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プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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201.  0:34 レイジ 34 フン 《ネタバレ》 このごろ気持ち悪いの受け付けないんだよなあ。ほとんど「修行」のような気持ちになってしまいました。ポテンテはなんでこれに出たんだろうか、とそればかり考えながら見てました。なんか、おかまにしか見えなくなった彼女。ごつかったんだなあ。「ボーンアイデンティティ」のころは、多少の可愛げもあったが。[DVD(字幕)] 4点(2005-11-17 20:12:36)(笑:1票)

202.  ザ・ウォーカー 《ネタバレ》 ネタバレますのでご注意。 ふむなんといいますか、「はじめにオチありき」で作られた作品ですね。 オチそれは、イーライはもともとは全盲であったこと、だから点字が読めたということ、神の奇蹟によって突然見えるようになったということ、そして「お告げ」を直接聞くことができるという「預言者」になったということですら。 日本人にはイマイチピンと来ないところですが、これでいいんですよ宗教映画だから。 この映画の主役はデンゼルでもイーライでもなくて決して登場することのない「主」でありますから、それがたまたま「終末」を背景にしているというだけであって、べつにそれがBC時代であっても内容は変わらないのです。「ベン・ハー」と同じような映画と言ってもマチガイではないのである。 まーそーゆー映画を作ってくれても別に私には影響はないからどうでもいいのだが、ちょっと興味があるのは製作にもかかわっているデンゼル55歳が「なぜ今これだったのか」ということかなあ。 これはけっこう低予算だと思います。デンゼル本人のギャラさえ抑えれば、とても安く作れたのではないでしょうか。デンゼルが出る映画としては…ちょっとなあ、かなり違うのではないか。 デンゼルは己のギャラを抑えてでも、このような「神様宣伝映画」を作りたかったのですら。 その心理は私などにはよくわかりません功成り名遂げたデンゼルにして何かの「回帰」現象ということかもしれませぬ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-10-04 13:24:11)(良:1票) 《改行有》

203.  酔いどれ詩人になるまえに 《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) 《改行有》

204.  ダウト ~あるカトリック学校で~ 《ネタバレ》 時代設定はケネディ暗殺の翌年ということになっています。 原作ものらしい。 メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの両芸達者の激突が見どころです。 孤立無援でも、誰にも感謝されなくても、「善」を達成できるかどうか。 というようなテーマだと思います。 善はもちろんキリスト教の神さまの決めた「善」です。 少年愛がいけないのかどうかは、時と場所によって違います。 これはキリスト教の話なので、キリスト教の神さまがいけないと言っていればそれは(ここでは)いけないことなので、いいのかいけないのかについての「ダウト」というものはそもそもない。 校長は国が決めた法に対して忠誠を誓っているからここまでの行動に出たというわけではありません。 で、話のゆくえとしては、自分さえ目をつぶれば四方八方丸く収まるのであって、誰も協力してくれなくて、騒いでも誰にも感謝をされないという場合の「善」について、それをできるかどうかということが、シスターアロイシスに信仰上の試練として問われていて、彼女は見事にそれを成し遂げた、ということになります。 どこまでも宗教的な話で、まあ大した話ではないのにここまで仕上げたのは2大芸達者俳優をブッキングできたからかなあ。 ホフマンのいかにもな変態神父はいやらしすぎて見ていられません。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-14 23:06:34)(笑:1票) 《改行有》

205.  ポセイドン(2006) 《ネタバレ》 「ポセイドン」これは、豪華客船で自然を超越した気になっている傲慢な人間に神罰を下した海の神と、勇気を持った一部の人間の闘い…きっとそんな話だろう、と大津波を見た瞬間に思った。いいぞいいぞ。しかし全然違った。 水遊びの大大大好きな監督さんの、「これでもか」な水技を見せるための作品だった。 カート・ラッセルとリチャード・ドレイファス以外の役者さんが妙に安いわけだ。そんなことどうでもいいしな。 「ペーターセンのザ・ウォーターランド」てなテーマパークを作っても大して変わらないような気がするので、こういうことならもう、映画という枠にこだわって「水芸」を披露することもないのではないでしょうか。「ランド」が出来ても行かないけどさ。[DVD(字幕)] 5点(2006-10-07 21:22:40)(笑:1票) 《改行有》

