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性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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21.  ボーダー(2008) 《ネタバレ》 めっさ痛い作品でした。 …刑事ひとすじ30年となりますと、2人とも50代前半~中盤という年齢設定のはずなのですが、実年齢のほうは役柄年齢を十数歳上回っておりますから、ハンパなく痛い。 …デニーロさんの出腹なんか、目がチカチカするほどですし、パチーノさんのシワの深さといったらもう、海底2000マイルでございます。 そんなに無理してまで、2人の刑事ものを撮ることはなかったではないですか…やるなら10年前に…。 そういえば…もっと痛いことには、デニーロさんが50過ぎても絶倫なことになっていまして強引にセクシーな若い女をあてがってしまうところとか…パチーノさんにレイプをさせてしまうところとか…。 どっちかといいますと、デニーロパチーノに若い女…ときたら介護…というのがぴったりな雰囲気なんですわ。 そんな2人の筋トレシーンには異様な緊張感が。今にも「うっ」と言ってひっくり返るのではないかと…。60じいさんをあんまり酷使しないでもらいたいですね。 内容も非常にしょっぱかったですね~八月のメモワール…なんかはなかなかよかったんですけども。 なんといいますかその~白人て皮膚が薄いもんですから、老けも激しいのですよね。 千葉真一なんかは、彼らより年上だと思いますけども、モンゴロイドですから、若く見えますね。彼はちょっとお直ししているみたいですけれども、まあ。 千葉真一全然関係ありませんけれども、まあそういうことです、白人は男も女も老けるのが早いし老け方もハンパないですわ。 あと食生活も関係ありますね、動物性脂肪にまみれて生活していると老けも進みます。 魚をよく食っている国の人は肌が綺麗です。 …結局老けネタしかないという…。[CS・衛星(字幕)] 4点(2011-12-17 21:14:36)(笑:2票) (良:1票) 《改行有》

22.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 …ひとことでいうなら、「ハリウッド映画ですね」だ。 だってさ、作り手に日本人が一人も入っていないじゃないの。脚本は2世だか3世だか、どうせ味噌汁の味も知らないようなアメリカ人でしょ。で、ハギスだスピルバーグだ。 やはり、よその国の兵隊のことを勝手に描く、ということで、かなり遠慮しいな内容となっているのは仕方ない。「ラストサムライ」よりはなんぼかマシという程度であって、これはれっきとしたメイドインアメリカ。なじみの日本人俳優が出ているからといって、ごまかされてはいけない。 まずもって、二宮演じる西郷の、その振る舞いおよびメンタリティーの有り得なさ。下っ端の日本兵が、こんな生意気なワケがない。これは、まんまアメリカの兄ちゃんの感覚を「若いやつはどこでもだいたいこんなもんやろ」と持って来ただけ。 ケン・ワタナベ。これはもう、見事なまでにハリウッド受けすることだけを考えたそのまんま。大正もしくは明治生まれの日本人将校が、こんなハタから見てわかりやすいかっこよさを発散するワケないじゃないか。ダメ。映画「東京裁判」でも見て、「本物」の振る舞いをちょっとでも勉強してみたのか、ケン・ワタナベよ。それとも国内受けなんてことは、もはや関係なしか。 本物に見えたのは最後まで付き従った「藤田」のみだった。 で、ひとつだけ、イーストウッドが「勝負」に出たな、と驚いたシーンは捕虜虐殺。これを入れるというのは、アメリカ国内の逆風を計算に入れているということだから。 さて、太平洋戦争末期、北方領土のどこかの島で、似たような実話があったという。それは、陸軍中野学校(スパイ養成所として有名)卒業生の士官が指揮をとった最後の戦いで、弾薬も兵力も乏しい中、中野学校得意のゲリラ戦法を駆使して、ソ連軍に対し驚異の粘りを見せた。そして、無駄死にを防ぎ、決して玉砕を許さなかった、という。 私は、「硫黄島」を見ながら、その実話を思い出さずにいられなかった。その防衛戦のことを思うと、栗林の指導者としての優秀さが全く伝わってこないような、盛り上がらない脚本にはがっかりだ。(かといって、〝有終の美〟を追求する所までいってるワケでもなし) …クリントはさあ、「硫黄島」は日本の製作サイドで作ってもらって、対抗作で「星条旗」を当てる、というふうに、なんでできなかったのだろ。クロサワが死んでいるせい? ↓花守湖さん、同感です。[DVD(字幕)] 4点(2007-06-29 01:00:11)(良:3票) 《改行有》

