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81.  駅馬車(1939) 《ネタバレ》 “Stagecoach”邦題まま。中学生の頃、退職する映画好きの先生が最後の授業で紹介してくれた映画。 先生が子供の頃は、映画館で一本の映画をず~~っと、それこそセリフ覚えるくらい何回も観てたんだって。入替制のない時代の話。劇場出たら再入場できないし、中で食べ物買うと高いから、おにぎり持参で朝から晩までぶっ通しで観てたんだって。私も当時、せっかく観るならと最低2周はしてたけど、昔の人は気合入ってんな~って思ったっけ。 45分の授業だから、ビデオで観せてもらえたのはインディアンとのチェイス・シーンのみ。先生はこのシーンを始めて観た時の衝撃を熱心に話してました。 当時の目で観ると、古典的な西部劇映画だなぁ。程度の感想だったけど、先生には50年経っても色褪せない作品なんだろうなぁ、って。今にして思うと、先生の駅馬車は私にとってマッドマックス2なんだろうね。今の子の目にどう映ろうと、自分が子供の頃に観た映画の興奮って、何年たっても色褪せないものだわ。 最近になって初めてきちんと観たけど、まぁ面白い。アクションは後半に集約されているんだけど、静かな前半でそれぞれの人物の背景がきちんと書き分けられていて、すごく解りやすくて、みんな魅力的。99分の映画(あれ?私のDVDは95分だぞ??)で、主要人物9人も出してるのに、詰め込み過ぎにも駆け足にも感じさせないのは上手い。 エンド・クレジットを観るとジョン・ウェインよりクレア・トレヴァーが先なんだな。 ローズバーグに進むか引きかえすかの投票は、自分も参加してる気持ちで考えてたし、飲んだくれの先生が子供を取り上げたところなんて『頼むぞ先生』って思えた。赤ん坊にリトル・コヨーテと(勝手に)名付け、まるで家族が増えたかのような喜びようも凄く共感。 チェイス・シーンで最初に“いい人”ピーコックが討たれる突然の展開感も上手い。馬車馬に轢かれるインディアン、先頭馬に飛び移るスタントは確かに迫力がある。謎の紳士ハットフィールドのモヤモヤを遺言一言で解決。 キチッと描ききったチェイス・シーンに対し、たった3発の弾で挑むリンゴの最後の決闘は映像で観せず音だけのハラハラ演出。そして最後、荒野へと掛け出す馬車のスカッと爽快感が素晴らしい。 こんな古い映画なのに、娯楽映画として完成されている。歴史的価値ではなく、1本の娯楽映画として評価したい。[DVD(字幕)] 9点(2023-10-15 09:56:26)(良:1票) 《改行有》

82.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 高校の頃、牧師さんと映画の話をすることがあって、『ベン・ハーの監督はキリストに否定的で、キリスト批判な中身だったけど、制作しているうちに“私はなんて罰当たりな事を”と改心し、今の映画になったそうだよ』と。原作アリだしどうかな?とは思ったけど、ワイラー監督はユダヤ教の家庭に生まれてるし、案外本当だったりするのかもしれない。 今回初鑑賞。てっきりグラディエーター的な映画かと思っていたけど、これほど宗教色の強い映画だったとは。 ハッキリと顔を見せず、佇まいで表現されたイエスがとても神々しい。ユダに水を飲ませたあと、ローマ兵の前にスッと立つ後ろ姿。物語後半、群衆の中で丘の上に立つ姿。あんな遠景なのにどれがイエスかハッキリ解る撮り方。神の子の表現としてこれ以上無いくらいの表現方法に思う。 奴隷となり神の子キリストから水をもらうユダ。ローマ司令官アリウスから水をもらい養子になるユダ。磔にされるキリストに水を与えるユダ。キリストの血が雨とともに流れ、母と妹の病を治す。他にあったかな、誰かに水を与えることが物語の転機になってるみたいだ。 衣装とセットの豪華さ。当時の大作ってお金の掛かり具合が凄い。 海戦。特撮も陳腐にならない上手いバランスで撮れていたし、ガレー船の漕手の悲惨さも伝わる。 戦車戦。4頭の白馬と4頭の黒馬が並んで走る姿は映画とは思えない迫力…変な書き方だけど、スタントの安全性はもちろん、32本の馬の脚がどこかで絡んでしまわないか、心配になる。こんなナマの映像は今後絶対撮れないと思う。 あと最初のMGMのライオンが動かないの。初めて観た気がする。[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-06-20 13:56:09)(良:1票) 《改行有》