206.  リービング・ラスベガス 《ネタバレ》 原作者のオブライエン氏は非情にマジメな性格だったのだと思う。 彼の遺書ともいうべき「リービング・ラスベガス」のベンがそうであり、映画化決定後に「ちゃんと」自殺しているところからそう思う。 この「マジメさ」というのはとても「アメリカ的」なマジメさで、ヨーロッパにもアジアにも存在しない感じがします。「バカなマジメさ」「ウブなマジメさ」とでもいうのだろうか。 どうあっても酒がやめられないことがわかっているので、どうせなら積極的にこの肉体を酒に呉れてやろう、酒のせいで社会的に葬られたのなら、肉体的にも酒に滅ぼされてやろう…というようなマジメさです。約束どおり最後の瞬間までボトルをあおります。マジメです。 そして、この「アメリカ的なマジメさ」はベンのみならず、オブライエンの創造物であるセラもそうなっていて、彼女はとても「マジメに」売春をやっています。客の財布から札を抜いたりしませんし、まっとうな男性を間違えて誘ってしまったときは、直ちに謝ります。 この二人に足りないのは「ずるさ」とでもいいましょうか。とてもマジメに生きているけど、結果的に「社会のゴミ」的存在になるのです。ゴミ同様に、どこに行っても掃き出されるのです。 作者は、「ゴミの気持ち」「ゴミの主張」「ゴミの死に様」を書いてみたのではないでしょうか。そういう表現もありだと思います。でも、彼がずるいと思うのは1人で死ねないところですね。 可愛くて心優しい娼婦に最後を看取られて死にたかった…ベタな男の願望がまんま出てしまったところがNGです。傷ついた娼婦と心を通わせでもしなければ死ねない、というのがオブライエン氏の本音なのでしょうが、女はそういう都合に合わせて存在しているわけではありませんから、現実の世界では。 なので、私はこれはベンの妄想の世界と解釈しています。セラという名の売春婦と出会ったかもしれない、でも、彼女が情をかけてくれて、面倒を見てくれて、最後を看取ってくれたというのは願望で妄想です。自分が死んだあとも、愛していたと言って泣いてくれたらいいな、です。 リービング・ラスベガスは中野翠が絶賛していたために長いこと見る気がしませんでしたが、べつに見なくてもよかったような気がしますやっぱり。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-08 16:07:25)(良:1票) 《改行有》

207.  セックス・アンド・ザ・シティ 《ネタバレ》 シーズン4か5までは全部見たはずですが、やっぱ老けるということは痛い。もともと老け顔だったパーカーですら。 この映画では、最初のほうでものすごいドラマティックなシーンを振っておいてどん底まで落とし、そこからどのようにキャリーがリカバリングされるのかを追ってじわじわと上昇していきラストでハッピーになるという構成がされています。…まあだいたいこういうことになるとは観客の誰もが予想しながら見ているわけだが、私はここでハッピーエンドにせずに「平常心」のラストで終わってほしかったものだと切に思うのだった。「完全な幸せなんて誰にも訪れなくて、先はどうなるかわからないよね~。でもなんとなく楽しく生きていこうよ。」というのがドラマ版SATCでの姿勢だったと思うのだが、キャリーをビッグと結婚させちゃったら「幸せ」以外の何者でもない。キャリーは結婚させたらダメなんだよ。永遠に男を探して彷徨っているのがキャリーなんだ。 あと背筋が冷やっとしたのは、シャーロットの妊娠発覚の際に「養子を迎えたあとに妊娠することって多いらしい」と言って平然としてたことね。…アジア人の養子を、本当の子供を授かるための準備品扱いしちゃってるんじゃ?という大問題なのに、作り手が疑問に思ってなくてスルーしちゃってるのが怖い。やっぱ白人だなあと思うね。 さて、見てみてよ~くわかったのが「4人の女優が3対1に別れてモメていた理由」です。 パーカーはプロデューサーに名前が入っていることもあるだろうが、露骨に自分ばっかいい思いさせすぎ。残りの3人に脱糞だとか女体盛りだとか全裸SEXシーンを割り当てておいて、自分は汚れシーンは一切なし。いいとこ全部自分。いやあ、はっきり言ってすごいよ。ここまであからさまにワガママを見せられると。 ドラマ版でもだいたいそういうことだったけど、パーカーは絶対脱がないしね。 これってつまり「あくまでもあたしが主役。残りは引き立て役なの。」ってことでしょ。 パーカーとは非美人でチビのユダヤ人女優、と私は認識しているのだが本人の認識は全然違うみたいだ。カマトトも年を考えてやって欲しい。ホリー・ハンターとかチビ女はなんか得してるよね。 そんなことで、サラ・ジェシカ・パーカーの自分充分ぶりが炸裂してしまった映画版なのでした(2もあるとは…和解なんてするわけないから、みんなそれぞれ困ってるのね)。[地上波(字幕)] 6点(2010-09-12 17:19:31)(良:1票) 《改行有》