23.  普通の人々 《ネタバレ》 思えば「グッドウィルハンティング」はかなりここからパクっていたんですね。 兄貴が生きている間は家族間の力関係が安定していたために誰も疑問を持たなかった「コンラッドに対する無関心」が、バックが居なくなったことにより表面化してしまった。それでこれからどうしよう?という話ですね。 その「無視」の出所は母親のベスであるわけで。まあどう考えても彼女のコンラッドに対する態度は異常ですよね。なんで今まで気がつかなかったんだ?というくらいに。 カウンセリングを受けなければいけないのは誰よりもベスなんだけど。 みんなが腹を立てているベス、その思考回路について私が想像してみましょう。 彼女のキーワードは「完璧」「安定」「計画どおり」です。こういう人が最も恐れるのは予定を乱されること、突然のアクシデントです。彼らは自分が他人より弱く傷つきやすいと感じており、予期せぬ事態に耐えられないと思っているからです。 そのため予定を立て、家族を管理し、自分の許容範囲を超えたハプニングが起こらないように努めるのです。「不寛容」は、もちろん自分が「寛容」を与えられなかったから出てくるので、「私がこんなにがんばっていることに比べればあんたのがんばりなんて何よ」という気持ちで四六時中過ごしているのがベスのような人です。自分が一番大変な思いをしているという気持ちですね。こういう人は自分のことでせいいっぱい。自分が崖から転がり落ちないようにするだけで力を使い果たしている。「母親のリミットを知れ」と言ったバーガー医師はまことに正しい。 私はどちらかというとベス的な人間なので、分かるところがあるのです。 彼女はたぶん、「いい子にしていればすべてが与えられる」という育ち方をしたのでしょう。だから、大人になった今も主婦として妻として、落ち度の無いようにがんばっているのです。そうしないと「最も恐れていた事態」が起こるかもしれないから。それは「夫に捨てられて生活に困ったらどうしよう」ですね。ところが皮肉なことに、それは彼女が想定していた落ち度以外のところから訪れたのです。 誰もが理解に苦しむベスとは、(たぶん)こんな人です。「魔女」ではありません。 この話の女の子版が萩尾望都の「イグアナの娘」ですね。(マンガだけど)[DVD(字幕)] 8点(2006-08-06 19:36:08)(良:3票) 《改行有》

24.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 評判どおりの、よくできた映画だった。 サリエリは老けメイクが変だったが、回想場面ではキリッとした紳士面で「嫌らしさ」「人間くささ」を見事に演じ切り、爽快。モーツァルトは他の役者でも良かったように思うが、オペラを指揮している時は、可愛くて好きだ。コンスタンツェは美化しすぎ。 さて世の中は、「天才」と「天才ではないが天才を見抜く能力を持つ者」と「そのどちらでもない者」に分かれる。その割合はきっと、1:10:10000(変?)くらいなのだろうが、どこに入る人が一番苦しい人生を送るかというと、真ん中の人だ。 誰もが「サリエリ」かというと、全然そうではなくて、「サリエリ」になるのも大変なのである。「自分はサリエリだ」と思うのは、概ね勘違いだ。 私は、映画「アマデウス」において、サリエリ本人が思うほど、サリエリは劣っていなかったのではないか、と思っている(音楽的根拠はない)。 というのは、サリエリは、田舎者から成り上がって、皇帝のお気に入りの宮廷作曲家にまでなった男。よろしく立ち回るのが得意だったとはいえ、無能の人間にできることではない。 サリエリは、モーツァルトと出会ってその才能に打ちのめされ、「必要以上に己の才能を卑下」してしまったのだと思う。「自滅」である。あくまで映画の中のサリエリについての解釈だ。 「憎しみ」と「愛情」は近距離にあり、「愛情」の反対は「無関心」だ。サリエリは、モーツァルトを無視することすらできない。スパイを投入するほど、彼に関心があって仕方ない。これが「愛」でなくてなんであろう。滑稽である。そして悲しい。 「報酬には代償が必要である」とは、サリエリが経験から学んだ(と思っていた)玉条だったが、「代償」に対し「報酬」を期待するのは、相手が神様である場合に限っては、間違いなのである。 そしてサリエリの意地悪が無かったとしても、生きているうちにモーツァルトが認められることは無かったと思う。天才によくあるように、社会人としては行動が破綻しているからだ。モーツァルトが野たれ死ぬのは、自然の流れだった。でも、意地悪をしたサリエリには、「罪」の意識が残った。…本当は神様への一打にすらなってなく、すべてはサリエリの一人芝居、空回りであったようにも思う。 もうひとつ、人間性と、その人が作ったアートとの間には、関係がないことも、この映画は良く教える。[DVD(字幕)] 9点(2007-04-21 14:42:17)(良:3票) 《改行有》

