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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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261.  シーズ・ソー・ラヴリー お父さんのジョン・カサヴェテスのシナリオ。ひとことで言えば、愛は厄介だ、という話で、お父さんの映画と同じく、心にガラスの破片が刺さっているような人々が右往左往する。ヒロインの演技がちょっとオーバーで、若きジーナ・ローランズで見たかったな、と思うも、隣人のジェイムズ・ゲンドルフィーニが絶品だから、まあいいか。後半の10年後の部分が、私はいいと思う。さらりと、あなたも好きだけど、エディを愛してるの、と言う。そりゃ、トラヴォルタも怒るわな、でも受け入れる。子どもとビールをのみかわす。エディは、子どもと結婚したんじゃない、と子どもの前で叫び、二番目の友だちになろう、と言う。愛は周囲のみか、己れをも傷つけ走り去ってしまう、ってことだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-02-21 11:58:47)

262.  ピーター・グリーナウェイの枕草子 珍作だったなあ。『プロスペローの本』のあたりでこの人、怪しくなって、コンピューターによる画面いじりを楽しんでいるオタクっぽくなった。前作のそのヤバイ感じは悪いほうへますます進み、とうとう“お笑い”になってしまった。本へのこだわりという点では同じなんだけど。書物の永遠と腐敗する人体(『ZOO』)の対比。人間書物、人間書簡、本になる夢、皮膚をなめして作られた恋人の本、と材料は揃っているのに、調理してくれない。最後の死の書はおすもうさんでまた大笑い。「敵は幾万」が流れ出したとき、すでに危ないなと思ったもんな。もちろん作家が日本的なイメージを勝手に捏造するのはかまわなく、どんどんやって結構ですが、その中で自由に動けなくなるのでは考えもの。[映画館(字幕)] 5点(2009-02-18 12:13:55)

263.  ここに幸あり(2006) 《ネタバレ》 フランス生まれではない監督なのに、ここにはフランス映画の伝統が息づいている。前半の政治家たちのドタバタはクレールを思い出すし、後半のグータラ万歳はルノアールの精神に近い。ブハッと笑うところはないが、たえずニコニコしていられる。思えば最近のコメディって、ブハッとした笑い狙いが多く、こういうのはなかった。なにもこういうのが高級でブハッ笑いが低級だとは思わないが、いろんな種類の笑いの映画があってほしいもんだ。あらすじだけを取り出すと、「忙しかった大臣が罷免されたら人生が楽しくなった」と陳腐きわまりないものになってしまい、あんまり見たくなくなるけど、全体にある洒落た感じの心地よさは筋とは関係なく、ああこういう映画ってもう絶滅寸前かも知れない、と思いながら楽しく見られた。どこがどうとうまく言えない。たとえば省略、ヒョウが運ばれていくだけで次の大臣も失脚したのか、と分からせるあたり、とか、彫像を運んでて割ったかと思わせて鏡を割っただけだったり、とか、もっといい例があったと思うんだけど、それほど強く脳に刻み込まれるギャグではなく、ノホホンとした笑いなので、心地よさだけが思い出されてあとはぼんやりしている。ここんところがつまりこの映画の特徴でもあるわけで。[DVD(字幕)] 7点(2009-02-16 12:18:24)(良:1票)

264.  やわらかい手 《ネタバレ》 イギリスは労働者の映画を得意としているが、これもそう。主婦が社会に目覚めていくって話はけっこうあったけど、う~ん、こう来たか。労働の楽しさと厳しさを描いて、実に鮮やか。自分の隠れた能力の発見、職業技術を熟達させていくこと・成果が上がっていくことの喜び、殺風景な職場を少しでも飾ろうとする気持ち、がある一方、職業病もあり、同僚との軋轢も経験する。社会で働くということのすべてを体験し、彼女は誇りを持つ。手段だったものが目的になっている。そのとき職種なんて関係ない。近所の主婦との茶会のシーンは、その誇りが輝き、楽しいシーンだが感動的でもある。何一つ後悔してなく後ろめたくもなく、堂々としている。実際マリアンヌ・フェイスフルがとても美しく見える。日本では作れない映画だなあ、と思った。もし作っても、息子と和解するところまでだろう。あのラスト、孫の看病より自分の人生を優先する結末は、日本ではたぶんシナリオ段階で注文がつき、もっと湿っぽく屈折させられるのではないか。[DVD(字幕)] 7点(2009-02-11 12:15:01)

265.  赤い風船 《ネタバレ》 音も入ってるけどほとんどサイレント映画のノリ、実写映画だけど次第に風船に人格が感じられるあたりアニメーション映画のノリ(かくれんぼしたり青い風船に浮気したり)、だからこの作品、映像詩なんて曖昧な言葉でくくるより、映画そのものと言ったほうがいい。あの風船は何なんだろう。持ってると電車に乗れず教会からは追い出されと、社会生活に不便をきたすもの。大人の後ろからついてくると、みなに笑われる。ワルガキは奪おうとし、それがかなわなければ割ろうとする。あのラスト、考えてみればひどく厭世的な結末にも見えるが、見ているときの気分は最高にいい。カトリックの神なのか、童心の象徴なのか、いろいろ考えて、でも結論づけたくないモヤモヤしたものとしての赤い風船でいいのだろう。[DVD(字幕)] 8点(2009-01-29 12:14:24)

266.  ゴルゴタの丘 キリスト物語って、地方の物語なんだ。政権の強いローマを離れて、地方の総督とかユダヤの議会や地域の王なんか、文化が複雑に衝突している周縁の話なんだな。あんまりそういうとこ考えたことなかったが、何か新しいものが生まれるってのは、そういう場所でなんだろう。ユダヤが“呪われた民”と見られるのは、これら“群衆”の象徴としてなんじゃないか、などと思った。セットや群衆に迫力があり、また丘の場の空の雲は、映画が舞台と違って天候を描けることの利点を改めて思い出させてくれる。裏切りに出ていくユダが振り返って目にする、窓の額縁の中の教団仲間の親密な光景が、ユダの孤独を浮き彫りにする。正直言って、キリスト話ってなんか倒錯(被虐加虐その他いろいろ)の匂いがしてあまり好きになれず、見るときはついユダのサイドから眺めてしまうんだけど、ヨーロッパ文明の底には確固としてこの倒錯が潜んでいるんだなあ、と思えば、やはり気にはなります。/なおこれでキリストを演じたロベール・ル・ヴィガンは、『地の果てを行く』や『どん底』にも出る個性派だが、占領下に対独協力派の放送局で働いていたため、『天井桟敷の人々』の古着売りの役を放棄してドイツに亡命し逃げ回り、戦後はアルゼンチンへ去った呪われた俳優。同じ経歴の、やはり呪われた作家セリーヌと一時一緒に逃げていたので、セリーヌの晩年の小説に登場してくる。セリーヌの小説に出てくるベベールという猫は、逃避行していたときこのヴィガンからもらったもの。ヴィガンのそういう後半生を知ると、受難のキリストを演じたことにも味わいが添う(国書刊行会刊・セリーヌ「城から城」の補注より経歴を引用)。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-11 12:19:43)

267.  ジェニイの家 《ネタバレ》 新派悲劇のような風俗ものに、ふと古典劇の奥行きが見えたりする。なにげないものに格調が寄り添う。詠嘆なり、失意なり、幻滅なりが、ひときわ味わいを持ってしまう。ラストでフランソワーズ・ロゼーが、娘が見舞いに来たのを隠れて見知らぬ他人のとこに座る、アメリカ映画だったらもしかするとギャグにしてしまうようなところ、こんな些細なところにも「私は誰も見舞いに来ないんです」と患者に言わせて、ある種の人生の翳りを付け加えていく。やはりシャンソンの国である。母の店の秘密をカーテンの隙間から覗いてしまう娘のアップ、見ないほうが良かったものを見てしまうときのアップ、そういう大事な部分が情緒に流れずしっかりと描かれるのが古典的。街の小悪党さえ司祭の崇高を帯びる。カルネのデビュー作。[映画館(字幕)] 7点(2009-01-10 12:15:55)

268.  モンパルナスの夜 《ネタバレ》 犯人役は“陰気ジノフ”という名に似合った性格俳優で、ニヒルな魁三太郎といった感じ(魁三太郎って知りませんか)。ちょっとクサくなるかというギリギリのところで芝居する。この時代のこういうドラマには、少しクサいくらいでちょうど似合う。犯人のニヒルぶりが見どころで、メグレが自分を狙っていることを知りながら、からかうような振舞いをするあたり。オトリ青年から逃れるために、わざと無銭飲食をして警官に守られて出ていく小憎らしさ。このニヒル男の隠れた炎としての純愛もあるんだけど、それはあんまりドラマの中ではイキていなかった。この時代のフランス映画は、街角のシャンソンで始めるってのが、一つの型だったんだろうか。酒場で歌ってるのがダミアだそうだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-01-08 12:10:11)

269.  女だけの都 この映画で一番うらやましかったのは、17世紀初頭の風景をロングで撮れる、ってところで、江戸時代の始まりのころでしょ、日本じゃちょっとできない。フランドル絵画ふう、って言うんですか。昔の風景がちゃんと残っている、というか、残してある。うらやましい。おろおろする男としっかりものの女、というパターンの小喜劇で、“女は弱いもの”というタテマエがなくなった現在から見ると、もひとつ面白味がピンと来ないけど、全体のおおらかな気分は悪くない。もっと古典の型にはまった味にしても良かったんじゃないか、あるいは女たちの一夜のバッカス祭という感じで、もっとドンチャン騒ぎがあってもいいんじゃないか、などと思うのも、やっぱり現代人からの目であろう。向こうの人が見れば、衣裳の時代考証なども楽しめるのであろうな。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-07 12:12:10)

270.  巴里祭 《ネタバレ》 最初のころは、クレールはコメディがいいんじゃないかと思っていたが、だんだんとこういうのの良さも分かるようになってきた。キレよりもコク。これなんか、映画で物語を語ることの最良の成果なんじゃないでしょうか。ほとんどの出来事や脇の登場人物が反復され、あんまりそういうことがキッチリしていると息苦しくなりそうなのに、それを感じさせないようにフランス映画は洒落た感覚を洗練させてきたんだなあ。そういうことを堪能できる映画。スリ一味の場などさながら良質のコントで、しかし彼らもちゃんともう一度、悪役に出世して登場してくる。無駄がない。しかもその変貌には悪女が関係しているので、不自然でない。あるいは小道具としてのジュークボックスの使い方。あるいは窓ぎわのライティングのうまさ。堪能、堪能。[映画館(字幕)] 8点(2009-01-04 12:13:19)

271.  幕間 《ネタバレ》 ここらへん、シュールレアリズムとコメディとは根が一つだったんだなあ、と思わせる。戦争が深刻になると、シュールレアリズムも陰鬱になってしまうが、もともとは“おかしみ”の新発見でもあったんだ。技術的にはスローモーションの発見。大砲のまわりでジャンプする紳士たちのスローモーション、噴水の上のラグビーボール(?)を射つ男が屋上より転落し、棺のあとを紳士淑女がやはりスローモーションで飛び跳ねながら行進する。棺が疾走し人々も走って追いかける。ジャンプするバレリーナを下から撮ったスロー。とにかくスローモーションの新鮮さが嬉しかったみたい。街を映しただけでも何か違って見えてくる。ふだん熟知していたはずのものが違って見えてくるって、この発見はシュールレアリズムの思想そのままだし。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-02 11:14:27)(良:1票)

272.  ドン・キホーテ(1933) ドンキホーテって、周囲の迷惑を受ける側から見ると、サイコ・ホラーになるな。『タクシー・ドライバー』は、かなりはっきりドンキホーテ物語だった。でもこの映画は、彼を怪物視しているわけではない、全員が騎士道時代の風俗に扮するあたりのシーンはワクワクし、それは何から来るのかというと、周囲は狂った老人を騙しているつもりでも、しかし老人の妄想の世界が伝播してしまっているようにも見え、そういう妄想力にこの映画の観客も少なからず共感しているからだろう。ラストでは焚書された本が逆回しで蘇ってくる、妄想する自由を封じ込めるなんて、できっこないという表明だ。[映画館(字幕)] 7点(2008-12-15 12:06:40)

273.  永遠と一日 《ネタバレ》 この監督が紹介され出したころの作品は、叙事詩と抒情詩が拮抗しているようなところに魅力があったんだけど、どうもこのころから抒情詩のほうへ傾斜していっていて、なんかもう一つ固い芯がほしいところ。叙事詩的な部分の映像のほうがいい。横一列の車、横一列の警官。十名ほどの人がぞろぞろ歩くってのは、もうこの人のサインみたいなシーン。結婚式の場面などは、またかと思うがやっぱりいい(この人はミュージカル監督なんだと思ってる)。そして水辺ということ、海、川、港、ここらへんは抒情詩的な題材だけど。国境の金網にぶら下がる人々、死体置き場の階上から見下ろす人々、つまりどれも“人々”の映像がいいんだ。そもそも“無言の無名の人々”っていうのが、叙事詩的なんだろうな。いつも一縷の希望を託すようなラストだったのだが、今回の朽ちたテラスでの幻影のダンスってのは、この人にしては退嬰的な気がした。[映画館(字幕)] 8点(2008-12-10 12:13:05)

274.  かつて、ノルマンディーで 《ネタバレ》 この映画の成り立ちはけっこう複雑で、順を追って言うと、まず19世紀の昔にノルマンディーの農村で若者が家族を殺す事件が起こる→それを題材にしてミシェル・フーコーが本を書く→それを原作として30年前に、その事件の地元の人たちを使って映画が作られる→そのとき助監督だったニコラが、映画に登場した人たちを21世紀の現在再訪する、ってのがこの映画。振り返るメイキング映画というか、30年前の後始末映画というか。で、どういう作品になるのかというと、最初の殺人事件と、映画を製作するという田舎にとっての30年前の事件とが、奇妙な反復感によって重なって見えてくる。30年前に過去の文献を調べていた当時の製作者、その30年前の映画製作関連の文献資料を読んでいくこの映画の製作者、似たような手書きの文章の画面が反復され、鏡と鏡を合わせたように、人が芸術を創造し続けてきたそのつながりが一瞬垣間見えたような感動があった。元しろうと役者たちへのインタビューは、もっぱら明るい陽光のなかで楽しく語られるが、なかには娘が発狂したもの、動脈瘤の破裂で言葉が不自由になったもの、という歳月の影の部分もあり、そういうインタビューは室内になっている。行方不明になった主演男優がどうしているか、という謎が作品としての緊張になっていて、ついに彼が登場し人々と再会する場が、雨のせいもあり、変にドラマチックにならず、しっとりしていていい。[DVD(字幕)] 6点(2008-12-09 12:17:18)

275.  THEM ゼム(2006) 《ネタバレ》 最初の車のエピソード、ボンネットが上がってて前方が見えないってのが、けっこう怖い。でも邸宅での話になると、なんかどこかで見た場面の連続で、しだいに気持ちが冷めていく。ホラー映画の記憶のパッチワーク、ちょっとブニュエルの『エル』が入ったり、ワイダの『地下水道』が入ったりもするけど、一番気配が似てるのは、意外と『学校の怪談』で、広すぎる邸宅に住むってのは、学校の守衛やってるようなもんなんだ。消したはずのテレビの娯楽番組の笑い声が、かすかに寝室にまで届いてくるなんてのは、学校の音楽室から真夜中になると音楽が聞こえてくる、ってのに近い。この広い邸宅から安全地帯がしだいに狭められて一室に立て籠もっていく、ってサスペンスだと好みだったんだが、後半外に出ちゃって、せっかく圧縮した緊迫が拡散してしまった。自国民が外国で襲われる話ってのも、後味を悪くしている。[DVD(字幕)] 5点(2008-11-26 12:10:05)

276.  迷子の警察音楽隊 《ネタバレ》 真正面からおさえるキッチリした構図、ときどき入る無人の街の光景も幾何学的、そうした中で描かれるのが“人と人との気まずさ”なので、その対照が生きてくる。気まずさ、ってのは否定的なものではないんだな、と思う。思いやり、の変形なんだ。気まずい食卓の場、みんなで陰気に歌うセントルイス・ブルース、あのあともっと暗くなったかもしれないけど、でもみんなで歌ったという記憶はけっして陰気には残らないだろう。それでいいんじゃないか。無理にはしゃいで作られるワキアイアイより。恋の伝授の長回しの場、あれだって“気まずさ”の克服のモチーフだ。エジプト側からすれば迷子だが、イスラエル側からすれば一種のマレビト、恋を成就してくれた神々。ムッツリとごろごろ楽器を引っぱっている神々。イスラエル側からエジプト側に与えたプレゼントは、クラリネット協奏曲のエンディングの示唆だ。赤ちゃんが眠る小さな部屋のような終わり方なんて、うまいことを言う。[DVD(字幕)] 7点(2008-11-18 12:17:43)(良:1票)

277.  マイ・ネーム・イズ・ジョー 《ネタバレ》 前半、若くもない男女が次第に親密になっていくあたりの丁寧な進行。壁紙、70年代ポップスの歌手あてゲーム、セーラの仕事場に行ったとき「ああ、ジョー?」と受付の女性にももう知られていることが分かる、なんて。で、ボーリングを経て、恋人を殴った過去を告白するまでに。いっぽう甥リアム周辺に不吉の影が立ち込め出し、ここらへんからドラマが動き出す。運び屋の仕事を引き受けてしまい、それがばれたときのセーラのせりふ「あたしを殴るの」がむごい。どこかエモーションは、仁侠映画に近いのではないか。主人公の回りをうろちょろするリアムみたいのって仁侠映画にもいるでしょ、殺され役。そして主人公の情感の爆発。ジョーがボスを殴るのは、健さんがドスを抜いたようなもんだ。リアムはジョーの分身でもあり、家庭を持てたジョーでもある。だからリアムが死んでジョーが再生し、ジョーの家庭がおそらく生まれるであろうラストになるわけ。主人公が殺されたり牢屋に入ったりしてこの社会から降りるという安易なラストにならない。地獄でも極楽でもないこの世界に踏みとどまる。いや、極楽ではないが地獄でもない、という順番かな。[映画館(字幕)] 8点(2008-11-09 12:15:30)

278.  セントラル・ステーション 《ネタバレ》 前半で、薄情なせちがらい世を一人で生き抜いてきたドーラをしっかり描いているから、後半も甘さに溶けてしまわない。他人の街、他人の言葉を預かる代書屋、言葉なんて他人にまでちゃんと届かなくってもいいと思うまで、うんざりと他人に満ちている。かっぱらいもあれば臓器密売業者もいる。優しいお姉さんみたいのが罵り声をあげる。そういった混濁からしだいにブラジルの風景によって浄化されていき、カトリックの祭りのロウソクの波もあったなあ、この変化がロードムービーの味わい。ラスト、夜明けにドーラが旅立つ。兄弟の間で寝ていた少年が気配を察しても大声で叫ばないところ、普通の声でつぶやくようにドーラと言うところが泣ける。彼女自身の手紙、祭りのときの写真、泣ける泣ける。[映画館(字幕)] 7点(2008-10-25 12:12:29)(良:1票)

279.  あの娘と自転車に乗って 東洋風の顔立ちで西洋風の髪の少女、それがごく自然に風景に溶け込んでいるキルギスタンの物語。じゅうたんや水に浮かぶお守り(?)や鳥などが、パッとカラーになる。この効果がいい。なにか土地の霊のようなものを刻印しているものに色が着いているような。まあ、カラーフィルム代の節約ってこともあるかもしれないけど。じゅうたんを巻いて何かしている、中に詰めて何かを作ってるのか洗ってるのか、そういう何かよく分からないとこが多いのだけど、分からなくっても、ただ風俗を見てるだけでけっこう楽しい。野の川での魚の追い出しとか、生活が自然と無理なく融合している。清水宏の世界みたい。ラストはカラーのあやとり、これは万国共通。[映画館(字幕)] 6点(2008-10-23 12:10:03)

280.  風が吹くまま 《ネタバレ》 例によってクネクネと道を行く車。子どもに導かれて近道の斜面をのぼると、またそこが上下左右がクネクネの迷路のような住まい。でもこれら迷路のようだけど、迷いこんだという感じはなく、言ってみれば豊かなヒダのよう。この風景というか風物というか空間が、映画のツボだ。ヒダのある豊かさ。丘の上が唯一外界と通じるケータイの聞こえる場所で、それが墓場の中でもある。死の近い老婆がいるが、あっさりとした出産もあり(すぐ洗濯物を干している)、猥談もかわされるし、顔は見せぬが若い恋人同士もいる。人生のさまざまな姿がヒダのように重なっている。死を待っていた主人公が、丘の上で人を救うことになり、その医者を老婆のもとに連れていく展開。天国のように美しい麦畑が映画を包み込んでいる。[映画館(字幕)] 7点(2008-10-20 10:02:00)

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