みんなのシネマレビュー
K&Kさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 833
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
投稿日付順12
変更日付順12

1.  太陽がいっぱい 《ネタバレ》 “Plein soleil”『炎天下』。いやもう『太陽がいっぱい』って素晴らしい邦題じゃないですか。'60年にこの邦題付けるセンス。酒場の女店主に「リプレーさん、電話ですよ」と呼ばれ、笑顔で向かうところで終わるのも、その先どうなるか私たちは解っているのも、素晴らしい。 中学生くらいの頃、親戚のおじさんが「Kちゃんは映画が好きなのか!おじさんのオススメは太陽がいっぱいかな!」って言われた作品。聞いたことはあるけど、古い映画だし観る機会がなくて… でリメイク作から先に観ました。しかもこの映画のリメイクと知らずに。その後本作を観て「・・・あれ?これリプリーに似てない?」って。 そのお陰か、リプレーがフィリップに近づいた過程が理解しやすかったし、改めてフィリップへの思い・感情を深読みしてしまいました。フィリップの服を着て鏡にキスするいところって、そうだったのか?って。 私の中でリメイク作はそんなに評価高くなかった(当時)んですが、オリジナルのアラン・ドロンはとても魅力的でした。OHPに移したサインをなぞるシーンがすごく格好良かった。甘いマスクと運の良さであのポジションを手にしたのではなく、人知れず努力をしているのが伝わってくる名シーン。 ニーノ・ロータの音楽と地中海の景色は映画だからこそ。短時間の観光ツアーでは味わえないであろう、時間が止まっているような感覚を体験できました。そして最後の衝撃。絡まったワイヤーを観て「あああっっ!!」って声が出てしまった。いや映画って素晴らしい。[ビデオ(字幕)] 10点(2023-04-16 16:14:17)《改行有》

2.  イングリッシュ・ペイシェント 《ネタバレ》 “The English Patient”『イギリス人の患者』。 上空から見た砂漠のうねりが何とも美しい。女性の体の曲線美にように艶めかしい凹凸。そして泳ぐ人の壁画の模写。単純な線なんだけど腿や腰の肉付きの表現は、原始的ながら女性独特の体型を想像させる。そしてキャサリンの体の線の細さ。抱きしめたら折れそうな細さ。 彼らの仕事である『砂漠の地図』も、彼らが洞窟で発見した『泳ぐ人の壁画』も、特定の誰かのためではなく、自分たちのことを後の誰かに伝え残したい気持ちが強かったんじゃないだろうか。 アルマシーが記憶を失った(事にした)のは、ドイツに協力したことを隠して図太く生き延びるためではなく、キャサリンとのことを残したかっただけなんだろうなぁ。カラヴァッジョに当時の自分の気持ちを伝え、ハナにキャサリンの最後の手紙を読んでもらい、自分がここにいる理由を再確認することで、思い残すこと無く死ぬことが出来たんだろう。 不倫に嫌悪感を抱くのも理解できるけど、心から1人の女性を愛したことのない不器用なアルマシーと、深く考えず幼馴染と結婚してしまっていたキャサリンの愛と考えると、それこそ人種に対する偏見や、国が違うことで起きる戦争と同じ悲劇とも思えた。国境があるために起こる悲劇が戦争なら、婚姻があるために起こる悲劇が遅すぎた愛なのかしら。 別れ際、当然というか大人らしい選択をしたキャサリン。まさかの無理心中の際に、ネックレスにした指ぬきを付けていたのが、それが鎖骨のくぼみに収まっていたのを観て涙が出てしまった。 愛より夫を選んだけど、ここ(天突って言うそうだけど、これ東洋のツボの名前だよなぁ…医学的には頚窩(ケイカ=jugular fossa)って言うそうだよ?)は、二度と会うことは無いあなたのもの。って、キャサリンのような大人の女性がこんな可愛らしいことしてたら、この世ではない場所までキャサリンに会いに行った、アルマシーの気持ちが解ったような気がしたわ。[DVD(字幕)] 8点(2023-09-24 23:20:35)《改行有》

3.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 -I Girasoli- イタリア語で“ひまわり(ジラソーリ)” 最初のIは男性名詞の定冠詞の複数形。花だと女性名詞な印象ですが、チューリップやひまわりは男性名詞なんだそうな。 結婚休暇や嘘の精神疾患を駆使してアフリカ戦線行きを避けたアントだけど、結果もっと悪いソ連戦線送りに。イタリアからソ連行きなんてあったんだな。てっきり死んだか、死んだ扱いで強制労働と思っていたところ。執念で見つけ出すジョバンナ。 さてあの広大なソ連で、どうやって夫を探したのか。ソ連に派遣されたイタリア軍はそう多くはないはず。旧友の「ドン河で一緒だった」も大きなヒントで、そこ近辺で総崩れした部隊にきっとアントは居たんだろうと。あとはドン河流域の村を当たっていけば…でもこれ、言葉も通じない土地でとんでもない労力と根気が必要。お金も掛かるし精神も磨り減るよな。 若くて子供もいる現地妻マーシャと、あれから10年歳を取った独り身のジョバンナの対比も可哀想。敵兵を助けて夫にしてなんて、本当にあるのか?って思ってしまうけど、ソ連ではキャベツと兵隊は畑で取れるものだから何ら不思議ではない。この2022年に一方的に他国の州を併合するような国家。国家のために働けて敵意のない男だったら、受け入れた可能性も。 ジョバンナの立場で話を追っていたけど、このマーシャがとても純粋で、全然悪い人じゃないのがまた苦しい。10年前に助けて、そのままずっと一緒に暮らしてるんだから。ジョバンナが来て、引っ越すときもすごくアントを気にして、考え込んでる時に話しかけなかったり、無理に明るく話しかけられたら笑顔で答えたり。とても良く出来た奥さんです。 ドン河で頑張ってアントを引きずるマーシャ。コレどっかで観た画だなって思ったら、レッドリボンにやられた悟空を助ける女の子だ。ほらあの、ジングル村の、ハッチャンと暮らしてる。ほら。 ちなみにロシア語でひまわりは“подсолнечник(パトソールニチニク)”だそうです。 ウクライナ語では“соняшник (ソーニヤシュニク)”だそうです。ぜんぜん違うんですね。[インターネット(字幕)] 8点(2022-10-06 20:29:27)《改行有》

