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【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
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1.  荒野の用心棒 《ネタバレ》 “Per un pugno di dollari”『一握りのドルのために』。夕陽のガンマンの原題に繋がってます。 『西部劇のイーストウッドと言えばこの作品』って勝手に思ってたくらい、例の鉄板のシーンが印象的です。 監督自身が認める黒澤作品のオマージュ映画だったことから、まず用心棒を観ないことには何とも評価が難しいかもしれませんね。 「あっちにバクスター、そっちはロホス。真ん中に俺」意味は解らないけどカッコいい。「俺の馬が怒ってるから謝れ」なんて、メチャクチャな言い掛かりがマカロニ・ウエスタンらしくて良い。ロホスとバクスターの2大勢力を手玉に取って、抗争に持っていく巧みさが痛快。 けど、ジョーに都合よく事が運びすぎる気がするなぁ。兵士2人の死体を墓場に配置するのは良いけど、アレどう見ても墓に伸し掛かった死体にしか観えないのに、両陣営撃ち合い始めるなんて。 ジョーが両陣営にフリーパスなのも、あの狭い街でそんなに器用に出来るのかなぁ?とか。…でも借金の方に取られた女房の監禁先が、親子が住んでた家の向かいにある(だよね?)くらいだからなぁ。ゴロツキのアジト2つと酒場と棺桶屋しかない変な街なのが、生活感を排除したマカロニ・ウエスタンらしいかな。 BTTF2にも登場する鉄板。その辺の適当な板かと思ったら、結構手を掛けて作ってたのね。ラモンが西洋甲冑の胸を綺麗に撃つのが良い前フリになってますね。でもあんなに何発も撃ってたのか。鉄板に当たる音でバレそうな気がしないでもないけど、そのツッコミは野暮でしょうね。[DVD(字幕)] 6点(2024-03-20 20:43:20)《改行有》

2.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 “Le Grand bleu”『雄大な青』。日本では公開当時“Great ”とし、アメリカでは“BIG”にしてます。グレート・ブルー当時大流行しましたね。それが数年後グラン・ブルーに名を変えてリバイバル上映。私はどちらもきちんと観ること無く現在に至りましたが、ジャック・マイヨールとかエンゾとかって名前は知ってるくらい、知名度の高い映画です。 父親の事故のシリアスさから生真面目な映画かと思いきや、コメディ要素も入っていて、リュック・ベッソンらしいなって思いました。 振り返ると『あ、この子ジャン・レノの子供時代だな』って一発で分るのも面白い。ジャン・レノってどの映画でもジャン・レノですね。 ジャイアンとのび太の友情スポ根ものかとも思いましたが、それ以上に海への愛が異常なほど強いですね。登山家とかもそうですが、命を懸けてまで未踏の領域を目指す気持ちって、どこから産まれるのか? イルカへの愛も強く感じます。イルカと心を通わせられるジャック。イルカを家族として写真を持ち歩き、イルカに似た女性(言われてみれば似てるかって思いました)を好きになる。ジョアンナとの初めての夜、寝てる彼女放っぽって一晩中イルカと遊ぶなんて『そこまで・・・』って思ってしまいます。余談だけど日本チームが滑稽に描かれてるのは、やっぱクジラとか食べるからかなぁ? ジャックの海愛・イルカ愛は、人魚姫の逆バージョンのようにも思えますが、父親が危機たときに、いち早く状況を察知したのも、彼にはソナーのような能力があるんでしょうか。安直な言い方をすると『丘で産まれたイルカの物語』ですかね。 子供の頃の海の夢は、命懸けで浮上する怖い夢に見えましたが、エンゾを見送った後は夢の中のほうが居心地が良さそうです。何時からか(最初からか)、「海底は怖い、上がってくる理由が見つからないから」と。そんな感覚は私の理解を超えますが、この映画を観ていると、何となくですがその気持が(私には理解できないってことが)わかるような、そんな気がします。最後ジョアンナの話も聞こえてるのかどうか…イルカに誘われて向かう深海は、私には真っ暗闇に観えましたが、ジャックにはきっと雄大な青に映っているんでしょう。[DVD(字幕)] 6点(2024-02-24 11:00:08)《改行有》

3.  イングリッシュ・ペイシェント 《ネタバレ》 “The English Patient”『イギリス人の患者』。 上空から見た砂漠のうねりが何とも美しい。女性の体の曲線美にように艶めかしい凹凸。そして泳ぐ人の壁画の模写。単純な線なんだけど腿や腰の肉付きの表現は、原始的ながら女性独特の体型を想像させる。そしてキャサリンの体の線の細さ。抱きしめたら折れそうな細さ。 彼らの仕事である『砂漠の地図』も、彼らが洞窟で発見した『泳ぐ人の壁画』も、特定の誰かのためではなく、自分たちのことを後の誰かに伝え残したい気持ちが強かったんじゃないだろうか。 アルマシーが記憶を失った(事にした)のは、ドイツに協力したことを隠して図太く生き延びるためではなく、キャサリンとのことを残したかっただけなんだろうなぁ。カラヴァッジョに当時の自分の気持ちを伝え、ハナにキャサリンの最後の手紙を読んでもらい、自分がここにいる理由を再確認することで、思い残すこと無く死ぬことが出来たんだろう。 不倫に嫌悪感を抱くのも理解できるけど、心から1人の女性を愛したことのない不器用なアルマシーと、深く考えず幼馴染と結婚してしまっていたキャサリンの愛と考えると、それこそ人種に対する偏見や、国が違うことで起きる戦争と同じ悲劇とも思えた。国境があるために起こる悲劇が戦争なら、婚姻があるために起こる悲劇が遅すぎた愛なのかしら。 別れ際、当然というか大人らしい選択をしたキャサリン。まさかの無理心中の際に、ネックレスにした指ぬきを付けていたのが、それが鎖骨のくぼみに収まっていたのを観て涙が出てしまった。 愛より夫を選んだけど、ここ(天突って言うそうだけど、これ東洋のツボの名前だよなぁ…医学的には頚窩(ケイカ=jugular fossa)って言うそうだよ?)は、二度と会うことは無いあなたのもの。って、キャサリンのような大人の女性がこんな可愛らしいことしてたら、この世ではない場所までキャサリンに会いに行った、アルマシーの気持ちが解ったような気がしたわ。[DVD(字幕)] 8点(2023-09-24 23:20:35)《改行有》

