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プロフィール
コメント数 450
性別 男性
自己紹介 大阪府出身、岡山県在住、阪神・下柳と同年月日生

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  グエムル/漢江の怪物 《ネタバレ》 生きるとは食べること。本能的な機能に擦り寄れば、生きるとは食うこと。グエムルはなんのてらいもなく人を食う。パク一家はインスタントラーメンをぱくつく。唐突に姿を現したヒョンソに食べ物を与えることで家族の根源的な機能を画面に焼き付ける。これはヒョンソを助けるために奔走する家族の本能的な物語ではないか。本能ならばこそ、走る行為、食う行為のその美しさと醜さが同居する。きれいはきたない、きたないはきれい・・・それは無垢な少女ヒョンソの下水溝のドロに汚れた顔のクローズアップとタクシーから降りた時に夕日の逆光に照らされる野宿者のカットに象徴される。ラストシーン、ソン・ガンホの髪が黒いことは、それまで徹底してガンホの顔を覆っていた消毒剤などの遮蔽物が晴れて拭われ、生まれたままの姿での彼の再生を謳っている。ヒョンソが命をかけて守った男の子はヒョンソの生まれ変わりであり、必然そのシーンは「めし」となる。雪の暖かさが涙を誘う家族の物語である。[映画館(字幕)] 10点(2006-09-07 19:46:08)(良:2票)

2.  パッチギ! 《ネタバレ》 「ゲロッパ!」を見て「パッチギ!」を敬遠していたワタシに告ぐ。アンタは馬鹿だ。そうです、こいつには感動しました。人が一人死ぬ、人が一人生まれる。アンソン軍と大西軍の対抗戦は、勝ったり負けたり、やったりやられたり。鴨川を挟んでの大乱闘は「引き分け」。この大乱闘が象徴するようにこの映画はヒキワケの映画ではないか。直接的には「イムジン河」が南北朝鮮統一の悲願、日本人と在日朝鮮人の幸福な共存を謳い上げるのですが、敷衍して、この広い世界のあらゆる対立や、この長い歴史のあらゆる事象が、勝ったり負けたりといった概念を超えたところに本質、意義、求むべきものがある、つまりはすべてヒキワケなんだと。人生の勝組や負組などとほざいている連中にはパッチギかまして一歩でも前に進もうぜ、命かけてと誓った日からすてきな想い出は生まれるのだ、とそんなことを通勤電車の中で叫びたくなる映画であります。[DVD(字幕)] 10点(2006-01-31 13:12:56)(良:4票)

3.  ヘイフラワーとキルトシュー さすがデザインの国フィンランド。お家のインテリアはもうどれもこれも抱きしめたくなるくらいキュートキュート。イエロー調のキッチン、ブルー調の子供部屋・・・壁紙、タンス、カーテン、ドア、テープルクロス、そして登場人物の衣装もファッションショーのごとく魅せてくれます。花がいっぱいの庭に、風船や原色パン生地などのアイテムがカラフルに映画を彩り、ヘイフラワーとキルトシューの笑顔にもうく~らくら。9.11の翌年に製作された映画、登場人物がすべて対になっている映画だけに、姉妹の対立と和解による家族再生の物語が、民族・国家の対立と和解による世界再生の物語として読み替え得る、などとは考えずに、ただただキュートなデザインと笑顔を楽しみましょ!ホントに可愛い映画なんですから。[映画館(字幕)] 10点(2005-10-24 23:06:40)(良:1票)

4.  エレニの旅 旧の酒場での1シーン1ショット、演奏が中断と再開を繰り返す音の有無。その中断と再開は、民族紛争、大戦、内戦といった20世紀ギリシャの戦いの中断と再開の連続を縮図としているように聞こえました。音楽を奏でることができる=安寧、演奏できない=戦い、この構造を基本にこの作品では音楽とはまさに音を楽しむことである、と分からせてくれます。アレクシスの旅立ちを祝う白布の丘での演奏が、銃声一発で止まってしまうシーンなど象徴的でした。水を中心に火、木、また汽車や船が語る雄弁な映像美はもちろん、逆難民ギリシャ人としての公と難民内での個という二重構造のスケールの大きさ、ラストシーンに込められたエレニ=ギリシャの哀しみにはため息です。そして、あれだけの河沿いの街をセットとして築き上げ、ダムの水を流し撮影するというアンゲロプロスチームには白旗なのです。[映画館(字幕)] 10点(2005-06-19 22:40:47)(良:3票)

