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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  キャノンボール2 《ネタバレ》 “Cannonball Run II”前作同様、オープニングでテンション爆上がりします。お馴染みのテーマソングに白いカウンタックの美女コンビが高速パトカーを煙に巻く。キャノンボールはこうでなくっちゃ!オラ、ワクワクすっぞ!…それが、どんどんテンション下がっていきます。あれ?あれれ?何でだろう?前作とほぼ同じようなキャスト。同じようなノリ。同じようなギャグ。同じような内容…なのに、何で気持ちが盛り上がらないんだ? 一番の原因は、カーレース感の無さでしょうか。スタートはちょっとワクワクしましたが、どうにも、走っている最中の各コンビの掛け合いコントばかりに力が入っていて、レースと言うよりドライブの一幕のようです。 シーク誘拐に奔走するマフィアの印象が強く、各チームの戦いがほぼ描かれないのも、レース感を感じさせない要因に思えます。だってマフィア、誘拐の失敗を繰り返したり、先回りしたりするんだもの。レースカーより早いマフィアの追跡って変でしょ。 更にシークが誘拐されると、レースを自主中断して代表メンバーで救助に行ったりと、もうメチャクチャ。前作バイカーとの乱闘はレース中の乱闘騒ぎとしてスピード感を損なわずに入っていたけど、今回の救出劇は確実にレースが“止まっちゃった”もんな。 小さい頃の記憶で、矢印が伸びていくアニメで終わりだと思っていました。だから『2はレースの優勝者が決まらないのがイヤだ』ってずっと思ってたけど、一応は折り返し前半戦の勝者は決まってたんだな。でも、彼らがどこでどうトップになってたのか…?まぁ、どうでもいいんだけど。オールスター映画なら、優勝は誰であれ、大団円的な最後を期待してたものです。 各キャラの立ち位置として、美女コンビが早々にカウンタックを放棄するのが勿体ない。ランボルギーニ・カウンタックは美女コンビのトレードマークでありつつ、このキャノンボールって映画のシンボル的なクルマなのに。そしてもっと魅力的な車に乗るならともかく、乗り換えて乗り換えて、最後がレッカー車というのはあまりに華のない選定。JJとビクターコンビもパッとしなかった。一応主役ポジションなんだろうけど、エンディングでほとんど見せ場がないのはどうかと思う。その後のNG集で活躍するからだろうか?そのへんも消化不良。前作と同じようなことしてて、あんまり気持ちが盛り上がらないから、実は前作もホントは詰まらなかったんじゃないか?…なんて不安になってしまうわ。[地上波(吹替)] 4点(2024-05-29 23:38:39)《改行有》

2.  君がいた夏 《ネタバレ》 “Stealing Home”『ホームスチール』。このタイトル、観た人は「おぉ!?」ってなりますよね。ビリーには様々なドラマがあって、過去に呼びもどされて、家に戻っていくのです。 この映画、20代の頃に一度観てますが、もっと歳を重ねた今の方が心に滲みました。地元を出て、慣れない土地で頑張ってる人は、更に感じるものがあるかもしれませんね。今回の帰省の目的が従姉のケイティの死がきっかけ。ケイティーにも様々なドラマがあって、遺灰をビリーに託して生涯を閉じます。ずっと会っていなかったのに、もう会えないってなった時の寂しさって、何なんでしょうね? ロビン『私ももう38歳。普段と変わりない朝。初体験(たぶん)の男が、高校時代のユニフォーム着て立ってた。』こんな事が実際に起きたら、脳みそグルングルンなりますよね。でも本筋はビリーとロビンの恋じゃないので、娘が玄関開けて、ロビンはシャワー後のすっぴんで、恥ずかしいって思う間もなくあのペンダント返してって展開が見事です。 この時のロビンの言葉「立派になったわね」高校のユニフォーム着た38歳のオッサンにこの言葉。ビリーがプロ入りした時から、ずっと言いたかったんでしょうね。面と向かってやっと言えたこの感じが素敵じゃないですか。手渡しじゃなく首に掛けてあげるのもいい。 遺灰を撒くシーン。20代の頃の初見時は『あ~ぁ、せっかく感動のシーンなのに、風に戻されちゃってるよ…』って思いました。だってあのくらいのシーンなら、幾らでも撮り直しは出来たはず。そうしなかったのは、あれが正解だったからなんです。 38歳の大人なら、波打ち際で丁寧にサラサラと灰を撒いたでしょうが、遺灰持って桟橋を駆けるシーン見てください。ガキンチョみたいな満面の笑顔。ビリーが高校のガキに戻って遺灰をバラ撒くんです。大事なものの扱いが雑で当然なんです。 ガキの頃のビリーといえば、ケイティーにもらった一生のお守りをロビンにポイとあげちゃうヤツ。でもケイティーは許した。ビリーの満足そうな笑顔をみて、ケイティーはやっぱり許すでしょう。『どうして風向きとか考えないの!散らばっちゃったじゃない!…でも、やっとペンダントを取り戻したわね。』って。 ノスタルジー全開。ひと夏の思い出映画を、極寒の2月に観てしまいました。割と知名度は高い映画だと思うけど、2014年を最後に10年間レビューがないのも、過去を呼び覚ますこの映画らしいかな?って思いました。そんな久々のレビュワーが、私なんかでいいのかしら?とも。[ビデオ(字幕)] 7点(2024-02-12 13:54:13)(良:1票) 《改行有》

3.  危険な情事 《ネタバレ》 “Fatal ATTRACTION”細いこと言うと、ATTRACTIONの上にFatalが筆記体になって乗っかってます。『~死が不可避なのに~人を引き付けるもの』みたいな感じでしょうか? 当時かなりブームになってました。不倫して、エロいことして、怖い目に合う映画だと思っていたら、本当にそういう映画でした。でももっとエロの比重が重いと勝手に想像してましたが、怖いほうが強いですね。 夜中に家に電話かけてくる…怖い。勝手に家に来て奥さんと話してる…怖い。抱きついてきたと思ったら手首切ってる…怖い。電気スタンドのスイッチ・カチカチ…怖い。うさg…ひゃぁあ~~!娘が…ふわぁあ~~!! 当時は単純にアレックスが怖いって感想でしたが、元々彼女の精神が不安定だった事を考えると、今の世の中だと純粋に怖がって良いのか、悩ましいところです。でも怖いものは怖いと素直に表現できる、あの時代が素敵。 さて、グレン・クローズの怖さと、マイケル・ダグラスの薄っぺらさが際立った映画でしたが、私が注目したいのは子役エレンを演じたエレン・ハミルトン・ラッツェンです。コロコロしてて可愛いですね。 自然な演技をさせるように、役名=本名にする配慮も素敵です。それでも喜怒哀楽、ずば抜けた演技を観せてくれてます。でも映画の内容が内容だけに、彼女は大人になるまで自分の主演作を観ることはなかったんでしょうね、きっと。 DVD特典にニュー・バージョン・エンディングが入ってました。あの笑顔に「え?ベス?」って思ったけど、そうじゃなかったのね。ってかこっちバージョンだと、アレックスがあまりに可愛そうです。今の世の中的に、ダンが自分のやったことに対し、救われ過ぎに思えました。制裁が甘いんでないかい?って。 でも、賛否はともかく怖いものを怖いと表現できた、あの時代が素敵。[ビデオ(字幕)] 6点(2024-02-03 18:20:59)《改行有》

4.  キャノンボール 《ネタバレ》 “The Cannonball Run”訳すなら砲弾レースでしょうか。'70年代にアメリカで実際に開催された、非合法の大陸横断レースの映画化です。公道を警察に捕まらないように工夫しつつ、ゆる~くゴールを目指すレースで、同様のレースは'80年代以降も開催されていたけど、回を重ねる毎に、スピードとテクニック重視の、いわゆる“しょっぱい内容”になっていったようです。 映画は同レース初期のコンセプトに沿っているため、正攻法のスーパーカーもあれば、忍者のようなハイテク四駆やボンドカー、警官が止めにくい救急車なんて各チーム工夫のあとが出てます。 子供の頃この映画が大好きで、ゴールデン洋画劇場で放送される度に観てました。ジャッキーがコミカルに活躍するのが嬉しいし、カッコいいムーア・ボンド本人が三枚目を演じるのもイイ。ドクターが顔は不気味だけどお茶目なところとか、キャプテン・ケイオスの登場シーンなんて、こういう明るいおじさん、子供は大好きなんです。 ピチピチ衣装の美女コンビ&黒いカウンタックの組み合わせが最高だけど、それ以上にノーブラ童顔のファラ・フォーセットがエロ可愛い。 スーパーカー、豪華俳優陣、セクシーな美女。オープニングからワクワクする要素が詰まりまくったこの映画。レンタルレコード(当時そういうのがあったのよ)で借りてもらったサントラをカセットにダビングして、あのオープニングをステレオ(ラジカセでしたが)で聞いたら、もうテンション爆上がり。 またエンディングののNG集が、撮影現場のゆる~い空気を感じさせてくれて、ホンワカしていい感じです。今回DVDを安く手に入れたところ、嬉しいことに吹替版が入っていて、懐かしい超豪華声優陣に感動してしまいました。アドリブ満載。意訳たっぷり。吹き替え現場もきっと、撮影現場並みにホンワカ・ゆる~く楽しく録ってたんでしょう。 あのカッコいい映画ポスターもゆるくて、何故か美女コンビのピンク(タラ・バックマン)の衣装を着たファラ・フォーセットが真ん中でババ~ンと…カウンタックも赤だし…もう見栄えが良ければ何でもアリです。 バート・レイノルズにはトランザムに乗ってほしかったけど、カッコいいJ.J.と明るいビクター、天然ボケのパメラと変態ドクター。レースより4人の珍道中がメインなので、この映画では救急車で正解でした。当時は気が付かなかったけど、J.J.ほとんど運転してないのね。9割ビクターが運転してたわ。 ジャッキーは「ニホンの~イチバンの~カーレーサー」です。ジャッキー&日本車と言えば三菱のイメージだけど、本作ではハイテク装備のスバルレオーネ。あんな小さい車体に四輪駆動って、当時はまだ珍しい先端技術だったんですね。 最後まで三枚目のボンド。画面に出る度に助手席のボンドガールがコロコロ変わってるのが芸が細かい。「すご~い!私がジョージ・ハミルトンの車に乗ったなんて!!」を吹替版では「ショーン・コネリー」に変えてるのがもう100点満点! 思い入れたっぷりだから映画は7点!サヨナラ~!バイバイ!![地上波(吹替)] 7点(2024-01-05 13:04:53)《改行有》

5.  鬼龍院花子の生涯 《ネタバレ》 面白い!五社英雄監督作品と相性イマイチな私だけど、この作品はとても面白かった。少し前の日本社会の裏側アリ、女同士の闘いアリ、もちろん濡れ場アリと、しっかり五社五社してるんだけど、何だろうこの映画。そうだ朝ドラだ。 貧しい家庭から丁稚奉公同然に養子に出され、家業とは正反対の女学校を目指して勉強し、親に反対されつつも好きな人と暮らし…たまたま観出した朝ドラが大当りだったような、そんな面白さ?夜の朝ドラ?裏社会の朝ドラ?そんな感じ。だから朝ドラ好きな人はきっと楽しめます。 何より仲代達矢演じる鬼政のキャラクターが面白い。凄みはもちろん、人間味が溢れていて、もし目の前に居たら絶対怖いんだけど、なんか憎めない魅力がある。労働者同盟の件で須田から三行半を突きつけられた時の行動は、もう声を出して笑ってしまった。五社さんがこんな映画を撮れるなんて思わなんだ。もちろん仲代さんの持ち味が大きいんだけど、遺憾なく発揮されていた。 岩下志麻の歌も良い役だった。いつもの岩下さんのように触れちゃいけないオーラを出してるんだけど、どこか親しみやすい温かみが感じられた。松恵が初潮を迎えた時、笑若が聞こえるようにイヤミを言えるくらい、親しい存在の姐さんなんだろうなぁ。って。 圧巻は松恵役のふたり。仙道敦子はまだ13歳なのに目に力がある。お駄賃貰ってお礼言うシーンなんて、当時の子役の演技としては満点じゃないだろうか。夏目雅子の、散々抑えて抑えての演技からの「なめたらいかんぜよ!」の迫力は目がバチッと覚める格好良さ。鬼政に遺骨を握りしめて微笑むところまでがワンセットで素晴らしい。 ワンセットと言えば、歌が酔ってつるに絡む所で「なめたらいかんぜよ?あてぇは鬼政の女房やき…」を幼い松恵が隣で聞いていて、それを受けての「あてぇは…鬼政の娘じゃき…なめたらいかんぜよ!」だから映える。母と子の絆。 “鬼龍院花子の生涯”何とも不思議なタイトルだ。ちょっと頭の弱い、空気の読めない、ワガママな子。『おとうさん おねがい たすけて』はがきの裏にひらがなで、鉛筆で書かれた文字。 