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81.  男はつらいよ 寅次郎恋歌 《ネタバレ》 シリーズ8作目。なに?おいちゃん役の森川さん、本作を最後に亡くなってしまうのか。シリーズの長さを考えると、あまりに早い重要人物の交代は、心より残念に思います。 オープニングから重たい雨。旅芸人の座長と景気の悪い近況話。さくらの耳に入る悪い例えに使われる寅の話。寅が帰ってくるなりいきなりギスギス。驚いたのは酔っ払いを連れ込んでの酒宴。とらやのみんなにイライラしてる寅、おいちゃんたちを使用人呼ばわり、さくらに一曲歌えなんて…これは最低だ。寅ってこんな奴だっけ?って驚いてしまった。観ていてヒリヒリと痛い。続く博の母の葬式。食事の席での言い争いと、笑えない場面が続く。う~ん、重たい。 寅が博の父と暮らし始める辺りから、いつもの調子に戻ります。日暮れのリンドウの花越しに見る家庭の明かり。家族の食事。瓢一郎の人生観。この深い話を繰り返し出して、借り物の話の伝わらなさ、本人に話す気まずさ、苦し紛れに出てしまいマドンナの心を奪わせる。上手いなぁ。 寅の女性観には、今の暮らしと違う、人生が変わる“憧れ”があるんでしょう。今回のマドンナは寅の暮らしに憧れます。本気じゃないにしても、寅に対する探りとも言える「私も一緒について行きたいな」。 寛子と未知の新しい暮らしをするのでなく、自分の暮らしに寛子を連れて行く。それを想像して、寅は一気に現実に引き戻されたんでしょう。中学で家を飛び出した寅。テキ屋稼業の大変さは身に沁みています。万に一つ一緒になって、学(子供)はどうなる?そう考えると、身を引くしか無かったんでしょう。 最後の寅とさくらの会話。「兄ちゃんの、こんな暮らしが羨ましいか?」そんな問に対するさくらの返しが心にグイッと来ます。 旅先で偶然再会した一期一会の旅一座。お互いいつ死んでても解らない風来坊の暮らし。「そうかい。良かった。本当に良かった。」いまが無事で居ることを確かめ合う。なんか本作、最終回の前に見返したくなるかも? 「それを言ったら、おしまいだよ」おっとここで出た名台詞。売り言葉に買い言葉。なんか初めて聞いたような気がしてたけど、1作目から言ってた模様。[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-07-15 16:02:57)《改行有》

82.  君たちはどう生きるか(2023) 《ネタバレ》 『君たちはどう生きるか』。同名の小説あり。 前情報一切なしでの劇場公開。といってパッと思いつくのは『クローバーフィールド(2008)』だろうか? 当時はまだAndloidが出る以前の世の中。みんな携帯電話を持っていて、記録媒体はビデオカメラ。情報化社会はまだまだ発展中の時代でしたね。 スマホがあればいつでもどこでも最新の情報が手に入る世の中。それこそ、聞きたくない情報までリアルタイムにキャッチしてしまう世の中で、この映画で解っているのは「タイトル・制作会社・監督・鳥人間らしき画」だけ。 「小説知ってるけど、読んでないんだよな」「何観せられるんだろう?」「そもそもアニメだべか?」 周りから知らされるより、自分の目で確かめたい。と思ったので公開初日に観に行ってしまいました。 感想は…大丈夫です。安心しました。迷っている方はいつものように観に行って良いと思います。 以降ネタバレを含みます。公開スタイルを尊重すると、まだあんま書かない方が良い時期。と考えるので、観た人向けです。 こんなの読むより観た方早いです。(そのうち気が向いたら清書します) この映画の一番伝えたいことが、この公開スタイルだったんじゃないか?と思えます。興味がある人、観たい人だけ、お金を払って観ればいいだけなんです。観ればわかることを、ネットをポチポチして、事前情報を探る。恐らく「失敗しないように」「お金と時間を無駄にしないように」なんだろうけど、その検索行為こそ、初見の楽しさや驚きを奪う失敗と、時間の無駄なのかもしれません。 それはネットに溢れる情報も一緒で、スマホで簡単に見られる、地球の裏側の刺激的な場面。身近に感じていた芸能人の死の詳細。誹謗中傷の応酬を見て、負の感情を刺激して、不必要に自分の心を痛めつける行為と一緒かもしれません。でもそれは誰に頼まれたでなく、自分で選んで、見てしまっているんですね。 生活環境の大きな変化。周りと衝突。かまに注目。理由を隠すから勝手に想像し、動きます。でもいしで大きくしました。よくある通過儀礼は大事件に。 「もっと素晴らしいもの」。それを聞いてから『 』。でした。でもそんなややこしい解釈を考えるより、純粋に物語を楽しめる作品です。[映画館(邦画)] 7点(2023-07-15 13:35:46)(良:1票) 《改行有》

83.  男はつらいよ 奮闘篇 《ネタバレ》 シリーズ7作目。この当時のタイトルって、内容とかと関係なく、取り敢えず付けてたんだろう。前作から3か月後の'71年4月の公開。 嬉しかったのが母お菊と坪内冬子の再登場。寅さん世界は“サザエさんループ”してたのか?って思いかけていたところで、二人の登場で時間の概念がきちんと刻まれてたんだな。って…私の中でね。 寅の1年ほど前の手紙から整理してみる。オープニングで集団就職が出てくるから季節は春だろうか?3月くらい?浦安の節子さん(5作目)は去年の夏。幼稚園の秋子先生(4作目。春子の言い間違い?)が1年くらい前で、散歩先生の夏子さんは、そのもう少し前(2作目、このとき寅が初めてお菊と会ってる)。 名前の出てない冬子(1作目)はお菊と出会う前。お志津(3作目)は、寅の旅先の事だからおいちゃん達は詳しくは知らない。夕子(6作目)はついこの間… さぁ寅のお嫁さん候補は誰だ??私はお志津の事だと思いました。大きなヒントとして『住所が書いてない』こと。浦安と湯の山温泉以外だったら柴又のとらやに住んでそう。お菊と関係改善された直後の3作目ということもあり、お志津の可能性大かと…ハガキの消印が気になるところ。 本作では『頭が薄い』花子がマドンナです。今の世の中では考えにくい思い切った表現だけど、キャラ設定で頭が薄そうな喋り方するあのタレントが毎日テレビに出てくる今の世の中も、それはそれでどうかと思うけど、花子は都会に出て頑張って生きてきて、アテもなく逃げ出してます。 今までの寅と同年代のマドンナに比べ、花子はまだ子供。演じる榊原るみもまだ20歳。40歳手前設定の寅も流石に接し方が違いますね。純粋で汚れていない花子からは“守ってあげたいオーラ”が出ています。 とらやのみんなは反対するけど、寅と花子は今までのベスト・カップルな気がするなぁ。世間が2人をどう見ようと、どんな子が産まれようと、2人が一緒になるのは、ベストな気がするけどなぁ。福士先生と一緒に青森に帰るけど、それは寅と結婚しても出来たんじゃないかなぁ? 中学で家を飛び出した寅。まだ幼いさくらの面倒をロクに見てやれなかったかつての自分。寅はきっと、まだ子供の花子に妹のさくらを重ねたんだと思います。今度はきちんと面倒見ようと、そんな決意があったのかも。 そう思えたから、事故とはいえ、寅がさくらをぶったのはショックだったけど、自分の決意を全否定された寅の悲しい気持ちも、なんか解るなぁ。後から手紙で謝る不器用さは寅らしいかも。[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-07-10 13:19:53)《改行有》