208.  ダ・ヴィンチ・コード 《ネタバレ》 映画「ダヴィンチコード」そのものよりも、その周辺について興味深い現象が起きている。 例えば、私の居住地域はまあほとんどロー・クラスの住民しか住んでおらず、当然民度も低い。よって通っているのも場末のショボいツタヤであるのだが、ここでは先週の解禁日もその翌日も「ダヴィンチコード」は全巻出払っていたという状態であった。ヨドバシでは、題名を大声で連呼し、DVDが野菜のように叩き売られていた。 今週、ひととおり内容を見てみて、さらに疑問は深まった。 なぜそんなに「ダヴィンチコード」が見たいのか?〝ダヴィンチコード〟なのに? ここでいう〝ダヴィンチコード〟なのに?は、当然「いくらトム・ハンクスが主役を張っているとはいえ、タカが辛気臭い宗教映画(しかもバタもの)ではないか」という意味である。 もっというと、「クリスチャンなど日本人の1%しかいないではないか。しかもここは果てしなく民度の低い○○○(地域名が入る)ではないかあ!解禁日から張り切って借りてる奴のうち何人が常日頃から宗教に興味があるというねん」であった。 話題と宣伝により雪だるま式に底上げされたあげく、内容などに全く関係なく○○○の住民でさえ先を競って借りていった「ダヴィンチコード」…その周辺がイタすぎると私は思う。 さて、その作品については、「オドレイ・トトゥがアメリカ人の役者と絡むのはミスマッチすぎてダメ」「だいたい私はヨーロッパ人の女が舌足らずの英語をしゃべるのがあまりにも汚く聞こえて耐えられない」によりドンドンドーンとランクダウン。 ハンクスが最も得意とする「どんな観客をも酔わせる微妙な感情表現」がほとんど必要のない脚本であるので、全然彼である必要もなかった。ひたすらストーリーを追っているだけの映画であるから、かえってトム・ハンクスという役者が発するあたたかみがうるさく感じられてしまうくらいなので、もっと才気走ったクールな役者を配するべきであった。 冒頭で、M修道僧サイラスのマゾ描写を無駄なくらいしつこくやったくせに、期待してたら単なる鉄砲玉扱いで尻つぼみに殺してしまうし。 ラングドンというのは、特殊な視覚能力があるという設定らしいのだが、それについてもなんの補足も説明もなくご都合な感じのみ残る。ご都合といえば全編これご都合なのだが。 私としては、「ギャザリング」とか「悪霊喰い」と同レベルの宗教映画と位置づける。[DVD(字幕)] 5点(2006-11-11 00:03:56)(良:1票) 《改行有》

209.  ラン・ローラ・ラン 《ネタバレ》 バタフライエフェクト…よりこっちが先だけども、父の不倫とか出生の秘密とかおいしいネタをうまく使って料理しているところがいい。 最初のパターンの際の父の反応が個人的にウケまくってしまった。 一分のスキもなくあそこまではっきり拒否されると、ものすごく気持ちがいい。 意味不明の無敵の絶叫はなにか「ブリキの太鼓」を思わせる。 そもそもで女に理不尽な要求をして助けを求める男は放っておく、というパターンもあってもよかったな。私ならほっておく。 ポテンテごつい。走る走る。やっぱり美人じゃないけどポテンテの場合はそこがいいのだと思います。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-03-21 21:42:55)(良:1票) 《改行有》

