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プロフィール
コメント数 215
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123456
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61.  劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 《ネタバレ》 テレビシリーズにくらべてだいぶ出来が悪い。テレビアニメの演出は、シリアス部分とコミカル部分のメリハリが効いていて飽きないのですが、この映画版の演出では、シリアス部分とコミカル部分が入り混じって邪魔し合い、かえって感情移入の妨げになってしまってる。絵のクオリティも低くて、とくに炭治郎の涙が粘液質で汚らしいのは不快でした。 脚本の出来も相当に悪い。多くのことが説明不足で、消化不良のままに話が進んでいます。とくに乗客たちの状況については、炭治郎らが乗り込むまでどう過ごしていたのかも分からないし、平静を保っているのか正気を失っているのかも分からない。最後の産屋敷のセリフによれば「乗客たちは全員が助かった」ということですが、脱線して横転した車両内でどんな状況になったのかも不明です。炭治郎が、普通の人間に刺されたことで大きなダメージを負ったのも不可解でした。本当にあの人たちは人間だったのでしょうか? テーマの掘り下げも弱く、結果として杏寿郎の死にざま以外に描くべきものが無かったように感じます。本来なら「甘い夢を断ち切って現実に立ち向かうこと」の苦しみや葛藤をこそ描き切るべきですが、禰豆子が縄を燃やして血気術を絶ち、炭治郎が夢から覚醒する術を会得する過程が描かれただけで、杏寿郎や伊之助や善逸らがどのようにして「精神の核」を守り、どのようにして「甘い夢」を断ち切ったのかは十分に描かれていません。 乗客たちも「甘い夢」を見たがっていましたが、大正時代の鉄道に乗って夢の世界へ逃れようとする人々の姿には、宮沢賢治へのオマージュ(もしくは批判)も感じられます。しかし、彼らの姿から何を汲み取るべきかも分からないし、そこに最終的な救いがあるのかどうかも分かりません。 おそらく本作は、煉獄杏寿郎の死までを描くのが既定方針だったのでしょう。しかし、下弦を倒した後の上弦との戦いは付け足し・蛇足の感をぬぐえず、猗窩座のヴィジュアルや能力に新奇性がないのも肩透かしでした。彼らが鬼になった背景がまったく描かれないのも物足りないし、全般的に善逸の活躍が少ないのも不満でした。 テレビ版のほうは一貫して奇跡的なクオリティを保っていますが、映画化した途端にクオリティが落ちるというのは、製作の体制そのものに大きな欠陥があるせいではないでしょうか? 遊郭編に期待します。[地上波(邦画)] 5点(2021-09-27 13:13:56)《改行有》

62.  ゲド戦記 《ネタバレ》 遅ればせながら、テレビ録画を視聴。物語の構造が『千と千尋』や『ハウル』とまったく同じであることに驚きました。なぜ宮崎父子は、このような図式にここまで執着するのでしょうか? これも、やはり魔法使いどうしの戦いの物語です。テーマには微妙なズレがある気もしますが、おおむね「銭婆と湯婆の対立」や「荒れ地の魔女とサリマン先生」の対立が、ここでは「ハイタカとクモの対立」として反復されています。「真の名」や「竜」といったモチーフにしろ、「荒れ地」や「老いと死への恐怖」や「永遠に生きる心臓」といったモチーフにしろ、やはり前2作にそれぞれ通じ合っています。ついでにいえば、不安、後悔、卑屈といった感情がヘドロのようなイメージで表現されるところも同じです。 前2作との違いがあるとすれば、それは作品のメッセージがかなりはっきり明示されている点です。『千と千尋』や『ハウル』の場合は、最終的な作品のメッセージがさほど明瞭ではなく、多くを観客の解釈に委ねているのですが、本作では≪人間は不死を望むべきでない≫というメッセージを確定しています。あまりにメッセージが明瞭すぎて、かえって広がりの乏しさも感じました。 実際のところ、『ナウシカ』から最新作に至るまでの宮崎作品のすべてを≪不死願望の否定≫という観点で読み解くことはできると思います。しかし、そこに帰着するだけなら、手塚治虫ともさほどの違いはないのだし、個人的にはちょっと面白みに欠ける。そもそも人間の不死願望はそう簡単に否定できるものではないのだし、そのことの葛藤を簡単に片づけすぎているのでは? なお、絵の美しさという点でも、他のジブリ作品よりやや劣る気がしました。ただ、世間で酷評されるほどの駄作かといえば、まったくそうは思いません。[地上波(邦画)] 8点(2021-04-15 18:29:19)《改行有》

