みんなのシネマレビュー |
|
1. 最強のふたり 《ネタバレ》 最強の2人?タイトルが意味不明。いっそのこと最強のクソに改名してもらいたい。介護現場はここで描かれているような綺麗なものじゃない。現場はまさにクソの始末が待っているのだ。成金オヤジが「2週間もったら、大したもんだ」と言っていたが、そもそもなぜ黒人青年は2週間もったのか?なぜ彼はクソの始末ができるようになったのか?それが描かれていない。成金オヤジの足に熱湯をかけて爆笑するシーンなどドリフ以下で笑う気もしない。介護現場で足に熱湯をかけても「この子は同情しないから好きだ」と言ってもらえると思うか?冗談じゃない。「同情しなかったら患者と仲良くなれる」というメッセージなどクソ食らえだ。それと日本では我々がクソジジイになるころには、外国人に介護してもらうしかない。現実に日本の若者たちは、誰もがクソの後始末を嫌がる。だから人材不足だ。それでフィリピンなどの国から介護人を集めている。どれだけ不景気で就職ができなくても介護だけは避ける世の中だ。つまり、クソジジイとクソの問題は深刻なのだ。成金が単なるクソジジイだったら、あの黒人青年も途中で逃げ出していただろう。壮大なパラグライダー、感動のオペラ、目を見張る豪邸、耽美な絵画、豪華な高級車、これらの映像は、介護の現実を観客の目から逸らすためのカモフラージュである。こういう映画は是非「働きたくても仕事がない」と嘘ぶくニートたちに見てもらいたい。介護は楽しいぞ。スポーツカーに乗れるし空も飛べるぞ。そう思ってくれるかもしれない。 いずれにせよ、文部省推薦の偽善映画であることは間違いない。[DVD(字幕)] 1点(2013-09-16 19:33:50)(笑:1票) 2. サニー 永遠の仲間たち 《ネタバレ》 セイシュン、それは楽しみ100倍、苦しみ100倍。そして大人になって、ジェットコースターのようなセイシュン時代を思い出すと、苦しみですら良い思い出になってる。軍事政権下で、大人たちが殺し合いをしている。その横で、主人公たちが不良少女軍団と決闘している。抜群のセンスの武勇伝です。泣くほど笑いました。昔、似たような小説を読みました。みんなのボスだったジャイアンが大人になったら悪徳リフォーム会社の社員になってクビにされるのを怯えていた。みんなのマドンナの静香ちゃんは、DV夫と結婚し、昔の同級生だったのびたに、夫の愚痴をこぼしてばかり、という話でした。重松清の本でした。喧嘩が強かった子供や、美人だった子供ほど、大人になると、子ども時代とのギャップに驚くことがあります。この映画では、大人時代のみじめな自分たちには焦点が当てられていません。ひたすら輝かしい過去の栄光に焦点が当てられているのですが、現実から目を背けているわけではなく、しいて言えば、思い出という名の宝物を取り戻そうとする物語だと思いました。子供時代は傷ついた思い出しかない。しかしである。あるきっかけによって、自分の人生で一番輝いていたのは、あの瞬間だったと気が付かされる。人間って、失わないと、失ったものの価値に気が付かない。そしてセイシュンは失った後にその大切さに気が付く代表格のようなものだ。音楽って不思議です。10年前の音楽を聴くと10年前を思い出す。20年前の音楽を聴くと20年前を思い出す。私の時代は、今のモーニング娘じゃなくておニャン子クラブの時代でした。あのころの曲を聴くとやはり酸っぱい過去を思い出しますね。セイシュン時代は自殺したいほど苦しいこともあります。しかしなぜかそれが甘酸っぱい過去へと変わっている。つまり、死にたくても頑張って生きていれば何とかなる、ということです[DVD(字幕)] 7点(2013-04-21 23:54:40)(良:1票) 3. サラの鍵 《ネタバレ》 サラは悲しみを乗り越えることができなかったようです。まさかの自殺。心の苦しみは、時間だけが解決すると言われますが、何十年たっても、乗り越えることができない心の痛みがあるのだと分かりました。