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【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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101.  ミクロコスモス そこらの草原が実はワンダーランドであったという発見。隠れていたジャングルが姿を現わす。植物と動物が、さらには水や空気までが親密に通い合っている世界。ミズグモっていうのだったか、空気を採取してきて水中の藻の中に巣を作っていくの、クモによって抱え込まれた空気の不思議な質感が新鮮だ。雷雨のスローモーションによる水の表情もすばらしい。無機質であるものが虫たちと同等に生き物めく。僕らはみんな生きている、って気分を実感する。微速度撮影が植物の動物性を見せ、高速度撮影が動物の植物性を見せる。そしてこれらはフィルムの開発によって初めて目にすることが出来た世界であることに、感謝せずにはいられない。ヴィーナスの誕生のような蚊の荘厳。あくまで一日のドラマでこれだけの物語が展開する、ってことは、これに四季の変化が加われば、さらに豊かな物語が紡がれていることだろう。[映画館(字幕)] 7点(2009-04-06 11:59:13)

102.  ロザンナのために 《ネタバレ》 イタリアが舞台のアメリカ映画だが、監督は英国人で、題名から想像されるラヴストーリーより、死体をめぐるコメディの要素が濃い。妻の墓地確保のために、妻が死ぬまでは町から死者を出させまいとする夫の奮闘。交通事故の死者を出さないように交通整理までやるの。その彼の周囲で死がチラチラする趣向。あっさり自分の車で死者を出してしまい氷漬けに、という展開になっていく。マフィアも絡んできて、こいつもあっさり当人の前で拳銃自殺、何か俺に恨みでもあるのか、って。カチカチの死体を解凍するところで、死体の耳に残っていたグリーンピースをあわてて口にするギャグがある。こういう映画だから、題名でロマンチックなものを期待した向きには気の毒。ジャン・レノってランニングシャツがよく似合う。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-14 12:12:51)(良:1票)

103.  ここに幸あり(2006) 《ネタバレ》 フランス生まれではない監督なのに、ここにはフランス映画の伝統が息づいている。前半の政治家たちのドタバタはクレールを思い出すし、後半のグータラ万歳はルノアールの精神に近い。ブハッと笑うところはないが、たえずニコニコしていられる。思えば最近のコメディって、ブハッとした笑い狙いが多く、こういうのはなかった。なにもこういうのが高級でブハッ笑いが低級だとは思わないが、いろんな種類の笑いの映画があってほしいもんだ。あらすじだけを取り出すと、「忙しかった大臣が罷免されたら人生が楽しくなった」と陳腐きわまりないものになってしまい、あんまり見たくなくなるけど、全体にある洒落た感じの心地よさは筋とは関係なく、ああこういう映画ってもう絶滅寸前かも知れない、と思いながら楽しく見られた。どこがどうとうまく言えない。たとえば省略、ヒョウが運ばれていくだけで次の大臣も失脚したのか、と分からせるあたり、とか、彫像を運んでて割ったかと思わせて鏡を割っただけだったり、とか、もっといい例があったと思うんだけど、それほど強く脳に刻み込まれるギャグではなく、ノホホンとした笑いなので、心地よさだけが思い出されてあとはぼんやりしている。ここんところがつまりこの映画の特徴でもあるわけで。[DVD(字幕)] 7点(2009-02-16 12:18:24)(良:1票)

104.  永遠と一日 《ネタバレ》 この監督が紹介され出したころの作品は、叙事詩と抒情詩が拮抗しているようなところに魅力があったんだけど、どうもこのころから抒情詩のほうへ傾斜していっていて、なんかもう一つ固い芯がほしいところ。叙事詩的な部分の映像のほうがいい。横一列の車、横一列の警官。十名ほどの人がぞろぞろ歩くってのは、もうこの人のサインみたいなシーン。結婚式の場面などは、またかと思うがやっぱりいい(この人はミュージカル監督なんだと思ってる)。そして水辺ということ、海、川、港、ここらへんは抒情詩的な題材だけど。国境の金網にぶら下がる人々、死体置き場の階上から見下ろす人々、つまりどれも“人々”の映像がいいんだ。そもそも“無言の無名の人々”っていうのが、叙事詩的なんだろうな。いつも一縷の希望を託すようなラストだったのだが、今回の朽ちたテラスでの幻影のダンスってのは、この人にしては退嬰的な気がした。[映画館(字幕)] 8点(2008-12-10 12:13:05)