4.  愛の嵐 《ネタバレ》 “Il Portiere Di Notte”『夜勤のポーター』。これは、邦題とどっちが良いのか困ってしまう。マックスが夜勤に拘る理由から納得な原題だけど、お客が入るのは邦題の方だろう。なにせあの“トップレス×サスペンダー×軍帽”ポスターのインパクトは強烈で、どれだけ過激なエロスが観られるんだろう?って、興味はそっちに全振りされてたんじゃないかな。 ってか予備知識無しで観たから、何がしたい映画なのかよく分からなかったわ。ナチスがユダヤ人を弄ぶ映像に嫌悪感を覚えたけど、現代のホテルとの繋がりがよく分からず…ネットであらすじ探してようやく、何が起きてるか理解できたかな?くらい。でも何でそうしてるのかサッパリ分からなかった。 マックスはナチス残党たちと上手く交渉するとか、逃げないで籠城が正しかったのか?とか、なんかもっと上手く出来なかったんだろうか。ルチアのために鎖で繋ぐとか意味がわからん。何だろう、周りが見えなくなってしまうほどの…愛? 残党側も兵糧攻めなんて手間と人手の掛かりそうな方法がベストだったんだろうか?ガッと攻め入ってババっとやっちゃえば早かったろうに、中途半端に撃ったり、店の店主や隣人を懐柔したり。隣人トラブルの嫌がらせレベルの兵糧攻めからの、最後は雑に終わらせる始末。 本筋とどれだけ関係しているのか不明だけど、バートのセクシーなダンスと、黙ってそれを観ている将校たち。ユダヤ人男性とのベッドシーンと、黙って観ているしか無い同室のユダヤ人たちの画は、かなり衝撃だったわ。あんな人前で、よくまぁ…って。 名作か駄作か判断に迷う作品だけど、マックスとルチアの“周りの観えてなさ”や“死という退廃的な結末”は、日活ロマンポルノに近い印象です。オーストリアとナチスを背景に、倒錯した愛という衣をまとった成人映画というか。成人映画監督が一般映画枠で撮った実験的な映画というか。[インターネット(字幕)] 5点(2023-08-14 11:35:17)《改行有》

5.  ジョン・ウィック:チャプター2 《ネタバレ》 2作目ともなると、どういう映画か解っているぶん、素直に楽しめました。ジョン・ウィックの無双。技のキレ。銃撃の正確さ。華麗さ。全てが前作より増していたような気がしました。 もう飽きるくらい多彩なガンアクションが長時間堪能できます。ジョンにアッサリと殺されるあいつら、それなりに訓練を受けたマフィアとかなんだろうけど、あぁも簡単に死んでしまうんだな。 ジョンの体術と銃さばきをミックスした、流れるようなガンアクションを観ていると、一部マニアに人気があった“ガンカタ”が頭に浮かびます。燃えよドラゴン張りに『鏡の間』をクライマックスに持ってくるところからも、“銃を使った格闘技”を再び世の中に浸透させようという意図があったのかもしれませんね。なんで前作でピンとこなかったんだろう? 陰ながらジョンを助ける役で、ローレンス・フィッシュバーンが登場したのには、おぉ~~~ってなった。きっと次作で活躍するのかな?犬は無事かな? この映画の世界は殺し屋があまりに多すぎるのと、ジョンと同等の殺し屋が出てきたために、ブギーマンの絶対優位性が薄れてしまった気はするけど、1→2の時より続きが気になる創り&終わり方だったのは好感。[インターネット(字幕)] 6点(2023-06-28 23:31:51)《改行有》

