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161.  ミックス。 《ネタバレ》 新垣結衣はとても可愛いけど、彼女の演じる富田多満子には全然魅力を感じない。まず萩原が過去の話をしている時の茶化し方が意地悪い。工事現場の昼休みに、自分の内面、妻と子への思い、他人に語らなくていい過去を話している相手に、あの態度はないだろう。アレでは江島の歓迎会を転倒でブチ壊したあと、庶務課の誰も片付けを手伝ってくれないのも解る。多満子が“良い子だけど幸薄い子”ではなく“腹黒い自己中な女”に観えてしまった。 ミックス解散の理由も自己中。他の2組を励まして大会に導くのが、フラワー卓球部部長(かな?経営者?)の努めだろうに。しかもわざわざ、大会当日に缶詰工場のシフト入れること無いじゃない。せめて次の仕事は月曜からにしようよ。 いくら強敵が少ないミックスという競技とは言え、そもそもあんな素人の付け焼き刃チームが、卓球雑誌の表紙になるような選手と同じ土俵で大会出場って出来るの?ある程度のレギュレーションってありそうだけど?復帰直後は凄い才能を見せた多満子も、なんか試合中はヘロヘロだったし。 萩原。あのポジションでいきなりキスは気持ち悪かった。観てる側は元妻と復縁した既婚男だと思っていたから、えぇ~~!?って。多満子も元妻と復縁するモンだと思って大会に付いていったと思うと、なんかなぁ、どうだろうなぁ。 それに面接の日に、あの髪型と髭のままはないだろう。大会に心が揺れていたというより、最初から面接行く気がなかったのか? 江島と愛莉のコンビって、結局本当に不仲だったのか、江島の作戦だったのか解らなかった。いや作戦ったって、格下のフラワー卓球部に、ねぇ。それだと性格悪すぎだよね。 最後卓球部が大人気になるのも、あの試合そこまで注目されてたの?って思ったし、かなり強引なハッピーエンドに思えたわ。 こういう最近の邦画を観ると、つい私も『出演陣が豪華です。』…って書いてしまうけど、本作のような軽いノリで楽しめる邦画って、だいたい出演陣は豪華なのに最近気がつきました。 日本映画界の厳しい台所事情を想像すると、『映画』だけで食べていくのは厳しい。メディアミックスと言えば聞こえは良いけど、特に若い俳優は“職業=映画俳優”だけでは難しく、まだ体力のあるテレビ局が制作する映画、テレビドラマの延長のような映画に、名の通った俳優たちが出てくるのは当然の結果なのかな。 コマーシャルで成り立つテレビ業界。出演俳優をコマーシャルの側面で考えると、“気さくな元ヤン院長夫人”を演じた広末涼子。“ガサツな中華料理屋の嫁”を演じた蒼井優が際立っていた。「彼女たち、こんな演技もできるんだぁ」という意味で。永野芽郁の“外面だけの嫌な女役”もだけど、彼女のイヤな女役は『半分、青い。』でもやってたっけ。 こういう映画の脇役で、自分の演技の幅広さを観せる。映画を俳優のコマーシャル目的に使うのも、一つの方法なんだろう。[インターネット(邦画)] 4点(2022-07-31 22:20:44)《改行有》

162.  ゴンドラ 《ネタバレ》 風景がとっても綺麗なんだ。昭和末期の懐かしさもあるんだけど、「あ、この景色をもう少し観ていたいなぁ」って思ってたら、思いのほか長回しで観せてくれる。そのため、ゆったりとした気持ちで観ることが出来たわ。 初潮が来たのに頼れない母親。話題にもしない親子関係。1人で淡々とナプキンを買い、淡々と水着を洗う無表情の11歳が悲しすぎる。象徴的に視界を遮るブラインド。親子どちらも見たくないものは見ない、2人とも、都合の良いものだけを見るブラインドを持っている。 セリフがないから最初何を考えているか解らない窓拭きの青年と、孤独な少女。2人が出会い、再会し、夜の公園で語り、雨の夜に泊まり、2人きりの旅行へ・・・どう考えたって青年の不満が爆発するとかして、2人とも不幸な結末になることを想像してしまう。 地面に書いた楽譜を消す清掃車。メトロノームの音の奥で夫婦喧嘩。大好きな父親との思い出は、夫婦喧嘩の場面ばかり。夢の中のかがりは黄色のドレス。家庭も学校も現実がイヤすぎて、“もう無理”って意味の黄色信号なんだろう。黄色が象徴的に使われている。 良の優しい言葉に、最初しばらくはツンツンと不機嫌に答えていたのに、段々打ち解けて、良について次々質問するかがり。「青だよ」徐々に心も開いていく。かがりなりのお礼だろうか、良の海の話を絵に描くかがりが可愛らしい。無愛想に現金を渡してた子が、徐々に心を開いていく過程が丁寧に書かれている。グラスの水に広がる青い絵の具も、かがりの安心感や安らぎの現れかもしれない。 高熱を出したときも夫婦喧嘩していた両親。ここでは赤が使われている。母親の服装も赤。かがりの限界を超えたんだろうな。 〜※レビュー数が少ない作品にも関わらず、ここから先はかなりのネタバレを含むので、出来ればこの作品を観てから、読んでみて下さい。〜 東北の田舎で、良のお母さんが作った素朴なご飯をみんなで食べる。「この魚美味しい」こんな事言いそうにない子だと思ったのに。 不安の象徴だった蜘蛛が、ここでは良の実家を守っている。大きい浴衣でニコニコ笑顔。家の中が笑いに包まれて、観てるこちらの心もほぐされる。 山道や海岸を延々と歩く2人の映像。何のドラマも起きない、特にセリフもない時間だけど、すっごく心地よい。おにぎり美味しそう。 これさ、ラピュタ以降のジブリが何度もトライしている、リアル路線の完成形じゃないかな。伊藤監督というのか。長編映画初監督作品で、コレって凄いことだと思う。ノスタルジーの押しつけを感じない自然の心地よさ。 かがりの両親は最後、どうなったのかな。あの建物は何だろう?警察?裁判所?あのベンチの距離から2人の再婚は考えにくいから、かがりの親権を父親に譲ったのかな?って勝手に想像。 スクラップ・アンド・ビルドで建造物だらけの住みにくい都会。田舎を捨てて東京に集まっていく若者たち。廃れた田舎で以前のままの生活を続ける高齢者。若者の居なくなった学校は壊してそれっきり。そんな田舎で壊れたゴンドラを、別の壊れた船の板で直す良は、まるで父親との関係を修復しているようだ。 「もう帰るトコなんて無いの」から「帰りたくないなぁ」に。かがりの気持の変化が、セリフの少ない映像で充分に表現されていたと思う。 そんなかがりに良が送った言葉「どんど晴れ!」。「君が好きだ」とか「ずっと居て良いんだよ」とか「2人で頑張ろう」なんてありきたりの言葉でなく、『めでたし、めでたし。』って意味の方言。素晴らしいセンス、言葉のチョイスだと思う。 チーコを海に還して、かがりの心にも帰る田舎が出来た。だから東京に戻ってもきっと頑張れる。純真無垢な2人に私まで元気を貰えたわ。 さぁ明日から私も頑張ろう。[インターネット(邦画)] 9点(2022-07-29 12:47:56)《改行有》