105.  レッド・バイオリン 《ネタバレ》 古い器物が化け物になるという発想はもう今昔物語の昔からあり、いにしえの人が身近に置き愛玩していた道具に、なにやら執着が付き添い怪しい奥行きが出てくる、って感覚はよく分かる。まして楽器という精神性の高い道具ならなおさら。それぞれの時代で持ち主の不幸を奏でながら流浪するバイオリン、ってな話。怖いのは何話目だったか、パガニーニを思わせるような音楽家、その浮気がバイオリンの音色の変化で分かってしまうってやつ。で妻はピストル撃つのだが、それは女でも男でもなくバイオリンに向けられる。恋敵はバイオリンなんだな。我々が支配し切ったつもりになっている道具というものも、そっちの側からこっちを見る視線を感じれば、けっこう怖い材料になる。[映画館(字幕)] 7点(2008-12-04 12:13:54)

106.  マイ・ネーム・イズ・ジョー 《ネタバレ》 前半、若くもない男女が次第に親密になっていくあたりの丁寧な進行。壁紙、70年代ポップスの歌手あてゲーム、セーラの仕事場に行ったとき「ああ、ジョー?」と受付の女性にももう知られていることが分かる、なんて。で、ボーリングを経て、恋人を殴った過去を告白するまでに。いっぽう甥リアム周辺に不吉の影が立ち込め出し、ここらへんからドラマが動き出す。運び屋の仕事を引き受けてしまい、それがばれたときのセーラのせりふ「あたしを殴るの」がむごい。どこかエモーションは、仁侠映画に近いのではないか。主人公の回りをうろちょろするリアムみたいのって仁侠映画にもいるでしょ、殺され役。そして主人公の情感の爆発。ジョーがボスを殴るのは、健さんがドスを抜いたようなもんだ。リアムはジョーの分身でもあり、家庭を持てたジョーでもある。だからリアムが死んでジョーが再生し、ジョーの家庭がおそらく生まれるであろうラストになるわけ。主人公が殺されたり牢屋に入ったりしてこの社会から降りるという安易なラストにならない。地獄でも極楽でもないこの世界に踏みとどまる。いや、極楽ではないが地獄でもない、という順番かな。[映画館(字幕)] 8点(2008-11-09 12:15:30)

107.  海の上のピアニスト 《ネタバレ》 ハリウッド映画だったら、ラストは街へと一歩踏み出していく終わり方を選ぶだろうな。でもこれは、あえてとどまる。有限の鍵盤で無限の曲を奏でるピアニストとしての矜持か、それとも外の無限を怖れてのひきこもりか。船の中ならなめらかに自在に滑りまわれる男なんだけど。単に臆病なのなら、こんなに天使のように美しく描いてしまってもいいのかと思うし、でも船から下りない生き方を肯定しているようでもない。移民や娘たち、実生活のある無限へ乗り出していくものたちも描いている。その肯定とも否定ともはっきりさせないところが、つまり伝説の豊かさなんでしょうなあ。[映画館(字幕)] 7点(2008-10-31 12:07:56)