63.  ルパン三世 THE FIRST 《ネタバレ》 まったく期待してなかったけれど、意外に楽しめました。CGアニメもさほどの違和感はなく、スペクタクルの迫力も堪能できました。「考古学」を題材にした物語もわたしの好みに近いし、ルパンとヒロインの「疑似親子的」な関係も温かみがあってよかったです。 キャラクターデザインは、わたしの理想とは違ってましたが、それはまあ本作に限ったことではありません。ほんとはモンキーパンチの原作のようなアダルトでスタイリッシュな画風が好きだし(宮崎駿の可愛すぎるルパンは嫌い)、できれば次元と五右衛門も、ルパンの後方支援をするだけの金魚の糞じゃなく、互いに反目しあうような緊張関係にあってほしいのですけど、それをアニメで実現してくれたのは、いまのところ小池健だけです。 とはいっても、原作のような虚無的な物語が好きというわけでもなく、アニメ版にありがちなSFっぽい話が好きなわけでもない。そんなワガママな「理想のルパン像」を満たしてくれる作品に出会うのは難しいですね。[地上波(邦画)] 7点(2020-12-04 01:59:55)《改行有》

64.  鬼滅の刃 那田蜘蛛山編<TVM> 《ネタバレ》 スゴい内容でした。完全にハマってしまった感じです。 この物語には、2つの重要なメッセージがあります。しかし、その2つのメッセージは、互いに矛盾します。この矛盾こそが最大の魅力なのだと思います。 ひとつめのメッセージは「全力を尽くして戦え」ということです。主人公はどんどん強くなるのですが、つねにそれを上回るような強い敵が現れます。味方の側にも、自分よりはるかに強い先輩たちが現れます。つまり、敵であれ、味方であれ、自分よりも強い者たちがたくさん存在している現実が分かってくる。しかし、それでも逃げることができません。主人公のテーマ曲には「我に課す一択の運命と覚悟する」とあります。どんなに強い鬼が現れても、「一択の」(ほかに選択肢がない)運命に対して、最大限の力で立ち向かって、その鬼を倒していくしかありません。そこでふりしぼる最大限の力とは、そのつどそのつどのギリギリの限界値であることが繰り返し描かれます。 ふたつめのメッセージは「鬼は悪ではない」ということです。どんなに残虐で罪深い鬼であっても、それは本来的な悪ではなく、むしろ不幸な人間であることが示されます。那田蜘蛛山の累は、鬼になる以外に生きる道がなかった不幸な子供であり、鬼になったことで親と殺しあうほかなかった子供です。その境遇を描くことによって、彼がたんなる悪ではないという事実が明かされます。 物語の構造は非常に明解。次から次に前回を上回るような強い敵が現れる。その繰り返しです。人物造形もきわめて明快。怖いもの知らずの伊之助に対して、軟弱で臆病な善逸。ルール破りの炭治郎や冨岡義勇に対して、ルールに忠実な胡蝶しのぶや栗花落カナヲ。男性隊士が情に厚いのに対して、女性隊士はドライで血も涙もない、という面白い対比になっています。 物語の構造が非常に明解なぶんだけ、生きることの矛盾と葛藤がクリアに浮かび上がってきます。この物語から何を学ぶべきなのかと子供に問われても、大人たちは容易に答えを出すことができないはずです。強いていえば「人生は複雑で矛盾に満ちている」と答えるしかありません。[地上波(邦画)] 7点(2020-10-24 14:47:33)(良:1票) 《改行有》

65.  鬼滅の刃 兄妹の絆 《ネタバレ》 世にいう「キメツノヤイバ」なるものにまったく無知でしたが、やっとその魅力の一端が分かった気がします。 物語の冒頭は、目を背けたくなるほど絶望的な場面から始まります。しかし、そこから先は、ほぼ無双状態でサバイバルしていく展開になっており、いわば不遇な子供の自己実現の物語のように見えます。 きっと現実の社会にも、絶望的な状況から人生を始めなければならない子供は存在すると思うので、そのような子供たちにとって、こうしたサバイバルなストーリーは夢があるのかもしれません。 ただ、絶望からスタートする人生というのは、たいていの場合、自分自身が「鬼」になって社会への復讐を目指すような生き方になるケースが多いと思うのですが、この物語の場合は、復讐すべき相手のほうがそもそも「鬼」なので、自分自身はけっして鬼にはなれないのですね。そこがユニークなところだと思います。 主人公は、文字通り「心を鬼にして」鬼を殺していくのですが、じつは鬼と同じ悲しみを共有しており、つねに敵が鬼になった境遇や背景を意識せざるをえません。ある意味では自分の境遇も鬼と同じなのであり、さらにいえば、唯一残されている肉親の妹もまた鬼だからです。 主人公は、情け容赦なく鬼を殺していくけれど、心の底から鬼を憎むことができません。したがって、これは「復讐の物語」ではあるけれど、けっして「憎しみの物語」にはなりえない。それが、この物語の秀でた点であり、同時に倫理的な希望にもなっていると思います。 これは「鬼とは何なのか」という社会学的な問いであり、日本古来の桃太郎伝承=勧善懲悪神話に対する痛烈な批判でもあるはずです。[地上波(邦画)] 7点(2020-10-11 14:35:32)《改行有》

