みんなのシネマレビュー
なんのかんのさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2336
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  シェルタリング・スカイ 10年目の夫婦の物語であり、戦争の熱狂のあとの物語でもある。もう一度ヒリヒリする時間を持ちたい。いつも空に覆われて、保護されてて、何かと剥き出しで対峙したい。そんな前提で、精神的な疲れから肉体的な病気に至る夫婦の旅になる。彼らには、何らかのリフレッシュか決定的な破局かを期待する旅だった。で旦那は腸チフスという決定的な破局以上のものを手に入れてしまうんだけど、それは同時に愛の再確認の場でもあった、って。字幕のない放浪が続き、砂漠ってのは紫禁城と違い歴史のまったくない場所。でもやはり同じ場所に帰ってくるの。ここを撮りたかったのだろうな、と思わせる。夫婦互いのじらし合いが、ずるずると拡大し大袈裟になっていって、浮気になり、別行動になり、そして…、というドラマ。彼らの空虚感を共有できるかどうかが、感動の分かれ目でしょう。[映画館(字幕)] 7点(2013-10-23 09:52:42)

2.  ジプシーのとき シュールリアリズムって、欧米の「正統」文化史観からだと「こういうのもありました」と傍系的に見られるけど、もっと広く捉えるとスペインあり南米ありこの東欧ありと、もしかしてそっちのほうが主流なんじゃないか。ごく自然に超能力が描かれる。空缶移動、壁を這い回るスプーン、七面鳥。あの七面鳥が死んでこの一家に不幸がやってくる。主人公も悪の道に入って行っちゃう。盗みに入った家で思わずピアノを弾いてしまうエピソード。空中浮遊もよく出てきたが、あれいい。雨の野を駆け出していくお父さん、合唱が入るところで“まいった”と思いました。民族の力、いうか。ジプシーってなんか遠く離れた東洋の我々にはロマンチックな雰囲気があるが、ヨーロッパ人にとっては、魔法を使う犯罪者のイメージがあるよう。古い推理小説ではよくそんな扱われ方をしてたし、だいたい差別用語になっちゃって、今はロマって言わないといけないんでしょ。ジプシーの扱われた歴史は、たぶんユダヤ人とともにヨーロッパを考えるとき大事なんだろう。主人公の顔が良く、ちょっと頼りなげで、組織の中にいればひょうきんな人気者だけど、外に出るとグレちゃいそうな弱さがある。そこらへんに実感があった。/このころユーゴの映画がよく公開されてて『アーティフィシャル・パラダイス/カルポ・ゴディナ監督』ってのもあった。フリッツ・ラングの東欧での青春時代を描くの。20世紀初頭の演劇や詩やカメラに漬かっていたある階級の雰囲気と、その崩壊の予感が味わい。ラング作品のネタ探し的楽しみもあった。[映画館(字幕)] 8点(2013-09-17 10:06:19)

3.  宿命(1956) 他人の不幸に対する責任、という問題。連帯とは何ぞや、ということ。大手労組が中小企業の労組との団結を簡単に言うことの欺瞞性みたいなことをチラと思った。現実問題として「連帯」って凄く難しいことなんだ。加害と被害の区別があやふやになっていく。この村の財産を守ろうと被害者の立場に立ったとたん、彼らは荒野で飢えた人々に対する加害者になっていく。「彼らはコレラだ、コレラからは村を守らねば」。あの村は「選ばれて」しまったわけで(主人公が受難劇のキリスト役に選ばれたように)、それが「宿命」なのか。話の骨格は、援助を求めてきた難民をどう扱うべきか、という問題で、それに村での受難劇が重なる仕組み。彼らは選ばれた責任を引き受けていく。各個人の財産に関するエゴを突つき出しながら。圧政下の平和か、自由の戦争か、って問題でもある。臆病な私は、連帯ということの厳しさをオロオロ噛み締めるばかり。赤狩りを逃れてフランスに渡った監督は、本作でM・メルクーリと出会った。[映画館(字幕)] 7点(2013-06-25 09:58:21)