84.  男はつらいよ 望郷篇 《ネタバレ》 シリーズ5作目。本作でシリーズを終わらせる予定だったそうで、1作目に回帰するように寅&登コンビ復活です。ここまで順番に観てきた印象では、共通のお約束はあるけれど、各作品個性が出せていてマンネリ感はなく、寅を中心に登場人物を深掘りしていくようで面白いです。 本作は寅がテキ屋をやっている姿は出てきませんが、テキ屋を生業とする者の生き様、仁義が描かれています。正吉親分の死をキッカケに登の兄貴分としてピリッとした空気を創り出してます。旅館で登に酒を注ぎ、自分には注がせないで父親の話を始める寅。兄弟の杯を割り、泊まり客に凄んで見せる寅はまさにヤクザ者。前作で子供と一緒に歌ってた寅とは一転して、寅がどんな世界で生きているかが観えてきます。 本作のタイトル・望郷篇。最初ピンとこなかったんだけど、寅次郎の心の拠り所と考えるとストンと落ちました。 本作ではさくらの出番も増えてます。むしろ前2作の出番があまりに少なかった(山田監督の陰謀?)んだけど。本作では生まれ故郷の柴又に帰ってきた寅と、それまでのテキ屋として生きてきた寅。それぞれの世界で寅の拠り所となっていたのが、柴又の妹・さくらと、テキ屋の弟分・登でした。 最後、いつものように柴又を後にする寅。訪ねてきた節子に『いつものことだから』という顔を見せるさくら。一方で朝里の海岸で偶然にも登と出会って、嬉しそうに仁義を切り合う寅と登。これまた『いつものこと』なんだろうな。と思わせる、素晴らしい終わり方でした。 あ、私が生まれるちょっと前の札幌と小樽と共和町の景色も楽しめて、テンション上がりました。あの頃までSLが走ってたなんて思わなかったわ。旅館に貼られた札幌五輪のポスター。そうかそんな時代か。札幌はオリンピックを境に急速に発展したんだろうな。 当時の小沢駅周辺、末次旅館のある風景の味わい深さ。ロケ地を回る個人サイトの写真と見比べると、今の小ざっぱりとしてしまった北海道の田舎の寂しさが、なんか私にとって望郷って感じです。[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-06-26 08:39:00)《改行有》

85.  もらとりあむタマ子 《ネタバレ》 “もらとりあむ”『(社会に出るための)猶予期間』。自分と向き合う期間。普段使わないから知らなかったわ。海外でバックパッカーなんかする人もいれば、タマ子のように寝て食べて食べて…な生活をする人もいるだろう。私もモロにタマ子だったな。 荷解きされていないダンボールとスーツケース。タマ子出戻って来たばかりなんだろう。秋だから卒業してから暫くは1人で就活頑張っていたのか、何も出来ずに時間を食い潰していたのか。 お父さんの作る家庭料理、美味しそう。それをモクモク食べるタマ子。いや食ってばっかでなく手伝えよお前!せめて食器下げろよ!って思ってしまうけど、モラトリアム期間の表現として、そんな事すらしないのが一番伝わってくる。 AKB48の“絶対センター”と言われていた前田敦子。漫画読みながら「トイレ!!」と叫ぶタマ子から、そんなオーラは微塵も感じられない。ロールキャベツを犬食いする姿も、彼女が左利きなのもあって、見事にアイドルオーラを消している。神7でこんな表現出来るの敦ちゃんだけかも。 オーラのない何も積み重ねていないタマ子が、突然根拠もなく芸能人を目指す流れは、可笑しくもあり痛々しくもあり(あ!あまちゃんの影響か?)。その日の夕飯の茶の間の暗さがタマ子の気持ちなんだろう。全部イヤになるタマ子と対象的に笑う父。だらしないタマ子しか見ていない父が、写真の中のヨソ向きの笑顔に笑みがこぼれる。あぁ我が子だなぁ。そして父親だなぁ。 同級生にはついつい敬語使っちゃって、でも親しくなった仁くんには遠慮が無いタマ子。その仁くんがまた、いい空気造ってくれるんだよ。居心地の良いぬるま湯な実家と、変に干渉してこない近所の人達。この居心地の良さがず~っと続いてほしいなぁ~。 曜子さんの報告に驚きもしない母。喫茶店の父と曜子さん。曜子さんはミルクを入れたアイスコーヒー。父もまたミルクを入れたアイスコーヒー。 悲しそうな顔で電車を待つ同級生。手を振りぽつりと出た言葉が『またね』。電車が入る踏切の音。自転車をこぐタマ子の背中。 タマ子の心のモラトリアム期間が終わるとともに、心地よく映画も終わる。[インターネット(邦画)] 7点(2023-03-13 10:02:07)《改行有》