163.  里見八犬伝(1983) 《ネタバレ》 子供の頃CMを観て、「日本映画なのに凄いSF超大作が出来るんだな」って感心したっけ。英語の歌だったし。 初見はテレビだったけど、内容イマイチ覚えていないんだな。最後の決戦で宇宙刑事ギャバンの人があまりにアッサリ殺されて「えぇ!?八犬士弱っ!」って思ったっけ。そのシーン以外すっかり忘れて再鑑賞。記憶だけでレビュー書けば7点くらい付けてたかも?あの歌懐かしいし。 今観ると敵のアジトのセットも、当時のギャバンや戦隊モノの、ちょっと豪華(広い)なくらいかな。チープだけど、ああ観えて結構お金掛かってるし、当時のハリウッド娯楽作にも似たようなレベルのセットはあった。 問題は音。音楽と音響。場違いな軽い音楽と、アニメなんかでよく聞く「キュピーン!」とか「ズバァ!」とかって、有り物のワンパターンな効果音。あの音のせいでチープ感が増してると思ったね。ハリウッド作品は同じようなチープな特撮でも、音で迫力を出すこともある。 この映画のワクワク・ポイントが、静姫のもとに次々と八犬士たちが集まってくるところ。毛野と信乃&浜路の犬塚兄妹の背景は素晴らしかったけど、全体的にダラダラし過ぎ。洞窟にいた2人とか適当過ぎて扱いも雑。どうして1人子供なのかとか、説明があっても良さそうなものなのに。まだギャバンの人の方がキャラが立ってたわ。 第2のワクワク・ポイントが最終決戦。八犬士のカッコいい戦いっぷりに注目したいところ。少年ジャンプ黄金パターンで1人また1人と命を落としていく犬士たちだけど、ホント毛野と犬塚兄妹、あと道節くらいしか印象に残らない最後。136分の長時間なんだから、もっときちんと見せ場を創れたと思うんだけどな。岩を支えるのに犬士2人も使う贅沢仕様。う~ん… テーマソングを丸々一曲使ったキスシーン…ってか、よく観たらラブシーンだったのね。顔のアップばかり延々流れる不思議な時間を堪能できる。 エンディングは爽やか。みんなの声が聞こえるジャンプっぽさも心地良い。走る馬の上で真田広之(JAC)と手を結ぶ薬師丸ひろ子(18歳のアイドル)凄い。あの状態であんな素敵な笑顔が出せるなんて、さすが一時代を築いた人だわ。[地上波(邦画)] 5点(2022-07-27 00:40:46)《改行有》

164.  小鳥たちのいない花園 《ネタバレ》 すごく暇な時に『まだレビュー数0の作品』のトップに、たまたまこの作品名があり、どんな映画だろう?と検索したら、某動画配信サービスで丸々全部観られるのを発見。短い作品だし観てみました。 時代はバブル真っ盛り。男女数人がホテルの一室に集まり、ドラッグキメてパーティのつもりが…みたいな内容。服装から髪型から、何もかも懐かしい… 短編映画なのでインパクト重視の創り。最初のスクーターの事故回想シーン(リアリティはともかくだけど)はインパクト大。その話を聞いて盛り上がってるんだから、全員偏った趣味(&性癖)の人達の集まりのようだ。 この集まりの目的が乱交なのか、集団自殺なのか、イマイチ伝わらなかった。自分の体を切らせる客の話で「今度私にも紹介して」とか言ってたと思うから、運悪く薬が効きすぎての事故なんだろう。 子供の頃、ギニーピッグとかってリアルな暴力描写がウリのビデオ(未見)があったけど、本作はその進化系だろうか。実際の凶悪犯罪により、過激な描写に制限が掛かっている時代、内蔵とかのグロ描写は極力避けて(でも血まみれのドバドバです)、笑顔で殺し合う男女(薬のせいだけど)を思いっきり撮ってみたい。そんな監督の心の声が聞こえてきそうな作品だ。 だけど正直、映画の中の彼らがどうなろうと、一切興味を持てなかった。映画的には1人くらい薬の効いてないマトモな人を置いてほしかったけど、出てくるのは似た者同士。金と時間がありすぎて、普通の娯楽に飽きたのか、人の死を喜んで話すような若者たちが、他人を傷つける事なく勝手に殺し合うんだから、もう好きなようにしてくれと。 そもそも万人受けを狙っていない短編映画なので、この映画を観るよう誰かに頼まれた訳でもないのに、自分の意志で勝手に観て、私には合わないからと、低い点を付ける事に、ちょっぴり申しわけ無さすら感じるわ。 こういう映画は好きな人たちで勝手に盛り上がれば良いんだわ。この映画の男女のように。[インターネット(邦画)] 2点(2022-07-26 23:47:41)《改行有》

165.  アフロ田中 《ネタバレ》 原作が好きであればあるほど、実写化、映画化には不安がつきもの。原作の再現度と雰囲気の再現。オリジナル要素がどれだけ馴染むか等、沢山の障害がある。“高校”から“結婚”まで全部実家にある私だけど、高校を中退してからプレハブ小屋生活、旭工務店に勤めるまでを足早に流した時には、初めて観る人を置き去りにする作風、正直期待できない作品。だと思った。 でもコレがなかなか、2時間の映画として、良くまとまった作品に仕上がっていると思う。この作品は、アフロヘアーだけど中身は普通の青年・田中広が、社会の仕組みや男女の恋愛に勝手に悩み、等身大の成長をしていく物語。当時原作は“さすらい”の頃だけど、一番脂ののっていた“上京”をベースに“中退・高校”のエピソードを交えて、友人井上の結婚と自身の彼女作りに、原作の雰囲気を壊さないよう、オリジナルの彼女候補・佐々木希を絡めて描いている。 松田翔太の見事な熱演。ちゃんと田中広に観える。動揺や不安感といった心の声を被せることで、田中が何を考えているかがよく分かる。無愛想だったり無口だったり、エロい誤解を与えないよう自重したり。あんな見た目(アフロ)や雰囲気の裏で、こんな事を一生懸命考えてたんだって、可愛く思える。 野良猫の餌やりは優しすぎ(映画オリジナル)に観えたかもだけど、ここも心の声で補完。田中は実家にクロって猫を飼っていて、会えないのを寂しがっていたのを再現したと思うと納得。それを見て亜矢(佐々木希)が勝手にキュンとしただけ。人がどう思うかなんて解らないもので、最後も亜矢が何を考えてるのか、経験不足の田中には良く解らないままにフラレて終わるのも、アフロ田中らしい。 友人の再現度もなかなかのもの。ただ大沢(堤下)は、もっと小柄でブサイクな俳優さんでやってほしかったかな。 一番感心したのはロボ(井上のお嫁さん)。原作をよく知らない俳優さんなら、うつむき加減の根暗演技になりそうなところ、背筋伸ばしてちゃんと嬉しそうに笑顔を出してた。結婚式の『ご本人主演の再現VTR』凄く良かった。完璧なロボを実写で観られただけでも大満足。原作への愛があるなぁ。[インターネット(邦画)] 7点(2022-07-24 13:45:15)《改行有》