66.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 あの小人さんたちは、けっして人間に幸福をもたらしてくれる甘ったるい妖精さんではなく、現実的な生存競争のなかを生きている自然界の動物なのですね。かたや人間のほうは、この珍しい動物を利用して、何やらよからぬことを企もうとしている。したがって、人間と彼らの関係は、予定調和のファンタジーにはならず、むしろ『ジュラシックパーク』みたいな過酷なリアリズムになっています。 人間の心が豊かだった時代には、ああいう小さな生き物たちにも気前よく間借り(というより寄生)させていたのでしょうけど、社会が世知辛くなって樹木希林みたいな人間ばかりになったから、そのようなゆとりがなくなったのでしょうか。 大人の視点から見ると、この物語の着地点は、小人の一家がただ気の毒なだけで腑に落ちないし、樹木希林の言動がリアルすぎてドン引きでしたが、子供に見せるぶんには、ああいう小さな世界への感受性や想像力が養われて良い映画だろうと思います。たぶん大人よりもお子さんにお勧めの映画。[地上波(邦画)] 7点(2020-09-21 06:07:14)(良:1票) 《改行有》

67.  君の膵臓をたべたい(2017) 《ネタバレ》 こんな俗受け狙いの陳腐な物語を、わざわざ高く評価するのもどうかとは思うのですが、脚本や演出の技術面では意外なほどしっかりしているし、主演2人の魅力も存分に引き出せているし、映画的にみれば大きな欠点はありません。 強いて欠点をいえば、あまりにも丁寧に作られすぎていて、上映時間がやや長いことでしょうか。正直、長すぎてちょっと疲れました。たかだか少年少女向けの娯楽映画なのだから、サラッと100分以内にまとめてもよかったんじゃないかと思う。とくに「元カレ」のエピソードは省いてもよかった気がします。 この物語の裏テーマは『星の王子さま』なのですが、せっかく主人公がその本を読んでいるのなら、王子さまと薔薇のエピソードなどを2人の会話のなかに取り入れてもよかったかなと思いますし(薔薇とサクラじゃヤヤコシイけれど)、冒頭に出てくる「肝心なものは目に見えない」の一節も、もっと物語全体に活かして響かせていれば、陳腐な物語なりにもテーマ性が深まったかもしれません。 ちなみに、少年の名前が志賀直哉と村上春樹を足したっぽいのは、ちょっとダサい気がしました。どうせなら『星の王子さま』にちなんで「航士くん」とかのほうが可愛いと思うのですが。 いずれにせよ、これが美波にとっての代表作にもなったし、『セカチュー』以来の青春ヒット作にもなったし、それなりの技術的な水準にも仕上がっていますから、大衆映画としては十分に成功といえるでしょう。ためしに木下惠介や澤井信一郎あたりの作品に比較しても悪くないかと思います。[地上波(邦画)] 7点(2020-09-05 17:53:20)(良:1票) 《改行有》

68.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 《ネタバレ》 予想をはるかに超えた内容で、まったく理解できませんでした。使徒が「神の側」で人間が「悪魔の側」だとかいう話はネットで仕入れたニワカ知識だったのですが、その解釈がほんとうに正しいのかどうかすら自信がなくなりました(笑)。あらためて調べてみると、どうやら人間の始祖たるリリスも使徒であることに変わりなく、いわば使徒どうしの闘いなのだという背景が分かってきましたが、それにしても謎だらけです。 14年のあいだに、かつての仲間たちが何故ネルフと敵対したのか。シンジくんの肉体と精神はどう変容したのか。なぜアスカが生きてて綾波レイが死んでるっぽいのか。鈴原トウジくんはどうなったのか。シンジくんの母と綾波レイの関係とは何なのか。ゼーレとは何者で「人類補完計画」とは何なのか。渚カヲルくんとは誰なのか。2本の槍の意味は何なのか。シンジくんがずっと聴いていたカセットテープは何なのか。なぜ「急」ではなくて「Q」なのか。等々。 もともと「福音」というのはイエスの死と復活による救いのことだと思いますが、この物語におけるイエスの位置づけはまったく不明で、至るところに登場する十字架のモチーフも、イエス以上に根源的な意味がありそうなのですが、それも分かりません。 いろいろ分からないことだらけだったので、今回はレビューというより疑問点をメモしただけです(これから勉強します)。ちなみに、この作品が「理解不能なのに最後まで観れてしまう」のは、上記のような疑問の数々をシンジくんと観客が共有しているからですね。実際、置いてけぼりのシンジくんの姿は、わたしたち観客そのものです。「きっとシンジくんの目を通して謎が解けていくはずだ」と期待して、ついつい最後まで観てしまう…。これは端的にストーリーテリングの手法として優れていると思います。そのことと映像的な面を加味して評価しますが、『破』と同様に点数は暫定値です。 追記:あくまで個人的な推測ですが、使徒の個体性(自我境界=結界?)を守っているのが「A.T.フィールド」だとすると、それを破壊的に破るのが「槍」のような兵器であり、融和的に破るのが「シンクロ」のような現象じゃないかと思います。乗員とエヴァの「シンクロ」は双方を変容させるようだし、何らかの形で使徒との「シンクロ」も起こってる気がします。エヴァの変容のことを「擬似シン化」と呼ぶ場合があるようですが、この「シン」とは(シンゴジラのそれと同じように)「神」の意味を含むのでしょう。ただし、こうした自我境界の消失は、いわば核融合みたいに「インパクト」のトリガーにもなるのかもしれません。 この物語は、突きつめると、人間や使徒が「自我を守るために戦うこと」と「自我を超えて融和/融合すること」との両面によって展開してるように見えます。[地上波(邦画)] 7点(2020-08-30 14:27:32)《改行有》

