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【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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61.  そして船は行く 《ネタバレ》 一番良かったのは、カマタキのとこで歌手たちが歌声を競い合うくだり。顔顔顔。フェリーニ健在なり。狙いは面白いがあんまり成功してなかったのは、食堂での鶏催眠術。もっと盛り上がってもいいのは、ジプシーたちの踊りシーン。一瞬の美しさで言えば、心霊術に登場する歌手。上流人士の世界に下の世界が土足で踏み込んでくる、いうタッチは、どちらかというとヴィスコンティのお得意なのだが。ああそうなの、本作はヴィスコンティ的「滅び」が前面に出てくる。フェリーニは「衰え」は好んで描いたが、こういう「滅び」とはいつもちょっと軸をずらしていたように思う。ま、どちらも「懐かしさ」という陰翳を引きずってはいるんだけど。合唱とともに沈んでいくあたりはやはり圧巻。滑り出すピアノやテーブル、廊下に漂い出すトランクになぜか蝶が二匹。最後の映写をしている心酔者、あれは余計だったんじゃないか。すぐボートで大西洋を漂うサイにつなけてよ良かったんじゃないかな。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-17 10:17:44)

62.  フィオリーレ/花月の伝説 《ネタバレ》 ナポレオンの時代から現代まで続く、金と恋に翻弄される愚行の歴史の総括、と言うか。ある一族の物語を、現代を織り込みながら、寓話的に展開していく。紫の花の咲き乱れる中を、犯人を絶対見つけてと狂い走る娘、おまえを幸せにするから、言う兄ともつれつつ進んでいくと舗装道路に出て現代に戻り、次の19世紀の物語に続いていく、といったような趣向の展開。復讐が縦糸になっている。次は、墓場から戦争の時代(『サン・ロレンツォ』の時代ね)へ移る。試験官にちびちびと祖先のことでいびられたりして、縦の歴史の確認。レジスタンスへの共鳴はあっても、手をあらためられると、ばれてしまう。本人は黙秘してレジスタンスと連帯したつもりになっても、手が・自分の身体が裏切ってしまう。俺が助けたことを忘れるなよ。けっきょく金の力で「誇りある死」を奪われてしまったわけで、一族の影の歴史の宿命というか。そして最後に現代の少年と娘。老人の述懐を聴いて、笑い出す息子と涙する娘、というふうに分離がしだいに表われてきてラストに至る。悪と善の流れはまだ受け継がれている、いう結末。こういう寓話的な世界を描くと、この兄弟の語り口はとても良かったんだけど、今どうしてるの。[映画館(字幕)] 8点(2011-02-11 10:12:09)

63.  尼僧の恋 マリアの涙 伝染病蔓延のために解き放たれる見習い修道女。火事で牢から放たれる囚人のようなものか。一ときの自由で少女のころから封じ込められていた感情が出てしまう、ってな話。継母とその娘たちってのはシンデレラ的設定。まあ、どうしてもヤソ教の融通のなさがピンと来ないもので、汎神論の国の人間は、やめちゃえばいいのに、と無責任に思ってしまう。恋人の新婚夫婦が向かいで暮らすなんて、うまく持っていけば寓話的な広がりを持てそうなんだけど、あんまり生きてこない。距離感もよく分からない。ヒロインのプロモーション映画って感じもある。でも、尼僧姿ってのはいいものだ。あっちの人にとっても、なんかくすぐるものがあるんじゃないか(日本なら仏教の尼さんより、喪服姿。禁欲をことさら表明することでかえって匂い立つエロティシズム)。V・レッドグレイヴは貫禄だが、なんか作品に重しをつけるための特別出演用女優になりかけている危険を感じたものでした。[映画館(字幕)] 6点(2011-02-05 10:02:12)

