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性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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41.  こわれゆく女 《ネタバレ》 ものすごい緊張感です。こちらの神経に悪いです。 主婦のメンタル病は重篤化するまで発見されにくいと聞いたことがありますが、その理由をずばりニックの口から言わせていて、「ウチのニョーボは家事だってちゃんとやってる(から病気じゃない)」なので、亭主の多くは「女房が皿を洗わなくなって初めて病院に連れて行く」ということになるらしい。 ニックにとって、家事をやって育児をして姑の機嫌をとって仕事仲間をもてなして性的にも応じてくれる女性が「ニョーボ」として必要なわけで、ニックという人は優しいけれどガサツな男なのでそれをはっきり態度に出します。「悩みがあるなら勝手に悩め。でもするべきことはちゃんとしろ。」というのがニックのスタンスで、するべきことをし続けている限りは、メイベルの話は永遠に聞いてもらえなかったということでしょう。 入院する前にメイベルが5つの優先順位を言いますが、「愛」「友情」「夫婦の時間」「マザーシップ」「妻であること」の順でした。…この一つだけでも維持するのは大変なのに、彼女には、しなければいけないことがなんてたくさんあるのでしょう。もしかしたらメイベルのようなタイプは、一つのことだけやっていたならこうならなかったのかもしれない。 メイベルの病の原因も、ここらへんと関係があるのだと作り手は言っているのだと思います。 それならもっと「進んだ男」と結婚すればよかったじゃないかということになるのですが、人生はそうそううまくはいかず、メイベルが好きになったのはガサツな男だったのだし、できちゃった結婚でもあったのです。そして、何年か後にはこういうことになっていました。 メイベルの父親がどういう「役割」を果たしたのか、明らかにはされませんが、まあいわゆるよくあるそういうことなんでしょう。メイベルの病気の原因について虐待をほのめかせるなどはしなくてよかったのにと私は思います。そういうことが無かったとしても、充分だと私は思う。 さて狂気と正気がまだらの状態を生きるメイベルの夫ニックは生きた心地もしないでしょう。地獄のようです。しかし、ラストがこの夫婦の今後を示唆していて、たぶん二人は共犯者のように生きていくのです。狂気が出たら仕方がないから殴ったりして、正気の時には普通の夫婦のようにして、世間から狂気の部分を隠しながら、そうして共犯者のように。[CS・衛星(字幕)] 8点(2008-12-22 14:21:16)(良:2票) 《改行有》

42.  遠い夜明け 《ネタバレ》 高校生の時、同級生の女子が父親の仕事の都合で南アフリカのヨハネスブルグへ行くため退学した。今思えばそのころビコはもう死んでいて、マンデラはまだ刑務所だった。 彼女のためにまわってきたサイン帳に「むこうで名誉白人扱いされても思い上がってはいけない」と迷わず書いた。私は生意気で血の気の多い意地悪な高校生だったので。 私と南アフリカの接点はそれしかなかったのだが、この作品を見ていろいろ調べたり考えることになった。 この映画は、マンデラが大統領になる前の作品だという前提で見なければならないだろう。 また、マンデラとビコの対比について考えざるを得ない。 マンデラが27年間も殺されなかったのになぜビコはあっけなく殺されたのか。 マンデラは部族の長の家系だから、日本でいったら皇族に近いだろう。皇太子がレジスタンスの指導者になって逮捕されたら、殺すのと人質にしておくのとどちらが有効か。そういうことなのではないか。 いっぽうビコはどこの馬の骨かわからない貧民街生まれ。 エンディングの獄中死亡者名を見ながら、ビコが死んでマンデラが生きのびた意味を考えていた。「殺す」のが当たり前であって、利用価値のある者だけが例外的に生かされたのだ。 そしてビコはたぶんそのことがわかっていて、「なるべくならあまり早く死なないほうがいいけれども自分の場合はいずれ殺されるだろう」という前提のもとに活動していたとしか思えない。そして死んだ場合には、それが運動のために「価値ある死」になることを望んでいた。 逆にマンデラは、「自分が死なないこと」に全力を注いで獄中を生きたのだと思う。 結果的に、両者とも正解だったことを歴史が証明した。 ビコたちが命を捧げた戦いに一応の勝利をおさめたというのに、「エイズ」という新たな敵が南アフリカを滅ぼそうとしている事実は皮肉である。 映画の構成としては、冒頭で公権を剥奪されたビコの不自由さを第三者的に見せておいて、後半でウッズが同じ立場に立たされてはじめてビコの気持ちを知るあたりなどうまい。もう少し、ウッズ家以外の白人社会の生活風景を描いて、黒人社会との差を見せるべきだったか。ビコの拷問シーンをカットしたのは正解。デンゼルは出番少ないが、ラストのウッズとの電話シーンがビコ役のすべてを決めた。デンゼルは確かにビコだった。リチャード・アッテンボローの勇気に敬意を表す。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-20 20:19:57)(良:2票) 《改行有》