83.  スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 《ネタバレ》 ~Return of the Jedi~ジェダイの帰還。帰還になって結構経つけど、当初は英題も~Revenge of the Jedi~だったそうで、公開時の“ジェダイの復讐”の印象が今でも強い。 帝国の逆襲の続きを、いつ観られるのか解らない穴埋めに、ケイブンシャのSW大百科を買って読んでたっけ。タトゥイーンに出てくるエイリアンや、イウォークの個体名とか、どうでも良い知識は増えたと思う。 それから数年後、初見はテレビだったか、友達にビデオを借りたのか、ちょっと覚えてない。 初登場時はほぼ白い球体だったデス・スターが、不気味な青みがかったグレーに。建造中でスカスカなのが更にリアルで巨大感を感じさせた。 序盤のタトゥイーンからダークな感じ。ロボットの拷問。ランコアの生贄やカークーンの大穴。おぞましい容姿のエイリアンも多数登場。この前半から親子の戦いに続いていくと、ちょっと重たすぎる感じなので、ライトなイウォークを挟んだのかな。 ベイダーがルークの父親だというサプライズが大いに話題になったことから、レイアを双子の妹にしたのか。シリーズ化の時からレイア=妹が決まっていたなら、EP5でキスシーンは入れないと思うけど…そのレイアの衣装がスゴいインパクトで、後のドラクエの女戦士や踊り子に多大な影響を与えたと思う。魔法使いのようなローブを着た強そうなルーク。再びレイアとのターザンロープ。この時のルークの頼もしそうなこと。男として、ヒーローとしての成長と安心感が感じられる。 宇宙や雪原とまた違って、森の中を木を避けながら猛スピードで駆け抜けるスピーダーバイクは、SWシリーズらしい迫力と新しい魅力があった。そして今作の目玉の一つスカウト・ウォーカー。前作でもチラッと出てたけど、絶妙なバランスでユーモラスに2足歩行する姿を堪能できる。丸太のトラップで破壊される様子は当時の最高レベルの特撮技術。 イウォーク…う~ん。3部作の最後の方に来て、急に子供向けにシフトしたようで、あまり好ましい展開ではなかったな。当時はE.T.が流行ったこともあり、ルーカスもフレンドリーで可愛い架空の生物を出したかったのか。だけど見た目がそれほど可愛いとも思えなかったし、デス・スター内ではルークとベイダー、皇帝が、3人とも黒い服着てダークな雰囲気で問答してるのと対照的に、緊張感が薄れるというか。グライダーのようなもので石を落とすとか、今までの世界観をぶち壊しかねなかったと思う。SWで出すべきキャラクターじゃあない気がする。 戦艦の間を縫うように飛び交う戦闘機の戦いは素晴らしかった。デス・スター突入も、今回は細い通路上の内部に入っての攻撃。コアを破壊したファルコンが炎に巻かれながらの脱出は手に汗握る迫力。 戦いに勝って、エンドアでの祝いの宴。サントラで聞いたイウォークの陽気な音楽。当時は“これで終わったんだなぁ”って、3部作の最後を彩る満足感があった。ルークを見守るオビワン、ヨーダ、それと…。左の人が誰か解らず、しばらくオーウェン叔父さんだと思っていたよ。だって髪があるから。後々アナキンだと教えてもらって、これぞ大団円、あぁ良かったなぁって思えた。[ビデオ(字幕)] 8点(2021-09-18 18:03:58)(良:1票) 《改行有》

84.  ゾンビ/ディレクターズカット完全版 《ネタバレ》 ~DAWN OF THE DEAD~死人の夜明け訳が一般的。“ザ・デッド”の始まり、兆し。ゾンビ=リビング・デッドにわざわざ“リビング”を付ける必要もないくらいゾンビが溢れる世界。新型コロナウイルスにわざわざ“新型ウイルス”って付けない感覚。または人間という種の“死”の始まり。 鑑賞環境の選択項目に『店先』って無いのね。…そりゃ無いか。 当時小学4年生、夏祭りの昼間に、友達3人とクーラーの効いたそうご電器へ。AV家電コーナーで垂れ流されてた映画を見た友人(ホラー平気)が「あ、ゾンビだ」と見出した。きっとビデオかLDの展示だと思う。まだホラー耐性の無い頃だったけど、見栄張って「全然怖くないね」と言いながら見続けた。 「この人殺されるんだよ」とかイチイチ教えてくれる友人は、鬱陶しいというより怖いシーンへの心構えが出来た。 思ったほど怖いシーンもなく、ショッピングセンターで好き勝手する主人公たちにワクワクしたし、彼らの安息をぶち壊した暴走族に怒りを覚えた。そしてゾンビの捕食シーンが怖く、友人は「あれ豚の内臓だよ」とか教えてくれたが、そんな裏事情より、いつかノロノロ歩くゾンビに襲われたらどうしようと、しばらく怖かった。片足の神父さんの記憶があるから、追い出されもせずほぼ全視聴したんだな。緩やかな時代だ。 中学に入り、ビデオをダビングしたものを擦り切れるくらい見た。最近DVDも買った。 私が見てたのは、オープニングからゴブリンの印象的なテーマソングが流れる米国劇場公開版だったようだ。今回見たBSのディレクターズ・カット版とは、音楽の入り方が微妙に違う。ダリオ・アルジェント監修版は、もしかしたら見たこと無いかもしれない。 赤いゴツゴツした不気味な壁から始まるオープニング。心臓の音のような不気味な音楽。説明もなくガヤガヤした現場。役に立たないテロップ、少ない情報、受け入れられない専門家の話、仕事を投げ出すスタッフ、不満を見せながらも働くスタッフ。同僚の「our responsibilities finish(俺たちの責任は果たしたよ)」で終わる音楽…DC版より米国版が最高。このドキュメンタリータッチな臨場感がたまらない。 場面は変わりSWAT指揮官の「your responsibilities!(お前たちの責任だぞ)」に続く。責任。ゾンビが街をウロウロしてる現状、仕事なんかしてる場合じゃない。誰の責任とか言ってる場合じゃないなのに、人間は争いと収束行為を続ける。 牧草地の州軍とハンターの場面も秀逸。記録映画のような撮り方。あの歌、誰のなんて曲だろう?DVDを見出すと、OPとここは何度もリピートしてしまう。 給油所でゾンビに襲われるスティーブン達。「逃げろ!」と言われても逃げないフラン。逃げられない、助けられない、助けを呼べない、叫べない。ただ、ゾンビと格闘するスティーブンと、自分に向かってくるゾンビを交互に見ることしか出来ない、この何も出来ない感が凄い上手い。この世界のゾンビが唸ってノロノロ歩くから出来たシーン。ゾンビに叫ばれて走られたら、こちらも走るし、叫んでしまう。この違い、この見事な世界観。 ショッピングセンターのゾンビを一掃後、悲しげな音楽が流れる。あちこちに散乱する動かないゾンビ。こうなっては人間の死体と変わらない死体の山。言葉が出ない主人公たち。ゾンビを建物外に棄てるのではなく、冷蔵庫に埋葬する心境。 一生観続ける映画なので、続きはまた、そのうち[ビデオ(字幕)] 10点(2021-02-14 14:19:28)(良:1票) 《改行有》