210.  スーパーサイズ・ミー これは傑作。新種のマイケル・ムーアと思いきや、モーガンというやつは、なかなかいい男なんだ。ルックスもGOODだし、個人的にこの人の英語の発音がとても好きだ。どういう経歴の人か知らないが。こんな内容で、最初から最後までほとんど一人出ずっぱりで抵抗なく見られるのは、モーガンがいい男だから(ムーアならムリ)。 それでまあ、以下の2点のことを感じた。「アメリカ人は何を食べたら体にいいか自分で分からないほどバカなのか」栄養成分表を見ないと、体にいいか悪いかわからないというのは、動物としての本能が退化しておる。犬だって猫だって、「草が必要」と体が要求すれば勝手に食べてる。なおかつ、1日に平均1.6キロしか歩かないとか、「カロリー」の意味を知らないとか、学校のランチの配給とか、恐るべき実態である。古来から日本人にとって、自分の体は自然の一部であった。西洋人にとっては、「神様から借りている乗り物」であるらしいが、前々から自分の体を「モノ扱い」する人々よのう、とは思っていたが。この違いは「畏れ」の有無と思う。 2点目、「ホモサピエンスは放っておけば炭水化物と脂肪ばっかり摂りたがる生き物なのか」2年くらい前、「ナショナルジオグラフィック」で「太りゆく人類」というものすごい題名の特集があった。それによると、人類は過剰なカロリーを摂取するようになったが、その増えた分はほとんど炭水化物と脂肪であるという。まさにこの作品のテーマとかぶっている。タイムリーなテーマとはいえ、マクドナルドを攻撃するという、こんな作品がよく作れたものだ。まさか「新種の広告」ではないだろう。ヘラヘラ笑っているモーガンの態度もいいし、「ロックンロールマクドナルド」などの挿入曲も爆笑。「スーパーサイズ ミー」というネーミングも皮肉で絶妙だ。オリジナルとおぼしきイラストが怖い。彼女がベジタリアンでよかったね。ちなみに私自身はマクドナルドはおいしいと思わない。スナック菓子と糖分の入った飲料はいっさい摂らない。なぜなら体が嫌がっているから。[DVD(字幕)] 8点(2006-02-26 12:31:22)(良:1票) 《改行有》

211.  リーピング 《ネタバレ》 前振りとヒラリー・スワンクにすっかり騙されて、期待して見てみたのがマチガイだった。 ヒラリー・スワンクが出ようが、やっぱり映画は作り手が問題なのだ。1に監督、2に脚本、3に製作と編集、俳優なんてのは10位以下である。ああ、しょうこりもなくまただまされてしまった。お金返して。 こんなにノレない宗教映画ははじめて見たような気がする。 登場人物の誰一人として現実味が無く、ヘイブンに着いてからは「科学」の「か」の字もカンケーなくなって、ひたすらオカルトに一直線。 なんにもコワくないので無理にでも恐怖を盛り上げようと、音などでスワンクを驚かすこと度々というお粗末さ。 それぞれのキャラクターの過去のエピソードとて、取ってつけたがごとくで何の関心も持てない。 少女のオチが割れたとて私はなんの感慨も浮かばなかった。エンディングが「ローズマリーの赤ちゃん」であろうが、これっぽっちも感心などせぬ。 どうしてこんなにつまらないんだ。こんなに退屈な宗教映画もない。…彼らはマジメすぎたのか?[DVD(字幕)] 2点(2008-07-17 19:28:29)(笑:1票) 《改行有》

212.  アンビリーバブル 《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。[DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) 《改行有》

213.  バッド・エデュケーション(2004) 《ネタバレ》 ガエル君のオカマ姿は「プルートで朝食を」のキリアン・マーフィよりはるかに良かった。 見てくれがエグいかどうかだけでなく、しぐさやふるまいが全くもってフツーの女に近かったのだ。 キリアン・マーフィを見ている時は、「必死になって女になろうとしている」結果「濃すぎてしまった」感じが痛かったけれど、ガエル君の場合は「ヤな女だなーコイツ」という感想を抱いてしまったのだ。その点、ニール・ジョーダンよりアルモドバルのほうが「女とは何か」がわかっているということなのでしょう。 いつもと同じようなアルモドバル要素に満ちた作品なのだが、ラストのあっけなさといい、何かパンチに欠ける気がする。 あえてテーマのことを推測するなら、「理想と現実」だったのではないかなあ。 劇中劇「訪問者」は、イグナシオが自ら書いたものであるから、その内容はイグナシオの「理想」と見ていいだろう。きれいなオカマに変身した自分が偶然初恋の相手に出会い、彼に金銭援助をするために変態神父に復讐して見事成し遂げる、というのがそれだ。 ところが脚本を読んだエンリケは「この話はハッピーエンドではダメ」と、サハラが返り討ちにあって殺されるラストに書き換える。これは「理想」を「現実」側に引き寄せた結果だと思う。 また、急にあらわれたイグナシオ(と偽るフアン)に、修道院時代の美少年のその後の理想形を見ながら、「やっぱりイグナシオではない」と見破るのもエンリケだ。エンリケは常に「理想」を退けて「現実」を認識する立場にある。 理想と現実というテーマはほかにもいろいろ出てきて、例えばフアンは美少年イグナシオの成長後の理想形だが、現実のイグナシオは胸を整形した汚いオカマのうえ薬物中毒。 フアンは本当は「アンヘル」になって、女性を愛し、役者として売れたいのだが、現実には「フアン」としてゲイの男に体を提供して利益を追求するしか方法がない。 しかしフアンは「現実」を排して「理想」を実現しようとする人間なので、「醜い現実」たる兄を葬り、ゲイと寝る「フアン」も葬って「アンヘル」として役者になり女性と結婚する。 この作品内では、一貫して神が軽んじられていて、本当に神様がいない。いないので、バチが当たる人もいれば、のんしゃらんとして生き延びる人もいる。その結果は「So,so」とでもいうのが相応しいので、それほど深い感慨を呼ばないのだ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2008-07-14 15:03:32)(良:1票) 《改行有》

