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1. 街の野獣(1950)
実景による街の俯瞰ショットは、人間の矮小さをも際立たす。冒頭で闇の街中を逃げ回るリチャード・ウィドマークの人影もその卑小さを強く印象付け、続くジーン・ティアニーのアパート階段上から彼を捉えるカメラアングルもまた、その勾配がもたらす遠近法によってその孤立を駄目押しするかのようだ。一方の屋内空間では、極端なパースを活かした構図や仰角画面によって顔面はいびつにデフォルメされ、空間の狭さが強調される。これら「見晴らしの悪い夜の屋外実景」と「窮屈な屋内セット」の二段活用は、何処へも「逃げ出せない」という主題と、物語の結末の暗示ともなる。終盤の逃走場面に登場する工事現場内の狭いらせん階段の歪曲と闇がもたらす切迫感、レスリング場面の張り詰めた重量感と迫真性も非情に見事である。[DVD(字幕)] 9点(2009-05-09 22:11:47)
2. マクベス(2015)
《ネタバレ》 ウェルズ、黒澤、ポランスキー、それぞれ構図やカメラワークへの拘りによって独自の作品としており、物語的にはラストシーンのマイナーチェンジ等に
各々の特色がよく出ているが、このジャスティン・カーゼル版もまた過去の『マクベス』3作品とは微妙に違ったラストで悲劇に含みを持たせている。
玉座の俯瞰ショットはウェルズ版を、森の中の疾走や濃霧は黒澤版を、凄惨な流血描写はポランスキー版を、それぞれ思わせたりしつつ
クロースアップや自然光主体のロケーション撮影をふんだんに採り入れて映画としての差別化をしている。
もっとも、その為に無駄にショットを割ってしまっているシーンも多いが。
CGの濫用は避けられているものの、合戦シーンのスローモーションやクライマックスでの象徴性の強い色使いなどはあまり感心しない。
火あぶりの炎は実に印象的だが、バーナムの森の炎上から始まる「赤」の氾濫はまるで張藝謀的である。
その森がどう動くか、『蜘蛛巣城』とまではいかなくとも、もう少しスペクタクルを期待したのだが。
男優側は顔貌の相似が災いし、その分マリオン・コティヤールが得をしている。[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2016-05-15 21:49:36)《改行有》
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