5.  冬の日 日本独自の文化である「連句」を一句一句、内外の名だたるアニメーション作家に解釈、イマジネーションしてもらいアニメーション作品とする着想が素晴らしいです。そして30数名ものアニメーション作家の作品を、流れるように鑑賞できる贅沢には幸せを感じます。池辺さんの音楽もそれぞれの作品に合っていい感じですね~。私はけっしてアニメに造詣が深いわけではありませんが、一つ一つの作品の個性から、その作家の他作品を見てみたいという鑑賞欲が湧き上がってきます・・・特にはロシアのアレクサンドル・ペトロフさんのガラス画の繊細なタッチに強くひかれました。それにしてもアニメーションとはまさにアニマ=魂が宿ったものであることを再認識させられた次第であり、先日放送されていたドキュメント番組で見た川本喜八郎さんの人形アニメに対する情熱には敬意を表さずにはおれないのであります。[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-05-14 23:42:14)

6.  きょうのできごと a day on the planet 何もないけど何かある。いいですねーこの空気。行定監督の「こんな映画を撮りたい」感がその空気に伝播しまくってます。伝統工芸のように丁寧に紡がれた1シーン1シーンは、どれも等身大で愛しい。西山がつくった“シンメトリー”は、この映画の1コマ1コマと我々の日常の1コマ1コマがシンメトリーであることの象徴だと解釈しておこう。そして、いまもどこかで誰かがコンビニへ自転車を走らせている。中国を統一しようとしている。きょうのできごとをニュースで見ている。10点(2004-04-05 21:20:44)

7.  花とアリス〈劇場版〉 映画全体を貫く淡い質感、色感。その淡さは、度の低い心地いい酩酊感に誘い込む。そして、物語のリアリティーは論理思考外に放り出され、ひたすら花とアリスの“風の舞”に身をまかせ、ほろ酔う。中心に位置する“先輩”の情報量はどこまでもミニマムに、花とアリスはその周りで、嘘と本当、遠慮とエゴ、芝居と現実の間の振幅を舞う。流れる音楽も淡くせつなく。でしゃばり過ぎない伏線が彩りを添え、アリスが自らの意志で踊り出すバレエに冒険心、解放感が与えられる。もしも、記憶喪失になってもこの映画の記憶は忘れたくない、っつって。10点(2004-03-20 01:45:46)(良:1票)

8.  かもめ食堂 透明なウィンドウから食堂に差し込む光がテーブルを白く輝かせ、ガラスコップやコーヒーカップがその白さに溶け込むように存在する。そこで展開する“お皿を磨く”“テーブルを拭く”“シナモンロールを作る”、そんな彼女たちの行為もその空間に溶け込んでいく。単なる会話の切り返しやクローズアップを廃し、人物を綺麗な位置関係に収めている。ワンショットは、振り向かせたり、立ち上がらせたりといった運動を伴わせ、シークエンスに挟まれるショットも路面電車、船、自転車が動いている。動く→食べる→動く→食べる、この人間=動物の単純な営みに潜む幸福感の主張がささやかだ。「やりたくないことはやらない」小林聡美と「やりたくないことでもやらざるを得なかった」もたいまさこと「やりたいことがわからない」片桐はいりが、その単純な営みを一歩昇華させ、いつでもどごでも人間は関係性の中でさらなる幸福感を得ることを見せる。動物と食材との物理的関係、個体と個体との精神的関係。オープニングの太ったかもめがとても幸福そうに思い返された。[映画館(字幕)] 9点(2007-01-10 23:34:56)(良:1票)

9.  LOFT ロフト(2005) 持続した画面に出入りする豊川と西島の緊迫感、窓から差し込む光と手前の闇のコントラスト。黒沢清が冴え渡る。[映画館(邦画)] 9点(2006-09-30 09:48:40)

10.  ニュー・ワールド 画面は見上げたり見下げたりするショットを多用し、人物の言葉は地位や指揮権など資格に執着する。ポカンホンタスを通じて、人にカミシモはないのだ、などとは宣誓しない。<愛される>資格を描き、資格を抽象化させながら、宮廷で見上げるポカホンタス、見下ろす廷吏の視線が交わる。どこまでもつきまとう資格から逃れられない人間の、美しく生きる姿をポカホンタスが具現する。木に登る彼女から地面に這いつくばる彼女に移行する画面の落差に感動。[映画館(字幕)] 9点(2006-05-06 20:38:50)

11.  エリ・エリ・レマ・サバクタニ 大地にドカンと据えられたスピーカーから流れる<音>、マイクスタンドには友の死を弔う黒い帯が喪章として風に揺れており、その黒い帯が目隠しとして少女に装着される。ここで黒い帯は、少女から視覚を奪うと同時に我々観客に<音>が主題であることを駄目押しのように分からせるのですが、さらに喪章という死者への鎮魂機能が目隠し→<音>により死者との再会機能に反転し、またそこに生者でありながら死者である少女の蘇生機能が重なることを悟った時、浅野忠信によって掻き鳴らされる<音>が身体に裕福に沁みていったのであります。 ♪パイノパイノパイ~・・・「東京節」を口ずさみながら劇場を出ましょう。[映画館(字幕)] 9点(2006-02-17 23:25:10)