4.  ヒトラー 最期の12日間 《ネタバレ》 -The Downfall: Hitler and the End of the Third Reich-“没落:第三帝国の滅亡とヒトラー” 日本の終戦映画というと、一般市民目線や末端の兵士目線で描かれたものが多く、この映画のように上層部を描いたものって、思いつかない。戦国時代や幕末のものならあると思うけど、やはり太平洋戦争だと難しいのかな。 ドイツだってこういう、過去の忌まわしい歴史をほじくり返す映画を撮るのは、色んな面で難しかっただろうに、偏り無くしっかりと描いていると思う。なんか『国民は騙されてた!』とか『みんな本心はナチスに反対してた!』とか『ユダヤ人に同情してた!』とか、後のせサクサク作品にも出来たろうに。ヒトラーでさえ人間味と温かみを感じさせる描き方が出来るなんて、歴史への向き合い方がスゴいなぁドイツ。 ゲッベルス、ヒムラー、ゲーリング。本部の地下壕が舞台なため、大戦史上の重要な人物がふらっと出てくるのが観ていて豪華。「銃殺されに来た」と出頭するヴァイトリング将軍。インフラ破壊命令を拒否したシュペーア大臣。独裁者の絶対命令に対し、自分の考えで行動した姿が印象深い。エヴァ・ブラウンもとても魅力的な女性に描かれていて、ユンゲに高級なコートを渡すシーンとか、彼女の死の向き合い方がよく描けたと思うし、死の直前の結婚式なんて実話とは思えないようなドラマチックな展開に思えた。 ハンナ・ライチュの強行着陸は、たぶんヒロイズムになるから描かれなかったんだろうけど、彼女自身を熱狂的なナチス信者として描いている。もっと狂信的なのがゲッベルス婦人で、生き延びる道を模索するでなく、ヒトラーの死後に希望を見出だせないからと、自分の子に毒を飲ませる姿は、恐ろしくも悲しくもあった。 ヒトラーにしろゲッベルスにしろ、ベルリンを守る市民に対してコレっぽっちも気持ちがないのが、歴史に残る悪党らしくて、逆に清々しい。市民には一切同情しないけど、自分の子に毒を飲ませるのを全部妻にやらせるゲッベルスというのも、ある意味人間臭くてリアルかもしれない。 最後、現代のユンゲの「ホロコーストを知らなかった」は、嘘偽りのない事実だと信じよう。だけど当時の貧しい敗戦国から、ヒトラーを信じることで、豊かな生活とゲルマン人の誇りを手に入れたドイツ国民が、もしホロコーストの事実を知ったとして、ナチズムやヒトラーを止める事が出来たとは思えないし、きっと見て見ぬ振りをするしか無かっただろうから、あの最後の映像があっても無くても、ユンゲの答えは「知らなかった」しか無かったと思う。[インターネット(字幕)] 8点(2021-11-14 18:22:20)《改行有》

5.  ニュー・シネマ・パラダイス 《ネタバレ》 ~Nuovo Cinema Paradiso~新パラダイス劇場。 今回が初見。にもかかわらず、以前テレビのバラエティで、このエンディングシーン“だけ”を見て知っていたのよ… もちろん見たくて見た訳でなく、交通事故。それは不幸なことなのよ… この映画を何の予備知識も無しに観ていたとしたら、きっと涙が溢れ出ていたに違いない。 なぜエレナは音信不通になったのか。 アルフレードはなぜ、トトに厳しく『帰ってくるな』と言ったのか。 トトはなぜ、30年も村に帰らなかったのか。 99日目、兵士はなぜ最後の夜に立ち去ったのか。 なぜ?当然だけど、それぞれ事情や考え、簡単なものから複雑なものまで、本人にしか解らない理由があったんだろう。 その理由を知ること無く過ぎ去った過去。神さまでもない人間には、答えを想像する事くらいしか出来ない。 『キスシーンを見せろ!もう20年も見てないぞ!』ラブシーンを見られるのは、検閲する司祭と技師のアルフレードだけ。 休みなく映画を上映し、見せられないフィルムをカットし、ある時は映画館の外に劇場を作るアルフレードは、トトにとって神さまのような存在だったろう。 アルフレードからの最後のプレゼント。劇場で流されなかったラブシーンの詰め合わせ。それはカットされた理由≠答えの詰め合わせ。 肝心なところ、見たいところ、本当の理由≠答えが見えないのは、人生も一緒じゃないだろうか。 エレナが去った事情、アルフレードの最後の言葉の意味、兵士が立ち去った理由…神さまでもないトトに、それを知る術はない。 『理由なんて、カットされた映画のラブシーンのようなもの。そこにこだわって、これからの人生を無駄にするほどの、大した事じゃ無いんだよ。いくら思ったところで、過ぎ去った人生は、映画のフィルムのように、集めて繋ぎ合わせて見ることなんて出来ないのだから。』 映画のタイトルが最初の劇場『シネマ・パラダイス』ではなく、建て直された方の『“ニュー”シネマ・パラダイス』なのも、そしてそれさえも最後解体されるのも、過去よりこれからの新しい人生を大事にしてほしいと言う、トトへのメッセージに思える。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-06-09 22:05:51)(良:2票) 《改行有》