64.  若者のすべて 《ネタバレ》 3章の「ロッコ」から、それまでのネオリアリズモのタッチと、神話のような世界とが重なってきて交響し、圧倒的。長男は小家庭に籠もり外界には無関心、四男は都市でやっていこうと決心して、その信念に沿って勉強してる。長男の消極的都市生活に対して、積極的都市生活。五男は未来への希望であり、故郷へ帰れる者、さらには故郷を富ませるであろう者として存在する。重要なのはもちろん、次男のシモーネと三男のロッコの対立で、この二人の自分の役割に執着するその過剰さが、神話の雰囲気をかもす。獣性と聖性の対立という二元論で片づけてもいいんだけど、さらにこの二人がどちらも都会に不適応であるところが厚み。クライマックスでロッコがシモーネのことを、「家のいけにえ」と言ってたけど(公開時の字幕では、私のノートを信ずるなら「家族の土台となる者」)、あれは自分も含めてなんだよね。クリーニング屋での女たちにからかわれながらの働き、ジムで見込まれたときの歯まで調べられる扱われよう、酔いどれて酒場で友だちに馬鹿にされる痛ましさ。それは彼ら兄弟が地上に堕ちた神々の気配を漂わせているからこそ増幅される惨めさなんだろう。シモーネが金をたかるシーンでテレビがずっと古典画を映し続けていたのなんか、これは古典悲劇なんだよ、と監督が確認してるみたい。四男はロッコのことを「許してはけないものまで許してしまった」と言ってたけど、その過剰さが彼を神々の高さにまで引き上げ、また社会との不適応を招いている。ナディア陵辱シーンの、この兄弟の惨めさの極みがそのまま神性に通じていくようなあたり、ゾクゾクする。みなで雪掻きに出かけていくシーンは、後で振り返って悲しむために仕込まれた失楽園用情景だな。父が故郷にいるあいだずっと辛抱し、憧れ続けていた北部都市にやっと出てきたという母も悲しい。南部の暮らしのつらさを描いた場面はワンカットもないのだけれど(それならもう『揺れる大地』でミッチリ描いた)、それがずっと映画の通奏低音になっている。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-01-27 10:27:10)(良:1票)

65.  地下室のメロディー 《ネタバレ》 初老のギャングは、最後に一発当てたいと思っている。青年は、現在の惨めな境遇から抜け出したいと思っている。それぞれに鬱屈があって、しかし一人では現金強奪はできない。冒険には若さが必要よ、と妻にたしなめられている。若さのある青年には、計画がない。補い合って立てられた計画。それが危うくなっていくのは、青年の方が豪奢な世界に浮き足立ってしまうから。義兄が自分のこととして心配していた事後の不安が、計画の最中に浮かんできてしまう。シャルルにとっては金に目的が集中していたが、フランシスにとっては、こういう暮らしをしてみたい、だもんだから、真剣味が弱かったんだろうなあ。フランス映画は、途中いささかモッサリしてたり「よく考えるとヘン」があっても、ラストをピタリと決めてくるので印象に残るのが多い、これなんかその典型。刑事たちの話し声とゆっくり歩き回る足だけで、キリキリと縛り上げるように緊張を高めていく。犯罪映画のラストなのに、主人公たちは走らない・どならない・しゃべりさえしない・もちろん銃も撃たない。ボーイの驚きの声が聞こえてくるだけ。二人は、あと鞄を渡すだけの距離であったプールをはさんで向かい合い、自分が手にできなかった大金をただ見守っている。ゆっくりと花が開くような札束の動きのなまめかしさ。手の届かない高慢な女のような花が次々と開き、二人の間の隔たりを花畑に変えていく。[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-12-20 10:25:25)

66.  審判(1963) 《ネタバレ》 やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)