86.  釣りバカ日誌 《ネタバレ》 有名な長寿シリーズで、釣りとは無縁の私には守備範囲外だったので観ていなかった。けど、面白かった。 釣りバカと言うから釣りばっかかと思ったら、釣りのシーンは3回。“初めて釣りをするスーさんがハマる”って事が伝わればそれで良し。ってくらいで、特に釣りマニアが喜ぶような構成にはなっていないと思う。 師匠と弟子の関係が、実は社員と社長の関係だったことが、いつ、どのようにバレるのか、もしくはバラすのかが本作のメイン。だから、ハマちゃんがスーさん=社長だったって知った瞬間、どんな顔するんだろう?って事に興味が湧いたけど、その瞬間を描かないのは意外。 そして夜になってもまだ怒ってるみち子さんとは対象的に、事実を受け入れてるハマちゃんの表情がね、なんか良かった。 高松から間違って本社に来て、最後再び高松へ帰るハマちゃんの構図。この一作で見事に完結していて、更にその後の物語も気になり、『面白かったなぁ、この続きが見てみたいな』って気にさせる。ただやはりスーさんの正体はこの物語のクライマックスに相応しいし、それ以降の『続き』は蛇足でしか無いんじゃないか?って気持ちもある。…1話がクライマックスで、残り22作が蛇足ってのも、すごい話だわ。(いやあくまで勝手な想像ね。まだ観てないですから。) そして石田えりが理想の奥さん過ぎる。男にとっての理想かな。ハマちゃんにペッタリくっついてくるみち子さんが可愛く、パジャマ姿でイチャイチャするシーンは、エピソードの区切りの“オタノシミ”として機能していたように思う。というかみち子さんの存在がこのシリーズの牽引力になっていたのかも。 世のお父さん方は国民的映画の石田えりの“服を着てても溢れ出る日常的なエロス”を観て、ひとときの“幸せ”に浸れたんじゃないだろうか? この勝手な思い込みの是非を検証するため、2も観てみようと思う。[インターネット(邦画)] 7点(2023-01-28 22:34:35)《改行有》

87.  あいつと私(1961) 《ネタバレ》 ヤー!!ヒッップ ヒッップ ヒップラー♪初めて観たときは、あのオープニング曲にズッコケそうになったけど、2回め観ると意外と癖になるね。歌はともかくイントロの高揚感は今の時代に聞いても素晴らしい。 '60年辺りの大学生のドラマなんだけど、まるでアメリカの学園コメディのようなノリ。会話のテンポの良さが、どことなくシン・ウルトラマンの会話に近い感じがした。そういや、けい子の一人語りはまるでエヴァの赤木リツコみたい。 セックス、赤線、ザーメンと、オブラートに包むことなく日常会話で出てくる性表現にビックリする。当時の若者、こんなだったのかな?『処女と童貞のままで 九月にまたこの丘の上であいましょう』…ってなにそれ。温泉マークがラブホテルの意味だったなんて、勉強になりました。 そしてパワフル。友達の結婚式に出て、安保闘争に参加して、レイプされた女友達を介抱して、次の日はデーゲーム野球観戦。早朝に3人並んで瓶牛乳ガブガブ飲むとこ大好き。軽井沢の別荘からママに呼ばれての食事も、みんな食べる食べる。日本が裕福になった時代なんだな。 この映画の主役は芦川いづみ。彼女と裕次郎の、嵐の中のキスシーンはとても綺麗。ここのシーン、三郎の過去を聞いてけい子が飛び出してズブ濡れになるんだけど、ここ三郎をプールに突き落としてズブ濡れにしたのと対になってるんだろう。お互いの家の食事も。けい子が三郎宅に泊まる時の、モトコ・桜井のものと思われるブカブカのネグリジェ姿が可愛い。これも三郎がけい子の父のブカブカの服を借りたのの対になってる。ついでに三郎は女装したんだから、けい子の男装も観たかった。 思春期の三郎に性の相手を与えたのはママ。そのせいで恋愛感情が歪んでも、ママを恨むどころかママが好きな三郎。 そんな三郎を不潔と言い、強引にキスされても、翌朝には車と別荘があるから友達を続けるというけい子。 家にまで愛人を呼び込むモトコ・桜井。嫌気が差して荷物まとめて出て行こうとするけど、結局出ていかないパパ。 彼らと、安保反対と叫びつつ、朝鮮特需の恩恵を受けて平和で贅沢な暮らしはしっかり謳歌する、当時の日本の大学生が重なってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-12-10 00:06:50)《改行有》

88.  誰も知らない(2004) 《ネタバレ》 実話ベースの事件映画に、スッと観やすいものと、ヨシ、観るか!と観るのに気を張るものがある。この映画は後者。 終始事件の被害者目線で描かれるから、観た後にどっと疲れる。それにも増して、被害者が自活能力のない子供目線なのが辛く、娯楽としてみるのは難しい。 事件ものとして観ると、この場合加害者と言って良いのか、一番に救いの手を差し伸べなければいけない母親が、この時この瞬間、何をしているのかが観えてこないのが腹立たしい。ただ家庭で子供に接する様子は、母親というより、まるで一番年長の子供のよう。母親の肩を持つ気は全く無いけど、子供を産んできちんと育てる環境が無いのもまた悲劇なのかもしれない。 彼らの生活を一番に支えたのがコンビニ。最初のキッカケは、ゆきがお願いしたアポロチョコで、スーパーには無くてたまたまコンビニで買う。万引きを疑われた時も、スーパーで買ってコンビニには立ち読みと公共料金の支払いに来てただけ。お年玉のぽち袋をコンビニで買うのは、名前を書いてもらう目的もあったけど。一人暮らしの学生が『コンビニでタバコ買う時しか人と会話してない』なんて言うけど、明にはコンビニが唯一に近い『大人と話せる場』だったんだろう。母親の決めたルールを破って兄弟を外で遊ばせる。その後コンビニで爆買い。明くらい生活能力がある子なら、スーパーのほうが安いことは気が付いていただろうに。明に廃棄弁当を渡す顔なじみのコンビニ店員。深読みして良いのか悩むけど、店長は知ってて見逃してるんだろうな。何も動かない母親とアパートの大家に対し、彼らに最低限のライフラインを繋いでくれるのが、他人が経営するコンビニ。 公共事業(電気ガス水道)は無情にも機械的に停められる。郵便局から送られる母親からの仕送り、無機質な現金書留とかんぽのメモ。 最初は周りに見付からないようコソコソと生活をしていた子供たち。だけど外に出ても、身なりがボロボロでも誰もが無関心の恐ろしさ。通園バスの児童置き去りが問題になっている昨今、子供たちの現状に誰も気が付かないことが恐ろしい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-11-20 13:54:58)《改行有》

