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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. レプリコーン レプリコーン全然悪くないです。全部人間が悪い。本人のもの返せばいい話やんか!腹立つなー。全部人間側の都合で起きた騒動で、何だか凄くムカつきます。出て来る人間出て来る人間、低脳で身勝手なアホばかりなんで、これは頂けない。ところでジェニファー・アニストンは足がキレイですね。[ビデオ(字幕)] 2点(2006-06-08 15:28:22) 2. ドラキュラ(1992) 中学生の頃に友人数人とこの映画を観て、ゲイリー・オールドマンの髪型に「前葉体!前葉体!」と爆笑していた。出る度に「また出た!前葉体出た!ハートおやじ、もういいよ!」と腹がよじれるほど笑った。何があんなにおかしかったのだろう。若いっていいね。前葉体…懐かしいな。そんな名称憶えても生きて行く上で特に何の役にも立たない。[映画館(字幕)] 5点(2006-03-05 11:37:15)(笑:3票) 3. ニードフル・シングス 私の人生の最終目標は、あの骨董屋のじいさんのようになることです。[DVD(字幕)] 6点(2005-07-28 00:12:35) 4. 8月のメモワール 発端は小さな子らの喧嘩。そして、悲しくて伏せた睫毛は目の下に「影」を作るし、悔しくて握り締めた拳の中にも小さな「闇」が出来る。些細な悲しみと怒りが、影と闇を生み出す。そしてそんな取るに足りないような影や闇でも、人間を侵食するに十分な力を持ち、その機を狙っている。白い絵の具と黒い絵の具、同量を混ぜたらどっちが勝つかなんて、やってみなくても誰でも分かる。同じ質量なら、正の力が負の力に敵う訳なんかない。それは増幅する。影は人を覆う。闇は世界を席巻する。どんな戦争だって発端は、小さな子らが作り出した、目の下や拳の中の、ほんとうにほんとうに取るに足らない影と闇に過ぎない。変な邦題に騙されてはいけない。これは立派な反戦映画だ。そこにあるのは、最も根源的な「戦争」の姿なのだから。6点(2005-02-15 00:33:14)(良:1票) 5. 白い風船 泣きそうな子供からお金を取る芸人、それを無表情もしくは半笑いを浮かべて助け舟も出さず眺めているだけのギャラリー。お金を落としても手を貸してくれない大人たち、困っている子供に物欲しそうな顔で話しかける若者。全てが私の価値観・良識と符合せず、いつしか自分の価値観が、この世界ではてんで的外れなことに気付く。“価値観を試される映画”だと思った。この世界では、これがあるべきあり方なのだ。誰も文句は言わないし、文句などそもそも発生しない。悪意もない。罪もない。あるべきあり方として、世界が構築されている。私がこうやって指摘するのも野暮な位に。そして、助けてもらってもお礼1つ言わない兄妹たち。うーむ、自分の価値観をとことん試された。私も随分頭が固い。7点(2005-01-09 22:59:43)(良:1票) 6. ネイキッド(1993) 捻くれた哲学論を翳すダウナー系ナルシストさん。彼が繰り出す漂着する当てもなく空転する衒学的ナルシシズム。何だろうな、滑ってる。色々な意味で。シャープなように見えて露骨で野暮ったくて、醸し出される空気もそこにいる人も皆、取り付く島もなく滑ってる。クールでもスタイリッシュでもない。そうあろうとして滑ってる。そんな、可哀想な子達の群像、みたいな作品だと私は見受けた。デビッド・シューリスは男前なのに、出て来る女優は「ん?」な人ばかりでした。肉まんみたいなのとかトリガラみたいなのとか。4点(2004-12-28 19:44:51) 7. フェノミナン 人間は本質的に孤独だと思う。人は自分の脳みその中から一歩も出ることなく生き、死ぬ。確かに、絶対的に存在するこの世界は確固としているけれど、そこに70億人いれば70億人分、それぞれの脳で処理され、それぞれの網膜に映るそれぞれの全く異なる世界がある。人はつまり、100パーセントの主観の中に生きている。1つの世界を内包し、内包されている。主人公はそれを知ってしまった。そしてそれを、本当は誰もが知らなくてはいけない。