いやむしろ、結婚して、幸せになればなるほど、幸せである自分が、弟に対して、申し訳ないという思いが募っていったのでしょう。主人公の一歳の娘がムチャクチャかわいい。名前はサラと同じ名です。ではなぜ、サラの息子ウィリアムは、娘の名を聞いて泣いたか分かりますか?勘違いしている人もいるので、是非説明したい。人間というのは、本能的に、死んでからも、周りから忘れてほしくないという思いを持っている。愛する者も、死んだ人を忘れたくない気持ちがある。息子のウィリアムは、母親のサラを愛していた。しかし母親は悲しい女性だった。正体を隠して自殺した哀れなユダヤ人だった。誰も彼女を救えなかった。誰も彼女を知らなかった。誰も死後の彼女を思い出すこともなかった。息子の涙は、そんな自分の母親のことを、一生忘れない、一生覚えていたい、と思っている主人公の、その気持ちに対する涙だったのです。これほど迫害を受けたのに、なおも幸せになる自分が許せないと思い込んで、命を絶った孤独な母親のことを、忘れないでくれる人がいた、その事実が息子の心を動かし、涙となったのです。主人公は決してサラの人生を掘り返したのではない。サラの人生を、自分の人生に刻んだのです。その象徴が一歳の娘でした。もし主人公がサラを知らなかったら、中絶していた。だから娘は生まれてこなかったのです。サラは生き続ける。主人公と息子の中で。ずっとサラがかわいそうだと思い続けてきました。しかし最後に母親に対する息子の無限の愛情が伝わってきて涙が止まりませんでした。映画ってすごい。涙の10点です。 [DVD(字幕)] 10点(2012-11-25 20:09:16)(良:1票) 《改行有》 4. 猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 人間が人間を殺すことは殺人、人間が動物を殺すことは処分、人間がうっかり他人のサルを殺すと器物破損だ。どれだけ人間が、サルやペットを愛していようが、対等なんて関係は茶番だ。サルや動物たちの立場から見た人間は、たとえ善人であろうが、それは毛皮のコートを羽織った動物愛護団体職員と同じ偽善者なのだ。反省猿に反省させて、それをみて「かわいいね、癒されるね」ってバカか?反省サルが喋られるなら、お前らが反省しろよと言われるだろう。人間はバカ者で、偽善者で、凶暴者の三拍子が揃った貴重な動物だ。そもそも狩猟とは何だ?住む場所をサルやイノシシやクマから奪っておいて、餓死寸前の動物がついに命をかけ、食料を求めて山から下りてきたら、山に帰れ、と憎しみを込めて殺すことが狩猟なのか?その一方で、人間と動物は友達だと、平気で嘯く人間の偽善などクソ食らえだ。人間のバカを象徴するラストシーンについて説明しよう。飼い主は「家に帰ろうよ」とほざく。帰れるかよ。これだけ暴れて有名人、いや有名サルになったのに、のうのうと家に帰っても見逃してもらえるわけがない。飼い主のその言葉を聞いたシーザーのあきれ顔が印象に残る。「やっぱりこいつバカだったのか」という顔だ。このシーンは決して友情シーンとして描かれているのではない。猿からみた人間の愚かさが的確に描かれているのだ。またこの物語は、組織を統率するリーダーのカリスマ性という面からも楽しむことができる。海千山千の曲者のサルたちに苦戦しながらも、徐々にまわりのサルたちを味方につけ、最後に組織を統一するシーザーの手腕は、ゴットファザーのマイケル・コルレオーネを彷彿とさせるのである。シーザーの人心掌握術は、下手な啓発本を読むよりも意義がある。我が国の首相も、サルに見習ってもらいたい。[DVD(字幕)] 8点(2012-11-12 20:40:13)(良:2票) 5. さよなら。いつかわかること 正直に言う。私は私以外の誰かが死んだことでショックを受けたことは、今まで生きてきて一度も無い。おばあちゃんが死んだ時も、おじいちゃんが死んだときも、友だちが事故死したときも、すぐに立ち直った。