25.  海を飛ぶ夢 《ネタバレ》 傑作だと思います。 テンポも良く、極力セリフを抑えて内容を伝える手法も洗練されています。 さて私が気になっているのはこの映画の白眉といえる「ハビへの詩」でして、じつはこの詩でラモンの事故の間接的な理由も、そして事故前の人生を捨ててしまった理由も、すべて解けるような気がする。 ラモンは飛び込みの際に「他の事が気になって」いたわけですが、この詩によればそれは「恋人に妊娠を告げられた」からだと思われる。そして、事故後に恋人は「結婚したい」などと言いますがそれは妊娠していたからという理由が大きい。ラモンは拒否し、彼女は1人で育てる自信もなく堕胎します(薔薇とは恋人のこと)。 …後年ラモンはこのことを悔い、「生まれなかった息子の魂」が別の赤ん坊となって生まれてきてくれることを願います。そして、ハビが生まれ、ラモンはハビを「生まれなかった息子」の生まれ変わりのように思い、そしてそう信じたかったのです。 もっというと、事故直後のラモンは「こんな体になってしまった事故の原因」であるところの「恋人の腹の中にいる胎児」を恨んでしまったのです。アレさえデキなければ。自分はこんなことには。 それがラモンの罪悪感であって、「ハビへの詩」を書かせたのです(ハビは高校生ですからラモンの子供では有り得ません)。 もうひとつ、ラモンが死ぬことに固執した理由、それは間違いなく「家族のため」です。 だからこそ、死の録画では一切家族のことを語りませんでした。28年間も介護してもらったのに、死ぬときになって感謝の一言もないのは本来の意図を隠すためです。「オレは自分の意思で勝手に死ぬんだぞ」ということにしておきたいのです。「義務」とか「権利」とか言っているのも同じことです。 彼は家族をラクにするために、死んだのです。ハビはじきに高校を出れば家を出て行く。人手が減るわけです。父親はいつボケたり寝たきりになってもおかしくない。被介護者が2人になるわけです。 2年前にラモンが死を行動に移しはじめたのはこのタイミングだったのでした。 ラモンの死は「尊厳死」というより「家族への愛」と呼ぶべきものです。そのことを、ベタベタした家族関係を見せるのでなく、うまいこと表現したと思う。 …ちなみに私は尿カテーテルと点滴を刺されて首しか動かせない状態を3日間くらい経験しましたが、あの状態は拷問としか言いようがない。[地上波(字幕)] 9点(2010-08-31 22:14:36)(良:3票) 《改行有》

26.  “アイデンティティー” 《ネタバレ》 うん面白かった。2回目はメモを取りながら詰めてみたが、解明できたとはいいきれない。 死体のそばにあるルームナンバーは人格のできた順番なのか?しかし、2~5が表示されていない。死ぬ順番には、人格の重要性が関係あるのか?あるようなないような。4人の女性人格のうち、ジニーはブロンドであるから、(彼の母はHAIR Br, EYES Br)母の投影された人格ではなくマルコム自身のおびえる女性人格であり、おそらくルーの暴力にさらされていながら離れられない。マルコムを殴っていたのは父であるから、ルーは父であるのだが、「妊娠はウソ」であったため、父親になることをマルコムから否定されている。他の3人の女性は母キャリーの人格が分かれたものであるが、ティミーは3人の母を殺していることになる。アリスは「慈愛あふれる母」人格だが、冒頭から昏睡状態のため「慈愛」をあらわすことができない状態にされたまま死ぬ。キャロライン(女優)は「売春」と「慈愛」をを排除した残りの母の人格というべきであり、「ヒステリーでわがままでみえっぱり」とされている。パリスは実在の母からキャロライン的な部分を除いた「売春婦」の象徴である。すると、「父」が登場していないのだ。ジョージは「継父」であるから、マルコムにとっての「父」足りえない。私は「エド」こそマルコムの思い描く「父」であったと考えるのだが。深読みしすぎ?ともあれ楽しめる作品です。ジョーンキューザックへの不満ははひとまず置いておこう。[DVD(字幕)] 9点(2005-11-23 12:48:26)(良:3票) 《改行有》

27.  ゴースト・オブ・マーズ 《ネタバレ》 茶色とゴールドの画面の映画。実際にはもっと色があったんだろうが、そんな感じ。 期待を上回るカーペンター作品でした。これって、すごく革命的な映画なんじゃないの? 「女が男をあたりまえに買う」し、「男が女の部下であたりまえ」だし、「そんな環境だから、男が女に媚び売ってくるし」って、他にこんな状況の映画あったっけ。なんだかとても爽快な気分。ヒロインは「私がボス」であたりまえと思ってる女だし、タイマンはったら、すげーし。ナターシャが本気出して「言うこときけよコラ」と腕をひねって見せる場面は、ものすごい革命的。だってこれ、「あたしは女だけど負けないくらい強いわよ」っていってるんじゃなくて、「女だから強いにきまってるだろうがアホ」と言ってるんだよ。強烈。これをつくったのが男だってことがまた、「何で?」状態。逆転の映画。[DVD(字幕)] 8点(2005-11-02 22:39:03)(良:3票) 《改行有》

