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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123456
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21.  DISCO ディスコ 《ネタバレ》 これは拾い物です。 一見、「フル・モンティ」や「シャル・ウィ・ダンス」の寄せ集めに見えますが、全編見終われば、全く違った気持ちになるのだった。「EWFの音楽とディスコダンスは最高だ!」。 オヤジ挽回映画の三国バトルについては、最後に来た「仏」がぶっちぎりでトップですぜ。 この作品はもう、ディディエ役のフランク・デュボスクの魅力に尽きているのです。 私はほとんどホレてしまっただ。あの濃いブルーの瞳で見つめられてみたいものです~。何をしていても絵になる俳優さんだなあ。 この人はコメディアンだそうですが、踊りがものすごく上手い。そして「花」がある。 ジェームス・ディーンを中古にしたような外見といい、ガリガリのボディ、なんとなくオネエぽいふるまい…フツーならディディエはゲイとしてのみ成立する。 しかしそこをストレートとしてサラッと納得させてしまう。ご本人はゲイではないらしいですが。「巣から落ちた小鳥のよう」なディディエ役はこの人しかいない、という超はまり役。 演出も細部まで遊びがあって、この作品に対する愛情が感じられます。海の見える丘の上の家とか、カモメにアフロをかぶせたりとか、あと色使いもかわいいです。ノリノリのDJ氏もいいよね。 コレは繰り返しの鑑賞に耐えうる味わい深い作品だと思います。私は26日に録画してから毎日見ていますがまだ飽きません。 フランス映画によくあるあいまいなエンディング後のストーリーは、本編の内容から判断するとだいたいこうなる(はず!)のですが、NYに渡ったフランス(ヒロイン)は何を見ても聞いてもディディエを思い出して涙してしまい(鮭料理とか生肉料理とかビージーズとか)、そんなときウォルテールとスリーズの結婚式のためフランスに帰国することになり(ウォルテールとスリーズは市場などで偶然再会してなぜかすぐさまベッドイン、気がついたら結婚することに)、ディディエと再会し、めでたく結ばれるのです~。頭の中の上映部分まで含めてこの映画だと思うのですが。 とにかく70~80年代のディスコ音楽の誘惑には逆らえず、ウキウキを止めることはできません。中でもラストの「セプテンバー」がかかれば理性はふっとび知能は低下し瞳孔は拡大だ。 あなたもぜひディディエの「セプテンバー」でドキドキしてください! 不満をいえば(ディディエの)ダンスシーンをカットなしでもっと見たかったな。[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-03-31 19:36:33)《改行有》

22.  パリ、恋人たちの2日間 《ネタバレ》 デルピーは作り手には向いていないと思いました。 だいたい、自分で主演してしまったことが、大失敗だと思う。 そらまともな女優を雇うより安く上がるには違いないが、デルピーの場合はウッディ・アレンのように、自分が出ながら自分を光らせてしかも作品を面白くするということはできていない。経験の差ではなく、ウッディ・アレンはすでに「アニー・ホール」からこの点では完璧だったわけです。 思うに…自分で監督して自分が主演するという例では、同じフランス人のテデスキさんの例があり、テデスキさんの場合は自覚的に露悪的なところがあったので単に男と女の差とまで言い切れないけども、デルピーの場合は「自分が好きすぎる」のだ。 フランス人の女優だから「お直し」をしないから相応に老けが入っているのに、まだ「イケている」と思っているからこういう感じになっちゃうのでは。 マリオンて、フツーに困ったちゃんなだけですよね。こういう好き放題なことをやっても許されると思っているのは、「イケているフランス人の女」という担保があってのことです。でも、その担保はもうそろそろ無効。目の下にクマ。口のまわりにホウレイ線。首にシワ。 困ったちゃんの女に、ラストになって独白で本当の気持ちを言わせてハッピーエンドてそら、終わり方としてあまりにも横着で、しかも自分で主役を張ってしまっているのに、恥ずかしくないですか?これが、雇った女優に言わせたのであれば、少しは考えが変わるというものだがダメなことには変わりない。 いくらなんでも、ハンバーガー屋の店員が客に対して英語を「話してくれない」なんてことは大げさすぎるでしょうし、過激すぎるタクシーの運転手とかも「これぞフランス」と言いたいがための水増し的演出でしょう。あーたの誇るフランスとは「みんなが自由に自分の幸福の追求だけに熱心」の「自由」というとこですよね。でも私なんかは「だけ」のとこが気になるんです。 もともと好きじゃないということもあるが、見比べてみると、同じフランス人女優でもテデスキさんに大きく軍配が上がるのだった。これはもう実力でも貫禄でも負けている(テデスキさんは「女優」という作品を撮っています)。[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-03-26 19:13:43)《改行有》