69.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 《ネタバレ》 テレビ版も含めて、これまでちゃんと見たことはありませんでした。非常に独特の世界観で面白かったです。話が駆け足に進んでいくので、きっとテレビ版の短縮なんだろうとは感じましたが、それでも、ほとんどまともな説明もないまま、この独特の世界を物語っていく手腕には感心させられました。 主人公の碇シンジくんを見ていたら、それが将棋の藤井聡太くんの姿に重なりました。一般の人々は、彼がどんな戦いをしているのかを理解できず、せいぜい「お昼に何を食べたか」を話題にすることしかできません。まさに、そんな感じ。はたして藤井くんは、自分だけの戦いに孤独を感じないのでしょうか? 同じことは、たとえば10代のオリンピック選手にもいえるし、思えば、15才でデビューした宇多田ヒカルも、当初から「ボク」と「君」だけでかろうじて繋がり合える世界を歌っていましたね。 ロボットが、従来のように「道具」であるのならば、それを操縦するには大人の訓練や熟練が必要だけど、もはやサイバネティクスは「身体の拡張」ですから、むしろ身体能力や適応性に優れた少年少女のほうが向いている。そういう設定は、かつてのガンダムよりも説得性が高いと感じました。たしかに大人になればなるほど適応力が劣るし、理性や習慣が邪魔をしてしまう。無垢で過敏な少年や、巫女的な資質の少女のほうが、きっと適応性が高いのだと思います。ただし、理性の制御が十分に利かない分、非常にキレやすいし、パワーの矛先が自傷行為に向かいやすい。そのあたりにもリアリティが感じられました。 「使徒」と「福音」の意味は、さすがに映画を見ただけでは理解できなかったので、あとでネットで調べましたが、要するに、敵のほうが本来の「神の使徒」で、人間は「悪魔の子孫」という理解で良いのでしょうか?「死海文書」の話が出てきたのは、この物語が新約聖書ではなく旧約聖書に基づいているからですね。そうだとすると、人間側で戦うロボットのことを「エヴァンゲリオン=福音」と呼ぶのは、ある意味で居直りというか、いわば皮肉だと考えてよいのでしょうか? 最後の使徒が幾何学的な形状をしていたのも、きっと何か理由があるのだろうけど、それについては分からなかった。なぜ日本人だけが使徒と戦っていて、なぜオペレーション機材の多くが漢字表記なのかも分からなかった。 もともとテレビ版を見ている観客を想定して作られたのかもしれませんが、わたしのような初めての観客にしてみると、あまりに駆け足の短縮版のように感じられたので、そこを減点して7点にします。ほんとうなら8点以上つけるべき内容かもしれません。[地上波(邦画)] 7点(2020-08-27 08:03:12)《改行有》

70.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》 死ぬまで二次元の女性しか愛せなかった映画オタクの男と、リアルの世界に憧れ続けたスクリーンの妖精との切ない恋物語。さしずめ「鶴女房」と「人魚姫」と「さびしんぼう」と「ニューシネマパラダイス」をぜんぶ足してから4か5で割ったぐらいの感じです。マキノ省三が、久我美子とガラス越しにキスしたり、オードリー・ヘプバーンとローマの休日したりしてるっぽい小ネタも散りばめられています。 なかなかコンセプトとしては面白いし、キャスティングも悪くないと思うけど、いかんせん脚本が不器用すぎるのでは?ディテールの積み重ね方が下手くそだから、感情の流れがぎこちないし、ファンタジーの設定も理解しにくいので、なかなか話に入り込めない。結果として、コンセプト止まりの映画になってしまっている。もうちょっとシナリオを作り直せば、そこそこの佳作にはなると思います。[地上波(邦画)] 6点(2020-08-11 13:16:58)(良:1票) 《改行有》

