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81.  エレンディラ ヒロインは海に憧れ続け、ラストでやっと海のそばにテントを立てるが、また砂漠のほうに逃げていく。この青空が印象的で、海の青より空の青を選んだ、という感じ(青と言えば、初めて体売られたときカーテンを青い魚が過ぎていく。「百年の孤独」に、ずっと雨が降り続いて湿度が上がった室内を、魚が泳ぎ過ぎていくってイメージがあって、好きだった)。マルケスの小説って凄く映像的だと思ってたんだけど、やはりあれ文学なんだな。この映画で一番美しいイメージは祖母の夢語りなんだ。エイが空を飛んでいくような。その瑞々しさに比べると、ガラスの変色など、実際の映像で示されるとかえってイメージがしぼんでしまう。そこだけが特異点として浮き上がってしまう、日常の中の非日常として。全体が溶け合ったものになってくれない。さらに言えば、あの仕掛けはどうなってんのか、などとあらぬことを考えてしまう。これ映像の不利な点ですね。修道院から帰ってくるところがミソか。幸福と懐かしさで、彼女は懐かしさのほうを選んだってこと。[映画館(字幕)] 7点(2013-01-30 09:57:34)

82.  冬の旅 他人の目を通した『少女ムシェット』というか。共感を呼ぼうというのではなく、理解不能なところを残したままで、でもこういう少女がいるという実感を描こうとしたのでしょう。やりたいこともない、「放浪じゃない、放埓だ」と人に言われ、社会との関係をうまく取れなく、不器用なのか純粋なのか、どんどん自由=孤独のほうに偏っていってしまう力学が描かれた。一人旅ってのは、プライベートな時間だけにしてしまうと同時に、自分を社会に曝してしまうことでもあり、それをうまくまとめるには「祭り」という儀式が必要なんだろうけど、彼女の場合その祭りによって最後の追放を受けてしまう。これが自動車の一人旅だとまた違うんでしょう。プライベートな空間を携帯して、いわば部屋ごと移動しているようなものだから。転落への軽蔑と自由への憧れがきれいに釣り合い過ぎてしまったかな。チュニジア人がマフラーのにおいを嗅ぐカットはホロッとした。[映画館(字幕)] 7点(2013-01-03 10:01:56)(良:1票)

83.  愛を止めないで 遠くの恋人に会うためにスクールバスジャックした気のいい青年のコメディ(と見ていいんだろ?)。本人はダーティハリーみたいな緊迫を期待してたのかもしれないが、そうはいかない。いたってノドカ。まずなかなか「世間」が顔を現わしてくれない。窓の外には牧歌的な風景が続くばかり、人質たちも自分を憎んでくれない。ピクニック気分。どれだけ進んだのか目印になるような建築物がなく(こういう話だとだいたい途中に一度は橋を渡って別の生活圏に進んでいくってイメージがあるものだが)、それがないから同じところをグルグル回ってる感じ。で「遠くの恋人より近くの人質」ってな親近感の移行が起こってくる。恋人が「世間」になり、人質が「隣人」になってしまう。困ったものだ。バスに置き去りにされ広いところで子ども二人の保護者のようにポツンと立ってるあたり秀逸。子どもがピストルで遊ぶあたりもおかしい。女教師に「ちゃんと保管しといてよ」と叱られて、ピストルを返される。車体に書かれたSOSが子どものいたずらと思われちゃうってのもあったな。犯人自身が子どものようなもので。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-16 10:15:08)

84.  アタラント号 《ネタバレ》 花嫁が船上を歩くシーンが美しい。見送りの人々の姿とか。棒みたいの使って飛び乗るの。皮膚に心地よい風が当たっているような感覚があります。芸人の誘いのシーンのまがまがしさ。いろいろ渡り歩くその乱れが、花嫁の心の乱れと重なってくる。すごいローアングルで船繋ぐとことか。レコードのギャグは、若者が合わせてアコーディオンを弾いていたという落ちが付く。結論としては、もひとつピンと来なかったんだけど、随所のみずみずしさは素晴らしい。みずみずしさを味わえればこの映画はいいのかもしれない。そう納得させてしまうのも監督の腕か。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-07 10:10:40)