166.  異人たちとの夏 《ネタバレ》 片岡鶴太郎の演技力がとても評価されてた記憶がある。コメディアンが映画に主演して、真面目な演技をして評価されるって、当時としては珍しいことだったと思う。そんな人、北野武くらいじゃないかな?テレビで初めて観て、なるほど納得。見事に“英雄のお父さん”を演じていた。 本作が大林宣彦監督作品だって忘れてた。若者の青春映画の監督ってイメージだったから、こんな大人のメルヘンファンタジーを撮っていたことに驚いた。当時の私は知って観てたのかな。ホント忘れてた。 画面から伝わる夏の暑さ。浅草の異世界感。「暑いから脱げ」ってセリフがホント両親っぽい。もう40歳になる英雄を子ども扱い。この両親、自分たちは既に死んでいることを自覚しているけど、どういう仕組みで現世に戻ったとか、よく解ってないんだろうな。英雄と再会した喜びとか、涙とかは無く、出会いから日常生活から、スッと自然に取り入れていくところが、本当に不思議な世界を観ているような気持ちにさせてくれる。 英雄と房子がアイスのカップを取るシーン(いやこの場面も、裕福な家庭でないのにそんな物があるのが、なんか実家っぽい)。英雄も私たちもドキッとしてしまうけど、落ち着いてる房子のギャップが面白い。下手したら年下のお母さんだけど、子供の母親は何歳でも母親なんだな。 そんなお母さんが趣味でラジコンカー(本格的なのでなく子供のオモチャのヤツ)で遊んでるなんて可愛い設定、どっから思いつくんだろ?凄いよ大林監督。 すき焼き屋の別れは涙が溢れてくる。時間が来たら消えてしまうことは理解している両親。それも子供の為と受け入れているところ。両親に食べてほしい英雄と、子供に食べてほしい両親のお互いの思いやりが何とも切ない。 桂の正体。「バカな、今は空き室ですよ!」慌てる間宮と管理人に、当時はゾ~~~ッとしたわ。怖かった。その後のホラー描写はやり過ぎ感があって、なんか、今までの感動や余韻を台無しにされた感があったなぁ、やっぱり。 でも今観ると、案外悪くない結末なんだよね。身体フワーリ、ベッドグルグルー、血がドバー。は、当時の流行りだろうか、やりすぎだと思うけど、気がついたら地縛霊になってた桂は、彼女なりに、自分が原因とも知らずに、英雄の身を案じてたと解釈すると、それはそれで切ない。[地上波(邦画)] 8点(2022-07-11 00:19:29)《改行有》

167.  BEST GUY 《ネタバレ》 -BEST GUY- “最高の男” 航空自衛隊千歳基地の201&203飛行隊のトップパイロットに与えられる称号。 この映画が千歳を舞台としているのに気がついたのって、映画の中盤。基地以外では現地ロケしてたのかな。全然北海道感がないんだけど。最後チラッとトマムが出るくらいで、道民としては…アレレ?って思いました。 当時の若者が熱狂した『トップガン』の日本版を創ろうとしたそうだけど、制作陣は創ってる最中…アレレ?って思ったに違いない。 日本版トム・クルーズ役をゲットした織田裕二。キャリアアップを目指した結果、まさかの足踏み。むしろ黒歴史扱いに…アレレ?って思ったハズ。 海軍パイロット希望者がわんさと来た映画の日本版と聞いて、航空自衛隊も精一杯期待と支援をしただろうけど、完成作品を観て…アレレ?って思ったことでしょう。観る人も、創る人も、演じる人も、題材にされた組織も、誰一人として得しない映画って、あるものですね。 深雪にバーティゴの話を突然始めたり、自信喪失で今まで出てない元カノに会いに行ったり、関係断られたからって『じゃあコッチで』って深雪の家行ったり…キャラがブレブレの梶谷。民間人なのに基地の司令室とかブリーフィングルームとか自由に行き来出来る深雪。 特別出演:シェリー…誰? よく解らなかったんだけど、ゴクウとイマジンが戦って、「梶谷お前はキル(撃墜)された」「いやキルされてない!ベイルアウト(緊急脱出)だ!」云々…「見ろよ!俺は生きてるぞ!」って流れ。撃墜を避けるために墜落したってこと?まるでゲームで『K.O.される前にリセットボタン押しました~』って言ってるレベルに思えたんだけど。この解釈で合ってる? ゴクウはここでF-15J一機墜落させてるんでしょ?その後バーティゴで墜落したけど、ゴクウは都合二機もF-15J墜落させたってこと?貴重な国税を…トップガンを彷彿とさせる海上救助シーン。コッチは1人だけ、死者も出てないのに、なんか悲しいシーンっぽくしてるのが悲しい。 F-15Jの実機映像は文句なくカッコいい。それだけが救いなのに、盛り上がるシーンに限ってチャチな特撮。酷い。 私はこの映画と関係ないけど、自分の意志で115分間しっかり観たけど、なんか、謝って欲しい。[インターネット(邦画)] 3点(2022-07-06 21:33:43)《改行有》

168.  テルマエ・ロマエ 《ネタバレ》 -THERMAE ROMAE- “ローマの公衆浴場” 顔の濃い日本人でローマ人を表現するセンスは素晴らしい。中途半端に西洋人を出すよりもずっとインパクトあるし楽しそう。 あとは肩肘張らずに、原作の面白さと阿部ちゃんのスットボケキャラの相乗効果を味わうだけ。・・・だと思ったんだけどなぁ。 漫画原作の邦画って、どうしてかダイジェスト的に話を詰め込み過ぎになりがち。 ①銭湯→②家風呂→③ショールーム。この、それぞれでドラマの30分枠を充分に埋められる面白い話を、たった35分で消化してしまう駆け足具合。シャワーの便利さ、富士山の壁絵の雄大さ。フルーツ牛乳の甘さと冷たさ。シャンプーハットの懐かしさ。果てはウォシュレットの気持ちよさ。…私たちの生活に当たり前に浸透している、日本のお風呂文化(いや水回り文化か)を見て、ルシウスが驚いて感動するところがこの作品一番の目玉だと思う。私たちには当たり前の光景が、どうして素晴らしいのかをルシウスに語らせる。そしてそれをローマに帰ったルシウスが、当時の技術で上手に再現するところも含めて“日本のお風呂文化って凄いんだな”って。 日本ローカルの愛すべきお風呂文化が、同じくお風呂が好きな古代ローマ人に喜んでもらえる嬉しさ。最近流行った『世界に誇る日本の文化』みたいな風潮のモトって、このテルマエ・ロマエかもしれない。 お爺さんたちが古代ローマに行ってしまうと、いままでの日本のお風呂文化の素晴らしさが伝わる喜びが無くなって、途端に退屈になる。 ・・・というかネタを詰め込みすぎてお腹いっぱい。上戸彩が実家に帰るあたりにはもう飽きて長さを感じてる。 原作は途中までしか知らないけど、ローマに行ったお爺さんたちが後方支援とは言え、戦争の一方に自主的に加担するのも安直だし、クライマックスにオンドルなんて、あまり馴染みのない、朝鮮半島の文化を入れてくるのも不自然。この当時のフジテレビの韓流ゴリ押しは異常。 こんな無理やりな展開入れるなら、もう銭湯からショールームまでで90分くらいの映画で良かったんじゃないか?って。 ケロリン桶の美しさを解説する全裸の阿部ちゃん(股間は上手く隠れてる)なんて、想像するだけで笑えるのに、サラッと。 ワンダーウェーブ洗浄とかBILINGUALとか、映画独自の笑い要素もあって、全部が悪いわけじゃない。 しかしエンディングのお風呂でくつろぐ登場人物たちは、私に“お風呂入りたい欲”を沸き立たせる。[地上波(邦画)] 4点(2022-06-29 01:46:43)《改行有》

