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161.  夜と霧 本物の凄みと言うか、スゴイスゴイと繰り返すしかないですな。ブルドーザーで押していくときの、カタマリのグニグニとした動き。柔軟な物体集合の完全に物理的な動き。桶に集められた首の山、毛髪の丘。きれいに畳まれた皮膚。「なんで」こういうことが起こったのか、という考察より(そういうのは映像より文字のほうが得意だろう)、「なにが」起こったのかを検証する姿勢。フィルムは、なにより「記録」で強い。出来れば、当時のナチの気持ちでこの映像を見る気分の体験にまで行ければ良かったんだけど、それは見てるこっち側の課題だろう。この際立った残虐という「特殊」が、そこだけで閉じてしまわずに、誰もがやれたかも知れない、という「普遍」にまで持って行かなければいけないんだろう。ニコニコ笑ってる看護婦。こういうことに関わらずに一生を終えたい、と思うが、現在だって似たようなことやってるかもしれない収容所と化した国や地域はあるわけで、無関心でいいのかという思いも、柄にもなくうずく。とにかく『広島・長崎の記録』とかこの映画などは、写されただけですでに人類の重い財産となっているフィルムで、本来採点という行為になじまない。[映画館(字幕)] 7点(2010-12-28 12:23:50)

162.  世界の全ての記憶 『マリエンバート』へ向けた練習のような習作。ひたすら移動し続けるカメラ、記憶の詰まっている迷宮として図書館を捉える。後半は、新刊が棚に置かれるまで、という文化映画的なのだが、台車の移動、エレベーターの上昇、係りの人がボーっと立ってたりして、かなり意図的な演出がなされていると見た。無表情の人々。移動し続けるってことは、立ち止まって対象を一点に絞らない意志の表明であり、観察ではなく観賞ってことなのか。これから何かを発見していこうとしている気分、というか。図書館好きにとっては、裏側が見えて文化映画としても面白かった。思えばこの手の記録は映画の初期からドキュメンタリーの基本で、たとえば英国の『夜行郵便列車』なんてのは、手紙が私たちの手に届くまでの夜の旅を見せてくれたし、普段の生活を支えている(しかし滅多に目にすることの出来ない特殊な)仕事場を、覗かせてくれる興味ってのが、ドキュメントの基本中の基本なんだな。[映画館(字幕)] 7点(2010-12-26 19:35:23)

163.  ラ・ジュテ 《ネタバレ》 剥製たち。静止画像だと、それが生きているのか剥製なのかの区別がつかない。そこが博物館だと知らされているので、過去に死んでいるので静止しているのだろうと思うが、こういう作りの映画だから動物園を描いても同じに見える。そこらへんの多義的な曖昧さが作品のポイント。寝ている女の顔の連続画像によるうつろいが美しく、そして静かに目をまたたく。実はこれ、昔スクリーンで、同じマルケスの『北京の日曜日』やレネの短編なんかと一緒に一度観てるんだけど、そのときの私のノートには「“過去の女”がまたたいたとこは動いた気がするが、巧妙なディゾルヴだったか」と自信なく記されている。今回は録画してあるので、観終わった後にさらにもう一度確認した。動いている。やっとはっきりしてスッキリした。このハッとさせる瞬間のために静止画映画という試みにしたのかも知れない。剥製のように静止していた過去のものが、生きてまたたくおののき。スッキリはしたが、スクリーンで何も知らずに観たときの、再確認できない・夢幻のような曖昧なまたたきの効果のほうが狙いだったのであって、余計な確認をしてしまったか、という気もした。[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-12-25 15:02:54)