6.  黒いオルフェ 《ネタバレ》 “Orfeu Negro”『黒人のオルフェ』うん、良い邦題です。 オルフェって奥さんのエリディスが大好きな人なんです。新婚早々に死んでしまったからってこともあるんでしょうが。それが本作のオルフェは婚約者が居て、エリディスは言ってしまえば浮気相手。しかも隣人の従姉妹ときた。この設定は脳内がぐわんぐわんしますね。 現代のオルフェはイイ男なんでしょうけど、ミラと結婚した理由が見えない。なんか、モテ男が街一番の美人の女と適当にくっついたようにしか思えない。で、一目惚れなのか運命なのか、田舎娘のエリディスにアッサリ鞍替え。しかも婚姻届出したその日に。従姉妹のセラフィナは、オルフェとエリディスの関係をバックアップしたり、この人もどこかぶっ飛んでる。ミラの目を盗んでカーニバル中イチャイチャするオルフェとエリディスに、ちょっともやもやしてしまった。原作では奥さんの役柄が浮気相手になるだけで、こんなに冷めた目で観てしまうものなのか。 神話ベースっぽいトコを探すとギターに書かれた『オルフェは私の主人』の文字。幾星霜の時を超え、琴はギターに変わって、現代に転生したんでしょう。オルフェとエリディスは他人に。エリディスを殺す毒蛇はガイコツの男に… 妻を生き返らせようと、冥府深く下っていく場面は、逆にビルの12階まで登っていく設定に。これ富裕層は海岸沿いの平地に住んで、貧民層(ファヴェーラ)は高地に住むリオデジャネイロを模したんでしょうか。 高地から見下ろすリオの街。当時のカラーフィルムが映し出す少々荒い画が、異国感を強く感じさせて美しかったです。 ギターを弾く少年と、踊る少女はオルフェとエリディスの生まれ変わりでしょうか?じゃあもうひとりの少年は…ガイコツの男?[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-22 00:24:15)《改行有》

7.  太陽がいっぱい 《ネタバレ》 “Plein soleil”『炎天下』。いやもう『太陽がいっぱい』って素晴らしい邦題じゃないですか。'60年にこの邦題付けるセンス。酒場の女店主に「リプレーさん、電話ですよ」と呼ばれ、笑顔で向かうところで終わるのも、その先どうなるか私たちは解っているのも、素晴らしい。 中学生くらいの頃、親戚のおじさんが「Kちゃんは映画が好きなのか!おじさんのオススメは太陽がいっぱいかな!」って言われた作品。聞いたことはあるけど、古い映画だし観る機会がなくて… でリメイク作から先に観ました。しかもこの映画のリメイクと知らずに。その後本作を観て「・・・あれ?これリプリーに似てない?」って。 そのお陰か、リプレーがフィリップに近づいた過程が理解しやすかったし、改めてフィリップへの思い・感情を深読みしてしまいました。フィリップの服を着て鏡にキスするいところって、そうだったのか?って。 私の中でリメイク作はそんなに評価高くなかった(当時)んですが、オリジナルのアラン・ドロンはとても魅力的でした。OHPに移したサインをなぞるシーンがすごく格好良かった。甘いマスクと運の良さであのポジションを手にしたのではなく、人知れず努力をしているのが伝わってくる名シーン。 ニーノ・ロータの音楽と地中海の景色は映画だからこそ。短時間の観光ツアーでは味わえないであろう、時間が止まっているような感覚を体験できました。そして最後の衝撃。絡まったワイヤーを観て「あああっっ!!」って声が出てしまった。いや映画って素晴らしい。[ビデオ(字幕)] 10点(2023-04-16 16:14:17)《改行有》

8.  クィーン 《ネタバレ》 “The Queen ”と書いて『エリザベス女王』と言って良いでしょう。本来女性の王を指していますが、エリザベス女王は昨年秋に亡くなり、いまご存命なのはデンマークの女王のみ。ただ今後ヨーロッパ各国の王位継承者である“王女”が“女王”に在位してくるそうな。 ダイアナ元妃が亡くなってから10年後に創られたこの映画。イギリス王室の内部をかなり赤裸々に、人間味ある人物として描いています。エディンバラ公とエリザベス王太后はダイアナを嫌っているし、チャールズ皇太子は自己中。この辺、自虐的とも言える、王室を綺麗に描きすぎないさじ加減が、とても上手いなぁって思いました。 本作公開の前年にロンドン五輪開催が決まり、イギリスが一丸となって盛り上げていきたい時。王室始まって以来の大スキャンダルだったダイアナ元妃の事故死に、映画としてメスを入れる行為。それも主役はダイアナではなく女王とブレア首相(当時は現職)にして。イギリス人がこの映画を観て『キレイゴトじゃん』って思っては、シラケムードになっていたところ。※余談ですが私は『フクシマ50』にそれを感じてしまいました。 伝統に縛られ頑なな王室と、国民感情に沿うように歩み寄らせるブレア。印象的な鹿の最後。自らも鹿狩りに参加する一方で、偶然目にした美しい雄鹿が仕留められたことにショックを受け、お忍びで鹿と対面し、仕留めた客人に“おめでとう”と伝えるように言い残す。そんな“公”の一面しか見ることの出来ない女王にも“私人”としての感情もある事を、改めて国民に観せている。 バッキンガム宮殿の前の、花束の少女とのやり取り。ブレアとキャンベルとのやり取りで、国民の女王に対する気持を見事に一体化してきました。 『裸の銃…』なんかでも笑いのネタ扱いだった女王。国民感情と乖離した古いイギリスの象徴だった女王を、愛すべき国民の女王まで昇格させたキッカケとして、この映画は大成功だったと思います。 国民に愛され、国民を愛する女王像の再構築。その映画的アプローチはまさにこの映画から始まり、ロンドン五輪開会式でのボンドとの共演に繋がっていく。見事です。[映画館(字幕)] 7点(2023-03-26 14:37:27)《改行有》

