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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  ダディ・ノスタルジー 『田舎の日曜日』が個人の老年期を描いたのに対し、こちらは「一家の老年期」だわな。一組の夫婦の結婚によって、家族が一つ誕生する。子どもができて子育てのてんやわんや、やがて青年期から壮年期、やがて子どもは外に別の家庭を作り、その家族は老年期に入っていく。その老年期の家族の荘厳を描いた作品。病院から自宅療養に戻ってきた家長を、みなでさりげなく日常を演じて淡々と過ごすその緊張。普段どおりであらねばならぬ、という義務が、父親本人も含めて静かな緊張としてこの家を包んでいる。与えられた最後の時間を、取り乱さないようにと無言で戒めあって、冬の近づきを待ち受けている。老いは単なる衰弱ではなく、それに対抗しようとする気品や誇りが張りつめている状態なんだ、と言っている。病気のために半分引退していたダーク・ボガートが、久しぶりにスクリーンに帰ってきたってのが売りだった、でも衰えが進んじゃってたな(この主人公とまったく同じ)。『ベニスに死す』の彼が見事に黄昏を演じてるんだ、という理屈を経て初めて感動できる、って遠回りな感じ。[映画館(字幕)] 6点(2014-02-06 09:24:16)

2.  太陽は夜も輝く 冒頭から寓話精神で始まる。樹の下の少年がおいでと呼びかけると、花びらが手のひらに舞い降りてくるの。有名俳優をけっこう使って、ミュージカル性も添えた。音への配慮がいつもどおり素晴らしく、衣擦れの音と雨の音が競い合ったり、羊の鳴き声の使い方とかいい。広い池は出たが海は出なかったな、この監督フェリーニと同じで海好きかと思っていたけど。これ主人公の三人の女性遍歴ものと見ることも出来そう。彼にとって真っ当な夫婦こそが、最大の憧れの対象だったのでは。他人に利用されることに極端に敏感に反発を感じてしまう主人公だったのが、修道士になっても心の平安が得られず、つまり自尊心が強すぎるという罪の保持者なんだろう。それが村人たちに善意の手助けをする生活で救済されていく、って話なのか。神様って、人に使われるのがヤな人が代わりに必要とするものなのかもしれない。この主人公、そういうことでずっと疲れている印象がある。この監督は俗人たちの話のほうが合ってると思う。「標高」の高い映画で、空気は澄んでいるけど、低地の俗人たちの俗な世界のほうが懐かしくなる。[映画館(字幕)] 7点(2014-01-25 09:41:45)

3.  ターミネーター2 《ネタバレ》 本作のあたり、90年代の前半、SFX技術は急速に進歩した。昔の合成の、ふちが緑に光ってたころから特撮映画好きだった者として、ほぼ完成の域に達したなと感慨無量であった。下水溝のチェイス(トラックが跳び下りてきて追っかけちゃうんだもん)などアクション映画の基本的な見せ場もシャカシャカいうリズムに乗せて身を乗り出させるが、液体金属ロボットの動きに力を入れていて「ここまで来たか」感が強かった。床の市松模様がムクムクと起き上がったり、格子を通り抜けてもピストルは引っかかったり、と芸が細かい。見せ物として本道を行っている。エレベーターの天井からブスバスと刺してくる。せっかく液体金属の身体ならもっとほかの襲い方もあるんだろうが、まいいか、と思わせる。液体窒素で凍るとこも細かい。足がボロッ、ついた手がボロッ、でも細片が融けてまた戻っちゃうの。この監督は女性に重火器持たせて戦わせるのが好きみたい。[映画館(字幕)] 8点(2013-03-09 09:51:28)(良:1票)

4.  ダントン 映画はシナリオ文学ではないのだから、言葉にだけ感動してはいけないのだろうが、これは一つ一つのセリフに革命に対するワイダの思想の練り返しが感じられ、重い。人民の政府であるはずの共産国の作家が「人民の敵は政府だ」と叫ばねばならない悲痛さ。実質の主人公であるロベスピエールが「ダントンを裁いても裁かなくても革命は崩れ去る」という恐怖。人民に誠実であり続けるためにはダントン的人物が必要であり、しかしそういった人物が革命の輪郭を溶かしていったりもする。当時はダントン=ワレサとすぐに思わされたが、おそらくもっと普遍的なものとして捉えようとわざわざ過去に題材を採っていたのだろう。人民のための革命が専制独裁になっていくメカニズムが今までにも何度も繰り返されてきたのはなぜか。恐怖政治下の人々の描写がリアル。身分証明書を求められて怯える少女や、革命憲章をビクビク暗証させられている少年などがよく、これがラストのロベスピエールの恐怖と共鳴する仕掛けになっている。全体に青ざめた色調。[映画館(字幕)] 7点(2012-10-09 10:33:58)