67.  ジンジャーとフレッド 前作で、あれ、この監督も「枯淡の境地」に入っちゃうのか、とちょっと心配させられたが、また馬鹿騒ぎの世界に帰ってきた。そりゃ『サテリコン』や『ローマ』みたいにはいきませんけど、グツグツ煮立ってる鍋みたいな感じは、やっぱり独自のもの。そして喧騒と静寂の対比がやはりポイントなの。静かなホテルの前に音楽が流れ出し、オカマが腰振って、向こうのビルのネオンが点滅しだし、『青春群像』って感じの若者たちが体を揺すって歩いてゆき、ネオンが水溜りに映り、オートバイが走ってきて…、なんてあたり。テレビ局の廊下、変なのばっかし歩いていてごった返している。とふと改修工事中のトイレみたいなところに入って、ガラーンとした白、二人っきりになると急によそよそしいような…、このシーンなんか実にいい。あるいは衆人環視のステージの上で、不意にプライベートな空間が生まれてしまう皮肉。雑駁な喧騒の中に、急に親密な静寂がポコッと生まれる。と観てるこっちもその静寂の側に加担して、永遠に停電が続けばいい、と思っちゃう。テレビ批判としては別に鋭くないのも、監督本人がこういうゴチャゴチャの世界が嫌いじゃないからだろう。芸人の哀感もの、ってことでは、初期の作品に戻ってみた感じもある。けっこう残酷な話なのに優しさを感じさせ、静寂の中に静かに閉じていく。[映画館(字幕)] 8点(2010-10-26 10:02:50)

68.  白夜(1957) ささいなことだが、エキストラの動きがとっても自然で印象的だったことをまず記しておく。で、内容。主人公の優しさの異様な膨らみ、ヒロインの残酷さのあどけなさ。美談を裏から見たような話で、やはりドストエフスキーの匂いがする。女たらしマストロヤンニが、コロッと純情青年もやれちゃうってのがすごい。ハッとさせるのは、暗い閉じたセットの焚火から昼のじゅうたんの部屋にパンしていくとこ。冒頭の迷い犬がラストのマストロヤンニにまつわりついてくるなどのポーズのつけ方のうまさ。ダンスホールのシーンの解放されていく感じ。ここで、ああ同時代の話になってるんだな、と納得していると、橋の下の乞食なんかとっても19世紀的で(主人公の下宿部屋も)、不思議に時代がゆらゆら揺れている感じがあった。典型的な「良くできた文芸映画」であって、しかしそれ以上のものではない。『ベニスに死す』は文芸映画であって、しかもどこを切っても映画で充満していた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-28 09:51:09)

69.  白夜(1971) なんて言うんだろう、針金だけでできているような映画。人物に厚みがない(これ普通はけなすときに使うんだけど、そうじゃないんだ)。現実を慎重に薄~く切った結果なのか。憑かれているものの薄さとも言える。抽象画の友人の忠告に対して、こちらは古城のロマネスクに徹してる。女性を追いかけるのも、なにかに憑かれている感じ。だから全体から見ると消極的な生き方なのだが、その「一筋」に関しては豊かこの上ないわけ。実にぶっきらぼうな唐突性のなかに、あのボサノバの船がゆったりと流れていく豊かさと照合できますか。この人の映画は、針金の鋭さで描き切るのが多いけど、本作ではその針金を通して、豊かでロマネスクなものが匂い立っている。こういう世界も隠し持っていたのか。ドアの開閉のリズムなんかに抑えに抑えた美しさがあって。テープに「マルト」と吹き込んで、バスの中でかけたりして、ほんとなら突き放したくなっちゃう主人公なんだけど、ブレッソンの文脈の中だと、憑かれた崇高さが出てくるから不思議。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-26 10:11:16)

70.  盗まれた飛行船 レトロ感覚の人。ときどき挿入される大衆読み物の挿絵ふうの画像に対する愛着。子どもたちが猛獣に襲われているかも知れない、という場面で何枚かパラパラと綴られるやつ。そして銅版画ふうの線描世界。きっとこの人は、こういう時代に暮らしたかったという憧れを持ってたんだろうなあ。なんか寺山修司と共通した嗜好があるみたい。過去へ引きずられがちな傾向。プラハのほうの話でのいちいちのセット・建造物もいいし、少年たちのほうでは洞窟の中の入り江ね(これ『悪魔の発明』のときにも使った図柄じゃないか?)。とにかくとても面倒なことやって、自分の世界にしちゃってる。その特別なシーンだけが浮いてしまうことなく、一編の映画そのものがトリップしてしまう。新聞記者に発砲する家族がおかしかった。ただ筋立てが二つに分かれたぶん、『悪魔の発明』よりはいくぶん物足りない。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-23 10:04:50)