85.  トト・ザ・ヒーロー 社会学的に見ると、アイデンティティの不安とか何とか、人生論的に見ると、他人への妬みや呪いを支えにして生きることの不幸とか何とか、心理学的に見ると、ユングの影とか何とか、いろいろ出そう。面白いのよ、一応面白いんだけど、なんちゅうか、作者の設計図が見えすぎちゃってるというか、醒めすぎてるところがあって、酔わせてくれない。ちょっと窮屈。若い監督なんだから(当時)、もっと破綻ぎりぎりの冒険もあってほしいところ。ラストの笑いはなんだったんだろう。他人を呪うことで支えられていた自分の人生の空しさを知ってしまった絶望に裏打ちされた笑い? 人生ってものを哄笑するような、ドロッとしたような、他人に対する呪いがもう社会を超えて神にまで向かったような。自分の人生を他人に奪われたと思い込む人間ってのにピンと来るか来ないかが、本作を楽しめるか否かの分かれ目のよう。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-02 09:42:03)

86.  我等の仲間 友情の崩壊ストーリーよりも、田園の美しさに見惚れた。田園っちゅうか、川沿いのあたり、川遊びとかね。白黒だと木々の色が出せなくて駄目だろうと思いがちだが、かえって光に敏感になるので美しい。冒頭から木々の並びを流す画面だった。堪能堪能。開かれた祝祭気分の仲間うちの世界、これが一人ずつ去っていくことになるんだが、完全に分解しないで、最後二人だけで友情よみがえって終わったとしても、ちっとも甘くないと思うよ。悪女にリアリティなくても、それに振り回される男のほうに説得力があるからいいのね。みんなで瓦を飛ばされないように屋根に寝たのが一番の思い出だぜ、なんてのがいい。この監督は、巨匠というより名匠という言葉が似合う。(ハッピーエンドの版もあるらしい)[映画館(字幕)] 7点(2012-11-02 10:04:56)

87.  大いなる幻影(1937) 職業軍人たちの誇りと焦りと諦め、というあたりがよく出ている。仏のほうはもう次の世代へ譲り渡そうとしている。独のほうは最後の礼儀正しさで、自分の階級をまっとうしようとしている。そしてその次の世代というのは、より残酷な世界大戦で闘うことになるわけだ(当時のルノワールが予想していたわけではなかったろうが)。各国語をそのまま使っている。ジャン・ギャバンが次の捕虜に地下の穴を伝えようとするが「ワタシフランス語ワカリマセ~ン」となる。あるいは逃走中のロマンス。互いに理解できぬ言葉で語り合う場面の哀切さ。あるいは独房でフランス語を喋りたい、と叫ぶ。戦争を言葉の面から描いたのが貴重。演芸会に至る部分はよかった。女装の男を見てみながシーンと静まり返ってしまう。あるいは窓辺での会話「子どもたちは兵隊ごっこ、兵隊は子どもの遊び」って。当時のヨーロッパの細かな情勢や文化に詳しいと、もっと面白そうな部分はある。国境も幻影だが、最後彼らが撃たれなかったのも、国境に守られたからな訳で、ここらへん皮肉なのか。そういう感じでもなかったな。[映画館(字幕)] 7点(2012-10-31 09:37:40)

88.  どん底(1936) 《ネタバレ》 普通なら理解し合えないはずの者たちが・理解し合えっこないはずと信じ込まされていた者たちが、コロッと意気投合してしまう。会った瞬間に友だちになれてしまう。なんという人生肯定。この作品で一番印象深いのは男爵だろう。「身を落とした」などという意識は微塵もない。草原に寝転がる自由を心の底から満喫し、自分の選択を全然後悔していない。理想主義的すぎるとも思えるけど、でもいい。フランス映画でよく感じる「のんき」の尊重。けっきょく今まで自分は衣装を替えていただけだ、という述懐もあった。自殺してしまう役者とペペルの対比もある。遠い夢の病院と、現実の地道な生活への一歩の違いということか。マドンナが役人に口説かれてしまいそうになるときの陽の光の美しさは、親父譲りだな。というわけで黒澤版の暗~い『どん底』とはずいぶん印象が違うが、本家ロシア人が見るとそれぞれどんな感想を持つのか、ちょっと興味がある。[映画館(字幕)] 7点(2012-10-26 10:04:26)