23.  迷宮の女 《ネタバレ》 注意:未見の方は決して読まないでください! はい、だまされました、やられましたよ。こっこのわたくしが…。 しかし、言い訳もしたい。ズルがあるでしょ! まず、この邦題。「女」と言うな。こんなんナシでしょ。原題どおりに、「ダイダロス多重の迷宮」とでもすればいいのじゃ。有り得ません許せません。邦題つけたヤツ、内容見てないんじゃないの。 そして、中身にもズルがあります!病院の中庭で、ブレナックと看護師が、クロードが1人チェスをする姿を見ながら話し合っているシーン。 これはズルでしょ。ナシだと思うよこれは。やりすぎです。 そうはいっても、私も名前を見たときヘンだと思ったんだよなあ。クロードは女子の名前じゃないじゃん。クローディアかクローディーヌのはずなんだよなあ。だから、欧米人ならすぐにわかるのかもしれません。むこうでは、ひっかかる客はそんなに居ないのかもしれない。 さてさて、復讐に燃えるわたくしが2回目を見ますと、もう複線がいっぱい張ってあったことでした! この映画は2回目のほうが面白いです。「こ~んなにわかりやすい複線があったのに、なんでだまされたんだ~」ともだえるのもオツなものです。もう、カール医師と坊主狩りの看護師の態度なんて、ゼツミョ~なんですわ。ちなみに、カール医師はすばらしい優秀な精神科医だということですね。 そして、私は声を大にして言いたいが、コレをハリウッドでリメイクするのはやめてもらいたい。 なおかつ、まかりまちがってリメイクする場合はカール医師にマイケル・ダグラスを使うことだけはやめてもらいたい。お願いしますだ。 多重人格者内の人格どうしでカウンセリングさせ、一方は気付いていないという脚本のアイディアが大変秀逸で、演出の見せ方も心得ている。「アイデンティティー」よりこちらが勝る。サスペンスとしては9点をつけたいが、ズルがあったのでこの点数。 ほんとうにフランス人は煮ても焼いても食えないぞ気をつけろ、うう、やられました。[CS・衛星(字幕)] 8点(2010-03-14 22:10:05)《改行有》

24.  アサルト13 要塞警察 《ネタバレ》 どうしてリメイクなんて考えたんだろうと不審に思うほどに、まったくの別モノですね。 リメイクちゅーのは、そもそも元ネタに対する愛から生まれるもののはずなのに、本家のほうの作品のことを、本気で愛しているとはとーても信じられません。 私は「要塞警察」を最後のほうしか見ていませんけども、それでもこれがバリバリのカーペンター印だってことはすぐにわかる内容だったし、カレが表現したかったものもよくわかる。 リメイクの作り手は、カーペンターとは比べ物にならない凡庸さしか持ち合わせず、TVサスペンスと変わらない内容に仕上がっています。なまじリメイクなどといって話題を呼ぼうとするからカーペンターのような奇才と比較されざるを得ず自滅するのです。リメイクという看板をはずすべきですね。 だいたい、主役刑事の挫折の過去などどーでもいいんです(それもいかにもとってつけたようなショボいものですし。)なおかつ、襲い来る敵との因縁とか正体なんて、もっとどーでもいいんです。それが要塞警察だったのに、そこんとこをそんなにはっきり説明しちゃってどうする。「8人よりも33人の部下と家族のためだ」とか言わせちゃってさあ…ダメダメだ。閉じ込められた恐怖も、理由もなく襲われる不条理感も、倒しても倒しても湧いてくる敵のブキミさも、生き物のように移動する車も、ぜんぶだいなしっ。 それよりも、あのクールな女刑事はどこへ行った。女といえば、リメイク版では、寒さカンケーなく露出度の高い格好をさせられて完全添え物扱いでした。精神科医に超美人は必要ないでしょう、いいかげんサービスとか願望をやめてリアリティを考えてもらいたいアメリカ人はさあ。なんのために秘書がエロくて網タイツにならないといけないのかね、外は大雪だというのに。 さて、女の扱いをテキトーにしていると、それは国家であっても企業であっても戦国大名であっても勝ち組にはなれないのが歴史の法則です。もちろん映画もそうです。 皆様これからは「女の扱い」がどーなっているのかをチェックしながら映画やドラマを見ていくことで、ダメダメな作り手を見分けましょう。有り得ないよなあ真冬に下着姿でウロウロと。[CS・衛星(字幕)] 4点(2010-03-09 20:08:44)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