28.  インサイド・マン 《ネタバレ》 ああこりゃあ、作り手がオチを過信しすぎているよなあ。 「どうだ驚いたか!すげーと思うだろー。」と喜ぶあまりに、作品としての出来に手を抜いてしまった結果、初めて見せられた人間は「なんだかなあ」と思うようなものになってしまっている。 銀行強盗の話に唐突に「ナチス」を出してくるあたり、強引だよなあ。「だから盗んでもいいんだ」って言われてもなあ。だいたい私は犯罪賛美ものは好かんのだ。スパイク・リーだからがまんして見たのに。 はっきりいって、ナチとかじいさんの過去なんか出さずに、「銀行強盗です。金目当てです。んで、頭使います。」ってことでよかったのに、と思う。せっかくのジョディ・フォスターも中途半端な役回り。哀れなユダヤ人を食い物にしてのし上がったじいさんと同じく、じいさんと組んだマデリーンも同じように「その道」の階段を登り富と力を貯えてゆくんですか、なるほど。それがどうなの。何を思えばいいの。 なんだか知らないがアラブからアルバニアまで出てくるあたり、人種が入り乱れてのいつものスパイク・リーらしさは感じるが、「25時」のように鑑賞後までじんわり来るような視聴後感はゼロ。即忘れてしまいそう。 しかし、監禁と暴行が完全に無視されて、「物が盗られなかったからいいじゃん」てな感覚には映画とはいえついていけぬ。スパイク・リーの考える正義とはそんなんでいいのかアメリカさんよ。身体の自由の権利はどこへ。[DVD(字幕)] 5点(2006-10-13 23:50:32)(良:3票) 《改行有》

29.  夜よ、こんにちは 《ネタバレ》 実在のテロ事件をベースにしているところ、やはり「ミュンヘン」を思い出す。現実に起きたテロ事件を映画においてどう料理したか、という点では、こちらに軍配を上げる。「ミュンヘン」では、スピルバーグは思い余って重要なことをセリフで言わせてしまったり、思い入れが激しすぎて失敗しているからだ。 「夜よ」では、ほとんどのシーンがキアラという美人テロリストの視点を中心として描かれる。 さて、美人で23歳で図書館に勤めるキアラがなにゆえ赤い旅団のメンバーとなって、テロに参加するのか。最も重要な疑問というのはこれである。 キアラの夢にモノクロで現れる、パルチザンの処刑。父は、どうやら、ファシズムと闘って処刑された抵抗運動の闘士だったらしい。 キアラの理由は、父である。23歳の彼女に、自前の思想などあるわけがない。 モロが法王あてに書いた手紙の感想を聞かれたとき、涙を浮かべていたにもかかわらず、「つまらない冷たい手紙」と言い切ったキアラ。それを言わせたのは、死んだ父である。無残に処刑された父がいる限り、キアラは女闘士であり続けなければならない。 キアラというのは「父の娘」なのだ。世の中には「父の娘」と「母の娘」がいる。「父の娘」というのは、「母の娘」に比べて「かたくな」なのである。 ところが、「父の亡霊」に憑依されているはずのキアラに、変化が起きる。それは、とうの昔に死んで、顔もロクに思い出せないような父と、現実に一つ屋根の下に存在するモロが重なって見えてきたせいだ。キアラにとって、品がよく、教養があり、家族思いで、思慮深げなモロの姿は、「理想の父」の姿に思えて仕方ない。父=モロ現象に、キアラは苦しみ、モロを逃がす夢を見始める。 現実には処刑されたモロの葬式と入れ違いに、自由になったモロが表を歩く姿で映画は終わる。 これが、監督の撮りたかったシーンだ。「あのとき、誰ひとりモロを救うことができなかった。」過去に遡って、間違いを糺したい。でも、できない。だから、この、映画の中でモロを解放する。「自由なモロ」の微笑みが心に痛い。やはり、最も言いたいことは、セリフで言わせてはいけない。 今も獄中にいる犯人たちは、50代であろうか。このラストシーンを見て欲しいと思う。[DVD(字幕)] 8点(2007-04-21 14:47:59)(良:3票) 《改行有》

30.  フィラデルフィア 《ネタバレ》 すばらしい。作品に恵まれず駄作に出がちのデンゼルもよし。プロローグからラストまでの一気感はピカ一。殺人も起こらず宇宙人も出てこず戦争も無いのにこのスリル。デミはこの作品が頂点であったのでは。トムハンクスは「主役」をやる人であることを再確認した映画。[DVD(字幕)] 10点(2005-11-06 21:15:10)(良:3票)