89.  ダントン 映画はシナリオ文学ではないのだから、言葉にだけ感動してはいけないのだろうが、これは一つ一つのセリフに革命に対するワイダの思想の練り返しが感じられ、重い。人民の政府であるはずの共産国の作家が「人民の敵は政府だ」と叫ばねばならない悲痛さ。実質の主人公であるロベスピエールが「ダントンを裁いても裁かなくても革命は崩れ去る」という恐怖。人民に誠実であり続けるためにはダントン的人物が必要であり、しかしそういった人物が革命の輪郭を溶かしていったりもする。当時はダントン=ワレサとすぐに思わされたが、おそらくもっと普遍的なものとして捉えようとわざわざ過去に題材を採っていたのだろう。人民のための革命が専制独裁になっていくメカニズムが今までにも何度も繰り返されてきたのはなぜか。恐怖政治下の人々の描写がリアル。身分証明書を求められて怯える少女や、革命憲章をビクビク暗証させられている少年などがよく、これがラストのロベスピエールの恐怖と共鳴する仕掛けになっている。全体に青ざめた色調。[映画館(字幕)] 7点(2012-10-09 10:33:58)

90.  嘆きのテレーズ 《ネタバレ》 殺人ありユスリありの犯罪ドラマだが、極悪人がいない。みんなささやかなレベルアップを求めているだけで、ちょっとした自由や安定に手を伸ばし、破滅を引き寄せてしまう。印象深いのがユスリ、ネチネチした悪党の振る舞いはしていても、けっこう義理堅い奴で、自分が瀕死の状態でも密告手紙の心配をしてる。古自転車屋を営めたらたぶん更なるユスリはしなかっただろうと思われる。戦争で裏切りを含む幾多の苦難を渡ってきて、これからは穏やかに生きたいと思ってたんだろう。値切られた金額でも満足していた。その希望のささやかさが、この人物を立体的にしていた。テレーズの旦那はすごろく遊びで満足する、その母は息子さえ元気ならいい。主人公の二人は、ダンスホールで大っぴらにダンスできなくても、ひそやかに密会を続けていた。それだけで満足できなかったちょっとした夢、レベルアップの希望が、登場する全員を破滅に導く。ことさら宿命などと呼ばなくても、こういう「意のままにならない進行」で世の中は動いていくんだな、だからと言って死んだように生きてても仕方ないしなあ、などとしみじみ考えさせられる。その事実だけを淡々と記録する映画の静けさがいい。寡黙なテレーズ、病後の姑の目だけの無言、そして破滅を告げるラストのユスリ屋の永遠の沈黙。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-10-06 11:02:58)

91.  隣の女 感情のシーソーゲーム。どちらも相手に対して完全には優位に立てない。男は招待パーティから逃げてしまい、友だちとしてやっていく可能性を封じてしまう。夫の留守に逢引するのは乗ずるようでいやと言っていた女も、その禁を破ってしまう。ひとつひとつ障害となるべき葛藤を破りつつ越えて、破局へ歩んでいく、その道行きの味わい。ひそやかな不倫の緊張が、パーティの席で解き放たれるのは、破局でもあるが快感でもあった。偶然の出会いまでは、それぞれどうにかやっていたわけで、別に死んだような人生だったわけじゃないのに、もうダメ、こうなってから振り返ると、もう後戻りは不可能。この情熱の不合理、心の奥に潜んでいるものの不気味さ。こういう破局の快感でしか、解き放たれない魔があるんですなあ。「隣」と言う曖昧な関係の設定がいいんだな。友人のように深くは立ち入らないが、微妙に付き合っていかねばならない。赤の他人より、他人を意識する関係。そこに最も深く心が関わる人間が据えられてしまったことによる、ひずみ。ヒロインを神経衰弱にしたことは、トリュフォーの好みなんだろうが、ラストを弱めてはいなかったか。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-23 10:05:21)

