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プロフィール |
コメント数 |
211 |
性別 |
男性 |
年齢 |
34歳 |
自己紹介 |
日本は公開日が世界的に遅い傾向があるので、最近の大作系は海外で鑑賞しています。 福岡在住ですが、終業後に出国して海外(主に韓国)で映画を観て、翌日の朝イチで帰国して出社したりしています。ちょっとキツイけど。
Filmarksというアプリでも感想を投稿していますので、内容が被ることがあるかもしれません。ご了承ください。
これからも素晴らしい映画に沢山出会えたらいいなと思います。よろしくお願いします。 |
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1. サード・パーソン
《ネタバレ》 ハギスの群像劇ということもあり、やはり彼の代表作である「クラッシュ」を連想したが、そんな先入観も手伝ってか、いざ鑑賞してみると、予想とのギャップやラストの落とし方に、かなり戸惑う一作だった。
別々に描かれていたストーリーが接点を持ちはじめ、ここからが群像劇だという頃から、同時に感じ始める得体のしれない感触。なんとも言い表せないフワフワとした感じ。
キム・ベイシンガーとマリア・ベロの奇妙な似せ方、異常なほどに子供を救おうとするエイドリアン・ブロディ、清掃員のミラ・クニスに至っては、ニュー・ヨークにいるハズなのにパリのホテルにまで現れる。
なんかオカシイ。
監督がハギスだからこそ生まれる疑念。特にエイドリアン・ブロディの過剰さは、今まで堅実な人物描写で観客を納得させてきたハギスゆえに、なおさら奇妙に映る。
劇中では語られていないので、名言は出来ないが、つまりこれはリーアムの小説話なのだと思う。
そしてその内容は、彼の人生における出来事をモチーフにしていて、同時に彼の想いが秘められているのだろう。
ウォッチ・ミー。憤慨した時に「みとけよ!」といったニュアンスで言うこともあるが、リーアムにとっては亡き息子の「僕を見ててね」という言葉として記憶されている。
愛人からの電話に夢中になり、子供を溺死させてしまったニーソンは小説にどんな救いを求めたのだろうか。
イタリア編では、何があっても子供の為に行動したいという気持ちが読み取れ、その先には(叶わない)ハッピーエンドが待ち受ける。
ニュー・ヨーク編では、自分のミスであったとしても、子供がもし一命を取り留めていればという想いが綴らる。子供に再開し、ただ抱きしめたるだけで得られる幸福を願っているのか。
パリ編は、どこまでが現実なのか微妙なところだが、全てをさらけ出すことでの、贖罪の念が感じられる。
正直、一度見ただけでは、自分なりの考えは大まかにしかまとまらなかった。劇中、答えは明言されていないので、誰かと意見を交換したり、観返したりできれば、より深く理解できそうな気もする。 ただ個々のエピソード自体は、ヘビーなドラマに仕上がっているので、気軽に何度も観れるモノでもないかも。[映画館(字幕)] 6点(2014-07-09 22:26:20)《改行有》
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