6.  ライフ・イズ・ビューティフル 《ネタバレ》 ~La Vita è Bella~人生は美しい。どんな生涯であっても、その人の捉え方、与え方次第なんだな。 息子ジョズエに優しい嘘を言い続けるグィド。ドーラと付き合っていた時からそうだった。人を楽しませる嘘。 空から鍵が降る、乾いた帽子に取り替えられるなど、種明かしをすれば『なぁんだ』ってなる。 映画では描かれていないけど、ドーラも後々、あれがどうして起きたか知るんだろうけど、起きたその瞬間に奇跡を感じることが、人生の美しさなのかもしれない。 それは収容所での優しい嘘にも言えて、映画では描かれてないけど、ジョズエも後々、あれがどうして起きたのか知ることになるだろう。 子供と老人が粛清された収容所で、本当に息子を隠し続けて生きられるのか?とかリアリティを追求されると、冷めてしまう人も出るかもしれないが、ホロコーストを後年に伝える手段として、この作品は例えるなら伝記や小説ではなく絵本のような作品だ。 若い子がこの作品をキッカケに、後々映画やドキュメンタリーなどで、なんでホロコーストが起きたのか知ればいい。興味があるなら。 今は戦中とかではないけど、コロナとか仕事とか色々大変みたいなんだけど、今日は何をしても良い休日で、いま私は素晴らしい映画を観て、こんな駄文をノンキに書いている。 もしかしたら後々「あの日あのとき、実はね…」『え!そうだったの?』なんて種明かしがあるかもしれない。 どんなカタチであれ、きっと人生は美しいんだな。 ところで、なぞなぞの答えは何だったんだろう?[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-04-18 10:53:08)(良:1票) 《改行有》

7.  名探偵ホームズ2/海底の財宝の巻 《ネタバレ》 ~『青い紅玉』のつづき~ 青い…で描かれるロンドンの街並み、群衆の動き。海底…で描かれる戦艦の水兵たち、砲の動き。砲撃と爆発。 子供向けの作品だけど、作画やストーリーに手を抜かない姿勢がこの2作に込められている。 この当時は『大人の鑑賞にも耐えられるアニメ』なんてジャンルはなく、あくまでターゲットは子供だけだったのに、この作画クオリティ。 共同制作のイタリアに日本アニメの底力を魅せつける意味もあったかもしれないが。 戦艦のシーンで延々と流れる軍艦マーチ。時々チリン・ジャラジャラ…ってパチンコかい!遊んでるけど、ふざけてない。 キャラの見せ方が上手く、たった23分×2の作品なのに、メインキャラの性格がしっかりわかる。 ゲストのポリィにしてもライサンダー兄弟にしても、人じゃないけど怪鳥や潜航艇といったゲストメカも、1話のみの登場(TV版はあまり覚えていないので、たぶん他の回には出てこないと思う。)なのに、魅力が込められている。 これだけ短時間で密度が濃いにも関わらず、山盛りサンドイッチの調理や、飛行船のイギリス周遊など、本筋とは特に関係がないシーンだけど、宮崎作品らしいシーンをしっかり入れているのが凄い。 個人的な思い入れが強いため。とは思うけど、やはり宮崎監督の、一番脂が乗っていた時期の作品。 素人に声を当てさせたり、独り善がりな芸術性が出てなくて、監督の個性と商業作品としてのクオリティが共に高く出ている名作。[映画館(邦画)] 8点(2021-04-17 18:56:24)《改行有》

8.  名探偵ホームズ1/青い紅玉の巻 《ネタバレ》 懐かしい。劇場で続けて2回観て、TVシリーズで1回。今回は久々の視聴になる。まさかまた観られるとは… 正直、当時10歳の自分には、本命の風の谷のナウシカより、同時上映のコッチのほうが面白かった。 ここでのレビューは『海底の財宝』とは別作品の扱いなのね。 後年TV版を観た時、名前が微妙に違うので違和感を感じた記憶がある。 モロアッチ教授だったのにモリアーティ教授と呼ばれてたり、エリソン夫人がハドソン夫人だったり。 なんか、TV版はニセモノだって、そんな認識だった。 TV版の作画の甘さも気になった。ホームズやモロアッチ、エリソンの顔が人間臭かった。 恐らく制作第一話だった本作は、登場人物の顔が長めで犬っぽさが強い。やっぱこうでないと。 ウィキによると、この回はTV版の第5話だったそう。 モロアッチとの初顔合わせで「シャー(ベ)ック・ホームズ」と名乗る。ここがなんか、格好いいんだ。 当時の雑誌で『シャーロックと名乗った上に、後から(ベ)の音声を乗っけた』みたいな事が書いてあったけど、劇場では気が付かなかったな。 TV版では「ホームズ!」としか名乗らなくて、長年消化不良だったけど、ついに当時の劇場版を観られて感激。 劇場版初期の声が広川太一郎じゃなかったのも、今回初めて知った。 ~『海底の財宝』につづく~[映画館(邦画)] 8点(2021-04-17 18:54:36)《改行有》