108.  カサノバ(1976) 《ネタバレ》 おそらくフェリーニで一番ペシミスティックな作品。醜女が次から次へと現われてくる前半はいささかうんざり気味だが、昆虫みたいな衣裳を着けた貴族の屋内オペラあたりからか。思わず「待ってました!」とかけ声を掛けたくなるフェリーに顔の男で、クネクネしたその気味悪さが実に気持ちいい。ローマでの精力競争の馬鹿騒ぎぶり、芝居が終わった後の劇場の空漠、ドイツでのオルガンの狂い演奏(ここはニーノ・ロータの独壇場)と、名場面はいろいろあるが、どこか悲痛な気配が常に漂っている。カサノバは女性の人格を、口では尊重していた。おそらく貴族的に崇拝はしているのだろうが、しかしコトに至ると、女性嫌悪・女性恐怖としか思えない相貌に女は変わって見えてくる。そして精力競争で相手の女が浮かべた哀れな表情は、目にしていない。彼は人格としての理想の女性を求めすぎて遍歴を続け、最後にたどり着いた相手は、心を持たないものだった。乱痴気騒ぎの連続の果てに訪れた孤独の平穏、凍りついたベネチアでのラストダンスで悲痛は極まった。[映画館(字幕)] 8点(2008-10-10 12:13:20)

109.  ただいま 街の音が沁みる。住宅から漏れてくるテレビの声など、彼女が牢屋にいる17年間耳にしなかった音だし、たぶんそれ以前にも聞いたことのない街の音。中国におけるここ17年の変化は大きい。やがてここに入っていかなければならない世間に対して身構え、耳を澄ましている緊張が伝わってくる。天津の街の、息の白くなる寒さも伝わる。主任のほうにもちょっと帰りにくい家があり、帰還するということの緊張が本作のテーマ。浦島太郎を基本形にして、「帰還もの」という物語のジャンルを考えてもいいかもしれない。帰還するって、けっこう大きなドラマなんだ。[映画館(字幕)] 6点(2008-08-22 10:03:44)

110.  欲望(1966) 《ネタバレ》 トーキーの発明で、映画は無音の緊張を描けるようになった。主人公のカメラマンが公園に入っていき問題の男女を目撃する場の緊張、これは音が欠けているというより、葉のかすかなざわめきを埋めるようにどんどん無音が充満していく。あるいは彼の部屋に写真を順々に貼りめぐらし、昼の公園の時間と空間が再構成されていく場、夜の死体発見の場、など、ここぞというところで無音がこだまし緊張を高める。押し黙った労働者たちの群像、しゃべらないファッションモデル、シュプレヒコールを叫ばないデモ隊、ロック会場の異様に静まった客席も印象に残る。またそれらはしばしば喧騒と隣り合わせだ。冒頭のはしゃぐ白塗りの若者たち、闖入するモデル志願の二人組、エレキギターを奪い合う騒動、それらがより無音を際立たせている。この無音の緊張の果てに聞こえてくる白塗りのパントマイマー(無言劇)のテニスボールの音、冒頭の喧騒を裏返したような彼ら、なにかあそこで映画全体が表裏ひっくり返ったような、それがいいことなのか悪いことなのか分からないが緊張が解放されていくような、そんな気分がラストにはあった。[DVD(字幕)] 7点(2008-08-17 09:32:14)

111.  ノー・マンズ・ランド(2001) 現代を一つの設定としてうまく言い当てるのも映画の仕事。美しい田園が広がる中、背中に地雷を感じて微動もできず、便意をこらえつつ横たわり続けるという状況に、“現代”が、単にボスニア・ヘルツェゴヴィナという地域を越えて、言い当てられている。この切迫感と、それをうんざりしている気持ちとがまぜこぜになった心理状態。セルビア兵とボスニア兵が、互いに銃で脅して「戦争は俺たちが仕掛けた」と言わせ合うあたりの笑いも苦い。国連もマスコミも最後の裁き手としては登場しない。ただ遠雷が聞こえてくるだけ。[映画館(字幕)] 7点(2008-06-12 12:10:00)

112.  ゴスフォード・パーク ダーッと登場人物があふれる。これ小説だったらそうとう混乱しただろうけど、映画だと、とにかくその中に身を置いてあたりを観察しているうちに、しだいに整理されてくるから大したものだ。上の階と下の階、別々の階級の世界を描き分けていたのが、だんだんと絡まってくる面白さ。マギー・スミスは召使を使って情報を集めるし、上の客であるアメリカ青年は下に潜り込む。マギー・スミスの上流階級の酷薄さは、そのままイギリスが(しょせん芸人風情の)アメリカを見る眼の残酷さでもあろう。監督はそう見られるアメリカを笑い、そう見るイギリスも笑っている。[映画館(字幕)] 8点(2008-06-02 12:14:29)