何を言いたいのかといえば、私は私が亡くなった人を愛していたが絶望をしなかったということだ。取り乱すこともなかった。本作品の父親はあきらかに絶望して、廃人になりかけている。「父親のてめえがそんな腑抜けになって子供が守れるのかよ?」これがこの映画を観た第一印象です。それと同時に人は人が死んだらここまで絶望できるのか?と不思議に思ってしまった。父親の行動は明らかに常軌を逸している。亡き妻の声が吹き込んである留守番電話に独り言を言うシーンや、子供を無断で学校を休ませ、そのあげく、自分も無断欠勤して、幽霊のようにドライブに出かけるなど、もし私が子供で、こういうオヤジがいたら、不安で泣いてしまうだろうと思う。それに反比例するかのように娘2人が天使のようにかわいい。特に長女は、オヤジが悲しみのあまり暴走してしまったことを直感的に気がついている。わざわざ学校に電話をかけている。子供に心配させてそんなことまでさせる親などクソかもしれない。すなわち、人間の心の弱さは当然ではあるが、親という立場になれば、子供の前でこれほどまでに己の弱さをさらけ出して暴走しても良いのだろうかと思ってしまうのだ。ロードムービーというよりも、むしろ父親の暴走。それでもそのおかげで子供に対して独裁者であった父親の内部では何かが変わりつつあった。娘にピアスをすることを容認する。それどころか娘が不良と隠れてタバコを吸っていたら「そんなヤツとタバコを吸わずに俺と一緒にタバコを吸おうぜ」なんて言い出すありさま。もしこれが現実ならば娘は「オヤジが狂った」と思うだろう。やっぱり、こんなオヤジ、イヤだ。早く立ち直ってくれ。お前がどうなろうが知ったことじゃない。娘2人を安心させろ、このばか者が! [DVD(字幕)] 6点(2011-04-10 21:46:02)《改行有》 6. 最高の人生の見つけ方(2007) 《ネタバレ》 この映画は「人生にはお金よりも大切なものがある」ということを必死になって観客に伝えようとしています。しかし世界各地を旅し、豪華なホテルに泊まり、世界最高の美食を味わい、世界の絶景を眺め、絶世の美女とあれこれするよりも、モーガンのような死に方のほうが高尚だとは私には思えません。世の中、やはりお金なんですね。お金さえあれば夢さえ買える。しかし死ぬ間際まで元気でいられるというのも夢に過ぎません。ふつうはずっと病室で苦しんで最後に意識がなくなって、それでも植物状態で延命させられて、家族のほうも「そろそろ死んでくれよ」と口には出さないが疲れ果てた顔でそう思っている。それが現実。アフリカで冒険をしてピラミッドの頂上にのぼり、香港の夜景を楽しみ、アメリカに戻ってきてらばったり死ねるなんて都合がよすぎてまさにファンタジーでしょうね。それから、「見ず知らずの人に親切をする」なんて当然ではないでしょうか?人は見ず知らずの人を救うことで自己満足を得ようとする。その心理を突き詰めると、自分の存在理由を他人に証明してもらいたいからです。私も昔は生まれたからには意味のある人生を送りたいと思っていました。今はそうは思わない。極論を申しますと、「人生」には最高も最低もありません。何も立派なことなどはしなくていいのです。「人生」はただ生きているだけで素晴らしいし、誇れることなんです。基本的に「人生」というのは他人を支えるために存在します。妻は夫を支え、夫は家族を養い、親は子供に嫌われてもすべてを犠牲にして我が子を一人前に育てる、子供は親がジジイになったら介護地獄に陥っても最後まで面倒をみる。タイヘンですね。自殺せずに人生を完走できるだけでやはり立派ですよ。かりに死ぬ間際に3億円の宝くじがあたったとして、その権利を使わずに、高尚な人生論をふりかざし、家族に見守られて静かに死んでいくことなど私にはできません。いろいろ言いたいことはありますが実にいい映画でした・・。とりあえず、入院したときは必ず金持ちの隣のベッドにしてもらうということだけは覚えておきます。