169.  シン・ウルトラマン 《ネタバレ》 ※極力ネタバレ無しで書いてみましたが、難しいですね。有りにしておきます。 リアルタイムにはザ・ウルトラマンや80の世代になるんだろうけど、子供の頃は初代からレオまでが大好きで、夕方や夏・冬休みの再放送を、何回も観ていました。ほぼ全話見ていると思う。そして私が初めて映画館で観た映画が、ウルトラマン(ハヌマーンのやつ)。何かと縁がある作品です。 オープニングのゴメスやペギラにビックリ。そうか、そこから話が繋がってるんだ。元々が30分完結の独立したショートストーリーを、1本の映画として連続性を持たせて完結させるための取捨選択。綺麗にまとまっていたと思う。 公開前から、どうしてネロンガとガボラって似た怪獣をチョイスしたんだろ?って思ってたところ、アタッチメントの件でひとりヲタ笑いしそうになったわ。似てる理由も、映画の中できちんと処理していたのは上手いな。 しかし登場人物全員の、あの理屈っぽく固っ苦しいセリフはなんだろう。みんな頭が良いからだろうか、禍特対も宇宙人も似たような難しい喋り方してて、私の周りにあんな人いないから、違和感感じたわ。子供は楽しめないだろうな。 神永が子供を助けに飛び出すのは、一般人と距離が近い科特隊なら違和感ないんだけど、対策本部で研究と指揮だけで、現場活動しない禍特対では難しそう。 1回目と2回目で容姿の変わったウルトラマン。AタイプからB・Cタイプに変わる理由としては上手いけど、このすぐ次にニセ・ウルトラマンを出したからまた容姿が変わっただけのように思えて、ニセ感が弱くなった気が…ここはもっと、目とつま先で表現してほしかったと思う。 ウルトラマンは神ではなく、特殊能力のある60mの巨人でしか無く、ゼットンには敵わないのを解っていたのに人間のために戦いを挑む姿に涙が出た。 どうしてカラータイマーが無いんだろう?って疑問は、劇中では解決せず。後で調べて、そういうマニアックなトコから設定を引っ張ってくるんだぁって感心する反面、当時の製作陣の知恵と工夫、白黒からカラーテレビに変わる時代背景を落とし込んだのが“カラータイマーのあるウルトラマン”だとも思った。カラータイマーがロボット的だという考えを織り込むなら、無機質な“光る目”も、生物的なディテールにしても良いのでは?って思ったりした。 よりオリジナル設定に寄せる訳ではなく、怪獣図鑑の後付設定“一兆度の火球”とかは入れるあたり、つまりは制作側が好きなものをブチ込んだ結果がこのシン・ウルトラマンなんだろう。 ウルトラマンは100人のファンが居たら100通りの思い入れがある作品なので、このシンがベストマッチの人もいれば、大ハズレの人もいるだろう。 庵野監督がウルトラマンが大好きなのは知っていたから、どんだけ“お約束ネタ”を仕込んでくるかと思ったけど、うん、これがもし押井監督とかだったら、絶対魚眼レンズの顔アップや、みんなで並んでカレーライスからの・・・は入れただろうなって。 もちろん期待ハズレという意味でなく、後半にかけての展開の意外さ。繋がりの上手さは楽しめました。だけどウルトラマンの王道リメイクと言うよりは、庵野秀明版・ウルトラマンの同人作品ってポジションがしっくり来るかも。 最後の方の会話は、どうしてウルトラセブンで怪獣より宇宙人が多く出ていたのか?に上手く繋げていたと思う。シン・セブン作るのかな。[映画館(邦画)] 7点(2022-06-24 18:38:21)《改行有》

170.  復讐するは我にあり 《ネタバレ》 偶然タクシーに乗り合わせた老弁護士と意気投合した榎津。すき焼きの肉を買い、金槌と釘を買う。あぁ、この弁護士さんも殺されるんだな…って思ったらもう殺されてる!!買ってきた金槌で殴るんじゃないんかい!クローゼットに死体をそのまま押し込んで、酒を口に含んで吹きかけて、金槌で扉を打ち付ける。なんて雑な隠し方。まさにサイコパス。 榎津の正体がバレてからの、ひさ乃婆さんとの牽制バトル。お互いに殺人経験があるためか、ひさ乃の嗅覚、感の良さと理解力が静かな攻防を盛り上げる。奇妙なバランスを保って、このまま穏便に行くかと思ったところ、突然の殺人。何で2人を殺そうと思ったのかな… 榎津は寿司を3人前出前。きっと殺人後に3人前を注文している。先のすき焼き(肉を400gも買ってる。2~3人前?)といい、既に殺した人間の食事も用意する辺り間違いなくサイコパス。 交通網の発達した'60年代、全国を飛び回った実在する殺人犯の経緯をベースにしているそうな。う~ん、確かに榎津って、あっちこっちに移動して犯罪を犯してたなぁ。最近では広域移動犯は珍しくないけど、『連続殺人犯がこの街にも来ているかもしれない』って、当時は怖かったろうな。 でも映画は状況を理解するのにちょっとややこしいところがある。管轄を超えて逃げる榎津に翻弄される警察組織に、もう少しスポットを当ててくれていると、広域逃走劇として解りやすかったかもしれない。本作は榎津の足跡と家族、そして犠牲になった浅野親子に焦点を当てている。そのため後半はあさの旅館を根城にしているため、広域移動犯罪の醍醐味が薄れてしまった気がする。 最初の専売公社社員の殺人から、このタイトルの意味(なにか理由があっての復讐劇か?)がどこかに結びつくかと思ったけど、そういう訳でもなく、タイトルは新約聖書の一節『悪人に復讐して良いのは我(神)だけに許されたこと』…みたいな意味らしい。 現在(逮捕後と犯行時)と過去(戦後)がハッキリと区切られること無く描写されるのと、時代はケネディ暗殺後('63年くらい)なのに、街並みや走ってる車は現代('78年くらい)と、こんな辺りもちょっとややこしい。 榎津親子の確執がどこから発生したか。なぜ加津子は義父をそこまで愛したか。もう少し説明がほしい所も多いけど、倍賞美津子の美しい裸体には驚いた。[インターネット(邦画)] 7点(2022-06-21 22:55:45)《改行有》