113.  ギャング・オブ・ニューヨーク 前半はほとんど長谷川伸的股旅ものの世界。久方ぶりに国にけえると、親分が死になすったあと子分どもは敵方の下働きになってて、情けねえ、の世界。女スリの姐御ってのも日本の時代劇の常連だ。アメリカも日本も同じころに内戦を体験し、同じころに徴兵制開始で揺れていたわけで、けっこう心性でも似通ったものが生まれる下地は出来てたんだ。国家が固まる前のならず者の時代の、自由と荒々しさはよく出ていた。まだ家畜のいるニューヨーク、火消したちの争い、いいかげんな選挙…。でも大味で、この監督ピークは10年前に終わったなあ、の思いをあらためて確認した作品でもあった。[映画館(字幕)] 6点(2008-05-31 12:17:49)

114.  それでも生きる子供たちへ 私は一番最初のアフリカの少年兵の話が良かった。たとえば青空の下の畑(?)での大人の敵兵との撃ち合いなんか、そこが遊ぶにふさわしいような場所だけに、その唐突さ・非現実感から現実感が生まれてくるジワッとした感じなどが迫ってくる。破壊するために訪れた教室で、学ぶ夢に誘われる少年を、スニーカーを脱いだ足で見せた。言葉は寡黙で映像が雄弁という理想的な作品だった。“学校の夢”はラストの中国篇とも呼応している。また中国篇は“ゴミ拾い”でブラジル篇と、アフリカ篇は“戦争”でイギリス篇とつながり、“盗み”でジプシー篇とイタリア篇が通じ合っている(あのイタリア篇、夜の遊園地が夢のようにきれいだと思ったら、カメラがヴィットリオ・ストラーロだったのか)。いま世界での苛酷な子供の状況を多元同時進行的に捉えることが出来るオムニバスでもある。[DVD(字幕)] 6点(2008-05-22 12:21:40)

115.  フランチェスコ どうもこういう原理主義運動ってのは好きになれなくて。異端にも、次の時代の正統になっていく前向きの異端と、そうでない後ろ向きの異端ってのがあるみたいで、だいたい原理主義ってのは後ろ向きの異端だよな。ロッセリーニの『神の道化師、フランチェスコ』では、そういうとこが気にならなかったのは、あれは教団内の「友情のようないい感じ」を中心に据えていたからだろう。教団と外部との関係が前面に出てくると、たとえば生産をしないことをどう考えてたんだろう、とか気になってくる。特権階級を恥じて、しかしけっきょく別の特権階級になっちゃったんじゃないのか、とか。家を壊したりするのにも、スタンドプレーの匂いがした。ミッキー・ロークだったからかなあ。キャスティングで凄いと思ったのは、ミッキー・ロークよりもフランチェスコの両親で、父親が『ソドムの市』の人、母親が『最後の晩餐』の人と、私の大好きな異端の悪趣味映画出演者を揃えてくれてた。[映画館(字幕)] 5点(2008-04-03 12:22:25)

116.  ネオ・ファンタジア 《ネタバレ》 面白かったものをいくつか。「スラヴ舞曲」、一人の男がすることを、集団が真似する。男はだんだんうるさく感じてきて、崖から飛び降りるふりをして連中を集団自殺に追い込もうとするが…、ってな話。独裁者と大衆との関係の風刺で、その両者を笑っている。「ボレロ」の前半が圧巻、どこぞの宇宙飛行士が投げ捨てたコーラから、生命が生まれ進化していく。このネトネトした感覚の動きが気持ち悪くも面白い。本家『ファンタジア』の「春の祭典」のパロディなんだろうが、これだけでも充分楽しめる。芸術性では「悲しみのワルツ」、取り壊し寸前の廃屋で過去を懐かしむ猫、という設定。猫の仕種など細やかで、ユーモラスでさえあるのがいじらしい。二次元の絵から三次元の想い出がこちら側に広がってくる。ほかに「牧神の午後への前奏曲」「ヴィヴァルディの協奏曲」「火の鳥」など。「フィナーレ」で、人類が滅亡しハッピーエンドとなる。全体に“素直でなさ”が感じられるところが、イタリアというお国柄。[映画館(字幕)] 7点(2008-03-15 12:13:32)