43.  コーチ・カーター 《ネタバレ》 「プライド 栄光への絆」「僕はラジオ」などのスポ根実話ものを見てきたが、「人間として」評価するならばこのケン・カーター本人こそが最もすばらしい。(映画としてのインパクトは「プライド」が勝るが、そこは監督ピーター・バーグの力量と思う)「プライド」のコーチは「男性性」を教え、「僕はラジオ」のコーチは「社会性(弱者との共存)」を教えたが、カーターはバスケットのコーチなのに、「バスケばっかりやってるんじゃない。勉強しろ」とか言う。「んん?バスケ映画じゃなかったの」そう、これは大変に政治的なテーマを描いた作品なのだった。もっといえば、「階層社会における底辺の若者を啓蒙する」目的があると思われる。もっといえば、「貧乏な黒人の少年よ、這い上がりたければ勉強して大学に行け」なのだった。もっといえば、「お前らのような貧乏人の子供は、犯罪者になりたくなければ、勉強するしか幸福へのキップはないのだぞ」なのだった。ケン・カーターは、おせっかいながら全くもって、まともなことを言っているだけなのだ。それが通用しないリッチモンドの地域社会のほうが当然におかしい。おかしいけど、「正しい」と思って主張しつづけたケン・カーター、その人がすごい。「父性」という意味ではこれ以上のものはないだろう。「バスケが終わったその後の人生全般」を視野に入れているのだ。カーターは、それを教えるために、「マチズモ」でもなく「愛」でもなく「契約(自己責任)」を用いた。「契約」とは「白か黒」。「やる」か「やらないか」。「契約」には「あいまい」などはない。これは「2進法(YES・NO)」であり「一神教」の文化であるから、日本にはもともと無いものだ。高校生のガキに対して強引にそれを用いたところが興味深い。映画としては冗長な部分が多くもっと短くできたと思う。ヒップな音楽は私にはうるさくて不要であった(テーマともあまり関係ないし)。[DVD(字幕)] 6点(2006-02-25 19:14:35)(良:2票)

44.  マイ・ブルーベリー・ナイツ 《ネタバレ》 映像はいつものように幻想的で美麗である。青の使い方などうっとりするほどだ。 が、私に言わせれば「その程度のことでは心に響かないよ」な映画だったので、何がその程度かというと。 かいつまんでいえば「とびきりの美人ではないが普通程度の容貌で恋の勝者になれなかった女」が「疲れてはいるがとびきりの美男」をゲットする話ではないですか。 ノラ・ジョーンズは確かにナタリー・ポートマンと並ぶとイモくさいし美人ではない。が、ブスなわけでもなく年増というわけでもない。役柄的には「口下手なせいで手が出てしまう」タイプの女なのだ。 「どこがダメなわけでもないがなぜか注文が入らない」ブルーベリーパイのような女、ということで一応はいいのだがお相手のジュード・ローはそうではない。というかなぜここにジュード・ローを持ってくるのだ。 特別な欠点もないのに恋の勝者になれなかっただけでアメリカ全土を300日も放浪してしまうエリザベス。それは、カフェの店主とどうにかなってもいいかどうか迷う気持ちがあるからでなくてはおかしい。ジュード・ローならなぜ迷う必要がある。もしもどうしてもそうしたいならば、彼女が帰ってくる先は50とか60過ぎの初老の男、とか障害者、とかどうみてもブオトコ、でなければ年上のレズビアン、などでなくてはならない。そうきたら私とてウルッとするのにやぶさかでない。 ジュードレベルの男であるならば、殺人歴があるとか痴呆症の母親とセットでなければ。 つまり「この程度」のカップルで心を揺り動かされるほどの気持ちになるのはムリ。…だってあまりにもフツーじゃないですか。 美麗な映像は心を動かされるシチュエーションがあってこそ、生きるのだなあ、などとしみじみ思う。まさかそんなことを思わせるために作ったわけではなかろうて。[DVD(字幕)] 4点(2008-12-18 16:30:46)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

45.  ヒトラー 最期の12日間 エバ・ブラウンはなぜあんなにオバサンなのか?すごく若いのではなかったか?調査不足ではあり得ない意図的な設定と思われるのでこの点が興味深い。ゲッベルス役の人の顔が人間離れしていて怖い。腹話術の人形のようだ。ゲッベルス夫人役の女優さんがすばらしい。アカデミー賞をあげたいと思う。首相夫人としての威厳を最後まで保った彼女を演じきった。以下ヒトラーとナチス時代のドイツ「人」について思ったこと。ヒトラー、ブルーノ・ガンツの演じる彼を見ていて、「ああ、この人ってもしかして、子供の頃におもちゃをあんまり買ってもらえなかったのではないかなあ」と、ごく自然に感じた。私にはヒトラーが、「欲求不満のまま大きくなった男の子」に見えた。それだけならよかったけれど、たまたま彼には人並みはずれたIQと、弁舌の才と、小心者ゆえの人の裏切りにするどい嗅覚があったためにこんなことになったのではないかなあ。案外そんなところじゃないかしら。どんな権力を手にした人間も、それが「男性」であれば、問題の根っこはくだらないところにある、というのが私の長年の研究結果である。ベルリンは、彼が造った最も高価なおもちゃであって、他人に盗られるくらいならその前に壊してしまえ、という幼稚な感情が伝わってくる。本当に幼稚園児の発想だよねえ。IQ高そうだけど。ドイツ「人」について。彼らはなぜヒトラーを選んだのか。「先の大戦」の敗戦により屈辱と苦難を強いられたこと、これは民族のトラウマとなっている。「降伏は二度とごめんだ」という言葉にも現れている。国内事情が良くない時、日本は「国の外」にしわよせすることで切り抜けようとしたが、ドイツでは、「国内の敵」にしわよせしようとしたんだな、きっと。特定の民族や、障害者の地位を下げるということは、「そうでない人」が相対的にグレードアップすることに他ならない。「そうでない人」のドイツ人がこれを「よし」としたのは、損得勘定からいえば自然なことだ。良心をワキに追いやれば。(このごろの日本もこれに近づいているな)「あいつはとんでもない悪魔だから非難していればいい」と、ヒトラーとナチス・ドイツの時代に蓋をするのではなく、その時代を生きた自分と同じような市井の人々の心情に想像力をめぐらすことこそが、「知性」の使い道と思う。私の場合はそのために実話もの映画を見ることが多い。(司馬遼太郎のうけうり)[DVD(字幕)] 7点(2006-03-08 00:01:22)(良:2票)