4.  ジャズ・ミー・ブルース アールデコのアメリカが舞台のジャズ奏者の話(なんでも実在の人でジャズにおける即興演奏を確立したコルネット奏者ということ)だけど、イタリア映画なの。ファミリーが重いテーマになってて、父の期待や母の愛やらの重圧がみっしり描かれるのは、そう、邦画でなきゃイタリア映画だ。そういえば母親が息子の晴れ舞台と思って聴くラジオの曲は「ジャパニーズ・マミー」って歌だった。家庭を持て持てと母(家族)に脅迫されてるような息子。家庭を持つってことが「まっとうな生活」の象徴なの。そのまっとうさを家族に脅迫され続けてダメになっていく芸術家の物語でもある。ニセの妻の旅をベースにしている。架空の結婚写真へ。なかの時間を順番どおりにしたらいけなかったのかなあ。ちょっとごちゃごちゃ行ったり来たりさせ過ぎた。台頭する新人との爽やかな地位の交代の会話なんか、実力の世界の風景で感じいい。尊敬があるの。曲が中途半端に切れるのが多くて、やや欲求不満。すさんでいく芸術家を演じるには、この主人公役ちょっと弱い。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-28 10:22:04)

5.  白いリボン 《ネタバレ》 たぶん、村を覆う不穏の気配を描いた映画なのだろう。それは圧倒的で、白黒の美しい田園風景が周りを囲んでいるだけ、さらに不穏である。誰が犯人か、というミステリーの興味にしちゃ余計なものが多すぎるし、厳格さは子どもをダメにする、というテーマにしちゃ集中感がない。子どもに収斂されていく不穏な気配(やがて世界大戦に移ろっていく)を味わう映画なんだ、と納得しようと思ったが、なんかそれにしても集中感に欠けるなあ。語り手のロマンスは村の厳格な風土との対比で入れてるのだろうか。そのほか意味ありげなエピソードがあったり中途半端なエピソードがあったり、すべて「気配」を醸成してはくれても「テーマ」に集中してはくれない。トーンとしてはベルイマン的で、だいたいあの厳格な牧師の顔がグンナール・ビョルンストランドを思い出させる。ドクターが助産婦に毒づくあたりの容赦のなさもベルイマンタッチ、でもあちらにはもっと集中感があった。2時間半も使って「気配」を描こうとはしなかった。キーになる子どもたちが、へんにニタニタ笑ったりしないのはいいんだけど。ここらへんの時代を描くとなるとパリやウィーン、ベルリンなど都会が多く、田舎の20世紀初頭ってのは珍しかった気がする。最初のうちは18世紀末かと思って観ていたら、シューベルトがどうのこうのと言うんで19世紀かと思い直したところ、セルビアで暗殺事件が起こったという報が入って驚いた。もっぱら都市で語られる世界史と地方史ではズレがあるんだな。あそこらへんのヨーロッパの北側、第一次大戦前後の田舎の風物としては、北隣デンマークの『奇跡』(30年ごろが背景)が思い出される。神の罰が重くのしかかっている風土ではある。「神さまに僕を殺す機会を与えたんだ」。[DVD(字幕)] 6点(2011-12-29 10:11:22)

6.  シシリーの黒い霧 前半はほとんど顔のない映画で、後半に至ってやっとピショッタが「登場人物」らしく登場する。ピショッタのほうがジュリアーノより印象深い。C級戦犯的悲劇というか。といってもそう善と悪が明確なわけではなく、ジュリアーノにしたって、最初はレジスタンスのようなスタートだったわけでしょ。村人の支持もあったわけ。村に軍隊が入ってくるシーンの緊張がすごい。街に太鼓が轟いて、人が水汲みに出てきて、銃声が聞こえてくるまでのワンカット。人が引っ立てられていって、街角を曲がるとずらっと兵士が向こうの果てまで並んでいる。あきらかに最初は「人民」の支持があったのに、メーデー虐殺事件などから怪しくなってくる。あのシーンの終わりのパンがすごい。死体や馬の影が長く伸びて。とにかくこの映画、影と言うか、黒の印象が強い。細くあけた窓のほかを全部黒が埋めてる感じ。ドアの隙間とか。正義の背後にある黒。信頼の背後にある裏切り。銃のすぐ脇から遠くを走るジープを捉えるなど、ドキュメンタリータッチのカメラが生きてる。[映画館(字幕)] 7点(2011-07-07 09:55:03)