117.  殺し(1962) 《ネタバレ》 原作はパゾリーニで、たしかにチンピラやごろつき、兵士たちなど社会の底辺の鬱屈が次々と描かれていくあたりに、その気配がある。でも空間の捉えかたに、アントニオーニを一番感じた。広場や造成中の土地のガラーンとしているウツロな広がりの感覚。映っているものよりも、それが抱えている空虚のほうが印象に残る風景。いやいや、これはアントニオーニの影響というより、ベルトルッチの個性かもしれないぞ。後年、紫禁城にあれだけ人を詰めても、広場のウツロさが際立っていたもの。間違いなく彼の個性なのは、ダンス好き。女二人のダンスシーンがもうあり、ラストもダンス会場での逮捕となる。共同脚本のうち、ダンスのある部分は監督本人だろうと勝手に推測する。[地上波(字幕)] 6点(2008-03-02 12:20:53)

118.  クィーン 《ネタバレ》 空気が読めない、ってことを、最近はひどい欠点のように言うが、そうだろうか。この映画のエリザベス女王は、まさに空気が読めなかった。自分の王国が空気のおもむくままに浮遊する「大げさな涙とパフォーマンス」の国に堕してしまっていたことに気づかなかった、あるいはうすうす気づいていて認めたくなかったのかもしれない。自分が国の品位を体現する存在だと信じていた。イギリスならではの、皮相なからかいのない上質のユーモアで綴られた映画だが、かなり苦い内容を含んでいる。この女王の落胆が主題だから。そして作者は、空気を読めなかった女王を遠回しに賛美し、ダイアナバッシングから王室バッシングへころっと変われる世相を遠回しにチクリと刺す。やがて殺されていく大鹿の威厳と女王の品位、敗北していくもの同士が対面する川岸のシーンを美しく歌い上げたように、ひとつの文化の型が失われていく挽歌を、この映画は奏でたかったのだろう。あの鹿はダイアナではなく女王自身、こうでありたかった女王の肖像画なのだと思う。それにしてもこういう映画を平気で作れてしまうのは、シェイクスピアの史劇の伝統があるからなのか、ウチの国はかないませんなあ。[DVD(字幕)] 7点(2008-01-14 12:23:21)

119.  ホテル・ルワンダ 西欧社会への皮肉が利いている。「アフリカの黒人はニガーですらないのだ」という、虐殺への無関心ぶりへの一言。「虐殺の映像が流れても、怖いねと言っただけでディナーを続けるのだろう」なんてセリフは、今まさに映画を見ているこちらへも向かってきている。草葺の小屋でなく、近代都市のホテルが舞台なのが怖い。考えてみれば関東大震災の虐殺のときだって、我が東京はもう充分近代都市だったわけだし、将来北朝鮮がパンクして大量の難民が日本海側の海岸に流れ込んできたとき、インターネットでの煽動でもあれば、こういうことが起こらないとは断言できまい。責任感を霧散させてしまう集団の狂気って、いつでもどこでも発生してやろうと待機しているらしいのだ。[DVD(字幕)] 7点(2007-12-06 12:23:02)

120.  エレニの旅 もちろんすばらしい映画ではある。筏を連ねての葬儀や、樹に吊るされている羊たちや、水没していく村など、アンゲロプロス以外には作れない厳粛な映像が展開している。難民の世紀としての20世紀を検証しようとする姿勢も正しい。でもなんかツルッとしている。初期の作品はもっと歴史と人間がジャリジャリと擦れ合っていた。脚本にトニーノ・グエッラが加わるようになってから、このジャリジャリ感が少しずつ薄れてはいないか。どこかページェント的、オリンピック閉会式のショーを見ているような気にもなってしまうのだ。[映画館(字幕)] 7点(2007-12-05 12:25:20)(良:1票)

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