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221.  キャラメル 今までの人生でベイルートのエステサロンと関係を持ったことはなく、断言は出来ないが、おそらくこれからの人生でもベイルートのエステサロンと関係を持つことはないだろう。つまり私の人生でこの映画を観ていた1時間半ほどの時間だけ、ベイルートのエステサロンの人々に仲間入り出来たことになる。もちろんどんな映画でもそういうことなのだが、とりわけ今回感じた。描かれている、女であることの鬱陶しさやメンドくささ、そして楽しみや喜びは、別にそれほど目新しいものではない。いろんな映画で味わい続けてきたものだ。でもベイルートでも同じような女たちの世界があるのを目撃できたことが、嬉しい。日本ではまず政治がらみの話題でしか登場しない国にも、日常がありエステサロンがある。女性がホテルの予約するときは面倒くさかったりするけど、同じように嫉妬し悩み、また楽しみ喜んでいる。ニュースでは宗教対立ばかり取り上げられるが、イスラム教の戒律と店に入り込んでくるキリスト教の祭りとが共存している。とても新鮮に観られた。これからもニュースでベイルートを見ることがあるだろうが、そのときは看板のBが外れかけたエステサロンのある生きた街として見ることが出来る。題名は直接には脱毛剤なのだが、甘く痛い女性たちの世界をも言っているのだろう。ほとんどの登場人物は素人だと聞いたが、あのオーディションを受け続ける女性もそうなのだろうか。存在感のある見事にみじめなオーディションシーンだった。[DVD(字幕)] 6点(2009-11-08 12:13:38)

222.  暗殺者 《ネタバレ》 追っかけて撃って、っていう何ら新工夫のない活劇だけど、バンデラスの狂気がいいので許せる。憧れのあまりクレイジーになってる男。ヒロインはコンピューターおたくハッカーで下の階を覗いている。非日常を楽しむ映画ってことで割り切ればいいんだろうけど、日常を生きている人たちが無造作に殺されていくだけってのは、「そういうもんじゃないだろが」とも思う。てめえの巻き添えで死んだ階下の若夫婦のことを忘れて、ハッカーで得た大金抱えてハッピーエンドじゃ後味悪いぜ。それとこういうのの主人公ってよく「泰然自若」としてるけど、あとで考えるとかなり危ないってとこあるんだよな。おまえに俺は撃てねえぜ、っていう自信がどこから来るのかが分からない場面がある。結局こいつはシナリオに頼ってるから自信満々なんだ、ってことになって、すると、まあ馬鹿馬鹿しくなっちゃうんだな。[映画館(字幕)] 6点(2009-11-04 11:57:49)(良:1票)

223.  憎しみ 《ネタバレ》 出来ることならこういう男とは一生関わりを持たずに生きたい、と思えるような頭のまったくない感情青年ユダヤ系、まだ小僧のおもかげを残すアラブ系、一応考えるアフリカ系。青春群像。前半拳銃が出たら、それは後半で必ず火を噴く、という定理が、これもどたんばで守られた。危ないほうでなく、最も危なくないと思われていた人物によって、ってところがミソ。とにかく全編なにか煮立ってる感じが満ちていて、おそらくそれと対照されるのが、のどかに現われる「牛」の幻影なのだろう。ヌンチャク振り回してたプッツン男をはじめ、反日常的なヤツばかりだけど、でもこういうヤツは確実にいるなということは感じる。屋上にたむろしてるのとか。ピリピリとした退屈の日々。[映画館(字幕)] 6点(2009-10-19 11:55:53)

224.  ユリシーズの瞳 前作のラストでは黄色い服を着た作業員たちが、絶望の中の希望を示唆していたけど、今回は黄色の補色の青に浸されていて、ラストは希望の中の絶望に見える。でもそれが希望であったのか絶望であったのかは、どこかに到着して初めてわかるので、いつもアンゲロプロスが描いているのは、途上で途方に暮れて立ちすくんでいる人々なんだ。路上で、あるいは岸辺で、帰還の途上ということだけがわかっていて、それがどこへの帰路なのかは分からない。20世紀史と映画史が重ねられた旅の途上、第一次世界大戦のサラエボから世紀末のサラエボ紛争への百年の旅の途上。映像としての緊張度は前半のほうが高かったけど、後半に込められた気迫のようなものの感動も、映画の感動として除外したくはない。歴史が凝縮されるお得意の手で、1944年の大晦日から1950年の新年までをワンカットで見せる踊りのシーンなど、やはりたまらない。[映画館(字幕)] 8点(2009-09-27 12:06:11)