85.  M:I-2 《ネタバレ》 今回M:Iシリーズを一気観しようと思ったけど、どうしてもこの2は観る気が起きなくて。これほど、私が望んだものと、出来上がった作品に乖離があった作品も珍しいかも。 そもそも当時の多くの映画は、売れたら続編を制作するもので、今ほど続編制作やシリーズ化を前提にした作品は少なかったと思う。だけど“その作品が何故売れたか?”“どこがウケてヒットしたか?”はしっかり検証した上で、続編は制作されるものだと思う。 映画公開直前、トムとジョン・ウーが来日して、特にトムがハイテンションで、この作品の満足感を全身で表現していたのが記憶に残っている。あの名作の続編なんだし、きっと面白いに違いない。そう思って劇場に行きましたよ。 飛行機墜落からロック・クライミングまでは期待通りのものを観せてもらえたけど、大袈裟な指令内容の受け渡し、サングラス投げてから爆発のタイミングの格好良さで、ちょっと嫌な予感。こんな映画だったっけ? 普段は冗談も言うけど腕は確か。冷静な判断力で逆境を乗り越えるイーサン・ハント。だけど今作では余裕がありすぎて緊張感が感じられない。ヤバい状況でもヘラヘラしてる感じで緊張感なし。ロン毛になったのも影響して、前作で追い詰められた表情をしていたイーサンと同じ人物に思えない。 車が有り得ない軌道でクルクル回ったり、白い鳩が主人公を横切って飛んだり、宙を舞うほどの勢いのバイクから空中衝突したり、ジョン・ウー監督のカラーが出すぎてて受け付けなかった。前作に満足した人は、今作のような超人アクションが観たかったわけではないハズだ。 前作のどういう所がウケて大ヒットしたのか、リサーチした結果がコレなのか? トム様「カッコいい俺を観て!」ウー様「ど派手な俺のアクション映画を観て!」わかった、わかった。 わかったからこういうのは、ミッション・インポッシブルではなく、他の作品でやってほしかったわ。[映画館(字幕)] 3点(2022-04-10 21:57:39)(良:1票) 《改行有》

86.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 オープニングの油絵のような白樺林とベタ塗りの空。 小さい頃に連れて行ってもらった老舗デパートの渡り廊下の壁か、親戚の集まりで一度だけ行った大型温泉ホテルのロビーか… ラーラのテーマを聞きながらエンドレスで観てられるわ。 葬列シーンの山でかっっ!!あれがウラル山脈(違うらしい)?山吹色の花と灰緑色の草、地表を覆い尽くす雪と氷、ガラスの雪の結晶、タマネギみたいな屋根、赤と黒の装甲列車。どっからどう観てもイメージ通りなソ連、ソ連、ソ連!(※世代的にロシアよりソ連。) 現地ロケをせずにこれだけソ連感を出せるのが凄い。広大な自然を堪能出来て、ソ連版『北の国から』な感じも味わえる。 兵役に行くパーシャの服を引っ張る赤ちゃん。ハラリと落ちるテーブルの花びら。歴史的超大作となると端々まで役を演じるんだな。 タイトルは~Doctor Zhivago~ジバゴ先生。 平たく言えば、全く詩を書かない詩人ユーリと美少女ラーラの不倫物語だけど、ちょっとコマロフスキーに注目したい。 コマロフスキーは半分冗談で17歳の小娘ラーラにベールを掛ける。 なんかあまりに美しかったんでヤバいと思ったんだろう。この時の苦笑いが彼の良い人っぽさを出していた。 パーティの日、母が風邪を引き、コマロフスキーは『欠席しよう』と、ラーラは『看病する』と言うが、母の強い頼みで二人で行くことになった。 当初コマロフスキーにそんな気はなかったんだろう。帰りの馬車でコマロフスキーの顔にチラチラと掛かる怪しい影。対象的にラーラの顔はハッキリ灯りが。 ユーリは戦地でラーラと過ごし、不倫関係を持ちかける。この時ユーリの顔に掛かる怪しい影。目だけギラギラ。ラーラの顔には日が当たっている。 ただの不倫と言えばそれまでだけど、コマロフスキーもユーリも、ラーラの天性の魔性に取り憑かれたんだと思う。もちろん彼女の美しさに罪はない。 ユーリとラーラ親子を逃がそうとするコマロフスキー。逃げなかったユーリの代わりに、生涯父親としてトーニャを育てた。良い人すぎるぞコマロフスキー。 機会がなかっただけで、エフグラフ・ジバゴ将軍も彼女に取り憑かれてトーニャ探しに協力した。『淡い恋心』と言っていたけど… ん?ユーリの妻も、ユーリとラーラの娘も、どっちもトーニャなんだな。好きな人の奥さんの名前つけたんだな。 唯一ラーラを妻にしたパーシャはどうだったか?彼はラーラより、ボリシェヴィキに取り憑かれていた。 ところでユリアティンの男どもが、なんであんな美女を放っておくか謎だったけど、たぶんパーシャを捕まえるために家を見張っていた(当時の)KGBとかが、追い返してたんだろう。 魔性の女ラーラは強制収容所で死んだ。番号で処理され、記録は紛失。ユーリの美しい詩も、ソ連では発売禁止。 社会主義国家に女性の美しさや、詩の美しさは不必要なんだろう。まさにパーシャ≠ストレルニコフそのものだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-04-12 23:07:00)(良:1票) 《改行有》

87.  バンビ、ゴジラに会う 《ネタバレ》 なんか私もレビューしたくなったので… そもそもの邦訳が“会う”だし、“バンビ対ゴジラ”だったりしたみたいだし、意味がよく解らないと思う。 ~Bambi Meets Godzilla~バンビ、ゴジラに出逢う。 タイトル崩すと~B Meets G~に出来る。  ~Boy Meets Girl~少年、少女に出逢う。からタイトルとネタ持ってきたのかも? 少年が、少女に出逢って、恋に落ちたり冒険したり、物語が動いてゆく類型のことなんだけど、 主人公が少年でなくバンビで、相手が少女でなくゴジラだと、その後の展開も無く踏まれて終わり。ってお話だねぇきっと。 最後ゴジラの足が進んでいくことなく、鋭利な爪が力なくフニュウ~ってなる。なぜならここで全ての物語が終わったから。 映画としてみたら、ゴジラ登場のインパクトだけでなく、残りの上映時間どうしてくれるんだ?って余韻で、二段オチなのかも。 1分半の映画のレビュー書くのに9分も掛かったよ…[インターネット(字幕)] 5点(2021-08-12 14:32:07)(良:1票) 《改行有》

