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1. アンノウン(2011)
《ネタバレ》 リーアム・ニーソンがパスポートの入ったバッグを空港に置き忘れるのは、ホテルのカウンターでジャニュアリー・ジョーンズだけがチェックインするのを監視カメラが捉える状況を作り出すというあくまで単純な作劇上の必要性から逆算した設定であり、その彼女が爆弾を止めようとして失敗するのも、届かない手のサスペンス(前半の鋏と照応)と爆破のスペクタクルを構成するというシンプルな映画的要請からくるものである。
フィクションに囚われ「<らしさ>とか<首尾一貫性>とか<心理>とかにばかりこだわる観客」(ヒッチコック&トリュフォー「映画術」)にとっては、単にキャラクターの愚かな行動という見え方でしかなくなるのだが、ジャウマ・コレット=セラ監督はそうした<らしさ>にも<首尾一貫性>にも<心理>にも拘ることなく、ひたすら状況設定とサスペンス感覚を核として映画を見せていく。
画面の意匠のみならず、そうした作法自体が「映画術」の忠実な踏襲として芯が通っている。
曰く、「マクガフィンには何の意味も無いほうがいい。」(ヒッチコック)
曰く、「映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ。」(トリュフォー)
鏡面を使った看護師瞬殺シーンの絶妙な構図。アフリカ系タクシー運転手の亡骸に当たる照明。
その状況の秀逸な見せ方ゆえに、ブルーノ・ガンツ、フランク・ランジェラらは勿論、僅かな登場シーンしかない端役キャストに至るまで個性があり、そのいずれもが印象強い。
鏡面に映る二人の虚像を破砕するリーアム・ニーソン。その破片を握りしめる右手と、立ちすくむダイアン・クルーガ―の構図。
爆発による停電でモノトーンとなった画面に漲る一瞬の緊張と、交感する二人の表情がいい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-22 23:46:06)《改行有》
2. アウトバーン
《ネタバレ》 折角アウトバーンを舞台に使うのなら、何らかのタイムリミットを設定するなど、速度と時間をドラマに絡めるべきではないだろうか。
ヒロインが拉致されるのを防げるか否かのサスペンスもそれに該当するのだけれど、これももっとカットバックを使って盛り上げて欲しいところ。
単にスピードとクラッシュを誇示するカーアクションの場というだけでは物足りない。
市街地での逃走劇も、カメラ大揺れ一辺倒で芸がない。
加えてクライマックスの包囲されたバーからの脱出劇も、そこに作り手はもっと気を遣えと思う。
バーの裏口から駅のホームまで、ロケーションと人混みを利用して男女二人がどう追手を撒いて逃走するか。
アクション映画として、仕掛けやアイデアの一番の見せどころだろうに。
運動感の演出にしてもサスペンスの演出にしてもここが一番雑というのでは情けない。
主演二人はどことなく『トゥルーロマンス』のカップルを思わせた。[映画館(邦画)] 4点(2016-06-19 20:32:36)《改行有》
3. アサシン クリード
《ネタバレ》 ドローン空撮や、馬車チェイス、市街でのアクロバティックなアクションなど、折角のスタントを雑な編集がことごとく台無しにする。
然程難しくはないはずの話に半端な観念談義を加えて、あたかも小難しそうに語りたがるのがこの手の作品の悪い癖だ。
そもそもマント下の顔貌も判然としない主人公に思い入れどころでなく、クライマックスに至っても何らカタルシスのない
陰気なドラマに滅入るばかりである。[映画館(字幕なし「原語」)] 3点(2017-03-18 00:53:07)《改行有》
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