225.  黒いオルフェ 真の愛とは一種の災難である、って話だ。だからここでは死神も愛の一部分なの。オルフェは災難のようにユリディウスに出会ってしまう。それがなければ彼も婚約者とそこそこの幸福な家庭を築いたはず。でも真の愛に出会ってしまう。最初観たときは死神を“宿命”って感じで捉えてみたが、ユリディウスとセットになってるんだよな。愛の二面性の片割れと捉えたほうがいい。サンバという音楽にそもそも二面性が感じられる。溢れかえる生命力があるのだが、そのなかにやがてボサノバへと変質していくなにかヒヤッとする神経細胞のようなものも潜んでいる。ユリディウスを探す死神が身を乗り出すところのヒヤッとした感じね。もちろん仮面をはずしながらむこうを向くシーンが最高。役所の建物が地獄堕ちのイメージに重なっていた。南米文化ってのがもともと日常と神話が隣り合わせになってる文化だから、全然展開に無理が感じられない。ラスト、少女のユリディウスが踊り出すときは涙ぐんでしまう。[映画館(字幕)] 8点(2009-09-23 11:58:43)

226.  カットスロート・アイランド 海賊映画というジャンルにそもそも懐かしさがあり、そういうナツメロ的に味わえば楽しく見られる。ロープがよく出てくる映画になるのだ。見せ場はちゃんと次々にあるんだけど、なんかキレがもひとつ感じられないのは、不必要なスローモーションがブレーキになってるんじゃないか。ペキンパーのスローモーションは「思わず息を詰めて」ってところで使われた。でもその後、アクションのごまかし、つまり本当のスピードで映したらゆっくりしてるのを隠すためにスローにしてる、って使い方になってきて、とくにこの作品でそれをしばしば感じた。馬車のシーンなどよくやってるんだが、ロングでスピード感が減じ、一番の見せどころの、下を馬車、上を駆け抜けるいうとこ、上のバタバタが若干多すぎて、きびきび感が失われていた。こういうリズムは本当に難しいものだなあと思う。島もあんまり生きなかったし、かといって船のアクションてのも新味を出しづらい。ジーナ・デイヴィスの色気のない明るさってのは貴重だった。[映画館(字幕)] 6点(2009-09-20 12:07:24)(良:1票)

227.  美しき諍い女 《ネタバレ》 スランプに落ち入っていた芸術家が生涯の大作を完成させるまでの過程を、カメラが観察し続けていく。それはさながら、氷結していた河がゆっくりと解け出して再び怒涛の流れを起こすまでを、ずっと見守っているような興奮に似たものがある。動きそのものよりも、作動するときの時間のうねりにこそ感動があるらしいのだ。冒頭で画家が落ち入っているスランプは、それなりに安定した生活でもある。芸術家としての焦りさえなければ、安定した夫婦の関係と重なっていて、普通の夫婦ならこれが理想の生活なのである。しかしその穏やかさからは芸術が生まれてこない。そこで若い娘マリアンヌがモデルとして入り込んでくる。安定していたこの家の空気が、創作のほうへ傾き出す。妻としては夫の仕事の再開を喜ばなければならない。しかし、自分を通して完成されなかった絵が、若い娘の裸を通して完成されていくのを、アトリエの外で待っていなければならないとき、妻のほうでも、夫の創作に並行した心理のドラマが動き出す。そっとアトリエを覗いて見ると、以前描きかけだった自分の顔がマリアンヌのお尻の絵に塗り潰されてたりして。この二人に加え、さらにマリアンヌの時間もある。画家との間に生まれてくる緊張のドラマだ。最初はデッサン、ポーズもただ椅子に座っているもの。それから普通のヌード。背中。だんだんと外界の田園風景と隔絶した造形の奥へ、芸術の創造という魔の領域へ入り込んでいく。最初は丁寧に口で指示していたポーズも、ついには画家みずからの手でぐいぐいとマリアンヌをねじ曲げていくようになる。格闘と言ってもいい。人形のように解体されていくことへの抵抗と、心のどこかで感じている妻への勝利感が、マリアンヌのドラマを動かし出す。この三つの流れが絵の完成へ向けて合流し大河となっていくところ、安定の対極にある充実、芸術の完成という死の瞬間に向けられた沸騰、それをこの映画は描き尽くした。そのとき出来上がった絵などは、映画にとってもうどうでもいいのである。[映画館(字幕)] 8点(2009-09-15 12:14:31)(良:2票)