71.  世にも怪奇な物語 中世ヨーロッパを一番感じさせない女優に演じさせることで、ハンバーガーの香りのする奇妙な味を狙った、という訳でもなさそうで、こりゃ単に監督の個人映画と思えばいい1作目。馬小屋が焼け崩れた向こうに夕日が見えるなんてのはちょっと美しかった。2作目になると、ひどい奴をやらせるとアラン・ドロンの冷たい目つきは良く、勝ってたバルドーがフッと表情を強ばらす瞬間など、ヨーロッパの俳優のほうがポーはいい。つまりポーのころはアメリカ文学も実質ヨーロッパ文学だったってことか。でもこのオムニバスの価値は3作目。フェリーニの世界が凝縮されている。といっても本道をいく作品ではなく、異色作ではある。いつもの猥雑な幻想は人肌の温度を持っていたが、これは冷たい(後年『ジンジャーとフレッド』でもテレビの世界を扱ったが、あれは陽性だった)。それと製作費の関係だろうが、美術=セットにそれほど金を掛けてるようでなく、ロケの比率が高い。しかしその分、人物の顔のフェリーニ的カットがじっくり楽しめ、監督のやりたいことの手つきが認めやすい。人間はマネキンのようになり、疾走する車の道には人間のようなマネキンが立つ。疲れきった主人公。人々の喧騒から逃れるためには、車の爆音に包まれなければならない。休息を求める人々ってのが、フェリーニが一貫して描いたモチーフ。爆走の合い間に静寂が入るのが効いている。変な酔っ払いの表情も不気味なんだけど、ああいう表情が不気味になるって、どうやって発見したんだろう。橋の向こう側に少女を見て、ヒステリックな笑いが決断の表情に変わっていくとこがポイント。安息としての悪魔。テレンス・スタンプって『コレクター』と『テオレマ』とこれの強烈3本で、“こういう人”専門と頭に叩き込まれたもので、後年『プリシラ』でオカマ役を観たとき、へー、普通の人の役もやるんだ、と思ったものだった。[映画館(字幕)] 8点(2010-07-21 10:02:01)

72.  こうのとり、たちずさんで 《ネタバレ》 硬質な、ドキュメンタリー的な画面の中で、登場人物が不意に詩を語り出す。国境に立つ兵士が点呼の中で川の流れについて語り、議会で政治家が雨音の背後から聞こえる音楽について語り出す。政治に追いつめられた人々が魂の中から語り出す言葉は、詩にならざるを得ないのか。ところがこの映画の重要な場面になってくると、その詩さえ消え失せてしまう。レポーターが娘に出会うバーでは、視線だけが交わされる。川越しの結婚式の場面では、向かい合う視線と伸ばされる手だけ。この作者はもう会話を信じていないのだ。詩の言葉はあっても会話は失われている。言葉の代わりにコミュニケーションの役割を担わされた視線と手は、しかし両者の距離を強調していく。マストロヤンニとモローが市場の橋の上で向かい合うとき、二人の間には見えない国境線が引かれているようだ。人々はなぜ引き離されたのか。一方が逃げ、一方がとどまったからだ。マストロヤンニは逃げ、モローはとどまった。花嫁は逃げ、花婿はとどまった。しかし逃げた者が自由になったわけではない。逃げ出した場所にはまた別の牢獄が待っている。永遠に繰り返されるだろう脱出の後に、無数の国境線が引き直され、出会えなくなる人々の沈黙だけが堆積していく。そして詩となった言葉はさらに沈黙へ傾斜し、映画はリアリズムから伝説に入っていく。「アレクサンダー大王」は群衆の中に消滅し、「シテール島」の老夫婦は漂い消え、本作の政治家も、幾人もの目撃者たちの中に分裂しながら、伝説の人物になっていく。ならばこの映画は敗北主義に浸されたフィルムなのだろうか。いや、タコの話を聞かされた少年に託されたかすかな希望がある。そして「黄色い人」がいる。アンゲロプロスの沈んだ世界に登場する原色の黄色は、前作でも目を引いたが、この作品でとうとう重要な役を割り振られた。危険な仕事に従事する移民労働者、戸籍も国籍もなく、アイデンティティからも追放されたような人々、顔さえ定かでない究極の自由へ漂い出した人々。言葉だけでなく視線も手も封じられ、しかしそういう彼らがどこかとどこかの間に電線を繫げようとしている。ぎりぎりのメランコリーの果てに監督がたどり着いた希望。国家というものが無効になった先へ張られていく電線。その背後の空には、おそらくこの映画で初めてだろう、厚い雲を割ってかすかではあるが青空が見えかけている。[映画館(字幕)] 8点(2010-07-01 12:14:46)(良:1票)