世界とは自分であり、自分とは世界であるということ。人が1人死ぬということは、1つの世界が未来永劫喪われるということ。I can change the world.僕は世界を変えることが出来る。それは誰だって、いつだって。最後の瞬間が来るまでは。“自分が変われば世界は変わる”それは格言だと思う。ほんとうにほんとうのことだと思う。6点(2004-12-19 14:16:45) 8. DEAD OR ALIVE 犯罪者 冒頭数分のテンポの良さとスタイリッシュさにはなかなか掴まれました。レンタル店のVシネコーナーに並ぶようなタイプの映画に普段興味のない方にこそ観て欲しい。感嘆するか石投げるかは個人個人の感性と価値観(と映画に対する良識?)次第ですが、三池監督は勇敢だと思います。私だってヒギャアアアアアアアアアってなりましたよアレには。何だろう、アレ。何なんだろう、アレ。なぜ企画が通ったんだろう、アレ。思わず撒き戻して3回観た位です。あのラストを観て1週間位は楽しく生きて行けると思いました。私は。7点(2004-11-21 12:05:27)(良:1票) 9. 永遠と一日 永遠とは全てを包括し総括した絶対的な概念であるはずなのに、同時に絶望的に曖昧で不確定で、具体に寄らない卑怯で狡猾な逃げの表現でもある。永遠とは不確定と不毛と矛盾の総体だと思う。永遠というプログラムには脆弱性があって、それを埋めてくれるアップデートはないのです。老人の最後の一日。永遠の通過点の1つに過ぎない一日。だけれど時に、極度に限定された一日の質量は永遠のそれに匹敵するのだ、とこの映画は提示する。それは厳しく優しい矛盾、永遠が持つ脆弱性でした。老人の最後の一日、だけれどそこには紛れもない永遠がありました。優しく穏やかな「永遠」という澄んだ混沌がありました。8点(2004-11-21 12:03:28) 10. クロウ/飛翔伝説 もし私が大切な誰かを残虐な形で殺されたら、多分復讐する。だから私は、世界を覆う憎しみの連鎖に対しても、何も言えない。私は実は今でも、復讐は悪だという概念が分からない。頭では分かっているけれど、心が拒否する。復讐とは行き場をなくして変質した「愛」の転嫁なのだと思うから。誰かを愛するということは、他の誰かを愛さないということ。憎むこと。その表出を悪だとは、私はとても言えない。絶望的に愚かなことだとは認めても。愛というものは諸刃の剣なのです。世界が血を流すのは、世界が紛れもなく愛に溢れ、愛というものの質量を持て余しているから。主人公が見つめる世界は、私たちが見つめる世界と同じく、陰惨で不毛で、持て余す程の愛がある。だから私は、この映画が好きです。 10点(2004-11-05 22:06:55)(良:1票) 《改行有》 11. どっちにする? 擬人化された動物たちが闊歩する街。ワニが歯の治療の為に三日月を訪れ、めかした羊が首輪を付けた犬を散歩させる。アルマジロが太陽に絆創膏を貼ってもらい、緑の虫が美味しそうに電球を食べる。思い付きそうで付かない、何気に卓越した想像力にしばし唸る。5点(2004-11-03 17:12:18) 12. バベルの本 子供たちが偶然拾った本の中にあったのは、封印された古文書が並ぶ、秘密と禁忌の匂いのする隠匿された図書館。バベルの塔。彼らが垣間見てしまうのは、そこに圧縮された膨大な量のログのほんの欠片。それでもそれは、幻獣が闊歩する人智の及ばない世界の命がけの冒険譚。デジタル映像だけれど、なかなか味のある雰囲気が出ている。監督がインスパイアされたというJ.L.ボルヘスの「幻獣辞典」もその内読んでみたいと思いました。6点(2004-11-03 17:06:49) 13. ボクシング・ヘレナ 出て来る人物全ての髪型と服装が許せない。もうみんな絶望的にファッションセンスが駄目なんだけれど、特にヘレナの恋人なんか普通のテンションで乳首の透けるシースルーの服を着てた。それがこの世界観の中ではクールなものとして扱われている。許せない。つまりは映画の世界観自体にセンスがないんです。ああいうのは個性ですらないです。演出にも違和感ばかり。何ですか、あの突然変なスローモーション入ったりするのは。残念です、テーマは悪くないと思うので。