31.  ジャンパー 《ネタバレ》 見事なほどに誰も死なないうえに何も解決していないということで、「シリーズ化します」宣言なのだ。 そういう親切さ(?)なのだが私は正直「2」を見たいという気持ちが湧き上がらない。 「瞬間移動」という「金脈」を掘り当てたつもりになっているのかもしれませんが…ダイアン・レインとかサミュエル・L・ジャクソンなんかもう若くないんだから、出演作を選んだほうがよかろうに。私は晩節を汚している(ダイアン・レインは晩節とはいえんが)と思うのだった。 くっだらないんです。このくだらなさは高校生を喜ばすのでせいいっぱいのくだらなさでしょう。初恋の彼女の扱いはいったいなんですか。世の中は30年前にすでにシガニー・ウィーバーがリプリーをやっているんです。そして歴史は「リプリー前」と「リプリー後」にわかれたのです。それがなんというていたらくですか。 百歩譲ってミリーが守ってやらないと死んでしまうような弱い存在だったと認めても、ミリーには「人格」さえ無いではないか。8年ぶりにあらわれた同級生に、仕事を早退してのこのこローマについていき、ホテルの部屋が特上だったというだけで喜んでエッチしてしまう、そんな女が今もいると思いますかそんなワケないだろ。 いるとしたら単に頭が弱い女ということだが、当然この作品ではそういう扱いはされていないですね。 ですから、私はシリーズ化されようが視覚効果がスゴかろうが「ジャンパー」には大バツをつけたいと思います。あんまり女性の観客をバカにするんじゃありません私は怒っているぞ。 ダグ・リーマンはこういうお子様向けSFに向いていないと思うしもったいないと思います。[DVD(字幕)] 3点(2008-12-18 19:38:40)(良:3票) 《改行有》

32.  X-MEN:ファイナル ディシジョン 《ネタバレ》 かなり楽しめた。ような気がする。 しかし、エンドロールの後のシーンは何? ブレット・ラトナー、彼の特徴はドラマ性、それも「メロ」にかなり近いドラマを持ってくること。 よって、登場人物の造形はあまり複雑なものとはならず、10人中9人がシンパシーを覚えるようなドラマを盛り込むのがラトナーの常である。私はこういうの嫌いじゃないけど。 しかし、映画に「娯楽」以上の何か、たとえば「ブンガク性」を求める場合は、ラトナーのような芸風は「俗」の一言で切り捨てられるのだろうなあ。エスねこさんがおっしゃっていたように、私も「映画は祭り性のもの」という意識があるので、「ブンガク」している日本人監督の一群からは逃げ回っている。それはどうでもいいが。 楽しい「3」に対し、いつものようにキャスト面での突っ込み開始。 ファムケ・ヤンセンだ。「3」は「ジーン」に始まり「ジーン」に終わる。「ジーン」とは、複数の男たちに求められ(色んな意味で)、追いかけられるすべての中心となる存在。なんでこいつばかりがそんなにモテる。それが、老けているうえこんなオカマのようなルックスの女優でいいのか。 ヤンセンはデカいだけでなく、ドイツ女だけに、ゴツい。そして、この老け方というのは、無理なダイエットで撮影のために急激に体重を落とした時の状態(キャリー・アン・モスと同じ)。イタい。 どっから見ても女装のオカマ(ニューハーフのミュータント以上にゴツい)であるのに、ありもしない色気を発散し、各方面から追いかけられるジーン。この場合は、アンジェリーナ・ジョリーでもなければ無理というものだろう。 そして、アイスマンのボビーだ。どういうわけか、この子も複数の異性から思いを寄せられる。 …が、いかに好意的に解釈しようが、ショーン・アシュモアにアンナ・パキンの人生を変えるほどのモテ男ぶりを見出すことはできない。どうしたらいいのだ。この顔が、ハイスクールに居たとしたら、そんなにモテるか? そして、なんだなんだ「キュア」の子というのは。「ウルトラヴァイオレット」と同じじゃないかあ。 別の映画で同じ子を同じような役で起用。…確かにこの子はピュアな感じが印象的だが。それにしても(使いすぎ)。[DVD(字幕)] 8点(2007-04-18 14:40:51)(笑:1票) (良:2票) 《改行有》

33.  ウィスキー 《ネタバレ》 秀作である。たぶんウルグアイに住むユダヤ人のオヤジの話だろう。結論から言うと、「ウィスキー」とは、「ヤコボの人生に足りないもの」を意味しているのである。それは「うるおい」みたいなものだ。ヤコボはよく働いて、お母さんの介護もして、普通なら褒められる人間であって、全く悪人ではない。ところが、彼は「楽しみ」というものを知らない。「カチカチ」といろんなスイッチをつけたり消したり、飲み水の衛生状態に気をつけたり、壊れた物や穴の開いた壁は気になって放っておけないし、しごく「規則的」に生きているのである。一方マルタは女であるから、タバコやラジオやたまに行く映画など、自分の楽しみを持っている。そんなマルタが、「妻のふり」を頼まれた時、「もしかして自分のことをちゃんと人間として見てくれていたのかも」と期待してしまったのは当然だ。ところが、「夫婦生活」でも全く態度が変わらないヤコボ、「人生には楽しみが必要だと思ってる男」弟エルマンの登場により、マルタの心は揺れる。そして帰りのタクシーの中の涙。あれは、「やっぱり私のことは道具としか思ってなかったんだ」である。そりゃそうだ。「妻のふり」の礼にお金を渡したうえに見送ってもくれないんだから。ラスト、靴下製造マシーンのうなりをひたすら写すショット、これが「ヤコボは他人をマシーンと同じような道具としか見ていなかった」の意味である。それで、まあ私は思った。「ヤコボみたいな男の方が多いよね。」悪い人じゃないんだけど、ケチで鈍感で人の話を全く聞いてなくて、おまけに見栄っ張りで(結婚しているふり)、「女」といったら若い女としか認識していない(レストランでヤコボは若い女をねっとり見てる)、髪型を変えても全く気がつかない、そーゆー男。なんだか、ヤコボ的な男って、日本には余裕でいっぱいいるように思う。その意味で、男子の皆さんには大変ためになる映画ですよ。反面教師のつもりでご覧ください。高校生くらいのお子さんには「こういう男性になってはいけませんよ。」と見せるのもよいでしょう。ついでに、ヤコボ状態のまますでにオヤジになっている人は今からでは遅いです。[DVD(字幕)] 8点(2006-01-21 23:27:31)(良:3票)