228.  エル・スール 《ネタバレ》 最初は客席の後ろのドアがちゃんと閉まってないのかと思ってた。画面右上隅のあいまいな光が徐々に自己主張してきて、窓らしいと分かる。と中央に何やらモヤーッとした物体が浮かんできてベッドになっていく。犬の吠え声。たまらない導入です。そして光と影のドラマが展開する、というより光が差し込むことと陰っていくことのドラマ。これを見たころはスペイン内戦に無知で(いや今だってよくは知らないけど)、そのためにかえって父と娘の孤独が感応し合う話として、純粋に人間のドラマとして感動できた。この変わり者の父、南に父親や愛人を残してきたというより、そういった憎しみとか恋愛とかのわずらわしい感情を捨ててきたんだ。でもその分、娘への愛情が過剰に深まってしまった。これを愛情というか、同志愛というか、微妙なものだけど。娘の初聖体拝受式の日に、まるで彼女の成長を認めたくないかのように猟銃を撃ちまくる(カトリックへの鬱憤もあったのかも知れない)。そして娘を一個の他者として認めざるを得なくなったときに、猟銃は自分に向けられる。式の時は「父が私のために来てくれた」と喜ぶ娘、ラストでは「フランス語の授業はさぼれんかね」とまで言う父を残して娘は去る(娘にすがるような父のこの言葉に私は泣きそうになった、喫茶室のシークエンスが本作の白眉)。式の時は一緒に踊るけど、ラストで踊っているのは別の新婚カップル。娘は行方不明になったときベッドの下ではらばいになっていたけど、父は行方不明になったあと川岸で冷たく横たわっている。二人は相似形を作ったり対称形を作ったりしながら孤独を呼応しあう。だからどうしたほうがいい、と説教しているわけではなく、映画はただ見つめている。なのにこの父は強烈に印象に残る。80年代初めに紹介された映画でオメロ・アントヌッティぐらい名作率の高かった俳優はなく、喫茶室の場はあの石くれのような彼だからこそ泣けてくるのだろう。[映画館(字幕)] 9点(2009-08-29 11:09:34)(良:1票)

229.  ナイト・オン・ザ・プラネット 同時刻の地球の異なる場所をつなげるってアイデアで、それを夜に設定したのが洒落てる。せっかくいろいろな国を回るのに、昼の風景を見せない。そのために観光映画になってしまう危険から逃れられた。昼を陸とするなら、夜は海だろう。夜は一つの大いなるものの顔をいろいろな角度から見せてくれる。昼の会話がつまるところ社会の会話になってしまうのに対して、夜は人が組織を離れてしゃべり出す。人間という大いなるものが、会話を始める。一番ジャームッシュらしさが出ていたのはNY篇だろうが、パリ篇のリリシズムが、彼の別の世界の発見として嬉しかった。差別の問題を微妙に隠しながら、夜のせいでちょっと饒舌になっている運転手と客の会話。たぶん昼だったら遠慮してしまうような話題にも触れ、しかし別に偏見に関する論議が始まるわけでもなく、被差別者同士で共感し合うわけでもなく、あくまで運転手と客の距離が節度を持って保たれながら、そのちょっと饒舌になってる気配がいい。べたつかないんだけど不誠実ではない会話。そこでこの車内に満ちてくるのが、これが面白いんだけども、もう一振れすれば怪談にでもなりそうな神秘的な雰囲気なのだ。運転手にとって後部座席ってのは、密室で後ろから見られ続けていてもともと気味の悪いものだろう。しかもこの盲人の客は、見られている以上に何かを見ているようなのだ。NY篇が不完全な言葉を通してのコミュニケーションの物語だったとすれば、このパリ篇は妨げられた視線を超えてのコミュニケーションの物語ということになる。これを怪談めいた雰囲気を通して叙情性に持っていったあたりがツボ。楽しかった。そしてヘルシンキ篇で夜明けを迎え、個人の時間が消え、時計の針がただ時を消化していく退屈な昼の半球に入っていく。そう、この時間日本では昼の12:07というリリシズムのかけらもない時間なのだ。せめてその時刻に合わせてレビューを登録するのが、この映画に対する敬意の表明になるだろう。[映画館(字幕)] 8点(2009-08-27 12:07:20)(良:1票)