9.  戦争と平和(1956) 《ネタバレ》 “War And Peace”邦題まま。 208分の長編のため、DVDに焼く(話すと長くなる)とき、2つに分割したんだけど、インターミッションが無い。適当なところで割ることにしたけど、暗転場面も無く、場面代わりの音楽が続いて掛かってるので、1:53くらい(ナポレオンがツァーリの信書を読んでモスクワ侵攻を決めたトコ)でブツ切りしたわ。 ロシア貴族の国内話とナポレオンのロシア遠征の戦争話が展開される。なので原作未読でタイトルの『戦争と平和』の意味がわからない私は、戦争(ナポレオン)編と平和(ナターシャ)編とし、両方の主人公をピエールと考えて観てみた。 ナポレオンの歴史ものって観たこと無いから、すごい数の軍隊がぶつかり合う戦争が多く、勉強になるなぁと思いながら、そちらはそれなりに楽しめた。 一方で平和編は、どうしても華のあるオードリー(ナターシャ)の活躍を期待してしまうけど、彼女が会う男会う男に色目使ってるビッチのように思えて、どうも素直に応援できない。どこか影のあるアンドレイに求婚された直後、グイグイ来るアナトーリにあっさり鞍替えするところ。ピエールに阻まれて以降アンドレイ(というかボルコンスキィ家)に再接近を試みるとか、このあたりの流れって、迷作パールハーバーを思い出してしまった。あっちはダメでコッチは良いんかい?なんか…どーなんだろーねぇそういうの。 最後は終始安パイで、今後も裏切りそうにないピエールに落ち着くって、あんたそりゃあまりにリアルでしょ。 長編小説に流れる体感時間と、いくら超大作とはいえほんの208分で終わる映画の体感時間とでは、受け取る側の印象も変わるのかもしれない。[CS・衛星(字幕)] 5点(2023-01-15 22:40:29)《改行有》

10.  8 1/2 《ネタバレ》 フェリーニにとって“8と1/2作目の監督作”って意味とのこと。読み方が“はっか”なのも、知らなかったわ。若い子とDENONの読み方でお互い??マークが出たのを思い出した。 出だしの大渋滞、視線、すし詰めのバス、息苦しい出られない、開放感からのロープ。あぁ、これ夢なんだ。このあたりの“伝わる表現”は、きっと多くの人にも理解しやすく、凄いものが始まった感がした。 目覚めのシーンから温泉療法(海外の温泉お使い方が面白かったけど)のシーンへ。新しい映画の脚本を読ませた知り合いの感想『映画全体が訳の分からぬ挿話の羅列だ』が、まさに私が今見ている映画の感想。物語がどこに向かっていて、着地点も注目すべき点も意味不明で、ただ流されて観続ける感覚を覚えた。 「わっかんないわ・・・。」が観終わった感想。次から次と出てくる女。友人に家族。映画のスタッフと思わしき連中。初見、仕事の疲れもあって私は寝てしまった。翌日途中から観直そうと思ったけど、どこまで観たか思い出せず、2回めも睡魔に。この時はアサニシマサ辺りだったから、かなり早い段階でリタイアしていた。3度めでようやく完走。夢と現実、思い出が交差する複雑な構成なので、初見は戸惑うのは仕方ないだろう。複数回観ることで理解も深まりそうだけど、まだ完走一回の私にはサッパリだ。 巨大な宇宙船発射台のセット。新旧入り混じりの欲望丸出しワガママの極地なハーレム。現実が極端なら虚構も極端。 追い詰められて逃げ出したいなか、自分の意志とは関係なしに進む制作現場。逃げ道は右のポケットに入っている。自殺からの最後の大団円が、序盤の知り合いの脚本家の感想とともに、この作品が世間に受け入れられない場合の逃げ道にも思える。 でも世間に評価された。フェリーニの最高傑作とも言われる本作。 でもこんなの創っちゃって、評価もされたら、もう後戻りできなくなって、次から何を創っていけば良いのか、解らなくなりそう。[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-19 19:59:13)《改行有》

11.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 -I Girasoli- イタリア語で“ひまわり(ジラソーリ)” 最初のIは男性名詞の定冠詞の複数形。花だと女性名詞な印象ですが、チューリップやひまわりは男性名詞なんだそうな。 結婚休暇や嘘の精神疾患を駆使してアフリカ戦線行きを避けたアントだけど、結果もっと悪いソ連戦線送りに。イタリアからソ連行きなんてあったんだな。てっきり死んだか、死んだ扱いで強制労働と思っていたところ。執念で見つけ出すジョバンナ。 さてあの広大なソ連で、どうやって夫を探したのか。ソ連に派遣されたイタリア軍はそう多くはないはず。旧友の「ドン河で一緒だった」も大きなヒントで、そこ近辺で総崩れした部隊にきっとアントは居たんだろうと。あとはドン河流域の村を当たっていけば…でもこれ、言葉も通じない土地でとんでもない労力と根気が必要。お金も掛かるし精神も磨り減るよな。 若くて子供もいる現地妻マーシャと、あれから10年歳を取った独り身のジョバンナの対比も可哀想。敵兵を助けて夫にしてなんて、本当にあるのか?って思ってしまうけど、ソ連ではキャベツと兵隊は畑で取れるものだから何ら不思議ではない。この2022年に一方的に他国の州を併合するような国家。国家のために働けて敵意のない男だったら、受け入れた可能性も。 ジョバンナの立場で話を追っていたけど、このマーシャがとても純粋で、全然悪い人じゃないのがまた苦しい。10年前に助けて、そのままずっと一緒に暮らしてるんだから。ジョバンナが来て、引っ越すときもすごくアントを気にして、考え込んでる時に話しかけなかったり、無理に明るく話しかけられたら笑顔で答えたり。とても良く出来た奥さんです。 ドン河で頑張ってアントを引きずるマーシャ。コレどっかで観た画だなって思ったら、レッドリボンにやられた悟空を助ける女の子だ。ほらあの、ジングル村の、ハッチャンと暮らしてる。ほら。 ちなみにロシア語でひまわりは“подсолнечник(パトソールニチニク)”だそうです。 ウクライナ語では“соняшник (ソーニヤシュニク)”だそうです。ぜんぜん違うんですね。[インターネット(字幕)] 8点(2022-10-06 20:29:27)《改行有》