[DVD(字幕)] 6点(2009-03-16 21:26:59)(笑:1票) 7. ザ・マジックアワー 《ネタバレ》 日本のチャップリンきどりになってきた三谷監督のコメディ。私はこの監督の知的なコメディが苦手だ。しかも、自分の持つ権力を見せ付けるかのように、いつもオールスターメンバーの俳優陣。それでも今回は素直に笑うことができました。なぜなら、笑いがシンプルだったから。た、だ、し、ラスト30分間は、いつものお涙ちょうだいの展開になってしまった。なぜコメディを貫けないのだろうか?なぜ笑わせたあとに、ホロリとさせる必要があるのか?なぜ、笑いあり、感動あり、なんてお約束ごとをひたすら守る必要があるのか?もうそろそろ中途半端なヒューマンコメディから脱却しましょう。最後は葬式帰りみたいに、しんみりしてしまいましたよ。ま、それはともかく、ナイフ舐めのシーンはたしかに佐藤がうまいです。しかし、西田のあの絶妙のツッコミがなかったら、笑いすら起きなかったかもしれません。「俺がデラ富樫だ」と3回も同じ挨拶をしているのに、西田のほうは、さっきも同じことを聞かされたような気がするのは俺だけか?と戸惑っているところが一番面白かったです。ちなみに西田と三國連太郎といえば、スーさんとハマちゃんで有名です。この2人のからみはプロの漫才より面白いです。その三國の息子の佐藤と、西田をからませるというのは、最初からのねらいなのでしょうか。もしこの2人じゃなく、別の俳優が同じことをやっていたら、はたして、この映画はここまで成功していたでしょうか?遺伝子の神秘をかんじます。 [DVD(字幕)] 2点(2009-01-02 12:36:30)《改行有》 8. 西遊記(2007) 《ネタバレ》 もしこれが中国に対するあてつけだとするならばとても高度な政治的な嫌がらせだと思いましたが、悲しいことに真面目にやっているつもりらしいです。わが国の大作映画は、芸能人を大動員をして、そして大宣伝をして、あとは知らんぷり、広告戦略にすべてのエネルギーをつぎ込み、観客があとで期待はずれだったと文句を言っても、お金を払わせたほうが勝ちだと思い込んでいる。いわゆる「作り逃げ」というものが蔓延しています。しかも芸能事務所との馴れ合いがますます顕在化し、どんな映画にも必ずといっていいほどスマップがオマケのようについてくる。今では邦画はすっかりTVの二軍に定着してしまいました。もはや作り手にとって「孫悟空」という人物イメージなどはどうでもよくて、孫悟空を演じるスマップのディナーショーを、映画という形に置き換えて利益を上げようとしているのが明白です。当然のことながら今この国では本当の映画俳優は育たない事実がある。本当の俳優とは自分の「個性」や「性格」を人目にさらしてはいけないと思います。常に自分をさらけ出しているTVタレントの俳優化は最悪の選択だと言わなくてはいけません。観客はですね、これを孫悟空が大騒ぎしている映画とは見ないのですよ、スマップが大騒ぎしている映画と思うだけなのです。つまり観客に固定概念をすでに与えてしまっている時点で役者はできないのです。スマップがやかましく騒ぐたびに、なんで貴様のくだらないディナーショーなど拝まなきゃいけないんだよと毒づきながらも日本映画の荒んだ現状を憂えずにはいられなくなり、気がついたら涙が出てきました。もし映画を愛する中国人がこんな笑えない西遊記をみたら、怒るよりむしろ私たち日本人に同情してくれでしょう。 [地上波(邦画)] 3点(2008-10-24 21:47:15)(良:1票) 《改行有》 9. サイレントヒル 《ネタバレ》 いやぁ、楽しかった!これは生死を越えた奇跡の母娘の物語です!神を愛し魔女をでっちあげ、そして仲間の連帯意識を高めようとするサイレントヒルの住民たちは、ドッグヴィルの村人たちと似ていると感じました。最後にリーダー格のおばはんがアレッサに復讐されるシーンは、控えめながらに言わせていただくと、もっと苦しんで殺してやればよかったと感じたのは私だけ? 