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性別 女性
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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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81.  レッド・ドラゴン(2002) 《ネタバレ》 盲目の女性となら、お付き合いができるかもしれない。という犯人の思いつきとそれを行動に移してしまうところ、面白いと思いました。 正直言って、エドワード・ノートンのFBIとレクターのやりとりなんてどうでもいいんです。それよりも、盲目のリーバとフランシスの交際模様のほうがよっぽどスリルがあってドキドキさせられる。 リーバってのは、目は見えないけれど、もてるんですよ。 もしかしたら、〝見えないから〟なのかもしれない。だって、毎朝鏡を見ることがないもの。「今朝はいつもに増してまぶたが腫れぼったい」「ああ、こんなところにもシミが」「こんなに毛穴が広がっていたっけ」などという悩みとは無縁なのだもの。こんなに自信があって自由奔放にふるまえるというのは、盲目であるがゆえの特権といえるかもしれない。 また、彼女のように見えるものに惑わされない女性がフランシスを選んだという事実も、重要な意味があると思う。 これは猟奇殺人をしないではいられなかった変態のフランシスが、盲目のリーバに出会って癒され、二人でどこかへ旅立っていく、という話にしてもよかったのになあ。 もちろん罪の重さを考えると、途中でフランシスが車にはねられて死ぬとか失明するとか下半身不随になるくらいのことがなければ、収まりがつかないけれど。 …ラストのプチどんでんなんか全然なくてもよくて、そのくらいにこの映画はリーバとフランシスのラブストーリーとしての出来が突出して優れている、と思うのでした。[DVD(字幕)] 7点(2006-11-23 20:51:27)(良:2票) 《改行有》

82.  REC【レック】(2000) 《ネタバレ》 そおですね、突っ込めないところを探すほうが大変だと思うのでそういう楽しみ方もあるのかも。私はやりませんが。 それよりも、中身の滅茶苦茶加減に比べて、意外とハード方面がまともなように思うのですが。話は滅茶苦茶でも、映像としては見ていてストレスを感じないというか。音声とか映像とか照明とか編集とか、わりとまともにやっているような気がしてならないのデス。 話が壊れているために、ハード面の努力は一切評価されないのかと思うと、なんか職人が可哀相な気がしてきますがそれは仕方がないのでしょう。が、こういう滅茶苦茶な話のために技術面の仕事をちゃんとやってしまうというのはなんなのかなあという疑問も。や、話が滅茶苦茶だから技術で手を抜いてもいいというワケはないではないか、えっそういうものかなあ、なんかわけがわからなくなったのでこれでおわります。[CS・衛星(字幕)] 3点(2009-03-26 19:39:43)(笑:2票) 《改行有》

83.  大統領の理髪師 《ネタバレ》 ソン・ガンホって本当にいいですね~。「殺人の追憶」から好きですけども、この顔で何度も主役が張れるといういうすごさ、主役を張らせるというすごさ、それを受け入れる国民性、韓国の底知れぬ深さを感じます。日本でソン・ガンホ型俳優が主役を張ることは決してないですから(日本人の優男好みは小谷野敦の著書に詳しい)。 そうはいっても、ソン・ガンホはというかカレの顔は役を選びますから、この先も育ちの良さそうな役をやることはありません。役者としてどう思っているのか私にはわかりませんが、ガンホは死ぬまで庶民をやってほしい。雑草魂を演じ続けてほしい。 内容のことで少し言いますと、仙人じいさんのお告げ(?)のうち、「体の病は自分が治すから心の病は父親が治せ」でしたから、ナガンがお茶を飲んでも歩けるようにならなかったのは「心が治っていなかったから」ということですね。 それが、父が新大統領に反抗して袋叩きにあったら歩けるようになった。ということは、ナガンは「権力者に尻尾をふる父」に売られて交番に連れていかれたこと、そのせいでひどい目にあったことを、実は許していなかったし、傷ついた心が修復されていなかったのですね。本人のナレーションではなんにも気にしていないようにしてありますが、実はそういうことです。 ということは、この作品の大きなテーマは「庶民は権力に対してどういう姿勢で望むべきか」というようなことになります。韓国人にとっては不可欠なテーマなのですね。 もうひとつ、私はこの作品を見ていて「人権」という感覚がいかにアジアに適さない「白人が創造神信仰に基づいて頭で考え出した観念」であるものかふか~く理解しました。 アジアには「人類皆平等」とか「子供だけは別扱い」という考え方は適さない、のです。それはいいとか悪いとか置いといて、実際にそうなんですね。この映画の作り手だって、西欧仕込みの「人権」がどんなもんかはちゃんとわかっていますが、作れば「あえて」こうなるのであって、それがアジアなんですよ。 「まだ適さない」なのか「もともと無理」なものなのかは、わが国を含めて人権が輸入されてせいぜい数十年ですから、わかりません。 わかりませんが、この作り手は「現実にオレたちは(アジア人は)こうなんだよ」ということを強力な説得力をもって示していると思う。この強さは理屈を説かれたくらいでどうにかなるものではなさそう。[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-14 19:19:26)(良:2票) 《改行有》