214.  阿弥陀堂だより 《ネタバレ》 映画が料理だとすると、ここに使われた食材はすべてもともとが「生」「死」「癒し」なのである。「他のものが一切入っていない料理」という、ある意味珍品といえるかも、のメニュー。例えば、「憎しみ」「妬み」「嘘」「偽善」「怠慢」などはこの映画のどこを探しても出てこないでしょう。 ということで「いい人しか出てこない」というより、「3つの要素だけで作ってある」なのだ。 「仕事」というのは「他人の要求に応えることである」と言ったのは橋本治。そして、「他人の要求に応えすぎる」と、人は「消耗」する。たとえ他人の死を見取りすぎたという特殊な職業下でなくたって、「他人の要求に応えすぎる」のは不健康なことで、職業としてであっても「消耗」は避けられない。私はそれが身にしみてわかる。美智子先生の置かれた状況がよーーくわかる。 村に着いても、最初は発作も起こして「これで診察できるのかいな」という頼りなげだった美智子先生が、次第にキャリアウーマンぶりを取り戻してバリバリになっていくのがおもしろい。比べてダンナのほうは一貫して同じペース。いいかげん寺尾は見飽きたけれど、孝夫役は彼でなければならなかったというのはうなずける。 さてこの村の人々がいたずらに死を恐れず穏やかに生きているのは、梅さんの存在ゆえである。 死んだ経験のある人は誰もいないので皆「死」が怖いのだけれど、「限りなく死に近いところに生きる梅さん」の存在によって、人々の「死の恐怖」は緩和されることになる。昔の船旅に不可触の人柱を乗せたように、梅さんは「不吉なもの(死穢)を全部引き受けてくれる」身代わりのような存在だ。 よくできたシステムだと思うが、このような存在は昔は賤しまれていたのではないかと考えるのが妥当だ。最も卑なる聖=アンタッチャブル=有形無形に疎外(隔離)する、というのが日本の文化だ。 映画ではそんなことはみじんも描かれないが、私は「梅さん=アンタッチャブル」という意識で見たほうがいいと思う。それで初めて「なぜ一人であんな便所もないところに住んでいるのか」「なぜ家族の訪問が無いのか」「人が死んだ時しか村人が訪れないのはなぜ」などの疑問が解ける。 偉すぎるニョーボの亭主であるというのも実は努力と技術が居るのでバカにしたもんではなく、どんな男でもなれるというものではありませんね。たまにはこんな珍品も、の一作。[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-06-30 13:48:28)(良:1票) 《改行有》

215.  シャイニング(1980) 《ネタバレ》 この作品に対して激怒していたキングが、一番怒っていたのは、「妻の配役」である。これは何を意味するか。キングは、意外にノーマルなアメリカ人の男であるということ。アメリカ人の男性が妻に求めるものは、「チアリーダー性」なのだった。それで、TV版では、金髪碧眼の、チアリーダー色全開の女優をキャスティングした。それにくらべてキューブリック。どこからどう見ても、チアリーダーになれそうもない、この女優さん。これは何を意味するのか。ニコルソンが、「チアリーダーと結婚したくてもできなかった男」もしくは「妻になる女性にチアリーダー性を求めない男」のどちらかである、ということである。これは、前者でなければ、この話自体が成立しない、というキューブリックの考え方を表している。なにしろ、ニコルソンはアル中から立ち直ろうとしているキャラだ。キューブリックは屋根だけを借りて、軒下には全く別のものを作った。これに対して、とやかく文句をいうのは、キングがみっともないというべきでしょう。TV版と見比べると、監督の力量の差が歴然。[DVD(字幕)] 8点(2005-11-06 19:07:28)(良:1票)

