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プロフィール |
コメント数 |
52 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
自分に理解できないから低評価というのはいかがなものか。でも無駄に難解にしてごまかしている作品に高評価というのもいかがなものか。自分が納得できるポイントを書くことで発見していきたいと思います。 |
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1. (500)日のサマー
サマーほどにはトムはモテない。仕事に誇りも持てない。かといってあきらめきれない夢に向かって日々努力しているわけでもない。だからトムは結婚でこの関係を固定し、仕事の不遇をサマーと結婚することで忘れ、サマーとの家庭を築くことで、仕事の夢をあきらめたかった。
恋愛をそれぞれの価値の自由市場取引と考えるなら、この結婚でトムは得をし、サマーは損をする。サマーならもっといい男との結婚が期待できるであろう。サマーにしたらどんなに愛されても自分を出汁にして夢をあきらめようとするトムには、生涯あきたらないものを感じるだろう。
サマーとしたらまだ自分に本当に気に入った男が見つからないので、手近にいて自分に熱を上げる暇つぶしの相手として、トムを選んだ。これは恋ではない。それをサマーは最初からトムに告げている。だからトムとしては勘違いしていいけなかった。たとえ肉体関係があろうと、最初から恋ではなく、彼女にとって暇つぶしの相手でしかない。
サマーをあきらめて、もっと魅力的でないけれども自分に恋してくれる女性を探すべきだったか?それで満足できたか?たぶんNOだろう。たとえ暇つぶしの相手であろうと、彼女と過ごす日々は彼に大きな良い影響を与えるはずだし、結婚に結びつかないとしてもその日々の価値は変わらない。トムが夢に向かってチャレンジする気になったのはサマーと過ごした500日があったからである。自分には本当にふさわしい相手が必ずいる、と信じて疑わず揺るがなかったサマーと過ごした日々があったから、トムも本当にふさわしい仕事にチャレンジする気になったのである。そしてそうなったからこそオータムと関係を結べるまで成長できた。
恋愛の目的は結婚などではない。お互いに愛することで影響しあう、目的などないただただ愛することそれだけが目的の行為が恋愛である。だからトムはそのような日々を持つことができたすごく幸運な男なのである。[DVD(字幕)] 8点(2019-08-09 15:25:10)(良:1票) 《改行有》
2. 殺し屋1
《ネタバレ》 浅野忠信を垣原にしたのは映画としての華やかさが出てすごくいいと思うのだが、それであれば垣原の強さを印象付けるシーンをしっかり作ってあげないと、コワモテのヤクザ組員達がびびって彼に従う説得力が出ず、イチとの対決も盛り上がっていかない。ラストは垣原が耳に針を突き刺してから墜落して死ぬところまでが、垣原のこうあってほしかったという夢なのだろう。(だから額の傷が消え、それを確認したジジイは悲しそうに荷物を置いて退場する)ジジイは吊るされて終わり、子供は外を行くところが現実に起こったことなのだと解釈できる。血しぶきや臓物は派手すぎてお笑いの域、CGが頑張っている。三ヶ国語を操る香港女優が、英語まじりで私は立花ですというばかばかしさは大笑い。見事に歌舞伎町の無国籍性を表現している。キルビルやらオールドボーイやらいろいろ海外の作品に影響を与えている怪作。[DVD(邦画)] 7点(2007-04-14 03:59:58)
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