84.  ジョージ・マイケル 素顔の告白 《ネタバレ》 スカパーでやっていたので、ほとんどミーハー的興味のみで見始める。 確かに、日本も巻き込んで一世風靡した彼の「素顔」が垣間見られる作品だ。(新作のPR的匂いもラストでぷんぷんするが) それにしてもジョージ・マイケル、この人興味深いわー。 80年代の男性版セックス・シンボル(かたや女性はもちろんマドンナ)として女子の皆さんの萌えに堂々のアピールをしていた彼がゲイ。女性として裏切られた気持ちは否めない。 ゲイであるのに、女性の萌えに訴え稼ぎまくるということは、彼の内面でどのように処理されていたのか非常に興味がある。ジョージはそれを決して語らないが…。 そして、驚くべきは彼のような完全右脳人間が、ドラッグやアルコールや犯罪や肥満や宗教でつぶれることなくエイズで死ぬこともなく、芸能界でサバイバルすることができている(現在進行形)という事実である。 クラウス・ノミのように、ジョージ・マイケルも翼を持つ者。翼を持つ者は、現実処理能力に欠けるのが常であり、各種依存症に陥りやすい。彼らには有能な補佐役(お守り役)が常に必要だ。 それが、トイレで逮捕とか、ブッシュを攻撃してバッシングにあうとかいった程度で済んで生き延びていること。これって、奇跡的なことだと思うのだが…。もっと驚くべき、と思う。 見るに耐えないボーイ・ジョージの肥満ぶりや、アンドリューのオヤジ化と比べると、40過ぎてもルックスを維持しているジョージ・マイケルの自己管理能力は、意外にもけっこう高そうだ。 私は完全右脳人間ジョージがサバイブできた原因について考えてみる…という無駄な事ばかりに頭を使うのだが、「強運」はもちろんとしてどうやら正解は家族、特に母親のようだ。 多くの芸能人と比べて、彼は比較的まともな家庭に育ったらしい。両親が揃っており、母親はきれい好きで掃除が得意。成人してからも、ジョージの身の回りの面倒を見てくれた。なんて幸せなジョージ。 その分、後年母親の死で大打撃を受けるわけだが、やはりマトモな家庭に育ったというのは、芸能人が身を持ち崩さないための最後の砦と言って間違いなさそうだ。 そしてもうひとつ、宿題が出来てしまった。飛びぬけて才能あるアーティストはなぜほとんどゲイなのか。 なにか右脳と関係ありそうな無さそうな…。(続く。)[CS・衛星(字幕)] 7点(2008-04-09 17:45:24)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

85.  ブレードランナー/ファイナル・カット 《ネタバレ》 ファイナルカット版がCSに登場。 やたらな日本語の看板が前にも増して強烈。 「コルフ月品」はいつ見ても笑ってしまうけどCGでなんとかしないのだろうか。 以前ここのレビュワーさんが「銀シャリ映像」と表現していたのに感心したことがあるが、今回、その銀シャリ感は低下しているように感じた。 キレイな映像で見ているうちに、ある妄想がめばえた。神は自分に似せて人間を作ったというが、それが事実かどうかは置いて、もしかして神は人間よりショボくてダサかったりするのではないだろうか? そう、タイレルとロイのご対面シーンでまさにひらめいたのだった。タイレルはロイの20倍の寿命があるというだけで、見た目も頭脳(チェスに象徴されている)も己の創造物よりはるかにショボいのである。 神は人間を自分よりも上等に作ったのではないだろうか?けれども儚い寿命で。 キレイな映像はそんなことを思わせました。 また、俳優たちがいかに自由にやらせてもらっていなかったか、つまり細部にいたるまで監督の思い通りに動かされていたかもよくわかる。「何をしているかもわからず駒のように動かされていた」と怒っているハリソン・フォードや「暴力的で屈辱的なラブシーンだった」と憤懣やるかたないショーン・ヤングの言葉が実感として感じられる。 ガフがデッカードたちを黙認して逃がした理由は、デッカードの寿命がもう長くないためではないだろうかと思った。そうすると、レオンやロイが死の恐怖を繰り返しデッカードに迫ったシーンが生きてくる。 タイレルは「人間を超えるスーパーレプリ」を目指してレイチェルを作り、デッカードはたぶんそれより前に開発された「退治用レプリ」のはずで、それにしても弱っちくみえるけれど全体で考えるとデッカード型のレプリは「まず射撃能力(逃げるゾーラや回転するプリスを確実に撃つ)」「細部の認識能力と因果関係類推能力」などを優先して設計されているみたいだ。 鳩のシーンは何気なく見逃しがちだが、人造物たるロイに魂が宿っていたこと+魂が不滅であることを作り手が肯定していることになるから本当はもっと驚くべきなのだろう。 最後に、ロイとの対面シーンでタイレルがしゃべっている内容は、最近話題の「動的平衡」概念にかなり近いです。福岡伸一が本を書き出したのは最近ですから、ブレードランナーの場合はシェーンハイマーの影響によるものだと推測されます。[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-04-04 13:48:26)(良:2票) 《改行有》

