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性別 女性
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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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161.  この森で、天使はバスを降りた 《ネタバレ》 守れなかったお腹の子の代わりに、ジョニー・B(と呼ぶイーライ)を助けるために死んでしまうパーシー。つまり彼女の人生は、かいつまんでいうと、9歳から義父に性的虐待を受け、実母はかばってくれないどころか口止めされ、16歳で妊娠したが出産を嫌う義父の暴力で流産させられ、病院から連れ出されてまたしても義父にレイプされ、思い余って殺して5年服役したが上記の事情により死亡。という悲惨きわまりない人生。それでも町の人に希望を残したからいいじゃないか。イーライも帰ってきたし、ハナも明るくなったし?…いちおうパーシーだって人間なんですけど。ジョーだって子供を持たなくてもかまわないと言ってくれたし、パーシーだって人生の収支計算からいくと、これから多少なりとも明るい人生があってもいいじゃない。パーシーに対するこれでもかのサディスティックな取り扱いに「ミリオンダラー・ベイビー」と似たような視点を感じます。 最後に登場するのは子持ちのクレア。「子供がつくれないから結婚できない」とパーシーに言わせたり、子持ちのクレアを当選させたり、なんか「女は子供を産んでナンボ」という念仏にも似た響きが聞こえます。空耳? [DVD(字幕)] 6点(2006-09-02 23:56:40)(良:1票) 《改行有》

162.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 (プルートで朝食を+親切なクムジャさん)×ミュージカル=映画「嫌われ松子の一生」、と思う。 映像的には、「クムジャさん」に似たものを強く感じたし、「殺人→刑務所→出所」とか「美容師」、ってのもそのまんまだし(ただしテーマは全然違う)、「哲学的思考への恐るべき無関心」(ニール・ジョーダンがパトリックを評して)により、「悩むことなく幾多の困難をかいくぐる」ってとこは、松子という人は「プルート」のパトリックに酷似している。 よって、ミュージカルが苦手で「プルート」のパトリックに辛抱ならぬものを感じる私などは、全く楽しめない。どころか、ものすごい我慢を重ねてラストを迎えなければならなかったのだった(長い)。 エンディングの階段のとこはあれでいいと思うけどさ。でも遅れてると言われようが、基本的に私はこういうの受け付けられない。心の底から面白いという人だけが楽しんで見たらいい。 [DVD(邦画)] 2点(2007-06-26 21:25:59)(良:1票) 《改行有》

163.  ゴーン・ベイビー・ゴーン 《ネタバレ》 ドイル引退および郊外の一軒屋で妻と抱き合うのシーンを見たらば、ああ、アマンダはここにいるんだなあ、ということはわかってしまう。 なので、謎解きとしては食い足りないのだが、全体としてはなかなかの秀作に仕上がっているかと。 「2」という数字は何かとトラブルの種になるので困りもの。 「1」があったために、「2」を回避しようという動機が大きく働いてしまう場合は、特に困りもの。 私は「失敗」のことを言っているのだが、「1」がなければ、「2」は成立しなかったので、逆に言えば「1」が無かったと仮定したならば、パトリックは「同じ決断」をしただろうか、というと、それは不確定、むしろ逆だったかもしれない、と言えると思う。 「1」については完全に「失敗」だったので、あんなことをしておきながら刑務所を免れているという設定にも大きく無理があるのだなあ。 あの小児性愛者は放っておいてもアメリカの法律では一生刑務所から出てこられないのだから、殺すことはなかったのだし、彼には殺す権利もなかったのだし、あの処刑は衝動殺人以外のなにものでもない。たまたま銃を手に持っていて、たまたま「カッ」としてしまったから。それだけ。 他人がどう誉めてくれようと、「1」は完全なる間違い。 「パトリックの思う神様」は、それを許さないだろう。 …で彼はカトリックだと思われるので、そして「神様が許すかどうか」だけを気にしているので、こういう場合は教会に行って懺悔をするのが通常の展開のはずだがなぜだかそうはならないところもちょっとヘンである。 「1」の決断が間違いであったからこそ、「2回間違えたくない」という思いばかりが強くなって、「2」が発生したということである。2は1とセットだ。1回目は、明らかに神様が許さないことをしでかし、2回目は、自分の神様が良いと言ってくれると思うことを彼はした。 …個人的には、パトリックがドイルとの会話を終えたあとの段階でフェイドアウトして終わったほうがよかったのではないかと思う。原作はどうあれ、その後の展開を謎のままにして観客に任せてしまったほうが、完成度は高くなったように思われる。そうなってくれていれば、努力賞をあげてもよかった。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-06-15 01:32:15)(良:1票) 《改行有》