171.  ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 《ネタバレ》 「お願い。ガメラを殺して」公開当時はまだ、日本の怪獣映画って子供を対象にしてるもんだと思ってたから、あの予告はショッキングだったなぁ。「倒して」じゃなく「殺して」だもの。パッパと切り替わるカメラワーク、被せ気味に入るセリフ。でも怪獣映画をこんなに格好良くして、どんな層がターゲット(本来は子供だろうけど)なんだ?って思ったっけ。 蝿がたかってリアルなギャオスの死骸。無数のガメラの骸。オープニングからかなり重たい。 そして渋谷破壊シーン。雲の上の火球の軌跡から燃え落ちるギャオス。人や建物との対比から想像される怪獣の巨大さ。甲羅がうねうね動き、生物感と兵器感が共生する禍々しいデザインのガメラ。これだけの巨体が歩けばガラスは割れるし地面は陥没するし建物は崩れる。瓦礫とともに吹き飛ぶ人。切断されるマルイをビルのガラスに映して観せるセンス。ガメラが火を吹けば人も舞い上がる。粉々に降り注ぐギャオスの肉片。 これこそ怪獣映画の疑問に対する回答。荒ぶる神と言える怪獣同士の戦いは、核爆弾にも匹敵する。人の被害なんて構ってられない。過去作では都合よく住民の避難が完了してたりしたけど、そんなの無理な話。まして無警戒の渋谷に突如現れたら… 死傷者15000人以上。生々しい死体を撮るのは避けて、そこは想像させる。たぶん今現在に至るも日本映画の中で最高品質の都市破壊映像だと思う。 そして後半のF-15との空戦。京都駅破壊も力が入っていて素晴らしい。絶望的なギャオスの大群に立ち向かう満身創痍のガメラも画になる。 1<<2<<3と特撮技術の進歩を観せた本シリーズ。マンネリになる前にピタッと幕を閉じたのは残念な気もするけど、クオリティの高い好作だと思う。 子供「ガメラが僕を助けてくれたよ」偶然自分を守ったように見えたのを、この子が都合よく解釈してるだけだと思うんだ。敢えて助ける風のシーンと、子供のセリフを入れることで、どっちでも解釈出来るようにして。だってガメラ、子供守った直後にサラリーマンの詰まったビルに火球放ってるしね。 綾奈「イリス、ごめんね、寂しかったんだね、私を探してたんだよね」これもイリスは餌の動物を捕りに行っただけで、綾奈は生体融合だかの素体としか思ってないしね。今回、意思疎通の出来ない怪獣の気持ちを、人間が自分に都合よく勝手に解釈してるだけって思えるシーンを敢えて入れている。 でも融合するのが綾奈でも朝倉(古代人の末裔)でも、ガメラは排除する対象だったんだな。綾奈がイリスを育てなくても、日本は襲われてたわけだ。 そしてイリスは人間と完全融合できなかったから、ガメラに負けた。ガメラが綾奈を助けたのも、そう観えるだけで別な理由があったのかもしれない。綾奈を殺すとイリスが完全体に進化復活するとか、実はギャオスの大群をおびき寄せるための囮とか。 浅黄はガメラを信じているけど、人間の理解なんて超えた存在だろうし。 当時の流行、エヴァっぽさが怪獣映画にも入ってた。主人公の少女が綾奈だし。ショートカットの少女が胸をはだけ、怪獣の触手が絡まり、ドロドロの体液にまみれるのは、エロい。帰国してきた浅黄がハーフなのは偶然だろうけど、でもセリフは棒のままでも表情は豊かになってたね。 長峰が缶ビール片手に仕事してるのとか、短いスカートで生足見せたりはサービスサービス。この辺、監督の趣味全開。 東西南北を守る四神獣のうち、本作は玄武と朱雀の物語。それに中央を守る麒麟を入れて、五霊って言うんだって。・・・だから長峰キリンビール飲んでたのか?このクオリティで残る二神獣(青龍と白虎)の戦いも観てみたかった。 大迫刑事の再々登場。ガメラ専門家の斉藤さんのデスクに亀の置物。渡辺裕之の自衛隊の現場隊長は3作フル出動。でも今回一番嬉しかった登場人物は、売れる前のTRICKメンバーの仲間由紀恵と生瀬勝久。[ビデオ(邦画)] 7点(2022-06-19 15:39:55)《改行有》

172.  私をスキーに連れてって 《ネタバレ》 若者文化とバブル景気。遊びと恋とフジテレビ。'87年という時代を知るにはとても良い教材映画だと思う。 フジテレビの手に掛かれば、どんなものでもお洒落になった時代。面白いコンテンツを取り上げ、盛り上げ、膨らませて流行らせる。 ゼロから創ったのではなく、ジワジワ人気が出てきたものを、いち早く察知して、他のお洒落なものとミキシングして、さも自分たちが流行を創り出したかのように見せる、当時のフジテレビの技術。F-1、バレーボール、女子アナ、バラエティ番組、トレンディ・ドラマ(※W浅野の『抱きしめたい!』から言われ出した言葉だったよね?)。 このスキーにしたって、この映画が流行らせたように観えてしまうけど、ジワジワ流行っていたものを映画にまとめた“だけ”のもの。ファッショナブルなウェア。華麗なトリック。気心の知れた仲間との週末のフワフワした遊び方の提示。それら当時の若者の求めるものを、松任谷由実の透明な音楽をミキシングして綺麗にまとめ上げる。 “まとめただけ”なんて書いたけど決して簡単な訳でない。ネットのない時代に、いわゆる“マニアたちに静かなブーム”だったものをキャッチして“若者に大流行”させるフジテレビのテクニックは、正直言って凄かった。 ホイチョイが凄かったのかは、正直分からない。フジと切り離して考えると、この集団の功績がイマイチピンと来ない。ホイチョイ3部作の残り2つ(未見)の評価を見ても、う~ん…彼らの実力ってどうだろう? ただ少なくともこの映画に関しては良い完成度。中身スッカスカと見下すことも出来るけど、スキー(&スキー場に行くこと)の面白さをしっかり伝えきれていると思うし、遊んでばかりの登場人物も、決して彼ら主人公たちだけがフワフワしている訳じゃなく、そういう時代だったんだなって思えて楽しめた。 中身の伝わらない仕事をして、夜からは遊びに全力を出す当時の若者。その金はどこから出てくるんだ?ってくらい湧き出る謎の遊興費。ヘタしたら死ぬかもしれないこと(レースとか立入禁止場所に入るとか)を遊びでやってしまう感覚。 サロットのウェアを届けるためにGT-FOURを転がす真理子とヒロコが格好良い。決して運転が上手いわけでなく、単に無茶をしてるだけに観える。けど車内の2人は談笑してるんだ。楽しいことだけ考えてた当時が懐かしく思えて、とっても好きなシーン。 荒い運転に耐えて頑張ってたGT-FOURがコケて、車体を蹴って怒る2人。お披露目に間に合わずスキー板を放り投げて残念がる泉。もっとモノを大事にしろよ!って思ってしまうけど、当時はあんな感覚だったと思う。次々に新しい良いモノを作り出せてた時代だし。モノを大事にする感覚って、松井秀喜が自分のバットを大事にするって広まった辺りから見直された感覚だったかもしれない。 恋愛映画としては、正直そんなに光るものは感じなかったけど、「バァ~ン!!」の照れくさ甘酸っぱさと、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」ってベタだけどホンワカする告白の返事が素敵。[ビデオ(邦画)] 7点(2022-06-18 17:30:08)《改行有》