12.  ミュンヘン 《ネタバレ》 ミュンヘン→ニューヨークの双六のような感覚を受けます。「美女に騙される、一回休み」、そんな各都市のマス目は、空間設計、色彩に仕掛けの楽しさが見え、各都市の異相は「みんな違ってみんないい」違いではなく、「みんな違って」悲惨な違いとして目に映ることになります。それは、無国籍で不詳なパパの家が、庭を駆けずり回る子どもたちと一家団欒に差し込む暖かな光線に包まれ、終盤で主人公とこのパパが電話で話すシーンは画面があからさまな寒暖を際立たせていることでそう見えました。あたかも一家族を一国家とすることで国家というHOMEと家族というhomeをぴったり貼り合わせホームを消し去る=ホームレスをユートピアとして描く。HOMEとhomeを交錯させながら、homeを選択しHOMEを拒絶した主人公とhomeに招かれることを拒むHOMEなイスラエル高官、その対称と曇天のニューヨークで閉められるラストに、人類はけっしてアガリのない絶望的な双六ゲームで遊ぶ愚者であるかのように感じます。くもり空を覆ったアメリカ糾弾の物語は、何度トライしても「ふり出し(=ミュンヘン)に戻る」マスに止まる人類を遠く笑い、描いたユートピアをはるか彼方に絶望の姿として見せながら、我々の喉元に鋭利な現実を突きつける、しかしけっして少女を消し去らなかったことに絶望中の希望を見たい。[映画館(字幕)] 9点(2006-02-10 17:10:44)(良:1票)

13.  亀も空を飛ぶ 作品全体を貫く力強さと繊細な細部、ドキュメンタリータッチとファンタジーのパッチワークが鮮やかに織り込まれた映画でした。たくましいやひ弱いといった形容を拒むように生きるために成すことを成すクルドの人々が描かれ、結果、同情や共感を拒むような屹立としたフィルム空間が生まれているのです。赤い金魚や亀、サテライトや目が見えない赤ん坊が比喩的でありながら、その意味を探ることが無意味であるかのように全てを無化しグレーで包み込んでしまうような曇天の空に、もしかしたら世界中のすべてが曇天であるかのような錯覚さえしてしまうようなその空に、青空にはない普遍性を感じながら映画館を出るとそこは曇天の冬空。この空はクルドにつながっているのか。[映画館(字幕)] 9点(2006-01-03 18:02:01)(良:2票)

14.  世界 この作品、北京の「世界公園」を舞台に、女性ダンサーと彼女を取り巻く人間模様を描き“いまの中国”を表現するという着想を得た時点で監督には勝ち組のゴールが見えたのではないかな~。“世界”で愛を求める孤独感、“世界”に日々いることの閉塞感、“世界”から抜け出せない焦燥感・・・ミニチュアの「世界公園」を比喩に後はそれらをどう切り取っていくか。全体を覆う寒々としたフィルム(デジタル→フィルム)の質感が孤独感を、ワンカットで長々と回されるカメラの前の沈黙した空気が閉塞感を、ダンスが華やかであればあるほど焦燥感を現前させているように見えました。主人公タオとロシア人アンナが沈黙したまま人力車に揺られるシーンの顔に射し込む光の美しさ、言葉の通じない二人が交わす会話の豊かさよ。タオの心象を現すアニメ、携帯電話のメール、まんま使われる「東京物語」の音楽もよしとしましょう。「今年は雪が降らない」世界を締めくくるラストのほのかな雪に、二人の世界が暖かく展ける・・・ミニチュアの世界がようやく等身大の世界を手に入れたように見えるその痛々しさに心惑わされる傑作です。[映画館(字幕)] 9点(2005-11-27 23:42:37)(良:1票)

15.  子猫をお願い それぞれの二十歳の今と五人の今が実によくフィルムに顕われています。個人の悩みや迷いが仲良し五人組という集団に収斂され解消された高校時代。そして、集団が個人を回収し得なくなった、今。そのことを五人がそれぞれに気づきながらも、それでも崩れそうな砂上の城、私たちだけの城、拠らざるを得ない城で誕生会を開いたり、携帯電話にメッセージを送ったり、誰かに会いにいったり。しかし、あっちへこっちへと楽しそうに写真撮影していた同じ方向に流れる彼女たちは存在せず、ショッピングセンターでバラバラになってしまう彼女たちがいます。割れたガラスに写った彼女たちがいます。その中でもがく彼女たちの姿に、案外友情って相手を思いやることではなくて、個々がエゴに振る舞ったその先にあるものではないかな~、などと思ってしまいました。テヒにしても、ボランティアを「好きでやってるんだから」と言ってるし。だから私には、個々の都合でお願いされる“MY CAT”が清々しく見え、ラストの飛行機にアカルイミライが見えたのでした。[DVD(字幕)] 9点(2005-11-18 13:21:10)(良:2票)