86.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 井筒監督が「裸俳優第1号」と絶賛していたので、見てみた。 ノーモアステロイド、ナチュラルビューティ最高、ヘストンオールOK。 見どころは四頭立て馬車の競馬ではなくて、ガレイ船から長官救出までの腰巻き一枚の裸解禁シーンです正味は24分くらいしかありませんが。胸毛・ギャランドゥもあります。 ヘストンは骨格エリートですので誰もがステロイド無しでこのような肉体美になれるというわけではありません。 金を払ってでも見るに値する裸です。素晴らしい。演技なんか本当にどうでもよくなる肉体美です。 芝居が全くできないヘストンを主役に据えた監督さんは、相当センスがあった。一見歴史大作ということにしておいて実はヘストンの裸で勝負、すごい冴えてる。 点数はヘストンの裸が満点という意味です。[CS・衛星(字幕)] 10点(2011-06-29 01:25:44)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

87.  地下鉄(メトロ)に乗って 《ネタバレ》 見終わった時の素直な感想は、「どこまでも男に都合のいい話だなあ」である。 日本人の泣かせのツボを押さえきった浅田次郎(ホメているつもりではない)の原作ということは知っているが、こんなに男に都合のいい話なワケか、本当に。 それにしても大沢たかお。日本映画界は大沢に期待しすぎているように思う。いくらなんでも父親になった佐吉役は、他の老練で重厚な俳優にまかせるべきでしょう。ありえない、あの老けメイク。 で、冒頭からありえない老けメイクでDVという無茶な設定のせいで台無しになっているため、その後のほとんどの部分は「駄」の字を念頭に見ることに。 30年代、戦後闇市、共に、美術面ではトホホ状態だ。これでは、コントの書き割りと大して変わらないではないか。そんなに金が無かったのか。金をかけられないなら、ないなりに、時代設定を損なわない工夫はできなかったのか。トホホ。 演技…とにかく大沢が浮いている。舞台と間違えているような大仰さ。常盤も、持ち前の雰囲気を壊してまでアバズレになりきれていない。出番が少ないせいか、役柄を理解していないように感じる。 最悪だったのは岡本綾で、単なる湿っぽくてうっとうしい女で終わってしまった。生気が無い。生気が無いので、自らを抹殺するという行動に出てもそれほど意外性が感じられない。 この話はファンタジーなわけだけども、最初に言ったように、「ファンタジー」が「男に都合のいい方にだけ働く」のである。どういうことやねん。 別の男のタネによる長男が死んで、二号さんの子供が産まれなくなって、または近親相姦だった不倫相手がもともと存在しなかったことになって、佐吉親子は何か損をしただろうか。悲しかっただって?それどころか女たちは決定的なダメージを受けているというのに? あああああ、もうやんなっちゃうけど、男にだけ都合のいいファンタジーを公共の場でセンチメンタルに語るのはやめてもらいたい。とっくの昔に日本の女子はそれに同情するほどウブではなくなったのじゃ。[CS・衛星(邦画)] 3点(2007-11-25 17:53:45)(良:2票) 《改行有》

