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【製作国 : イギリス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  エイリアン 《ネタバレ》 終盤でけっこう長く、登場する人間が主人公だけになってしまうなんてほかに思い出せるのは『2001年』ぐらいで、エンタテイメント作品ではあんまりないんじゃないか。同僚との通信が途絶えてからは、耳にする人の声はカウントダウンの数字の読み上げ、人間の感情の通っている会話がなくなる。これがサスペンスを盛り上げている。それと同時に、剣豪と剣豪とが最後の試合に臨まなければならなくなっているような緊迫も生まれている。ここらへんたまらない(逃げ出すんなら、何も本船爆破しなくても…、なんて考えてはいけない)。無機的な宇宙船と、ヌメッドロッとした有機体としてのエイリアンの対比の映画、と思っていたんだけど、そう単純でもないんだな。エイリアンのヌメッとした頭部は、ラストでは機械のツルッとした部分にまぎれている。破壊されたロボットは思いっきり有機体っぽく白い液を撒いてスプラッターやってる。無機物と有機物が対立しているようで、「向こう側」でつながっている気配もあり、それが本作の「安心できなさ」を生んでいる。あの星で見つけた構造体(エイリアンにかつて襲われた異星人の宇宙船と思っていいんでしょ?)、あれ構造物とエイリアンの巣とがつながってる「胎内」のイメージがあるのが不気味なんだ。その曖昧につながってる感じが、ノストロモ号の機関にまぎれるエイリアンを説得あるものにしており、この映画の不気味さを「向こう側」で醸している。けっきょく姿をハッキリ現わさないエイリアンを特徴づけているのはその歯であり、それが「捕食」という生命維持行為を超えて「悪」のイメージも含んでいるのがちょっと不満。もっと「純粋な生命体」ならではの善悪を匂わせないイメージを生み出せなかったか。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-06-16 09:54:23)

2.  エイリアン2 《ネタバレ》 エイリアンを先住民インディアンなり共産主義者なりに見立てると、ハナモチならないアメリカ映画の伝統につながるんだけど、己れの悪夢を克服するために再び現実と戦う勇気の物語と見ると、アメリカ映画の最良の伝統を受け継いでいることになる。だからいいのはヒロイン像。重火器の構えがいい。今までだと武器を持つ人物は、もっぱら前屈みになったもんだけど、重さで後ろに身を反らす感じになる。前屈みのほうが戦闘的な気分は出るが、身を反らすと堂々として頼もしい。それが女性ってことで、新しい味わいが出た(2012年再見。ここらへん記憶の中でリプリーと海兵隊のオネエチャンとが混ざってたな。あのオネエチャンの構えが本作で一番印象に残っている)。活劇としては、天井からエイリアンが近づいてくるあたりドキドキさせたが、考えてみればちょっと対策が不備すぎる気もする。エレベーターで追いかけてくるってのも、なんだかなあ。細かいところはけっこう気をつかってるんだよね、冬眠から覚めたあとの床の冷たさとか。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-20 12:12:59)

3.  Emma/エマ(1996) ご近所だけが全世界でいられた時代。社交が文化であった時代。あくまで19世紀という枠があって可能な映画だけど、それを認めればまことに気持ちのいい作品。ヒロインはおせっかいというか、小悪魔というほどではないが、仕切り魔、人を操りたくて仕方がない。そうすることで自分は局外に立てる、言ってみれば“物語作者”そのものなわけだ。すべての登場人物に欠点というか俗な部分が与えられていて、彼女がそれを仕切っていく。そしてこうなるだろうと分かっている大団円へと至り、でもけっこういい満足感が見ている者の心に満ちてくる。結局それぞれの身分はおおむね守られた決着になるのだけど、それでも満足できる。この小世界がいとおしくなる。見ている間に保守的な気分に慣らされているからだろうか。パーティ、絵描き、弓、散歩と優雅な毎日。貧しい家への施しや看護もその一部以上のものではなく、屋外での食事の楽しみと同格なのだろう。20世紀の話だったら許せないだろうけど、19世紀だと、なぜか許せてしまうのだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-04-29 12:02:38)

4.  エリザベス これがケイト・ブランシェットとの出会いだったが、なんてヘンな顔なんだろうと思った。えー、これがエリザベスなのー、場末のレストランの不機嫌なウエイトレスって顔じゃん、と思った。姉女王はそのレストランのおかみさん顔で、フランスの大使だったかは、イランのアマチュアレスラーって顔で、でもこのどんどん出てくる非史劇的な顔の連続に、そのうちリアリティを感じてくる。あんがい本物の王室世界なんてこんな感じなんじゃないかって。話はつまり『ゴッドファーザー』、次々と対抗勢力を処分していくあたりの演出は、音楽の使い方に至るまで全くイタダキでやってる。王宮の暗さを、マフィアの暗さみたいなもんだと同一視してるんだな。権力集団の暗さ。俯瞰の視点が多用されるのも、その暗さを強める。火あぶりを俯瞰で撮った映画なんて、あんまりないんじゃないか。あ、今ではケイト・ブランシェットもケイト・ブランシェットの顔も大好きです。[映画館(字幕)] 7点(2008-11-01 12:10:25)

5.  エスター・カーン めざめの時 《ネタバレ》 世の中とうまくいかない女の子が、かえって生き生きと役者をやる。非現実の舞台にのみ没入できる。人生になにも期待していないから、アガることもない。そういうものかも知れないなあ、と思う。繰り返されるアイリス・アウトが、ちょうど舞台の幕の覗き穴から現実の世界=客席を見ているようで。でもやがて現実に乗り出していかなければならない時が来る。現実からの逃避場所であった舞台が、突如現実にさらされる場所として感じられる。激しい舞台恐怖。この「ヘッダ・ガブラー」が、本編の白眉で。舞台から逃げようとあらゆる試みをするヒロイン、自分で自分を殴って口を腫れさせたり、割れたワイングラスの破片を噛み砕いたり、やることがすごい。それでも芝居は進行する。ここらへんはサスペンス映画のノリ。力ずくで舞台に押し出されると、彼女はなにかを突破したかのようにセリフを語り出す(実際には声は聞こえず音楽になるのも憎い)。こういう話には弱くて、すぐ感動してしまいます。切羽詰ったところでの人生肯定もの。[映画館(字幕)] 7点(2008-07-19 12:11:29)

6.  英国式庭園殺人事件 いつも「イギリス」を背負ってる監督の長編第1作。典雅と暴力。典雅なものが典雅であり続けるために必要とされる策謀や暴力。上品なものが上品であり続けるための残酷。そういったものへの関心がずっとあるよう。夫はいつも殺される。趣向を大事にする人で、今回は12枚の絵。実物と絵を見比べる楽しみ。絵のなかで探す楽しみ。移動はあまりなかった。食事のテーブルを横に動いたり、あと屋外で少々。庭が奥から晴れていくところなんか、よく撮りました。あの彫像男分からなかったんだけど、実際ああいう人間を雇ってたことが歴史上あったとか。下層階級の視点だったのかもしれない。趣向が先走りしてる気もしたが、この人はその後もずっと趣向を先走らせる姿勢を貫くのだった。[映画館(字幕)] 6点(2013-08-12 09:27:15)

7.  英国王のスピーチ これはもう「あがり症の王様」って設定が秀逸で、実話なんだろうけど、よくぞ取り上げた。人生のほとんどを公式の場にいる王族が吃ったら、そりゃ地獄だわな。職業が「公人であること」なんだもん。普通の対人恐怖症は「笑われる」ことを気に病むんだけど、彼の場合は「哀れまれる」という地獄。だから彼が気の毒だという視線が、さらに彼を傷つけてしまう。大観衆の視線から先祖の肖像画までが脅威となって迫ってくる。転職も出来ない(兄貴に先を越されてしまった)。脅威の対象だった一般市民との間に、次第に友情が育ってくるところがポイント。映画は結果が分かっている展開を、淡々と進んでいった。それが物足りなくもあるが、たとえばもし「演説の天才ヒットラーに対する怒りによって流暢に語れた」なんて話になったら、それはそれで安っぽく感じてしまっただろう。こういう「人生の不安」に対しては特効薬はなく、彼のようにただただ匍匐前進していくしかないのだ、という勇気をたたえる物語でいい。それにしても先代の王様が卑猥語を狂ったように叫ぶ映画が作れる国はいいなあ。もし昭和天皇が卑猥語を叫ぶ映画を日本で作ったら(あの人も幼少時にプレッシャーきつかったのか、しゃべりが流暢ではなかった)、街宣車が走り回ってスクリーンはズタズタにされるんじゃないか。[DVD(字幕)] 6点(2011-12-11 09:53:12)(良:2票)

8.  英国万歳! フランス革命の前年、アメリカ独立のショックもまだ残っている英国で王が狂う。『バリー・リンドン』のラストで、これはジョージ三世の治世下の出来事である、と出たのは、狂った王の下というニュアンスを含んでいたのか。多くの狂人が王になりたがるわけだが、そもそも王は狂と近い。気でも狂わなければ“絶対”なんてやってられない。人間離れしなければならぬ王と、人間である王との葛藤。狂者になることで人間になれるのかと思ったら、やはり王位の椅子のような拘束椅子に座らせられてしまう。どっちにしろ椅子に拘束される存在。彼が王であることを逃れられるのは、「リア王」の台本読みで狂王を演じるとき、という皮肉に至る。やや理が先行する脚本で、映画として酔える種類の作品ではなかった。屋外シーンは美しい。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-04 12:09:41)(良:1票)

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