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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  ひまわり(1970) 駅での別れが3回あったのか。出征、ロシアでの再会(ソフィアが探して、ソフィアが汽車に乗る)、イタリアでの再会(マルチェロが探して、マルチェロが汽車に乗る)。この映画、タイトル曲が有名なんだけど、ソフィアが異国の地を探し回るときの、6拍子のテーマもいいんだ。ロシア民謡のような引きずるようなメロディ。「岸壁の母」より心に沁みる。メインテーマもいいけど(おびただしい死者がイメージの中で重なる画面いっぱいのひまわり!)、思い出そうとすると、ビリーバンバンの「さよならをするために」が混ざってきちゃうんだ。[地上波(吹替)] 8点(2014-03-04 09:41:10)

2.  ピアニストを撃て 必死な洒落っ気、そんなものを感じた。脂っこいものを抜くの。これはもうシャンソンの世界。微笑む以外にないような哀しさ。白と黒を対照させるのを、象徴ととったら野暮になる、洒落っ気として捉えたい。白と黒をきれいに片づけたでしょ、と親しい友人にちょっと照れながら自分の部屋を見せてる感じ。ちょうどピアノの白鍵と黒鍵のように。その洒落っ気に必死な感じがある。脂っこい人生の現場に耐えられない弱さを、繊細さと捉えるか、単なる逃避と捉えるか、ってこともあるが、この監督が忌避したその真剣さは、ある種の強さに裏打ちされている。それを「必死な洒落っ気」と呼びたいわけ。二人組の悪漢がおかしい。主人公が試験を受けに行くとこ、前の受験者のバイオリニストの女性を軸に描く。彼の部屋に差し込むネオンの変化。そして何よりも彼の弾くピアノがよろしい。[映画館(字幕)] 7点(2013-08-13 09:37:42)

3.  ピノイ・サンデー 《ネタバレ》 屋外に置かれた家具って興奮させる。『太陽の帝国』や『ギルバート・グレイプ』が思い出されるし、私のテレビ単発ドラマ歴代ベストワンである別役実の「あの角の向こう」では、気の弱い西村晃の引越し荷物の家具が家が建つべきだった土地に放置された。最近観たばかりの中国の内モンゴル映画『冬休みの情景』ってのでも、雪の積もった路上に椅子が数脚置かれていて、登場人物たちが長回しで10分ほどそこでダベるシーンがあった。そしてこれ、路上に放置されてる真赤なソファ。もうそれだけで見事に映画の素材になっている。台湾へ出稼ぎで来ているフィリピン人コンビが、それを自分の宿舎まで運ぼうとする話。異国での門限のある暮らしの中で、ささやかな寛ぎを求める気持ちが、その赤いソファに集約されている。ちょっと望郷の思いも込められた、ゆったり腰を下ろせる場所。それを街中で運んでいるとバイクのおじさんが突っ込んできたり、飛び降り自殺しようとしているビルの脇を通ると受け止めに使われそうになったり、コメディとしてのいろいろな趣向が次々に起こり、運搬を邪魔していく展開。土地勘があればもっと楽しめる映画かもしれない。川を越えるところで力尽き、というか心の切り替えが起こり、陽気な歌を歌いながらソファに乗ったままボートのように流れていく。彼らの心もコセコセした現実から広々したところへ流れ出たようで、いいシーン。それにしても室内にあるべき家具が屋外に出ただけで、なんで映画はああイキイキするのだろう。[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-10-10 11:03:53)

4.  ピアノ・レッスン 《ネタバレ》 ピアノは決して解放じゃないのよね。人の世と別の世界への解放であって、閉じた場所での安息ってことか。ピアノは言葉の代わりにはならない。ベインズがエイダにとってピアノが重要であることを直感で知るのは、彼が文字を読めないことと関係があるんだろう。ピアノは彼女の安息の閉じた箱なのに、それを取り戻すレッスンのために彼女が開かれていってしまうあたりが話の中心。音楽は鍵盤を指が触れて生まれるもの、その鍵盤がまず取り外され現実の愛へとかわり、その代償に指も取り外されるわけ。とにかく海辺のピアノという情景が優れており、ジャングルの濃密な空気はあまり感じられなかった。浜辺で娘が踊るとこがいい。あの娘は単なる通訳じゃなく、同志のようでもあり、また批判者にもなり。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-08 12:21:06)(良:1票)