89.  超時空要塞マクロス ~愛・おぼえていますか~ 《ネタバレ》 マクロスはTV版放送当初から話題だったけど、如何せん日曜のお昼2時から放送していたから私はほとんど観たことなかった。お父ちゃんがNHKの囲碁見るんだよ、だから遊びにいって、観忘れちゃうんだよ。だから私にとってきちんと観たマクロスは、この劇場版だけ。 アニメを観て育った世代のアニメ作品。このアニメの影響で、アニメファン=オタクと呼ぶようになったんだとさ。 ミリタリー色の強いロボットアニメに、異業種の流行を取り入れる手法の成功例で、ガンダムがロボット+超能力(ユリ・ゲラー)ブームのミキシングだとすると、マクロスが選んだのは+アイドルブーム。飯島真理の“愛・おぼえていますか”は、イメージソングの枠を超えた劇中曲として、アニメの枠を飛び出して認知された最初のアニソンかもしれないですね。 当時の芸術的な戦闘シーンと並んで、主人公たちの三角関係が描かれますが、輝の部屋でミンメイと二人きりの時に美沙がバッタリ!とか、当時でもカビの生えたメロドラマ展開が、目の肥えた大人からは、失笑を買ったのかもしれません。“オタクは根暗で恋愛経験が乏しいから”とか“所詮アニメの恋愛描写なんてこんなモン”とか。 輝の人物像がイマイチ解らないけど、スーパーアイドルより美沙を選ぶのは、彼ら製作者側の経験の反映なんでしょうか。二人きりの生活をキャッキャとイベントのように楽しむミンメイと、(絶望度は異なるけど)泣いたりワガママ言ったりしながら、食器並べて癒やされてる美沙。コレじゃミンメイが中身スカスカに思えてしまいます。遊ぶならミンメイ、付き合うなら美沙って感じですかね。 ミンメイはシャワーシーンがあるけど、美沙はありません。その代わりマクロスが迎えに来た時の上着を着る仕草から、二人に何があったか想像させるのは、当時のアニメとしてはかなり大人な観せ方だったかもしれません。首チョンパとかは入れるくせに。 じゃあミンメイは美沙の噛ませ犬でしか無いのか?シャワーシーンで乳出しただけの女か? 私はミンメイが歌う決心をしたシーンが結構好きです。輝を諦めた、あの“間”。そして「ごめんね輝・・・私歌うわ、思いっきり!」と満面の笑顔。 あそこ演技なんですね。輝とキスしたシーンのセリフ『あんなの演技で出来んのよ、ビジネスよ。やってみせましょうか?』とおんなじ。 輝との最後に、フラレても全然平気な演技をするミンメイの健気さ。キスシーンの時の比じゃない、演技に入るまでの“間”の長さが、ミンメイの心の辛さを物語ってます。いいシーンです。『解ってくれたか』って感じに笑顔で歌詞を渡す輝がアホに見えます。 そこから一気に“愛・おぼえていますか”とマクロス・ブリタイ共同戦線の神展開。日本にMTVが本格上陸する僅か前に、このクオリティのミュージック・ビデオをアニメでやったのは凄い。[地上波(邦画)] 7点(2022-11-16 22:26:13)《改行有》

90.  Red(2020) 《ネタバレ》 失楽園に代表される“不倫”というそもそものテーマ自体に、嫌悪感や不快感を抱く方も多いと思う。そして観た後のあまりの救われようの無さ。だけどテーマと映画の出来を切り離して考えると、良く出来た映画じゃないかと感じた。 私のハンバーグは食べないのにお母さんの煮付けは食べる夫。そんな踏みにじられた人生に我慢してる多くの主婦は、この映画に共感する反面、認めたくない気持ちも強いかもしれないし、その気持は痛いほどわかる。だって子供が…って。 塔子の前に鞍田が現れるタイミングの絶妙さとか、塔子を取り巻く男が3人なのに、絡んでくる女がゼロとか、かなりご都合主義な面も観えるけど、妻夫木聡の優しそうな微笑みと、夏帆ちゃんの透明感とクリクリした目。この2人に焦点を当てた結果の省略だろう。小鷹がもっと二枚目だと話がややこしくなるし。 「でもさぁ人間さぁ、どれだけ惚れて死んでいけるかじゃないの?」 父親は女を作って出ていったと言うが、きっとその原因は母親だろう。そんな母親の生き方を否定し、裕福な家庭の優しい旦那と結婚し、専業主婦として可愛い一人娘を育てている塔子。海外出張中の父親とは円満離婚してると、嘘をついてまで手に入れた幸せな家庭。 塔子が手に入れた人の羨む裕福な家庭は、彼女自身の求めたものではなく、反面教師と言える自分の母親が手に入れられなかったものなのかもしれない。 「今がとっても幸せ!」「…君は、変わってないな」10年前もきっと、ステレオタイプの幸せ論に満足している自分の本心を見透かされて、鞍田に奥さんが居ると知りつつ、関係を持ったんだろう。塔子の女の部分、人の男を奪いたい欲求だったのかもしれない。 今度は自分に夫が居る立場での不倫。子を持つ母親でありながら、満たされない女の部分の欲求が、10年前と変わらない鞍田を受け入れる。 「…生涯で、ただ一人好きになった人と、一緒になったこと。」だから、もう夫にとっての結婚は終わってたんだ。あとはもう夫にとって妻という存在は、子を育てて家庭の幸せを維持するための道具でしか無いんだ。ここに残っても夫の道具として、村主家の為に、じわじわ死んでいくだけなのに気がついた塔子。 「鞍田さん・・・生きましょう。」[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-15 22:47:21)《改行有》