164.  ●REC/レック(2007) 《ネタバレ》 この手のゾンビ映画がこのころ多く作られた…らしい。こないだイギリスの「エスケイプ・フロム・デッド」とかいう2006年のやつを見ましたが、TV取材陣が農場に出かけたらゾンビが…という手ブレドキュメンタリ風のやつで似てますが年代的にはそっちが先だ。 そして、今度巨匠の「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」が放映されるので楽しみにしているがそれだって「手ブレドキュメンタリー風」ということなので…なんだかなあ。 基本的に手ブレ映像が苦手ですので、私は固定カメラでちゃんと撮られた映像を愛します。ので、我も我もと手ブレに走る傾向は嬉しくないです。困る。 さて、「2」もできたほどヒットしたらしいこの作品、個人的には英の「エスケイプ…」よりは数段マシと思うがそんなにホメる気もしない。 アンヘラ役の若手女優の演技…いくらゾンビ映画とはいえ主役なんだから、もうちっとマシな演技力のある女優を使わないと~。素人とはいえ「ブレアウィッチプロジェクト」の女優でさえ、もっとリアルでしたよね。なんか、「はねとび」などのコントを見ているような、そういうレベルに見えました。主役女優があまりにも大根なために、映画としてのレベルもかなり下がっちゃってます。 それから、脚本があんまり良くない(ドラマ性に欠ける)うえに見せ方の工夫もいまいちなので、「ゾンビ映画を見慣れていない」観客はどっきりするでしょうが、ゾンビ擦れした客にとって、驚きと感動のあるものでは到底ありません。 ゾンビ映画に不可欠な要素それは「ドラマ」であります。ゾンビ失敗作はみんなこのことを軽視している。「ああ~、あそこで○○さえしなければ」とか「○○さえうまくいっていればこんなことには」とか、観客が心の底から唸ることそれが「ドラマ」であって、ゾンビ映画にこれがうまくハマれば巨匠の「ドーン・オブ・ザ・デッド」のようなスーパードラマティックゾンビムービーが成立する。 この作品には、そういうものは、特に、無いですね。 あと、妙に「謎解き」に走ってしまったのも良くなかった。そんなもんが最後の最後に突然判明するなんてことあるわけないでしょう。「ドキュメンタリー風」ならば絶対にやっちゃいけない間違いだと思います。リアリティをなんだと思っているのだ。あんなタネ明かしをわざわざ入れたいならば、ドキュメンタリー方式にしないでフツーに撮ればいいんですよ。[地上波(字幕)] 5点(2010-08-08 00:53:48)(良:1票) 《改行有》

165.  ニコラス・ケイジの ウェザーマン 《ネタバレ》 ううむ。つかみどころのない作品です。 強いて言えば「アメリカンビューティ」もどきというところでしょうか。 デイビッドというのは現実を直視できない男なんです。認めたくない事実に直面すると、見なかったことにするか、すぐ都合のいいように曲げて話してしまう。そういうところが、奥さんに嫌われたわけですね。 だいたい離婚しているうえに、前妻には新しい彼氏もできているのに、まだ「やり直せる」とか思っている。どういうバカでしょう。 娘の肥満問題にいっさい触れないとか、タバコを発見しても見なかったことにするとか、他人にものをぶつけられても深く考えず忘れようとするとか、その場しのぎで生きている。とにかく「考えない」。ものごとを解決しようとしない。 たまりかねた父は死ぬ前にとにかく「前妻のことだけはあきらめろ」と言い置いて死にますね。 ところがラストのパレードでのモノローグでデイビッドは「僕の家族は別の男と暮らしている」とまだ言っている。だからもうあんたの奥さんではないんだって。 年に25万ドル稼ぐだけでもアメリカではすごい金持ちであるのに、100万ドルになってしまって、それでも不幸なこの男。妻に捨てられ、息子は薬物中毒から更生中、娘は肥満児で不良予備軍、なんかすごく皮肉だな。 [DVD(字幕)] 5点(2006-09-18 19:30:11)(良:1票) 《改行有》