92.  アンダルシアの犬 ピアノを引きずり女に近づこうとしている男、これとまるきり同じ状況ではなくとも、似たようなことをしている男はいるな、という感じは持てる。あるいはいつか自分がこれと似たようなことをしそうだ、という予感。ピアノとか馬とか修道士とかに、一つ一つの象徴を当てはめてはいけないのだろう。ピアノに漠とした「重さ」を感じるのは象徴とは違う。でも男というものは、ピアノを引きずり女に近づこうとするような存在だなあ、とはしみじみ納得できる。シュールリアリズムとは、そういうもんなんだろう。エロティックな幻想にしろ、蟻にしろ剃刀にしろ、全編触覚的で生々しい。例の剃刀のシーンでは、女性観客の「やっ!」という叫び声が館内に響き渡った。そして全編実に明晰。シュールリアリズムとは、夢を明晰に記録したい夢なのか。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-18 10:03:31)

93.  エドワールとキャロリーヌ 《ネタバレ》 当時としてはこれくらい当たり前だったのかもしれないけど、舞台をどんどん広げていくその手順の確かさみたいなものが、見てて気持ちいい。ルーシーショーのようなセットの舞台劇の雰囲気から、叔父さんの舞踏会へとね。こちらに鏡のある見立て。ベッドの下の隠し場所としての使い方。辞典から旅行カバンまで。ピアノの中の手紙を椅子を一回転させて目に止めさせるとことか。一つ一つはどうってことなくても、キチンとしてる。ポロネーズを何度も弾かせている間のコードを伸ばした電話。お互いに「ちょっと待って」でチグハグに進むとこ。脇役も風采のいいロシア人の給仕とか、ちょこちょこっと飽きさせないものを配置してある。職人芸ってこういうのを言うんでしょうなあ。夫婦お互いにちょっと危なくなりかけて、円満に収まっていくというこの他愛のなさも貴重。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-12 09:50:50)

94.  エボリ 《ネタバレ》 反ファシズム運動のために南部に流刑されたイタリアの作家。そのアタマだけの社会主義者が、南の現実の中で教育されていくという成長もの。あっちの流刑ってけっこういい身分なの。街をうろつき、暑いときは墓穴に寝、絵なんか描いていられる(パヴェーゼの小説「流刑」でも、銃を携帯して地元の人と猟をしていた)。村長(『ソドムの市』の四人組の一人)と手紙について論争する場面は素晴らしいが、しかしあくまで文字の上での戦いであって、有効性ということから言えばいささか空しい。なのにけっこう意気揚々としてたりして、ヤな奴だなと思ってしまう。それが次第に厚みのある人間になっていって、医師として目覚め、迷信に対する苦笑が消え、村の聖人になってしまうという展開。ちょっと優等生的すぎる気もした。けっきょく北の歴史に参加すべく帰っていき、そのままこちらを訪れる約束を果たしていない、という苦味を残して美しい天気雨で締めている。ジャン・マリア・ヴォロンテがかっこよすぎるのも優等生っぽいんだ。とは言え、こういう「映画として充実している社会派」の監督も減った。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-17 09:50:47)

95.  穴(1960) 音が凄い。削る音、ラストの警官たちとの揉み合いの音。本来静けさが支配している場所だけに効く。そして歯ブラシの鏡などの小道具の使い方。たしかに脱獄ものの名作だ。ただブレッソンの『抵抗』の感動とは違うんだな。映像では脱獄そのものの面白さを、どちらも中心にしているのに、「外」の深さが違うんだろうか。映画の感動には映像だけに任せられないものも含まれてくるのだろう。逃げ出す目的という非映像的な・説明的な部分も、映画の感動に関わってくるのだ。そういう「粗筋を読めば映像見ないでも分かるようなこと」は出来るだけ映画の感動から除外しようと、つい思ってしまうのだけど、そういうものでもないんだな。純な部分・不純な部分と多くの面を持つ複合体としての映画の感動…、そんなことを考えさせられた。たとえば歌のよしあしに、メロディだけじゃなく歌詞も関わってくるように。映画は密室の生み出す緊張が好きで、一方に襲撃してくる外部から立て籠もる密室と、本作のように何とか逃げ出そうとする閉じ込められた密室、を描き続けてきた。舞台という制約がないからこそ映画では、そういう状況が好まれるのか、これも興味ある問題。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-07 09:51:42)