88.  ソウ3 《ネタバレ》 「2」鑑賞後にバウズマンはセンスが足らんと書いたのだったが、「3」鑑賞後、それをさらに確信した。 「3」は非常に残念な仕上がりだったと思う。なぜなら、「1」のワンが脚本に参加しており、脚本そのものは悪くなかったからだ。やはりワンの才能はあなどれないと思う。 冒頭に、デンロン医師と「男性」の不仲シーンを見せることによって、あたかも夫であるかのように思わせる手法などは、あざといが、きちっと常道をおさえている。また、ジョンがことあるごとに「ルールを守れ」とアマンダに諭すことも、後になって効いてくる。繰り返されるアマンダの暴走ぶりも、ラストになって、ジョンがゲームを仕掛けた動機となってちゃんと効いてくる。 また、ジョンとアマンダの異常な師弟関係についても、二人の間には切っても切れない葛藤を含む結びつきがあったことを、脚本はちゃんとセリフを通して伝えようとしている。 そうなのだ、もしもこれをバウズマン以外のセンスある監督が撮って編集したなら、高校生を興奮させるだけでなく、大人の鑑賞にも耐えうる格調高いサスペンスになったかもしれない。 バウズマンのセンスの無さがいったいなんなのか、それは「3」によりはっきりした。 それは「観客の想像力に対する想像力の不足」だと思う。よって、その作品は「すべてをはっきり見せきる」というサービス過剰な状態となる。 「観客の想像力」だけで充分おなかいっぱいになる場面までも、ちゃんと見せないと気がすまないのだなあ。サービス過剰なのか、律儀というのか。どっちにしたって、センスはない。 だいたい、緊迫の場面がずーっと続いている話だというのに、「さあ、ここはもっと緊迫だよ!」とばかりに激しい音楽、手ブレ映像、フラッシュバックをお約束のように毎度毎度出してくる。だから、緊迫してるのはもう分かったって。 こういうのを「芸がない」というのだ。 バウズマンの作品というのは、高校生レベルの観客を興奮させるのがせいいっぱいである。 「1」のことを思うととても残念だが、バウズマンのおかげで「SAW」というのは「グロい」の代名詞になってしまうだろう。「SAWすごかったよなー」という会話が交わされるのは、男子高校生かオタク青年の間だけで、その意は「グロいという意味において」の「すごい」、でしかない。 私は「グロ」においても「格」や「品」は存在する、と思っている。[DVD(字幕)] 4点(2007-06-14 11:04:36)(良:2票) 《改行有》

89.  シッコ 《ネタバレ》 私はアメリカに行ったことも住んだこともないが、アメリカ製の映像コンテンツはくさるほど見ているのでもしかすると実際に住んでいる日本人より部分的には詳しくなっているかもしれない、それはいばれることではもちろんない。 それでまあ最近、アメリカの貧乏人に同情する気持ちがどんどんなくなってきまして、もうほとんどゼロと言ってもいいでしょう。 その理由はアメリカが前提としている〝前借り借金文化〟に対するものです。 借金=前借りすることによって実際の身の丈より良い生活をするということを前提としている文化に感心しないし、それどころか〝自業自得〟と思ってしまう。 たかが90万円(9000ドル)の医療費自己負担が払えなくてホームレスになる中年夫婦とは、いったい今までどんな経済生活をしてきたのでしょうか。…そらまあ借金まみれの貯金なし、ですわなあ。 同情する気にはなれないのです。ウチの亡父などは60過ぎてから現金で自宅を購入し、生涯借金をせず死んでいったものですから。 マイケル・ムーアは貧乏人の味方ということになっていますから、彼の作品では登場人物は「被害者」という扱いになっています。けどなあ、そういう見せ方をされればされるほど、「貯金してなかったのかよ」とか「医療費は払えなくても肥満するだけの食料は買えるわけね」とか、意地の悪~い突っ込みが止められなくなるのであった。 なによりも、アメリカという社会が〝是〟としているものが「より大きなリスクを引き受けて成功したヤツを尊敬する」ということで建国以来この点は動いていないわけですから、その裏には「敗者」がいっぱいいることが当然なわけで、あそこの国民はそれでいいと思っているわけです、本心では。 よくないのは「自分のとこが敗者」であることに対してであって、基本的には上記の理念がみんなのコンセンサスでしょ。 …だからアメリカの貧乏人のグチって、まともに聞く気がしないんですよ。たまたま〝あなた〟の運が悪かっただけなのね、というレベルの話に聞こえる。 つまりは、「国を良くしていこう」というコンセンサスはまだ、あの若い国にはできてない、と私は思っているし、みな「勝ったもんがやり放題」でいいとホントは思っているみたいだし。自分が勝ってないことに対する文句は言うけども、という話でしょう。違うの?ムーアさん?[CS・衛星(字幕)] 5点(2009-04-28 14:33:28)(良:2票) 《改行有》