166.  M:i:III 《ネタバレ》 かなりよろしくない。ちょっと驚いてしまうほどに。 トム・クルーズの出演作であるから、それなりのクオリティを期待してしまうのだが。 脚本が無茶苦茶すぎる。 トム自身のオーラで保たすのも無理なくらいに、全編これ茶番としかいえない。 「3」でのイーサンは、「弾のほうがよけてくれる」状態でありほとんど無敵になってしまっていて、荒唐無稽なアクションをすんなりこなされても、なんの感動も覚えぬ。 また、ここにきての「トムのオーラ」についても、若干の疑問が残る。ちょっと顔を直してはいるようだが、どうも焦点が合っていないような、浮世離れした感じがする。「コラテラル」では確かに感じた「お宝感」に欠ける。 監督が凡庸にすぎる。「減点をもらわないように」というポリシーで撮ったように思える。 フィリップ・シーモア・ホフマンも、「最も凶悪な犯罪者」とわざわざ言われないとわからないくらいに地味。ミスキャストと思う。フィッシュバーンにしても、「なんで出たのか」と思うくらいに存在感が薄い。極めつけは、黒幕というのがあんな情けないヘタレキャラのうえ、おおむねバレている。…どこをどうしたら良くなるとかいうレベルを超えたダメさである。 それにしても、「2」で仲良くなったアジア系の女とは別れたのかイーサンよ。だいたい、自ら育てたブロンド美人から、栗色の髪の女(しかもブス)に乗り換えるって、それはあんまりにもあからさまではないか。ここの設定に「私生活」まったく関係ないとは言えないでしょうが。 「3」のイーサンは「1」の時の毒と色気を併せ持つイーサンとは別物。「3」のイーサンとは、トム・クルーズの私生活から発生したものとしか思えぬ。「1」のイーサンなら、平凡な女と平凡な幸せなんて、有り得ない。[DVD(字幕)] 3点(2007-02-12 15:16:25)(良:1票) 《改行有》

167.  ステイ 《ネタバレ》 二番煎じ。パクリ屋。という向きもありましょう。 実をいうと私は指輪のところから中盤まで「アイデンティティー」のパクリかと思いながら見ていたのです。なので各種の釣り餌(雹とか盲目の父とかその他いろいろ)には「さもありなん」となんの迷いも感じなかったのだが。 例によって ネタバレしますので見てない方はお読みにならぬよう。 この作品において作り手が目指したのはたぶん「いまわの際の視覚化」と「臨場感」のようなものでしょう。なぜそう思うかというと、私にしてはめずらしくエンドロールを最後まで見てしまったからです。上空から撮ったまるではっきりせぬ映像、そこにこれまたよくわからぬ人物などがごちゃごちゃ急に出てきたり。これは明らかに魂の「視覚」(そんなものあるのか)というつもりでしょう。 ラストのご臨終場面に重きを置いたところも「ジェイコブ」とは全然違うし、死の間際の「臨場感」を目的としたということでしょう。そういう意味では、丹波哲郎と方向性は似ていると思う。 それと、この「STAY」は「執着」と訳すのが正しいように思う。2回目に見ると冒頭の高速道路からユアン・マクレガーに乗り移るようにシフトしているから、最初からネタばらししていたことになるのだが、(もちろん最初に見たときは?くらいにしか思わない)ヘンリーがサムとなってえんえん見せるワケのわからない自殺騒ぎ、これによるヘンリーの生への執着の「臨場感」も描きたかったのでしょう。 映画として「ジェイコブ」とどちらが面白いかといったらもう、監督さんの才能と力量が横綱と幕下くらいに差があると言わざるを得ない。 そういうことなのだが、エンドロールを見ながら妙にしみじみとした気持ちになるこの作品。いったいユアンのズボンの異常な短さになんの意味があったのか(普通に歩いて靴下が見える。座るとスネまる出し)。あとナオミ・ワッツにはダメ出ししたい。何に出ていてもナオミ・ワッツでしかないその大根ぶり(女トラボルタか?)。 結論は「ジェイコブ」の後に「ジェイコブ」なし。(丹波哲郎でお願いします。)[DVD(字幕)] 6点(2006-09-09 12:18:00)(良:1票) 《改行有》

168.  パトリオット 《ネタバレ》 飲酒問題と暴力と差別発言が心配なメル・ギブソンだが、こと、体力勝負のヒーローを演じればこんなに説得力がある役者さんはいない。 メル・ギブソンはどうしても主役をやるべき人なんだなあ。たとえ、酒乱でレイシストで家族を殴っていても、これは動かない事実である。 で、これはどっからどうみてもアメリカの精神を熱く語った話なんですけど、主役はオーストラリア人、監督はドイツ人だ。どういうもんだ。 …作り手の中核が生粋のアメリカ人でない、というところに、かえって真実が潜んでいるような、気がしますね。生まれながらのアメリカ人でないからこそ、こういう作品に「熱く」なっちゃうんじゃないかと。 エメリッヒのスピード感ある話運びに加え、ドラマ部分も泣かせのツボをきっちり押さえて、戦闘シーンで盛り上げるテクも充分で、「善玉悪玉」の別が鮮明すぎてベタであるという致命的な欠点を上回る効果を上げている。とは思う。ラストでは、誰しも多少は涙腺がゆるんでしまう。とは思う。 ちょっとまって。 「我々は多大な犠牲を払って星条旗(当時は星の数が違うけど)を獲得したのじゃ。どんなもんだ。」であって、もっと言えば「自衛権というものは、先祖が血で獲得した権利なのじゃ!(だから武装する権利は死んでも手放すものか)」というふうに聞こえますね。実際そう言いたいわけです。 でもこの話ってさあ、ネイティブアメリカンをいっぱい殺して、追い払った後の話なんだよね。 そこをすっとばして、知らん振りして、「悪いイギリス人が攻めてきた!大変だ!」…って言ってるのか?もしかして? 殺されて、土地を追われたネイティブアメリカンの側からすれば、「ざまあみろ」としか思えないのではないのか? エメリッヒにすれば、この作品が「オレは建国の精神をちゃんと理解して完全にアメリカ人になった(たった10年でか?)」宣言なのだと思う。カレはドイツ人だからこそ、こういうものに「熱く」ならないとアメリカ人になれなかったのだ。クールに仕事と割り切った作品であるとは、とても思えない。 けど、「パトリオット」を見たネイティブ系のアメリカ人の人たちは、どういう気持ちになるだろうか。 「星条旗万歳。建国の父それは農民兵。」と賛美してくれるとでもいうのか? ルー・ダイアモンド・フィリップスは、もしこの作品のオファーがあったら受けただろうか? 私はそれが知りたい。[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-01-23 20:04:58)(良:1票) 《改行有》