12.  道(1954) 《ネタバレ》 -La Strada- “道”。 アタマのLaは三人称単数のLaみたいで、フランス語みたくLe(男性)、La(女性)ではなかった。ので、“彼らの(彼女らの)道”…みたいなことでしょうかね??全然違ったらごめんなさい。 事前情報無しで観たから、最初コメディだと思ってた。夜道で待ちぼうけするジェルソミーナが、野良馬にビックリするシーンがとても好き。 私が子どもの頃は、親に「言うこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ!」なんて言われた世代だけど、もしかしたらこの映画の影響なのかもしれない。今じゃ“サーカスに売る”なんて差別発言になるだろうね。 主な登場人物は3人。言葉狩りに臆せず書くと(って、普段から気にしてないか)、ジェルソミーナ=知的障害者。イル・マット=キチガイ。ザンパノ=野蛮人…今だとモラハラ男かも。こういうところ、変にオブラートに包まれると、この時代の映画の本筋が観えなくなる気がするなぁ。 ジュリエッタ・マシーナは当時33歳だから、ジェルソミーナも少女と言うにはとうが立っていて、成人しているのに料理もできないし、美人でもない。家では流木拾いくらいしか使い道がない知的障害者。 貧しい一家が食べていくための“口減らし”。ジェルソミーナが1万リラで売られる時の、お母さんの極端な猿芝居がちょっと可笑しかったけど、真面目に見ると怖い。1954年の1万リラは当時の5400円くらい。今の価値で20万円くらいらしい。リアルだ。 ローザ(たぶん姉)の死も、母「かわいそうに、お墓がどこかもわからない」なんて、それ以上ザンパノに聞かない母親のしたたかさ。ローザが何故死んだのか、わかったもんじゃないのに、ジェルソミーナを同じ男に売る母親。あぁここは確かに、帰るべき場所じゃないわ。 海岸でひとり微笑むジェルソミーナ。芸人に成ることにちょっと嬉しそうなあたり、状況を理解できてないんだろうな。 母親に売られたのは仕方ないとして、サーカス団に誘われた時、イル・マットに誘われた時、修道院に残りたいか聞かれた時。その後の道を選ぶのはジェルソミーナ自身だった。きっとどれを選んでも幸せになったかもしれないのに、ザンパノと行くことを選んでしまった。 ついついザンパノをからかうイル・マット。やらなくてもいいのに。せっかくサーカス団と行く決心をしたジェルソミーナの決心が揺らぐ。「私はこの世で何をしたらいいの?」に対し「俺と来れば綱渡りを教える。でも、お前でも何か、ザンパノの役には立ってるんだろう?」この会話、イル・マットはジェルソミーナに一緒に来るように誘っているように見せて、ザンパノと一緒に残るよう誘導してないか?からかってないか?だとしたらホント、キチガイだ。でも別れ際にネックレスを渡すあたり、キチガイの良心かもしれない。あのネックレスはジェルソミーナの今後の辛い生活の、心の支えになったことだろう。別れ際ジェルソミーナにラッパを置いていってやるザンパノの心理も同様。あのラッパは、今後独りで生きていくジェルソミーナの飯の種になったことだろう。 海岸で始まり海岸で終わる。友達と言えるイル・マットを殺し、パートナーのジェルソミーナを捨ててきたザンパノ。 姉のローザの死は、きっと彼に何も残さなかった。『死んじまったか、面倒くさいな。』くらいの気持ちで、代わりのジェルソミーナを連れてきた。突如僧院で彼女に求婚された。自分を好きになる努力をする女を前に、何も考えないことにしたザンパノ。 『この小石も何かの役に立っているハズだ。空の星と同じように』は2人の共通のテーマかもしれない。 海岸で泣き崩れるザンパノ。このシーンにはいろんな解釈があるけど、ザンパノは空の星を見上げて、自分の道を考えたのかもしれない。 ジェルソミーナは小石を見て自分の未来の道=今後自分がなにかの役に立つこと。を考えたのに対し、ザンパノは空の星を見て自分の過去の道=自分の愚かな行いで失ってきたこと。を考えたのかも。 でも今さら遅い。考えたって取り返せない。ザンパノの歩んだ過去も、ジェルソミーナの可能性の未来も。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-23 15:33:41)《改行有》