5.  白夜(1957) ささいなことだが、エキストラの動きがとっても自然で印象的だったことをまず記しておく。で、内容。主人公の優しさの異様な膨らみ、ヒロインの残酷さのあどけなさ。美談を裏から見たような話で、やはりドストエフスキーの匂いがする。女たらしマストロヤンニが、コロッと純情青年もやれちゃうってのがすごい。ハッとさせるのは、暗い閉じたセットの焚火から昼のじゅうたんの部屋にパンしていくとこ。冒頭の迷い犬がラストのマストロヤンニにまつわりついてくるなどのポーズのつけ方のうまさ。ダンスホールのシーンの解放されていく感じ。ここで、ああ同時代の話になってるんだな、と納得していると、橋の下の乞食なんかとっても19世紀的で(主人公の下宿部屋も)、不思議に時代がゆらゆら揺れている感じがあった。典型的な「良くできた文芸映画」であって、しかしそれ以上のものではない。『ベニスに死す』は文芸映画であって、しかもどこを切っても映画で充満していた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-28 09:51:09)

6.  白夜(1971) なんて言うんだろう、針金だけでできているような映画。人物に厚みがない(これ普通はけなすときに使うんだけど、そうじゃないんだ)。現実を慎重に薄~く切った結果なのか。憑かれているものの薄さとも言える。抽象画の友人の忠告に対して、こちらは古城のロマネスクに徹してる。女性を追いかけるのも、なにかに憑かれている感じ。だから全体から見ると消極的な生き方なのだが、その「一筋」に関しては豊かこの上ないわけ。実にぶっきらぼうな唐突性のなかに、あのボサノバの船がゆったりと流れていく豊かさと照合できますか。この人の映画は、針金の鋭さで描き切るのが多いけど、本作ではその針金を通して、豊かでロマネスクなものが匂い立っている。こういう世界も隠し持っていたのか。ドアの開閉のリズムなんかに抑えに抑えた美しさがあって。テープに「マルト」と吹き込んで、バスの中でかけたりして、ほんとなら突き放したくなっちゃう主人公なんだけど、ブレッソンの文脈の中だと、憑かれた崇高さが出てくるから不思議。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-26 10:11:16)

7.  ひとりで生きる 《ネタバレ》 むごい目にあう動物たちが遍在している。前作でも子猫が殺されてたが、本作では豚、犬、ネズミ、鳩など。少年は、人間ではなく動物の側の存在なんだろう。少女が顔をジーッと見つめてくればキスするかとロマンチックな気分が満ちてくるが、つばをかける。そういう恋人のような友だちのような微妙なお年ごろ。船の上での縄跳び、水たまりに倒れている男。やがて鳩が飛ぶ船室、赤ん坊を抱く裸の女、と幻想味が増してくる。火だるまのネズミ。棺の中のワルカ。陸橋の火花。裸の男女がレーニン像を這い回る。前作でもそうだったな、気が狂うということよりも、裸になるということのほうが重要なのかも知れない。裸のみじめさが聖なる裸に転化していく。時間の定かでない夕刻のような薄明かりが印象深い。汽車の荷物から女が出てくるときのや、ラスト近くのネズミのとこみたいな。いかにもロシアの光。そういえば少年の顔もたとえばタルコフスキーの『ストーカー』の系譜で、いかにもロシアの表情なんだ。かってにこちらがそう思ってるだけかもしれないけど。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-26 11:57:02)

8.  秘密と嘘 《ネタバレ》 脇筋のカメラマンの家庭から入っていく。写真家とは、真を写す仕事でありながら、嘘を形作ることもある。主人公のシンシアは下町的、若いころの北林谷栄的。ホーテンスは検眼師、よく見極めようとする仕事だ。こうバラバラにドキュメンタリー的に始めて絞っていく。駅での親子の出会い、娘だとハッと気がつくときの、おかしみと厳粛。二人の密会も、奇妙なお見合いのようでハラハラする。情けない自分を見せてしまいやしないか、と思いつつも、会いたい気持ち。でロクサンヌの誕生パーティだ。姉が友を連れてくると言われたモーリス、妻に相談すると「すぐにOKしてくれないと、カカア天下みたいで困るじゃないの」と言われる、こういう些細な描写がいいの。で事実をしゃべってしまい、いさかいから浄化へという段取り。ある種の満足を与えてはくれるけど、定型に落ち着いて、もっと別の展開を期待してた気持ちには不満が残った。ドキュメンタリーで古風な物語を語られたような。登場人物たちに愛着を感じるけど、ホーテンスは役どころのせいだろうが、彼女だけノッペリした造形になってしまっていた。[映画館(字幕)] 7点(2009-05-24 12:06:51)