88.  許されざる者(1992) 《ネタバレ》 ~Unforgiven~許されていない。 実際に顔を傷付けられたのはデライラだが、償いの馬を受け取るのは主人のスキニーだ。もちろんデライラが声高に復讐を望んだわけではない。無関係のデイビーは罪滅ぼしに名馬を渡そうとしていたし、デライラもそこまで怨んではいなかったと思う。だけど復讐の対象は2人共だ。罪を償ったのに、なぜこの2人は、特にデイビーまで許されなかったのか。 実際の事件から尾ひれがついて、娼婦はアチコチ切り刻まれたことになっていて、悪逆非道のカウボーイに怒りを覚えるマニー。 子供のために金が必要なマニーは、実際の(そこまで重症ではない)デライラを見ても疑問をぶつけない。もう金のためにカウボーイを殺すことに決めている。 過去の罪の許しを請うマニー。死を怖がり、死の国と妻の悪夢にうなされていることをネッドに告白する。非道の限りを尽くしてきたマニーは、妻との生活で改心したが、その妻とは死別、酒も女もやらず、人里離れて真面目な農夫をしているが、悪夢は彼を許していない。 マニーは一見無関係の酒場の主人スキニーを撃ち殺す。 友人の死体を店先で見世物にすることは許されることではない。例えスキニーが銃を持っていなくても。 何が罪なのか、誰が罰を与えるのか、どんな罰を受ければ罪は許されるのか。色々と考えさせられる映画だ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-02-13 21:08:00)(良:1票) 《改行有》

89.  サムライ(1967) 《ネタバレ》 とにかく黙って立ってるだけでカッコいい。油絵のような背景と相まって何ともアランとしててドロンとなる。 武士道から一文を引用しているのに、何故タイトルは侍にしたのかな。 コステロの殺し屋としての腕前がどれ程かは、作中だけではちょっと解りかねるが、凄腕なんだろう。 ゴツい鍵束を持ち歩いて車を盗むコステロ…アレはやはり、車の修理屋から借りるんだろうかね?当時のシトロエンは今の日本ではプリウスみたいにどこにでもあった車らしい。あのオヤジは表向きはシトロエン専門の修理屋で、裏で殺しの仲介していると。で、直すついでに合鍵を作ってたのかな?それかシトロエンの鍵パターンが全部であれしか無いとか?フランス人は合理的だって言うし… 暗殺後を目撃されたコステロ。そりゃ、サイレンサーも付けない銃で撃っちゃ… その後盗んだ車を捨ててタクシー移動。でもアリバイは作ってても暗殺時の格好のままアッサリ捕まり思いっきり怪しまれるコステロ。 適当に捨てた血の付いた紙袋も警察の手に渡り、部屋に盗聴器まで付けられるコステロ。 その盗聴器を泳がしておかずスイッチ切っちゃうコステロ。 メトロで尾行されて走って逃げるコステロ…そうこの時のガムのお姉さんがやたらと格好良かった。 今のパリのメトロに居ても全然違和感無いくらい美しい。 修理屋のオヤジから『これが最後だ』と言われたコステロ…単に拳銃はもう無いという意味か、危なっかしいコステロの今後を心配してくれたのか? コステロの実力が見えてきたところで、彼は自分を殺そうとした依頼人を殺す。最後の依頼は依頼人本人の愛人であり、依頼人を守るために嘘の証言までした目撃者のヴァレリー殺し。足がつかないように殺し屋の自分だけでなく、愛人まで殺そうとする依頼人。 武士道とは死ぬことと見つけたり。凄腕の殺し屋がミスをしてから、自分の死に場所を見つけるまでの物語か。[CS・衛星(字幕)] 5点(2021-01-26 01:57:30)(良:1票) 《改行有》

90.  勝手にしやがれ 《ネタバレ》 ~À bout de souffle~息が続かない、息切れ。内容と結びつきにくいタイトルだ。 車を盗んで白バイに追われ、警官を撃ってしまうミシェル。セフレから金を盗み、元カノの部屋に勝手に入ってイチャイチャ。 何とも場当たり的でいい加減な主人公だ。でもこういう男はモテる。…まぁ映画を見てない女性にミシェルのマネをしても、ウザがられるだけだろうけど。 仕事に勉強に頑張ってるインテリっぽいパトリシアと、ヤりたい感アリアリな、ちょっと幼稚なミシェル。会話も噛み合ってるんだかズレてるんだか。 パトリシアとのイチャラブが延々と続き、見ていてなんかもう勝手にしろよ…って気持ちを邦題にしたんだろうか? だけどカメラワークや音楽の入り方は印象的で美しく、ミシェルの見せ方は格好良く、パトリシアの仕草は可愛いのだ。 パトリシアがエスカレーターに乗るシーンがやけに心に残ってる。何でかはわからないけど。 そうそう、灰皿あるんだから、使えよ。 タイトルは知っていた。ヌーベルバーグも何となく知っていたが、作品自体観るのは今回初めて。どんなレビューを書けば良いのか難しい作品だった。 映画を料理に例えると、この映画は料理全体の完成度より、使われた調味料の新しさが話題になったのかもしれない。 胡椒、ターメリック、マヨネーズ、パクチー…後年どの家庭にもある調味料。 今ではもう当たり前に口にしている味なので衝撃は受けないけど、最初に世の中に登場した時は凄かったんだろうな…なんて。 そんな感じで観たけど、万が一こういうのが映画の主流になっていたら、私は映画について行かなかったかも。 イメージビデオっぽくもあって、間接照明の部屋とかで垂れ流してたらお洒落そう。[CS・衛星(字幕)] 5点(2021-03-06 23:58:55)(良:1票) 《改行有》