46.  ラフマニノフ ある愛の調べ 《ネタバレ》 身長が2メートルあって左手小指でドを押さえて親指でオクターブ上のソが押さえられるってさ、ググったらそう書いてあったけども、すんごく憎たらしい。 私の親指と小指がもう少し長ければ、もっと色んな曲が弾けたのに…って少女時代から悲しい思いをしてきた身としては、恵まれた手を持つ人なんか敵だ。先生に「練習すれば届くようになる」と言われてもそんなものはウソ。あの曲もあの曲も大好きなのにやっぱり弾けない。こんな気持ち、セルゲイには絶対にわからないだろうなあ。 というかさあ、ピアノの鍵盤の幅が間違っていると思うんですよ。 まあ、「この幅」でムリな人は弾かないでくださいってことなんですけどね結局。 恨みは深いのだった。でセルゲイだけども、なんだかそっくりの俳優さんなんですね。 何不自由ないご幼少時代というのはつまりは天国ですから、その後の人生は彼にとってすべてすべ~て「失楽園」ということだったみたいです。こういう人は鬱々として素直に人生を楽しめません。このパターンは、他の芸術家にもありがちです。太宰治なんかもこれに近いと思います。9歳から失楽園を生きつづけて地球上のあちこちを放浪したセルゲイ。天国で暮らした記憶はほんの数年なのに。 そんでまた、「弱い男」には「強い女」なので、ロシアの女の人ってなんて強いんでしょう。とーてもかないません。 失楽園を生きる弱い男セルゲイが、強い女にすがって生きていくという話でした。音楽のことは知りません。セルゲイ(のような手を持つ人)にしか弾けないようなピアノ曲は要りません。要りませんったら。[地上波(字幕)] 5点(2010-06-16 22:36:20)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

47.  やわらかい生活 《ネタバレ》 なぜ2名の方のレビューしかないのであろう。 さて、この映画の最も有益な鑑賞法を説明します。それは、ブスではなくても美人とはいえない女が、ウルトラかっこいい男に散々に奉仕させる様子を、自分に置き換えて満足感を味わうのです。(でもこれは、Mの方には向かないかも。) そういう意味で、優子役が寺島というのは、必然であった(決して美人であってはならない)。祥一役がトヨエツというのも、絶対条件であった。(見てるうちに、及川光博でもいいような気もしてきた。彼も40に近いし。でも演技力が足りないか。) 私は別にトヨエツのファンではないがー、本作では本当に彼を褒め称えるしかない。トヨエツってきっと役者バカなんだろう。 顔面が端正で、身長も高くスタイルも良い場合、暗めの2の線を演じるというのは、なんの驚きも与えない。流れる方に流れた、というだけだ。「LOFT」でもトヨエツの使い方はまさしくそれだった。なんの面白みもない。 本作では、トヨエツの魅力が余すところなく大爆発だ。 頭カラッポな地方のボンボンで九州弁をしゃべるトヨエツ。寺島の頭を洗ってやるトヨエツ。濡れた床を掃除するトヨエツ。寺島におかゆをよそってやるトヨエツ。腰に手を当ててトマトジュースを飲むトヨエツ。…こんなものが見られるとは思わなかった。非常に眼福な気がする。 これだこれだったんだよなー、「かっこよすぎる」男性の魅力の引き出し方って。 原作者が女性というだけで、監督も脚本も男性であるのに、トヨエツのかっこよさがあまりにもうまく引き出されているところを見ると、監督にはそっちの気もあるのでは、という気もする。べつにいいけど。 「お姫様抱っこ」といえばトヨエツ、ということになってしまったなあ。身長180cm以上の男優さんでないと、キマらないし。「LOFT」では中谷美紀を、安達祐実を、本作では寺島を。 私が今までトヨエツを無視してきたのは、「面白くない」「つまらない」が原因だったことに気付いた。考えてみれば、「面白い顔で面白いことを言う」よりも「端正な顔で面白いことを言う」方がいいに決まっているではないか。…とにかくこの映画はトヨエツ。しかし、純日本人であろうに、なんであんな日本人離れした体型なのかなあ。(内容のことが全然書けなくなっちゃった。)[DVD(邦画)] 9点(2007-06-17 20:05:24)(良:2票) 《改行有》