5.  太陽がいっぱい このテーマ曲は今でこそ「太陽がいっぱいのテーマ」としてしか聴けないが、この揺れるような6拍子の曲想はイタリアの舟歌の感じを出してたんだな(バルカローレってのか?)。ゴンドラが映るシーンでしばしば断片が流れ、映画全体がラストシーンまで舟(ヨット)のモチーフで貫かれていた。あと跳ね回るような曲想もしばしば聴かれ(サルタレロってのか?)あれもイタリア情緒。イタリアのアメリカ人たちの漫遊気分の背景になっていて、イタリア人ロータもそういう意識で作曲したんだろう。よく出来たサスペンスで、警察の捜査を逆利用していくあたりが楽しく、また船上での笑顔の会話の緊迫も素晴らしい。でも原作のヨーロッパのアメリカ人って設定はあまり生きていない。いちおうセリフのなかでは説明していたが、印象づけていない。大西洋を離れた旅行者って設定が、他人に成り代わっていく展開の基礎として大事だったんじゃないか。特定の誰でもない旅行者の自由、誰にでもなれそうな自在感。そこらへんはより原作に忠実なリメイクだった『リプリー』のほうが描けていた。M・デイモンは明らかにアメリカ人顔だったし、「哀れな走り使い」のコンプレックスもあっちのほうが出ていた。こちらは美男のドロンが演じることでの痛ましさってのもあったけど。ハイスミスのミステリーは、前半はめちゃくちゃ面白いのに、後半もたれてくる。「文学」っぽくなってミステリーとしてのキレが悪くなる。『見知らぬ乗客』も後半は大幅に変えて映画を締めていた。本作のラストもそうだが、ミステリー映画としては悪くない改変だった。しかし原作のコクを好む人には物足りなかっただろう。あと今回気がついたのは、終盤で蝉が鳴いていたこと。ヨーロッパには蝉がいないと聞いていたが、南欧ではちゃんと鳴くんだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-04-29 10:13:16)

6.  タンゴ(1993) 妻と別居しているポールの頭の中は、妻で充血しちゃっている。いまどこかで妻が確実に彼女の生活をしている、ってことが嫉妬の対象になる。彼女の幻影を徹底的に排除したい、それが殺人願望にまで至る。そういう男を巡っても、サスペンスじゃなくコメディになるのは、監督があくまで男の心理にこだわっているから。女性心理には興味を持たない。「男は女をこう感じている」ってところにのみ、興味を集中させていく。男だけの暮らし。でもそれは人一倍女性にこだわっていることでもあり。集中していく話じゃなく、エピソードを集めて移動していく話。とうとう飛行機で北アフリカへ。『髪結いの亭主』のアラブ音楽の故郷だ。あちらのものでは殺人がごく自然にコメディの中にはいれる。エスプリって言うんですかね。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-04 10:20:12)

7.  ダメージ 人生至るところに落とし穴あり、ってな話で。「脇道のない人生なんてつまらない、そういう落とし穴こそ人生の楽しささ」なんてこと言う気楽な人もいるが、本当の落とし穴ってのはそんなもんじゃない、ただただぽっかり穴があいててズルズルと破滅へと追い込んでいく、そういうものがあるんだという、お気楽ものを戒める映画。「愛」と言うと気取りすぎ、「性欲」と言ったらミモフタもない、そういうときは「官能」といういい言葉があるんだけど、『ラストタンゴ・イン・パリ』のように官能の孤独に至るわけでも、『近松物語』のように官能の勝利に至るわけでもなく、ただ穴ぼことしてある破滅へのみ至る官能。ほとんど事故のようにそこに巻き込まれていく主人公。政治家としての堅苦しい生活から自由になるという解放としての恋愛ではなく、まったく別の官能の檻につながれてしまう、その閉じていく怖さ。文字通りの意味での、身を焦がす恋ってやつだな。その怖さと男の心理はよーく分かるんですが、正直言ってこの女がよく分からなかった。別に分からなくていい落とし穴への案内人としての役割りなのか。段落ごとの「さて」という感じのフェイドアウトが、フェイドアウトとはこう使うのだ、というテキストのよう。[映画館(字幕)] 6点(2011-07-13 12:11:50)