230.  仕立て屋の恋 《ネタバレ》 演劇はどうしても人間と人間のドラマという要素が強く、言葉の構築物なので、孤独を描くにも不自然なモノローグに頼るしかない。だが映画は人間と世界の関係を描くことができる。縄跳びをしていた少女とのかすかな接触や、飼っていたネズミをレールのそばに放す行為だけで、男の孤独が描ける。映画の利点だ。しかもこの主人公イールそのものが、映画を見るように向かいの娘アリスを見ているのである。スクリーンの中のヒロインへの観客の愛のように、四角い窓枠というスクリーン越しに、自分でBGMを流しながら、ロマンチックなメロドラマを演出する。現実との暖かな交流を断念したイールには、こういう傷のつかない関係しか考えつけなかったのだろう。この造形が見事。しかし覗かれる女が覗かせる女に変わり、スクリーンの境が溶け出して、話は悲痛さを帯びてくるのだが、この作品で面白いのは、静かな映画であるにもかかわらず、スポーツが多く登場することだ。まず競技者が横一列に並ぶボーリング、ランダムに交錯するスケート、そして向かい合うボクシング、と二人が向かい合っていくのにあわせるように、登場するスポーツも変化する。恋とスポーツが相似形を成していく。アリスの態度は最初はフェイントだった。しかしフェイントのつもりだったものが、正確に相手に向けられた強打になっていく。もしかすると彼女は違う相手とするべきではないゲームをしてしまったのかも知れない。決勝の自殺点を入れて途方に暮れている競技者。イールは、ゲームのルールを是認することが出来ないまま、映画を見る観客のつもりで競技場に入ってしまった競技者だ。望んでもいなかったのにいつのまにか走らされ、誰の声援も受けずに死のゴールへ一直線に導かれていった不運な競技者。[映画館(字幕)] 8点(2009-08-18 12:06:43)(良:2票)

231.  上海ルージュ 老人が勝ち、若者が滅んでいく、それはもう、一つの時代が末期を迎えている症状なのだ、ってことか。実に通俗的な設定を、黄金色に閉じた前半と、蕭条とした風景の中に拡散していく後半、の二段構えで描く。後半が前半の繁華を批判している、という感じではなく、どっちもそれぞれに、はかない。囚われの女は周囲に不幸を撒き散らしてしまう、そのことの悲しみ。どこからともなく聞こえてくる歌声の効果など、いつもながら音には鋭敏で、呼び鈴とか、軒下の風鈴、繰り返される子守唄のメロディは、硬質の木琴の音、オーボエ、月琴(?)、女声などによって変奏されていく。美しさという点ではいつも見事なのだが、映画のドラマとして切実さがも一つ感じられないというところも、いつも。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-16 11:59:32)

232.  蜂の旅人 この監督で見た中では、一番ピンと来なかった作品として記憶に残っている。現代史の息苦しさと正面から渡り合うのをちょっとやめてみたような映画で、いつものように下向きの無力感とそれに抗おうとする上向きの意志との衝突はあるんだけど、全体に詠嘆が強まってしまい、意味ありげな雰囲気に溺れてしまったような感じがある。芯が抜け落ちてしまったような。もちろんダンスはあり、霧も流れ、海岸も出てくるし、映像的には十分味わえる。かつての充実し意味がはっきりしていたモールス信号の時代と現代との対比という点では、たしかに現代史の検証にはなっている。でも切迫した息苦しさがない。この人の映画では、詠嘆よりも、あの息苦しさを味わいたい。[映画館(字幕)] 7点(2009-08-09 11:55:56)

233.  カジノ モノローグ映画というか、やたら字幕を追うのが大変でした。ナレーションが多いと、過去の出来事という感じは強くなる。それにしてもこの監督ノーブルな顔して、どうしてこう真っ当でない・唾棄すべき嫌な人間たちの話が好きなんだろう。ギャンブルの天才でありながら、妻や友の裏切りにあっていく男。ラスト1時間ぐらいになってやっとノッてこれた。世の中なんにも信用できねえのさ、という一匹狼的な恍惚感があるわけでもない。虚飾の街と、その裏の地味な金勘定の部屋、その裏から表を見て、荒涼としてるんだけど充実がある。つまり現代における“充実”とは、愛やら友情やらを捨てていった荒涼の中にしかないということか。ラスベガスを取り囲む広大な砂漠。日本人はタオルを持って帰る。ラストに「スターダスト」が流れ、おそらくある年代の人は「シャボン玉ホリデー」を思い浮かべ、しみじみしたことと思う。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-05 11:59:37)

234.  ランジェ公爵夫人 《ネタバレ》 字幕の使い方が面白い。「彼はこの言葉に稲妻に撃たれたようになった」なんてのが平気で出てくる。おいおい、映画なんだからそれを演技で見せてくれよ、と一瞬思ったが、考えてみれば、今までの映画で「稲妻に撃たれた」ようなショックの演技で納得のいくものがあったかと振り返ると、だいたい大げさにビクンとなって口をあけたりし、さらにはご丁寧にガーンという効果音がはいったりもして、もう映画の中だけで定型になってる様式を反復していたわけだ。それなら字幕で表現したほうがその人物の内面に入れる、って思う監督がいてもいい。映画が得意とする描写、不得意とする描写を峻別し、不得意方面は字幕でサッサと済ませてしまう、そういうことなんだろう。で何が得意なのかというと、この監督にとっては、男女の心理の探り合いなわけ。危険な女と朴訥な男の関係が揺れ動いて逆転していく話。一組の男女が恋愛において優位に立とうとゲームを繰り広げていくの、神が介入する高みに至るまで。こういう形でしか愛し合えない男女の滑稽さなのか悲劇なのか、とにかくそういう話と見た。バルザックとリヴェットのコンビでは『美しき諍い女』も、画家とモデルのほとんど格闘といっていい心理闘争の映画だったし、フランス人はこういうのが好きなのね。ただこれは「十三人組」という秘密結社の連作物語の一編で、原作では序文を初めその結社についてミッチリ書かれてるんだけど映画では説明がなく、誘拐の場やラストで突然現われる連中が、これだけ見た人にはなんだか分からなかったのではないかなあ。[DVD(字幕)] 6点(2009-08-04 12:07:37)

235.  シクロ 最初はリンタクに靴みがきでデ・シーカの世界に近いのかと思っていたら、何かギラギラしたものが出てきて、どちらかと言うと初期の大島渚か。俯瞰。この世間を離れた裏稼業のやくざの目で、あくせく働く表の庶民を俯瞰している。近代的なビルが建ち並ぶ下を、健全なシクロ一家が抜けていくラスト。おそらくそれに嫉妬する無垢な少年時代の「詩人」が見下ろしているという感じ。構造自体はグレかけたけどグレなかったのと、グレたのを恥じつつ死んでいくのと、というオーソドックスなものだけど、その彼らのまわりで「現代」がぐんぐん広がっていく圧迫感が描かれていた。タイヤの空気入れの仕事してるじいさんのとこに、まちがって体重計が届き、ならこれで商売してみようか、なんてエピソードがいい。あと、ベトナムにだって変態はいるんだ、ってこと。ああいうのはとかく高度資本主義社会のひずみとかで片づけられるけど、人の社会があるところ変態はちゃんといるんです。女親方の顔もよかった。それと色に意味づけがあったみたいで、黄色、赤、青などが象徴的に画面を彩る。熱気がこもってて表面はひんやりしている怖さ、みたいのがある。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-01 11:57:32)

236.  愛のめぐりあい アノトニオーニの世界の特徴って、私にはまず「不必要に広すぎる感じ」なの。からっぽな感じ。十分に埋まりきっていない空間。これ実際はほとんどをヴェンダースが監督してるって話も聞いたけど、「アントニオーニ的不必要な広さ」をしばしば感じた。車と自転車が並行してやってきて、車が向こうへ去っていく、右手に柱廊、この奥深い感じ。あるいは第2話のアタマの浜辺の小公園の広さ、そこを吹きすぎる風、砂の流れ、港町のたたずまい。第3話でのからっぽになっている部屋、そこからの街の風景。最終話も教会のある街のたたずまいと教会のだだっ広さ。話もいつものようにコミュニケーションの問題のまわりを巡っていて、触れ合わないこととか不確かな対象への愛とか、またイタリアの監督はどうしてもカトリックの問題が登場してしまう。こうした焦点を定めるのが難しいいつも以上に茫漠とした物語でちょっとつらかったけど、街のたたずまいとその広さという映像の枠を設定することで、独自の世界にしてしまう監督ではあった。[映画館(字幕)] 5点(2009-07-27 12:00:27)(良:1票)