25.  サイン・オブ・デス 《ネタバレ》 ネタばれします。 ネタが…ショボすぎると思うのは私だけでしょうか…。 あとなあ、二度と会わないはずの昔の仲間の写真を冷蔵庫に張るバカがいるでしょうか…。 もっというとなあ、彼女はいったいどうやって毒薬を手に入れ、なおかつ相手の抵抗をものともせず首筋に注射したのでしょうか…。 ありえへん。 どうでもいいことかもしれませんが、主人公の警視役の俳優さんの身長がずーっと気になって集中できませんでした。背、低すぎませんか。全員見上げて会話してますけど。 アル・パチーノとかトム・クルーズクラスの大スターならば、その低身長も個性のうちと了解して見られますけども、よく知らない俳優さんが主人公でこうも身長が低いと気が散って仕方ないんですよね(しかも共演者はみんな背が高いし)。 それと東洋人の女のハダカを出すとか全然要らないラブシーンなどは本当にやめてほしい。誰に対するサービスにもなってないってことを早くわかってほしいです。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-11-24 22:13:32)《改行有》

26.  ハンニバル・ライジング 《ネタバレ》 ホメたいところもあるのですがまずはダメ出しをはっきりしてからにしたいと思います。 コン・リーが日本人だって?? 冗談やめてくれよ。んで原爆で家族が死んだって? んなわけないだろコン・リーが。 勘弁してくれよ本当に。東洋人なら誰でもいいって態度はさあ。サユリとかさあ。 一言も日本語をしゃべれないコン・リーに日本人をやらせるというのは、日本人バカにしてると私は思うからね。日本で売らないつもりならともかく、やめてくれよ本当にこういうの。 私はさあ、島田陽子でも許しましたよ。丁度いいじゃあないですか。コン・リーじゃ若すぎるしさ。往年のSHOGUNファンの外国人も喜んでくれるしさあ。いいじゃないですか島田陽子で。 それからなあ、究極のチカラを手に入れるために「東洋の神秘」が必要だったっちゅう設定はどうかと思いますよ。ベスト・キッドじゃないんだからさあ。だいたいヨロイカブトや真剣を海外に持ち出すか?あんまりイージーすぎて開いた口がふさがらない。そして基本的にですね、日本人の中年女だったら、エロで年下の美青年を虜にするなんてことはありえないわけです。岡本かの子は例外中の例外ですから、まずそういう日本人の女はいません。 日本人の女にエロを期待されてもダメなのです。そこんとこわかってないよなあ。 そんなことで、「東洋の神秘」を出したことと若すぎてエロすぎるコン・リーを出したことと、もひとついえば、すべてが時系列なものでまるで「あらすじ」を見せられているように感じられるところがダメです。なんというか、未熟な作り手と思われます。私が作り手なら、老婆になって盲目のムラサキが、介護人に回想を語る場面でつなぎます。そしてもちろん、その聾唖(のふり)の介護人は…なのです!こっちのが良かったと思いませんか。 しかし唯一、ウリエルくんはイイ!!というかウリエルくんだけが、みっけものでした。この子は凄みがあるし、アクションもイイ。よくこんな子を探してきたなあ。 さて常々私がハンニバル・レクターにふさわしい俳優だと主張しているイギリスのジェレミー・ブレットですが、ウリエルくんが中年になったらまさしくカレの風貌になりそうではないですか。ついつい喜んでしまいました。間違ってもアンソニー・ホプキンスのような町工場のオヤジ顔にはなるわけはありません。だれだホプキンスを起用したヤツは責任者出て来い~。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-10-30 21:37:22)《改行有》