13.  ベニスに死す 《ネタバレ》 -Death in Venice- 邦題ままだと思う。 でもイタリア語の-Morte a Venezia - で“ヴェネツィアの死神”にもなる。うぅ~ん… タイトル聞いてもピンとこなかったけど、ビョルン・アンドレセンのカットで『あぁ、あの映画のことか』ってなった。むかし雑誌か何かで見た美少年。どういう内容か、ずっと気になってた映画。 初老の作曲家と美少年の2人は会話を一切しない。画的な大きな変化も少ないんだけど、美しいベニスの風景と美しい音楽、美しいタッジオを観ているだけで、とっても静かで心地よい時間が流れる映画。劇中何度か使われる、遠景長回しの映像は、まるで自分もそこに居るように感じられる心地よいものだった。 私は本作から、同性愛的な雰囲気や、性を連想させるような匂いは感じなかったかな。純粋に“美”を求めているように感じた。 『タッジオは死の天使で、アッシェンバッハを死に誘った』ってヴィスコンティ監督の解説を見てナルホドって思った。イタリア語のタイトルとも重なるし、死神ならベニスに広がるコレラ=疫病の蔓延にも関連ありそう。 タッジオは美少年だけど、彼に魅了されてるのはアッシェンバッハだけで、他の人はチラ見もしない。アッシェンバッハを誘惑するような眼差し。嫉妬心を沸かせる肩を抱いて頬にキスする友人。まるで誘ってるように柱に掴まってクルクルなんかも、実はアッシェンバッハだけにそう見えてるのかも。美を追求したものにだけに見える幻の美しさ。 せっかくコレラが蔓延している事にいち早く気がついたのに、既に死の天使に魅了されてベニスを去れない。年老いて醜く死を迎えるより、美しいタッジオを愛でながらの死を受け入れる。若返りのメイクはまるで死に化粧だ。最後に目に焼き付いたタッジオのポーズ。腕は水平線、指の輪っかは沈む太陽で、死を表現してるのかな。この海岸のシーン、聖闘士星矢のミスティを連想したわ。 アッシェンバッハがタッジオに魅了された気持ちって、もしかしたら欧米人より日本人の方が理解出来たかもしれない。その原因は初登場時のセーラー服。 本来、水兵さんの軍服であるセーラー服。女子校生がセーラー着る文化があるのって、当時恐らく日本だけだったと思う。 『美しい顔立ちの少年がセーラー服を着てる』セーラー服=汚れのない少女ってインプットされてる日本人は、それだけで彼を“神聖な存在”と認めたハズ。 一方でセーラー服=水兵さんって認識しかない欧米人からしてみると『ビョルン?あぁ、綺麗な顔立ちだよね』くらいの感想止まりだったと思う。 逆にタッジオがセーラー服を着るシーンがなければ、日本でのビョルンの評価は『あぁ、綺麗な顔立ちだよね』って感想止まりだったんじゃないかな。 欧米人気とは独立して、セーラー服が日本でビョルンを神聖化し、日本でCMやレコードも出し、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”になったんじゃないかな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-09-08 23:01:12)《改行有》

14.  サスペリアPART2 《ネタバレ》 -PROFONDO ROSSO- “深い赤=深紅”でしょうか? ホラーなんだけどサスペンス色が強く、同じ監督、同じゴブリン音楽だし、ヒット作サスペリアを名乗りたくなる気持ちは解る。サスペリアと無関係と知らずに観ていたら、オープニングの雰囲気から徐々に『・・・なんか違う』感が充満して、映画に没頭出来なくなるかもしれない。 サスペンスとしてはいまいち引き込まれなかったけど、鏡のトリックは秀逸で、最初見た時たしかに『いまなんか違和感感じた、もっかい観せて』って思った。巻き戻しはしなかったけど、その時感じた違和感に答えがあったのは、あの一瞬で私の記憶にトリックを上手く残せてたわけで、やっぱ上手い撮り方なんだろうな。 当時のイタリアの夜の街並みを、人の目線で観せてくれるから、その場に居るような雰囲気と空気感が感じられてとても良い。 異常に怖いに怖い歩く人形。あれ足がブラブラしてるから、部屋の端から端へ細いロープとかを張って、そこを頭のゼンマイで進むんだろうか? 喉に針刺された緑のトカゲが可哀想。謎の犬の喧嘩は、偶然撮れたから使った? ヒロイン・ジャンナがかなり可愛いく、キャラが立っている。愛車がポンコツのチンクエチェント。グローブボックスに酒の小瓶。腕相撲でインチキ。自分から家に誘っておいて逆ギレ。2人で車の屋根から降りるの、滑稽でとても良い。顔つきからは想像できないけど、'75年の映画でこんなアニメのキャラみたいなヒロインを出していたのに驚いた。 PART2ってタイトルがどうしても引っかかるけど、先入観無く観たら、サスペリアと甲乙付け難い作品かも?[インターネット(字幕)] 5点(2022-05-24 20:58:18)《改行有》

15.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:35:54)(良:1票) 《改行有》

16.  サスペリア(1977) 《ネタバレ》 -Suspiria- 造語らしい。ラテン語の-SOSPIRI-“溜息・嘆き”から来てるとか。発音から日本語カタカナ表記はススピリアに近いと思うけど、サスペンスっぽいつづりのサスペリアに落ち着いたんじゃないだろうか?偶然の産物かも。 「決してひとりでは見ないでください」覚えてる覚えてる、もうCMが怖くって。タイトルといいCMといい、日本の配給会社が頭を捻って良い具合に相乗効果が生まれてたんだろう。 バックグラウンドミュージックのワクに収まらない音量のゴブリンのロック調の不気味な音楽は、一度聞いたら忘れられないインパクト。 そして映像の美しさ。赤、青、そして緑のスポットライト。光の三原色をあり得ないポイントで当ててくるセンス。 不気味というか趣味の悪い洋館。赤い壁と赤い内装。美しいかも?だけど住みたくないわ落ち着かないわ。 ジェシカ・ハーパー顔小っさ。目大っきい。バレエ教室の名門校というのも閉鎖空間っぽくて良い雰囲気。バレエ教室だけに若い女ばかりが襲われる…と言っても犠牲者は3人とダニエルか。 古いもの(洋館、オカルト、バレエ)に、新しもの(ロック、ライト、ホラー、若い女)をミキシング。特に音と色の思い切りの良さ、振り切れ具合が、この映画を当時のホラー映画の中でも飛び抜けた存在に押し上げていると思う。イタリアンホラーの代表作と思っていたけど、何故か舞台は西ドイツ・ベルリン。 ネットで当時のパンフレットを見たけど、映画から切り取った場面写真の美しいこと。漂う名画臭…でも内容は意味不明でチープだよ。 魔女が自分の正体に近づいた者たちを殺していくって内容っぽい。でも追い出したダニエルを殺す必要性はあったんだろうか?スージーに眠くなるワイン(睡眠薬?)飲ませる意味も不明。 発端は単なる好奇心。別に何もされてないけど怪しいからついつい詮索してしまう。謎の正体にたどり着いたら返り討ちにあってしまう。そもそもパットが殺されるまで特に殺人も起きてないなら、パットとサラが余計な詮索をしたために大人しく潜伏していた魔女組織を殺人に駆り立ててしまった訳で… 舞台が西ドイツということもあって、現代の魔女狩りとも言えたナチの残党狩りを連想させる。ってそんな難しいことを考えても意味がないから、映像の美しさとゴブリン音楽の調和を楽しむのが、この映画の正しい楽しみ方。 最後のスージーの微笑みも謎だけど、安堵?苦笑い?魔女に取り憑かれた?[地上波(邦画)] 5点(2022-05-04 11:11:07)(良:1票) 《改行有》

17.  青い体験(1973) 《ネタバレ》 -malizia- “意地悪”。 スカートから覗く太もも。スケスケのネグリジェ。自転車に乗るのを手伝ってサワサワ…エッチなあるあるネタのオンパレードは、ある意味清々しくもある。 だけど、う~~~ん・・・・これは、今の世の中では、いわゆる、セクハラだわ。 そして立場の弱いものに対して、立場を利用しての行いだから、いわゆる、パワハラだわ。 30前半の美人で気が利くアンジェラが、どうしてあの家で家政婦を続けることにこだわったのか、私にはわからない。お父さんは良い人だけど、そこまでの魅力があるか?お金はありそうだけど。 少なくとも、神父の前でアンジェラの手を握って、結婚の話をしてるお父さんの横で、アンジェラのパンツを脱がす変態中学生が居る家で、働き続ける必要性がわからない。家庭を築ける自信がない。 百歩譲ってアンジェラ自身がそういう性癖なのかもしれない。人に見られてとか、バレずにするスリルとか、あんな子に虐げられてとか、そういうのが好きな人は一定数居ると聞く。性癖は人それぞれだし、人に言えない癖があってもそれは自然なことだけど、仕事中はそういうの、ダメだろう。面倒くさい事になっちゃうだろう。 ニーノが無言で寝室をウロウロするとこと、ノートをちぎって投げるの、アレやられたら私は泣いてしまうわ。それか殴るわ。うん、殴る方にしよう。いい加減にしろこのガキ!って、殴ろう。 セクシーな格好で父親をからかわせるのを覗き見たり、アンジェラのストリップをポルチェロに見せたりって、何が楽しいんだ?ニーノ。アレで君の、何が満たされるんだ? 暗闇で怖がってるアンジェラを懐中電灯でチロチロ。ヤメロそれ陰険だな。って思ってたら、アンジェラが脱ぎながらキレながら笑って仕返し。ハハハ。ここ良いシーンだなァ。 コトを済ませたら執着が無くなったんだろう、相手は倍の年齢の女だし。最後は結婚式で行儀よく「お元気で ママ」と頬にキス。 ドキドキしながら最後まで観てしまった。うん。[インターネット(字幕)] 5点(2022-01-14 00:47:17)《改行有》

18.  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ 《ネタバレ》 -皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ-いきなり日本語タイトルがババ~ン!! だけど実際、皆は鋼鉄ジーグでなく“スーパークリミナル”って呼ぶんだよね。アレッシアも“ヒロシ”って呼んでるね。 原題-Lo chiamavano Jeeg Robot-“ジーグ・ロボット(鋼鉄ジーグの伊題)と呼んでいた”…変わらんね。 世代が違い鋼鉄ジーグ観てないから、アレッシアが挙げる登場人物の名前に全く反応出来ず。知ってたらクスリと出来ただろうか? 予備知識無しで見た結果、まさかの変身ヒーロー物の映画だったけど、主人公と鋼鉄ジーグに共通点は無く、たまたまアレッシアがハマってるアニメを怪力エンツォに重ねただけっていうのは、斬新な気がしないでもない。 エンツォが怪力を手に入れて、最初にするのがATM強盗ってのがまた、今までのヒーロー物にない、鑑賞者突き放し感がある。 ただケチなチンピラが急に生き方を変えるでなく、アレッシアとの生活で徐々に徐々に変わっていく様子は共感できて、段々とエンツォに魅力を感じるようになってくる。観覧車のシーンは良かったなぁ、あそこは凄く良い。 アレッシアが一生懸命編んでたものが、手袋か何かかと思いきや鋼鉄ジーグのマスクだったのは、なかなか斜め上を行っていた。…マスク編むか?普通。 アレッシアの死からアッサリ終わるかと思いきや、ジンガロも同等の力を手に入れる、ヒーロー物らしい展開は予想外。 ただこれ、タイトルに鋼鉄ジーグ入ってなかったら観る機会激減だったかも。[インターネット(字幕)] 5点(2022-01-01 15:51:20)《改行有》