91.  ゴッドファーザー 《ネタバレ》 高校に入りレンタルビデオで借りたが、テープが古くワカメになっていて見られなかった。古い映画でそれ一本しか在庫がなく、返金は受けたけど、見るのは諦めた。そんな過去があり、今回が初見。 ~The Godfather~名付け親とか後見人って意味もあるようだ。 偉大なるゴッドファーザー、ドン・コルレオーネがずっと主人公かと思いきや、割と早くにマイケルの物語になる。カタギの生活をしていたチャラくて大人しそうなマイケルが、自分の意思でファミリーの為、ビジネスの為に手を汚していく様が壮絶。 病院の入口でパン屋と見張りのフリをする。ガクブルのパン屋だけでなく、マイケルも怖かっただろう。そんな、一般人感覚のマイケルが、知恵と勇気でマフィア界で生きていく物語かと思いきや、それもちょっと違う。 シチリア島から帰ってからのマイケルの目が凄い。ヴィトーの、厳しくも慈愛が感じられる表情と違い、冗談や言い訳なんて通じっこない冷たい表情、心の裏側まで見られてるような、感情を感じさせない渇いた目。コニーの結婚式で軍服を着ていた時と全然別人のようだ。 殺しの相手は取引先、ミスをした身内、裏切った身内…見知った人を殺す決断をするというのは、どういう気分なんだろうか。突然殺される身内の驚いた表情。これから殺されるのが解ったテシオの「昔のよしみだ、見逃してくれないか?」何とも切ない。そんな世界。 コニーにカルロの事を問い詰められ、ケイからは本当はどうなのか尋ねられるマイケル。ドン・コルレオーネは表情を崩すことなく「ノー」と言う。嘘だってわかるけど、ホッとするケイ。あの空気から開放されてこっちまでホッとした。[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-01-29 14:47:10)(良:1票) 《改行有》

92.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 初見、淡々と映画を見て「ふぅぅん。大林監督の、当時の角川アイドル映画だね」と、それ以上広がらない感想を持った。 角川春樹が原田知世に“この映画をプレゼントして芸能界を引退させたい”という想い。大林宣彦の“プライベート・フィルムとして好きにやりたい”という想いが、筒井康隆の原作(未読だからどれだけ弄ったか解らないけど)と、上手い具合にマリアージュしていた…って事は、後から調べて解ったこと。 …こういう話がパンフレットを買わなくても、検索すれば誰でも見られるんだから、便利な世の中だわ。 そのへんを踏まえて再視聴。土曜日の実験室。深町くんが芳山和子の記憶を消して、未来に帰る話をしている。 引退するアイドルのプライベートフィルムとしてみると、芳山くんを角川春樹(&原田知世のファン)。深町くんを引退する原田知世。そこには出てこない吾郎ちゃんを渡辺典子辺り(本来、事務所としてプッシュしなきゃいけないアイドル)として観ると、二人の会話からして、まぁ面白い。 芳山(角川)と吾郎(角川アイドル)が積み重ねてきた記憶(映画の主演ワク)を、訳あって深町(原田)がちょっとお借りして、お互いに好きになってしまった。 時をかける少女は、原田知世主演だから出来た映画。彼女でなければ、このワクは他のアイドルの違う原作の映画になっていただろう。 数年後のある日、偶然に再会する二人。深町(原田=一般人)は相手が芳山(角川=業界人)だと気づくが、芳山は気が付かない。あれ?どこかで…ってなるけど、別々の方向に歩き出す。引退から数年後、角川は原田とこんな再会が出来れば幸せかな?と思ったんだろう。 そこからあの楽しいエンディング。 「あなた わたしのもとから♪」主題歌(の歌詞)もベストマッチ。この映画と原田知世への愛が溢れた素晴らしいエンディング。 こんな映画が撮れるのは、大林監督だけだと思う。 モノクロとカラーの合成、アニメーションと実写の融合、コマ撮り、興味がある斬新な技術はどんどん入れてくる姿勢。大学の映研が楽しんで作った、とても出来の良い自主制作映画みたい。 ハリウッドのSF大作なんてお金無いから作れないけど、大林監督の技法なら頑張れば出来そうだ。 「あれシクラメンぽいけど、ラベンダーって言えばラベンダーに見えるんだ!(※調べたら造花でした)」 どう撮るかは工夫次第。そう思って映画制作を諦めなかった、未来の映画監督のタマゴも多かったんじゃないかな? でも数年後の老夫婦の会話に、そこそこの時間を割いているところとかが、やっぱり素人とプロの違い、本物の監督のハードルの高さを魅せてくれている。素晴らしい監督だ。[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-06-05 12:33:08)(良:1票) 《改行有》