27.  私家版 《ネタバレ》 テレンス・スタンプがどうしても貴族に見えないということを除けば、スマートでよくできた作品だと思います。カレについてはほかの映画でやってきた役どころとの差が大きすぎるうえ、ひいき目に見ても貴族顔ではないですよね。貴族顔ってどんなのかと問われれば、それはダントツでドラマでシャーロック・ホームズを演じていたジェレミー・ブレットです。私はハンニバル・レクターに最もふさわしかった俳優さんは彼だと思っています。英国人はテレンスが貴族を演じることについて違和感は感じないのでしょうかね。日本でいうなら萩原健一が華族を演じるに等しい感覚なのではと思いますが。 復讐とはこうやってするもんだ、というお手本のようなストーリーです。最後まで相手に悟られない復讐こそ、本物だということですね。 そういうストーリーを淡々と見せることを前面に出した作品なのですが、それなら恋人の姪は要らない存在だったのではないかということになります。 なぜ彼女を登場させたのかと考えると、やはり復讐が完結するまでの間にエドワードには何度か「別の人生を選ぶ」チャンスが与えられて、それでも一方を選択したということを強調したいためでしょう。 恋人そっくりの若い女と結婚すれば、自分は初老でも子供だってこれから作れるし、彼が昔得るはずだった幸せを30年後に手にしたことになるかもしれなかったのです。 彼女が言うように、「過去」を選ぶか「未来」を選ぶかという選択をエドワードはしたということなのです。 が、そのわりにはそれについてのエドワードの逡巡はまったく描かれていないので、カレがそんなに悩んだかどうか観客には判断がつきにくい。 若い女との未来に対してどの程度食指が動いたかなんてわからない。 そこんところが、鑑賞後の物足りなさにつながります。もしかすると、尺の関係で姪との重要なシーンがかなりカットされているのでは?カレが犠牲にしたものが「明るく幸せな未来」であったということをもっと強調するべきだったのかも、と思います。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-10-18 15:17:22)《改行有》

28.  秘密と嘘 《ネタバレ》 ジャン=バプテストって知的で雰囲気があって好きなんです。今はTVドラマでFBI捜査官などをやっていますね~。当然ですが若い頃はもっときれいだったんですね。 私は「人生は時々晴れ」のほうが良かったと思いました。ビンボーなイギリス人を描いて同じような感じですが、「秘密」のほうはきれいにまとめすぎている、「人生」のほうが、ダメさにおいて掘り下げていたと思います。 さて、全体を通して何を感じるかというと、どうしても「人は生まれでなく育ち」ということになってしまいます。 シンシアのような頭の足りない女性と彼女をレイプしたチンピラ黒人の間から、ホーテンスのようなまともな子供ができたわけです。一方、シンシアに育てられたロクサンヌのほうはほぼ同じようなダメ女になっています。 この状況を見ますとどうしても「人は生まれでなく育ち」という感想を持たずにいられないわけです。 また、ホーテンスのような自立した知的な女性が、血縁関係があるとはいえシンシアとロクサンヌのようなダメ親子を大した葛藤もなく家族として受け入れたことも、あまりに安易な展開と思えてしまいます。 まあ私はシンシアのような女性にこれっぽっちもシンパシーを感じられないもので、意地の悪い感想しか出てこないです。身も蓋もない言い方をすると、中出しOKの女性に出会ったならそれはシンシアのように本当に頭が足りないかデキ婚を狙っているのどちらかなので、あなたがまともな男性ならば「ゴムがないなら絶対にしない」という女性を選ぶべきでしょう。今の時代に女性の態度が中出しOKだった場合、それがどういう意味なのか分からないようなら、そんなあなたは「しない」ほうがいいです。 中出しOKの女性にも、その相手となる男性にもこれっぽっちも共感できませんもので、個人的に本作はイマイチ。ただ、明らかにされなかった秘密がもうひとつあったとして、それが私の想像通りであったなら、話はもっと悲惨だし違った演出をするべきでしたね。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-09-25 14:30:27)(良:1票) 《改行有》

29.  NINE -ナイン- (2005) 《ネタバレ》 デニス・ホッパーって安い作品にちょくちょく出る人なんです。たぶんお金に困っているのだと思います。私にとっては永遠に「地獄の黙示録」のジャーナリスト役なのですが。 それはともかく、これはしまりのない企画倒れでした。なんか安っぽい音楽をえんえんと流してスロモ映像をかぶせるとか、いいかげん飽きます。リアリティはないですけどこういう密室スリラーはリアリティを失ったら価値が激しく下がってしまいます。 「職業には配慮した」と声の主が意味深なことを言っていたわりにはそれがあんまり生かされていませんでした。ほめるところはダンサーの子がナイスバディだったくらいです。デニス・ホッパーはやっぱりお金に不自由しているのだと思います。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-05-07 14:09:22)(笑:2票) 《改行有》