9.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 オープニングの油絵のような白樺林とベタ塗りの空。 小さい頃に連れて行ってもらった老舗デパートの渡り廊下の壁か、親戚の集まりで一度だけ行った大型温泉ホテルのロビーか… ラーラのテーマを聞きながらエンドレスで観てられるわ。 葬列シーンの山でかっっ!!あれがウラル山脈(違うらしい)?山吹色の花と灰緑色の草、地表を覆い尽くす雪と氷、ガラスの雪の結晶、タマネギみたいな屋根、赤と黒の装甲列車。どっからどう観てもイメージ通りなソ連、ソ連、ソ連!(※世代的にロシアよりソ連。) 現地ロケをせずにこれだけソ連感を出せるのが凄い。広大な自然を堪能出来て、ソ連版『北の国から』な感じも味わえる。 兵役に行くパーシャの服を引っ張る赤ちゃん。ハラリと落ちるテーブルの花びら。歴史的超大作となると端々まで役を演じるんだな。 タイトルは~Doctor Zhivago~ジバゴ先生。 平たく言えば、全く詩を書かない詩人ユーリと美少女ラーラの不倫物語だけど、ちょっとコマロフスキーに注目したい。 コマロフスキーは半分冗談で17歳の小娘ラーラにベールを掛ける。 なんかあまりに美しかったんでヤバいと思ったんだろう。この時の苦笑いが彼の良い人っぽさを出していた。 パーティの日、母が風邪を引き、コマロフスキーは『欠席しよう』と、ラーラは『看病する』と言うが、母の強い頼みで二人で行くことになった。 当初コマロフスキーにそんな気はなかったんだろう。帰りの馬車でコマロフスキーの顔にチラチラと掛かる怪しい影。対象的にラーラの顔はハッキリ灯りが。 ユーリは戦地でラーラと過ごし、不倫関係を持ちかける。この時ユーリの顔に掛かる怪しい影。目だけギラギラ。ラーラの顔には日が当たっている。 ただの不倫と言えばそれまでだけど、コマロフスキーもユーリも、ラーラの天性の魔性に取り憑かれたんだと思う。もちろん彼女の美しさに罪はない。 ユーリとラーラ親子を逃がそうとするコマロフスキー。逃げなかったユーリの代わりに、生涯父親としてトーニャを育てた。良い人すぎるぞコマロフスキー。 機会がなかっただけで、エフグラフ・ジバゴ将軍も彼女に取り憑かれてトーニャ探しに協力した。『淡い恋心』と言っていたけど… ん?ユーリの妻も、ユーリとラーラの娘も、どっちもトーニャなんだな。好きな人の奥さんの名前つけたんだな。 唯一ラーラを妻にしたパーシャはどうだったか?彼はラーラより、ボリシェヴィキに取り憑かれていた。 ところでユリアティンの男どもが、なんであんな美女を放っておくか謎だったけど、たぶんパーシャを捕まえるために家を見張っていた(当時の)KGBとかが、追い返してたんだろう。 魔性の女ラーラは強制収容所で死んだ。番号で処理され、記録は紛失。ユーリの美しい詩も、ソ連では発売禁止。 社会主義国家に女性の美しさや、詩の美しさは不必要なんだろう。まさにパーシャ≠ストレルニコフそのものだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-04-12 23:07:00)(良:1票) 《改行有》

10.  クィーン 《ネタバレ》 “The Queen ”と書いて『エリザベス女王』と言って良いでしょう。本来女性の王を指していますが、エリザベス女王は昨年秋に亡くなり、いまご存命なのはデンマークの女王のみ。ただ今後ヨーロッパ各国の王位継承者である“王女”が“女王”に在位してくるそうな。 ダイアナ元妃が亡くなってから10年後に創られたこの映画。イギリス王室の内部をかなり赤裸々に、人間味ある人物として描いています。エディンバラ公とエリザベス王太后はダイアナを嫌っているし、チャールズ皇太子は自己中。この辺、自虐的とも言える、王室を綺麗に描きすぎないさじ加減が、とても上手いなぁって思いました。 本作公開の前年にロンドン五輪開催が決まり、イギリスが一丸となって盛り上げていきたい時。王室始まって以来の大スキャンダルだったダイアナ元妃の事故死に、映画としてメスを入れる行為。それも主役はダイアナではなく女王とブレア首相(当時は現職)にして。イギリス人がこの映画を観て『キレイゴトじゃん』って思っては、シラケムードになっていたところ。※余談ですが私は『フクシマ50』にそれを感じてしまいました。 伝統に縛られ頑なな王室と、国民感情に沿うように歩み寄らせるブレア。印象的な鹿の最後。自らも鹿狩りに参加する一方で、偶然目にした美しい雄鹿が仕留められたことにショックを受け、お忍びで鹿と対面し、仕留めた客人に“おめでとう”と伝えるように言い残す。そんな“公”の一面しか見ることの出来ない女王にも“私人”としての感情もある事を、改めて国民に観せている。 バッキンガム宮殿の前の、花束の少女とのやり取り。ブレアとキャンベルとのやり取りで、国民の女王に対する気持を見事に一体化してきました。 『裸の銃…』なんかでも笑いのネタ扱いだった女王。国民感情と乖離した古いイギリスの象徴だった女王を、愛すべき国民の女王まで昇格させたキッカケとして、この映画は大成功だったと思います。 国民に愛され、国民を愛する女王像の再構築。その映画的アプローチはまさにこの映画から始まり、ロンドン五輪開会式でのボンドとの共演に繋がっていく。見事です。[映画館(字幕)] 7点(2023-03-26 14:37:27)《改行有》