71.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 去年の放送のときも見たのですが、今回の放送の機会にレビューしておきます。2度目ということもあったので、淡々と進んでいく細やかな描写が、いっそうすんなり入ってきました。 戦争がけっして「非日常の世界」ではなく、むしろ「日常の世界」の地続きであることを、アニメの映像で表現した作品です。きっと一昔前ならば、そうした「日常」は実写で描くところでしょうが、むしろ近年ではアニメの(二次元世界の)ほうが「日常性」を帯びているし、そういう時代だからこそ評価された作品だと思います。 いちばん重要なことは、この物語の主人公が、とてつもなく無力だということです。いつのまにか見知らぬ土地の見知らぬ男性のもとへ嫁いできて、その運命のすべてを受け入れながら生きている。彼女が、自分の意志で何も決められないのは、性格の問題だけでなく、そういう時代であり、そういう国家であり、そういう社会であり、当時の女性がそういう立場だったからです。その結果、彼女は、なすすべもなく時代の運命と国家の運命に翻弄されるしかありません。 こうした生き方は、しかしながら、現代のわたしたちにも通じる普遍性をもっています。現代社会がたとえどんなに自由になったとしても、わたしたちはあらゆる物事を自己決定して生きているわけではないし、むしろ理由の分からないことに翻弄されることのほうが多い。そのことは何も変わっていません。この主人公のような女性は、今もなお身近に存在しているし、もっといえば、わたしたち自身だといえます。 はるか昔に起こった戦争や原爆という出来事も、じつはとても身近にあるのだし、同じことが起こったとしてもおかしくはない。「悲しくてやりきれない」という言葉は、その真実を物語っています。わたしがもっとも心を動かされたのは、コトリンゴがこのフォークルの曲を歌ったことですが、それについては初見のときに自分のブログに書いたので、ここでは繰り返さないことにします。[地上波(邦画)] 7点(2020-08-09 21:38:23)(良:1票) 《改行有》

72.  打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(2017) 《ネタバレ》 岩井俊二の作品は観ていません。 誰が誰だか見分けのつかない同じ顔のキャラクター。過去の映画やアニメを剽窃したようなテーマ性の乏しさ。卑猥で低次元なロリコン趣味。さらには、離婚したシングルマザーが豪邸に住んでたり、一両編成のローカル列車が乗客をホームに置き去りにして出発したりするリアリティのなさ。if をもじった「茂下」とかいうダサい地名とか、平たい花火に見立てたような風力発電とかも、たんに幼稚な思いつきを散りばめてるだけに見える。 ただ、(これもきっと幼稚な思いつきに違いないのだけど!)広瀬すずの「瑠璃色の地球」の歌声には、はからずも胸がキュンとしてしまいました(笑)。 大根仁のコンセプトはよく知りませんが、これはきっと「花火」の映画じゃなくて「灯台」の映画なんじゃないですか? つまり、フレネルレンズの向きによって、一つの光源から別々の世界が映し出されるように、あるいはプリズムが乱反射するように、現実に絶望した少年少女の目の前に無数のパラレル世界が映し出されたのだろうと思います。最後に現れたのは、まるで『銀河鉄道の夜』みたいな幻想世界(あるいは死後の世界)だったわけでしょう。「瑠璃色の地球」が切なく感じられたのも、それが現世には決してありえないパラレル世界に思えたからです。もともと広瀬すずの声には、どこかしら《少年性》があって、それがカムパネルラ的なのです。 …他のみなさんが十分なほどボロクソに書いてくれていたので、わたしは出来るだけ好意的に書いてみましたが、映画の出来としては、前半が3~4点、後半だけを最大限に評価して6~7点ぐらいです。この物語が抱える本質的な落ち度として、祐介の位置づけ(ザネリなのかジョバンニなのかカムパネルラなのか)が不明瞭だという点もあるかと思います。[地上波(邦画)] 6点(2020-08-09 12:59:03)《改行有》

73.  最初の晩餐 《ネタバレ》 永瀬正敏と斉藤由貴が出演していることもあり、相米慎二の作品(『台風クラブ』や『あ、春』)を意識しながら鑑賞しましたが、個人的にはちょっと当てが外れました。 『台風クラブ』と同じように、物語中盤で台風が通過します。屋外では暴風が吹いていますが、屋内に不穏な空気感はないし、子供たちにも高揚感や不安感は見られないし、いまひとつ台風の臨場感に乏しいです。過去にも台風が来て倒木が父に直撃したようなのですが、その記憶が何を物語っていたのかも分からない。失踪していた兄は、台風が過ぎ去った後にフラリと戻ってくるのですが、暴風のなかを移動してきたわりに何事もなかったような涼しい顔をしている。結局のところ、台風を通過させることの劇的効果とは何だったのか、よく分かりませんでした。 この映画の主題は《家族の秘密》ですので、その点では相米の『あ、春』に似ているのですが、内容はいっそう分かりにくくなっています。斉藤由貴の前夫の死の謎を断片的な情報から考察させるところは、むしろ是枝裕和の『三度目の殺人』に似ています。是枝のサスペンス映画も、私には見せかけの思わせぶりに感じられたのですが、本作の場合も、必要以上に謎めかせた叙述をしていて、やはり思わせぶりだと感じます。 以下、ネタバレになります。 不倫の果ての再婚によって前夫を自殺に追いやってしまった事実を、父と継母は主人公の姉弟に隠し続けていました。唯一、連れ子の兄(窪塚洋介)だけがその真実を知って姿を消し、ようやく長い年月を経て、父の死に際になって戻ってきます。 血の繋がらない父と息子は、かつて登山をつうじて深めた絆をふたたび確かめ合ったかにも見えますが、それは同時に、彼の実父を死なせた仇である男への壮絶な憎しみと赦しを経た結果でもあったはずです。しかし、そのことがあまり明示的に描かれていません。 一方、主人公の姉弟(戸田恵梨香と染谷将太)は、父の死後になって真実を継母から聞かされます。「家族は煩わしいものだけれど、後悔はしていない」という継母の台詞は、この映画の重要な結論になっており、その言葉が姉弟の抱える家族不信を溶かしていくことになります。しかし、それだけでは説得力が弱いと感じました。やはり長年の苦しみのすえに憎しみから赦しへ至った連れ子の兄の思いを、もっと直接的な形で映像化すべきです。彼の憎しみは、血の繋がらない父だけでなく、彼の実母へも向いていたかもしれないのだから。 映画のラストは、父の好物が「おはぎ」であることを会社の同僚だけが知っていたという喜劇的なオチになっています。しかし、これを結末にすることで、ちょっと焦点がぼやけてしまっている。「たがいに理解しあえないのが家族だ」という結論ではなく、それを承知のうえでも「家族を信頼して築いていくべきだ」という結論に至らなければならないのですから、そのためには、やはり継母の言葉だけでなく、腹違いの兄がもたらす何らかのメッセージが必要だったと思います。 ひとつひとつの断片は丹念に描かれていますが、全体の物語の叙述が上手くいっていない。あるいは、描くべきものを必要以上に隠し過ぎている。ちなみに是枝の『三度目の殺人』のほうはレビューしていませんが、採点するとしたら同じ理由で6点です。[映画館(邦画)] 6点(2020-08-03 21:12:39)《改行有》