7.  シテール島への船出 花売りの老人が幻影であれは実際の父親なんだという見方と、花売りの老人を主人公にして作った映画だという見方と、二通り出来て、そのどちらにも収まりきらない曖昧さに、慎重に宙吊りにされている映画。冒頭のプラネタリウムからして、嘘の宇宙と捉えるか、本物の宇宙を縮小したものと捉えるかで分かれちゃうわけだし。老人の32年後の挫折を、こんなに美しく歌っていいのだろうか、もっとトツトツと語るべきなんじゃないか、という気もし、それはこの映画の構造を「逃げ」ととるか「絶妙な仕掛け」ととるかという判断にもよる。難しいところだなあ。この構造によって、後半旧港のシーンが浮わつかなかったというメリットはあった。映画としての緊張度は断然前半のほうが優れていたが、港の不思議な寓話性は、そのままリアリズムの話で続けられたらちょっとシラけただろう。最初からオハナシかもしれない、という用意がしてあることでスンナリ入れたけれど、これは考えようによってはズルイと言えなくもないわけで、うーん、難しいなあ。けっきょく現実からも理想からも裏切られ、彼が得たのはあの長方形の国だった、という厳しい突き放しを、こんなに美しく描いてしまう監督って。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-13 10:02:30)(良:1票)

8.  審判(1963) 《ネタバレ》 やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)

9.  ジンジャーとフレッド 前作で、あれ、この監督も「枯淡の境地」に入っちゃうのか、とちょっと心配させられたが、また馬鹿騒ぎの世界に帰ってきた。そりゃ『サテリコン』や『ローマ』みたいにはいきませんけど、グツグツ煮立ってる鍋みたいな感じは、やっぱり独自のもの。そして喧騒と静寂の対比がやはりポイントなの。静かなホテルの前に音楽が流れ出し、オカマが腰振って、向こうのビルのネオンが点滅しだし、『青春群像』って感じの若者たちが体を揺すって歩いてゆき、ネオンが水溜りに映り、オートバイが走ってきて…、なんてあたり。テレビ局の廊下、変なのばっかし歩いていてごった返している。とふと改修工事中のトイレみたいなところに入って、ガラーンとした白、二人っきりになると急によそよそしいような…、このシーンなんか実にいい。あるいは衆人環視のステージの上で、不意にプライベートな空間が生まれてしまう皮肉。雑駁な喧騒の中に、急に親密な静寂がポコッと生まれる。と観てるこっちもその静寂の側に加担して、永遠に停電が続けばいい、と思っちゃう。テレビ批判としては別に鋭くないのも、監督本人がこういうゴチャゴチャの世界が嫌いじゃないからだろう。芸人の哀感もの、ってことでは、初期の作品に戻ってみた感じもある。けっこう残酷な話なのに優しさを感じさせ、静寂の中に静かに閉じていく。[映画館(字幕)] 8点(2010-10-26 10:02:50)

10.  親愛なる日記 ぼやき漫談ではないか。「ぼやき」も洗練すればもちろん「芸」になるのだが、でもかつて世界で一番活力に溢れていたイタリア映画が、そんな芸を見せねばならぬほど衰弱したのか、と思うとつらかった。やりたいのなら堂々とちゃんとした一編のミュージカルを作ってほしいじゃないか。野めぐり。“風変わりな自画像”もの、やたら「僕って変わってるでしょ」と言い続けられているようで、なんかぼやきのレベル。島めぐり。一人っ子ばかりの島での電話のエピソードはやや映画らしいが、終わりのカットで電話3台というのは物足りない。医者めぐり。痒み。これも医療風刺のレベル。ぼやくというのは、非建設的な批評ということか。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-07 11:55:49)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS