要素から外れているようなので、三枚目的な脚色をするにはちょうど良いキャスティングだったのかも…。  なお、私が漫画で好きだったキャラクターは、見た目は怖いが『実は、欲深なところが無く純真。友達や母親思いで、動物にも優しい』という【燃堂くん】であり、心温まるエピソード(大抵の場合、ギャグもセットでしたけど…)が漫画にはたくさんありました。打算の塊のような【照橋さん】とは対照的なキャラクターで、個人的には漫画の長期連載を支えていた魅力の一要素になっていると思ってきました。新井浩文さん扮する【燃堂くん】は、外観に加え、飄々とした雰囲気は、漫画を上手に再現していたと思います。ただ、上述の心優しい面が(映画の脚本で)削ぎ落とされていたのが、ちょっと寂しかったです。  さて、採点ですが…【モノローグ主体】という漫画と同じ構成は、映画のような長丁場でずっと聞き続けると疲れてしまうかもしれませんが、TV放送だとCMが休憩タイムとなり観やすくなっていたと思います。その意味でTV放送向きの作品かもしれません。そこで「TVでの鑑賞を前提に、ごく軽い気持ちで観るぶんには、可もなく不可もなし」の5点とさせていただきます。ただ、もし【燃堂くん】を軸にした人情物語にしていたら、もう少し点数が高かったかもしれませんが…。パート2があるなら(多分、無いでしょうけど…)、是非【燃堂編】を! *平成30(2018)年10月15日(月) 追記 : 【あばれて万歳】さんが、私の拙文を読んでくださっていたとわかり恐れ多いです…。もし、私もアニメ版を観ていたら【照橋さん】及びこの映画の印象も違っていたかもしれませんね。詳しい返信(説明)文を追記していただき、ありがとうございました。説明文を拝読すると、上述の私の【引用】による解釈はピント外れだったようです…。いっそ修正しようかと思いましたが、今後、他のレビュアーさんが読んでくださったときに、追記との関連性がわかりやすいかな…と思い直し、恥ずかしいですが、そのままにしておきます…。[地上波(邦画)] 5点(2018-10-14 21:49:01)《改行有》

44.  大忍術映画 ワタリ 《ネタバレ》  TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、今さらながら、その埋め合わせのために観ました。  私も、長年、知識としては「①東映がTV進出を念頭に、漫画・ワタリを映画化。②そのままTVシリーズにしようとしたら、原作者の白土三平氏が映画の作風に激怒したために頓挫。③代わりの原作者として横山光輝氏を招き、TV化したのが赤影だった」と把握していました。その意味で、↓の【伊達邦彦さん】がおっしゃる通り、【赤影のパイロットフィルム】と考え、今回、初観賞しました。レンタル店でDVDを取り寄せてもらって観ましたが、さて、結果は…    確かに、“青影”を演じた名子役・金子吉延さんや、“白影のおじさん”を演じた牧冬吉さんが出演しており、かつ、特撮だけに着目すれば【赤影】を想起させる場面がたくさんありました。しかし「掟の秘密を知った者は始末する」というように登場人物達の命が次々と奪われていくストーリー展開は、断じて【赤影】ではないと思いました。かと言って、それなら【白土三平ワールド】を表現しているかというと…表面的にはシリアスなストーリーであっても、雰囲気は、当時の明朗快活な東映時代劇の作風が漂っており、中途半端さは否めないようにも思いました。  私にとって白土三平氏の作品の映像化と言えば、TVアニメシリーズの【サスケ:1968~1969年】と【カムイ外伝:1969年】です。仮に、これらのTVアニメが先に世に出ていれば、ワタリが東映で映画化されることは無かったのでは…と思われます。一応、【少年忍者 風のフジ丸:1964~1965年】というTVアニメシリーズを東映は手掛けているようですが、この時点から白土三平氏は、原作者として名ばかりの扱いだったようで…。  さて、採点ですが…上述の【恐竜・怪鳥の…】に4点を献上した私としては【恐竜・怪鳥の…】に比べれば、まだいいかな~とは思う一方、他のお二人のレビュアーさん達がおっしゃる通り、白土三平氏が激怒するのも無理は無いと思うので、プラス1点どまりの5点とさせていただきます。  そして、結局は、【恐竜・怪鳥の伝説】の再見に対する気持ちを埋め合わせるという、本来の観賞目的は達成されず、満たされない思いは【怪竜大決戦:1966年】の再見へと続くのでした…[DVD(邦画)] 5点(2018-08-16 21:52:11)《改行有》

45.  RAMPO(奥山バージョン) 《ネタバレ》 公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年。事前に「プロデューサーの奥山和由氏が作品の出来に満足できず、奥山氏自らも作り直した。最終的に、黛版・奥山版という二つのバージョンが同時上映(ただし別々の映画館で)されることになった」と話題を集めていました。私は、まず黛版を観てから、当作品を観ました。そして当作品については劇場内でアンケートも募っており、その中の選択肢に「まるで洋画のようだった」という文面も盛り込まれていました。当時は邦画に元気がなく現在よりもずっと洋画に押されていた時代であり、奥山氏の「洋画に負けない映画を作ってヒットさせたい」という熱い思いが感じられました。 実際に観てみると…内容の骨格自体は黛版と同じであり、部分的に娯楽色を際立たせた演出を加えるという、言わば“改良版”といったものでした。確かに黛版に比べて娯楽映画として観やすくなっていると思いました。プロデューサー主導の映画という意味では、奥山氏なりに、最後まで諦めずにベストを尽くした作品と言えるかもしれません。 ただし、奥山氏には申し訳ないのですが…私の主観には合わず、最後まで感情移入できずに終わりました。黛版のレビューにも書いていますが、①主人公の江戸川乱歩氏について、実在の人物というより「創作物を現実のものにする不思議な力がある」というようにフィクションに取り込んでしまった設定自体に違和感を抱いてしまったこと、②【明智小五郎=モックン】という点も、私にはどうもイメージが合わなかったこと、の二点が引っかかってしまったのです。 そもそも、いわゆる江戸川乱歩ワールドは、おどろおどろしくマニアックな面があると思います。大ヒットを狙う娯楽映画という意味では、最初からファミリー向けに【怪人二十面相/少年探偵団】を題材にしたほうが…と思ったりもしました。 私にとっては「可もなく不可もなく」であり、5点ということで…。[映画館(邦画)] 5点(2016-01-31 20:10:14)《改行有》

46.  RAMPO(黛バージョン) 《ネタバレ》 公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年。事前に「プロデューサーの奥山和由氏が作品の出来に満足できず、奥山氏自らも作り直した。最終的に、黛版・奥山版という二つのバージョンが同時上映(ただし別々の映画館で)されることになった」と話題を集めていました。私はまず、この黛版から観ました。 感想としては、確かにとても堅実な作風だな、と思ったものの…黛監督には申し訳ないのですが、NHKの土日の夜に放送しているスペシャルドラマを映画館で観ているような気持ちをぬぐいきれませんでした。 また、これまた申し訳ないのですが、主人公の江戸川乱歩氏について、実在の人物というより「創作物を現実のものにする不思議な力がある」というようにフィクションに取り込んでしまった設定自体にも違和感を抱いてしまいました。【明智小五郎=モックン】という点も、私にはどうもイメージが合わず、最後まで感情移入できずに終わってしまいました。この感情移入が難しかったという点は、次に観た奥山版も同じでした。 ただし、あくまでも私の主観にはまらなかっただけであって、黛監督は誠実に作り込んだと思います。奥山版のレビューにも明記しましたが、大ヒットを狙うエンターテインメント色の強い娯楽映画をめざすなら、ファミリー向けに【怪人二十面相/少年探偵団】を題材に選んでいれば、奥山氏が不満を持つような作風にはならなかったのでは…と思ったりしています。いや、そうだとすれば、監督も違う人に依頼していたかもしれません。 私にとっては「可もなく不可もなく」であり、5点ということで…。[映画館(邦画)] 5点(2016-01-31 20:07:27)《改行有》