30.  過去のない男 《ネタバレ》 うう。 「お母さんはどうした」って、あのセリフが引っかかってしようがないのですが、そうすると花守湖さんのおっしゃるとおりなのでしょうか。なぜあそこで妻の母の話が出る。 そうすると根本的に違う話になってきます。私はうっすらと「過去がない人間がいったいどうだというのか」と考えながら見ていたのですが、素直に見ると「過去がなければ悪意ももたない」というふうに見ることができます。 この話でもっとも重要なのは「悪意と善意」です。ぜったい悪意がありそうな人が、実はそうでもなくて助けてくれるという、私たちが通常認識している「この世界」とは違う世界がここにある。 「過去がなければ悪意をもたない」のなら、「悪意は過去に原因がある」であり「過去の出来事が人に悪意をもたせる」でしょう。 けれどけれど、花守湖さんの説のとおり、そして「お母さんはどうした」を素直に受け止めるなら、カレは「過去があるけど意図的に悪意を捨てようとしていた」になります。そして作り手はカレに何も説明させないので、うっかりと見過ごしてしまいそうになります。 すると、溶接工なのに「オレは農民だから」とじゃがいもの処分方法についてしつこく説明するとかいう部分はなんだったのでしょうね。身元を隠したいなら港で突然溶接作業を手伝ったのはなぜなのか。 カレの行動は謎だらけで、カウリスマキの意図は解明できません私には。 とりあえずカレは「悪意を捨てる」ことに成功しました。意図的にか、図らずもかは不明ですが。 そして1人も魅力的な容姿の人物が出てこないこの作品を見て、うすぼんやり思いました。私たちは若くなくても、美しくなくても、お金がなくても、役に立たなくても、〝生きていてもいいのだ〟と。それどころか〝恋をしてもいい〟だし〝他人の善意に甘えてもいい〟でさえあるのです。 こういう感想を抱かせる映画はあんまりない。死にたい気分の人はぜひ見てほしい。 それから「なぜ電車の中で寿司を食う!ジャパニーズ・サケを飲む!クレイジーケンバンドのムード歌謡を流す!」!! この監督は馬づらの女性が好みみたいです。なかなかひねった趣味です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-02 12:59:26)(良:2票) 《改行有》

31.  13/ザメッティ 《ネタバレ》 モノクロ映像にしてやられた感じがします。 今の時代に白黒で撮るには理由がちゃんとあるはずで、この作品の場合はものの見事にそれがはまっています。しかし。 しかし私は白黒問題にはこだわりたい。というのはここではスタッフや役者の経験不足による「嘘っぽさ」を隠すためと、「話の荒唐無稽さ」による「嘘っぽさ」を隠すためという二重の理由で白黒が選択されているからだ。 結局のところは「ボロ隠し」ではないか。 「白黒だから見たくないよん」という観客を切り捨ててでも、白黒を選択しただけの効果が充分に上がっていると思います。だから、やっぱりズルいと思うんだよね。 これがカラーだったら、と思いながら見てみますと、かなり作り物っぽくなっていたことは間違いないですね。だが。 60年代じゃないんだから、カラーで勝負しろよと私は言いたい。キューブリックは「2001」を白黒で撮ったか?あんな荒唐無稽な話を? う~んやっぱり単に私が白黒を嫌いなだけかもしれない。しかし、コレは「荒唐無稽な話を白黒で撮った」という点を売りにしているのだ。内容に深遠なものは何もなく、「ゼニゲバな人びと」という題名がぴったりくるのだ。やはり今回はズルだと思いまス。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-04-01 16:26:38)《改行有》

32.  ぼくのバラ色の人生 《ネタバレ》 画面がカラフルでとてもかわいいです。幸せな気分になりそうな配色です。 でもそれは目くらまし。これはすごく巧みな脚本です。唸らされる。 この予定調和の無さ加減といったら、爽快です。期待を裏切り続ける展開は見事。 始めは息子可愛さに大目に見ていた母親のほうが、退学後は手のひらを返したように冷たくなるとか、会社をクビになった父親のほうが妙におおらかになったりだとか。 ここに描かれているのは「子供だから許される」ということのないむき出しの世間です。日本やアメリカでは有りえないでしょう。 そして親たちの態度がとても奇妙だと思いました。ここの親は、ちょっと見にはフランス人らしく子供も一人前扱いして主義主張を尊重しているのかのように見えますが、実は全然まともに子供を相手にしていません。子供のすることはひたすら受け流しているみたい。カウンセラーもそうです。 リュドの奇異な言動に対して、「ああもう」とかいう「個人的な反応」をするだけで、フォローというものが全然ないですね。やりっぱなし、という感じ。 フランスではこれが普通なんでしょうかね。それとも意図的なものでしょうか。 ラストはグズグズになってしまい、残念です。大人になったリュドの近況で終わればよかったのではないでしょうか。完全なニューハーフとして生きる「彼女」の。 ともあれなかなか面白く見られます。リュド役の子のふてぶてしさには苦笑しますが、だから「虐待」というふうに見えないのかもしれません。隠れた良作です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-15 17:15:24)《改行有》