有名なタイトルなのに、こちらのキャスト一覧に名前も出てない女優さん。高杉かほりさんだって。wikiのページもない。 映画のオープニング、出演者紹介の、何人目に出てくるかな? 仲代達矢 夏目雅子 中村晃子+佳那晃子 夏木マリ+高杉かほり(新人)+新藤恵美  ←はいココ! 内田良平+綿引洪+小澤栄太郎 …決して当時の東映が、力を抜いていたわけじゃないみたいな、そんな印象。公開前の予告編ではオオトリに名前が出てました。 この殆どスポットの当たらない花子がタイトルなのが面白くて、色んな解説を読んでも、どうもストンと落ちません。なんかそこを含めて素晴らしい作品だと思います。[インターネット(邦画)] 8点(2022-11-21 20:36:47)《改行有》

6.  キネマの天地 《ネタバレ》 有森也実って上白石萌音に似てたんだなぁ。なんて思いながら鑑賞。 映画撮影所を舞台にした、映画俳優と製作者の話。寅さんのメンバーがどんどん出てきて、男はつらいよの劇中劇を観てるような、微笑ましさを感じました。 渥美清と倍賞千恵子の掛け合いは息もピッタリ。クズ屋の笹野高史が小春を褒めた時の父ちゃんの嬉しそうな顔。 マルクス兄弟の本をマルクス主義と勘違いして難しい顔してる財津一郎刑事、撮影所の水漏れにヒョイと足を上げる桃井かおり妃殿下可愛い。 う~ん、どうしても映画の内容でなく、出ている役者さんの話になってしまうなぁ… 昭和30年代当時は映画のことを“写真”と言っていたのか。世の中がDVDからブルーレイになっても、つい“ビデオ”って言ってしまうのと近いか? そういえばこの当時('86年)くらいまで、映画俳優とテレビの俳優には見えない線引きがあったような気がしたっけ。何というか、映画俳優が格上というか。そのうちTVドラマで観た顔が映画で溢れるようになり、役者でもないタレントが主演俳優として出てきて、メディアミックスだか何だか、映画が独立した娯楽を創る世界じゃなくなったような今の日本の映画界。垣根が低くなった結果、とても当時のような元気があるようには見えない。 『あの当時は良かった』になってしまうけど、当時はハリウッド大作ばかり観て、私自身があまり邦画に興味を示さなかったのも事実。 小田切先輩の『どうしてもっと優しく映画を観ないんだ?どんなくだらない映画でも、可能性を持っているはずだぞ?』 これは映画好きとして、レビュワーとしても心に染みる。食わず嫌いはもちろん、好みと合わないからって、テキトーな点を付けちゃダメだな。うん。[地上波(邦画)] 5点(2022-05-05 18:55:02)《改行有》

7.  疑惑(1982) 《ネタバレ》 よくもまぁこんな、ふてぶてしくも憎ったらしい女を創り出せたものだ。 もう死刑一直線、この女が殺したことは間違いない。最後はスカッと有罪判決を出してくれるのを期待して観てしまう。 犯人が意外な人物のドラマ、計画的な殺人トリックに見慣れたせいか、この自然体で直情的で、何がしたいのか解らない球磨子が新鮮に見える。裁判の席でも自分の感情を隠さない球磨子。憎たらしいけど、確かに、自分の無罪を主張するなら間違ったアピール方法。 観ていて球磨子が本当に犯人かどうか、解らなくなる。逮捕後の生存ルートに、どうにも計画性がなく、無罪が期待できない状況に自分を追い込むなんて、犯人だとしたら頭が悪すぎる。 絞首刑の夢で取り乱すシーン。豊崎が言うように「はずみで人を殺すかもしれないけど、計画的に殺すとなると…」こんなのを見ていると、球磨子が犯人じゃ無い可能性が、自分の中でも芽生えるから不思議。 映画の視聴者ではなく、裁判の傍聴人として、とても残念な判決。球磨子が保険金を手に入れられなかったのは、律子のせめてものファインプレーに見えたけど…そうだろうか? この裁判の重要アイテム、靴とスパナ。靴が脱げていたことを怪しむ律子の法廷発言を「そんなのどうでも良いのよ頭悪いわね」と遮る球磨子。 豊崎の証言に取り乱して退廷させられた時、律子に「名演技だ」と言われ、顔の見えない方で口角ニヤリ。 この事件が自殺だったら、豊崎はどこから『ケネディ事件』なんて情報を仕入れて持ち出したのか。(※今回はじめて知った。当時誰でも知ってるような、有名な事件だったのかは知らないけど。) やっぱり球磨子が「一人では生きていけない」とか何とか、福太郎に無理心中をしようと誘い、自殺の方法から手順なんかを指示したんじゃないかな。 目撃者の証言、福太郎の足の傷から、やっぱり球磨子が運転。怖くなってブレーキを踏まないようにと説明して、ブレーキの下に靴とスパナを入れた。目的は福太郎が急に怖気づいて助手席側からブレーキを踏まないように。 福太郎には2人の無理心中と思わせて、実際は自殺教唆。その実、世間からは事故に見えるように細工。だとしたら球磨子は相当したたかだ。 宗治君の証言で、球磨子の目論んだ『事故』でなく『自殺』にはなった。でも有罪まで持っていけなかったのは、律子の完敗に思える。 最後の打ち上げ。律子の腕にワインを浴びせるシーンは息を呑む迫力だった。 桃井かおりが悪女役をする作品が、他に何作品あるのか知らないけど、私の知っている桃井かおりの憎たらしさをストレートに出したのが、まさしくこの映画の鬼塚球磨子だと思う。それだけ自然で、私がイメージする桃井かおりそのまま。[インターネット(邦画)] 8点(2022-02-13 16:39:16)(良:1票) 《改行有》

8.  キリング・フィールド 《ネタバレ》 ~The Killing Fields~クメール・ルージュによる大量虐殺が行われた処刑場の総称。 中学生の頃ゴールデン洋画劇場で見て、とんでもなく怖かった映画。 戦争(アクション)映画は大好きだったけど、ここに描かれている世界は、私の知るカッコイイ戦争とは違っていた。日常的に目の前で起きる処刑。どうすれば許されるのか、意味も解らず脅かされる命。子供の判断基準で殺される大人。国政が不安定で常識の通じない世界。人間が家畜のように扱われ、教養があれば殺される、逃げ道のない世界への恐怖を、まざまざと見せつけられた。 そしてイマジンの美しさ、インパクト。賛否両論あるみたいだけど、私たち世代の多くにはきっとイマジン=キリング・フィールドのテーマソングだ。 『処刑のシーンでポール・マッカートニーの曲が掛かり、再会のシーンでジョン・レノンの曲が掛かる』当時は監督が“悪の場面と善の場面で意図的に両者の曲を掛けた”なんて思っていたっけ。 ポールの曲“Band On The Run”は、ビートルズ時代、世間に追われて自由が無く、バンド活動に拘束されていた当時の、逃げ出したい気持ちを歌ったものと知った。一般人はもちろん、兵士であっても地獄と化したカンボジアから逃げたい気持ちを表現したんだろうな。 曲を聞いているのは捕虜を処刑する政府の側の兵士。ヘルメットに黄色い花を刺した女の子で、まだ子供のようだ。英語の歌詞などわからないだろう。 彼女はその後、腹部に助かりそうにない重傷を負って運ばれていく。何があったのかは描かれてなかった。後日病院でシドニーが捕虜になる際、ポケットから彼女のと同じ様な花を取り出すが、何か繋がりがあったのかな。 放映の翌週、クラスの反応は様々だった。心にズシンと来た者。途中で見るのをリタイアした者。口数が少ない者もいれば、娯楽として楽しめたのか、喜んでる者もいた。みんながTVで映画を観て、翌週話し合う、盛り上がる、それぞれの反応を知るのって、何かとても貴重な体験で、とても素晴らしい文化だったように思う。 『永六輔の誰かとどこかで』ってラジオ番組のコーナーで“アルハンブラの思い出 ”が流れると、映画の恐怖がフラッシュバックしたのも今では良い思い出。 あの時は突然ラジオ消して、ごめんねママン。[地上波(吹替)] 8点(2021-06-14 15:53:44)《改行有》

9.  機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 《ネタバレ》 初見は劇場公開時、人生初の単独上映観賞作品。 新規作画多数。新設定でナンバリングされたガンキャノンが2機に。ギレンに美人秘書が、ララアの軍服、セイラの入浴シーンと見どころが多い本作。 オープニングのキャメル艦隊戦、スクランブル発進の慌しさに対し静かな音楽、やけに落ち着いたアムロと鳥肌モノの演出が映える。 ただ、初期の第2次世界大戦みたいな世界観から、ニュータイプが連呼されてオカルトっぽさが増してきたのと、登場人物がほとんど軍属で、戦場が舞台になっているので、サイド6編はあるけど、一般人目線での楽しみは少なく思う。 “白い奴”。敵が恐れる程の怪物となったアムロは、行方不明だった父と再会するが、父は自分や母への関心をすっかり失っていた。 守るべき人も故郷もなく、ようやく出来た愛する人を殺してしまったアムロは、自分の能力を戦争を終わらせるため、ザビ家を倒すために使うことにする。 一方ララアを失い、アムロにも勝てなかったシャアにとって、キシリアを殺すことは目的ではなくなっていた。ザビ家を倒すことよりニュータイプの未来を見てみたいというのはシャアの本音だったと思う。 若者が社会で突出した能力を発揮すると、自分よりちょっと劣るが有能だった先輩に、突然ヤキを入れられることがある。最後にシャアがアムロに挑んだ白兵戦がそれかもしれない。『究極のセールスマンは、落ちている石ころすらも売れる』と言うが、言い換えると『商品・売り物に依存しない』と言う意味らしい。ガンダムの操縦能力だけがアムロの考える自分の存在理由だったから、それを使って世の中の為に戦争を終わらせ、ララアのもとに行く。まるで社会人が、退職後のハワイ旅行だけを楽しみに休みも取らず会社のために命を削るようなもの。戦争の元凶が滅び、アムロは父の作ったガンダムを捨て、母に会いに行ったコア・ファイターすらも捨てて、生きて帰るべき所、自分にとって本当に大事なものを見付けられたエンディング。『ビギニング』そして『めぐりあい』と、挿入歌のタイミングも神がかっている。 アムロの脱出を誘導するカツ・レツ・キッカ。戦場で能力に目覚めたという解釈が一般的だろうか?彼らはこの誘導以前に、Ⅱでガンダム工場の爆弾を全部外したり、アムロに爆発のタイミングを叫んだり、脱走するコズン少尉を先回りしてトラップ仕掛けたり、そもそもⅠのサイド7で一緒に行動していた親が死んだのに、この歳の子どもがピンピン生きていたことも、彼らこそが本当の意味(殺し合いの道具じゃない)での生まれながらのニュータイプだったからだと思う。ジオン・ダイクンが提唱し、両軍が研究している謎の新人類ニュータイプ。アムロら少年少女が、悩み苦しみながら覚醒する能力。でも次世代の幼い子どもたちは、当たり前に、生まれながらのニュータイプ(しかも無自覚)だった。というのがこの作品最大のオチだと思う。 『宇宙世紀0080、この戦いの後 地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた』 TVと共通のナレーションが、戦争の終わりをアッサリと伝える。これでガンダムの物語は終わった。その後は戦争(グリプス戦争とかネオ・ジオン紛争とか)の無い、ニュータイプの作る平和な世界が生まれた。 …だけど再放送から爆発的な人気になり、アニメを見ない大人までも巻き込んで社会現象になる。ガンプラ、グッズ、SF考察、コスプレ集会。そんな中で作られたこの三部作映画の最後、富野監督から英語のメッセージが入る。 ~そして、今は皆様ひとりひとりの未来の洞察力に期待します~ という意味だそうだ。大人にまで広がったこのブームは、監督には予想外だったんじゃないだろうか?少年少女の成長のために作ったものを、大人の事情でほじくり返して、また作らされる。自分の意図しない売れ方は面白くなかったに違いない。 だとしたらあの英文は「みんな誰でもアムロみたいなニュータイプになれるんだよ」と言う優しい言葉というより、「さぁガンダムブームは終わったよ。アニメに夢中になるのはやめて、学校や会社で頑張るんだよ」という、歪んだ社会現象に対する監督からのメッセージに思える。 当時は今以上に英語が生活に浸透してない時代。辞書片手に英語が読める歳になったら、俺の言いたいこと解るだろう。というメッセージ。 だから、富野喜幸(本名)が作りたかったガンダムは、ここで終わり。 以降作られる富野由悠季(ペンネーム)のガンダムとは、切り離して観てください。[映画館(邦画)] 9点(2021-01-10 00:10:03)《改行有》