169.  ブラインドネス 《ネタバレ》 おもしろくありません。 悲惨な描写があるという理由だけではなくて、根本的に作り方がヘンなのだと思います。 すべてが作り物っぽいのです。 一所懸命リアルに見せようとしていながら、こんなにわざとらしくなってしまうのもめずらしい。 なにかなあ、〝理念先行〟型の作品だと思います。 それは、「ここで善き人と悪しき人を接触させよう」とか「見えない人々が街頭を彷徨っている情景を撮ろう」とか「収容所内で、悲惨さを最も効果的に見せられる情景を撮ろう」とか、そういうことです。もう、理屈が先にあって、それに合った場面をいちいち撮ってつなげていくという乾燥した製作風景が浮かぶわけです。 作り手の頭の中には、一番先に終末思想があって、「来るべきものが来た」という感覚を観客に味わわせたいわけで、〝終末〟の風景を効果的に見せることしか考えていないので、それぞれの登場人物は「日本人」とか「中流の白人」とか「プア・ホワイトで犯罪者」とか「無力な黒人」とか「狡猾なラテン系」とかいう記号でしかないです。 記号でしかない登場人物を右や左に動かしてみても、観客は誰にも感情移入できません。感情移入できないということは、ほかによほどの要素がなければ退屈であるということです。 圧倒的に「意味づけ」が足りません。たとえドキュメンタリーでももっとマシなものになるでしょう。 収容所内の悲惨なシーンについても、「さあ、ここはラストの感動に備えて〝悲惨さ〟をたっぷり味わってもらうところですよ」的なものしか感じられません。 この監督はあまりスケールの大きな話やSF・ファンタジーの類に向いていないのではないでしょうか。 日本語のセリフはネイティブの日本人が書いていると思われるので、その点については評価しますが、なんだか伊勢谷も木村も日本語のセリフが上ずっていておかしかったです。伊勢谷はとても下手ですが、平気でカレを使ったということは日本人の演技の下手さはわかりにくいもののようです。私は押尾学がこの役をとてもやりたかったのではと思いますね。今となってはどうでもいいことだが。[CS・衛星(字幕)] 4点(2010-05-07 14:10:40)(良:1票) 《改行有》

170.  レスラー 《ネタバレ》 長いですね。 これがニコラス・ケイジだったら、と考えながら見てましたけど、ミッキー・ロークにしたことで、痛々しさが増大したと思う。 …この話は、ランディの無鉄砲さを、「観客が笑える」程度にまで持っていかないと、「もたない」話だと思うんですよ。正直、「おもしろい」と思いながら見ていたわけではないし、「まだ終わらないのか」と思ってしまいました。 もちろん、生々しい描写も必要である。 が、全体として、「痛々しいけど、やっぱり笑っちゃうな」というところまで持っていかないと、ダメだと思うのです。 ア氏は、「ミッキー・ロークの演じるランディ」に思い入れが強くなりすぎて、そこんところで失敗してしまったと思います。 ストリッパーに振られるとか娘に嫌われるとかいうエピソードも、シリアスに描きすぎなのです。 「痛々しさ」を感じさせながら、「やっぱり笑っちゃう」というものを見せるのは、とても技術が要ります。 中途半端ですね。 私は、笑って終われたら10点を上げても良かったと思います。 最後の試合で、観客を大笑いさせながら、エンドロールに持っていけば、「あの歌」もセンス良く思えるというものです。 このような出来で、最後に「あの歌」を聞かされると、もともと低かったテンションがさらに下がって、やりきれなくなります。 ア氏は笑いのセンスが足りません。 それとは別に、顔を大胆に整形して、ステロイドを打ちまくって肉体をビルドしたミッキー・ロークの役者魂は無視できません。 ただし、こんなに急激に大量のステロイドを使用したとなると、内臓や精神への影響が必ず出るでしょうから、心配ではあります。 ケリー・フォン・エリックはピストル自殺していますし、モーリス・ホワイトは若年性アルツハイマーです。 ステロイドは非常に危険です。そのうちミッキー・ロークの訃報を聞くことになるかもしれません。[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-03-12 15:54:51)(良:1票) 《改行有》