48.  真夜中の弥次さん喜多さん 《ネタバレ》 でいでいでいでいっ。サンデーマンデーてやんでい。 面白いっ。 クドカンという人は外見が果てしなくショボイのであるが、やはり才能ある人の例に漏れず、己の見た目などに構わず余分なエネルギーを全部クリエイトに回しているタイプだったのだなあ、と再認識。 原作のマンガについては未読だが、傑作であるとの批評は目にしていた。 しかし、クドカンが脚本のみならずメガホンまで取らなければ、よくある陳腐な作品として忘れられていく凡作になったであろうまちがいなく。そのくらい、「俗」に流れずにシュールに笑わすのは難しいと思う。 長瀬については1%も期待していなかった私だが、冒頭から「てやんでい」の切れの良さに感心しきりとなる。おお、長瀬、悪くないかもよ。長瀬にこんなに突っ込みの素質があったとは意外だ。地蔵突っ込み、コダマ突っ込みなど、いずれも悪くない。 そして、なんと「明治天皇(ラストサムライ)」から「ホモで薬中の金髪」へと大変身を遂げた七之助。すでにその役柄の落差だけでいかにもシュール。 ジャニーズと歌舞伎がホモの恋人どうしで絡み合っているという、有り得ないシュールな光景はこの映画ならではなり。ヘタウマの絵や「おまえ」「おいら」「ゆかた」などの殴り書きもばっちり合っている。 私は、日本人はブラックな笑いを作るのが下手だと思っているけれど、クドカンについては全くそんなことはない。クドカンはすごい。これを見た松本仁志は嫉妬にかられて初メガホンを取ったのではないかと私は思う。まちがいなく松本のライバルは北野武ではなくてクドカンである。 「何がリアルか」「リアルには自分の思い込みが入っているのではないか」「思い込んだらそれは現実か」という深遠なテーマに沿って、次から次へと有名人が登場しては笑わす。これはこたえられない面白さだ。ぜひともクドカンのすごさを堪能してほしい。 ひとつ残念なのは、これだけ有名人を出しているのだから、バーテンはぜひともクドカンとも親交のある及川光博にしてほしかったところ。こういうチョイ役よくやってるのになあ。忙しかったのかなあ。 とにかく面白いです。イケてます。イチオシのギャグはナカムラ父の「夜でもアーサー」。[CS・衛星(邦画)] 10点(2007-12-24 15:51:16)(良:2票) 《改行有》

49.  ブルー・イン・ザ・フェイス 《ネタバレ》 い~~ですねーっ。 キラ星のごときスターたちが、フラッと訪れてはなにかヘンなことをやっていく。 タバコ屋のオヤジであるカイテルの常に一歩引いたスタンスが、有りそうで無さそうで、でも有り得たとしたらとっても難しい生き方だろう…と思わせます。 どのへんまでが脚本でどのくらいがアドリブなのか…というのもこの作品になお興味をそそらせます。 あんまりにもナチュラルなのでほとんどアドリブなのかと思わせといて、実はドットの妙な態度のデカさは店主の妻だったせいということも最後のほうで明かされるし、ヴィニーが店を売りに出したというエピソードを主軸にした、けっこう緻密な構成がされたうえでのナチュラルさ、なのではないかと考えています。優れた作品は地道な計算のうえに成り立っていると思うからです。…が、どうしても演技とは思えないのがルー・リードで。 ルー・リードが繰り返しあらわれて人を喰った話しかしないことがなんともいえぬリアリティをかもし出し、「ルー・リードのとこだけもっかい見るかな」とまで思わせます。芝居が見えてしまっているジム・ジャームッシュよりなんといってもルー・リードです。 自閉症のジミーの後姿も印象的だし、短パン姿のイっちゃってるM・J・フォックスもいいし。マドンナがあらわれた時は、すぐには気がつかず「なにか妙にごっつくて顔色の悪い姉ちゃん…」と思われた。 人種問題の双璧とされる(?)スパイク・リーの「25時」、ポール・ハギスの「クラッシュ」と比べて見てみましょう。もうシリアスはおなかいっぱいです。流血も殺人ももうけっこうです。「混沌を愛でる」とはたぶんこういうことなのです。「愛でる」ということは「マジにならない」でありそれは「一歩引く」ということです。ハギスを見て考えこんでも、暗い気持ちになるだけです。ならば、「混沌」は「愛でる」のが正解ということなので、スコセッシの初期作品でイキがったチンピラをしていた若きハーヴェイ・カイテルが30年後にたどりついたところそれが「ブルー・イン・ザ・フェイス」なのです。 合言葉は「俺は吸い込んでないから」。すばらしい。[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-01-16 16:26:55)(良:2票) 《改行有》

50.  イン・ハー・シューズ 《ネタバレ》 トニ・コレットはお姉さん女優だ。「アバウト・ア・ボーイ」のヒッピーお母さんでしたよね。 キャメロン・ディアスはまぎれもない妹女優だ。「彼女を見ればわかること」の盲目で発展家の妹役、はまってましたね。彼女には1%も「お姉さん性」を感じない。 この作品は前半のヤな感じが、後半でみごとにうっちゃりにもってかれた、そんな大技を感じる映画でした。 ひたすらローズの気持ちになってマギーに憎しみをつのらせる前半。「そうだこんな下品な女死んでも直るもんか」「早く追い出せ。私なら2時間と持たぬ」とこぶしを握りしめるのであった。 フロリダに行ってもお行儀が悪く自分中心のマギーに、「どうしたバーサン、こいつの根性をビシビシ叩きなおしてやれ!」とイライラするが、話は意外な方向へ。マギーがなぜにアバズレとなったか、その理由がはっきりする。LDだっただけでなく、それに対するきちんとした指導も受けられず成長し、大人になった今もそれを隠し続けている彼女。他人の愛情の真贋について、異常なほど猜疑心が強い彼女。「あら、それなりに可哀想な子だったのかも」なんて気持ちになったりして。 一方のローズにも、これまでしがみついていたものをあっさり捨てたことにより、新たな運が訪れる。 そうなの。それって真実で、女の場合は今持っているものを思い切り良く捨てないと、次のものが来ないみたいなのよ。そこが「男の運」と「女の運」の違いなのよね。と「運命研究家」の私はつねづね思っているのです。「ユー・ガット・メール」におけるメグ・ライアンもそうでしたよね(映画だけど。) 姉妹それは決して「仲良し」だけでは成立しない関係。「憎たら可愛い」のが妹。そういう私は姉。 ともかくすっきりハッピーエンド。殺人も犯罪も超常現象も起こらないがたまにはこういうのもいいじゃない。 [DVD(字幕)] 7点(2006-07-29 16:26:01)(良:2票) 《改行有》

51.  パッチギ! 《ネタバレ》 北野武とか黒沢清の作品は「無国籍性」(外人が見てもけっこう楽しめる)があるのかもしれないが、「パッチギ」はもう、国内一本勝負。敬意を表します。間違っても外国で評価されることはないでしょうし、最初から狙ってないに違いない。今の若い奴は一回は見なさい。「そんなに日本がイヤなら来なければよかったじゃないですかー」とか言ってる子、実際に居るんだよ。「だから来たくて来たわけじゃないから」って言ってる私自身も情けないよ。井筒ものは初めてでしたが、感心しました。「問題解決のための暴力を持たない少年」が「別の方法」でなんとかしようと「他民族が祖国を慕う歌」をみんなの前で歌ってみせる。という、それだけならクサいストーリーなのですが。この康介少年の周りでは、ワーワーワーワー、皆が右往左往しているわけで、その中でぽつんと役立たずに見えた康介が、ラストで歌ってしまうことで意外な一石を投じるわけだ。歌にどれだけの力があるのか私には分からないし、「歌う」は「クサい」ことにはちがいない。「暴力がダメな男」康介にとっては、今の所これが自分にできることだったわけだ。井筒監督はケンカ上等だったらしいので、康介というのは「存在しなかったもう一人の自分」なのかもしれない。大人の男たちが情けなくて皆面白い。先生、オヤジ、笑えます。モトキの浪岡一喜が素晴らしい。オダギリが演技しているところをはじめて見たが、なんだかあやしいフェロモンが出ていた(でも坂崎幸之助だなんて美化しすぎ)。番長役の高岡蒼佑が、あまり雰囲気がなかったところが惜しい。ミスキャストと思う。朝高の番長がハンサムではダメ。[DVD(吹替)] 9点(2006-01-18 18:00:29)(良:2票)

52.  NINE -ナイン- (2005) 《ネタバレ》 デニス・ホッパーって安い作品にちょくちょく出る人なんです。たぶんお金に困っているのだと思います。私にとっては永遠に「地獄の黙示録」のジャーナリスト役なのですが。 それはともかく、これはしまりのない企画倒れでした。なんか安っぽい音楽をえんえんと流してスロモ映像をかぶせるとか、いいかげん飽きます。リアリティはないですけどこういう密室スリラーはリアリティを失ったら価値が激しく下がってしまいます。 「職業には配慮した」と声の主が意味深なことを言っていたわりにはそれがあんまり生かされていませんでした。ほめるところはダンサーの子がナイスバディだったくらいです。デニス・ホッパーはやっぱりお金に不自由しているのだと思います。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-05-07 14:09:22)(笑:2票) 《改行有》

53.  ユー・ガット・メール 《ネタバレ》 トムの行動が、道徳的に考えてどうなのか、なんていうのは、野暮というもの。 だって、こういう場合は男性はどんな手段でも使うし、肝心な相手の女性が「あたしゃー、そんな姑息な男はごめんだね!」と思わなければ、それでよしとなるのが男女関係。べつに犯罪でもないし。 私は女なので、この場合はトムがかっこよくて、心がきれいで、やさしそうなので、「もーやだージョーったらーほんとにー」とか言いますよ。そんなもんです。女性は。 音楽が最高、ブラックの友達もよし、ニューヨークは美しいなあ、ああ、夢のよう。 「男なんかみんな死んでしまえ」という気分の時にはこれを見て気を取り直すことにしています。でも、トムのような人には一生会わないことは間違いありませんが。 [DVD(字幕)] 10点(2005-11-13 17:08:44)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

54.  過去のない男 《ネタバレ》 うう。 「お母さんはどうした」って、あのセリフが引っかかってしようがないのですが、そうすると花守湖さんのおっしゃるとおりなのでしょうか。なぜあそこで妻の母の話が出る。 そうすると根本的に違う話になってきます。私はうっすらと「過去がない人間がいったいどうだというのか」と考えながら見ていたのですが、素直に見ると「過去がなければ悪意ももたない」というふうに見ることができます。 この話でもっとも重要なのは「悪意と善意」です。ぜったい悪意がありそうな人が、実はそうでもなくて助けてくれるという、私たちが通常認識している「この世界」とは違う世界がここにある。 「過去がなければ悪意をもたない」のなら、「悪意は過去に原因がある」であり「過去の出来事が人に悪意をもたせる」でしょう。 けれどけれど、花守湖さんの説のとおり、そして「お母さんはどうした」を素直に受け止めるなら、カレは「過去があるけど意図的に悪意を捨てようとしていた」になります。そして作り手はカレに何も説明させないので、うっかりと見過ごしてしまいそうになります。 すると、溶接工なのに「オレは農民だから」とじゃがいもの処分方法についてしつこく説明するとかいう部分はなんだったのでしょうね。身元を隠したいなら港で突然溶接作業を手伝ったのはなぜなのか。 カレの行動は謎だらけで、カウリスマキの意図は解明できません私には。 とりあえずカレは「悪意を捨てる」ことに成功しました。意図的にか、図らずもかは不明ですが。 そして1人も魅力的な容姿の人物が出てこないこの作品を見て、うすぼんやり思いました。私たちは若くなくても、美しくなくても、お金がなくても、役に立たなくても、〝生きていてもいいのだ〟と。それどころか〝恋をしてもいい〟だし〝他人の善意に甘えてもいい〟でさえあるのです。 こういう感想を抱かせる映画はあんまりない。死にたい気分の人はぜひ見てほしい。 それから「なぜ電車の中で寿司を食う!ジャパニーズ・サケを飲む!クレイジーケンバンドのムード歌謡を流す!」!! この監督は馬づらの女性が好みみたいです。なかなかひねった趣味です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-02 12:59:26)(良:2票) 《改行有》

55.  シティ・オブ・ゴッド これを絶賛していたプロの映画評論家がいた。 これが好きな人は、「善と悪」という概念の対立が嫌いな人だろう。 何が正しくて何がいけないか、作り手がジャッジを済ませていることが嫌いだということだろう。 それほどこの作品には「善と悪」の対立も、「正義」もない。 誰がどう転落しようとも、なんの意味もこめずに撮る。誰が死のうがセンチメンタルなBGMも一切ない。観客はただ事の成り行きを見せられているだけ。例えていうなら「神の町」に潜入カメラが常駐していて、そのマル秘映像を見ている気分だ。(私の大嫌いなやたらな手ブレ映像も疲れる) 確かにこういうのを見ると、「禁煙」だの「副流煙」だの「体脂肪」だの「適応障害」だの「ちょっとした交通事故」で大騒ぎするのがバカバカしくなってはくる。 それは「神の町」ではあまりにも命が軽いからだ。 戦後の日本に育った私たちは、「命が軽い」という状態に慣れていないのだからこういうものに困惑しても仕方がない。「神の町」というのは人間が最もアニマルに近い状態(弱肉強食)で暮らしているところだ。この映画はその状態を感情をこめずに描いて、出口が無さ過ぎる。「サバンナの食物連鎖」をNHKなどで見せられているのとどう違うのかわからなくなってくる。人間と他の動物はあんまり違わなくてもいいのか?カメラマン志望の少年の存在だけで、どういう方向性があるというのか?(同じ「感情をこめずに命が軽い状態」を描いた「シリアナ」では、「それぞれの正義という矛盾」「中東という魔物」という方向へ観客を引っ張っていくためだったし、「トレーニングデイ」の「モノサシの混乱」はラストで主人公が家族のもとで自分を取り戻すことで救いが示される。) なので「どうだい、みんなこんな原始的な弱肉強食な暮らしをしてみないか。」でもなく「どうだい、なんて悲惨で可哀想だと思うだろう。」でもなく「ここから先に進むためにはどうしたらいいか一緒に考えてくれ。」でもなく、まさに「撮りっぱなし」だ。 見ようによってはものすごく「大人」な作品なのかもしれないが、「無責任」という見方もできる。映画というにはあまりに「意味」に欠けているかもしれない。私は絶賛はしない。 [DVD(字幕)] 6点(2006-08-13 18:00:54)(良:2票) 《改行有》

