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1. ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years(2016)
《ネタバレ》 ライヴを中心とした歌曲に聞き惚れるのは勿論のこと、映画映えする4人のメンバーが被写体として素晴らしいと改めて思う。
インタビューでのウィットに富んだ当意即妙なリアクションなども提示され、その受け答えの反射神経の良さが映画的な魅力ともなる。
(そこでその彼らの才能を解説者が解説してしまうというのが致命的なのだが。)
演奏し熱唱する4人の表情やパフォーマンスと共に我々を魅了するのが、彼らに熱狂する聴衆のショットだ。
感極まり、興奮し、絶叫する少女たちの姿は一歩引いてみれば面白可笑しく滑稽だが、そのアイドルを一心に見つめる視線は
映画に魅了される我々の視線ともどこかで通ずるわけだから、そのエモーショナルな表情を愛でずにはいられない。
それに対するビートルズ側からの痛烈な言及もあるわけだが。ライヴにはそれを観る行為が伴うこと。それがこの映画の戦略でもあろう。
米国南部での人種隔離、暴力やゼノフォビアにさりげなく触れつつ、現在批評としての意義も内包させ、したたかである。
驚くのは、さすがにこの映画では無理かと思われた『水に飛び込む』シーンも確信犯的にしっかり挿入されていること。
やはりロン・ハワードの映画である。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2016-10-01 23:27:29)《改行有》
2. サブウェイ123 激突
《ネタバレ》 『エネミー・オブ・アメリカ』においても、通過する列車の向こう側に渡る事でジーン・ハックマンとウィル・スミスが追手を撒く一場面がある。列車の車線を越えたとたん、二人は暢気に口論を始める。列車の流線が遮断する事で全くの別空間が現出する感覚。この映画でも、列車の車線を越える事が大きな意味を持つ。一旦、犯人グループと直接対峙したデンゼル・ワシントンは車線を越える事で彼らから逃れ、マンハッタン橋で再び車線の向こう側へ越える事でジョン・トラボルタと再び相見える。(中盤で一旦は出会う二人だが、同一列車内の二人は構図上、二つの窓枠(フレーム)で分離されている。また、終盤で車線を越えない警官たちは全く空間を異にし、彼ら二人に近づく事が出来ない。)その境界となる地下鉄列車は、トニー・スコット作品に特徴的なフレーム内メディア(各種パネルディスプレイや暗視スコープ、監視映像など)と通底しており、地下内の暗闇に浮かび上がる列車の明るい車窓はまさに重層的なスクリーン内スクリーン(映画)である。このメタファーは、エンディングロール後まで含め、列車の疾走がフィルム映写を模した形で頻繁に映し出されることで容易に仮定できるだろう。スクリーンという断面を越えることで始めて、実体と相見えるという『デジャブ』的主題がここでも反復されている。[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 21:07:31)
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