34.  めぐり逢えたら 《ネタバレ》 「ユーガットメール」とともに、個人的ラブコメ最高峰。最近これに「幸せになる彼氏の選び方」モニカポッター版を加えたいと思っています。まだここに入ってないみたい。 「アレルギー体質の彼」ってリアルだわ。要するに「ロマンティック」じゃなかったんだね。 「ロマンティック」じゃないとダメな女って、負け犬体質なんだけどね。確かにこの作品のメグは30歳以上のようだからこの時点で婚約して負け犬脱出中である。しかしもしも屋上でトムと会えなかったら、また普通の負け犬ライフを送るんだなあ。そっちのほうが現実的だけど。 ロブライナーのささいなギャグが最高。「ヘイ、ダイアン」てやつです。トムとジョナのやりとりが最高笑えます。ところで、アメリカでは、「地理」が分からないと、相当バカにされるんでしょうか。「男の必需品」みたいな。あんな子供のころから叩き込むのね。 トムハンクスは、まだおじさん入ってなくて、超ハンサムです。アメリカでは、元号がないので、時代を表すときに「○○大統領の時」、なんて表現するのね。日本で政治じゃない普通の会話に「○○総理の時」って使わないよね。ともかく、ロマンスにどっぷりしたいときには、私はこれか「ユーガットメール」です。音楽、映像、人物、美しい。[DVD(字幕)] 10点(2005-11-13 16:55:20)(良:3票) 《改行有》

35.  山猫は眠らない 《ネタバレ》 「3」の激太りおよびショボさにショックのあまり、口直しに「1」を見直さざるを得なかったのです。私のトムが間違いなくかっこよかったことを確認するために。そしたらやっぱり、どの角度からどう見てもハンサムだったわ。そして、セクシーかつワイルド。「男は40から」を体現している。「3」のベケットはもう別物と思おう。ところで「地味な映画だ」というレビューが多いですね。ふーん。改めてじっくり見たけど、ベレンジャーファンであることを抜きにしても「あー映画見た」とはっきり言える素晴らしい作品でした。そうなの。「じっ」と見てないと良さがわかんないかも。ドラマとしてもシンプルながらツボを押さえた職人の味。ミラーがビビっているほどベケットの冷静さが際立つつくりとか、ミラーとベケットの関係が、「ベケット優位」→「ミラーが反発」→「おとりにされてミラーが不信を抱く」→「ミラーがキレてベケットを襲う」→「自分のせいでベケットが捕まったので勇気を出して知恵を絞って救出」→「指を潰されたベケットをなぐさめる余裕」まで、刻々と変化していくようになってるんですよー。ベケットは自分が育てたスナイパーの一人に狙われ、やはり育てたミラーに救われた。登場人物が少ない分、二人の関係をじっくり描いてる。ともかくトムベレンジャー以上に海兵隊の似合う俳優さんはなし。「3」を忘れさせるに充分な映画である。最初のとこで、バスの後ろのランボーの絵を見て苦笑いするんだよねベケット。 [ビデオ(字幕)] 9点(2005-12-31 00:02:11)(笑:1票) (良:2票) 《改行有》