171.  キリング・ミー・ソフトリー 《ネタバレ》 ジョセフ・ファインズにヘザー・グラハム。個人的には全くセクシーと思わないこの2人のラブシーンをさんざん見せられたが。ジョセフ・ファインズて上半身は立派だが足が短くみえるんだよなあ。表情ないし。ヘザー・グラハムはお人形さんみたいだし。 あまりのエッチのよさに同棲中の恋人や友人や仕事がどうでもよくなってしまい、娼婦にしか見えないようなマイクロミニを雪の降る中ノーパンで履いてしまうバカ女。えっそこまで頭がパーだったの。この時点でもうリアリティなさすぎ。 そして全くセクシーに見えない(あくまで私にとって)ジョセフ・ファインズとやりまくる。勝手にしてください。 カイコー監督にしてみれば、中国で禁じられているあんなシーンやこんなシーンを撮ってみたい気持ちでついついやりすぎてしまったというところでしょうか。インテリアは良かったです。(というくらいしか褒められない)[DVD(字幕)] 5点(2006-09-13 23:12:44)(笑:1票) 《改行有》

172.  ノウイング 《ネタバレ》 なにかリアリティを感じない作風である。…どう言ったらいいのかわからないが、「マジで?」という驚きの無さというか。妻に死なれて息子を育てながら大学教師をしているわびしいインテリ男性、ということでそれなりにはいいのだが、やはりどうも、リアリティを感じない…大学教師というのはハリウッド映画の主人公としてはありがちなパターンなのだが、なんの役にせよ適材適所というものがあるよなあ。 ケイジはわびしいインテリには向いていないのよ。…今まで彼がぴったりしっくり来たと思った職業は、わびしい救命士です。意表をついて気象予報士というのは一回しか使えないネタだが良かった…あと、ニヒルな死の商人もまあまあ良かった。警官とか兵隊でもまあまあいいのだが、それよりは前科者のほうがぴったりしていたかな。 ケイジインテリには向いてない、うえにさらに、この作品ではケイジでは…というのはどんなCGを駆使したとて、ありがちな終末パターンのこの映画では(まあ、選ばれた子供以外は滅びるという点ではありがちではないのだが)最大の見せ場は父子の別れの場面なので、あそこのシーンで客を「どれだけ泣かせられるか」が勝負なのだと思う。 …私の場合は、「チョロ」くらいでした。ダメだこんなんじゃ。 あそこで滂沱の涙にならなければ、ここまで見てきた意味は全然ない。 …何がいけないのだろうと、考えますと、やはりここはケイジではダメなのではないかと。 インテリに見えないからということではなくて、父子の別れと来たらやはりトム・ハンクスだろうと。 あの重要なシーンに、ケイジはなんだか手抜き感が感じられましたけど。 …それはこの作品では意図的に「抑えた演出」がされていますので、ケイジは注文通りに演じたのでしょうが、「抑えた」中でも充分客を泣かせるというまでにはケイジは至っていない。 真剣にトム・ハンクスを呼びたくなりました。あのシーンでは。ちょっとダイエットして絞ってもらってボトックスと脂肪吸引でOK。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-06-26 20:16:24)(良:1票) 《改行有》

173.  ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き 《ネタバレ》 邦題のセンスは最低。ふつうに「ブレイクアップ~破局~」とでもすれば済むことじゃあないですか。 実に中途半端な出来の作品です。そんなに笑わせてくれるわけではないし、かといって一般人の恋愛としてのリアリティもそんなにないし、ストーリーが練れているわけでもない。同棲するまでの経過が省かれているので、破局後の喪失感もそんなに盛り上がらない。「アニー・ホール」の下手くそな真似なんだろうかと思う。 見どころがないのです、ドノフリオが出ていなければ。 コレを見てよかったな~と思ったのは変な兄貴のドノフリオの一挙一動がスリルであること。 次のアクションが読めないドノフリオ流の演技は見る価値あり。でも出番少ない。 今は心理捜査官としてFOXドラマで主役を張っています。昔付き合っていたおじさんに似ているので、親しみを感じるこのごろです(不倫ではありません)。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-03-04 16:23:25)(良:1票) 《改行有》