33.  酔いどれ詩人になるまえに 《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) 《改行有》

34.  バベル 《ネタバレ》 ある日録画した。 「録画したから見なければ」と出だしの2~3分でげんなりしてやめる。 「見なければ」とさらに次の5分も行かないうちに力尽きる。 「あああいつをナントカしなければ」と悶々としつつ数日が過ぎる。 新しい録画はどんどん消化して消去していくのに、これだけがいつまでも残っている。 さあどうしよう。…というほど、私にとっては重いイニャリトウが。 これほど先に進めない映画とは。重い。重すぎる。 最近の私はハーベイ・カイテル「ブルー・イン・ザ・フェイス」のような映画こそ優れていると思うようになったため、シリアス度が高いからいいなどとはこれぽっちも思わなくなったのだった。 なぜなら、人は誰も死ぬ順番を待っているのだし、この世は不公平だし、そのためある程度生きると人は笑いが必要になるものだと気がついたので。なのでドシリアスなものにはリアリティを感じなくなる。 で、イニャリトウですが、彼の世界はシリアスだけで回っています。うっとうしいです。「そんなわけないだろ」と突っ込みたいです。 ひとつの銃で物語を回そうとしすぎて設定に無理が出すぎてしまい、とんでもないことになっています。日本の都会に住むリーマンのおじさんは、猟銃を買って自宅に保管したりしません絶対に。なので、その銃で妻が自殺することは有りえません。なおかつ、日本のお父さんは、モロッコまで行って鹿を撃ったりすることも一生ありません。ないといったらない。だいたい、猟銃を持って飛行機に乗れないし、モロッコの税関も通れるわけはない。もっというなら、娘のバレーボールを見にも行かないし、車で連れて帰ったりもしないし、ベランダで素っ裸になっている娘を発見してそっと手をつないだりもしない。 いいですか、これは、アメリカのお父さんを役所がやっているだけなんです。ワールドワイドな話にしたいばっかりに、間違って日本を巻き込んでしまった作り手こそ「愚か」です。 また、鍋での放尿シーンだとかノーパンで歯科医を誘惑する女子高生だとか、ショッキングなシーンで印象を強めようなどとは志が低いの一言。 ということで、ラストのベランダシーンにもなんの感動も感心もなく、げんなりしっぱなしでした。チエコ役は、「フルに脱げるか否か」という基準で採用されたのだと確信しました。 ちなみに、どうやって我慢して最後まで見たかというと、誕生日だからというドサクサでした。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-21 20:53:34)(良:2票) 《改行有》

35.  クィーン 《ネタバレ》 イギリスで女王を演じるといえばヘレン・ミレン、ヘレン・ミレンといえば女王、というようなことになっている。先日、エリザベスの一世を演じたTVドラマを見たが、もはや別の女優が女王を演じることはムリであろう、というくらいに1人勝ち。 さてこの作品は、イギリスの大衆や王室の事情について、上っ面やおべっかでなく描いた優れた一品だと思います。 全体を見終わってどういう感じを抱かされるかというと、「ダイアナは厄介だったのだ」という、極めて客観的な事実の再確認、だと思います。 若くして悲劇的な死を遂げたことによって、この「ダイアナは厄介」という事実を誰も指摘しないし認めないということになってしまった。 しかし、どう考えたって、やっぱり「そう」だったのです。そして、作り手は「大衆の絶対的支持」などというものに押されず負けず、「そのこと」をはっきり指摘してみせたというところがすばらしいです。こういうものが出るからイギリスという国はあなどれないと思います。 さて私は個人的にはダイアナのような人間が好きでなく、女王やその夫が「厄介」と苦々しく思う気持ちが分からないでもないのです。一言でいうと、ダイアナのような女性は「肉体派」(セクシーという意味ではなく)なのです。 ダイアナを「肉体派」という場合、その反対は「知性教養」です。 「肉体派」は本を読まず、文を書かず、生涯勉強というものはしません。日本人なら、読書より絵手紙や社交ダンスに走るタイプ。ダイアナはそういう女性でした。 しかし、私や女王一家が眉をひそめるその「なりふり構わず愛を求める」みっともなさが逆にウケてしまいます。本人も「おっ意外にこれでイケるかも」と思います。 「ダイアナは厄介」だったのです。死んでくれてほっとしたけれど、死に方が死に方なだけに、「死んでまで厄介なダイアナ」ということで、女王は国民に嫌われそうになって困ります。 けれどこのとき、女王が自らに嘘をついてまでいちはやく半旗を掲げ、弔意を表明し、ダイアナの死を悼んだとしたら、とってもヘンじゃないでしょうか。それが「女王」でしょうか。 私は、ウソの下手なこの人がとても可愛い気がしてくるし、「女王の陰謀説」が有りえないということも納得できる。 一つ難をいえば、ブレア役の俳優が全く似ていなかったことが気分を下げる。[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-02-21 15:35:09)(良:1票) 《改行有》