90.  グエムル/漢江の怪物 《ネタバレ》 たとえばリドリー・スコット「エイリアン」は宇宙の彼方で勝手に発生していたところにたまたま人間様が迷い込んだために、リプリーは生き延びるために闘わざるを得なかった。 「プレデター」は、はるか昔に宇宙の彼方からやってきて、地球に住み着いていたのだが活動時期が稀であったためにあまり人に知られておらず、シュワちゃんたちは、たまたまそこを訪れたために対決せざるを得なかった。 「怪物」、その発生の原因(または原因不明なこと)こそが何よりも重要な意味を持ち、産地によって異なる背景を持つ、もののようである…などとグエムルを見て考えた。 グエムルは意図的に生み出されたのではなく、白人科学者の気まぐれによる偶発的なものとされている。そこには、「韓国の河など、汚れたってかまうものか」という差別と無神経が存在した。 この映画では、リアリティはほとんど無視されているし、監督の意図はリアリティ以外のところにある。それはたぶん、「誰もが弱い者を守ろうとし、最も弱い者でさえ、自分より弱い者を守ろうとする。」人間の姿、とか、「漢江に象徴される韓国人魂は、白人のまやかしに無抵抗で屈することはない」という反骨心であろう。グエムル発生の原因からしても、パク一家が貧乏階級であることからしても、「白人に汚された韓国が、不屈の雑草魂で立ち向かう」話、というふうに私は思う。 「米軍」を「イラクにお手伝いに行っている日本の自衛隊」、「漢国」を「イラク」というふうに置き換えて、イラク人の監督が「グエムルイラクバージョン」を作ったとしたら、どうだろう。日本で上映できるだろうか。ボン・ジュノのメッセージの衝撃度が想像できるだろう。 「反骨」ボン・ジュノの意図はいいとして、作品としては、?をつけざるを得ない。 冒頭の果てしなくたらっとした日常から突如として非日常、のところはよかったし、子供の描き方は一級品と思うが、内容にしては長すぎ、全体としては各シーンを3分の2くらいずつに縮めたらよかった。「まんま」にすぎるというか、「つなぎ」がヘタ、というか、残念な編集と思う。グエムルの動きも、自然な場合と不自然極まりない場合が混在する。 特筆すべきはヒョンソ役の子である。ラスト近く、グエムルへ立ち向かうシーンは鬼気せまる。[DVD(字幕)] 6点(2007-03-23 23:56:32)(良:2票) 《改行有》

91.  11:14 《ネタバレ》 ものすごくダメなわけではないです。 が、「あざとい」部分が目立ちすぎているので作品としてはあんまり評価されないしできなくなってしまう。 あざといというのはもちろん観客の生理的部分に訴えるようにショッキングなシーンを複数入れてきたことで。私はこういうのは基本的に認めない。そんなんナシで勝負してくんなきゃダメだわ。 だからチ○チ○の部分とエッチの最中に頭の上に石像が落ちてくる部分ナシでも記憶に残るかどうかで考えてみなきゃならない。だとするとたぶん、1ヶ月もしないうちに見たことを忘れているだろう。 こういうのってたぶんリドリー・スコットの悪影響なのかもしれません。駆け出しの新人映像作家たちが安易に飛びつきがちな方法ではあるでしょう。どうすれば観客の記憶に残るか。 しかしリドリー・スコットはもともと変態でして、目立ちたくてそういうことをやってきたわけではないのですたぶん。そういうシーンが無くても、というか無いほうがカレの作品は素晴らしい。そして本人は顰蹙を買っていることにあんまり気がついていないわけです、自分がどのくらい変なのかってよくわからないですから。 ですから新人が安易に真似をする傾向は苦々しいものです。そんなんで記憶に残してはあげませんので残念でした~。[CS・衛星(字幕)] 5点(2009-05-01 15:34:43)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