96.  死刑台のエレベーター(1958) 《ネタバレ》 あの場所であの時間にロープで上がるのは無謀だよな。本当はもっと暗くなっているのを映画の約束事として明るく見せた、っていうんじゃなくて、だって後でもっと黄昏てからロープをしまい残しているのを外から発見するんだもん。そんなものを見ても通報しないだろう都会の無関心を考慮に入れてた、ってほどキモが太い男じゃなく、電話が鳴ってりゃ慌ててロープしまい忘れて部屋に戻るし、それを発見すりゃ車置きっ放しで駆けつけ盗まれてしまう。ここはどうしたって引っかかる。さらに言えばそのロープは、後で女の子が路上で拾うだけでおしまいってのも説明不足。あの金属性の爪の重みで自然落下してたのです、とこっちのほうで脚注をつけておきました。というわけでスリラーとしてはかなり文句がつくが、フランス人は心理ドラマのほうに重点を置いているのだろう。密閉された男と、夜の街をさすらう女の対比がたぶん監督が一番描きたかったところと見た。M・デイヴィスのジャズの効果も大きいが、この夜の描写の質感が素晴らしい。J・モローの心中の動揺を想像させつつ、冷えた夜が無表情の彼女を包み込んでいく。まるでエレベーター坑の空洞を静かに落下していく火のついた紙のよう。そしてラストのモロー。出獄時の自分の年を計算していくその愛の妄執の凄味、こういうとこになるとフランス映画の独壇場だ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-05-13 09:35:48)(良:3票)

97.  1900年 ギリシャ悲劇から派生したようなアンゲロプロスの『アレクサンダー大王』を観た年だったので、こちらはイタリアオペラ、何かと比較してしまった。あちらが集団の力学としての歴史という視点だったのに対し、こちらはオーソドックスな個人のドラマの集積としての歴史。当然あちらのロングとこちらのアップの対比もあり、顔のアップはおのずと演技のオペラ的誇張を伴う。メリハリがつくという利点と、パターン化されるという欠点が、こちらにはあった。本作で一番生き生きしてたのは、ファシスト夫婦だったろう。逆説的に言えばこの二人が最も非政治的な存在で、オペラの悪役のような感じ。そういう大衆劇化された歴史の面白さはあったが、物足りなかったのも事実。少年時代が一番いい。地主と小作の友情ってのに無理がないし、とにかく風景が美しい。オルモが食堂でレオに呼ばれて、一族の構成員であることを確認されるシーンが特に素晴らしい。農民たちはこう団結しこう生きているのだ、って。忘れてならないのが、エンニオ・モリコーネの音楽。労働歌というか革命歌というか、そんな本来暑苦しかるべき・握り拳が似合いそうな曲想を、歴史の霧を通して一度ナマナマしさを濾過したような響きがあり、懐かしがっているように、時代遅れとなったメロディを哀惜しているように、染み入ってくる。名曲が多い彼の仕事の中でも、とりわけ忘れ難い名品だろう。[映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 09:57:19)