子役のジョデルフェルランド嬢は素晴らしかった。舌が噛みそうな名前ですが、2歳ですでにデビューしている天才少女らしいです。覚えておいて損はないでしょう。この子はアレッサの善のこころが生んだシャロンと、彼女の憎しみが生んだ死神の一人二役を見事に演じていましたね。とくに死神の時の顔の表情がすごくいい。メイクで怖そうにみせたり、悪ぶっていましたが、やはりかわいさは隠せない(笑) 死神は憎しみの塊のような存在ですが、強がっていても繊細な一面もありました。そこが切ない。 それと母親のローズは偉い!化け物を相手に彼女は一歩もひかずに我が子を取り返そうと走り回る。その姿に感動しました。それにしてもローズの夫は本当に使えない奴だ。サイレントヒルのなかにいて我が子を取り返そうと戦っている母親と、サイレントヒルの外にいてオロオロしている父親の姿が対象的にえがかれています。子供にとって母親は神であり、父親は用なしということか? 実の母親に裏切られて傷ついたアレッサの良心(シャロン)を、あたらしく母親になったローズが癒してくれた。 私にとってこの映画は絶対ハッピーエンドだ。 [DVD(字幕)] 9点(2007-02-27 19:27:42)(良:3票) 《改行有》 10. THE 有頂天ホテル 率直に言わせてもらうと、綺麗すぎる。優雅すぎる、上品すぎる。「自分らしく生きよう」なんて映画のなかで説教されて、おもわず感動して涙が出そうになりましたが、笑えませんでしたよ。冗談じゃありません。ヒューマンドラマ系コメディなんて中途半端なことをやらずに、とことん笑わせてくれませんか?これが本当に「12人の優しい日本人」の監督さんなのでしょうか? 三谷監督は才能が枯れ果ててしまったのかもしれない。 ようするに毒が無さ過ぎるのです。余裕がありすぎるのです。 まるでチャップリンコメディのように、知的さと感動を売り物にしたコメディなど、笑いのみを期待している私のようなバカ観客にとって、怒り心頭なのです。 だんだん最後のほうになってきて、笑うどころか、しんみりしてきて、落ち込みそうになりましたよ。いいですか?感動したいなら、感動する映画を選んで見ますよ!だ、け、ど、ね・・笑いたいときに、笑わせてくれない知的で上品な映画など見せるな、と言いたい。[地上波(邦画)] 1点(2006-12-31 20:47:04)(良:1票) 11. サイコ(1960) あまりにも怖くて、観終わったときは、体がぶるぶると震えたし、夜中は悪夢をみたし、この映画を観たショックで、トラウマを持ち、いまだに社会復帰ができない、ということは、もちろん冗談だけれども、率直に怖いか怖くないかと他人から聞かれれば、私は怖くない、といつも答えることにしている。昔の映画のわりには、こわい、という言い方もしたくない。昔と今を比較して、昔の映画に、意味不明のハンディなんて与えたくないのです。有名なあのシャワーの惨殺シーンは、お世辞でも怖いとは言えない。あれは、こわい、のではなくて、巧いと言うべきでしょう。 ぶっちゃけた話をさせていただくと、ヒッチコックの作品の「怖い」というのは、その知的さに裏打ちされたものであり、ゆえに、映画ファンは最大限の賛辞の意味をこめて、「こわい」と褒めるのである。ようするに、さほど笑えない喜劇に、「お腹が痛いくらいに笑いました」と賛辞をおくるチャップリン映画と共通したものがある。しかし、ヒッチコックがこの分野において、パイオニアであることは間違いないので、私はそのことについてはいつも敬意を惜しみません。しかし友達からすごく怖い映画を教えて、と聞かれたときに、ヒッチコックのサイコだ、とは口が裂けても言いません。 [DVD(字幕)] 1点(2006-12-08 20:47:57)《改行有》 12. SAYURI 注目はやはりアジアンビューティーことチャンツィイーであり、彼女がいまや問答無用の大御所になっていることは周知の事実なのですが、圧倒的な美的感覚に優れた映像を通して神々しいまでの彼女の美しさがひしひしと観客に伝わったことでしょう。