93.  バトル・ロワイアル 特別編 《ネタバレ》 ~『バトル・ロワイアル』のつづき~ この時のたけしはまだ若くギラギラしていて、出てくるだけで存在感が凄い。原作はあくまで生徒たちが主役で、教師はここまで物語に絡んでこなかったと思う(途中までしか読んでない)けど、映画では主役級の役割を持って登場している。 まるでセリフを喋るように、感情的に話す生徒たち(もちろん演技指導で)と違い、普段の話し方の北野武がまた怖い。桐山役の安藤政信が自らセリフを一切排除した理由も、もしかしたら邦画のセリフっぽいわざとらしさが嫌いだったのかもしれない。 キタノが自分を殺させようとする中川に掛ける言葉「中川、頑張れ」が、自殺した七原の父が書いた「秋也ガンバレ!!」とオーバーラップ(※このキタノのセリフのシーンに、七原の父のシーンを流してしまう親切さが余計。だけど同世代の子供に観せたいという意図があったろうから、敢えてだろうけど)する。 自分が死ぬ。となった時、当然生きるよう努力すると思う。それが無理だと悟った時、冷静であれば、生きられない自分の代わりに、特定の誰かに何かを託したくなるのかもしれない。クサイ話だけど、生きた証を誰かに託す行為。 子供たちも、42人のうち41人が死ぬルールから、自分が生きる可能性が限りなく低いなか、僅か15年の人生の知恵を絞り、生きる努力、生きない決断を自分で選んでいく。子供たちの死に様をみせる映画から見えてくる、子供たちの3日間の生き様。 GPSを持った杉村が、片思いの琴弾に好きだと伝えたくて奔走する。誤って自分を撃った琴弾に「逃げろ」という気持ち。好きな子に気持ちを伝えることに残りの命を使う気持ち。そんな事ができる子供たちだから見えてくる、どこかに忖度のない、残りの人生の使い方。彼らより長いこれからの人生を私がどう生きるか、とても考えさせられた。 最後に「走れ。」とメッセージ。詰め込み過ぎと言うか自己満足と言うか、邦画らしいダサさがまだ残ってる。 今回買ったDVDが特別篇と書いてあって、追加シーンがあるんだそうだ。観たのもう20年近く前だし、公開版とどこが違うのか、調べないと解らなかったけど、物語に深みを持たせる回想シーンとかが追加されているようだ。殺し合い中の他の生徒の動きとかは特に追加がなかったのは残念だけど、バスケのシーンも相馬の過去も、悪くなかったと思う。 当時あれだけセンセーショナルだったこの作品だけど、今だったら数あるシチュエーションの一つに過ぎない。この作品以降、必然性もなく人の命を使った、殺人ゲーム的な作品がたくさん出てきた。多くの作品が『私だったら“このゲームを”どう生き残るか?』って、今置かれている理不尽な状況からの生還を考える程度に過ぎない。 「人生はゲームです」今置かれている特異な状況だけに収まらず、これまでの生き様まで踏み込んだこの作品は、先駆者にして稀有な存在に思える。[DVD(邦画)] 8点(2022-01-16 16:05:04)(良:1票) 《改行有》

94.  飢餓海峡 《ネタバレ》 W106方式という撮影技法のためか、映像が荒く製作年よりも古い作品に見える。 この方式の影響か解らないけど、軽快で躍動感があるカメラワークが面白い。 トラックが到着して、そこから警官隊がワラワラ降りてきて、そのまま舟に乗り込んで出港までを勢いよく撮り流す。 東京の下町の人混み。そこで客引きをして働く八重。警官が捕物を始め、逃げるタチンボ達。柱に隠れてやり過ごす八重。飲み屋街に逃げる頃にはカメラは屋根の上。後ろを振り返りながら逃げる八重、ゴミゴミした飲み屋街…ここまでワンカット。 こんななめらかに動きのある映像、当時どうやって撮ったんだろう? イタコの話は訛りが強くてよく解らないけど「(三途の川を渡ってしまえば)我が戻る道は一筋もござらい」のように言っている。八重のマネ「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」。イタコを知らない多吉は、その言葉を自分の運命と重ねたんだろう。多吉にとって津軽海峡が三途の川。 共犯の二人は多吉が殺したんだと思う。 帰り際「今度いつ来るの?」と言う八重、戻る道がない多吉。お代の50円とは別に渡した34,000円は、殺した二人への供養の意味もあったと思う。犯した罪を善行で償おうとしたんだろう。その後も善行を重ね続ける。臆病だから罪を認める勇気もない。 樽見と名を変え、自分なりに罪を償って、余生を過ごしていたところに八重が来る。この時の樽見の落ち着き具合は、見ていて多吉とは別人じゃないかと錯覚させる。忘れたい過去の自分を10年も探していた女。衝動的な殺人。 10年前の自供は、もしものときのために前々から用意していた筋書きだろう。 何とか助かる道を模索する樽見に弓坂が見せる舟の灰。善行で罪を償ったつもりでいた自分を、10年も追ってきた人間がここにもいた。 「戻る道無いぞ~、帰る道無いぞ~」 八重殺しを自供することも、隠し通すこともしない、出来ない。 現世でも地獄でもない三途の川、津軽海峡に身を投げる多吉。臆病な善人らしい最後かもしれない。[CS・衛星(邦画)] 9点(2021-05-28 11:13:29)(良:1票) 《改行有》

95.  ミンボーの女 《ネタバレ》 これもまた凄い映画です。今までの伊丹監督の映画にもヤクザは出てきましたが、本作は伊丹版ヤクザ映画でしょうか? 昭和の時代、芸能界とヤクザは切っても切れない関係だったと聞きます。だからかどうか解りませんが、ヤクザ映画は邦画の一大ジャンルを占め、そこに登場するヤクザは、入れ墨してて怖いんだけど、男気があってカッコイイ主人公が多いんですよね。ある意味、ヤクザのイメージアップに貢献していたんじゃないでしょうか。鶴田浩二や高倉健、菅原文太に憧れて、その道に足を踏み込んだ若者も、少なくなかったことでしょう。 一方、本作のヤクザは弱いものから金を巻き上げる、怖くて悪いだけのヤクザです。しかも人を騙し、弱みを握って、罠に嵌めて、恫喝して金を巻き上げる、手口も汚いし、お世辞にもカッコイイとは思えないヤクザです。ヤクザ映画と伊丹映画。実際に私達の周りにいるヤクザって、どっちなんでしょうかね? 怖いヤクザの化けの皮を一枚一枚剥がし、恫喝は出来ても、そう簡単に暴力は振るえないヤクザの実態を丸裸にしてみせます。映画を観る私達も、セキュリティ対策の鈴木と若杉のように、まひるから対策を学び、「もうヤクザなんて怖くない!」とまで思わせる力量は見事です。集団でホテルに来たヤクザの一団を、鈴木がホテルマンたちの先頭に立って、涼しい顔で撃退するシーンは本当にスカッとします。 伊丹監督が、ヤクザを敵に回す覚悟があって本作を制作したのかは疑問です。脱税、宗教団体&地上げ屋ときて、今度はヤクザの実態を暴くハウトゥを映画にしてみようか…。なんて具合に、単に娯楽としてスタートした可能性は否定できないですよね。 前作『あげまん』が思いのほか公開後の評判が良くなかったためか、本作は伊丹監督らしいスタンダードな仕上がりとなっています。 ただ当時は、こんなにクオリティ高いのに、マルサと同じようなジャンルが続いてしまい、“伊丹監督ってこういうのしか面白く撮れないのかな”なんて、マンネリ感を感じてしまっていたように思います。今思うと贅沢な考えですよね。 公開直後の伊丹監督襲撃事件は、却って監督を本気にさせてしまったのかもしれません。いわば襲撃も、映画を見た観客のレスポンスの一つ。自分が暴こうとした真相に近づいた証拠!くらいに思っていたのかな?なんて。 今となっては真相は解りませんが、映画業界が持ち上げたヤクザのイメージを、地の底に突き落とす力を持った映画なのは、間違いありません。[地上波(邦画)] 8点(2024-06-18 22:18:56)(良:1票) 《改行有》