173.  極道の妻たち 《ネタバレ》 ヤクザ映画の人気シリーズなのは知っていたけど、今回が初見。・・・思いの外レビュー数も多くないのね。 映画を観ていなくても岩下志麻=極妻のイメージだけは浸透していて、この一作目で、彼女がどのような経緯でヤクザの女房になり、組員に慕われ、恐れられる姐さんになったか。そんなプロローグに興味があったけど、もう初っ端から肝の座った姐さんだった。 「あの世へ行って本家の親父さんの許しを貰ってきとくんなはれ」美味い話なのに仁義を通す。姐さん格好良いなぁ。 「あんた、指詰めなあかんなぁ」パット練習しながら、目も合わせずに言い放つ迫力。まるでゴッドファーザーのような立場、相談っぷり。極道の厳しさと女性の優しさと併せ持つ環のキャラクターは、マンネリ化していたヤクザ映画の中で、異彩を放つ新鮮なキャラクターだったことだろう。 しかし岩下志麻とかたせ梨乃の取っ組み合いが観られるとは思わなかった。 環と真琴の姉妹、真琴が杉田に惚れる過程と、環が巨大なヤクザ組織の跡目争いが同時進行し、この2つの話が上手い具合に絡み合って、壮絶な結末を迎える。やくざモノって言うと、○○会だの△△組だのって組同士の対立に、傘下組織がいっぱい絡んで複雑なものが多い印象だけど、この映画は案外解りやすく思えた。清水宏次朗演じるチンピラとお父ちゃんの関係、柿沼組長襲撃の経緯とか、掘り下げると色々面白そうだったけど、余計なものを排除した結果、判り易く、姉妹の争いに集中出来るストーリーになっているんだと思う。 血みどろで壮絶な、それでいて悲しい結末に、環と真琴のその後の物語も気になってしまった。パート2観ようと思ったけど、この話の続編じゃなくオムニバスのようで。岩下志麻が復活する4作目も、この話の続きではないみたいで…監督も変わってるし、どうしようかな。 “鬼龍院花子の生涯”観るほうが良いのかな。[インターネット(邦画)] 6点(2022-06-18 15:40:12)《改行有》

174.  ガメラ2  レギオン襲来 《ネタバレ》 前作から僅か1年で、しかもこれほどの進化を遂げての映画化が凄い。 前作の丸々したガメラに対し、クワッと凛々しい本作のガメラ。同じガメラとは思えない造形から醸し出される雰囲気は、もう子供の味方という愛嬌は感じられない。しかも本作は、血が飛び散るなどのスプラッタ描写、巨大昆虫が群がってくる気持ち悪さ、水野美紀の健康的な太ももを撮り倒すカメラワークと、前作以上に対象年齢が高め。前作の大迫刑事がチョコっと出てくるのも面白い。浅黄は結構重要なポジションで出てくるけど、相変わらず、どこか遥か遠くを見つめてるような目。頑張って演技してるんだなって、ある意味可愛く思える。 さて、はい。もう札幌市民としては嬉しさと懐かしさがギュッと凝縮された映画ですよ。四半世紀前の札幌の空気が感じられる映画。不謹慎に思われるかもしれないけど、自分の街が怪獣に壊される嬉しさ、怪獣が地元に来るって、こんなにワクワクするんだって、この作品でようやく私も実感できました。 初っ端からラジオの周波数が1440と来た。青少年科学館の学芸員って、当時あんな制服だったっけ?今は廃墟のパーラー・マコマナイ、真駒内駐屯地があるからって南区ばっかりズルい。あミスターだ、ヤスケン痩せてる。…って、札幌市民は大興奮ですよ。むしろ当時当たり前だった光景が無くなってたりで、当時観たとき以上に興奮してました。 そして改めてミニチュアの街の再現度の凄さを実感。つい数年前に解体されたロビンソン百貨店、当然ながら4号エレベーターまで造ってある。レギオンに巣食われるロビンソンは、ちょうど真下が地下鉄すすきの駅で、当時の飲み会の待ち合わせスポットだったから、札幌で一番、携帯の電波とかが飛んでいた場所かもしれない。 クローバーフィールドの10年以上前に、ゴジラUSAより数年前に、大怪獣とミニ怪獣のコンビネーションを出していたのには、さすが怪獣映画大国日本!って思った。CG技術はハリウッドに劣るけど、アイデアと特撮の味わいは決して負けてないぞ。その自覚があるから、CGは味付け程度にして、得意分野の特撮技術を全面に押し出す心意気が素晴らしい。 本作で地元が舞台だったのも大きいけど、ガメラと日本人、自衛隊員と勇気ある民間人(アメリカ軍のチカラ借りてないんだから人類とは言わない)が、お互い意志疎通出来ないながら、共同で宇宙怪獣を倒す。エンディングのウルフルズを聞いていて、ガメラという存在がとても愛おしく感じられた。[ビデオ(邦画)] 7点(2022-06-13 23:30:58)(良:1票) 《改行有》