92.  ゴッドファーザー 《ネタバレ》 コルレオーネ家は、ケネディ家を模していると言われているが、日本人の私は「田中角栄」を連想してしまうのだった。 「フィクサー」とは、「もめ事の調停が得意な人」と私は解釈している。 では、どうすれば「もめ事調停分野」において他人より秀でることができるのだろうか。 角栄の事を書いた本をいろいろ読んでいくと、その道の常道はまずは「懐柔」そして「脅し」であるらしい。角栄の場合は、「懐柔」のほうに力を入れていて、「相手に法外(相場の2倍以上の)に有利な条件を提示する」ところから始めたらしい。これは当然「自分が持ち出す」ことが必須となる。そうすると、「常に自分が豊富なコネや資産を有する」が絶対条件である。そのために金策が欠かせないから無理に無理を重ねていくことになってしまう。しかしこうしてひとつ「貸し」をつくると、次の別件のときに「そうだあいつに貸しがあったから今回利用しよう」となり、「貸し」が増えるほどフィクサー本人はどんどん「ラク」になっていくという構造になっているらしい。 そしてわがドン・コルレオーネ。彼もまた無一文からのスタートであるから角栄とあまり変わらない。 元手となるものがない彼が「元手」とした最初のものが、街のダニであるドン殺しであったことは「Ⅱ」で判明する。彼が仲間に「貸し」を作り、優位に立つための「元手」、それは「人殺し」だった。そして「フィクサー」としての彼の手法は、「金を取らず」「貸し」を無限に積み重ねていくことで営まれてゆく。上記の「どんどんラクになる」の方程式に従って。このへんが、「Ⅱ」でのコロンボ夫人問題の時に如実に描かれていて、ヴィトの「手法」を鮮やかに見せる。しかし、ヴィトはあくまで「古い時代の町の相談者」に甘んじて、それ以上に「儲け」ようなどと思っていない。 ところが、大学出のマイケルは、単なる「もめ事調停人」から脱することを望み、そして「親父の時代のヤクザな仕事」から徐々に手を引いて、まっとうな「ファミリー」へ脱皮しようとしていくのだが…。 ちなみに、マイケルにヴィト譲りの並々ならぬ「ネゴシエーション」能力が引き継がれていることがはっきりと描かれている場面が「Ⅰ」にあります。皆さん、一瞬考えて見てください。 それは、シシリアでアポロニアに一目ぼれした彼が、拒絶する彼女の親父さんを口説いて面会にこぎつける場面です。[DVD(字幕)] 10点(2006-06-25 22:03:47)(良:2票) 《改行有》

93.  16ブロック 《ネタバレ》 ブルースはかなり役作りに励んだと見た。減量+老けメイクで左肩を上げて足を引き摺る。いつものマッチョなイメージを吹き飛ばした。しかし。 ブルースの役作りには感心するが、ひとつ、大きな違和感というか、疑問がある。黒人をバカにしているのか? 脚本を書いたのは白人男性である。エディの強烈なナマりは、いったいどういうつもりか。モスの勝手な役作りというものなのか? ものすごくおおざっぱに言ってしまうと、これは「過去の罪を懺悔して、善人に戻った〝良い白人〟が、〝悪い白人〟と戦って、黒人にお情けを施す」というストーリーではないかあ。 だから、バカにしているのか? 黒人は、〝お情け〟にすがって生きるのを喜ばなければならないような、「第二の人種」だと思っているのか?じゃ、エディが日本人だったとしたら、みなさん、こんな映画見て屈辱を感じませんか? ここのところの思想には、ものすごく無神経な差別を感じる。もち、モーズリー役が有色人種の刑事だったら、そういうことにはならないのだが。もしくは、エディには裏があって、モーズリーがまんまとダマされる、とか。 それを置いといていうと、バスジャックの場面やマンションの部屋番号のくだりなど、モーズリーが知恵者であることをあらわす場面はそれなりに面白い。しかし、モースの悪役ぶりが、あまりにも類型的でなあ。あと、ラスト裁判所の場面はかなり情けないものがあるが(有り得ない…)、バースデーケーキの場面で多少救われた感がある。[DVD(字幕)] 5点(2007-05-05 19:41:51)(良:1票) 《改行有》

94.  カジノ 《ネタバレ》 長くて大作のために散漫な印象はありながら、シャロンストーンのためにコメントの価値あり。なぜか酷評されやすいシャロンではありますが、私生活や裸のことなんかどうでもいいじゃありませんか。アクターズスタジオのインタビューで一番胸に残ったのが彼女でした。私は「カジノ」のシャロンは買います。なぜなら、この長い作品で記憶に残ったのが、毛皮姿ではいつくばって、「どうやってあんたのことなんか愛せるのさ、犬みたいに扱われてるっていうのに」と叫ぶシャロンのみだったからです。あそこのセリフまわしがすごい。鬼気迫るとはこのことか。あれだけでもう、シャロンがダメな女優なんてとても思えない。私は「トータルリコール」でも、脇役だけどとてもよいと思いましたよ。大変知的な女性だそうです。[DVD(字幕)] 7点(2005-11-06 22:59:18)(良:1票)