174.  レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで 《ネタバレ》 壊れた人間関係や機能しないものを描くのが好きなメンデスだ。 ものごとが秩序立って気持ちよく進むのが嫌いなんだな。 さてエイプリルの取り付かれた「自分探し」というものは「夫が俗物化していくことを阻止しなければ」という強迫観念と混然一体となっていたようだと私は思うのだが、その「種」を撒いたのはキャシーベイツ演じる不動産屋の悪意…だったのかなあと、ラストでそんな気がした。 不動産屋の夫のアップで終わるというこのラストはなんなのかというと、たぶん「悪」を見た人の顔、という意味なのではないだろうか。 「あんたたちは特別よ」と7年間に渡って刷り込み続けることで、エイプリルの「生きがい探し」「自分探し」が始まってしまったのではないのか。 エイプリルがもともと「自分探し生きがい探しに目覚めてしまうような特別にやっかいな女」だったのかというと、それは映画内の描写だけではよくわからない。 が、隣のミリーはそういう〝病気〟にならずにすんでいる。同じように男児を2人産んで、郊外で主婦をやっているのに。 ウィーラー夫婦は共に、恵まれていることを自覚していないという点が共通していて、エイプリルの不幸は「俗物化していく夫を捨てられない」ということで、出奔することさえできれば悲劇は起きなかった。 この映画では「神」が決定的に欠如していて、たぶん「映画内での」神の欠如と子供の無視は同じ意味であって、「神の欠如」=「感謝の欠如」=「子供に対する無視」=「生きがいの喪失」なので、むこうの文化では「感謝」というのは「神」があってはじめて生まれる。 信仰を失っていること=感謝の気持ちの欠如=不動産屋につけこまれるスキを与える=「特別な体験をして特別な人間になれないこと」への欠乏感。 さてエイプリルの最後の行動の謎について触れたいが、これは「自殺」ではないことは救急車を呼んでいるから間違いない。とすると、「話すのも触られるのもイヤなフランクの妻として暮らしながら、なおかつ〝生の実感〟を得るにはどうすればいいか」というエイプリルなりの究極で唯一のソリューション、「死の淵から蘇る」ということだったのかと、私は思う。 死にそうになって助かると、生きている実感を得られる。ジグソーみたいだが。 彼女にとって一番問題だったのは「生きている実感が得られない」ということだったのだから。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-11-12 23:54:40)(良:1票) 《改行有》

175.  ファーゴ 《ネタバレ》 うーん、見る人が見ればきっと違うのであろう。なぜアカデミー賞。 ある評論家が「妊娠小説」という言葉を発明したが、これは「妊娠映画」。 見ている間とにかくずーっと腹が重いのよ。だから息切れしながら見てるような、おかしな感覚なんだって。「はやく産んじまってくれよ、気になるから」だ。狙いといえばあまりな狙い方じゃ。疲れるので再視聴はなし。[DVD(字幕)] 7点(2005-11-21 23:31:05)(良:1票) 《改行有》

176.  アメリカン・ギャングスター 《ネタバレ》 ほとんどおもしろくはありません。 リの字もヤキが回ったなあ…という感想です。 私の想像では、オバマもファンだというHBO製のTVドラマ「THE WIRE」のデキの良さにあこがれて、負けじと作ってみたくなった、というところなのでは? 「THE WIRE」のシーズン1は、すごく面白いです。ほとんど依存症になりそうなほどハマります。脚本がすばらしいです。 同じ黒人ギャングと麻薬捜査班を描いても、ここまでつまらなくなってしまうとは…。 そもそも、このストーリーだったら2時間半程度に無理やり押し込むのは無理なので、「THE WIRE」が成功したのも連続ドラマというロングタームで勝負したからだ。 そこんとこがもうダメなのに、なおかつメインキャストが大間違い。 今さらデンゼルとラッセルだって、何を考えているんだ。デンゼルなんか50を超えているだろうに。 つまり、見ているとヒジョーに痛い感じがするのはさ、トウの立った有名俳優が無理をして若作りしちゃってさ、実年齢より20歳近くも若い役をやっている…しかも主役の二人とも。 画面がツラくなります。ラッセルの髪型が明らかにヘンなうえ、ハラが出ています。デンゼルのおでこにくっきりとシワがあります。 もう、そんなに無理するなよ、お二人さん。 そして一番問題なのは、デンゼルの演技です。私は、見ている間一度もデンゼルに凄みを感じなかった。一度も「怖い」とか「自分のそばに来て欲しくない」と思わなかった。「トレーニングデイ」の時は違ったけどね。 顔が〝いい人〟のまんま、演じていましたね。リの字の演出なんでしょうか。これではダメです。 あと正気を疑ったのは教会前での逮捕場面で「アメージンググレース」を流すセンスね。 本当にリドリーが考えたアイディアなのか??? リドリー・スコットはトニーと組んで「NUMBERS」とか「CIA ザ・カンパニー」とかTVドラマの制作総指揮をやたらにやっているここ数年ですが、それらの作品にはリドリーらしさなんて全然ありませんし、はっきりいって名義貸しで左うちわの状態なんじゃないでしょうか。 やっぱ今のカレはハングリー精神がちょっとでもあるとはとても言えないでしょう。そんな人が「黒人ギャング」を描いてもリアリティがないに決まってます。 …おっさんヤキが回ってます。[地上波(字幕)] 4点(2010-06-13 15:42:52)(良:1票) 《改行有》