8.  タンデム 狂王と従僕もの、というか、ドンキホーテ的な流れ芸人ものというか。とにかく、男の心にしか興味のない監督ではある。男の純情。とりわけ運転手リプト君において。局からの番組打ち切りの通知をロシュフォールに届けさせないように逃げ回っている旅。胃もぼろぼろ。赤い犬、放り落とされる自転車など、不安のイメージがまといついてきて滅びの予感が漂う。車の故障で道端の人で済ませてしまう中継(打ち切りになるラジオのクイズ番組の老司会者の話なの)。男の友情の話というより、どこか傷口をナメあっているような感じがあり、対象と監督の視線との間に冷たい距離が微妙にある。もっぱらラストを洒落て決めるフランス映画にしては、終盤ちょっとズルズルしたか。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-28 09:54:19)

9.  他人のそら似 「こりゃウディ・アレンだな」と思って観ていたら、先にキャロル・ブーケに言われてしまった。出来上がったあとで批評で言われそうなことを先に作中で指摘しといて「もちろん、そのことを踏まえてそれの上を狙った作品なのだよ」と言い訳を用意したよう。喜劇役者はどうしてこう自意識過剰になるのだろう。有名人ならではの不安ということもあるが、他人過剰社会では普遍性を持つ不安か。そっくり男の田舎のあれこれ、有名人が来たというので人だかり、障害の息子に会ってくれ、言われてキャロルが行くと、かわいくない中年男、立ち上がる奇跡、主よみもとに近づかんの合唱、このあたりはなかなか。ただ終わりがダラダラして、うまい着地点をつかみ損なったよう。フランス映画頑張れというメッセージになって、しらける。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-22 11:54:30)

10.  太陽に灼かれて チェーホフ的なものを現代史に応用してみました、って感じ。チェーホフの世界って「崩壊の予兆の上に立つ特権階級の不安」ってなもので、それはいつの時代にもある。うっすらと退屈に浸かったようなおしゃべりの中から、キラリキラリと緊張が見え隠れし出す。コップを持つ手首の傷、川辺にきらめくガラスのかけら。三角関係の緊張が高まったところで、政治が顔を出す。感情の過剰の世界から、感情の欠損の世界への一気の揺り戻し。表情はガスマスクで隠される。この監督は川が好きで、『機械じかけ…』では川に飛び込み、『ウルガ』ではトラックを落とした。今回は昔の恋人たちが落ちる。どれもこれもすべて楽園の最後の一日のメランコリー。ラストで火の玉はクレムリンへ消えていったのか、火の玉の代わりに浮かぶのはスターリン気球。こんな時代を描いても、チェーホフ的なるものは普遍性を持って生きるのだ。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-21 11:53:37)

11.  魂のジュリエッタ ジュリエッタ・マシーナって、俳優としてはそれほどうまい人じゃないと思う。“嫉妬”なら“嫉妬”とそれだけをデジタル的に表現して、あんまり膨らみがない。ジェルソミーナが良かったのは、その単純さが効果を出したからだろう。ただこの作品での彼女は、ひとつひとつの演技はそういった型通りの表現なんだけど、演技以前の「オスマシしている女の子がそのまま大人になった」感じとか、「ビクビクしているのを覚られまいとしてる女の子がそのまま大人になった」感じ、といった、おそらく彼女の地なんだろうが、少女時代をそのまま引きずってるようなとこが生きていて、いいの。亭主の監督が知り尽くしていて、それを生かすドラマに仕立てたからだろう。まだこれは『サテリコン』『ローマ』といった完全なフェリーニレビューではなく、レビューのような幻想と“普段”とが拮抗した世界にとどまっている。でもそのために幻想性の効果は高まった。祖父のサーカス、火刑芝居、隣家のパーティ、庭での心理劇…。ストーリーの軸にあるのは“相談”。降霊術とか、宗教家とか、探偵とか、彼女は相談して回る。相談することで記憶や夢や妄想といった幻想の世界から普段の世界へ戻りたいのに、ますます幻想に捕えられ、ついにラス、室内に幻想が雪崩れ込む場を迎えるわけだ。そして最後のカットは退場したはずの幻影の呼び声でさまよい出すヒロイン、これ以後のフェリーニ映画は何か吹っ切れたように、幻想を何の遠慮もなく展開していくことになる。そういうきっかけの映画として、やはり忘れ難い作品だ。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-30 12:08:59)