175.  ガメラ 大怪獣空中決戦 《ネタバレ》 昭和のガメラってちゃんと観たこと無いんだけど、ゴジラに比べて子供向け一辺倒な印象。ウルトラマンで言えばタロウくらいお子様向けなイメージ。この作品をレビューする前に、平成ガメラ誕生のキッカケになったであろう平成ゴジラを、比較の意味でも一本でも観ておくべきだったと思う。一本も見ていないので、ここで取り上げた特徴の幾つかは、ゴジラで先に取り上げていることかもしれないので、ご容赦を。 さて、子供の味方ガメラが平成に蘇った。平成ゴジラは人類のために怪獣と戦うらしいけど、このガメラ、人類をギャオスから守る理由付けがされている。両怪獣とも古代文明が生んだ兵器とはよく考えたものだ。ジェット噴射を出して空を飛ぶ人工生物っぽさに、一応の説得力を与えている。 自衛隊や政府の対応も、実際に怪獣が出たらどう対処するかを真面目にシミュレーションしているように思う。ギャオスの捕獲のために屋根の開閉機能のある福岡ドームに誘導したり、市街地への配慮など実際に自衛隊が取りそうな行動を取っているように思えて、リアリティアップに貢献している。 また当時の実際のニュース番組を、当時の実際のキャスターが報道しているのも、現実世界と怪獣映画の融合としてワクワクする。案外このガメラあたりが先駆者かも?ゴジラでもうやっていたのかな?大神いずみさん懐かしい。 一番リアリティを感じたのはカメラの撮影位置。怪獣の戦いはミニチュアの市街地が舞台なんだけど、それを撮っている位置が、戦闘から1ブロック離れた歩道だったり、低層マンションの屋上辺りだったり、ビルの中のオフィスだったり、踏まれそうな至近距離の路上だったりと、カメラがどこで撮っているかが想像できて面白い。そのため巨大怪獣が自分の街を壊してる感がしっかり伝わる。 自分の街というと、福岡が舞台というのも面白い。怪獣というと東京~精々大阪くらいまでが暴れるステージで、アド街ック天国並みに活動範囲が狭い印象。ここに来て九州を選んだのは面白い選択だった。 壊れたタワーと巣作りしてるギャオスなんて、当時のミニチュアの精巧さだけでもかなりの見もの。公園の鉄製看板と表面がガラスの地図看板の質感の違いなんて、CGでは出せない味わいと職人技。 ただ世界感がハードな割に、ギャオスの被害がグロい割に、ガメラが丸々としてて可愛すぎる気がする。同年代のゴジラ(vsデストロイア)は、もっと怖い顔してるのに。あと女子高生に謎の金属(勾玉)をこっそりプレゼント。ウランやカドミウムみたく危ない金属も多いのに。ガメラの傷とシンクロしているのが解っても勾玉を取り上げない不思議。 あれだけ町を破壊しているガメラが、橋を渡る長峰たちを腕を出して守るとこは、人類の守り神にしてもやり過ぎ感が。そう言うんじゃない気がする。 ガメラが福岡ドームから飛ぶ時の曲。道民なら毎週水曜日の寝る前に、飽きるほど聞いた次回予告の曲が、この映画で使われてたことにビックリ。あれガメラの曲だったんだ!![インターネット(邦画)] 6点(2022-06-07 23:22:01)《改行有》

176.  鬼畜 《ネタバレ》 テレビなんかで毎月のように、子供の虐待死のニュースを見る。本当に胸糞悪いけど、もしこの映画が昨今のニュースで見るような虐待だったら、きっと最後まで観る自信はなかったと思う。一方的な虐待や、被害者に逃げ道のないものは、どれだけ評判が良い映画でも苦手意識がある。観終わって嫌な気持ちになるのは、どうもねぇ…この作品はどこかのサイトで“トラウマ級”だの“鬱展開”だのって書いてあるのを見たことがあって、う~ん…私に耐えられるかなぁ?なんて思って観てみたけど、これが想像以上にグイグイ観せる映画だった。 幼い子供に対する、今じゃ絶対に撮れないような虐待行為は出てくるが、そうした理由や感情がしっかり描かれているので、一方的に不快感だけを感じることはなかった。お梅にしてみれば、印刷所は火事になるし経営は傾くしで、毎日火の車であくせく働いているところに、突然夫の妾が乗り込んできて、自分が産めなかった子供を3人も置いていかれた立場。これでは腹の虫は治まらないだろう。『子供の顔を見るたびあの女を思い出す』というのも解る。もしお梅に子育ての経験があれば。もし印刷所の経営に回復の兆しがあれば。もし宗吉に事態を丸く収める話術でもあれば、お梅もどこかで折れていたかもしれない。 庄二に対する“このまま見て見ぬふりをしたらどうなるんだろう”という、手を汚さずに事態が進むことを期待(?)するところは、何とも生々しい。宗吉は子供を望んでいたこともあり、苦しみつつも2人の子に手を下す様子が痛々しく描かれる。もちろん身から出た錆で同情の余地はない。だけどもし私が宗吉の立場だったらと思うと、どうにも胸を締め付けられる思いだ。一方で実際に手を掛けないお梅の、提案や証拠隠滅の冷徹さ。追い込まれた人間はここまでやるんだなって、妙な説得力を感じた。 利一が生きていたことにホッとして、迎えに来た父を否定することに複雑な心境になった。僅か6歳でどれほど大人の汚さを見せられたことだろう。 同時に利一が今後、どうやって生きて行くのか不安にもなったけど、きっと良子とも無事再会して、兄妹2人、施設かどこかで、健やかに育っていってほしいと願うばかり。 子供3人に対する3通りの処置の仕方。これはペットを飼えなくなった時の手段と一緒に思えた。宗吉にとって“自分の子供”って、金に余裕がある時に出来心で買ったペット程度にしか、思っていなかったんじゃないだろうか。その子どもたちを突然押し付けられた現実。もともと養っていく覚悟の無さが、宗吉をあのような鬼畜の所業に走らせたんだろう。 本作の夫婦と、昨今のニュースで見る子供の虐待事件との一番の違い。『躾だから』と虐待する自分たちを正当化していること。そして子供を痛めつける目的が、八つ当たりだったりストレスの発散だったりと、呆れるくらい自分勝手な理由なこと。元日の事件は、人間の所業とは思えないほど残酷だ。 そんな本当の鬼畜夫婦の映画だったら、間違いなく嫌悪感・不快感しか湧かず、観たことを後悔しただろう。[インターネット(邦画)] 8点(2022-06-05 22:43:47)(良:1票) 《改行有》