73.  王妃マルゴ とにかくなにやら陰謀が渦巻いているのは分かった。それが一族の崩壊へと向かっていけば『ゴッドファーザー』のような作品になっただろう。どうもカメラが近寄りすぎて、ひいて息を抜きたいところでも熱演のアップになって、陰謀ってのはもっと静かにロングの画面の中で進行するのではないか。そして薄暗さ、陰影の美をあまり感じさせず、ただ薄汚れた暗さだった。『ディーバ』や『リバー・ランズ…』のカメラなんだけど。ヒロイン、政略結婚の旦那との間には、友人のような・兄弟のような、いたわり・気の配り合いがあって、実の血のつながった兄弟とは近親相姦やってんの。澱んでますなあ、16世紀末のヨーロッパ。死体の脳で運命占いするってのもすごい。[映画館(字幕)] 6点(2010-06-08 11:53:58)

74.  ミラノの奇蹟 《ネタバレ》 大風が吹くあたりまでは文句のつけようがない。日向ぼっこのシーンなんかはイタリア映画の真骨頂。『終着駅』もそうだが、この監督は大勢の人を細かくスケッチしていくのがうまい。占いでヨボヨボのおじいさんに、あんたは将来大物になれると約束したり、風船売りが飛ばされそうになると仲間があわててパンを食べさせてやるとか。ネオ・リアリズムから寓話へと踏み出している。面白いのはイタリアの映画監督って、リアリズムから出発して、みなリアリズム離れのそれぞれの個性に踏み出していっちゃうこと。デ・シーカはメロドラマ作家として洗練し、まだリアリズムの精神を残しているほうだが、フェリーニはああなっちゃうし、ロッセリーニは神がかる、ヴィスコンティはかえって後で初期の作品を観て「この人ネオ・リアリズムやってたんだ」と驚かされたくち。で本作だが、後半は鳩の魔法のいろいろ。ラストを寓話として逃げたと取るか、現実に対する壮烈な批判と見るのか。カトリックの国であることも関係しているのか。ネオ・リアリズムだけでは映画として狭くなっていってしまうという気持ちもあったかも知れない。この飛躍はイタリア映画史にとっても重要なものだっただろう。[映画館(字幕)] 8点(2010-05-18 11:59:01)