センスがあればもっと良い作品になったはずなのに。3点(2004-10-28 23:33:56) 14. ハモンハモン 《ネタバレ》 どうしよう、登場人物みんなアホだぞ…。1人もまともな人がいないぞ…。困り果てて頭を抱えた。しかも最後にゃハムで殴り合うし(アレにはケラケラ笑いました)。こんな節操のない目茶目茶な人間関係に対し、何を思えというのか…。狭い隣人同士でみんな繋がっていて、例えるなら「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルス」肉欲版。何だかんだ言って、実は楽しい。6点(2004-10-19 20:20:46) 15. マッシュルーム(1995) こんなに食べ物をことごとく不味そうに見せることに成功している作品を観たのは、ヤン爺の作品以外では初めてです。ちょっと一見に値しますよ。ビデオパッケージの雰囲気からノリノリのブラックコメディかと思っていたのに、いざ観てみると映像のトーンがひどく暗い上に黄色味が強く、何やら無駄にアーティスティックな雰囲気すら醸し出されている。人生に一段落付けて、人生に新たな意味を見出す初老の女2人。ということで、例えるならこの物語、ブラックコメディ版「八月の鯨」。……いや、嘘です。6点(2004-10-19 19:32:31) 16. キッズキャッスル 赤ん坊の時分、ほんの瞬きの間だけ与えられる、枠組みもイデオロギーも制約も境界も否定要素もない、本当に自由な時間と空間。キッズキャッスル。人が、最初の喪失を前提に住んでいた城。荒唐無稽という概念がないから、その城では何でも起こる。描線だけで表現される玩具たち、それはまだまだ未発達な情報処理能力ゆえ。だけどそこには同時に、どんな解釈も許され、いかなる方向の選択も許される、良い意味での無限の間隙がある。5点(2004-10-17 19:44:15) 17. ユリシーズの瞳 泣きそうな気持ちで目が覚めることがある。重い夢。内容など何一つ憶えていないのに、その夢の終焉が悲しいことだけは分かる。重く長く深く辛く愛しい夢から、今しがた無理矢理引き離された、そんな喪失感と共に目が覚める。そんな夢をたまに見る。質量の大きく、密度の高い夢。この作品の背景など全然分からない。だけれど今思い返すに、そんな、長く重い夢のような作品だったような気がする。堆積する歴史。清澄な澱。静謐で肥沃な泥土。100年の孤独。この作品を思うと、ただそんなイメージが静かに湧く。7点(2004-10-12 17:12:40) 18. 春にして君を想う 眼前に茫洋と広がる霞む大洋。それは現実でありながら同時に、老境の心象風景のようで。私にはまだ、現実と夢との間に確固とした境界線がある。でも老境に立ち、生からの分離を目前とした者にとっては、現実と夢の境界線は、私が思うよりも無価値で無意味なものなのかも知れない。2人の老人のこれは紛れもない現実で、でも同時に1つの夢のように思えた。人生はいつか終わるし、夢もいつか醒める。その両者に、何の違いがあるのか、と。6点(2004-10-12 05:22:55)(良:1票) 19. ソナチネ(1993) 死神と踊るやくざたち。如実に表れた北野監督の死生観。死が生を内包しているのか、生が死を内包しているのか、お互いが属しあっているのか、何とも言えず限りなく同じ所にある生と死。監督に自分の自殺願望を見せ付けられているような、所詮超えられないものがあるんだよ、と言われているような映画。超えられる人と超えられない人がいる、という比喩の「ソナチネ」。タイトルの由来を知った時、心が妙に騒いだ。私はバイエルを終えてしばらくしてやめた。ソナチネには届いていない。8点(2004-09-26 15:35:32) 20. 日本製少年 無気力や空虚を否定しない空気が、何だかもう、絶望的に好きです。90年代半ばの日本の10代を包むどうしようもない虚無感と諦念、当てどもない内的及び外的彷徨を、これ以上的確に表現した映画は知らない。その非現実感とフェイク感、ナルシシズムも全て含めて。9点(2004-09-26 15:33:47)
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