91.  陽暉楼 《ネタバレ》 ウリらしいウリが“浅野温子VS池上季実子”のキャットファイト。前座として“倍賞美津子VS佳那晃子”。…なんだろうなぁ。美人女優たちがバァン!と太もも出して、プルン!と乳放り出して、髪掴み合って戦う様は、確かに凄まじい。 浅野VS池上は両者入場から激しい睨み合い、浅野の一方的な宣戦布告からの格下相手の前哨戦、見事な先攻ダンスパフォーマンスからマイクパフォーマンスの応戦。会場を移してのメインイベントは、皆さんお待ちかね、5分にも及ぶ場外乱闘デスマッチ。トータルおよそ14分近い熱戦がアツいアツい。上映時間100分の、実に1/10の時間をここで使ってる。 この衝突し合う珠子と房子。お座敷の芸姑と遊郭の女郎。ダイカツをお父ちゃんと呼ぶ妾と実娘。これはなかなか面白い。そして徐々に仲良くなるでなく、別れをキッカケに大親友になる展開も、ふた昔前の少年ジャンプチックで面白い。 この二人の戦い、友情、ダイカツと2人の娘の話に絞って、サクッと100分程度にしていれば、とても小気味好い作品になっていたと思うんだけど。序盤の呂鶴の死とか、お袖VS丸とか、ダイカツとお袖の過去とか、バッサリ切ったほうが良かったろうに。その代わり珠子とダイカツのここまでの過程を掘り下げるとか、忘れた頃にチョロチョロ出てくる稲宗組をもっと絡めてくるとか、出来たと思うなぁ。 ただ遊郭映画の大作として制作したために、オープニングの芸姑が大勢で移動する様子は見応えがあった。凄い。AKBとか坂道シリーズみたい。 ここに来て“あぁ、芸能界とか風俗産業って、こんな時代から脈々と今に繋がってるんだなぁ”って、今さらながらに思ったのです!やっと。 芸姑と女郎の違いって、今で言うと何だろう?華やかしいこの子たちの裏に見え隠れする暴力団って、今どうしてるんだろう?そんな気付きを与えてくれた映画でした。[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-13 14:44:14)《改行有》

92.  霧笛が俺を呼んでいる 《ネタバレ》 面白い。なんかジャズ調の音楽がいい感じ。 カメラワークも工夫が見られて、ビルの高所の撮影では一段高いところから俳優と地面を入れてる。窓拭きのゴンドラなんて、正直そんなに狭くなくて安定感ありそうだけど、地面の車や人の動きを入れて緊張感ある画になっている。エレベーターが降りる画とか、今でこそダイ・ハードとかでよく見る画だけど、当時の邦画でこういうのって、あまり無かったんじゃないかな? 当時の懐かしいビル群を流れるように映したり、お決まりの酒場の賑わいなんかが、日本なのにとてもお洒落。 モノクロの写真と家庭崩壊の映像で、当時ペイと呼ばれていたヘロインの恐怖をこれでもかと描いている。日本でのヘロイン被害のピークは'61年とのこと。リアルに社会問題を考えた映画だったようだ。 赤木圭一郎の映画は初めて見たけど、足が長くスタイル抜群。今の目で観てもハンサムで、最後の海員制服もビシッと決まってる。この翌年に亡くなってたのか。ご存命なら日本映画界に華やかな功績を沢山残しただろうに。 相変わらず綺麗な芦川いづみは『彼氏が自殺したクラブの歌手』という役なので、明るい笑顔が観られないのは残念だけど、船乗りモノ映画のまさに“港の女”ってイメージ通り。真知子巻きがまた似合うんだ。その後の杉がロープを探しに海に潜る所で、海風でセットが乱れた風のナチュラルな髪型も素敵。 そして私が観た中で最初期の吉永小百合主演作。芦川いづみが大人の魅力を出している代わりに、年相応の若くて明るい浜崎の妹役(ただし術後のリハビリ中)で、笑顔がホントキラキラしている。浜崎の隠れ家に連れてこられて、赤木が降りた後の車で待つシーン、後頭部だけ映ってるところから、きちんと横顔をカメラに収める技。そして『どうしよう…そうだ景色を楽しんでる演技でもしてみよう』と思ったのか、やや視線を上に向けるぎこちなさが初々しくて可愛い。 そうだったのか、名作『第三の男(まだ観てない)』のリスペクト作品なんだ。 いやでも、とてもカッコいい'60年代の日本を代表する娯楽映画だと、思うんだけどなぁ。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-23 13:42:13)《改行有》

93.  沈黙のパレード 私はドラマ版は数話しか観ていなくて、容疑者Xを観に行ったくらい。でもやっぱり福山と柴咲コウが並んでいつもの会話をしていると、同窓会的な嬉しさを感じます。公開年と同じ2022年の秋祭り(パレード)が舞台。そう考えると未だにマスクが取れてない現実とのギャップを感じるところ。映画的には長すぎに感じなくもない『キクノ・ストーリー・パレード』だけど、久しく観ていないノーマスクの全力カーニバルが懐かしくも思えたかな。 今回の主人公は草薙刑事。警察の人間として、加害者と被害者の間に立つ存在として、事件の始まりからみるみる内にやつれ果てていく姿がとても痛々しい。 被害者側に肩入れして観てしまうので、事件になることを食い止めたい気持ちでの鑑賞。意外とアッサリ。からの・・・ 可能ならばもう少しスッキリしたカタチで、15年前と4年前の真相をもう少し知りたかった気持ちが無いわけでもない。でもなぁそのシーンって絶対、後味スッキリ出来ないのは想像できる。だから、無くて正解だった。としておこう。 私のようにドラマあまり観てない人はともかく、多くのガリレオファンは、湯川先生と内海刑事の軽快な会話を楽しみたいんだと思う。そして湯川先生の閃きから無心に書かれる方程式を観たいんだと。 ドラマの時と殆ど変わらない内海刑事。それに比べて当時より少しふっくらした湯川先生。うん、この映画くらいの落ち着きを観せて良いって思えるほど、このドラマも息が長く、みんな歳を重ねたんだな。 15年も前に始まったドラマの続編が、いま、充分に満足できる内容で映画化されることは、実に喜ばしい。[映画館(邦画)] 7点(2022-10-23 00:40:45)《改行有》