164.  シャネル&ストラヴィンスキー アール・デコって都会的なんだけど、ここでは田舎の中にデコの家がある。黒い縁が美しい部屋。外に広がる「田舎」に、近代女性であるシャネルが必死で抵抗しているような室内装飾だ。外の田舎は、イーゴルの妻の方がふさわしい。とんがっているシャネルと、病弱ながら周囲に広がって包み込んでいるような妻、との緊張。シャネルはイーゴルに刺激されて、洋服屋から香りの芸術家になろうと試みる。妻は夫の譜の清書を淡々とこなし、この生活から感じる腐敗の匂いに耐えていく。これ面白くなれそうなんだけど、どっかで見たような三角関係話どまりになってしまった。ピアノの響きによる嫉妬のうずき、クリムトの絵画のようなベッドシーン、などはちょっと面白い。でも一番思ったのは、ついにストラヴィンスキーも映画になったか、という感慨。楽聖映画ってジャンルがあり、シューベルトなどの名作がある(シューベルトは全裸にならなかった)。私の知ってる範囲では、ケン・ラッセルの『マーラー』が一番最近の作曲家だったが、とうとう第一次世界大戦を越えて、20年代のストラヴィンスキーが、シャネルとの二枚看板ながら映画の主役になった。これは当初最前衛だったストラヴィンスキーの音楽が、一般的なポピュラリティを獲得したって事なんだろう。次に映画化されるのは誰か。ウェーベルンなんて、ナチの支配に耐えながら米兵に誤射されて命を落とすドラマチックな生涯なんだけど、音楽の極北のようなデリケートな十二音の世界が、いつかシューベルト並みのポピュラリティを獲得する日が来るかどうか。「スターリン&ショスタコーヴィチ」なんて方がありそうだな。[DVD(字幕)] 6点(2010-12-22 10:09:35)(良:2票)

165.  リトル・ブッダ 画調はちゃんとストラーロで格調高いんだけど、展開していることは、ときにセシル・B・デミルだったりして、いっそおとぎ話ならおとぎ話に徹しフェリーニ的に造形してくれれば、まだなんとかなっただろう。そりゃね、西洋人に東洋は分からん、なんて言うつもりはないよ。私だってブッダとの距離は、たぶん平均的西洋人とさして違わない。でもあちらの映画に出てくる東洋的なるものって、なんか引っかかるんだよね、東洋の売りは「精神」だけなのかなあ、とか。非合理的である、ってだけで尊重されるのは困るんだ。あちらの人が、合理合理でいって疲れたときの、いっときの椅子がわりに東洋を持ち出されているみたいで。シッダルタが町へ出ていくあたりは嫌いじゃない。善きもののみを見ていた世界に厚みが加えられるところ、奥行きと言うか。少年が迷い込んでいくところで繰り返される(ロクロ台まわし)。西洋人がオリエンタルの中へ迷い込んでいく雰囲気は『シェルタリング・スカイ』の流れ。東洋と西洋、男と女と、うまく分担して再生していくわけ。[映画館(字幕)] 6点(2010-12-21 10:11:09)

166.  地下室のメロディー 《ネタバレ》 初老のギャングは、最後に一発当てたいと思っている。青年は、現在の惨めな境遇から抜け出したいと思っている。それぞれに鬱屈があって、しかし一人では現金強奪はできない。冒険には若さが必要よ、と妻にたしなめられている。若さのある青年には、計画がない。補い合って立てられた計画。それが危うくなっていくのは、青年の方が豪奢な世界に浮き足立ってしまうから。義兄が自分のこととして心配していた事後の不安が、計画の最中に浮かんできてしまう。シャルルにとっては金に目的が集中していたが、フランシスにとっては、こういう暮らしをしてみたい、だもんだから、真剣味が弱かったんだろうなあ。フランス映画は、途中いささかモッサリしてたり「よく考えるとヘン」があっても、ラストをピタリと決めてくるので印象に残るのが多い、これなんかその典型。刑事たちの話し声とゆっくり歩き回る足だけで、キリキリと縛り上げるように緊張を高めていく。犯罪映画のラストなのに、主人公たちは走らない・どならない・しゃべりさえしない・もちろん銃も撃たない。ボーイの驚きの声が聞こえてくるだけ。二人は、あと鞄を渡すだけの距離であったプールをはさんで向かい合い、自分が手にできなかった大金をただ見守っている。ゆっくりと花が開くような札束の動きのなまめかしさ。手の届かない高慢な女のような花が次々と開き、二人の間の隔たりを花畑に変えていく。[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-12-20 10:25:25)