11.  道(1954) 《ネタバレ》 -La Strada- “道”。 アタマのLaは三人称単数のLaみたいで、フランス語みたくLe(男性)、La(女性)ではなかった。ので、“彼らの(彼女らの)道”…みたいなことでしょうかね??全然違ったらごめんなさい。 事前情報無しで観たから、最初コメディだと思ってた。夜道で待ちぼうけするジェルソミーナが、野良馬にビックリするシーンがとても好き。 私が子どもの頃は、親に「言うこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ!」なんて言われた世代だけど、もしかしたらこの映画の影響なのかもしれない。今じゃ“サーカスに売る”なんて差別発言になるだろうね。 主な登場人物は3人。言葉狩りに臆せず書くと(って、普段から気にしてないか)、ジェルソミーナ=知的障害者。イル・マット=キチガイ。ザンパノ=野蛮人…今だとモラハラ男かも。こういうところ、変にオブラートに包まれると、この時代の映画の本筋が観えなくなる気がするなぁ。 ジュリエッタ・マシーナは当時33歳だから、ジェルソミーナも少女と言うにはとうが立っていて、成人しているのに料理もできないし、美人でもない。家では流木拾いくらいしか使い道がない知的障害者。 貧しい一家が食べていくための“口減らし”。ジェルソミーナが1万リラで売られる時の、お母さんの極端な猿芝居がちょっと可笑しかったけど、真面目に見ると怖い。1954年の1万リラは当時の5400円くらい。今の価値で20万円くらいらしい。リアルだ。 ローザ(たぶん姉)の死も、母「かわいそうに、お墓がどこかもわからない」なんて、それ以上ザンパノに聞かない母親のしたたかさ。ローザが何故死んだのか、わかったもんじゃないのに、ジェルソミーナを同じ男に売る母親。あぁここは確かに、帰るべき場所じゃないわ。 海岸でひとり微笑むジェルソミーナ。芸人に成ることにちょっと嬉しそうなあたり、状況を理解できてないんだろうな。 母親に売られたのは仕方ないとして、サーカス団に誘われた時、イル・マットに誘われた時、修道院に残りたいか聞かれた時。その後の道を選ぶのはジェルソミーナ自身だった。きっとどれを選んでも幸せになったかもしれないのに、ザンパノと行くことを選んでしまった。 ついついザンパノをからかうイル・マット。やらなくてもいいのに。せっかくサーカス団と行く決心をしたジェルソミーナの決心が揺らぐ。「私はこの世で何をしたらいいの?」に対し「俺と来れば綱渡りを教える。でも、お前でも何か、ザンパノの役には立ってるんだろう?」この会話、イル・マットはジェルソミーナに一緒に来るように誘っているように見せて、ザンパノと一緒に残るよう誘導してないか?からかってないか?だとしたらホント、キチガイだ。でも別れ際にネックレスを渡すあたり、キチガイの良心かもしれない。あのネックレスはジェルソミーナの今後の辛い生活の、心の支えになったことだろう。別れ際ジェルソミーナにラッパを置いていってやるザンパノの心理も同様。あのラッパは、今後独りで生きていくジェルソミーナの飯の種になったことだろう。 海岸で始まり海岸で終わる。友達と言えるイル・マットを殺し、パートナーのジェルソミーナを捨ててきたザンパノ。 姉のローザの死は、きっと彼に何も残さなかった。『死んじまったか、面倒くさいな。』くらいの気持ちで、代わりのジェルソミーナを連れてきた。突如僧院で彼女に求婚された。自分を好きになる努力をする女を前に、何も考えないことにしたザンパノ。 『この小石も何かの役に立っているハズだ。空の星と同じように』は2人の共通のテーマかもしれない。 海岸で泣き崩れるザンパノ。このシーンにはいろんな解釈があるけど、ザンパノは空の星を見上げて、自分の道を考えたのかもしれない。 ジェルソミーナは小石を見て自分の未来の道=今後自分がなにかの役に立つこと。を考えたのに対し、ザンパノは空の星を見て自分の過去の道=自分の愚かな行いで失ってきたこと。を考えたのかも。 でも今さら遅い。考えたって取り返せない。ザンパノの歩んだ過去も、ジェルソミーナの可能性の未来も。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-23 15:33:41)《改行有》