177.  影武者 《ネタバレ》 学生時代に借りて観て、事前に聞いていた評価の割に面白くなく思えた。乱は怖くて重くて楽しめたのに、この影武者は軽くて退屈だった。自分には合わないのかなぁ、と思って、以降黒澤作品を借りることはなくなった。 今回久しぶりの鑑賞。昭和55年当時、一般的に考えられていた史実と、諸説・異説。そこに創作の融合。信玄に重症を負わせた狙撃手の解説なんかとても面白く、実際どうかはともかく、暗闇で狙撃を遣り遂げた工夫に説得力があった。 間者を騙し、孫を騙し、女を騙し、刺客を騙しと、次々と降りかかる無理難題。そこに輪をかけて勝頼の嫌がらせ。影武者と重臣たちがどう乗り越えるかは、影武者の醍醐味として堪能できた。特に側室たちに対する暴露は緊張感と笑いの見事な演出。 ただどうにも、全体的に盛り上がりに欠けていたように思う。例えば重臣たちの会話などが所々台詞・台詞していて、活き活きとした会話とは言いにくい場面があちこちに観られた。また乱同様、あまり役者の顔に寄らない撮影方法から、まるで舞台演劇を観ているようで、映画としての役者の躍動感が感じられなかった。名だたる俳優が揃っている(山崎、室田、根津、倍賞、観ているあいだ気が付かなかったわ)のに、大滝秀治と隆大介くらいしか、印象に残らない撮り方というのは如何なものだろう。 信玄討たれるの報を聞き、馬を走らせる信長の場面。馬の疾走→信長の顔→城。を二回半も繰り返すクドさ。誰かが入れたいもの、誰かの要求されたものを全部突っ込んだら、結果こうなった感が半端ない。 高天神城の戦いの夜襲は本当に真っ暗で、せっかく騎馬武者を走らせているのも関わらず、何が起きているのかよく見えない。 佳境の長篠の戦いも、まるで策もなく特攻し、一方的に撃たれるを三度も繰り返す冗長さ。また撃たれた人馬の死屍累々、三重臣の死体を、ほぼ均等な長さで延々と映す長さ。削るべきを削り、活かすものを活かす潔さが必要と思われるのに、それを削ること無く全部入れてしまうから、結果こんなに長く、盛り上がりにかける作品になったんじゃないだろうか。 また全滅した武田軍の死体、うごめく重症者、倒れた馬。当時の定説はどうだったのか、射程の短い火縄銃の被害にしては、戦線が伸びすぎではないだろうか。ガトリング砲やライフル銃が出てきた時代の戦場に見える。そう西部劇の時代、南北戦争の戦場のようだ。 同様に高天神城の攻城戦の、家康軍の銃の撃ち方も、まるで南北戦争。当時はまだ、射手が自分の判断で動く敵を撃つのではなく、指揮官の指示で決まった方向に銃を向けて撃つだけの時代だと思う。また火縄銃の構造上、下向きには撃てないんじゃないかな。どうだろう?(※撃てるみたい) 音楽も違和感を感じさせる。お館様のご帰還に合わせて鳴るファンファーレの場違いなこと。言われるがまま創ったものを組み合わせたら、こうなった感が…。「ちょっと合わないよなぁ」と言う人が居なかったのか、言えなかったのか。 信玄の死を聞いて自然に敦盛を舞う信長。入れたかったんだろうけど、実際入れると不自然さ、違和感を感じる。 『風と共に去りぬ』のような戦争大作を、日本の戦国時代を舞台に創る。という目論見だったのか。 芸術性はともかく、娯楽作品としては盛り上がらないこの映画。世界進出を狙って制作され、見事パルムドールを受賞したものだから、後年の黒澤映画の代表作、傑作の一つとして鎮座してしまい、結果として(当時の)若い人が、本当に面白い過去の黒澤映画に触れる機会を逸してしまったのかと思うと、少々勿体ないように思う。[ビデオ(邦画)] 4点(2022-05-31 07:41:30)(良:2票) 《改行有》

178.  黒い十人の女 《ネタバレ》 夜道を歩く女。その女を追い掛ける女。と女と女と女と・・・何だこりゃ?幽霊まで出てきた。こういうシュールな画は大好きです。 逢引きの部屋の押し入れから出てくる女。と女。バチバチ火花散る女の争いに、そんな事どこ吹く風な男がひとり。女との関係を巧妙にひた隠してきて楽しんでたわけでなく、来る者拒まずで、気がついたらこうなっちゃってたんだもん、仕方ないよ~。 十人の女の中で、中心になるのは五人。女たちの名前と人数の関係は見てる時は気が付かなかったけど、そうだったのかぁ。 でも十人どころじゃないっぽいのは、設定的に良かったのか悪かったのか、風と危うく関係を持ちそうになった新人女優が百瀬。ってことは、他にも重市から九十九まで居たのか?なんて勝手な想像が膨らむ。 話し合いの結果十人の女に殺される事になるなんて、男冥利に尽きるというか、きっと男の理想の最後だろうね。 いよいよの殺人の舞台、テーブルに一列に並んで座る女たちの画もシュール。 問題は殺されて(狂言)から。まさかの自殺者、まさかの離婚、まさかの飼い殺し、まさかの9,000円カンパ。 男の生き甲斐が仕事だったのが、可愛そうというか何と言うか… 最後の燃え盛るトラックと無関心の市子。明日のトップニュースになりそうな横転事故より、社会的に抹殺された無価値な男を、骨の髄までしゃぶり尽くすのが女って生き物だよ。って言いたいのかと解釈。[インターネット(邦画)] 6点(2022-05-29 17:39:41)《改行有》

179.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 《ネタバレ》 リビルド・エヴァンゲリヲンが動き出す第2作。TV版とはだいぶん話が変わってます。カットされるところはバッサリとカットされ、変えるところはガラッと変える。新キャラ・マリも登場。この作品は劇場で観たので、賛否はともかく『なんか変えてきたなぁ』って印象を強く持った。 短い上映時間の関係か、なんかアスカがいっつも怒っている印象。あんなにプリプリ怒ってたっけ?「あんたバカぁ?」ってあんなに言ってたっけ?アスカは優秀なエヴァパイロットだけでなく、勉強もスポーツも優秀で、男子たちの盗撮のターゲットにされるくらいの美少女って設定で、シンジやレイと比べてウワベの生き方が器用だったのに。そんな子が実は内面ドロドロしてたのが徐々に暴かれてって、エヴァの大事な要素だったと思う。 トウジの役をアスカに変えたのも、なぁ…1人で使徒を倒せなくて落ち込んでる所に、追い打ちを掛けるように使徒に侵食させるなんて、アスカを虐め過ぎじゃないかな。 庵野監督が本当にウルトラマンの映画を撮ったいま、この作品のウルトラマン好き好きアピールが鼻につく。科特隊の着信音。MATのマツダ・コスモ。4人の使徒≒ウルトラマン。当時はシャレのつもりで観られたけど、今思うとちょっと気持ち悪い。 評判の悪い「今日の日はさようなら」と「翼をください」。懐かしい穏やかな歌とドロドロの残酷シーンのコラボ。オリジナルでなくアニメ声なのが嫌。林原さんが歌ってたのか。劇中のBGMで流れてるならともかく、エヴァでこの2曲を聞きたかったとは思ってなかったし、それぞれ「カノン」「甘き死よ、来たれ」を脳内再生してたわ。 シンジとゲンドウを近付けようと頑張るレイ。レイのために起動実験のパイロットを変わるアスカ。アスカとレイの“良くなっていく予感”。「それって好きってことじゃない!」分かり易い説明セリフ。レイのお食事会にトヨタ・センチュリーで向かうゲンドウ。美味いか不味いか解らないレイの料理の後、どういう展開になるか解らないから、とりあえずみんなが乗れる大きい車を出したと思うと、ちょっと微笑ましくも思える。 レイを助けるために、ここに来てやっと主人公らしい格好良さを観せたシンジ。TVの版放送時、第16使徒の辺りでこういう展開を期待してたんだよな。「たぶん3人目だから」ではなく。このリビルド、良くも思うし悪くも思う。正直言って観たかった内容ではなかったけど、新しいことを入れてきたってことは伝わって、次を期待させるに充分な作品だったと思う。[映画館(邦画)] 6点(2022-05-22 17:35:27)《改行有》

180.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:42:02)(良:1票) 《改行有》

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