95.  ウィンブルドン 《ネタバレ》 テニス全然関係なし。全くなし。 テニスの技術も勝負の精神力も、運さえも、すべて「女の応援」でなんとかなってしまうという恐るべき頭カラッポ系脚本。 私は基本的に本業を放り出して女を追っかけている男が嫌いなのだがー、そこはそれ、もう文化の違いというしかないのかもしれないこんな脚本が映画化されてしまうところを見ると。 「女が応援」「男がんばる」「見事勝利を手にしてご褒美ディープキス」という展開には吐き気がしてくるしー、かといって、出演者そのものに見ているだけで眼福なものもないことから、単に時間の無駄。 ただひとつ、発見したことといえば、「美人度」と「応援度」はどうやら反比例の関係にあるようです。キルスティン・ダンストが応援女として重宝されている理由は美人度が低いことにあったのだな。エリザベスタウンの時の疑問が少し解けて良かった。しかしあんなへなちょこサーブでテニスプロを演じるとはたいした心臓だダンストよ。[CS・衛星(字幕)] 2点(2008-07-06 15:44:19)(良:1票) 《改行有》

96.  彼女を見ればわかること 《ネタバレ》 大好き。そのうち買います。一番気に入っているのが、小人症の人の出る話。あんな短い話なのに、強烈。おばさんと小人症の人の、ちょっとすれちがってるコミュニケーションがものすごくいい。庭から忍び込んだら、扇風機まわして昼寝しているところがいい。なぜだか天国のように美しい。生意気な息子とのやりとりもいい。小人症の人の人柄のよさに、目まわりはウルウル、じーんとして、生きる希望がわいてくるから不思議な作品です。こんな男の人なら、小人症でも結婚したい。視聴後感ものすごくよし。(この話だけなら)[DVD(字幕)] 9点(2005-11-02 21:44:07)(良:1票)

97.  やかまし村の子どもたち 《ネタバレ》 われわれが普段よく見ている映像世界では、「平穏無事な風景」というのは、その後の異変の前ふりであるのが常である。よって、平和な風景を見ながら、「来るぞ来るぞ」という予感に捕らわれているのがいつもの状況だ。 「やかまし村」のような作品を作ったということは、そういう「緊張感ある映像」に対するハルストレムからの「異議申し立て」という意味があると思う。曰く「幸せや平和が続いてもいいじゃないか」。 緑あふれるスウェーデンの風景の美しさ、そこに住む人間の性質の良さ、ひたすら癒される。癒されるのだが、「やかまし村」を見る際に、無視できないことがある。「己との落差」である。 世界中の観客が「やかまし村」を見るだろうが、見たときに感じる思いは、国や地域によってかなり違うのではないかと思う。 「やかまし村」は、あまりにも平和で幸福で美しいために、見る者は「やかまし村と自分の間の距離」を意識せざるを得ない。よって観客自らの「幸福からの距離」を確認するための最適なツールとなる。たとえばマイケル・ジャクソンなら、まさにこのような幼年時代を送りたかったと嫉妬にかられることだろう。犯罪者に見せたなら、このような幼年時代を送れていれば、犯罪者には育たなかったのに、と思うだろう。北朝鮮で飢えている人民に見せたなら、同じ地球上の出来事とは思われず、よその星のこととしか思えないだろう。アメリカで家庭に銃を備えている人々に見せたなら、「やかまし村」の無防備さに不安を感じるだろう。 映画「やかまし村のこどもたち」とは、見る人の幼年時代や社会状況が「やかまし村にどのくらい近いか」を測ることにより、「案外自分の幼年時代も悪くなかった」なり「自分はこんなに不幸だったのか」と気づかせたりする作用がある。おそらく地球上に、「やかまし村」以上に幸福な幼年期を送れる場所はないからだ。…罪な映画である。 「将来もこの村で暮らしたいから、村の男の子と結婚するの」…すごいことを言わせる。これこそが、共同体における究極の理想だ。 犬を貰い受けるエピソードが印象的。お父さんは、どうやって偏屈な靴屋と話をつけたのかが非常に気になる。「やかまし村」では、「金や物」で話をつけるはずはない、と思うからだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-12-02 18:37:22)(良:1票) 《改行有》

98.  バンディッツ(2001) 《ネタバレ》 泥棒と詐欺は嫌いなのでなるべくそういう映画は見ないようにしているが、ソーントンの愁訴演技をチラ見して食指が動き、改めて録画してみました。 …残念な映画。せっかくウィリスとソーントンというコメディのできる役者をそろえたのに、笑いを軽視している~。三角関係なんかどうでもいいんだよ。笑いだ、笑い。 カツラとか変な服装とか見た目の工夫をしているわりには、演出のセンスがイマイチなので笑いが足りない。 ウィリスの真顔ボケと、ソーントンの愁訴だけでガンガン押していくべきだったのだ。私はウィリスの真顔ボケをけっこう評価しているんだけど、あんまり生かされていなかった。なまじブランシェットなどという大物を使ったために、女ネタにこだわらざるを得ず尺を無駄にしてしまっている。本末転倒。 やりようによってはすんごく笑える作品にもできたはずなのに、もったいないことだ。おなかいっぱい笑わせてくれる一品は、シリアスで賞を取る映画よりはるかに価値があるというのに。[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-05-21 20:45:21)(良:1票) 《改行有》