216.  ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密 《ネタバレ》 大好きなサンドラと、「エクソシスト」から好きなエレン・バースティン、この2人が画面に映っているだけで、幸せな気分になる。それだけでなく、シッダの子役の子がすばらしい。 そして、アシュレイ・ジャッドがエレン・バースティンの若いころを演じたというのが…絶妙な感じがした。顔の雰囲気が似ているのだ。これまでアシュレイについては、個人的な評価は「微妙」だったが、家出後のホテルでの孤独なシーンなど、「アシュレイ・ジャッドって、こういう演技もできるんだ」と思った。 ストーリーについて。アメリカ南部の女性たちの話である。先日読んだ「性と暴力のアメリカ」によると、昔からアメリカでは、既婚の女性どうしが精神的に深い絆で結びつき、男性社会であるアメリカを生きぬく支えとなってきた伝統があるという。「ヤァヤァ」は、まさにそれをあらわしているようだ。 さてこの話の中で、女性たちに対して強烈な支配力を示す男性はただ一人、ヴィヴィの父親だけ。彼は自分の娘にセクハラ言動を行い、高価な指輪を与える。でもそれは、ヴィヴィの言うように本当に「パパとは何もしてない」のにもらったものなのか?ヴィヴィの母親は、夫と娘の関係を邪推するほど「妄想幻覚」に囚われていたのだろうか? 作品の中では確たる証言はなかったけれど、前後の事情からすると、ヴィヴィと父親はなんらかの性的関係があった、ということだろう。「高価すぎる指輪」は、「もうすぐ結婚する娘に対する謝罪と口止め」の意味だ。でなければ、その後のヴィヴィの「心の病」に説明がつかない。婚約者が戦死したため、気に染まない男性と結婚した、だから人生に不満だった、というだけでは、ヴィヴィの「ご乱心」に説得力が生まれない。作品の中で語られないけれど、これは父親に性的虐待を受けた過去を持つ、という前提でヴィヴィの「乱心」を見るべきだと思う。 そんなヴィヴィは、懺悔したように本当は「有名になりたかった」女性、なのである。夫が成功すれば自分も幸福感を得られる、というタイプではなく、「自分が」社会的に成功したかった、野心ある女性だった。 これはヴィヴィという女性にとって、自分があきらめたものを娘が手に入れたことを許し、受け入れるまでのプロセスの物語だ。 シッダの弟妹が全く話に絡んでこないことが少々不自然だったが、「ヴィヴィ」の立場の女性にも、「娘」の立場の女性にも、見てほしい一作だ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2007-11-02 20:20:27)(良:1票) 《改行有》

217.  アウト・オブ・サイト …ゆるい。 メイキング映像から察するに、出演者から脚本家、原作者にいたるまで皆が勝手なアイディアを出したあげくにそれぞれの要望をモザイクのように実現した結果に見える。こういう場合はゆるーいものができますね。 ソダーバーグか?ほんとに? これがソダーバーグだというなら例のデビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」や「イギリスから来た男」はなんだったのか。ソダーバーグの作品は当たり外れが激しいというか、「ソダーバーグ印」という安定感が皆無。 「ソラリス」でもコケたようにソダーバーグがクルーニーを出すとロクな事にならないようだが。 だいたい私はクルーニーの出ている映画で良かったものがひとつもないような気がするけど。「オーシャンズ11」もつまらなかったなあ。「シリアナ」はよかったけどクルーニーなんて居ても居なくてもどうでもよかったし。それに一時期全アメリカ女性をとりこにして一人勝ちしていたというクルーニーだが、そのフェロモンも私にはなぜか全然無効なので不感症かと悩んでしまう。 とにかくコント以下。茶番。 [DVD(字幕)] 3点(2006-08-13 00:11:39)(良:1票) 《改行有》

