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1. インファナル・アフェア
《ネタバレ》 「その深さ30cm」
見終わった後の率直な感想です。
この深さは物語の深度のことです。
何か脚本がいい、仏陀の教えが入ることによってグッと良くなっている・・・等々のレビューが散見します。
そのようなレビューを読んで、観たからか、とても浅薄な感じを受けてしまいました。
何がそうさせたのかというと、それは「結末」です。
「無間道」「インファナル・アフェア」という題材を扱ってしまったところが、まさに「無間道」にハマってしまっている・・・
釈尊は「無間道」ということを本質的にどう、説いていたのでしょうか?!
そして、それを元に、どう生きるべきなのかを、問いていたのでしょうか?!
ついつい、そこに思いを及ばせてしまいます。
確かに「生きる」ということは「地獄」なのかもしれなません。
しかし、釈尊は天国はどこにあるのかということを、どこでもなく、その人の中にあるとも説いています。
つまり、その人の思考や、行動で天国にも、地獄にもなるということです。
最後に生き残ったラウは、生きることに執着しました。
仕えていた、ボスを殺し、助けてくれた仲間も殺し、そして生き残ったのです。
改心したかに見えましたが、心根は「生きる」ことを何よりも優先した人物です。
その人物が生き残ったところで「無間道」と言われても腑に落ちない。
具体的に言うと、あのエンディングを見て、
「なるほど、そうか、そういうことだよな」
とはならなかったということです。
先に書きましたが、その人が生き様を地獄とするのか、天国にするのかは、その人自身によると釈尊は説いています。
ラウはそれだけ、生きることに執着をしていました。
生き残った段階で、ラウから「シメシメ」というフィールングが伝わって来るわけです。
むしろ、ヤンが生き残れば、なにか「生きる」ことへの葛藤が伝わって来たなぁ・・・と率直に感じました。
なので、とっても浅薄で、その深さ30cmぐらいかなぁと感じたわけです。
釈尊好きなので、なおさらそう感じてしまったのかもしれません。
釈尊の哲学というか、真理とでも言うべき教えは、3000年経った今でも生き続けています。
これは、成熟させ、洗練させるには、10年や20年ではどうにもならない深遠さがあるわけです。
いわば、シンプルでありながら、底が見えない深さがあるわけです。
それを何か、片鱗でも伝えられるメッセージを感じれれば、奥深さを感じたのではと思います。
しかし、ラウが生き残った時点で、それで「無間道」を伝えたの?
という映画自体のテーマに、疑問を持つわけです。
サムの犬という時点で、生粋の悪なわけで、少々改心したようなパフォーマンスをしてみせたところで、説得力はありません。
出家して、仏門にでも入るという展開なら、また違ってましたが、人は口では、色々言えますからね。
まして、人殺ししちゃう人が何言っても、説得力はないわけです。
何か下心ありありで「チャンスをくれないか」という時点で、だめでしょ。
本当に改心する気があるなら、ヤンが言ったように「法廷」でしかるべきジャッジを受けるべきです。
その覚悟があれば、なるほど「改心」する気があるだ・・・ということが伝わってきます。
その「法廷」を逃れようとした段階で、深さ30cmになるわけです。
生きることに執着して、最後に生き残って「無間道」と言われてもね・・・ということです。
刑務所入って「無間道」となれば、別ですけど、堂々と警官として存在しているわけですから、それはラウにとって「天国」ですよ。
あのエンディングは、ラウにとって、最高のハッピーエンドであって、見てる方にとっては、なんとも釈然としない気持ちにさせるのではと思いました。
ヤンは、堅気に戻りたかったわけです。
そして、唯一自分の存在を証明出来る、ウォン警視を失います。
その中で、心の葛藤を持ちながら生きるのは、ヤンだとばっかり思っていました。
どちらかが死ぬのではなく、どっちも生きれば「無間道」になったかもしれませんね。
物語自体は、引き込まれるし、展開もいいし、サスペンスの緊張感もあるので、もったいないです。
しかし、釈尊の「教え」を中途半端に取り入れてしまったところが、残念さを倍増させていると感じました。[DVD(吹替)] 5点(2021-01-07 13:33:31)《改行有》
2. グランド・マスター
中華思想とはこういうものか・・というのが印象でした。中国というお国柄というかお人柄を伺い知ることが出来る映画だと思いました。
ブルース・リーなどのような今までのカンフー映画とは少し趣旨が違います。業の継承とその成り立ちとでもいうのでしょうか、それぞれの価値観、人間関係、葛藤などが描かれております。
中国は世界の真ん中という考え方が如実に感じます。「俺が、俺が」の自己主張というかあくまで自分の目線で物事を見て判断をして行く。中国自体が断絶の歴史であるようにカンフーも伝承の中で洗練されて行くというより、強い者が出てくると先駆者の陰は薄れていく、そんな印象を受けました。
その象徴的な言葉として最初と最後に「縦か横か」という言葉に表れている。流派は関係ないと・・・・確かにそうだろうと思うが、日本には嘗て「神道」というものはなく日本人が当たり前に生活の中で実践していたことが、色々な宗教が入って来たのでそれと別ける為に「神道」という名前が出来てるようにカンフーにもこれは外したらカンフーでなくなる・・という基軸があるのではないか・・・それが「縦か横か」というテーマの中でこれぞカンフーというその基軸が描いていればすごーーくいい映画になったと思う。でも感じない。何が言いたかったのか。
日本ではどうなんだろう・・私は武士道という視点で行けば長い歴史の中で形は違っても連綿と受け継がれている日本人そのものの在り方のようなものを感じる。あえてその基軸、これを失ったら日本でなくなるというものを記載するのであれば「古事記」の随所にそれが描かれているように思う。そしてその中心にいらっしゃるのが「スメラミコト」であると思う。
大和魂というものは大東亜戦争の時に、政治の世界に、また先の東日本大震災の時に随所に感じることができる。
この映画を見て武道とはそういう世界ではと感じた。これにより、この映画を見ればやはり中国そのものの精神として見て同義ではないかと思う。
ジンとくる日本でいう「侍」的な行動もないし、身命を賭して護るべきものを護る的なものでもないし。そもそも日本人は大東亜戦争で負けたが「負け」そのものの意味を歴史的に覆した民族のような気がする。
なんかこのような戦争論にまで及んでしまったが冒頭にも記載したようにやはりこの映画は「中華思想」を学べる教材としてはいいと思う。[ブルーレイ(吹替)] 4点(2014-03-22 13:51:18)《改行有》
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