96.  アラビアのロレンス 完全版 《ネタバレ》 ロレンスの葬儀、語る人それぞれで一致しない人物像。スエズ運河の対岸でバイクの男が問い掛ける「お前は何者だ!?」 イギリス人でありながら、エル・オレンスという名を与えられ、1人だけの部族としてトーブに身を包む。カメラを向けられるとヒラリと舞ってみせる。自分のやることがほぼ上手く行って、神か英雄の気分だろうか、相当なナルシストなんだろう。 ガシムを処刑し流砂でダウドを死なせたことを「楽しんだ」と告白してしまう。アカバから休まる暇が無かったためもあるけど、この時すでにかなり精神的に追い詰められていたから出た発言に思える。オスマン帝国軍に捕まり、自信喪失してアッサリ転属を願い出るところは、理想よりも恐ろしい現実を見せつけられたんだろう。かと思えばモトの任務にもアッサリ戻るところから、行動に一貫性がない。子供のような人物だ。 村の虐殺に感化され、感情のまま皆殺し命令を出したり、ダマスカスを占領したけど、アラブ民族会議をまとめられなかったり。カリスマ性はあっても、軍人としても政治家としても一流とは言えないロレンス。ダマスカス侵攻中、まだ熟れてない葡萄を口にしたロレンス。上手く機能しないアラブ民族会議にバラバラに散るアラブ部族。“もし実れば見事な果実だった”は、ロレンス自身のツメの甘さ、未熟さを表すかのようだ。アラブのためと言いつつ、自分が誰かに認められるための戦いだったように思える。結局、あれだけの活躍をしたのに、イギリスにもファイサルにも利用され、終いには砂漠に居場所がなく、すごすごと本国に帰るしか無いロレンスが寂しい。だけど未だに国家としてまとまっていないアラブ諸部族を考えると、ロレンスの能力に関わらず、西洋とは文化が違いすぎるために、イギリスやフランスがアラブを国家というワクにハメること自体が、そもそもの間違いなんだとしか思えない。 この映像凄い。これは音楽とマッチして、とっても良いシーンだな。…とか思ったところがそのまんまウィキに書かれていて、なんかリーン監督の思うツボって感じでちょっと悔しい。 マッチの火を吹き消すと画面に広がる曙色の朝焼け。蜃気楼から現れるアリ。砂漠のアカバ戦で役に立たない大砲とその先の海。夕暮れの海岸をラクダで進むロレンス。想像を超える砂漠の世界の美しさ。映画という文化が伝える自然のダイナミズム。おそらく誰が観ても圧倒される映像美。オリジナリティのない表現で悔しいけど、これが映画だ。とても長い映画だけど、しばらくするとまた観たくなる魅力がある。 コロナの影響はもちろん、中東の不安定な政局を考えると、今後しばらくは、本物のこの風景を安全に見ることは難しいかもしれない。生きているうちに一度は見てみたいな。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-09-09 00:52:02)(良:1票) 《改行有》

97.  雨に唄えば 《ネタバレ》 “SINGIN' IN THE RAIN”邦題まま。1929年にはこの楽曲はあったらしい。ライバル映画の『ジャズ・シンガー』が1927年だから、細かく言えば、ややフライング気味?ジーン・ケリーにドナルド・オコナー凄いですね。フレッド・アステアの流れるようなダンスに比べ、パワフルでスピーディ。人間離れした動きに圧倒されました。 コズモのソロ『奴らを笑わせろ』なんてまるでジャッキー・チェンのスタントアクションのよう。計算された動きが笑いに繋がる。 3人共演の『グッド・モーニング』息ピッタリの完璧な動きの影に猛特訓アリ。わずか3ヶ月ほどの練習でこのダンスしてるデビー・レイノルズも凄い。 どれも極力全身が映る(動きを隠すアップに逃げない)撮影で、ワンカットが結構長く、演者には笑顔が要求されるから、これは大変だ。 そしてこの映画のための曲と言える『雨に唄えば』は圧巻。水たまりを踏みつけ、激しく動きつつ、止まるところでピタッと止まる。雨の中上を向くドンの笑顔。たぶんスタジオで大雨を降らせながらも、ケリーの顔には極力水が掛からないよう(雨粒で顔が歪まないよう)工夫してるな。 時代背景がサイレントからトーキー映画に移行する時代。ライバル社は『ジャズ・シンガー』というトーキーのヒット作を作ってきた。 声が独特すぎるリナのように、サイレントでは名女優でも、時代を乗り越えるのが難しい女優もいる。 またキャシーのように舞台女優(たぶんだけど、嘘や見栄でなく売れない舞台女優なんだろう)の傍ら、サプライズダンサーで生活費を稼ぐ女優もいる。 新しい時代は雨のように苦難をもたらすけど、捉えようによっては雨すら楽しく出来る。どんな逆境だってチャンスにすることは出来る。 そんな、観ていて明るくなれる楽しい映画です。[DVD(字幕)] 8点(2023-09-05 15:43:47)(良:1票) 《改行有》