94.  ラスト サムライ 《ネタバレ》 - The Last Samurai - “最後の侍”  賛否両論は当時からあったけど、例えば007観たあとシュッと背筋伸ばしてスパイ気分で劇場を後にするように、私もこの映画を観て「武士道とは・・・」って、日本人の誇りについて考えなら、ある種日本人であることの誇らしさを感じながら、家路についたっけ。 アメリカ製の日本映画ですね。日本の文化を丁寧に勉強して創ろうという姿勢に、とても好感を持ちます。日本人から観てオカシイところが無いよう、真田広之や原田眞人が積極的にアドバイスをしたお陰か、目に余る変な描写はなかったと思います。 忍者が出てきたりは、いわゆるサービスシーンで、ハリウッドの“必要のないカーチェイス”や“必要のないシャワーシーン”みたいなものだと思っています。 日本人らしいなぁって思ったのが、例えば“たか”が小声で「獣のような匂い、耐えられません」と、自分でアルグレンさんに言うのでなく、信忠に言ってもらおうとする。でも目が合うとついつい愛想笑い。 不満を隠して尽くしてきたたかに「ゴメンナサイ」と夫を殺したことを謝るアルグレンさんに、まるで憑き物が取れたように一筋の涙を落として気持ちを受け入れるたか。この辺、上手いなぁって思った。小雪の演技力も凄いけど、こんなシーン入れてくるアメリカ人、凄いなぁ。 お金の掛けようも素晴らしく、港町の街並みも日本らしい気がする(中国とゴチャ混ぜになってない)し、お侍さんが登場する所で市井の人たち(日本人のみ)が顔を伏せるのも、らしい。 天皇の表現も、穏やかで好奇心旺盛。私腹を肥やす大村のような人間に利用されつつも、最後ビシッと決めてくれるところは心憎い演出。アメリカ人ってみんな日本の天皇(昭和天皇とは別だけど)に、悪いイメージ持っていると思っていたよ。 戦闘シーンも迫力があって、ハリウッド基準で撮られているのも嬉しい。比較対象が13年も古い『天と地』とになってしまうけど、あちらも近年の歴史超大作。日本人が大金を投じて、自分たちの歴史を表現したのが、アレだ。なんかもう、些細な誤解をチクチク言うのもどうかと思うくらい、頑張って創ってくれたなぁって思ってしまう。何だったんだろうパール・ハーバーって。[映画館(字幕)] 7点(2022-10-11 13:59:29)《改行有》

95.  ひろしま(1953) 《ネタバレ》 この映画が原爆から僅か8年目に創られたことに驚く。そしてその目的が“原爆の記憶を風化させないため”ということにも驚く。 日本人の適応能力は素晴らしい物があるが、それと同時に忘れやすさも素晴らしいと思う。戦争が終わり、日を追うごとに戦争当時の痛みを忘れ、世の中にはどんどん欧米式の新しい建物が立ち、学生たちはGHQの指導の元で、戦後の新たな教育が施されていた時代。日々変わっていく世の中で、つい隅に追いやられてしまう過去の記憶。 鼻血を出す女生徒。原爆体験者の数を聞き、クラスにこれだけ居たんだと驚く教師。ABCC(原爆傷害調査委員会)は被爆者の診察はしても治療はしてなかった事実。この忘れやすさ、辛いことは過去のものとして、綺麗さっぱり前を向いてしまう辺りが何とも日本人臭い。 原爆は甘え。体験した人にはホントきつい一言だ。被爆者が口を閉ざすのも解る。日本の復興のスピードもこの当時から早い。東北震災から復興のスピードを見ても、8年目ともなると震災当日くらいしか思い返さないくらい、過去の出来事と化してしまっていたと思う。そして先生のように、未だに震災の被害から回復していない人に驚いてしまうとか。ホント今の時代と変わらないかも。 原爆当日の広島の様子、阿鼻叫喚の地獄絵図は凄まじく、また撮影の経緯も当時の広島の人達の気持ちが籠もっていた。自分があの日、目にしたものを再現して、より多くの人に映画として観せる。 戦災孤児。弱い孤児たちがグループを作って、米兵に物乞いして逞しく生きる姿。頭蓋骨について、はだしのゲンでも出てたと思う。本当かどうか定かではないけど、本当なら、アメリカ人が日本人をどのような目で見ていたかが解る。そしてそれは最初の“どうして白人の国ドイツではなく黄色人種の国日本に原爆が落とされたか”に繋がる。 当時は朝鮮戦争の真っ最中。幸夫は仕事で砲弾を作り、パチンコが戦争の資金になるって女の子も言ってた。 平和のために戦争に手を貸さない。結果それが反米だとして、広島に原爆を落としたのはアメリカなのは、未来永劫変わることはない。それを絶対に忘れない為に、その想いを込めて、この映画は創られたんだろう。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-08 19:18:42)《改行有》

96.  空飛ぶタイヤ 《ネタバレ》 タイトル聞いてパッとあの事件を思い出すのは、いい年齢な証拠かもしれない。三菱自動車のリコール隠し。東京フレンドパークの「パ―ジェーロ!パージェーロ!」が「クールーマ!クール―マ!」になったのって、この時だったっけか。覚えているつもりでも、時間とともに案外忘れてしまうもので、あの脱輪事故はリコール隠しから数年後に起きた事件で、三菱自動車への信頼をとことん下げる事件となった。そして沈没。超巨大戦艦なだけに、時間を掛けてゆっくりゆっくり沈んでいっている。 そしてこの映画、人の亡くなった事件で面白かったと言ったら不謹慎かもしれないけど、実際の事件をベースにとても見応えのある内容だった。 三菱でも被害者でもなく、運送会社社長と言うのはまた絶妙な立場で、加害者でもある一方で、被害者でもある難しい立場の主人公の境遇を良く描けてたと思う。四十九日法要の時。ここまで観ていると社長の社員を守りたい気持ちや努力が見えるだけに、妻を亡くした夫から浴びせられるきつい言葉にハッとしてしまう。確かにあの段階で自社の整備不良を認めないって、遺族にしてみれば言い逃れ以外の何物でも無いなって。 敵に回した財閥のデカさ。何度電話を掛けても出ない担当者。期待した雑誌記事は掲載されず、銀行からも厳しい返済を求められる。万事休すからの逆転劇が痛快だった。ただ富山ロジスティックの「新車だったんです」辺りで、鈍い私も半沢直樹っぽい展開だなって思って。池井戸風のドラマは結構見たと思うけど、純粋な池井戸原作って半沢しか観ていないから、そんなに引っ張られたり期待したりもなく、最後まで楽しめたと思う。むしろ半沢がドラマティック過ぎるので、少し抑えた本作くらいがリアリティを感じられて、実際の事件との乖離が少ないように感じられた。 沢田がある意味もう一人の主人公だと思うけど、それに値する人物かが微妙。どうしても、喉から手が出るほど欲かった1億を蹴った赤松社長>>>喉から手が出るほど欲しかったポストだけど想像と違う扱いだったから裏切る沢田。って思ってしまう。 ただ全体としてとても見応えのある娯楽映画で、原作モノとは言え、本当の事件を知る上でも、こういう映画にどんどん力を入れてほしいな。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-07 19:22:07)《改行有》