218.  アバウト・シュミット 《ネタバレ》 まったくウブなオヤジだ。「どこにでもいそう」でありながら、実は絶対いない、66歳のオヤジであるので、だまされてはいけない。重要なテーマ、「神に対するanger」、これを死ぬまでの間にどのように処理すればよいのか、そのことである。シュミットの場合は、66歳ということと、「妻の防壁」がはずれたことで、その「宿題の期限」を自覚せざるを得なくなったのだ。「神に対する怒り」に囚われている人というのは、普通は、「王の七つの森さん」のいうように、「鬱病」と呼ばれる。これは通常は服薬によってかなりの改善が期待できるとされるが、シュミットは自分に対する病識がないので、なんだかわからないけど「さまよう」ことになる。見も知らぬアフリカの子供に手紙を書くことは、「神」に「告白」しているのと同じである。ところで、この作品の導き出す「神に対する怒り」の処理方法への答えは何だったのでしょう。それは「forgiveness」であると思われる。「他人の良い所に目を向けることにより、許すことができる」である。結婚式のスピーチでそのように努力したシュミットであったが、心の底からそう思えるようになったわけではないことが、独白で示される。しかし話の流れから、今後の彼がこの「他人の長所に目を向ける路線」に向かって努力していくであろうことは明らかである。そして秀逸なエンディングは特筆に価する。日常を描いた話なので、もっと短くする必要がある。キャシーベイツの胸は本物なのか?[DVD(字幕)] 7点(2006-01-08 13:21:15)(良:1票)

219.  ボーン・アイデンティティー 《ネタバレ》 ハリウッド感を排そうと努力したアクション映画。ポテンテが出ただけで、たちまちヨーロッパ。なんでこうもアメリカ女と違いますかね。アメリカが舞台であっても、ポテンテが出てたらヨーロッパになると思われる。なんとなく、「清潔感を出さない」というところにポイントがありそうな気も。べつに「不潔」に見えるわけでもないが。心底「マットかっこいいー」と、涙しそうになったのは、ポテンテの元彼宅から出て暗殺者を始末する場面です。なんというスピード「感」、なんという無駄のなさ「感」。マットってこんなにしびれるほどかっこよかったっけ?しかし、「2」を見て、やっぱりかっこよく「撮って」たんだー、と気づいた。ヨーロッパ「感」と、しびれるマットの姿を味わう作品です。[DVD(字幕)] 9点(2005-11-01 21:35:23)(良:1票)

220.  秘密と嘘 《ネタバレ》 ジャン=バプテストって知的で雰囲気があって好きなんです。今はTVドラマでFBI捜査官などをやっていますね~。当然ですが若い頃はもっときれいだったんですね。 私は「人生は時々晴れ」のほうが良かったと思いました。ビンボーなイギリス人を描いて同じような感じですが、「秘密」のほうはきれいにまとめすぎている、「人生」のほうが、ダメさにおいて掘り下げていたと思います。 さて、全体を通して何を感じるかというと、どうしても「人は生まれでなく育ち」ということになってしまいます。 シンシアのような頭の足りない女性と彼女をレイプしたチンピラ黒人の間から、ホーテンスのようなまともな子供ができたわけです。一方、シンシアに育てられたロクサンヌのほうはほぼ同じようなダメ女になっています。 この状況を見ますとどうしても「人は生まれでなく育ち」という感想を持たずにいられないわけです。 また、ホーテンスのような自立した知的な女性が、血縁関係があるとはいえシンシアとロクサンヌのようなダメ親子を大した葛藤もなく家族として受け入れたことも、あまりに安易な展開と思えてしまいます。 まあ私はシンシアのような女性にこれっぽっちもシンパシーを感じられないもので、意地の悪い感想しか出てこないです。身も蓋もない言い方をすると、中出しOKの女性に出会ったならそれはシンシアのように本当に頭が足りないかデキ婚を狙っているのどちらかなので、あなたがまともな男性ならば「ゴムがないなら絶対にしない」という女性を選ぶべきでしょう。今の時代に女性の態度が中出しOKだった場合、それがどういう意味なのか分からないようなら、そんなあなたは「しない」ほうがいいです。 中出しOKの女性にも、その相手となる男性にもこれっぽっちも共感できませんもので、個人的に本作はイマイチ。ただ、明らかにされなかった秘密がもうひとつあったとして、それが私の想像通りであったなら、話はもっと悲惨だし違った演出をするべきでしたね。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-09-25 14:30:27)(良:1票) 《改行有》


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