74.  映画 聲の形 《ネタバレ》 ずいぶん難しいことをやろうとしてる感じはするし、その試み自体は評価しますけど、作品として成功してるのかどうかは正直よく分からない。原作は読んでいませんが、そもそもヒロインが聾唖である必然性がよく分からないし、彼女が自殺を図ったり、最後に少年少女たちが和解したり、主人公が社会との関係を回復したりする展開に、どんな脈絡があったのかもよく分からない。雰囲気でごまかされた感じもあります。評価しにくいのですが、とりあえず表現の繊細さにちょっと甘めの7点つけときます。 まあ、作品としての出来不出来はともかくとして、生と死のギリギリの狭間で生きているような子供たち(…というより現実に死を選んでいる子供たち)に対して、何らかの表現の形を与えていくことは大事なことだと思いますし、表現だけでなく、そのような弱い子供たちに「生」の可能性を用意していくことも必要なことだと思います。アニメの主人公は命拾いをしていますが、ほんとうなら高いところから落ちて死んでいるのだし、現実の子供の世界でもそういうことが起こっている。そういう社会の状況に一石を投じる意味でなら、この映画の価値はあるだろうと思います。 ちなみに、この物語の受け止め方として、「自分の気持ちを伝えることって大切だよね」とか「他人の気持ちを理解することって大切だよね」とか「自分の存在を肯定することって大切だよね」という理解もありえると思うけど、それはかならずしも作品のメッセージにとって理想的な着地点だとは思えません。そもそも世の中には、自分の気持ちをちゃんと伝えられず、他人の気持ちもちゃんと理解できず、自分自身のこともろくに肯定できない人間が(たとえ大人であっても)たくさんいます。むしろ、そのほうが普通だといってもいい。問題なのは、それだけのことで(子供までが)自殺に追い込まれてしまうような社会のありようです。 異質な人間をいじめようとする排他的な連中も後を絶たないわけですが、彼らをどんなに啓蒙してみたところで、問題は何百年たっても解決しない。 この種の問題を、自分や他人の、つまり個々人の(まして子供の)「倫理感」の問題に還元してしまうのは、議論の方向性として間違っています。それは、どちらかといえば法学的・社会学的な問題です。その視点を逆転させるべきではない。すくなくとも子供の自殺という問題を、ひとりひとりの子供の「倫理感」のレベルに帰着させるような主張は、それがどんなにもっともらしく聞こえるとしても、つねに怪しい(あるいは都合のよい偽善だ)と考えるべきです。子供たちの生きづらさの問題は、結局のところルールやシステムの改善によってしか解決できません。ほんとうの意味で「悪い奴」がいるとすれば、それは個々の子供ではなく、既存のルールやシステムを変えることのできない(おもに大人の)連中のほうです。[地上波(邦画)] 7点(2020-08-01 14:14:12)(良:2票) 《改行有》

75.  コンフィデンスマンJP 《ネタバレ》 テレビ版では脚本に不満を感じることもありましたが、この映画版は驚くほどよく出来ていた。映像もゴージャスだったし、脚本にも目立った欠点は感じないし、邦画のエンタテインメント作品としては申し分ないと思います。 はじめから騙されることは分かってるにもかかわらず、ぎりぎりまでシリアスな展開が続くので、その点でいえば、本当に騙されました。放送当日に三浦春馬のこともあったので、なおさらシリアスなロマンスだと思い込んでしまって、かなり真面目に見てしまったせいもある。定番のどんでん返しと、三浦春馬がヘラヘラしながら逃げていくラストには、完全に「ヤラレた~」って感じです。 見終わったあとは、なんだか映画以外のことまで騙されてるような、ちょっと変な気分でした。[地上波(邦画)] 7点(2020-07-19 00:53:16)《改行有》