98.  北北西に進路を取れ 《ネタバレ》 ~North by Northwest~…北北西じゃないんだよ。北の大都市ニューヨークからイリノイ州、サウスダコタ州と、どんどん北西へ移動しているので、『北部から北西部に向かって移動しますよ。』的な?ノースウエスト航空がスポンサーだから説は面白い。 オープニングの緑バックと白線がビルに変わる画。国連ビルから逃げるロジャーをビルの上から撮る画。だだっ広い農道で帽子の男と向かい合うロジャー。印象的なカットが結構ある。 ちょっとしか出てこないロジャーのお母さん。50ドルのお小遣いでホテルの鍵を取りに行くとことか、殺し屋相手にエレベーター中を笑いに包むなんて素敵だ。再び殺し屋が来た時、お母さんが使った“笑いを起こして目立てば逃げられる”を、オークション会場で実践するのも親子らしくて良い。このお母さんの活躍をもっと見たかった。 旅のさなかに出会う美女ケンドールの大人の落ち着き。特にマッチの火に手を添えるところがセクシー。 最後の舞台がラシュモア山、観光地ものの2時間サスペンスっぽい。今回久しぶりに見て、こんなにラシュモア山のシーン長かったっけ?って思った。 この映画で観光地としての魅力は出し切った感があるせいか、ラシュモア山が舞台の映画はしばらく無かったと思う。 落ちそうなケンドールの手を掴むロジャーの唸り声が、急に優しい声と笑顔に変わるエンディングが印象深くて好き。[地上波(吹替)] 7点(2021-06-24 23:13:20)(良:1票) 《改行有》

99.  男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花<特別篇> 《ネタバレ》 シリーズ49作目…と呼ぶのは、どうかなぁと思ってしまう内容でした。 25作目が丸々入って、前と後ろに追加映像が入ってます。観る前に“CGの寅さんが出る”と知っていたので、ポリゴンでカックカクの寅が出てくるのかな?…なんて、ちょっと過度な期待をしてしまいました。 作品内容は25作目そのまんまなので、内容のレビューは『~寅次郎ハイビスカスの花~』をご覧頂くとして、南国の楽園な雰囲気が、まだ記憶に新しい『紅の花』と結構カブってます。しかしまた、どうして48作品の中から『ハイビスカス』が選ばれたんでしょう? その答えは、舞台が沖縄だったから。ってのは、どうでしょうか? 本作公開の2年前、沖縄で米兵による痛ましい事件が起きました。ここ最近の寅さんは、就職難だったり震災ボランティアだったりと、時代とリンクした話題にも触れるようになっていたので、この当時もし寅が元気だったら、沖縄を励ましに行っていたんじゃないか?なんて思ったりもします。 そして本作公開の3年後には沖縄サミットが控えていて、 守礼門が描かれた2000円札も発行されました。この作品の前後、日本中から沖縄が注目されていたんですね。…それと“寅は最後、沖縄でハブに噛まれて死んでしまう”ってTV版最終回ネタにも引っ掛けてるのかもしれません。ハイ単なる妄想です。 まぁ何にせよ、コレを49作目と呼ぶのは抵抗を感じます。あと金儲けの匂いも感じてしまいます。当時各家庭にはビデオデッキが普及していたし、過去を振り返りたければレンタルとかで幾らでも観られたんです。あの程度の追加映像を前面に出してお金取ろうなんて、駄目だと思います。 あくまでシリーズ25作目の<特別篇>ですよ。という立ち位置を明言して、入場無料か、せいぜい特別料金1000円とかで公開してほしかったです。[CS・衛星(邦画)] 3点(2024-04-24 22:33:56)(良:1票) 《改行有》

100.  ウエストワールド 《ネタバレ》 実際には行けない世界を体験したい。人に銃を撃ちたい。綺麗な女を抱きたい。その世界のヒーローになり、しかも安全に楽しみたい。人間のワガママな欲求を満たす、大人のアミューズメントパークが舞台だ。保安官になる男が現代のメガネそのままとか、客側のルールは案外ゆるい。 ウエスタンでは本物の銃が使える。中世と古代ローマは本物の剣だけど、どんな安全装置だろう?第二次大戦などの戦場が無いのは、アメリカが戦争ばかりしてたからだろうか。 撃たれたロボットは血が流れて死ぬが、死んだロボットはデロスの係員が回収。西部の街にワゴン車が来て回収する姿は、リアルと言うかシュールと言うか。 ロボットはセンサーによる死んだフリではなく、本当に死ぬ=故障するんだろう、修理をするが騙し騙しの修理なのがリアルで、まるで赤字続きの鉄道会社のようだ。それが最近、中央ユニットの故障が連続発生するのは、新型コロナの感染のように未知で、人間が作ったものに関わらず、後手後手対応になるのがリアル。しかしヘビや馬やニワトリまでもロボットでは、コストが掛かりすぎるだろうとは思う。 ユル・ブリンナー扮するガンマンが三度も登場するのは、安全だから笑える展開だけど、故障中ならそりゃ怖い。自分の安全を保証する管理室が全滅している絶望感は見事。目が銀色に光るガンマンは追跡を楽しんでいるようにも思える。感熱センサーを使っての無言の追跡、しつこさは、後のターミネーターやプレデター他、多くの作品に影響を与えたんだろう。 エンドロールは緑文字で、当時のコンピューターっぽさを出したのか?陽気なウエスタンミュージックからの不気味なギターは、ピーターの悪夢を再現しているようで見事。[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-03-13 09:33:30)(良:1票) 《改行有》


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