167.  戦場でワルツを アニメ技術のことはよく分からないんだけど、不思議な動きをする。東南アジアの影絵のような、関節だけ留めてある人体パーツを動かしているような、でも滑らかという動き。口の動きも変にリアルで、全体新鮮な世界だった。その影絵的な感じが、記憶を探るストーリーとうまくマッチしている。話としては、ベトナム後のアメリカ映画のあのトーン。生き残ったものの後ろめたさと、心の傷。戦車の中にいるときの万能感と外に出たときの無力感、とか、カメラ越しでなくなったときの戦場の生々しさ、など兵士の証言が痛々しい。悪い映画ではなく、こういう兵士個人の心の記録が積み重なって大きな証言になればいいと、心から思う。でもかつてのアメリカもあれだけ「心の傷映画」が作られながら、ひとたび同時テロが起こると「やっつけろ」の大合唱に呑み込まれていった。個人の「私」の証言は、ひとたび「われわれ」の怒号が起こると、あっという間に掻き消されてしまう。正直、あんまり希望は持てなくなっている。もひとつこの作品が弱いのは、虐殺の本体をファランヘ党という極右組織だけに押しつけている感じがあって、もちろん黙認したイスラエル軍も非難はしているが、ちょっと逃げ腰。でも常時戦時下のあの国でこれだけ言うのも、大変だったろうとは思う。ワルシャワ・ゲットーの記憶を、イスラエルの免罪符としてでなく持ち出したのだから、そこからもひとつ、人間集団が狂う普遍的な分析にまでいってほしかった。[DVD(吹替)] 7点(2010-12-10 10:42:31)(良:1票)

168.  パリ、テキサス この人の映画は、その映画に必要とされる時間よりいつもちょっと長すぎるみたいな気がして若干苦手、ロードムービーとして風景を眺めている時間が長いからなんだろうか。曇天に夕陽のシーンなんか、実に美しいけど。話としては、父を演じ直そうとする男の物語。フワフワと歩いていってしまう男、飛行機には乗れず、同じナンバーのレンターでないと駄目、という人。靴はいつも磨いて揃えておく。子どもがだんだんなついていくところに一応スリルがある。8ミリもいい。かつての良かった時。息子は水槽の脇から画面と父を観察している。銀行から赤い車を追うサスペンスもある。ナスターシャ・キンスキーが出てきてからダレたか。それぞれの嘆きが、分解してバラバラに散っていってしまうようなテキサスの風土。[映画館(字幕)] 6点(2010-12-09 10:32:15)

169.  木と市長と文化会館/または七つの偶然 《ネタバレ》 とにかくいつものように人々が喋りあう。対立してはいるんだが非難には至らず、グツグツ煮込んでいるような楽しさに転じていくところが、この監督の人柄か、けっきょく庭を開放してのルノワール的パーティーでのミュージカルになってしまう。こうくるとは思わなかった。ドキュメンタリー的なインタビューシーンの対極のよう。それぞれが自分の主張を歌い、何も本当の解決にはなっていないんだけど、人の世の楽しさを遠望するような位置に監督は退いていく。これ少しズルいなあって気もしたが、少女によって導かれた夢として見るべきなんだろう。ぜんぜんカドがない世界。登場人物のすべての出会いが実になごやかなんだ。市長と教師の娘との出会いに至るまで。どこでも市長ってものは文化施設を造りたがるのか。もっとも建設業界からのリベートのために建ててるんではないらしいところは違う。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-27 09:59:28)

170.  トリコロール/青の愛 《ネタバレ》 映像や音響の格調の高さと、ストーリーの俗っぽさをどう捉えるかだ。死さえ望んだ未亡人が、生きようと回復するまで。子を失った悲しみから、愛人の子を祝福するまで。これとヨーロッパ統合との兼ね合いが、もひとつ見えてこない。「青」は「自由」なんだけど、孤独という自由の話と見ていいのか。音楽が唐突にやってくる効果。音楽だけでなく、ドアを叩く音とか、音一般が計算されているよう。そのことが作品にどういう効果を与えているのかまでは分からない。母親が見ているテレビはいつも危ないものばかり。宙吊りとか綱渡りとか。まさかこれがヨーロッパ統合を暗示してる、ってんじゃないと思うが。そういった個々の部分は気になるものばかりなのに、それの作品への効果が分からない。その統合されなさが、ヨーロッパの未来だ、ってんじゃないでしょうね。ほとんどヒロインのみを追っていくドラマ。[映画館(字幕)] 6点(2010-11-19 10:02:42)

171.  キリング・ゾーイ 《ネタバレ》 殺伐としてますなあ。実人生ではもちろん、あんまり映画でも会いたくないタイプの人間てのはいるもんで、でもたしかにこういう連中は世の中にいるなあ、とは思う。退屈すらしていない連中、怒ってもいない。世間との共通の土俵をまったく見出せない連中。たとえば深作の『仁義の墓場』なんかもそれに近かったが、あそこにはニヒリズムがあった。それすらない。だからダチ公的な友愛が描かれるわけでもない。このとにかく否定文でしか表わせない人種を描くことには成功している。でももちろん観ててスッキリとは全然しないわけで。銀行の外の警察を描かないのは、演出意図か、予算の都合か。人質が殺される、ってのは、この映画に限らず、どうも観ててすごく嫌になる。範囲は狭くとも、絶対的権力を握った者による権力の行使だからだろうか。[映画館(字幕)] 5点(2010-11-18 10:17:11)