97.  博士の愛した数式 《ネタバレ》 人生初の国際線の機内で観ました。まだ劇場公開中の映画が観られるなんて、すごいなぁって思いました。そんな思い出補正もあるんだけど、結構好きな映画です。 邦画ってお色気シーンがあるものと思っていたから、ちょっと敬遠していたんだけど、この映画はそういうのが無くてスッキリ楽しめました。それこそ、劇中のルートくらいの子に観てほしい映画。 絵に書いたような素直な学生たち。悪意なくからかわれて人気者の先生=最初の授業っぽいけど既に√ってあだ名が浸透してるとか、まず無い。 理解ある家政婦紹介所とお義姉さん=派遣に子供連れて行って一緒に御飯とか、現実問題無理だろう。 博士を受け入れる少年野球チーム&背番号の変更=背番号は杏子が事故のことで監督と取引したのかも? なんて、私みたく斜に構えた観方ではなく、子供だったらこの映画がすぅ~~っとまっすぐに入ってくるんじゃないかな? 階数、素数、完全数、π、i、e。算数の段階から数字が苦手だった私でも、数学の面白さや神秘性が伝わった。なんかこんな話を学生の頃に聞いていれば、もしかしたら苦手意識無く楽しく学べたかもしれないな。この映画をキッカケに、数学の楽しさを探究したくなる若い子が出てくると思う。 そして記憶を持ち続けられない博士との交流は、人を思い遣る気持ち、人を悲しませない付き合い方を知る、とても良い学びの機会になっていると思う。 ルートが怪我をした時の母親の一言。博士におぶさって、母の被せたキャップをはたき落として気持ちを示す一連のシーン。謝る母親をちゃんと許すところとか、10歳にしては大人すぎてるとは思うけど、やっぱりジーンと来てしまう。…しかし、ほんと吉岡秀隆ソックリな子役を見つけてきたモンだわ。 せっかく主人公を杏子からルートに変更したんだし、純粋に子供向けに創っても良かったのに。 お義姉さんの話は子供には難しいんじゃないかな。それこそ自分たちの曾祖父母(?)の年代の恋愛話だから、子供はどう観るんだろう? 17年前の事故から時間が止まっている博士だけでなく、未亡人もまた、時が止まっているように思えた。1986年の話のようだけど、その年代から観ても古いお屋敷に、和服を着てキッチリ化粧をした未亡人。彼女には老いていく自分を博士に見られたくない気持ちがありながら、博士ひとりを17年前に置いていくことも出来ない優しさ、そして罪の意識から自分からは何もしてやれない悲しさが感じられる。 杏子に対する博士の思いも気になった。事故にあった時、博士は47歳だったそうだ。 杏子は28歳。明るくて屈託なく、グイグイ来る性格。ん?ルートは杏子が18歳のときの子か。で、18歳から家政婦やってるのか。 熱中症から目覚めて、自分の記憶が保たないことを知って悲しむ博士。杏子の手を握り、女の手の暖かさを知る。 そしてこのあときっと鏡を見て、自分が既に64歳の老人になっていることに気がつく。 気持ちは47歳なのに、目覚めたら64歳になってる博士は、28歳の杏子に対し、恋愛とはまた違う何かの感情を感じていたんだと思う。 220と284は友愛数と教えた博士。友愛数は親和数とも言うそうだ(※もちろん知ってたんでなく、調べました)。 だけど敢えて“友愛”の方を伝えるあたり、恥ずかしがり屋の博士の気持ちが込められていたのかもしれない。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-12 22:52:39)《改行有》

98.  映画 ビリギャル 《ネタバレ》 こういう目標のハッキリした映画は、観ていて安心できる。タイトルから現役合格するのは決定付けられてるんだけど、それでも合格発表は手に汗握って観られた。自転車漕ぎながら人称代名詞(だっけ?)読み上げるとことか、世代は違うのになんか懐かしくなった。 理解ある母親ああちゃん。極端にエコひいきをする父。学力よりルールな教師。実話にしては何とも漫画チックな登場人物だ。でもそこが却って映画的に、さやかちゃんの人生の障害として、または拠り所として機能したのかもしれない。勉強に集中させるために遊びに誘わない友達も良かった。授業中寝てるさやかちゃんの髪をグイッと掴み上げる(女の子に対して)安田顕と、眠そうに睨み返す有村架純のシーンはビリっと来た。 自暴自棄、家庭内不和、天候不良、体調不良。。数々の障害は自分の過去と照らし合わせて共感できることも多かったな。お腹壊して文章を追えなくなるとかリアル。…でも、一度退席したら再入場って出来ないんじゃないの?…古い? ただ、受験当日お父さんの極端な“あぁ見えていいトコある”アピールが、映画としてはあからさま過ぎてマイナス。あそこは『親切に道を譲ってくれた老夫婦がスタックした』とか『整備工場のお得意さんで、病院に行かなきゃいけないの知ってて…』とか、もうちょい上手く観せられたと思う。それにあんなタイプの父なら、娘たちにも焼肉を食べさせて自分は我慢すると思う。 ビリギャルが当時流行って、ワイドショーとかでも取り上げられてて、でも“今でしょ!?”の塾先生は批判してたみたい。有名進学校出身で地アタマが良かったにしても、無勉強だった子がたった1年で慶應現役合格は素直に凄いこと。 そして1年という短期間で総合学力を上げるのでなく、詰め込めば間に合う可能性のある慶應にしたのは、さやかちゃんでなく坪田先生の功績。 最初は馬鹿でも知ってる大学「東大にする?」って冗談っぽく振っておいて、「じゃあ~…慶應にしちゃおう!」って誘導してる。人の能力を引き出し、その気にさせるだけでなく、結果を出せる道を指し示した坪田先生が凄いんじゃないかと。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-07 20:04:00)《改行有》