12.  ベニスに死す 《ネタバレ》 -Death in Venice- 邦題ままだと思う。 でもイタリア語の-Morte a Venezia - で“ヴェネツィアの死神”にもなる。うぅ~ん… タイトル聞いてもピンとこなかったけど、ビョルン・アンドレセンのカットで『あぁ、あの映画のことか』ってなった。むかし雑誌か何かで見た美少年。どういう内容か、ずっと気になってた映画。 初老の作曲家と美少年の2人は会話を一切しない。画的な大きな変化も少ないんだけど、美しいベニスの風景と美しい音楽、美しいタッジオを観ているだけで、とっても静かで心地よい時間が流れる映画。劇中何度か使われる、遠景長回しの映像は、まるで自分もそこに居るように感じられる心地よいものだった。 私は本作から、同性愛的な雰囲気や、性を連想させるような匂いは感じなかったかな。純粋に“美”を求めているように感じた。 『タッジオは死の天使で、アッシェンバッハを死に誘った』ってヴィスコンティ監督の解説を見てナルホドって思った。イタリア語のタイトルとも重なるし、死神ならベニスに広がるコレラ=疫病の蔓延にも関連ありそう。 タッジオは美少年だけど、彼に魅了されてるのはアッシェンバッハだけで、他の人はチラ見もしない。アッシェンバッハを誘惑するような眼差し。嫉妬心を沸かせる肩を抱いて頬にキスする友人。まるで誘ってるように柱に掴まってクルクルなんかも、実はアッシェンバッハだけにそう見えてるのかも。美を追求したものにだけに見える幻の美しさ。 せっかくコレラが蔓延している事にいち早く気がついたのに、既に死の天使に魅了されてベニスを去れない。年老いて醜く死を迎えるより、美しいタッジオを愛でながらの死を受け入れる。若返りのメイクはまるで死に化粧だ。最後に目に焼き付いたタッジオのポーズ。腕は水平線、指の輪っかは沈む太陽で、死を表現してるのかな。この海岸のシーン、聖闘士星矢のミスティを連想したわ。 アッシェンバッハがタッジオに魅了された気持ちって、もしかしたら欧米人より日本人の方が理解出来たかもしれない。その原因は初登場時のセーラー服。 本来、水兵さんの軍服であるセーラー服。女子校生がセーラー着る文化があるのって、当時恐らく日本だけだったと思う。 『美しい顔立ちの少年がセーラー服を着てる』セーラー服=汚れのない少女ってインプットされてる日本人は、それだけで彼を“神聖な存在”と認めたハズ。 一方でセーラー服=水兵さんって認識しかない欧米人からしてみると『ビョルン?あぁ、綺麗な顔立ちだよね』くらいの感想止まりだったと思う。 逆にタッジオがセーラー服を着るシーンがなければ、日本でのビョルンの評価は『あぁ、綺麗な顔立ちだよね』って感想止まりだったんじゃないかな。 欧米人気とは独立して、セーラー服が日本でビョルンを神聖化し、日本でCMやレコードも出し、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”になったんじゃないかな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-09-08 23:01:12)《改行有》

13.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:35:54)(良:1票) 《改行有》

14.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 -Il Buono, Il Brutto, Il Cattivo-“善玉、卑劣漢(私の観たのでは無頼漢だった)、悪玉”語呂の良さから悪玉が先にくる訳が多い。 もう全然違う邦題で、続編でもなければ、夕日も出ない。賞金稼ぎ詐欺師のイーストウッドのどこが善玉か!って思ってしまうけど、イメージ的に“オイシイ奴、ブザマな奴、ヘタこいた奴”って感じの意味かもしれない。 前作(って書き方で良いのかな?)同様、イーストウッド(ブロンディ)とリー・ヴァン・クリーフ(エンジェル・アイ)が2大主役かと思いきや、物語はイーライ・ウォラック(トゥコ)中心に深堀りされている。音楽や文字の入り方なんか、いかにも懐かしい古典的な西部劇って感じで、この埃っぽい世界観に3時間は、最近の映画に慣れた、西部劇に不慣れな人にはハードル高そうだけど、案外退屈しない作品に仕上がっている。 マカロニ・ウエスタン=低予算のイメージがあるけど、“今度は戦争だ!”と言わんばかりに後半、南北戦争の戦場が舞台になったり、大規模な橋の爆破があったりと賑やか。私の中で西部劇はカウボーイとインディアンの映画で、南北戦争は戦争と家族の映画なイメージがあって、1作品に両方が入っているのは、今回初めて観るかもしれない。 唯一、名前で呼ばれてるトゥコ(他の字幕だとテュコ)だけど、処刑シーンでブロンディが“通称ネズミ”と呼んでいて、やはりこのシリーズは表向き名無しのガンマンの映画になっていた。 このトゥコ、兄との会話から過去が想像できたり、ガンショップでのマニアックな分解→再組み立てのシーンも格好良く、意外や銃の腕もある。状況によってコロコロ態度を変えるのも親しみを感じるキャラクター設定で、最後の戦いから首吊りのシーンは、思わず“助かって欲しい”と思ってしまった。なので最後、ブロンディのワンショットはスカッとさせてもらった。良かったね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-12-12 16:32:38)《改行有》