99.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 《ネタバレ》 笑わせどころがまったく自分のツボにマッチしなかった。 ハリ治療に行くと、鍼灸師によってツボがはずれたりはまったりするけれど、ウェス・アンダーソンの打ったハリはほとんどヒットしなかった。「そんなとこにハリを打たれても…」のオンパレードだった。 人物や状況を説明するために絵画や著作のカバーを大写しして説明に替える、というワザは、あまり何度も使われると芸が無い。笑わせたいために、登場人物に極力リアクションをとらせず無表情にさせて間をとる、というワザも、ロイヤルとリッチー以外のほとんどの登場人物がそうであるということから、効果が希釈されてしまっている。 人物が深刻に悩めば悩むほど観客にとってはおかしい、という状況を作り出すのに、完全に失敗している。…ボケには突っ込み、無表情にはリアクション、そうでもなければ乗り突っ込み。この監督さんは笑いが全然わかってない。 笑えないだけでなく私はストーリーもあんまり気に入らない。実子と養女の恋愛沙汰というそこだけ妙にシリアス調のエピソードもバカバカしいが、それよりもアメリカ人の専売特許ともいえる「ルール破り」を賛美するのが隠れた(というか隠れてないかもしれんが)テーマであるからだ。 彼らにとって、「ルール」はただ破ればよいというものではなく、破り方と事後のリアクションが「破り道」において重要なのである。破り方のスマートさにおいて感心されるなり、破り方にも愛嬌があるため憎まれない、なり。ロイヤルは後者である。 でも、私ははっきり言って悩まずルールを破るやつが嫌いなんだよう。ルール破りが映画に出てくるのは構わないが、それが賛美される結果になるのは私の許容範囲を超えているんだよう。 「ルール破り」の人生をまっとうしたロイヤルは死ぬ。人々の記憶に「愛嬌」を残して。個人的には全然ダメだ。[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-07-06 14:24:52)(良:1票) 《改行有》

100.  山猫は眠らない2 狙撃手の掟 久々に見直してみました。前作の質に及ばなかったとかそういうことはもう置いといて、「トムベレンジャー」の「目」に対する考察と行きたい。さて、トムベレンジャーはなぜこんなに他の男優さんに比べてスクリーンの中で存在感があるのでしょう。それはなにより「目技」にある。トムはまぎれもないハンサムなのであるが(シュテフィグラフに瓜二つだけど)、白人の美男俳優としては、「ちょっと目が小さい」のである。(リチャードギアはどうなんだ、という話だが、彼の場合は「目」としてはもはや機能しておらず、単なる「黒い線」であって、白目が皆無であるためどこを見ているかも不明。悩んでいても微笑しているような「目」を演出)そして、「黒目」の部分は他の人と変わらない大きさなので、「ブルー」の虹彩部分との差が小さくなる。ブルーの部分が大きいほど「猫目」に近づく。→「ガラス玉」のように冷たい印象。トムの場合→「黒目」が生きる。他の「目がパカッと大きい俳優」さんと同じことをしていたのではダメだということで、工夫と努力の結果、トムは「横目」の多用、という技を編み出した。真正面を見ている時間を少なくし、「横目」により表情を出すことにしたのである。また、「瞳の上下に白目部分の隙間をなるべく作らない」ようにすることにより(これは目がデカくないからこそ可能)、「驚いた」り「無防備」な印象を排除し、クールさを演出。そしてこれを、「眉毛を動かさずすばやく瞳の部分だけを左右に移動させる」と組み合わせ、画面のどの位置に居ても観客はトムに釘付け、という状態を生み出した。「黒目」を生かし「横目」を多用。イタリア系男優の「落っこちそうなタレ目」の下品さにくらべてこの抑制美。日本人の好みに合っている。「普通に目がデカい白人俳優が真正面を向いてパカッと目を開けてる」の逆の発想による、「そんなに目がデカくない」トムの目技、芸術品であります、ご堪能あれ。[DVD(字幕)] 7点(2006-01-14 13:13:16)(良:1票)


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