76.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 壮大な悪夢を見ているような映像はたしかに凄かったのですが、いったい何が起こってるのかほとんど理解不能でした。渡辺謙が「ゴジラは《調和》の怪獣だから殺さないでくれ」と言い出したときは「おいおいおい…」とツッコまずにはいられない。調和もなにも、ゴジラが2、3歩あるくだけで世界が滅びそうなんですけど…。(ラストサムライが「武士道のためなら村人を犠牲にしてでも戦う」と言い始めたときにも「おいおいおい…」と思いましたけどね。それと同じくらい意味不明な妄言だったと思います) アメリカ人ってのは、日本人が意味不明なことを言うと「なんかスゲーッ!」って感じるのかしら?  ラストシーンでは、ゴジラが米国民たちの喝采を受けながら海に去っていきました。まるで西部劇に出てくるさすらいのガンマンみたいに。はたしてゴジラにとっての《調和》とは、生態系を守ることだったのでしょうか? それとも、人間社会を守ることだったのでしょうか? 善玉生物を利用して悪玉生物を駆逐するという発想は、きわめて人間的な価値観にもとづくものです。それは《調和》というよりも、人間が生存するための《戦略》ですよね。わざわざ僧侶みたいな日本人を登場させて禅問答をしなくても、アメリカの軍人に「ゴジラを利用してムートーを倒そうぜ」と主張させれば済む話だったと思う。 ちなみに、この映画は、初代ゴジラにも最大限のリスペクトを払ったらしいけど、「米ソの水爆実験は怪獣を殺すためのものだった」という話が出てきたときにも、やっぱり「ん??」ってなりました。初代ゴジラの視点が捻じ曲げられているし、現実の核実験をフィクションのなかで正当化するのはいかがなものでしょうか? 映像的には8点ぐらいつけたいけど、あまりにもワケが分からないので6点。[地上波(字幕)] 6点(2020-06-25 22:28:41)《改行有》

77.  キングダム(2019) 《ネタバレ》 物語の題材にも、出演陣にも、何ひとつ期待ぜずに見たのですが、けっこう面白かった!(笑) まず脚本がシンプルなところがいいですね。非常に明快で、欠点の少ない脚本だと思いました。古代中国の戦争物語ではありますが、日本人が中国人を演じることの違和感もそれほど障害にならなかった。石橋蓮司や六平直政などは、むしろ中国人にしか見えなかったくらいです。大沢たかおのウッフンキャラも魅力的でした。 とりたてて大掛かりなセットが組まれているわけでもないし、CGが多用されているわけでもないし、王宮のシーンなんかはわりとミニマムなセットで撮影されていたように見える。でも、けっして物足りないとは感じませんでした。金をかけりゃあいいってもんじゃないのですよね。しっかりした物語と想像力があれば、限られた予算内でも十分に出来るのだなと思います。エンターテインメントだと割り切って見れば、やたらとスケールだけが大きい陳凱歌の中国映画なんかより、ずっと出来がいいかもしれません。 最後になって気づいたけど、これって始皇帝のお話なんですね。このシリーズが海外でも成功するようなら、日本の実写映画の可能性はかなり広がる気がします。[地上波(邦画)] 7点(2020-06-01 07:40:56)《改行有》

78.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 ギャグ漫画家として知られている魔夜峰央は、じつはビアズリーなどの西洋絵画や、萩尾望都・美内すずえなど少女漫画の系譜を引いています。二階堂ふみが演じるお耽美キャラとBL(やおい)のエピソードは、その傾向をよく体現しています。 この映画は地域格差をテーマにしています。「地域」の格差が「貴賤」の格差を生むという差別的な構造です。平安時代の日本には、京都を中心とする貴賤格差があり、卑しい者たちがやんごとなき人々に跪くという光景が日常的に見られたはずです。武家社会になっても、日本人どうしが国ごとに分かれて戦ったり、隠れキリシタンに踏み絵を強要するなどの差別がありました。それを現代の日本人はもはやギャグとして笑っているのですが、じつは近現代の日本にさえ「地域格差」や「経済格差」にもとづく優劣の意識は残存しており、そこには少なからぬ差別もあるという笑えない状況があります。数百年後の人類ならば、これをギャグとして笑うのでしょうか? じつは少女漫画も、かなり古典的な貴種願望を描いている場合が多い。いわゆる王子さま願望やシンデレラストーリーは、貴賤にもとづく差別構造を前提に作られており、見方によってはかなりギャグ的な世界です。魔夜峰央は、少女漫画に内在するそのような差別構造をギャグに仕立てて暴露したといえます。 二階堂ふみが体現する「ハイカラ=モダン」な世界に対して、Gackt・伊勢谷友介・京本政樹が体現するのは土着的な「歌舞伎者=ヤンキー」の世界です。この映画は、最終的に後者が席巻して泥臭い世界が覆い尽くす結末になっています。世界を「モダン化」して引き上げるのではなく、世界を「土着化」して引き下げるというイメージです。そのことが、この映画の価値観を、西洋的なものではなく、アジア的なものにしています。そこが東映らしいのかもしれません。[地上波(邦画)] 6点(2020-02-11 00:28:40)(良:1票) 《改行有》