36.  ピアニスト 《ネタバレ》 ずっと前、美保純が気に入った映画として紹介していた。どうでもいいけど、美保純。ハネケ作品の中ではメジャーな位置にある一品みたいだ。が、やっぱり私はハネケ映画に謎解きしか求めていない不埒な観客だった。「隠された記憶」に興味を持ったのはそういうことだ。 で、比較的メジャーとされる「ピアニスト」は、私の謎解き欲を全く満たしてくれなかった。 淡々とした日常動作を単調な演出で延々と見せる合間に突然衝撃的な場面を入れるとかいう手法はもう慣れてしまったし、「ピアニスト」では途中からエリカの妄想をそのまま流しているだけだし…それにしては、「どこからが妄想なのか」という推理もそれほどしたくはならない。面倒な気すらする。 ラストの発表会の日にエリカの顔が全く腫れていなかったことで、「妄想だよ」とハネケはバラすけれど、バラされて感心するようなオチではない。と私は思う。ここでウォルターが朗らかな態度を取ることで、手紙自体も渡されていなかったとわかるし、おそらくホールのトイレ場面から妄想なんだろう。どうでもいいけども。 で、ついでにいうと、自宅のバスルームでのカミソリ場面から母親の「まあやだ、気をつけてよ」については、変態性を強調するというよりはエリカが生理の無い女性であることをハネケが強調したかったのだと思う。生理が無い、未だかつて来たことがないのか、妊娠以外の理由で来なくなってしまったのかは不明だが、とにかく現在無月経。なので、自傷行為癖も兼ねて、「ちゃんとある」ということをわざと母親の目に触れるようにしたということだと思う。…ここにきて、映画という媒体にタブーはあるべきなのか、などと考える。エリカが月経のあるふりをしたい、というところを表現するのはいい。そのために自傷までしているという脚本でもいい。…が、それをしているところをあんなふうに見せるのは私は断固批判したい。あなたはしょせん男でしょう。女性に対して敬意を払うべき。と主張したい。この場面は女性を侮辱している、と私には感じられる。 ハネケについてはいろいろな評価があると思うが、「既存のもの(作品、表現)」に対するアンチという気負いが非常に強く感じられ、ショッキングな描写を売りにするのは本当に感心しない。残念だ。[CS・衛星(字幕)] 0点(2007-09-25 15:32:52)(良:3票) 《改行有》

37.  カリートの道 《ネタバレ》 これは10点つけるしかない。 なんてことだこれを見ていなかったなんて。 脚本演出キャスト音楽全部すばらしい。(音楽のジェリービーンは昔マドンナと組んでた人ですね。この人の音は昔から快い。) デパルマは、全編通して「くくっ」という笑いとともに作っているんですね。それは「ガハハ」でも「フフフ」でもなく「くくっ」である。どうですこの散りばめられたコントの数々。しょっぱなから「レンタカー屋はあまり殺されないから」って決めセリフで「笑」。だいたいペンの髪型からしてバカにしてます。昔の栄光も陰が差し、ムショを出てから次々に昔の仲間が現れてはカリートを裏切る。裏切らなかったのはサッソだけ。そして最も信じていた相手に裏切られて死んでゆく。これは意図的に「笑い」を演出しなければ「悲劇」でしかないわけです。それをデパルマはあくまでも乾いた笑いを基調にテンポよく見せていく。なんという匠の技。 ここに出てくる暗黒社会の男たちは皆可愛くてアホに撮られている。特にカリート、なんて可愛くてアホな中年男性なんでしょう。 構成も絶妙といえます。「俺はしぶといから死なない。」のプロローグから、「OKボーイズ、もう助からない」のラストまで。「あっこいつは死ぬわけね。」と最初から分かっていたのに、カリートの人生を垣間見た後では、ウルウルしないではいられないラスト。まさにマジック。(同じ場面でありながら、最初と最後で見る者の気持ちが完全に変化していること、これを味わわせるためだったと思う。) スコセッシ、コッポラの両巨匠の撮ったヤクザものよりこちらのほうがはるかに洗練されていて完成度が高い。カリートが「勘」を頼りに生き抜いてきたというのがリアリティを感じさせる。デパルマはすごい(のも撮る)。 ペネロープ・アン・ミラーはニコール・キッドマンに似ていますね。ドアチェーンごしのラブシーン、明らかに「シャイニング」のパロディーと見た。こんなとこでまで遊んでいるデパルマ、イケている。 パチーノがプエルトリコ系移民というのはどうみても無理があるけどそれも「洒落」なんでしょう。このとき何歳だか知らないけど後半パチーノを無茶苦茶走らせるのもデパルマ流の「洒落」ですね。 つきぬけた名作。大拍手。[DVD(字幕)] 10点(2006-08-09 12:54:36)(良:3票) 《改行有》

38.  マッチポイント 《ネタバレ》 この作品を見ると、西洋人にとって非常に重要な事柄が意図的に省かれている(描かれていない)ことに気づく。 舞台はイギリスであり、ヒューイット一家はプロテスタントのはずで、クリスはアイルランド人だからカトリックに違いない。なのに、2回の結婚式以外に、宗教に関する事柄が一切出てこない。その結婚式ですら、神の前で誓いのセリフを言う場面すらカットされている。これはおかしい。きっと、もののわかる西洋人がこの映画を見れば、たちどころに理解できるようになっているに違いない。 で、これは監督の意図を示しているのだ。それは、冒頭でクリスがドストエフスキーを読む場面をわざとらしく映すことでも明らかだ。 クリスは「すべては運である」という世界観を持っていて、それはテニスプロとして多くの試合を経験した結果であった。「いつも固い試合を心がけていた自分が、大成できなかったのは運のせい」そして、「運」に左右される人生に嫌気がさして、ツアープロをやめてコーチになった。 で、「運」であるが、井沢元彦が言うには、偶然の幸運に対して「これはきっと死んだお父さん(とか先祖とか)のおかげ」と思うのは「アニミズム」で、「オレってものすげーツイてる!きっとそういう時期なんだ。」とか思うのは「マナイズム」なのだそうだ。 クリスは、当然後者である。そして、前述のように「神様はいない」と知っている(つもり)。 すると、悪事を働いたとて、いつもどこかであなたを見張っている神様は存在せず、地獄に落ちることもなく、仏教でもないから「因果応報」で凶事が降りかかってくることもない。 いかに追いつめられたとて、クリスが愛人殺しをするには、こうした背景が必要だった。(これがなければただの火曜サスペンスになってしまう。) …が、クリスは試したところもあると思う。「神様の力が働いて、自分の悪事がバレるかどうか」「やっぱり神様がいて、死んだら地獄に行くのかどうか」「神様が自分を懲らしめるために、罰を与えるのではないか」もともとカトリックで育った彼なら、そう思うのが当然である。 しかしこの映画では、そのどれも起こらず、不安気なクリスのアップで終わる。 「果たして、神様はいるのか?」「本当に人生は運だけで回るのか?」そう問いかけたまま意味深に終わるのである。これはウッディ版「神様のいない(?)世界の危険な情事」、前作よりはパンチは効いていた。[DVD(字幕)] 7点(2007-04-29 00:32:16)(良:3票) 《改行有》

39.  アサルト13 要塞警察 《ネタバレ》 どうしてリメイクなんて考えたんだろうと不審に思うほどに、まったくの別モノですね。 リメイクちゅーのは、そもそも元ネタに対する愛から生まれるもののはずなのに、本家のほうの作品のことを、本気で愛しているとはとーても信じられません。 私は「要塞警察」を最後のほうしか見ていませんけども、それでもこれがバリバリのカーペンター印だってことはすぐにわかる内容だったし、カレが表現したかったものもよくわかる。 リメイクの作り手は、カーペンターとは比べ物にならない凡庸さしか持ち合わせず、TVサスペンスと変わらない内容に仕上がっています。なまじリメイクなどといって話題を呼ぼうとするからカーペンターのような奇才と比較されざるを得ず自滅するのです。リメイクという看板をはずすべきですね。 だいたい、主役刑事の挫折の過去などどーでもいいんです(それもいかにもとってつけたようなショボいものですし。)なおかつ、襲い来る敵との因縁とか正体なんて、もっとどーでもいいんです。それが要塞警察だったのに、そこんとこをそんなにはっきり説明しちゃってどうする。「8人よりも33人の部下と家族のためだ」とか言わせちゃってさあ…ダメダメだ。閉じ込められた恐怖も、理由もなく襲われる不条理感も、倒しても倒しても湧いてくる敵のブキミさも、生き物のように移動する車も、ぜんぶだいなしっ。 それよりも、あのクールな女刑事はどこへ行った。女といえば、リメイク版では、寒さカンケーなく露出度の高い格好をさせられて完全添え物扱いでした。精神科医に超美人は必要ないでしょう、いいかげんサービスとか願望をやめてリアリティを考えてもらいたいアメリカ人はさあ。なんのために秘書がエロくて網タイツにならないといけないのかね、外は大雪だというのに。 さて、女の扱いをテキトーにしていると、それは国家であっても企業であっても戦国大名であっても勝ち組にはなれないのが歴史の法則です。もちろん映画もそうです。 皆様これからは「女の扱い」がどーなっているのかをチェックしながら映画やドラマを見ていくことで、ダメダメな作り手を見分けましょう。有り得ないよなあ真冬に下着姿でウロウロと。[CS・衛星(字幕)] 4点(2010-03-09 20:08:44)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

40.  スターシップ・トゥルーパーズ 《ネタバレ》 昔見たときは、やけに感動に乏しいSFとしか思ってなかった。そして現在。やばい。非常にやばい映画じゃないか。原作の事は知らないが、ベトナム戦争への皮肉てんこもり。「死んだ虫だけがいい虫だ」「先に攻めたのは地球らしい」「虫じゃなく人類が未来永劫支配する」って。虫をベトコン、人類や地球をアメリカに置きかえればまんまだ。 この主人公のジョニーてのは、青2才で、家が金持ちで、頭カラッポでフットボールに燃えて、女にやたら弱くて、どう見てもアメリカそのものとしか思えない。きっと「アメリカ」という国を人で現したらこんなふうだろう。そのジョニーが、民主主義が死んだ社会で軍に入隊して(しかも女目当て)さしたる思想もなく「とにかく死ぬまで戦うのじゃ。そこに人類を脅かすものがある限り」て、間単に思いこむし。んで何の疑問もなくバカ全開でノリノリだし。バーホーベンにはアメリカがそう見えているわけね。Bメロ的なテーマとして「女のほうが一枚上手だよね」てのがあると思ったが、現れた怪物はなんと女性器そのものだし。それいじめるし。ああバーホーベンたら。とにかく最初から最後までものすごく金のかかったジョークだ。キャスパーとデニースなんてお人形感のある(人間ぽくない)2人をチョイスしてさ。映像は終始美麗。[DVD(字幕)] 8点(2006-03-12 00:16:42)(良:2票) 《改行有》


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