36.  パリ、ジュテーム 《ネタバレ》 疲れたー。 私が思いますに、やっぱり「5分」というのは短かすぎるのではないかと。 短すぎるもんだから、どの作り手も「はあはあ」言いながら詰め込んでいる感じがキツいです。 そして、これだけの数のエピソードを見せるのに、約束事が「パリ」というだけではキツかったと思う。具体的に、「人が死ぬシーンは無し」とか「キスシーンは無し」とか「暴力も無し」とか、もっとシバりをするべきだったと思うのです。でないと、「5分」ということで案の定、どうやって印象を残そうかと思ったら「暴力をふるわれて」「死んだり」させる作り手が出てきてしまうではないですか。または、「ドバッと血を流す」とか。 「理不尽な暴力をふるわれて死んだり」「ドバッと血が出た」場合に、そういうことをしない作り手と同じ土俵で5分を張り合うのはヘンじゃないだろうか。ヘンだと思うけど。 「どうやって目立つか」だけを考えているうちはこういう作品に参加する資格はないのだたぶん。 そして、「約束事」をもっと入れるべきだったし、「禁じ手」だけでなくて、「必ず○○を一箇所入れるべし」というような遊びを入れてしかるべきだったと思います。そういうことがないので、なんだか見る側はごちゃごちゃした気分になっただけ。 唯一認めたいのはニック・ノルティが親父役をやった一篇。大変巧みな脚本です(あの娘と友達はレズビアンということですよたぶん。息子は体外受精ということ)。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-11 14:55:11)《改行有》

37.  ヒューマンネイチュア 《ネタバレ》 スパイク・ジョーンズとミシェル・ゴンドリーとチャーリー・カウフマンが集結したというと、知る人ぞ知るものすごいスタッフ陣ということになるのであろう。映画界で最もエッジーなところにいる彼らの才能が…結集したと…言えるのだろうか??? 皮肉で人を喰った演出はちょいとキューブリックの「博士の異常な愛情」の雰囲気を真似たような感じがする。テーブルマナーを学ぶネズミとか多毛症の女性とか類人猿として育った人間とかが、すべて何かの象徴として提出されているといううっとうしい話なのだが、決定的なものが足りないのです。 それは、「突っ込み」役の存在だ。だいたいここでは全員がボケているわけだから、ボケたまま話がどんどん進むとそれは、「わかるヤツだけにわかればいい」ということになってしまいます。 ボケには突っ込みが必要なのです。…つまり「アダプテーション」におけるチャーリー本人の役割のような、「ボケている事物に対して違和感を表明する」キャラクターがどうしても必要なので、それはライラ本人が独白でノリ突っ込みしつづけるということでもよかったし、でなければ第三者的な立場のキャラを創設して突っ込ませ「違和感を表明する」べきであった(もちろん突っ込み方はソフト突っ込みでもかまわない。)。 そうなっていないので、「ヘンな人たち」が「ひたすらヘンなことをしている」というふうになってしまうのです。 全員がボケているだけでは、見世物にならない。 だからイマイチつまんないのです。基本ができていないので、この3人は日本のお笑いで勉強したらいいと思う。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-01-11 15:29:56)《改行有》

38.  あるいは裏切りという名の犬 《ネタバレ》 カントクさんは元刑事だということですが、それがほんとなら、それゆえ肩に力が入ってしまったのだなあ…という感想です。 誰よりも良く知っている(と思っている)ことを説明しようとすると、力みますよね。 より良く知る者こそがより面白い映画を撮るのかというとやっぱり違って、専門知識がたくさんある誰かが撮るより、キューブリックやリドリー・スコットやマーティン・スコセッシのような映画の天才を持つ者が撮ったもののほうが、間違いなく面白いのです。 残念ながらこのカントクさんはあんまり才能があるとは私は思えなかった。 同僚の殉死シーンとかあんまりにもお粗末だったし、「決して○○するな」というとそっちの方向に必ず転ぶし、女性は完全に戦利品扱いである。面白くはありません。 また、出世欲、権勢欲に取り付かれたクランの行き着く先が、警察主催の晩餐会って、あんまりにも通俗的でつまらないですね。そんなもののために、クランは散々手を汚して危ない橋も渡ってきたのかと思うと、それじゃフツーすぎますから、クランけっこうつまらないヤツ…。 何かもっと「あっ」と言わせるようなクランにしかわからない目的があったらばなあ。でも、この話自体が通俗的な常識を超えられない、超えていないのですからそれはムリというものでしょう。それはつまり作り手が常識的な人物ということで、権勢欲に取り付かれた人間は晩餐会で喜ぶだろうという…ああつまんないですね。フランスの警察ものでは、「ブルー・レクイエム」のほうが何倍も質が良かったです。[CS・衛星(字幕)] 3点(2009-01-07 14:30:21)《改行有》

39.  ヘヴン 《ネタバレ》 クッシーの遺作脚本だそうです。 トム・ティクヴァは有望株とされてるらしいが…どうもモノマネに終わった感じだ。 だいたいクッシー作品の重要人物がネイティブの英語をしゃべってはダメでしょう。 今までケムにまいて高尚化してきたことが、英語ということでいっぺんにそこらの作品と同レベルにまで引きおろされてしまう。 究極の愛とは相似形になることなのか…というようなテーマが感じられますが、それなら、それならばー、ケイト・ブランシェットではやっぱりイカんではないか。 だいたい二人の名前まで同じにして強調しているわけだから、ここはフィリッポと同じダークな髪と瞳の女優を当てなければ意味が無いではないか。逆に、フィリッパに金髪の男優を持ってくると、ハリウッドぽくなってしまうのでダメなのです。ああキャストがイカんかったです。 フィリッポのフィリッパに対する感情は、「ドラマチックなシチュエーションにおいて発生したファン心理」なので、「ファン心理」ということで「相似形」になっていくわけです。 「ファン心理」とは「あなたになりたい」なので、普通の男女間では自分に無いものを求めたりしますがここではどんどん同じになっていきます。「とんでもない間違いをおかして自分を捨てたい女」と「あなたになりたい男」がドンピシャではまってしまったのです。そして、どちらかがどちらかになるのではなくて、二人ともボーズ頭の性別年齢不詳の人物になるのです。 フィリッポの父親が訪ねてきたとき、一度は「連れて帰ってください」と言ったフィリッパは、「愛しているのか」と聞かれると「愛している」と答えます。 このときの彼女の心情を想像すると、「私と彼はもう同じ人間なので区別がつかない。離れていたって、自分が死んだらどうせ彼も死ぬだろうから、ここで引き離されることにあんまり意味は無い」というようなものだったのでは。 このような話であるならば、それを演じる男優と女優の外見が全く似ていなかったというのは悔やまれますね。ラストの効果とかも全然違ったと思います。クッシーはどういう配役にしたかったのかなあ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-27 17:21:21)《改行有》

40.  トリコロール/白の愛 《ネタバレ》 そもそもの前提がまちがっているというか、離婚の法廷で性的不能を公言されたからといって、人格を全否定されたことにはならないのではないだろうか。 そういうふうに感じてしまうカロルのほうに問題があるのだと思います。 男性はそんなに性的能力にこだわるのはやめたほうがよくて、「セックスをしてくれない男だから嫌だ」というより「カロルが嫌だ」なので、女は追い払いたいからそう言うのです。 なので私はカロルの絶望は「勘違い」とか「考えすぎ」であるということにします。確かに、放火犯にまでしようとするドミニクはかなりひどいですが、そうでもしなければカロルを追い払えないからでしょう。 すると、その後のカロルのしたことは全部無駄な努力です。そして、ところどころで、ドミニクへの復讐を忘れて楽しく生きるチャンスがあるのになあ…というふうに感じられてとてもバカバカしいですね。 たとえば、ミコワイに空砲を撃ってやって彼の人生を救った時点。彼は他人のためになることができるのです。ここで方向転換したらいいのに。 出発の朝。ちょっとヌケている人のいい兄貴がチェリーのジャムを持たせてくれたとき。家族はありがたいじゃないですか。死んだふりなんかやめたらいいのに。 この話に徹底して欠けているのは「母」的なものです。カロルの母はたぶん死んでいるから出てこないし、ドミニクの母も出てこないし、二人の間に子供もいないから当然ドミニクに母性もない。 乙女の胸像を崇めるカロルは、たぶん結婚相手を偶像化し、セックスできなくなるのです。なおかつ私は、この話のどこにも存在しない「母なるもの」をも、妻に求めていたのだと思う。なおさらセックスなんてできません。 さて、首尾よくドミニクを罠にはめ、「これでイーブンになった(から愛し合える?)」と思っているカロルはドミニクに愛してもらえるのか。根本の原因を反省していない彼はまた追い払われると私は思いますが。[CS・衛星(字幕)] 5点(2008-12-27 15:40:24)(笑:1票) 《改行有》

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