98.  恐怖の報酬(1953) 《ネタバレ》 これをいま現在観ると電力会社と原発労働者がどうしたってかぶさって見えてきてしまう。60年、封切り時に生まれた赤ん坊が還暦を迎えようという時間を経ても、石油資本が電力会社に代わっただけで社会構造はぜんぜん変わっていなかったわけだ。映画の主役はイヴ・モンタンだが、本作で一番記憶に残るのは相棒のおっさんジョーだろう。前半、トラックが出発するまでかなりの時間をさいて、このジョーという男の凄味を描いていく。腹のすわったいっぱしのワル。それがトラックを走らせていくと、だんだん腰が引けてきておどおど逃げ腰になっていくとこ。非情な男だったのだろうが、石油資本の非情さの前では赤子同然なのだ。そこに彼の老いの無惨も重なり、いかにもフランス映画的な味が出ている。ただサスペンス映画として見ると、そっちのほうに重みが掛かりすぎたかな、という気もした。ラストのオチも微妙なところで、フランス的な皮肉(こういうのもエスプリっていうのか)は効いているが、ずっと映画の背後に感じられていた石油資本のどす暗さがあれで薄れ(元をたどっていけば、思わず調子に乗って蛇行運転せずにはいられないほどの恐怖のプレッシャーを与えた石油資本に行き着くのだが、画づら見ているとマリオの愚かさのほうが前面に出てしまう)、話がショートショート的に軽くなってしまった気もした。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-05-06 10:12:25)

99.  バビロンの陽光 《ネタバレ》 風土は変われど敗戦国の映画は似たトーンになる。敗戦というものの普遍がここにあるんだろう。満員のバス、家族を探す人々、物売りする子ども、イタリアや日本で描かれてきた光景が砂漠の国でも繰り返された。ただこちらはやたら広い。生活空間でなくロードムービーってこともあるだろうが、このだだっ広さは、これからの復興生活より、神とか運命とかに思いを走らせる。映像では出てこない牢獄の狭さが、おそらくこの広い風景の中にしまわれていたのだろうし、風景の底には集団墓地の遺体を放り込まれただろう狭い穴が想像される(子どもがお父さんのではない名前を読み上げていくところが胸に迫った)。登場するのがお婆さんと子どもで、生活感より民話的な雰囲気を醸しており、それだけいくさの本質が剥き出しで現われた。イラクならではの特徴は、クルド人虐殺に加担したという男が登場してくること。あの国では、まず和解のテーマが必要なのだ。言葉で語られるところより、子どもが大のおとなに笛の教授をしようとするシーンがいい。こんなふうに両者がつきあえたらいいな、と思わせる。映画のラストも笛を吹こうとしている少年の姿だった。[DVD(字幕)] 7点(2012-04-22 10:16:27)

100.  シルビアのいる街で 《ネタバレ》 現在サイレント映画という手段に頼らなくても、サイレント映画の精神は生かせる、という見本。旅人にとって旅先の世界はほとんどサイレント映画だ。聞こえるものより、見えるものの情報のほうが俄然重要になっている。カフェの店先から女性たちの顔を眺め続けるシーンが楽しい。しだいに誰か特定の顔を求めていることが分かってくる。手前の人物に隠されていた顔がずれて見えてきたり、後ろ向いていた頭がゆっくり横顔を見せたり、やがて彼は席を移ったりし、誰か特定の人物を探していることがはっきりしてきたとこで、ガラス窓の反射の多くの顔が重複している中から、一つの顔が固定されていく。ここまででもけっこうサスペンスなのだが、このあと追跡のサスペンスが続く。腰ぐらいの高さのカメラ視線で、ストーカーのように追尾が始まる。すっくと立った男の高さよりは低く、身をかがめて密かにつけているような感じ(と思ったのはこちらの品性の問題か)。映画における「角を曲がる追跡」は、どうしてこうも興奮させるのだろう。そして路面電車での語りかけ。本作で数少ない字幕を読むシーンだが、ヒロインの肌を輝かせたり翳らせたりしている陽光のただ事でなさのほうにドキドキさせられた。人違いの別人になったり、嘘をついているシルビア本人になったりしているよう。ここまでが素晴らしいので、失意の彼の酒場シーンはちょっと物足りない。あるいはあの奇跡のような陽光がないと、世界は味気なくなってしまうという表現なのかな。この映画いったいどうやって終わらせるんだろう、とここらで心配になってきたら、なるほど、ガラスの反射の中から浮き上がってきた「シルビア」はまた、ガラスの反射の中に消えていくという趣向で来たか。最後まで映像に語らせた映画だ。[DVD(字幕)] 7点(2012-04-18 10:02:32)

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