16.  TAKESHIS’ マトリョーシカ人形のような叙述的トリックを駆使した作品ですが、トリックそのものを構造的に分析して楽しむような映画ではないです。そのトリックから見えてくるのは、あらゆる境界の不鮮明な流動性。二役以上演じられるキャスト、二挺拳銃の右と左、内山君と松村、ラーメン屋の親父と言葉を反復する組の若、テレビの向こう側とこちら側、そこに大した差異はなく、「ヨイトマケの歌」とクラブミュージックも等価に描かれ、虚構と現実、外在的心理と潜在的心理、素の自分と演じる自分の線引きが困難であることが露呈していきます。一見分かりにくい説話構造を拝借することで、二項対立的な分かり易さを崩す、そのために<ビートたけし>と<北野武>という身体が利用される、よって身体と心の境目をもぼやかしにかかったかのではないか。しかしだからこそ、銃器の前に一転ひざまずく人間の弱さ、惨劇の横でラーメンを食べる人間の無関心を反面として、自分を強く持たねばならない、他人を強く思わなければならないという声が聞こえてくるようでした。 ではまた夢で逢いましょう。[映画館(字幕)] 9点(2005-11-07 13:11:27)(良:2票)

17.  春の雪 撮影は誰だ、リー・ピンビンだ。深度の浅い望遠を多用し、徹底的にピントで語ります。縦に人物を配置し、カメラは緩やかにワンショットの中で止まると死んでしまうかのように移動し続けますが、ピントは的確に送られます。こうなってくるともうピントにピントがいくわけで、ピントの観察会となってしまいました。すると対象をカメラが捉えたまま、微かにピントを一瞬ずらしてすぐに戻すということをやっていることに気付き(たぶん)、むむむっと唸っていると隣りのおばちゃんの携帯が鳴り始め、今度はむっと・・・。大正時代を象徴するかのように黄色を基調とした照明も素晴らしく、しかもしかも若尾文子さんをスクリーンでまた見れるとは。ラストのキャストクレジットでもちゃんとトリにしてくれてるし。なんか気が付けばピントのボケたレビューとなってしまいました。[映画館(字幕)] 9点(2005-11-01 00:34:36)

18.  カリスマ 職場の同僚に前々からこの「カリスマ」を見てその内容について語ろうと言われていたので、CSで放送されたのを機に鑑賞。今朝からその同僚と、映像に込められた生きる力と殺す力、自然と人間などについて、あのシーンはどうのこうの、このシーンはどうのこうのと二人で話していたらすっかり午前中はほとんど仕事が捗らず、私は昼から懸命に仕事をこなさねばならないのであります。どうのこうのと話させる映像の力を持った罪な映画ですな~。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-06-24 12:32:37)

19.  ミリオンダラー・ベイビー 自らの誕生日にスピードバックを返す。次の誕生日にはビジネスライクなマネージャーを贈られ拒む。母に贈った家は喜んでもらえない。このバランスの崩れたマギーの贈与に正当な光を与えるのがフランキー。アイルランドへの郷愁、自家製のレモンパイへのこだわりに窺えるフランキーのホームへの渇望は、妹といっしょに犬を笑い、父と遊んだ幼き頃へのマギーの思慕と重なり、美しく無償の愛が交換される。市民ケーン的な形式を踏んでいた「アビエイター」よりもこの映画が市民ケーン的に見えるのは、始終マギーの瞳に透過された薔薇のつぼみを我々は見てしまう、見えてしまうからではないだろうか。[映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 13:26:46)(良:1票)

20.  いま、会いにゆきます コピー「落涙度100%」てか・・・よ~し、泣かしてもらおうじゃないのとハンカチを1枚余分に用意して見に行きましたが、<結論>持っていってよかった。試合前は舌戦に終始しながら試合後に抱き合う格闘家のような関係が、私とスクリーンの間で築かれました。亡くなった人間の再登場、「黄泉がえり」のような設定は、この映画ではあくまで純粋なラブストーリーをいかに語るか、の手段として用いられているだけで、再会と再別離に重きを置いていないところがいいですね。そして過去を振り返る形でのナレーションですが・・・この作品では、中村獅童の切々とした語り、竹内結子の清々とした語りが、説明台詞というよりも、リズムを刻むといった感じで音として心地よく響いてきます。小道具や伏線があまりにも決まりすぎる感はありますが、柴主さんの安定したカメラ、種田さんの丁寧な美術、そして土井監督の演出により力量感あふれる純愛映画となっているのではないでしょうか。といったあたりでペンを置かせていただきます。←このペンは大事なペンではないです。9点(2004-11-16 22:49:55)(良:1票)

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