47.  恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》  【空の大怪獣ラドン:1956年】を投稿したとき、ちょうど【あばれて万歳】さんが当作品の投稿をされており拝読しました。それを機に、レンタル店でDVDを取り寄せてもらいました。時間はかかりましたが、その間に、他の皆さんのレビューも拝読した上で鑑賞・投稿させていただきました。  当作品が公開されたのは、私が小学校高学年のとき。ポスターの絵は格好いいと思いましたが…女の人が首長竜にくわえられており「この映画には、女の人が食べられるシーンがある」と直感しました。当時は【ジョーズ:1975年】などが流行っており、私は“人間が食い殺される”ということを想像するだけで怖くて仕方がなかったため、当然、当作品についても、映画館には足を運びませんでした。  後年、テレビ東京の午後に放送されたものを、途中(翼竜が町の人達を襲うシーン)から観ました。おそらく、↓の【さくぞう】さんが録画したときの放送では…と思います。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。音楽にしろ特撮にしろ「日本映画低迷期(力作もありましたが…)である1970年代の映画の典型だな」と感じたのです。そして、木の枝で主人公達が繰り広げるラストシーンも「長い・くどい・見苦しい」と、悪い意味で印象に残り「映画館へ行かなくて正解だったな」と思いました。  今回、再見してみて、当作品の【特徴】は、他のレビュアーさん達が言い尽くして下さっていると思ったので、以下、【脱線話】を…。  今回、私は、ムク・ショウヘイを見るなり「あ…TVシリーズ・仮面の忍者 赤影(1967~1968年)の“白影のおじさん”じゃないか」と思いました。上述のテレビ東京の放送を観たときには、既に出番を終えていた(食い殺されていた)キャラクターだったんですね。観終わった後、白影こと牧冬吉さんをはじめスタッフさん達を調べたところ…監督の倉田準二さんと、脚本家の一人である伊上勝さんは【赤影】のコンビだと知りました。きっと牧さんは、お二人から声をかけられての出演だったのだろうと思いました。  ♪優しいおじさん白い影。三人揃って力を合わせ…これは【赤影】の主題歌の3番の歌詞の一部です。ムク・ショウヘイが単なる役柄だったとはいえ、“優しい白影のおじさん”が、あのような最期を遂げたのは、悲しかったです。  年配のレビュアーさんならご存知かと思いますが、【仮面の忍者 赤影】は、残酷描写が皆無の明朗で真っすぐな作風でした。赤影・青影・白影といった忍者達のデザインや繰り出される忍術は、時代考証は横に置き、自由奔放で無邪気さに溢れていました。今から数年前、我が子が幼い時にDVDで第1部(金目教篇)をレンタルして観たのですが、「監督、この忍術のアイディアはどうでしょう?」「お、いいね!やってみるか!」といった活き活きした製作現場が目に浮かぶようでした。一緒に観た子供も夢中になり、しばらく二人で“忍者ごっこ”に熱中したものです(残念ながら第2部以降は、レンタル店から無くなり、観られずじまいとなっております…)。  それに比べ【恐竜・怪鳥の…】は血生臭くアダルトな場面もあり…と、あまりにも【赤影】とは対照的だと思いました。推測にすぎませんが「ジョーズのヒットに便乗して儲かればいいから…あ、そうそう、サービスカットとして女性の下着姿もお忘れなく」といった上役さんからのお達しで、倉田監督達は仕方なく作ったのでは…と思えてなりません。  なお【恐竜・怪鳥の…】の開始22分めに、赤ちゃんを背負ったお婆さんが、昔から伝わる子守唄を歌う場面があります。もし、あのように、その土地に根づいた雰囲気をもとに【赤影】のような作風にしていたら…億単位の製作費をかけたようなので【昔々、湖に潜む“ホオズキのように赤い眼をした竜=実は首長竜”に挑んだ者達がいた。それが現在でも伝説・子守唄として西湖に残った】といった時代劇にするのも可能だったと思います。忍者が登場するかどうかは別にしても、そのほうが、倉田監督達は、伸び伸びと本領を発揮して【ドカベン】との同時上映に相応しい作品になり得たのでは…と思ったりしております。おそらく当作品とは違った意味で突っ込みどころ満載になったでしょうが、ずっと好印象のものになったかと思います。  さて、採点ですが…【赤影】と【恐竜・怪鳥の…】の隔たりは10年です。“お家芸の時代劇の要素を盛り込んだ東映初のカラーのTV特撮番組”という意欲作だった【赤影】から10年の間に、映画会社・東映に及んだ諸事情を象徴する“迷作”が、この【恐竜・怪鳥の…】と言えるかもしれません。率直な印象は2~3点ですが、倉田準二監督・伊上勝さん・牧冬吉さん達に【赤影】で楽しませてもらった感謝の気持ちを込めて1点を加え、計4点とさせていただきます。[DVD(邦画)] 4点(2018-02-22 22:46:04)(良:2票) 《改行有》