75.  奇跡の丘 「キリストもの映画」ってのは、あちらの「忠臣蔵」なんだな。観客は話をすっかり知ってて、それをどう料理するかが見せどころ。あの役は今度は誰が演じるんだろう、といったキャスティングの楽しみとか。だから量産されても、キリスト教徒用という枠が感じられて、異教徒にはちょっと疎外感があった。そういった中で、キリスト教と無縁の私でも楽しめたのが、『ジーザス・クライスト・スーパースター』と、これだった。ドキュメント・タッチで、素人の顔の力が画面にみなぎっている。サロメはいたいけな少女で、マグダラのマリアはおばさん。そして民衆の顔、顔、顔。当時を再現したって感じでもなく、髪形なんかは現代のまま。それがキリスト物語の普遍性を打ち出した。説法して回っているときの、通行人の薄ら笑いなどに、ゾクッとするほどのリアリティがある。無名の教団に対する「変な人たちね」という視線。こういう視点がハリウッド製のキリストものには欠けていた。処刑前に刑吏たちがたむろして食事してるあたりもリアル。人間キリストを出すより、彼の言葉に集中する。こんなにも説法に時間を割いたキリスト映画はなかった。イタリア語圏でない者は字幕を次々読まねばならないのでつらいところだが、新約聖書を改めて点検してる感じ。ユダもなんの解釈もせずに、おそらく聖書どおりにそのまま描いているのだろう。この監督の映画には、斜面がよく出てくる気がするのだが、とりわけ本作と『デカメロン』三部作で印象が強い。崖や斜面を民衆が上下し、それがタペストリーのようにも見えてくる。音楽はバッハあり、黒人霊歌の「時には母のない子のように」ありで、あとアフリカの民族音楽が生きる。とりわけ復活の場。[映画館(字幕)] 8点(2010-05-08 12:01:52)(良:1票)

76.  親愛なる日記 ぼやき漫談ではないか。「ぼやき」も洗練すればもちろん「芸」になるのだが、でもかつて世界で一番活力に溢れていたイタリア映画が、そんな芸を見せねばならぬほど衰弱したのか、と思うとつらかった。やりたいのなら堂々とちゃんとした一編のミュージカルを作ってほしいじゃないか。野めぐり。“風変わりな自画像”もの、やたら「僕って変わってるでしょ」と言い続けられているようで、なんかぼやきのレベル。島めぐり。一人っ子ばかりの島での電話のエピソードはやや映画らしいが、終わりのカットで電話3台というのは物足りない。医者めぐり。痒み。これも医療風刺のレベル。ぼやくというのは、非建設的な批評ということか。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-07 11:55:49)

77.  カストラート 兄弟の物語であった。二人で一つ。音楽というものが、作曲と演奏の二つで完成されること、その二者の間の愛と葛藤が重なる。馬のイメージが繰り返される。弟を去勢させた兄の疚しさの象徴か。赤いガウンが兄弟の求心力のあらわれ、白い馬が離反のあらわれ、とも取れる。病気の子どもが主人公の去勢とだぶらせられているらしい。もうちょっと展開を整理できたら良かった。ブーイングしていた観客が手をたたくまでの陳腐な演出は情けないが、それをも許せるほどヘンデルは美しい。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-04 10:43:42)

78.  アポロンの地獄 かつて名画座という文化があったころ、イタリア映画の最後の黄金期に立ち会え、フェリーニ・ヴィスコンティ・パゾリーニ三羽烏の追っかけを随分した。フェリーニの幻想、ヴィスコンティの風格に対して、パ氏の粗削りな現代彫刻のような手触り。本作の、オイディプスがテーバイにたどり着くまでが、とにかく好きだった。パゾリーニの映画によく出てくるニヤニヤ笑いをする民衆、ってのが、王を巡る物語だけにとりわけ効いている。荒涼とした風景に不意に雅楽の笛の音が流れてきて、トントンと太鼓(?)が刻み出すと、“運命”が世界を覆ってしまう。こんなにも民族音楽が効果を持った例は少ない(『王女メディア』では三味線が聞こえたが、これは日本人には四畳半的に響いて失敗だった)。しかもこの“運命”はあきらかに悪意を持っており、託宣によって積極的に主人公を不幸に導いていくのだ、そもそも赤子を“不憫”と思う気持ちに乗じて、運命はことを始めたのだし。もっともこの映画、古典悲劇の分析よりも、一つの世界の提示として強烈で、どこかの名画座に掛かっていると、好きな音楽を繰り返し聴きたくなる心境で、ついフラフラ行ってしまう麻薬のような力があった。非道な運命に対抗する荒ぶる王をやったフランコ・チッティ、パ氏の常連となったが、監督の没後はどこをさすらっているかと思っていたら、『ゴッドファーザーPARTⅢ』にチョイ役で出てきたのにはグッとさせられた。[映画館(字幕)] 10点(2010-04-20 12:05:16)

79.  グッドモーニング・バビロン! 《ネタバレ》 タヴィアーニにしてはちょっとノリが悪いか、と思っていたが、森の中のシンバルあたりからか、ぐんぐんのめり込んでいき、前半のいちいちが生きてくる。船の中で一つの皿を食べ合っていたのが、ラストで一つのカメラで写し合うシーンになるように。大きくイタリアとアメリカの対比があり、共同体の微温的宇宙のなかにいられたイタリアと、個人主義の厳しいアメリカが、常に両極にあって兄弟を操作している(アメリカの摩天楼が少年時代のクリスマスツリーに重なるの、その時はちょっとダサいなあと思ったが、この対比こそが本作の核心だったのだ)。そしてそれぞれの誇り、映画という現代の聖堂を築き上げたグリフィスの誇り、かたやレオナルドの末裔としてのオメロ・アントヌッティの誇り、ステッキのシーンなんか、いい。『イントレランス』のどんなスペクタクルシーンよりも、炎上する象のほうがスペクタクルだったのではないか。そして映画が「写して記録するものである」ということが、ここで生き、さらにラストの伏線になっている。本作がいいのは「映画史」に閉じてしまわず、世界史に向かって開かれていること。[映画館(字幕)] 8点(2010-04-13 11:58:39)

80.  湖のほとりで 《ネタバレ》 ゆっくりとズームしていくカメラ、たとえば女の子を乗せた車とか、湖畔の刑事たちの捜査風景とか、ドキドキさせる。これぞ推理ドラマのノリ。またイタリアっていうと、青い地中海や麦畑を縫っていくポー川など、明るい世界が多かったが、ここはアルプスの近くなのか、道路の果てにはいつも衝立のように岩の塊の山がそびえていて暗い。ますます推理ドラマの背景としてピタリ。そこで繰り広げられる人間ドラマ、これで話がよく分かると文句ないんだけど、すんません、話のツボが分かりませんでした。私が理解できた範囲でまとめると(以下本当にネタバレよ)、どうも「回復しない病」ってなモチーフの周りを巡ってるようなんだ。発達障害(?)の幼児がいて、好転しそうもなくて、親が放置による死に至らしめる、それを窓から目撃したアンナが電話などで親を追いつめる、しかし彼女も診断の結果回復しない病で、半分自殺のように甘んじて殺される、刑事の妻も回復しない病、湖畔に暮らす偏屈ものオメロ・アントヌッティ(久しぶりに会えて嬉しかった)の知恵遅れのせがれも、回復しない病に入れていいかも知れない。そんな構造の話と理解したんだけど、どうも自信が持てない。アンナの行動、幼児に殉じたいってだけでは説得力に乏しく、なんか読み損なったとこがある気がする(違ってたらどなたか正解を記してね)。犯人がバッグをボーイフレンドの庭に埋めるってのも無理がないか。「推理ものは、けっきょく言葉による説明になっちゃうから映画としては弱い」とつねづね思ってたもので、文句を付けづらいんだけど、すんません、もうちょっこし説明してくれると嬉しいなあ。刑事さんが断崖の端に犯人を追いつめて、お前だ、って指さしたり、じっくり解説の長ゼリフをしゃべったりするのを、もう馬鹿にはしません。ヴァレリア・ゴリノはまだ幼児の母親役やってんのか、いくつになったんだ?[DVD(字幕)] 6点(2010-04-04 12:15:06)

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