177.  ノーカントリー 《ネタバレ》 最近急に陽が当たってきたジョシュ・ブローリンです。その昔「ナイトウォッチ」というユアン・マクレガー主演のサスペンスがありましてー、ニック・ノルティのブキミさが光る隠れた名作ですが、ジョシュは「遊び人で女たらしの大学生」という(本当です!)脇役で出演。私はこの役のジョシュに惚れてしまったのです…。 その後鳴かず飛ばず。バホ作「インビジブル」で再会したときにはすでにオヤジ化が進んでおり、かつての面影もなく…。 そんなジョシュにツキが回ってきたらしい!ジョシュよかったね! で、モスの義母の墓標によるとこれは1980年の話です。なぜ80年なのでしょう。 「己の能力を過信する男」モスのその「過信」の根拠は「戦争経験」であるということで、妻は「なんでも自分ひとりで出来る人なの」と言っています。 それではこの目を覆うような暴力の数々の原因はすべてベトナム戦争だと言っているかというとそうではなくて、たとえばシガーは「20年間コインで人生を決めてきた」のだから、違うでしょう。また、1909年にベルの叔父を玄関先で撃ち殺したのは「インディアン」です。…そう、遡ればその国の成り立ちからして「もともと暴力じゃん」なのです。 さてシガーというのは「オーガの体を持ったターミネーター」のように意図的に描かれていますが、それはホテルの部屋で自らの治療をする場面などで明らかです。 彼は邪魔な人間は殺し、特に邪魔じゃない人間は殺すかどうかコインで決めます。感情がないので殺すかどうか決められないからです。 が、一人だけ彼に有無を言わせなかった人間がいますね。トレイラーパークの管理人のオバさんです。シガーに対して全く恐れを感じておらず、自分自身についてなんの迷いもない、オバさんなのです。ということは逆の場合は危険なのです。 ベルが死刑にした「感情のない殺人者」の生き延びた姿がシガーであり、1980年に「暴力から抜け出せないこの国のありよう」を嘆いていた「オールドマン」たちは、2008年の今、みな死んでいる、それが「1980年」ということです(たぶん)。…そしてもう嘆く人たちはいなくなった、のです。 冗長に感じるほどの淡々とした描写と、ギリギリまで省略したテンポのよい場面のアンバランスに少々難を感じます。が、コーエン兄弟の実力を感じさせる一作。[DVD(字幕)] 8点(2008-11-29 16:16:51)(良:1票) 《改行有》

178.  ジャケット 《ネタバレ》 ジェニファー・ジェイソン・リーだったのか! なんということでしょう。彼女もすでに堂々のシワ女優の仲間入り。「マシニスト」のときよりさらに老けていた。「アニバーサリーの夜」は遠くなりにけり…。 ちょっと気になるのが取ってつけたような湾岸戦争ですね。全然テーマと関係ないでしょう。なんのつもりだか。要らない要らない。 「またしても〝ジェイコブ〟か?」とも取れるような出だしでしたが、方向性は「バタフライエフェクト」でした。エイドリアン・ブロディを使ったことで、「バタフライ」のような軽さは皆無となり、どこまでもいつまでも画面を暗くする結果となりました。いやほんとに、写っているだけでこんなに画面が暗くなる俳優さんもめずらしい。こういう俳優さんはほんとうは使いにくいでしょう。しかしまあ、今回のような話にはギリギリの線でマッチしていたのである。かなりのギリギリだが。キーラ・ナイトレイとのラブシーンはかなり無理があったと思うけれども。 いやべつに、これがマット・ディロンであろうが、サル顔のコリン・ファレルであろうが、この役じたいは誰がやってもそれなりになってしまう役どころだと思う。ということは逆に、誰を使うかによって、全く違った味わいになるということだろう。 そこに果てしなく暗いエイドリアン・ブロディ。この世の不幸を一身に背負ったかのようなその顔面。枯れ木のような肉体。(実は脱ぐとマッチョだったりするところもエグイ気がする。) この顔が最強の武器になることもあるという、不思議な効果を生んだ作品といえます。死体安置所のボックスが世界一似合う男と認めよう、ブロディよ。 脚本としては、荒れた生活をしているジャッキーを先に見せまくったことで、ラストの健康そうなジャッキーが生きてくる、という古典的ながらの決め技を褒めておきます。まあ、そのへんがこの映画の技のすべてとも言えるかも。 それにしてもママさんはぜひお疲れ顔のデボラ・カーラ・アンガーにしてほしかったところだ。残念。[DVD(字幕)] 7点(2006-11-02 22:59:59)(良:1票) 《改行有》