48.  GODZILLA ゴジラ(1998) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。*テレビ東京でも8/1(月)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品は、公開前から「ハリウッドがゴジラをつくる」「1作目を意識した作品を目指している」と話題になり、しかも、なかなか全身像を発表しないなど、じらした宣伝をして巷を賑わしたものでした。そして夏に公開…私は当時、冷房のないアパートで独り暮らしをしていた頃であり、避暑を兼ねて映画館に足を運びました(笑)。ただし、もともと当作品が話題になるずっと以前に、原子怪獣現わる(1953年)とゴジラの1作目(1954年)をビデオで観ていたので、比較してみようとは思いました。  さて、実際に観てみると…真っ先に思ったのは「これって『ゴジラの1作目』でなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは私に限らず、公開当時のマスコミでも話題になりました。またゴジラ(1954年)のレビューにも明記していますが、当時のアメリカの人々が知っているゴジラの1作目は、怪獣王ゴジラ(1956年)という題名で日本でも公開された再編集版でした。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】というコンセプトでまとめたものであり、1作目の「反戦/核の脅威への警鐘」といったメッセージ性を削ぎ落とした作品でした。ある本で、この再編集版をオリジナル版だと思っている海外の書評を読む機会がありましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面でした。そのためGODZILLAを観たとき「あの書評は、個人的な感想ではなく、当時のアメリカの人々一般の考えを代弁したものではないか。そのため、GODZILLAも“ゴジラの1作目よりも優れた本当の怪獣映画である『原子怪獣現わる』をリメイクしよう”という意識が、製作サイドに働いたのではないか」と思ったものです。  事実、後年になって、↓の【あばれて万歳さん】がおっしゃっている通り、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたことを知りました。私の当時の直感は、当たらずとも遠からじのようでした…。  なお、公開当時を知る方々ならご存知だと思いますが、当作品の製作にあたり、アメリカ側は当初「ゴジラの製作権を全てアメリカ側が買い取り、以後、東宝には一切ゴジラを作らせない」という条件を出したそうです。上記のようにゴジラへの愛着が全くなく(読み直してみて、全くないと言いきるのはちょっときついかな…とも感じましたが、シン・ゴジラの製作陣に比べれば…と思ってしまいます)、ビジネスチャンスとしか考えていなかったこの条件に応じなくて、本当に良かったと思います。当時の東宝の皆様に敬意を表します。もし応じていたら、シン・ゴジラは存在しなかったわけですから…。  さて、採点ですが…製作サイドが『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったと言っているわけですから、ゴジラ映画としては0点です。もし将来『The Beast from 20000 Fathoms:原子怪獣現わるの原題』と改題し、登場する巨獣の名前をリドサウルスに吹き替えたなら、6~7点ぐらいはつけさせていただきます…否、あの巨獣はイグアナが放射能で突然変異したもの。イグアナは草食です。何故、魚を食べるのでしょう?…その安直さに、やっぱり4~5点かな…。[映画館(字幕)] 0点(2016-08-06 15:18:49)《改行有》

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