79.  風立ちぬ(2013) 宮崎アニメのなかで、もっとも美しい作品ではないかと思います。そこに「悪」の要因があるにせよ、その美しさを讃えずにはいられません。もっとも愛があふれた作品だろうとも思います。しかし、その愛こそが、大いなる「悪」なのでしょうね。ひたすら「善」を求める観客には拒絶されるでしょうが、そもそも美や愛は、かならずしも「善」であるわけではなく、ときとして大いなる「悪」だと言わざるをえません。宮崎本人の言葉を借りれば、この映画にあふれる美や愛こそが悪への誘惑=メフィストフェレスです。 まごうことなき「善」の映画など存在しない。それどころか、武器をもって闘ってきた宮崎アニメの過去作品のすべては、たえず「悪」を美化(あるいはエンタメ化)しつづけてきたはずです。その意味では、むしろ『風立ちぬ』こそが、その矛盾にもっとも向き合った作品だといえる。鈴木敏夫が意図したように、この矛盾にこそ、宮崎駿が描かねばならない真実があったのだといえます。 戦争技術者をあからさまなマッドサイエンティストとして描く紋切り型にくらべれば、むしろ慎ましく美しく生きた戦争技術者の生き様にこそ、真実の一端があるのかもしれない。一部のエリートが民衆の善良な生活を破滅させたとする紋切り型にくらべれば、むしろエリートの美しい技術を愚かなナショナリストたちが応用したという醜悪な実態にこそ、真実の一端があるのかもしれません。 では、科学技術者はいったいどうすればよいのか? その答えが映画のなかに用意されているわけではありません。強いていえば、その答えは、破壊し尽くされた飛行機の残骸を見つめる観客のほうに投げかけられています。 もともと久石譲の音楽は好きじゃないけれど、この映画の音楽は率直に美しく感じられました。荒井由実の曲も、死と飛行機の描写にティンパンアレーの透明なサウンドが重なり、さらには彼女のコンサバな姿勢までもが相俟って、まるであらたに意味付けされた楽曲のように生まれ変わっていました。[DVD(邦画)] 9点(2020-01-26 02:23:41)《改行有》

80.  あ、春 《ネタバレ》 ここでの相米慎二は、思春期の少年少女が走り回る活劇ではなく、松竹ならではのホームドラマを撮っています。多くのシーンはカットが細かく割られています。しかし、相米らしい長回しも依然として健在です。そして、少女が川に入るような通過儀礼はありませんが、川に散骨するラストシーンはあきらかに死と再生の儀式になっています。そういう点では、十分に相米らしい映画だと感じられます。 斉藤由貴が演じる嫁は抑圧されており、情緒が不安定で、発作を起こしては薬を服用し、セックスレスに苦しんでいるようにも見えます。実父を亡くし、夫にも距離を感じており、その心の隙間を埋めるように義父と心を通わせていく。 義父の山崎努は、鶏を絞めて食べたり、生まれたばかりの雛を溺死させたりするのですが、ついには死の床でヒヨコを孵化させます。じつはヒヨコが孵化しないバージョンも撮影されていたらしいのですが、いずれにせよ死に際の山崎努が卵を温めていたことは重要です。かりに孵化しなくても、そのあとの散骨のシーンを見れば、登場人物の全員が再生して若返り、本来の関係を取り戻したことが分かるからです。斉藤由貴は強くなっているし、鳥小屋もどんどん立派に進化している。もはや鶏が黒猫に襲われる心配もないはずです。 これを「義父と嫁の物語」だととらえれば、かなり小津安二郎的にも思えます。一方、「父と息子の物語」だとすれば、そこには佐藤浩市と三國連太郎の関係が暗示されているようにも思えます。三國は、幼い佐藤浩市を置いて去っていった父親でもあり、かつて松竹を去っていった俳優でもあります。88年から松竹の「釣りバカ日誌」に主演しはじめ、91年には山田洋二の「息子」などにも主演しています。そして94年に(これは松竹ではありませんが)相米慎二の「夏の庭」に主演して、かつて妻のもとを去った老人の役を演じています。 映画のなかで山崎努は、佐藤浩市だけが唯一の血縁者であるかのように語ります。同じ漁師歌を覚えていたことから考えれば、(かりに血縁関係がなかったにせよ)山崎努が「紘」と名づけた息子と5年間を過ごしたことは間違いありません。しかし、不思議なことに、佐藤浩市には実兄(三浦友和)が存在します。富司純子は、山崎努が最初の夫だと語っていますから、彼は連れ子でもなさそうです。そのあたりの設定が、わたしにはいまだに理解ができません。ちなみに原作の場合、実姉と義兄が登場していますが、とくに矛盾はありません。 相米慎二の佳作だとは思いますが、キネマ旬報が1位に選ぶほどの名作と評価されたことが、わたしにはちょっと意外です。あまり自信をもって評価できませんが、とりあえず7点つけておきます。[DVD(邦画)] 7点(2020-01-23 18:41:37)《改行有》

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