179.  バンテージ・ポイント 《ネタバレ》 本当にTV映画ではないのかなあ、と怪しむほど最近のFOX製ドラマのそのまんま、な感じがしました。よりによって、アラブ系のテロリストに狙われるアメリカ、というどうしようもない「24」なテーマを「LOST」の主人公とかフォレスト・ウィテカーとかTVでよく見かけるアラブ系俳優を出して撮っていることだし…。 けれどけれども、映画であるならばお金のかけかたがまるで違うであろう。のはずである。 きっとロケでの交通規制とか爆破シーンとか群集のエキストラとか車のスタントとかでいっぱいお金を使ったのであろう。映画なのだからー。 だのに、どうにもこうにも私の脳内はFOXドラマを見ているときと同じ波長になってしまう。 シーンを切り替えるときのリワインド映像は、「トゥルー・コーリング」と同じだしなあ。LOSTの人は相変わらず濃い顔だしなあ。 違いといえばデニス・クエイドが出ていることくらいだ(ウィリアム・ハートはすでによくTVに出ている)。私はカレの顔がだんだんハリソン・フォードに見えてきたのだった。そう、「不利な状況にめげず、最後には必ず真実に辿り着く不器用で愛想のないヒーロー」というハリソン・フォードが長らくモノにしてきたこのポジションは、次はデニス・クエイドが座るところだったのだ。「そんならクリント・イーストウッドと同じじゃないの」と思われるかもしれないが、そこは微妙に違うので、同じようにあこがれの対象でも大衆はハリソン・フォードにならがんばればどうにか成れるかもしれないが、イーストウッドに成るのは絶対にムリなのであって、両者のポジションはやっぱり別である。 顔も似ているうえ、セックス・アピールに欠けるという点で共通しているクエイドがハリソン・フォードの後釜を狙ったのは自然なことかもしれぬ。だがなあ…狙うほどのポジションとは私には思えないのだが。 さて私はLOSTの人が1人で犯人を探しに行ったところでわかってしまいましたけど、こんなユルいオチで驚かそうとはよもや思っていないはず。そんなTV以下の脚本なんて書かないはず。 結局残るオチは替え玉編だけですが、これはヒントが無いも同然だから驚いて当然ですよね。アラブのテロリストが任務遂行中なら躊躇なく少女を跳ね飛ばすに決まっているし、「市井のアメリカ人」が間一髪で救うなんてのも単なる「願望」で強引な終わり方です。[DVD(字幕)] 6点(2009-03-16 18:27:31)(良:1票) 《改行有》

180.  愛に迷った時 《ネタバレ》 すんごい豪華キャストに名匠ハルストレムということで、いやでも期待が盛り上がったのだった。 が、「えっ。」という感想なのだった。そのイミは「えっ、これだけ?本当にこれだけ?」の「えっ」なのだった。 脚本がダメダメで、すべてのエピソードが中途半端に終わるんです。途中でジュリア・ロバーツが大騒ぎしたのはいったいなんだったのけ?意味ないじゃん? あまりにハラが立つので私が言いましょう。昼の街中で他人の亭主と平気でキスをするような女は、頭が足りないお子様状態か、カタギではない女です。しかし、どうやら相手の女は仕事仲間ぽいですから、フツーの勤め人らしいです。そうしますと、堂々と不倫をしているそのワケは、「よしんば誰かに見られてもかまわない。この人と一緒になる。」という本気状態と思われます。 本気状態で不倫をしているカタギの女が、相手の妻に見られてモメているからといって、おとなしく引き下がるはずはありません。これ幸いと、自分を認めさせに出てくるはずです。なので自然とエディの行き先は女のところになるか、逆に自宅に女が出入りするようになるのです。だからこういう場合妻のほうが出て行くのは損なんですよねフツーは。 それがそれが、本気のはずの相手の女は一切出てこず、話に絡んできませんから、これはもうエディが殺してしまったと思ったほうがいいくらいです。女が出てこないことで話が破綻しています。 そして、ほんとうなら相手の女が話に絡むはずなので、もっとドロドロするのが当たり前で、「夫の浮気を乗り越える方法=あきらめた夢に再挑戦する」なんてユル~い締め方になるはずはないのだ。 なんていうかこういう作品は、人気女優の観客動員力に乗っかって一発稼ぐために作ったとしか考えられないですね。そしてその金で本当にやりたいものを作ると。 やたらに馬を出してほのぼの感を煽ろうとするなど馬に失礼です。馬で行くならちゃんと馬のことを描いてもらいたいものだ。ダメだこういう映画は。[CS・衛星(字幕)] 4点(2009-11-24 21:57:57)(良:1票) 《改行有》


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