12.  タクシデルミア ある剥製師の遺言 《ネタバレ》 もっと“おげれつ遊園地”って感じのものを期待してたので、やや肩すかしの印象。たしかにゲロの横移動なんかは堪能したが、ラストのほうの内臓三昧の自己剥製シーンや、最初のほうのロウソクマゾやらマッチ売りロリやら、これ見よがしなところは引いてしまう、なんかパサパサしてしまう。こういうの嫌いじゃないんです、どっちかって言うと大好きなんですが、もっと慎ましく、しかしネットリと提示してくれたほうが、こっちも“おもてなし”を受け入れ易い。あの風呂桶をめぐる水平軸の回り舞台なんかよかった。ところどころでオッとなれるんだけど、それがブツブツ切れた感じで、たとえばフェリーニのような大きなうねりを生み出してはくれてなかった。なかでは二代目の大食い選手が、かつての東欧のスポーツ選手の栄光と悲惨を描いていてよかったんじゃないか。ポーランドの「大理石の男」にも通じるような。[DVD(字幕)] 6点(2009-02-27 12:15:42)

13.  ダーウィンの悪夢 《ネタバレ》 最初のうちはノンキに、ナイルパーチという魚の加工産業があるのなら、アフリカでもいいほうなんじゃないか、などと思っていた。なのに映像がどんどん記録していく地元の疲弊、とりわけ子どもたちの悲惨な状況、炊けたわずかの飯を奪いあい、梱包材を焼いた煙をドラッグ代わりにしているのは、それなら何故なのか。映画は急がずに、そのからくりを解いていく。「甘い生活」の怪魚を思い出させるナイルパーチの肉は、外国(ヨーロッパと日本)へ輸出され、地元が食べる安い魚はナイルパーチに食べ尽くされてなくなってしまった。これが外国資本に食べ尽くされていくアフリカに重なってくる。弱肉強食のダーウィンの悪夢。人を生かす食べ物が人を殺す武器と交換されていく。やがて餌のなくなったビクトリア湖でナイルパーチが滅んだとき、外国資本もまた別の土地を求めて撤退していくだろう。この仕組みを理解するだけなら、本で読んでも出来る。でも「なるほど、こういうことか」という深い体感のような納得に至れるのが、蝿やウジのたかる魚の残骸を食用のために干しているシーンの映像の力、戦争を待ち望む警備員のひそめた話し声のトーンが伝わる記録の力だ。貨物機が飛ぶ同じ映像でも、冒頭とラストとでは、もう見るこちらが変わってしまっている。一番安い「のり弁」を買うと乗っていたなんだか分からない白身魚のフライ、あれがこれか?[DVD(字幕)] 7点(2007-12-10 12:20:46)

14.  太陽(2005) イッセー尾形って、特定の人物の物まねをやるのではなく、あるタイプについて人々が抱いている典型を、ひたすら外面の模倣だけで内面をも感じさせるまでに持っていく人。今回はヒロヒトという特定の人物が課題、外面の模倣はさすがだが、はてそれで内面はどうなったか。興味深かったのはそのヒロヒト自身が、映画の中でチャーリー・チャップリンに似てると言われたことだ。マッカーサーの部屋で一人きりになると、チャーリーのようにふらふらと室内を踊りだしてしまう。人と対面することが仕事の天皇がふと誰の視線もない場所に立った時、似ていると言われた他人を模倣することで内面を埋めようとしているような、そうすることで映画の中のヒロヒトがイッセー尾形を模倣し、内面の空虚をお互いに埋めあっているような、奇妙な倒錯が一瞬感じられた。[DVD(字幕)] 6点(2007-10-07 10:37:51)

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