56.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 ご本家はこんなすんばらしい作品だったとは。 古い映画らしくテンポがゆっくりしているところが、昨今の映画ズレしたガサツな私などには「なにをモタモタやっとるんじゃ!早く逃げろよ!」とハッパをかけたくなる場面が多かったですが。まあ、それを差し引いてもすばらしい出来です。貫禄勝ち。 問題の転覆場面も大迫力で、新しい映画にも全く引けを取っていないし、私程度の観客はこのぐらいで充分満足だ。やっぱり映画は技術なんかじゃない!こりゃあ、劇場で見たかったなあ。とめずらしく思うのだった。 ジーン・ハックマン。このすんばらしい神業のようなセリフまわしの妙よ。そう、役者さんとは早口でもあくまで割舌良く、ほれぼれするしゃべりができる人のことなのですね。この人を見ていると、「ああー、私はいま、プロ中のプロの演技を鑑賞しているのだ」とありがたーい気持ちにすらなってくる。 これはやっぱりすごく宗教色の濃い映画でしたね。のっけから、カソリックの神父とプロテスタントの牧師のつばぜり合い。デッキにはユダヤ人の夫婦がなごんでいるし。パニック映画だというのに、最初から宗教前面押し。そして驚愕のラスト。プロテスタントの名(異を唱える人々)のとおり、牧師は運命に「抗い」、他人の意見に異を唱え、道を切り開く。そしてまた彼は、牧師でありながら「苦しい時こそ神頼みをせず」「自力で闘う」という独自の思想を持っている人物である。彼は〝己の思想〟に殉じたのである。実は殉教ではないのだ。…という意味では本当は著しく革新的なストーリーなんである。 ツリーの上から溺れる愚かな民を見下ろすスコットは、箱舟に避難したノアのようにも思え、己に従う人々を率いて道なき道を進むスコットの姿は、エクソダスのモーゼをも彷彿とさせる。が、しかしノアもモーゼもただ「神様がそういったから」言うとおりにしたというのみである。「ポセイドン」のスコットの行動はすべて彼の「内なる神」から出たもので、その「内なる神」とは「自力で闘う」という思想なのであった。 最後には自己犠牲までして「自力で闘う」を全うしていくスコットという人間が、「牧師」であるということ、この設定には深ーい意味がこめられていると感じます。もしかして、神父→牧師→自力という「進化」の過程といいたいのか。 なんにしても、映画史に残る傑作であります。ジーン・ハックマンは超グレイト。大拍手。[DVD(字幕)] 9点(2006-10-20 22:42:31)(良:2票) 《改行有》

57.  ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月 《ネタバレ》 基本的に酷評はしたくないけど、この監督だけは許せない。 これは、「アート」になってないじゃん。「アート」って、自分が良いと思うものをつくって、他人に見てもらうことでしょう。この監督って、自画自賛しまくりだけど、「観客が喜ぶように」「観客が笑うように」と思って映画とってるんだそうよ。それで、判断に迷ったら、得意の「スタッフとデイスカッション」して決めるんだって。それって、「芸術家」? イギリスは、良い監督もいるし、ラブコメでは良いものを作る国なのにこの監督。 こんなにお金つかって、良い俳優さん使って、こんなものつくるなんて。もったいなさすぎ。1作目が大好きだっただけに、落胆ひとしお。しかたがないので1作目をほめに行こうっと。タイの美しい風景と室内インテリアのためだけに1点。[DVD(吹替)] 1点(2005-10-31 23:52:45)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

58.  フィクサー(2007) 《ネタバレ》 出来の良い作品だと思います。 脚本はラストが気に入らないがなかなかのものだし、そこそこリアリティにもこだわって、説明を省いてどんどん進むクールなかっこよさが満載です。好きではないが、スばらしい、と言わざるを得ない。 …好きな映画と出来の良い映画は違うみたい。今さらこんなこと言ってなんですが。 スばらしいとは思いながら、さてなぜ好きだと思えないのでしょうか。 「クールなかっこよさ」どうやらここらへんに原因がありそうだ。主人公のクレイトンは、自分でもみっともないと思って生きているはずですね。色々な面で。それが、やっているのはその尻で全米女性を魅了したジョージ・クルーニーなのですね。それはやっぱりイカんです。 どんなに汚なづくりをしたって、彼はピーター・フォークのようにはなれないでしょう。 男ばっかの製作陣が集まって、かっこよいクルーニーを中心にクールを目指していたらいつのまにか映画はカレのかっこよさに合わせてかっこよくなっていってしまった。 なんだかクレイトンがかわいそうだと思えないのです。バカだけどがんばって欲しい、と応援する気持ちが湧いてこないのです。男の子が集まって相談しているうちに、どんどん趣味が特化してしまった映画だと思います。 ラストが気に入らないというのは、まあ単にハッピーエンドが嫌いだからかもしれませんけど、クレイトンの策略がうまく行き過ぎてカレンが簡単に引っ掛かりすぎる、ここまで一応リアリティを維持してきたのに最後でぶっこわしてくれた、とがっかりするので。ここまできて「んなわけないじゃん」と私に言わせないでくれ頼むから。 それから気がついたのですが、クルーニーは年のワリに目がデカすぎて、「息子顔」なんです。お父さん役が似合わないんですね~。いつも父親を見上げているような顔、なんです。こういう顔は役の幅が狭いと思う。 さて本人がいくら「掃除屋」と嘆いていたって、物事は上には上があるわけで、2人の殺し屋の事務的な手際の良さを見てますと「クレイトンなんてまだまだ甘い」ということになります。そのへんの対比はうまく描けていますが、だからこそあの腰の抜けたハッピーエンドは納得いかないですね。うーん、できることならハリウッドからハッピーエンドを一掃したいなあ。[DVD(字幕)] 8点(2009-03-14 21:18:13)(良:2票) 《改行有》