15.  夕陽のガンマン 《ネタバレ》 ~for a few dollars more~あとほんの数ドルの上乗せのために。 私がもう一回りくらい世代が上だったら、きっと子供の頃に西部劇を楽しんでいただろう。だけど子供の頃は刑事モノやSF、カンフー映画なんかが流行っていて、西部劇はロードショーとかでも滅多に流れなかったから、名作と言われるものも、ほぼ観た記憶が全くない。最近になって、ようやく数作品観るようになったくらいで、マカロニ・ウエスタン鑑賞はこの作品が初めて。 モンコ(これ名前じゃないみたい)の泊まる宿の子供やマダムがもっと話に絡んでくるかと思ったけど、主題に関係ない描写をバッサリ切り取る、この潔さも良いと思う。バイオレンス・アクションが多めで、生活感が薄め。普段なに食ってんだ?とか、どうでも良い生活に絡む設定、必要じゃない情報や描写を削って、描くべきアクションを全面に出す描き方って、北斗の拳とかのアクション漫画なんかにも活かされていると思う。また勧善懲悪とも言い切れない、賞金稼ぎという立場も良い。 まだ若く、それでいてふてぶてしい貫禄がある、イーストウッドの格好良さを堪能する映画。とも言えるけど、ライバル•ポジションのリー・ヴァン・クリーフも格好良いではないか。影のあるモーティマーの過去。敢えてセリフで語らず、懐中時計とインディオの回想で結びつける描き方が、想像力を掻き立てて印象深い。 モーティマーの妹夫婦を襲ったインディオ。突発的な強行ではなく、実はずっと思いを寄せていたんじゃないか?とか…殺しの場面で懐中時計を使うのは、精神的な自傷行為に近いんじゃないか?とか…インディオにも単なる悪党で片付けられない魅力があるから不思議。 モンコとモーティマーの2人が最後に戦う展開かと思ったけど、復讐と賞金で2人の目的を棲み分け。カッコイイ主役2人をどちらも立てる展開は、後味が良くて素直に素晴らしい。[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-10-19 22:43:05)(良:2票) 《改行有》

16.  ラストエンペラー 《ネタバレ》 ~The Last Emperor~末代皇帝。300年に渡る清朝の最後の皇帝となった溥儀の生涯を描いた映画。溥儀は満州国の初代と末代の皇帝でも、あるね。 日曜洋画劇場で2週に渡って放送されたの(当然吹き替え版)以来、久々の鑑賞だったけど、まず驚いたのがみんな英語で話していること。最近は現地人は現地語で再現されることが多いから、一昔前の映画に感じられた。 セットの豪華さが凄い。西太后が崩御する部屋の豪華さ。即位式のスケール。お隣だけど異国の文化感、大陸の王朝の大きさが良く出ていた。…もっとも、映画撮影のための想像や創作の部分もかなりあるんだろうけど、ただただ装飾の美しさと様式美に圧倒される。 溥儀の皇帝として我儘と権威っぷりを観せて、実は紫禁城の中だけの皇帝だと知らされ、国内で最も力ある存在から、乳母のアーモ1人すら奪い返す力がないことを見せ付ける“一瞬にして突き落とす”観せ方が酷い。 溥儀が力(当然の権利)を示そうと、宝物庫の目録作成を指示しながら、辮髪を切る時の目ヂカラ。西洋人に劣らない貫禄と美しさのジョン・ローンだからこその名場面。カッコイイ。 これが子供向けの偉人伝だったら『紫禁城を追い出された溥儀は、天津で楽しく自由に過ごしましたとさ。』で終わりそうなもの。その後は何とも不幸の連続のような人生。ここまでで17年。ここから戦犯としてハルビン駅で自殺を図るまで25年くらい。前半に比べ後半が短い気がする。もっとも、辛い内容が多いので映画的なバランスを考えると微妙だけど。 老人になった溥儀が子供にコオロギの壺を渡すシーンが、何とも幻想的で忘れられない。[地上波(吹替)] 7点(2021-06-27 19:39:57)《改行有》

17.  続名探偵ホームズ1/ミセス・ハドソン人質事件 《ネタバレ》 ラピュタの同時上映で鑑賞。TV版はそれより前に放送していたんだな。忘れてる。 こちらのレビューも併映された『ドーバーの白い崖』とは別作品扱い。今回はモリアーティ教授一味とハドソン夫人が主役。 モリアーティが空気穴を気にする台詞を入れるとか「私の殺人は成功したことがないんだ」とか、銀行襲撃の妄想とか、キャラクターの魅力を引き出すのが上手いなぁ。 レストレード警部、犬らしく手紙の匂いから犯人を割り出すけど、美術館でホームズやモリアーティの雑な変装を見破れないとか、「原作読んでないのか!」なんてセリフも優秀なんだか無能なんだか、上手にいい加減で笑える。 前2作に続いて高いクオリティなので、出来ればエリソン夫人、モロアッチ教授バージョンで観たかった。 ~『ドーバーの白い崖』につづく~[映画館(邦画)] 7点(2021-05-27 11:55:23)《改行有》