19.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 -Il Buono, Il Brutto, Il Cattivo-“善玉、卑劣漢(私の観たのでは無頼漢だった)、悪玉”語呂の良さから悪玉が先にくる訳が多い。 もう全然違う邦題で、続編でもなければ、夕日も出ない。賞金稼ぎ詐欺師のイーストウッドのどこが善玉か!って思ってしまうけど、イメージ的に“オイシイ奴、ブザマな奴、ヘタこいた奴”って感じの意味かもしれない。 前作(って書き方で良いのかな?)同様、イーストウッド(ブロンディ)とリー・ヴァン・クリーフ(エンジェル・アイ)が2大主役かと思いきや、物語はイーライ・ウォラック(トゥコ)中心に深堀りされている。音楽や文字の入り方なんか、いかにも懐かしい古典的な西部劇って感じで、この埃っぽい世界観に3時間は、最近の映画に慣れた、西部劇に不慣れな人にはハードル高そうだけど、案外退屈しない作品に仕上がっている。 マカロニ・ウエスタン=低予算のイメージがあるけど、“今度は戦争だ!”と言わんばかりに後半、南北戦争の戦場が舞台になったり、大規模な橋の爆破があったりと賑やか。私の中で西部劇はカウボーイとインディアンの映画で、南北戦争は戦争と家族の映画なイメージがあって、1作品に両方が入っているのは、今回初めて観るかもしれない。 唯一、名前で呼ばれてるトゥコ(他の字幕だとテュコ)だけど、処刑シーンでブロンディが“通称ネズミ”と呼んでいて、やはりこのシリーズは表向き名無しのガンマンの映画になっていた。 このトゥコ、兄との会話から過去が想像できたり、ガンショップでのマニアックな分解→再組み立てのシーンも格好良く、意外や銃の腕もある。状況によってコロコロ態度を変えるのも親しみを感じるキャラクター設定で、最後の戦いから首吊りのシーンは、思わず“助かって欲しい”と思ってしまった。なので最後、ブロンディのワンショットはスカッとさせてもらった。良かったね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-12-12 16:32:38)《改行有》

20.  ヒトラー 最期の12日間 《ネタバレ》 -The Downfall: Hitler and the End of the Third Reich-“没落:第三帝国の滅亡とヒトラー” 日本の終戦映画というと、一般市民目線や末端の兵士目線で描かれたものが多く、この映画のように上層部を描いたものって、思いつかない。戦国時代や幕末のものならあると思うけど、やはり太平洋戦争だと難しいのかな。 ドイツだってこういう、過去の忌まわしい歴史をほじくり返す映画を撮るのは、色んな面で難しかっただろうに、偏り無くしっかりと描いていると思う。なんか『国民は騙されてた!』とか『みんな本心はナチスに反対してた!』とか『ユダヤ人に同情してた!』とか、後のせサクサク作品にも出来たろうに。ヒトラーでさえ人間味と温かみを感じさせる描き方が出来るなんて、歴史への向き合い方がスゴいなぁドイツ。 ゲッベルス、ヒムラー、ゲーリング。本部の地下壕が舞台なため、大戦史上の重要な人物がふらっと出てくるのが観ていて豪華。「銃殺されに来た」と出頭するヴァイトリング将軍。インフラ破壊命令を拒否したシュペーア大臣。独裁者の絶対命令に対し、自分の考えで行動した姿が印象深い。エヴァ・ブラウンもとても魅力的な女性に描かれていて、ユンゲに高級なコートを渡すシーンとか、彼女の死の向き合い方がよく描けたと思うし、死の直前の結婚式なんて実話とは思えないようなドラマチックな展開に思えた。 ハンナ・ライチュの強行着陸は、たぶんヒロイズムになるから描かれなかったんだろうけど、彼女自身を熱狂的なナチス信者として描いている。もっと狂信的なのがゲッベルス婦人で、生き延びる道を模索するでなく、ヒトラーの死後に希望を見出だせないからと、自分の子に毒を飲ませる姿は、恐ろしくも悲しくもあった。 ヒトラーにしろゲッベルスにしろ、ベルリンを守る市民に対してコレっぽっちも気持ちがないのが、歴史に残る悪党らしくて、逆に清々しい。市民には一切同情しないけど、自分の子に毒を飲ませるのを全部妻にやらせるゲッベルスというのも、ある意味人間臭くてリアルかもしれない。 最後、現代のユンゲの「ホロコーストを知らなかった」は、嘘偽りのない事実だと信じよう。だけど当時の貧しい敗戦国から、ヒトラーを信じることで、豊かな生活とゲルマン人の誇りを手に入れたドイツ国民が、もしホロコーストの事実を知ったとして、ナチズムやヒトラーを止める事が出来たとは思えないし、きっと見て見ぬ振りをするしか無かっただろうから、あの最後の映像があっても無くても、ユンゲの答えは「知らなかった」しか無かったと思う。[インターネット(字幕)] 8点(2021-11-14 18:22:20)《改行有》

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