59.  テルマ&ルイーズ 《ネタバレ》 ええ私の場合はラストシーンがフリーズした瞬間にですね、あっこれはテルマにハメられたということではないかと思いました。 テルマは単に脳タリンということではすまないのではないか…と、ラストまできてやはり思うのです。 冒頭でテルマが旅支度をしながら自ら銃をつまんで入れる場面を監督は見せています。銃を持ち出したのは偶然でも間違いでもなくテルマの意思…ということでいいのだと思う。 危なそうな男ハーランと散々ダンスしたうえ、二人きりで駐車場へ行ったのは考え無しで無防備だからなのか? そして、モーテルでJDに大金を持ち逃げされますけど、これは偶然ということで処理できるだろうか。どうみても怪しい青年JDを部屋に招き入れ、翌朝彼を残したままルイーズのいるカフェに来る…これはみんな偶然で、テルマが脳タリン女だからなのか? そして、テルマが強盗したことで、ルイーズの頭の片隅にまだ残っていたはずの「警察に行ってすべてを話して正当防衛でなんとかする」という選択肢をぶっ壊したのも偶然? 私はテルマがどこかの時点で破滅へ突き進むことに決めていて、恋人の待っているルイーズをハメたのだという気がどうしてもするのだ。 それから…ここではテルマとルイーズが出会うほとんどすべての男性が性的捕食者のように描かれていますが、そういう撮り方こそがやっぱり男性的なのだと…思うのです。 行く先行く先で、エロい視線で見られ、エロいジョークを言われるのはなぜかというと、男がバカだというのはひとまず置くと、まずは彼女たちがそれなりに魅力的であるからです。 本当にセクハラから逃げたいと思っていたら、デブで不細工になれば一応は解決するので、おしゃれをして酒場に行く彼女たちは「セクハラはされたくないけどそれなりにチヤホヤされていたい」という矛盾した欲望を捨てられないということです。 そこのところは全然触れないで、「レイプしようとした。男が悪い。エロジョークを言った。男が悪い。」ということで全部済ませていますが監督は自分が男なので、「デブになれば」などと口が裂けても言えないのです。 ふたりは死ぬことで「もう二度とセクハラされない」という意味での「永遠」になったのだが、そのためにはリドリー的には死んでもらわなければならなかったのだから、やはり彼女たちを罰してバランスを取ったということになるのだろうか…。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-01-05 18:59:04)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

60.  バベル 《ネタバレ》 ある日録画した。 「録画したから見なければ」と出だしの2~3分でげんなりしてやめる。 「見なければ」とさらに次の5分も行かないうちに力尽きる。 「あああいつをナントカしなければ」と悶々としつつ数日が過ぎる。 新しい録画はどんどん消化して消去していくのに、これだけがいつまでも残っている。 さあどうしよう。…というほど、私にとっては重いイニャリトウが。 これほど先に進めない映画とは。重い。重すぎる。 最近の私はハーベイ・カイテル「ブルー・イン・ザ・フェイス」のような映画こそ優れていると思うようになったため、シリアス度が高いからいいなどとはこれぽっちも思わなくなったのだった。 なぜなら、人は誰も死ぬ順番を待っているのだし、この世は不公平だし、そのためある程度生きると人は笑いが必要になるものだと気がついたので。なのでドシリアスなものにはリアリティを感じなくなる。 で、イニャリトウですが、彼の世界はシリアスだけで回っています。うっとうしいです。「そんなわけないだろ」と突っ込みたいです。 ひとつの銃で物語を回そうとしすぎて設定に無理が出すぎてしまい、とんでもないことになっています。日本の都会に住むリーマンのおじさんは、猟銃を買って自宅に保管したりしません絶対に。なので、その銃で妻が自殺することは有りえません。なおかつ、日本のお父さんは、モロッコまで行って鹿を撃ったりすることも一生ありません。ないといったらない。だいたい、猟銃を持って飛行機に乗れないし、モロッコの税関も通れるわけはない。もっというなら、娘のバレーボールを見にも行かないし、車で連れて帰ったりもしないし、ベランダで素っ裸になっている娘を発見してそっと手をつないだりもしない。 いいですか、これは、アメリカのお父さんを役所がやっているだけなんです。ワールドワイドな話にしたいばっかりに、間違って日本を巻き込んでしまった作り手こそ「愚か」です。 また、鍋での放尿シーンだとかノーパンで歯科医を誘惑する女子高生だとか、ショッキングなシーンで印象を強めようなどとは志が低いの一言。 ということで、ラストのベランダシーンにもなんの感動も感心もなく、げんなりしっぱなしでした。チエコ役は、「フルに脱げるか否か」という基準で採用されたのだと確信しました。 ちなみに、どうやって我慢して最後まで見たかというと、誕生日だからというドサクサでした。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-21 20:53:34)(良:2票) 《改行有》


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