18.  荒野の用心棒 《ネタバレ》 “Per un pugno di dollari”『一握りのドルのために』。夕陽のガンマンの原題に繋がってます。 『西部劇のイーストウッドと言えばこの作品』って勝手に思ってたくらい、例の鉄板のシーンが印象的です。 監督自身が認める黒澤作品のオマージュ映画だったことから、まず用心棒を観ないことには何とも評価が難しいかもしれませんね。 「あっちにバクスター、そっちはロホス。真ん中に俺」意味は解らないけどカッコいい。「俺の馬が怒ってるから謝れ」なんて、メチャクチャな言い掛かりがマカロニ・ウエスタンらしくて良い。ロホスとバクスターの2大勢力を手玉に取って、抗争に持っていく巧みさが痛快。 けど、ジョーに都合よく事が運びすぎる気がするなぁ。兵士2人の死体を墓場に配置するのは良いけど、アレどう見ても墓に伸し掛かった死体にしか観えないのに、両陣営撃ち合い始めるなんて。 ジョーが両陣営にフリーパスなのも、あの狭い街でそんなに器用に出来るのかなぁ?とか。…でも借金の方に取られた女房の監禁先が、親子が住んでた家の向かいにある(だよね?)くらいだからなぁ。ゴロツキのアジト2つと酒場と棺桶屋しかない変な街なのが、生活感を排除したマカロニ・ウエスタンらしいかな。 BTTF2にも登場する鉄板。その辺の適当な板かと思ったら、結構手を掛けて作ってたのね。ラモンが西洋甲冑の胸を綺麗に撃つのが良い前フリになってますね。でもあんなに何発も撃ってたのか。鉄板に当たる音でバレそうな気がしないでもないけど、そのツッコミは野暮でしょうね。[DVD(字幕)] 6点(2024-03-20 20:43:20)《改行有》

19.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 “Le Grand bleu”『雄大な青』。日本では公開当時“Great ”とし、アメリカでは“BIG”にしてます。グレート・ブルー当時大流行しましたね。それが数年後グラン・ブルーに名を変えてリバイバル上映。私はどちらもきちんと観ること無く現在に至りましたが、ジャック・マイヨールとかエンゾとかって名前は知ってるくらい、知名度の高い映画です。 父親の事故のシリアスさから生真面目な映画かと思いきや、コメディ要素も入っていて、リュック・ベッソンらしいなって思いました。 振り返ると『あ、この子ジャン・レノの子供時代だな』って一発で分るのも面白い。ジャン・レノってどの映画でもジャン・レノですね。 ジャイアンとのび太の友情スポ根ものかとも思いましたが、それ以上に海への愛が異常なほど強いですね。登山家とかもそうですが、命を懸けてまで未踏の領域を目指す気持ちって、どこから産まれるのか? イルカへの愛も強く感じます。イルカと心を通わせられるジャック。イルカを家族として写真を持ち歩き、イルカに似た女性(言われてみれば似てるかって思いました)を好きになる。ジョアンナとの初めての夜、寝てる彼女放っぽって一晩中イルカと遊ぶなんて『そこまで・・・』って思ってしまいます。余談だけど日本チームが滑稽に描かれてるのは、やっぱクジラとか食べるからかなぁ? ジャックの海愛・イルカ愛は、人魚姫の逆バージョンのようにも思えますが、父親が危機たときに、いち早く状況を察知したのも、彼にはソナーのような能力があるんでしょうか。安直な言い方をすると『丘で産まれたイルカの物語』ですかね。 子供の頃の海の夢は、命懸けで浮上する怖い夢に見えましたが、エンゾを見送った後は夢の中のほうが居心地が良さそうです。何時からか(最初からか)、「海底は怖い、上がってくる理由が見つからないから」と。そんな感覚は私の理解を超えますが、この映画を観ていると、何となくですがその気持が(私には理解できないってことが)わかるような、そんな気がします。最後ジョアンナの話も聞こえてるのかどうか…イルカに誘われて向かう深海は、私には真っ暗闇に観えましたが、ジャックにはきっと雄大な青に映っているんでしょう。[DVD(字幕)] 6点(2024-02-24 11:00:08)《改行有》

20.  ジョン・ウィック:チャプター2 《ネタバレ》 2作目ともなると、どういう映画か解っているぶん、素直に楽しめました。ジョン・ウィックの無双。技のキレ。銃撃の正確さ。華麗さ。全てが前作より増していたような気がしました。 もう飽きるくらい多彩なガンアクションが長時間堪能できます。ジョンにアッサリと殺されるあいつら、それなりに訓練を受けたマフィアとかなんだろうけど、あぁも簡単に死んでしまうんだな。 ジョンの体術と銃さばきをミックスした、流れるようなガンアクションを観ていると、一部マニアに人気があった“ガンカタ”が頭に浮かびます。燃えよドラゴン張りに『鏡の間』をクライマックスに持ってくるところからも、“銃を使った格闘技”を再び世の中に浸透させようという意図があったのかもしれませんね。なんで前作でピンとこなかったんだろう? 陰ながらジョンを助ける役で、ローレンス・フィッシュバーンが登場したのには、おぉ~~~ってなった。きっと次作で活躍するのかな?犬は無事かな? この映画の世界は殺し屋があまりに多すぎるのと、ジョンと同等の殺し屋が出てきたために、ブギーマンの絶対優位性が薄れてしまった気はするけど、1→2の時より続きが気になる創り&終わり方だったのは好感。[インターネット(字幕)] 6点(2023-06-28 23:31:51)《改行有》

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS