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【製作国 : メキシコ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  忘れられた人々 《ネタバレ》 タイトルを自動翻訳にかけると「The Forgotten」と出た。要するに「忘れられた人々」というのは原題の直訳のようです。 最初は、社会水準の低さの犠牲者として、子供の辛さが描かれた映画なのかと思いながら観ていたのですが、観終わってみて「忘れられた子供たち」ではなく、やはり「~人々」でいいんだなと実感しました。 子供に対しての愛情がない親というのは初めて見ましたが、普通はどんなに辛く当たっても根底に存在する愛情が見えるおかげで温かみが感じられる事が多い中、とにかくこの映画におけるブニュエルの愛情のなさは強烈で、こういったところからも「子供たち」としてではなく、あくまで「人々」の中の一個人に過ぎないという表現をしているものとして捉えるべきなのでしょう。 この映画を語る上で欠かせないのが、ジャイボという感化院から脱走してきたという少年の存在だと思いますが、最初は貧しい生活に耐え切れずに盗みをしてしまって捕まったのだろうとか彼の背景を想像して情をもって見ていましたが、ペドロの母親と必要以上に仲良くなってしまったりと既に大人な一面を見せていたりして、映画の終盤でペドロに対して過度に干渉してくる頃になるとこっちまで情が薄れてしまうような気がしてきます。 エンディングを始めストーリーの部分部分にも一筋の光も見出す事が出来ず、イタリアのネオリアリズモをも上回るほどの冷徹な眼差しでストーリーが展開されるのは、都心部で普通に暮らしている人からはそれまでは目を向けられる事もなかった人々の過酷で貧しい生活振りを世の中に知らしめようというブニュエルの強い意思の表れであり、ペドロが感化院で仕事中に卵をこっちに向かって投げつけるのは、当時お金を払ってこの映画を見ている人たちに対して自分たちの方に気を向けて欲しいということかもしれませんね。 蛇足になりますが、登場人物は皆素人だと思われますが、全員も全員、演技の素晴らしさは目を見張るものがありました。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-09 04:07:03)《改行有》

2.  バベル 《ネタバレ》 この映画を観た聾唖者の人たちはどんな気持ちなんだろう。私は障害者ではないが、この映画に対してかなり不快に感じた。 愛情表現の方法は他にあったにもかかわらず敢えて低俗な方法を選択し、聾唖者をあそこまで惨めに撮ったこの監督を心から軽蔑する。言葉で気持ちを伝えることの出来ない人の愛情表現がこれである、とも受け取れよう。ハッキリ言って聾唖者を馬鹿にしているとしか思えない。 また、人間の隠すべき部分をわざわざ撮って映画をキタナイものにしているところにも言及しなければならない。 人が生きていく上で、排泄という行為は絶対に避けられない行為である。しかし、排泄というものはキレイなものではない。どちらかと言えば、キタナイもの、見たくないものであり、その行為を積極的に見たいと感じるものではないと思う。 考えてもみて欲しい。排泄行為をストーリーに組み込み、劇場で不特定多数の観客に見せることに一体どのような意味があるのだろうか。 他にもこの監督は、自慰やのぞきのような低俗なものまでも映画の中に組み込んでいるのだが、有能な監督ならば絶対にそのようなシーンは撮るはずもなく、そういう監督というのは、良く言えば、省くのが上手いのである(ここは私の「ショーシャンクの空に」レビュー参照)。 百歩譲って“排泄と同時にキス”というシーンを撮りたかったのかもしれない、と考えてみよう。もし仮にそうだとしてもやはりセンスに欠けていると感じるのが一般的な尺度だろう。アブノーマルすぎる。 このようなシーンの数々は、この映画の主題からフォーカスが遠ざかるという次元を超え、作品を壊すというくらいの次元にまで迫っているように思える。 また全体のストーリー構成を見ても、3つの場所で進んでいるそれぞれのストーリーの結びつきが非常に甘い。この類のオムニバス形式のストーリーが面白くなるためには、それぞれの登場人物全員が一つの場所に集結し、一つの物語を描いていかなければならない。または、モロッコ・メキシコ・日本の3つが全て繋がっていればまだ評価できたが、実際は、モロッコとメキシコ、モロッコと日本の2点でしか繋がっておらず、メキシコと日本では何の繋がりもないため、全体的なストーリーにおいても評価すべきポイントというのは、特にない。[映画館(字幕)] 3点(2007-05-06 21:54:20)(良:4票) 《改行有》

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