99.  嵐を呼ぶ男(1957) 《ネタバレ》 両親(特にママン)が祐ちゃん好きだったみたいで、石原裕次郎が亡くなった時にベストアルバムみたいなレコードを買ってきて、家族で一緒に聞いた覚えがあります。 「フックだ!ボディだ!」とセリフ付きの歌に、当時の私は内心『・・・ダッサ』と思ったっけ。 裕次郎の格好良さが詰まっていると言われる本作。きっと大人になった私だったら、共鳴・理解出来る何かがあるに違いない!と思い、数年前に1回めの鑑賞。 オープニング、銀座の昼が夜になり、ネオンがギラギラ輝く当時の夜景が美しく、ガヤガヤした人の喧騒が楽しい。観ていてワクワクした。 ヤクザの世界とベタベタな芸能界も、きっと当時の感覚では“言うまでもない世間の常識”だったんだろう。時々闇深さを見せる今の芸能界より解りやすい。 詰まらなくはないんだ。惹かれるものはあるんだけど、でもね、う~ん・・・チャーリー(何だよチャーリーって)との対決で歌っちゃうのってどうよ?アレってドラムのテクニックとか関係ないし反則じゃない?なんかね、一番の盛り上がりポイントが、正直言ってやっぱりダサくて、このノリに素直に同調できなかった。“昭和を代表するスター”の代表作の魅力を充分に理解できなかったわ。 子供の頃からスタイリッシュで格好いいハリウッド映画と洋楽にどっぷりハマって、“欧米文化サイコー!!”って自分を洗脳してきた私には、戦後から立ち直って、その先を模索する当時の日本人のパワー(暑苦しさ)、昭和の真ん中な空気(古臭さ)にダサさを感じてしまったんだろうな。 それで今回、レビューのために再鑑賞。やはりオープニングにワクワク。戦後わずか12年でコレって凄いよなぁ。戦後かぁ。“戦後”ってキーワードで鑑賞すると、そういやチャーリーって、アメリカ人の代表的な名前だな。 左手を痛めつけられ、それでも逃げずにチャーリーと戦う裕ちゃん。手をやられたなら他の武器で戦えば良い。「おいらはドラマー♪」と、出せる力を全部出して戦う石原裕次郎に、当時の若者は焼け野原から立ち直った日本、“もう戦後ではない”これからの日本を重ねたのかもしれない。 ロカビリーとかカタカナ名前とかそういうアメリカの借り物でなく、これからは日本独自の格好良さを創り出していこうぜ!って、1957年という時代は、そういう日本の将来の分岐点だったのかもしれない。 映画の裕ちゃんみたく「フックだ!ボディだ!」って、日本人みんなが出せる力を全部出して、なりふり構わず頑張った結果が、高度経済成長なんだろうな。 This is 昭和! This is ニッポン! ダサいけど格好いいぜ、裕ちゃん![CS・衛星(邦画)] 7点(2022-08-26 19:42:41)《改行有》

100.  メンフィス・ベル(1990) 《ネタバレ》 -Memphis Belle- “メンフィスいち美しい女の子”乗機B-17の名前。爆撃機には船の“ナントカ丸”みたく名前があるみたい。初視聴はレンタルビデオで、結構好きな映画なんだけど、辛口評価が多いんですねぇ。 B-17の実機が登場するのが目玉。B-17の銃座がどんな位置にあり、誰がどんな任務を担当したのか。そして昼間爆撃とはどんな任務か、どれくらい被害があったかが、この映画1本で解る仕組みになっている。 特撮はリアルとはいえないけど、一瞬で爆散するでなく、また数秒で墜落するでもなく、じわじわと悲惨な最後を遂げるB-17の姿。落ちる機中にも10人の若者が乗っていて、恐怖のなか死んでいく現実。そして最後、自機の車輪が出ないことでどんな惨状が待っているか、冒頭の機体炎上で観せるのも上手い。 戦争を舞台にした青春映画として、若者たちの生きるための精一杯の努力を描いていたと思う。いがみ合っている同士が見せる優しさ、イザという時に見せる勇気。ヴァルが医師の経歴詐称を暴露したり、ダニーが自作のでなくイェイツの詩を読んだことを暴露したりと人間臭い。 戦略爆撃には2通りがあって、ピンポイントで軍需工場とか軍港を爆撃する精密爆撃(敵国の軍事力破壊が目的)と、敵都市を無差別に爆撃する絨毯爆撃(敵国民の戦意喪失が目的)があって、メンフィス・ベルたちの任務は前者。 また当時の連合国はまだ絨毯爆撃はしてなくて(といっても劇中の数カ月後からバンバン落とす)、誤爆とか事故、故意に住宅地に落とした以外、映画のような描写、考え方であっていたと思う。 先導機のウインディ・シティ号が落ち、後任のCカップ号も戦線離脱して、メンフィス・ベル号が先導機に。もし2回目の旋回でも工場が見えなかったら『ここだ!(と思う)』で爆弾落としてたかもしれないし、誰も反対しなかっただろう。 偶然にも雲が晴れて、目標も映画もスッキリとした終わり方。戦争映画でスッキリって表現は違和感を感じるかもだけど、アメリカが創る第二次大戦を舞台にした映画って、戦争の悲惨さとかをテーマにした映画より、娯楽要素の強いドンパチ映画が多かったと思う。本作はイギリス主体で制作されたらしいけど。 メンフィス・ベルは古き良き戦争映画のスタイルに、爽やかな青春映画要素を組み入れた映画で、公開当時はまだ『ベトナム戦争映画は真面目に。第二次大戦は娯楽にして良い。』のような風潮があったように思う。なにせ第二次大戦の連合国は善で、ナチや日本は悪。特にアメリカの力で世界平和を勝ち取った戦争。と考えていたから。 '80年代以降ベトナム戦争のドロドロを描写した映画が増えて、なんか実際の戦争を娯楽にするのに抵抗感が生まれていったんだと思う。 空気を読まずに完全娯楽作として作られたパールハーバーが、戦争娯楽映画にとどめを刺した印象。[ビデオ(字幕)] 7点(2022-08-14 16:28:47)《改行有》

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