237.  万事快調 72年かあ。共産党と新左翼の離反、なんてモチーフが懐かしいところ。まず食肉工場のストライキだ。窓の外の暮れていく気配と部屋割りは、さながら『ロープ』と『裏窓』。経営者が戯画化されて語っている「資本主義ばんざい」の言説は、今では戯画化すらされず、もっともらしく語られるようになったわけだ。このセットの横移動はそれだけで楽しいもので、ラストのスーパーマーケットと対比されるのだろうが、労働者の側もばらばらになってるという感じでもある。妻のストに協力的でない夫というのが電話のシーンでスケッチされたり。工場の場が閉じ込められていたのと対照的に、スーパーは広く、外から新左翼は突入してくる。共産党のパンフレットを安売りしてるのもおかしい。手前を走ったり、奥のほうを走っていったり。で二度目の横移動で略奪が始まり、機動隊も入っている。これは本当に楽しい。身近な場所が混乱していく興味、ってこともあるんだろうけど、この滑らかな変化ってのが大事なんだろうな。横移動というものは、異質のものを滑らかに連続させてしまうんだ。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-23 12:03:36)(良:1票)

238.  夏物語(1996) 《ネタバレ》 この人の映画は見ていてごく自然に口もとがほころんできて、その気分が好きだな。どう見てもかわいいマルゴから声をかけられても、最初のうちのガスパールはレナのことしか頭にないから焦点を結ばない。お互いに恋人を待っている男女がえんえんと日を待ちつつ、毎日一緒に過ごす。この前半の設定が最高で、つまり口もとがほころぶいい感じ。ソレーヌが絡んできてややこしくなり、さらに不意にレナが訪れ、後半はこのややこしさのコメディになっていく。これはこれで楽しい。優柔不断のゆえによりややこしい状況を選んでしまう男。でもこれは結局ガスパールがマルゴを発見する話と見ていいんだろうな。代役がいつのまにか主役になっていた、って。恋の報告をする相手のほうが大事になっていく、恋のおかしさ。[映画館(字幕)] 7点(2009-07-15 11:59:29)

239.  猫が行方不明 《ネタバレ》 猫を飼う娘。「猫・グリグリ」の方向には、地上げで消えてゆく下町がある。老夫婦たちのネットワーク、あるいはアラブ系住人たち、芸術家たち。一方「娘・クロエ」の方向には、ここに進出してくるブティック、ファッション業界、ドラムの響き、などなどがある、そして「孤独」のモチーフも。バカンスのワンカット、海があってすぐ帰りのカットになる妙。アラブ系ジャメル君がなかなかいい味で、純情青年の奉仕ぶりが気持ちいい。同居のホモの新しい恋人との気詰まりな朝食のシーン、バリバリというかじる音とグビリという飲む音のおかしさ。猫はけっきょく部屋に、「下町」の側に踏みとどまって。サササッとスケッチしたような味わいの、ひなびたワルツが似合うコメディ。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-12 12:24:18)

240.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン! 《ネタバレ》 全部で何カットあったんだろう、「キビキビしている」と「目まぐるしい」の間ぐらいの感じでずんずん進む。正直言って前半は「目まぐるしい」が優勢でいささか疲労気味だったが、だんだんテーマが見えてくると、ノレた。そうすると映画もキビキビ感じるのだから、いいかげんなものだ。どってことないコメディかと思っていたら、しだいにツインピークスめいた空気が流れ出し、銃が似合わぬ人たちとの壮絶な銃撃戦にまで至ってしまう。あの国は伝統のある保守的な国だから、かえって保守的なものへの警戒が強いのだろう。“公共の利益”という怪物に支配された“安全な町”、それを作っている“近隣監視同盟”。荒唐無稽ではあるが、よそ者への敵意を秘めた地方都市の現実と、どこかでちゃんとつながっている。この荒唐無稽は、やたら安全が叫ばれるようになりだした国の民としては、けっこう迫る。そこを押さえているから、ラストもただのアドレナリン系の発散ではなく、ブラックユーモアに満ちた納得のある痛快さになっていた。ただ、子どもたちや警官仲間があっさり主人公側に付くのがちと緩く、おそらくこういう風土ではまっさきに子どもたちが組織されて“愛郷防衛少年団”にされてるだろう。それとラストが一つ余計だったと思うが、いかにも英国ならではのハスに構えた姿勢が嬉しく、楽しめた。[DVD(字幕)] 7点(2009-07-10 12:11:44)(良:1票)

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