その貫禄と風格は「厳か」という他ありません。チャンツィイー以外の俳優のすべてが彼女の下僕に見えて仕方ありませんでした。ところで無名のころのチャンツィイーは、キラリと光る原石のような天然の魅力があり、自分の美しさにまったく気がついていない無垢な「美」があったと思います。当時は末恐ろしい女優だと思ったものですが、ところが「SAYURI」では、絶頂を極めた彼女が、まさにアジアナンバー1と呼ばれる自分の美しさを自覚し、そしてその類い稀なる美貌を自ら思う存分に魅せようとしている、そして彼女には他を寄せ付けない圧倒的な武美があり、ゲイシャという役柄を通して、その端麗な容姿から縦横無尽の立ち振る舞いを惜しげもなく披露する、それはまさにこの映画がチャンツィイーの、チャンツィイーによる、チャンツィイーのための作品だということを誇っているように思う。その彼女の恋愛相手となるべく日本男児は、別所・渡辺謙。彼らは日本ではかなり有名な俳優ではあるが、チャンツィイーの前ではもはや奴隷に等しい。彼女の圧倒的な存在感は他の俳優の追随を許さない。ロブマーシャルの魅せる耽美な世界観と世界を美貌で屈服させたチャンツィイーによる美の競演に酔わずにはいられない。ブラボーチャンツィイー [DVD(字幕)] 9点(2006-07-14 22:42:24)《改行有》 13. サイン 《ネタバレ》 今回は地球にやってきた宇宙人を擁護したいと思います。この映画は宇宙人よりも人間の滑稽さに重点を置いた作品です。 宇宙人はマヌケだったと見るよりは、想定外の地球の汚さに呆れて帰っていたのですね。そして宇宙人が、しょぼいのもわざとです。 ハリウッド映画のすごいエイリアンばかり見すぎている私たち人間の感覚が狂っているのです。 だいいち、私たちは宇宙人を一度も見た事がないのに、なぜこの映画の宇宙人をみて、しょぼくてリアリティに欠けると思い込んでしまうのでしょうか? つまり、いつの間にか、ハリウッド映画が作り出した恐いエイリアンの映像が、「真実」だと思い込んでしまっているのです。そういう人間の滑稽な様子を、シャマランは、巧みに私たちに見せ付けています。 人間がテレビから、しがみついて離れられなくなるという姿がありますが、それは作られた映像の宇宙人がしだいに私たちの中で真実になってしまっていることと同じような気がします。 元野球選手と宇宙人の対決はもう最高でしたね。ホームランか三振ばかりしていた元野球選手が宇宙人相手に空振りしてくれたら最高でした。 私はシャマランは人間ではないと思いますね。いつも発想が人間離れしている。宇宙人としか思えません。[DVD(字幕)] 8点(2005-08-13 15:13:56) 14. 殺人の追憶 130分の映画がこれほど短く感じたことは珍しかったです。 画像が薄暗いセピア色で統一されていたのが幻想的な雰囲気を醸し出して非常に巧いです。ソン・ガンホの演技は初めて観ましたが、あの無能まるだしの田舎刑事役も、腹がたつと感じるよりも、なぜか親しみが持てます。もし彼以外の人間が同じ事をやったら、軽蔑や嘲笑の対象となるでしょう。 これは韓国の歴史や、韓国人の性質を知るための映画ではなく、「人間」を知るための映画だと思います。彼の顔はハンサムとはお世辞でも言えませんが、一度見たら、頭からこびりついて離れません。それだけでも俳優として才能があると思います。 それに比べて邦画の刑事映画は、宣伝ばかりに力をいれて、かんじんの作品は手抜きだらけです。 どうしようもありません。「どうして現場に血がながれるんだー」なんて言っている場合ですか![DVD(字幕)] 6点(2005-04-24 21:38:44)(笑:1票) (良:2票) 15. サンキュー、ボーイズ 《ネタバレ》 この映画はぜひ観たほうがいいと思う。長所も短所もむきだしにしたバリモア演じる母親がじつに素晴らしかったので。