172.  審判(1963) 《ネタバレ》 やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)

173.  トリコロール/白の愛 ポーランドとフランスの二極。ポーランド人の夫はパリへ行ってインポになり、フランス人の妻はワルシャワで拘禁される。そういう「平等」。彼がやったのは復讐だったのかどうか。とにかくこの監督は東と西の「うまくいかなさ」ということをいつも心の底に置いている人で、双眼鏡で覗くこと・つまり「憧れること」でしか関係を持てないのではないか、といった諦観もうかがえる。冒頭、鳩に糞をかけられるのも、冷戦後の世界もそんなにいいものではないぞ、と言ってるよう。全体軽妙な味はあるものの、この時代ポーランドが抱いていた夢のはかなさと通底している。音楽はタンゴ。[映画館(字幕)] 6点(2010-11-05 09:59:07)(良:1票)

174.  アリゾナ・ドリーム 何となく『ガープの世界』を思い出した。ああいう「半ファンタジー」系の作品。亀が犬の世界と魚の世界をつなぐ。ニューヨークの現実からアリゾナの田舎に戻ると幻想味が増してくるの。幻想としての故郷。自動車の墓場にドアを持って立つ人なんか、寺山修司的だし。笑いはややヒステリカルで、なにかというとアコーディオンを持ち出してきて、ラシドーシーラー、ラシドミシドラー、とやる娘の胆汁気質がおかしい(全体の音楽はゴラン・ブレゴヴィッチ、冒頭の11拍子からいい)。けっきょく青年の成長もの、ってジャンルになるのか。どこか南米寄りのファンタジーの気配があり(椅子がフワフワと浮き出したり)、東欧と南米って、どこかでつながってるのかな、と思った。全体のとりとめのなさを、許せるかどうか、観たときの気分で評価が変わる映画だろう。[映画館(字幕)] 6点(2010-11-02 10:45:20)

175.  ファニーとアレクサンデル この人は、だいたい90分くらいのカッチリした世界を構成してくれるところが好きだったんで、この長さにはいささか戸惑った。そしてカッチリしてない。なんかその長さの中にひたる喜びを味わえたが、もひとつ作品のツボを私が捉え切れなかったんじゃないか、という気分も残った。でもなかなか再見する気力が湧かないまま現在に至っている、長いから。画面は洗練されているけど、話はなんかゴツゴツしており、いえ、それがいいんです。これがベルイマンとして提示できる人生肯定の形なんだろう。カールの悩みも主教の孤独も、ツルツルになるまで溶かしてはいない、こういったそれぞれの苦しみをそれぞれが受け持ちながら、でもそういう溶けきれないものがゴツゴツ浮かんだり沈んだりしているからこそ人の世界を肯定できる、って感じ。そういうゴツゴツしたものを必要以上にオーバーに拡大させない、けれど無視してしまうのもいけない、ということ。今までの作品でこれに一番近いのは案外『魔笛』かもしれない。自分のシナリオでないあのオペラにあった「ゆとりのようなもの」は、ベルイマンを考える上で大事なものらしい。この映画観たときの想い出では、3部と4部の間の休憩でトイレに走ったところ、便器が二つしかなくて長~い行列ができていたこと。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-01 09:55:37)

176.  カルネ 人の顔を見せずにてきぱきと設定を展開していく冒頭のあたり、小気味よい。「注意! 感受性を傷つける危険な部分があります」と出て注意を引きつける(期待させる?)悪趣味なユーモア感覚。字幕の効果的用法は、ゴダールゆずりですか。分解写真的カメラの回りこみ、ズームアップ、フェイドアウトして肉切り包丁のような低音がズン、などなど、いかにもフランスのエスプリって感じが横溢。話は、鬱陶しさへの耽溺とでも言うか、父と娘の危うい関係への耽溺ね。思い切って溺れ込むことでのみ得られる手触り。卑しめられるもの、馬肉・デブの女・テレビ活劇らの、なんらかへの復讐といった気配もある。少なくともこの馬肉は、現代社会が見たくないものの側に埋まっている。全編を覆うドローンとした色調。[映画館(字幕)] 6点(2010-10-25 10:04:37)

177.  青いパパイヤの香り 前半が素晴らしい。漂い続けるカメラは、家の霊というか地の霊の視点というか。したたるパパイヤの汁、したたるロウ。なんらの恨みがましさも叱責の声もない家。熟し終わった家庭の匂いが、画面に立ち込めている。静かに静かにしゃべる。悪い時代の前の静けさ、いやこのころだってインドシナはちっとも平穏じゃなかったはずで、でもそのなかで家の静けさを維持し続ける緊張のようなものが、空気を濃密にしている。フランスでセット組んで撮ったって言うんだけど、細部のアップもあり大変だったろう。まあ20世紀末のベトナムで撮っても、同じ苦労があったかもしれないが。前半に比べると後半は、少女の初恋が成就されるということで黙劇的な緊張はあるんだけど、話が狭くなった感じ。けっきょく、女は弱しされど女は強し、っていうような話に落ち着く。みな影のように生きている独特の感じ。[映画館(字幕)] 7点(2010-10-06 09:54:08)

178.  白夜(1957) ささいなことだが、エキストラの動きがとっても自然で印象的だったことをまず記しておく。で、内容。主人公の優しさの異様な膨らみ、ヒロインの残酷さのあどけなさ。美談を裏から見たような話で、やはりドストエフスキーの匂いがする。女たらしマストロヤンニが、コロッと純情青年もやれちゃうってのがすごい。ハッとさせるのは、暗い閉じたセットの焚火から昼のじゅうたんの部屋にパンしていくとこ。冒頭の迷い犬がラストのマストロヤンニにまつわりついてくるなどのポーズのつけ方のうまさ。ダンスホールのシーンの解放されていく感じ。ここで、ああ同時代の話になってるんだな、と納得していると、橋の下の乞食なんかとっても19世紀的で(主人公の下宿部屋も)、不思議に時代がゆらゆら揺れている感じがあった。典型的な「良くできた文芸映画」であって、しかしそれ以上のものではない。『ベニスに死す』は文芸映画であって、しかもどこを切っても映画で充満していた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-28 09:51:09)

179.  白夜(1971) なんて言うんだろう、針金だけでできているような映画。人物に厚みがない(これ普通はけなすときに使うんだけど、そうじゃないんだ)。現実を慎重に薄~く切った結果なのか。憑かれているものの薄さとも言える。抽象画の友人の忠告に対して、こちらは古城のロマネスクに徹してる。女性を追いかけるのも、なにかに憑かれている感じ。だから全体から見ると消極的な生き方なのだが、その「一筋」に関しては豊かこの上ないわけ。実にぶっきらぼうな唐突性のなかに、あのボサノバの船がゆったりと流れていく豊かさと照合できますか。この人の映画は、針金の鋭さで描き切るのが多いけど、本作ではその針金を通して、豊かでロマネスクなものが匂い立っている。こういう世界も隠し持っていたのか。ドアの開閉のリズムなんかに抑えに抑えた美しさがあって。テープに「マルト」と吹き込んで、バスの中でかけたりして、ほんとなら突き放したくなっちゃう主人公なんだけど、ブレッソンの文脈の中だと、憑かれた崇高さが出てくるから不思議。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-26 10:11:16)

180.  トリコロール/赤の愛 これは三部作の中ではまだ分かりやすいほう。趣向がはっきりしているので。時代を超えた触れ合いというか、ちょっと怪異譚めいた世界。若きトランティニャンである青年とヒロインが出会うまで、ということか。老いたトランティニャンは夢の中で50代のイレーヌ・ジャコブを見る。犬も老若の橋渡しをする。国際電話の距離と隣人の盗聴の距離の対比、などなど。室内の照明はいつもながら美しい。一番思ったのは、キエシロフスキ、イレーヌ・ジャコブが好きなんだなあ、ってこと。クールにクールに作ってるけど、年若い娘を恋してしまった初老男のいびつな恋情が脈々と感じられる。偉大な男性監督は常に女優に恋していなくてはならないのかも知れない。思えばかつて『ある党員の履歴書』なんて非常に公的な硬い手触りの秀作を作っていた人が、最後にこうグッと私的な世界に凝縮していったのも、東欧開放の一つの流れなんだろう。でも「裁判所=裁くこと」が、よく出てくるのは体制の新旧で変わらない。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-06 09:59:36)(良:1票)

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