9.  ピノキオ(1996) ディズニー版もそうだったけど、ピノキオって原作は悪童物語の傑作なのに、映画化されるとかわいくなってしまうんだな。悪の誘惑に乗ってくる悪ガキに見えない。それだけのせいではないだろうが、ラストで人間になると幻滅感が場内に漂った。いや、これは大事な問題なのかも知れない。アニメ的なものと実写とで、見ているこちら側の心の位置が微妙に違っているのではないだろうか。実写は記録として客観的に見ているのに、アニメになるとやや主観に寄っている、ということはないか。その主観が引き剥がされる感じが幻滅感になっているのでは。アニメと実写の合成された映画を見ているときに感じる、どうも落ち着かない感じ、案外あんなところに映画の秘密が隠されているような気がする。子どもがロバに変身するとこなんか、ディズニー版のほうがはるかに怖かった。全編アニメだと、SFXが浮いてしまうという心配がないわけだ。こちらでは、ピノキオが一時間待って時計塔の前に立っていると犬が小便ひっかけにやってくる、ってとこにのみ映画を感じた。ラストのクジラも弱かったなあ。[映画館(字幕)] 6点(2009-05-16 12:07:49)

10.  ピーター・グリーナウェイの枕草子 珍作だったなあ。『プロスペローの本』のあたりでこの人、怪しくなって、コンピューターによる画面いじりを楽しんでいるオタクっぽくなった。前作のそのヤバイ感じは悪いほうへますます進み、とうとう“お笑い”になってしまった。本へのこだわりという点では同じなんだけど。書物の永遠と腐敗する人体(『ZOO』)の対比。人間書物、人間書簡、本になる夢、皮膚をなめして作られた恋人の本、と材料は揃っているのに、調理してくれない。最後の死の書はおすもうさんでまた大笑い。「敵は幾万」が流れ出したとき、すでに危ないなと思ったもんな。もちろん作家が日本的なイメージを勝手に捏造するのはかまわなく、どんどんやって結構ですが、その中で自由に動けなくなるのでは考えもの。[映画館(字幕)] 5点(2009-02-18 12:13:55)

11.  ピアニスト 《ネタバレ》 対人距離設定不全症とでも言うのか。ヒロインは道で男にぶつかると、その触れた肩を神経質に何度も払う。でもポルノショップに堂々と入っていって、集中してくる男の視線には何ともない。覗く人でありながら、見られることには全然平気。固い殻を持っているからなのか。「私には感情がないの、あるとしても知性がまさっているの」って人。彼女がいかに孤独を完成させたか、って話だ。この題材だったらコメディにしたほうが楽だっただろうが、それをギリギリの悲劇にしたことを、この作品に関しては褒めねばならない。笑ってしまえば、変わり者で終わってしまう話だ。でも、心臓から血を流しながらウィーンの町を毅然と歩いていくラストで、彼女は、誰でも落ち込み得る罠に正面から対決した悲劇の英雄以外の何者でもなくなる。シューベルトのピアノ曲の妖しさが生きた。十二音音楽のシェーンベルクを弾けばミスタッチが分からない、ってのがおかしい。[映画館(字幕)] 8点(2008-06-25 12:13:05)(良:1票)

12.  ピストルと少年 最初のうち少年はやたら反射する面に向かい合う。テレビに向かい合い、鏡に向かい合い、電話番号を書きとめるために窓ガラスに向かい合う。その自分の反射から、姉に向かい合いたいという気持ちにダーッとなだれ込んでいく。そうか、ピストルを向けることによって、初めて自分以外の人と向かい合えるようになったのか。彼の漠然としていた欲望が、刑事が登場することで明確にされてしまう。あるいはもう観念していた少年を姉が引きのばしていってしまう。ぼんやりしていた彼の欲望を、周囲の思いやりやお節介が、よってたかって大ごとにしていってしまう。しばしば子どもが起こす事件についての、これはひとつの解釈だろう。車に固定されたカメラからの視点が多く、カーブを切ってフロントガラスに建物の像が入ってきたり、光の向きが変わっていったりするとこが好きなんだ。[映画館(字幕)] 6点(2008-04-06 12:20:16)

13.  百年恋歌 ふつう3つの時代を描くとしたら、1911年1966年2005年と順にやるもんだろ。ところが66→11→05とくる。この監督にとっては60年代ってのがベースになってて、そこから過去を振り返り、未来を眺めるんだ。兵役のために去っていく男は、過去では革命に参じて去る。自転車は未来ではバイクになる。話を理解するのは正直言ってかなり困難な映画で(とりわけ現代篇)、この監督ずいぶん遠くへ行ってしまったなあ、と寂しかったが、光と煙の美しさには圧倒された。ビリヤード台を照らす電灯の光の中にただよう煙、現代篇でやたらヒロインがすぱすぱ吸う煙草とそれを照らす蛍光灯、屋台の食事での湯気さえ美しい。そういえば「煙が目にしみる」が流れていたっけ。[DVD(字幕)] 6点(2007-11-07 12:18:26)

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