10.  機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 《ネタバレ》 一作目の同時上映で観賞…Ⅲ公開直前のリバイバル上映だったようだ。ガンダム工場で子供達を捕まえる工作兵が怖かった。 今作はモビルスーツも登場人物も沢山出てくる。ミハルのエピソードは重要だけどアムロが脇役になるなど、単体の映画としては散らかってる印象。地域もあっちこっちに移動して忙しいが、地上編のダイジェストとしては上手にまとまっている。 アムロはモビルスーツ戦の経験と能力を積極的に役立てようと努める。ガンダムの操縦能力が自分の価値と考えての行動だが、ブライトとの考え方の違いから、脱走してしまう。15歳でバイク盗んでも歌になるくらいなのに、ガンダム盗むとか… 戦場以外の場所で敵と会い、何のために彼らと戦うのか考えるアムロ。グフは倒したが、ラルに自分の能力で勝てたのではないと言われる。人としてラルに勝ちたいと願うが、戦場ではそれは叶わなかった。 自分を好きだと言った敵の女性、良き先輩、憧れの人を失ったアムロの前に、かつての強敵シャアが現れる… 社会人で言うと、がむしゃらに経験を積んだ新卒が独り立ちし、自・考・動する辺りが本作。会社や社会を見る余裕が出てくると、努力を認めない上司とか、会社への不満とか、気になる異性とか、ライバルの力量なんかも見えてくるもの。 オデッサ作戦辺りまでを丁寧に描いて一作とした方が良かったように思う。シャアを出さないと女性客が入らないと考えたのかも? 主題歌『哀戦士』のタイミングは素晴らしいけど、『風にひとりで』はちょっと何度も掛かりすぎかな。[映画館(邦画)] 7点(2021-01-06 23:55:39)《改行有》

11.  機動戦士ガンダム 《ネタバレ》 テレビアニメに少し新規作画を加えて編集した劇場版だから、映画としての評価が難しい。けど、ガンダム三部作以外に、こんな特殊な制作過程を経た映画を評価する機会は少ないと思うのと、私自身、重度のガンダム好きなので、シリーズの広がりや、映画では描かれていない設定にはなるべく触れないで、この映画版のみを評価してみたい。 初見は小学一年の頃で、映画館で一人で見た初めての映画だった。オープニング、大画面一杯に迫るザクの顔に、かなりビビったっけ。 アムロの戦争体験は強烈で、敵による無差別攻撃と連邦軍の誤射で、ガールフレンドの母や祖父が死ぬのを目の当たりにしている。敵と戦わなければ死ぬ。自分が船を守らなければ全てを失う。15歳の少年には過酷すぎるアムロの戦争体験。 いつのまにか軍属にさせられたアムロは地球の故郷で母に会う。ホワイトベースが隠れてるポイントから約30kmの街。連邦軍の支配下で、街中には規律の乱れた連邦兵が昼間から酒を飲む。その近所の教会ではボランティアがキャンプを張っているが、そこには毎日敵のパトロール隊が見回りに来る…未来の世界なのに、戦線の距離感は戦国時代並みだ。戦争のこう着状態がずっと続いているから、こんな辺境ではたぶん両軍とも、適当に戦わずにやり過ごしていたと思う。 そんな街で敵兵を撃つアムロ。逃げる敵兵も撃つ。生き残る為に、敵を見たら殺すのがアムロの体験してきた戦争。なのに何で母は分かってくれないのか?母親にしてみたら、久しぶりに会った息子が積極的に人を殺そうとしたら、それはショックだろう。アムロは母と分かり合えない怒りを、敵の小さな前線基地にぶつける。戦争で自分が生き残る為には、敵は殺すものだから。 最後は敵軍の総帥の演説。打倒独裁が連邦軍の正義だが、アムロは何のために敵と戦うのか? 三部作で一番地味だけど、ベースとした第二次世界大戦の色が濃いのと、アムロ自身が普通の生活から戦争に巻き込まれて、自ら戦う過程、民間人から軍人(又は少年から社会人)になっていく過程が共感出来て、大人になってからは一番好きな作品。これを子供向けのロボットアニメでやってしまったのが凄いな。 作画は確かに残念。当時、今のようなDVDやBDがあれば、完全新規作画で作り直せたかもしれないけど、だけど丸っこいザクや作画の勢いとかが感じられて、これも悪くないと思える。あと『特別編』という音声取り直しのDVDが出ているけど、オリジナル版の鑑賞がおすすめ。[映画館(邦画)] 9点(2020-12-27 21:32:51)《改行有》

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