彼女が演じる母親はいわゆる「できちゃった結婚」で仕方なく母親になった女性。彼女は望みもしないのに生まれてきた自分の子供に夢を邪魔をされることと、社会的弱者の夫に嫌気がさしていた。つまり自分の夢を持っている向上心旺盛なこの母親は、不幸な夫や子供にいつも足をひっぱられているとずっと思っていたのだろう。 「私はもしかしたら義務感で家族を愛しているのではないか?」と親友に打ち明けたバリモアの心の苦痛を表した台詞に感動した。これこそが本当の人間の姿だと思う。母親だって人間─。そして人間は弱い。多くの欠陥を抱えながら生きている。 母親だからといって当たり前のように無条件で子供や家族を愛しているわけでもない。いろいろな悩みがある。 バリモアはそういう母親を見事に演じきった。 そして息子はそんな母親を目の前にしてポツリと自分の心情を吐露する。「僕のせいで母は自分の人生を犠牲にした」と。 しかし母親は最後に息子にこういった。「私はあなたに自分の夢を邪魔されたと思ったことは一度も無い。あなたがいたからここまで頑張ることができた、ありがとう」と。 本心だと思った。 こういう言葉は、15歳で子供を持った母親のときには気がつかなかったと思う。長い年月を重ねてはじめて言えた台詞だ。「サンキューボーイズ」と。 それはつまりこの映画のタイトルであり、彼女が描いた小説のタイトルでもある。 ちなみにボーイではなくて、ボーイズであることが一番大事なポイントだと思う。つまり彼女が感謝する対象は息子だけではなく、あの駄目な夫まで含まれていると想像する。 とても濃密な人間ドラマだったので高く評価したい。10点(2004-12-19 21:24:15)(良:2票) 16. 座頭市(2003) 《ネタバレ》 この映画には「サムライ」や「忍者」「切腹」「芸者」など、所々に日本を魅せようとしているところがあるがしかし実は監督は純粋に娯楽映画を作りたかったのだと考える。 最後のタップシーン。 あれは良い意味でこの映画をぶっ壊してくれた。 北野監督が観客たちに対して「どうだ、お前ら見たか!ざあまみろ」と言っているような気がして楽しかった。少し真面目に見ていた私もあれにはあっけにとられたがまさに監督はそれを狙っていたのだと思う。 そもそも市が何のために敵と戦っているのかを真面目に考えることすら意味は無いかもしれない(笑)賭博場でたった一度だけイカサマした相手を全員皆殺しにするシーンを見ればそれがよく分かる。ようするに理屈なんてなく、これは完全無欠の娯楽超大作だという強烈なメッセージが随所に見られた。 どうせならあの踊りには死んだ敵の親分や浅野や、切腹した女房などをすべて参加させて欲しかった。そして最後は撮影スタッフも乱入させて賑やかにやってもらいたかった。 そこまではじけても良いのではないだろうか?8点(2004-11-30 22:49:36) 17. サウンド・オブ・ミュージック この時代でここまでのミュージカル作品を作った事は評価できると思う。 この映画を青年期に観た方はさぞかし驚かれたのだと思う。 それが今に至っても薄れることのない感動として記憶に残っているのではないだろうか。 それが高得点につながっている。 そういうことはあると思う。私も今観て感動した映画は、時がたって映画が格段に進歩しても色あせない思い出として残るだろうと思う。[DVD(字幕)] 8点(2004-09-26 10:59:33) 18. 三銃士(1993) 強そうに見えない、三銃士が。 4点(2003-10-15 01:59:28) 19. ザ・ファン デニーロらしいしつこい役を演じている。2点(2003-10-15 01:49:47) 20. ザ・ビーチ(2000) 最初は面白かったが後半は別な映画になってしまったようだった。1点(2003-10-15 01:45:42)
|
Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS