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プロフィール
コメント数 23
性別 男性
自己紹介 点数は一応表記してますが、それはこのサイトの方針ゆえやむをえずって感じで理解して下さい。作品を総合して点数をつけるのではなく、単なる好みで判定しています。むしろ、テキストを読んでくれることを願っています。

苦手な映画のジャンルは、ホラーです。

現代日本映画とバイオレンス映画が好み。

好きな作品:スカーフェイス,ゴッドファーザーシリーズ,ヒストリー・オブ・バイオレンス,クラッシュ,シティ・オブ・ゴッド,スナッチ,ロック・ストック・アンド・トゥースモーキング・バレルズ,バートン・フィンク,ブルース・ブラザース
/ソナチネ,BROTHER,AKIRA,天空の城ラピュタ,殺し屋1,サブ(SABU)

好きな男優:浅野忠信,アル・パチーノ,ベニチオ・デル・トロ

好きな顔の女優:小雪,鈴木京香,広末涼子,天海祐希,ナタリー・ポートマン

くそったれブログ:
http://blogs.yahoo.co.jp/do_you_like_violence

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1.  20世紀少年 《ネタバレ》 原作を読んでいる者としての感想。 原作は物語が「先を読ませよう」とするスリリングな内容で、時間軸の定まらないストーリー展開、”ともだち”やオッチョ以外、さほどビジュアル的に個性を主張しないキャラクターが占めており、漫画でありながら絵で見せるというより、物語を見てもらうための作品だった。 それを考えると、物語の構造はしっかりしており、映画版は物語を忠実になぞるという手法を取ったことについては、評価できる。 だが、漫画の巻数の割に情報量が多くストーリーが緻密なため、物語が膨大であるという感じがする原作を、わずか3部作に収めようとすることに無理があるのか、説明をはしょっているシーンが幾度も見られた。 特に、大人になったケンヂが”ともだち”の組織が自分たちの身近に感じられるものであり、組織と対決しようとするまでの過程が、シンプルにすぎて、情けない中年男だったはずのケンヂが、どうして対決するまでに至ったのか、時間をかけるべきだった。 漫画を読んでいる時から違和感があったのだが、”ともだち”というネーミングは何とかならなかったか。振興宗教がバックボーンにある友民党のシンボルマークにしても奇抜すぎるし、友民党という政党名にしても同様だ。おそらくは、組織が起こした大規模な犯罪を解決してきたのが組織で、自作自演の効果で、国民が友民党というふざけた名前でも、宗教の教祖が”ともだち”というフザケタ名前でも、国民の支持を得られたのかもしれないが、日本では新興宗教に対して拒否反応がある訳で、そこらへんの説得力がないと、荒唐無稽で終わってしまう。これは漫画でも解決できていない問題である。 また、役者もイマイチで、唐沢寿明と豊川悦司、石橋蓮司、香川照之、津田寛治あたりは良いのだが、常磐貴子、宇梶剛士、石塚英彦、宮迫博之、黒木瞳、布川敏和、竹中直人、竹内郁子などはミスキャストだろう。常磐、黒木は名女優のような扱いを受けているが、演技の技術は多少あるのかもしれないが、軽くてつまらない女優だ。もうちょっと、映像では売れていないにしても実力のある女優を出しても良かった。売れているから実力がある訳ではないのだ。それに、今は映画に芸人を出すのが当たり前のようになっているが、本職に比べたらどうしたって遜色がある。ビートたけしのように、演技はうまくなくても存在感があれば良いのだが、宮迫や石塚には何もない。[DVD(邦画)] 5点(2009-09-13 15:44:30)《改行有》

2.  武士の一分 《ネタバレ》  『武士の一分』は不幸な映画だ。『たそがれ』で起こした山田洋次の時代劇といい,スターの木村拓哉の起用といい,なにかにつけて映画そのもの以上に色がついてしまう印象に仕上がっているからだ。『たそがれ』を超えることができるかということと,映画俳優としての知名度が低い木村の演技に満足しうるかということが問題となってきてしまう。田舎の下級武士における人情と秀でた武芸というキーワードは『たそがれ』のままだ。もっともマスコミを一切排除して,本作だけを観られる環境にある人なら別だけれど,そんなのは山奥にでも住んでない限りできない。  『武士の一分』はあまり観客受けの良い映画ではないが,それは何も上記のようなマスコミ目線で映画を観ざるを得ないという先入観だけから来ている訳ではなく,物語の最大の問題である,妻加世の不義に対して理解できる観客が多くないと思うからだ。いかに夫の失明による生活の困窮から来ているといっても,夫に誠心誠意を尽くすような言葉と心情を提出しておきながら,島田の手練手管から逃れる術はないとは思えないからである。仮に環境が夫の上司に逆らえないといっても映画が夫婦愛をテーマにしているように見せるのだから,それなら逆らってでも貞操を守ることに意義があるのではないか?と思えるからだ。だが,そうなっては映画の問題が存在しなくなるので,『武士の一分』自体が成立しない。だからどうしても『武士の一分』がジレンマから逃れられずに,これを観客受けする映画とは,どうしても考えられないのだし,そこに感動が生まれることはない。  だからこの映画を観ていいと思えるのは,テーマだったはずの夫婦愛でも「武士の一分」でさえもなく,新之丞の情念に尽きるといえる。そして三村の叔母による加世の不義の噂,徳平に妻加世を追跡させる時などが,三村の強い情念となって現れる時,この映画はとてもよくなる。人がどうしても超えることのできない情念の奔出が,三村の表情や行動を通じて観客に伝わってくる。それは分かりやすく超時代的な感覚だ。山田の映画を観ていると,どうしてもキレイさが目立つのに,この映画ではストレートに描かれていた。そして,それを木村は泥臭く演じた。『たそがれ』では観られない人間の下らなくて払拭することができない感情をこの映画では観ることができる。[映画館(邦画)] 7点(2007-02-25 12:56:22)《改行有》

3.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》  スピルバーグ監督の作品は割と観ているが,特に好きな監督という訳でもない。『シンドラーのリスト』,『インディアナ・ジョーンズ』シリーズ,『ミュンヘン』,『ジョーズ』など見ごたえのある映画もある一方,『ターミナル』だとか『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』だとか,訳の分からない映画を撮ってしまうので困惑させられる。そしてこの『宇宙戦争』もその一つで,同じ監督なのか?と思わせられる。  確かに名作『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』のように,人間を追い詰める異生物を描く時のシーンを観ると,サスペンスを描く手腕は顕在なのだと感じる。芸がないといえばそれまでなのではあるが,強者の弱者への追跡という十八番は何度観ても優れていると思うのだ。また,『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』などには絶対にない設定が本作の魅力であるが,それは圧倒的に強い敵を描いている点だ。恐竜は,銃で倒せる。だが本作の敵は生身の宇宙人がなかなか出てこず,蛸のような乗り物に乗って,人間の生き血を吸うが,バリヤーを張っているので人間の攻撃はまったく通用しない。この圧倒的なパワーを持つ敵を描いたというのはスピルバーグ作品では珍しいことであろう。  しかし,演出に冴えがあるにもかかわらず,設定やそもそもスクリーンプレイがどうしようもない。トム・クルーズの息子はなんだ。簡単に人間を殺す敵に生身で立ち向かうため,父親と離れたにもかかわらずなんと生きているというのだ。家庭を顧みない父親という設定がトムだったから,そんな父親にアディオスというのが息子の行動ではなかったか。それを台無しにするかのような生還。  原作があるから仕方のないことかもしれぬが,最後の最後で教訓めいた台詞が出てくるのは解せない。地球と人間との共存だとか,地球にそもそもあるものが宇宙人を倒しただとか・・・実際後者の理由で映画は戦争終結に至るが,ばかもやすみやすみいいなさい。圧倒的に強かった敵が,地球に備わったものと相容れないから敗北するというあっけない結末には失望する。私はダコタが,宇宙人の攻撃を「テロなの?」といった冒頭の台詞に期待した。米国における理不尽な暴力が初めてやってきたのが9.11のテロ事件とすれば,この映画はそれを,遂に戦争にまで高めたのかと思ったからだ。現に「ヒロシマ」という台詞もあったと思うが,最後に全てを台無しにした。[DVD(字幕)] 5点(2006-09-03 22:54:42)《改行有》

4.  ババァゾーン 《ネタバレ》  恐らく私が今まで観た映画の中で最悪の作品ではないか?三池崇史の『IZO』もくだらなかったが,あんなもの比ではない。この作品こそが駄作なのだ。無論,マイク水野の推理映画よりもこちらが下位に位置する。  何がおかしいって,漫☆画太郎の漫画を映画化するにあたって,低予算で表現可能と考えているのがまるっきりダメだ。画太郎の漫画は,読者なら誰しも感じるが,鼻水と涎のオンパレードによる,人間を宇宙人へと変える作業の果てにできたものだ。初期の人間でありながら,漫画ならではの圧倒的なグロテスクな筆致によってできあがる宇宙人化への工程。それが画太郎の漫画なのだ。あるいは,妖怪といってもいい。とにかくこの世のものではないものを作ること。それが画太郎だ。だがそれは,もちろん泉鏡花みたいな幻想じゃない。人間であることにとどまりながら,鼻水と涎を吹き飛ばし,グロテスクになりかわるキャラクターだ。  それを映画化しようってんだから,徹頭徹尾金をかけまくって,生身の役者を宇宙人へと変化させなければ,どうあったって漫☆画太郎になるわきゃない。トマトジュースの缶から吹き出るような血飛沫を見せられたところでこれは妖怪じゃないというのは誰でもわかる。なんかデジカメで素人が写真をいじっているかのような感じがするだけだ。  この監督はまだ若いらしいし金もないんだろうが,それなら画太郎に手を出しちゃいかん。手を出すなら,「顔で笑わせる」漫画家画太郎とは遠く離れたものの手になる映画になるだけだ。画太郎の漫画は絵が全てである。コピーにしろ見開きの多様化にしろグロテスクな映像にしろ全てが絵に集約されている。それを表現するなら,これはもはやCGでやるしかない。 [DVD(字幕)] 0点(2006-08-29 00:44:59)《改行有》

5.  コラテラル 《ネタバレ》  トム・クルーズの演じる孤独な殺し屋は,悪くない演技だった。髪を白く染め,グレーのスーツできめる彼からはロサンジェルスの高給取りを思わせるに十分な格好だ。だが,『レイ』で,アカデミー賞を獲ったという文句がついてまわるジェイミー・フォックスについては,一介のタクシー運転手という役柄には向いているが,殺し屋にはむかって勝つことができるほどの突発的な暴力を演じるには向いていない。ドライバー役に徹するのが関の山ではないか?女を殺し屋から守って撃ち殺せるほどのエネルギーを彼からは感じない。  悪い役者ではないのかもしれないが,物語中で,彼をクルーズの代わりに,つまり殺し屋として雇用主の元に向かわせるシーンがあるけれど,雇用主は,フォックスから感じ取られる言いようのない凡庸さに,彼は嘘をいっていると見抜いてしまうだろう。それほどまでに彼は普通でありすぎるのだ。たとえば同じ普通の人を演じる日本の役者・浅野忠信は,普通の人が突発的な暴力に覚醒する瞬間を実に映画的にセンセーショナルに演じることができる。この映画は脚本がロクでもないせいもあるが,フォックスが警察の銃を奪って,殺し屋を殺しに行こうと考える瞬間の,思考の転換について観客が驚かさせることはない。  物語はアラだらけもいいところで,殺し屋が自分の仕事に誇りを持つかのような台詞を吐くのなら,足がつきそうなタクシー運転手をいつまでも使わないことだ。『ヒート』のマイケル・マンは,善悪二つの対峙を描きたかったのかもしれない。けれど,そうすることによってリアリティを失うようでは何の意味もない。殺し屋が銃撃に自信を持つのは当たり前だ。だが銃の扱い方になれていない素人に,銃で負けるのであれば,向かい合って撃つシーンで殺されるなんていい加減な設定はやめて欲しい。仕事に必要な資料を,やすやすとタクシー運転手に奪われ,挙句の果てにそれを紛失されてしまうなど,やぼもいい加減にしないと観客の失笑を買うだけに過ぎない。こんないい加減な設定で,客を楽しませると考えているなら,マイケル・マンは最悪な監督だし,『ダイ・ハード』だとか『48時間』,『リーサル・ウェポン』だのといった娯楽アクション映画をもっと見習って欲しい。つまり,まともな物語を作れないのであれば,娯楽に徹せよということだ。気取った台詞や音楽など要らない。[DVD(字幕)] 4点(2006-08-13 13:26:42)(良:1票) 《改行有》

6.  バットマン ビギンズ 《ネタバレ》 クリスチャン・ベールという男優は初めて見たがバットマン役としてはなかなか良い。陰影のある雰囲気と富豪の風貌がマッチしている。幼い頃両親を殺された男という設定も納得できる演技をした。それだけでも映画を観た価値がある。その他の俳優は演出面でそれほど良くない。期待したリーアム・ニーソンは良いことは良いものの、やはりMONSTERのようなバットマンと生身の人間が闘うという設定は興奮しにくい。見ていて力の差が圧倒的にあるような感じがした。渡辺謙はやはり良いが、出番が少な過ぎる。だがその少ない出番を、ラーズ・アル・グールという奇妙な役どころで鮮明な印象にしたのはさすがという他ない。 「ビギンズ」というだけあって、バットマンの誕生秘話のような内容である。これを丁寧に描いた『バットマン』シリーズは今までなかった。今までは初代『バットマン』の影響から抜け出せず、単なる色モノのヒーローアクションで終わっていた。それを、バットマンの誕生から丁寧に、心理描写にまでわけいって描いたのは(可否があるものの)、良いと思う。いいかげん、西洋の人間が、東洋に「精神論」を学びに行くのは、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』あたりで終わりにして欲しかったものなのだが(そのくせ西洋人は中東に軍隊を派遣したり東洋文化を軽んじているところがあるのだから、変な連中である)。これからの展開に期待が持てる作品であることは確かだから心よく見守って行こう。ただ、懸念されるのは、この続編モノ的やり方が、『キル・ビル』っぽい感じがしてしまうところである。やたら忍者とか渡辺謙とかカタナが出てくるとなおさらだった。[DVD(字幕)] 7点(2006-02-02 00:49:23)《改行有》

7.  電車男 《ネタバレ》 ラブコメディとして十分に楽しむことができた。邦画の復活を印象付ける作品だ。「2ちゃんねる」の存在価値(「2ch」でなければならないか?)については保留せざるを得ないが、巨大掲示板の特性を活かした現代的な物語になっていることは好印象だった。映画では4組の「にちゃんねらー」が出てくるのだが、彼らの顔が見えて、「電車男」とやりとりしている姿を見ると、掲示板というよりチャットという感じがしてしまうのだが、結局彼らと「電車男」との距離は物理的には極めて遠い(というよりも距離が分からない)ということと、掲示板から出れば二度と会うこともないことを思えば、その違いはどちらでも良い。それよりも、物理的距離感がつかめる「エルメス」と「電車男」がいて、その「電車男」は、ネットの中での近しい距離感の中でコミュニケーションできる「にちゃんねらー」に相談して、現実を実体化していくという発想がなかなかいい。 それは、「エルメス」という物理的距離感にいる存在と、「にちゃんねらー」というネットの中の距離感にいる存在とがいて、「電車男」はその双方を行き来することができるが、「エルメス」はそうすることができない。彼女はパソコンのことがよく分からず(商社のエリート員という設定だからそんなはずもないがw)物理的な世界にだけ生きている。つまりネットの中の距離感を持っている「電車男」や「にちゃんねらー」は、現実を二つ持っているような感じだ。その中で、本名を伏せて、ネットの中の距離感を持ってネットサーフィンしている人々がいるのだ。普通はそこで閉じられた世界になってしまうのである。つまり、ネットとリアルとは関係を持たない。にもかかわらず持たせてしまうという事態に私は感心している。 「電車男」は、「にちゃんねらー」に相談する時、デート中でもネットカフェに行っており、その時は「エルメス」からあたかも隠れるように逃げている。これはなんだか「スーパーマン」や「バットマン」のような世界に似ている。やはり現実を二つ持たされているということなのかもしれない。[映画館(字幕)] 8点(2006-02-02 00:37:29)《改行有》

8.  オリバー・ツイスト(2005) 《ネタバレ》 孤児院に預けられた名前も親もないオリバー・ツイストの少年期の物語。孤児院を追われ、物乞いに失敗し、泥棒の仲間入りをするなど、破天荒な生き方を経ながら遂には裕福な家庭に引き取られていく。 こんな大河ドラマのようなドラマティックな物語であり、個々の豊富なエピソードがあるわけだが、盛り上がらないのはなぜなのか?それは物語と個々のキャラクターとのつながりが、密接でないことに由来している。個々人のキャラクターだけに焦点をあてるだけではなく、物語とキャラを見せる映画である本作が、物語を面白くするためにキャラを掘り下げて描いたり、キャラの設定を具体的なものにしないのは、明らかな戦略ミスだった。子供を泥棒に育てる悪党のフェイギンや、やくざな人殺しのビル、泥棒集団のリーダー格のドジャーなど、魅力的なキャラクターは数多いが、それらが物語をドラマティックに結び付けてくれるのではない。 例えば、フェイギンが単なる子悪党にしか見えないのは、終盤で富豪に引き取られたオリバーが牢獄に収容されたフェイギンと対面した後にみせた”涙”の意味を観客には理解させないと思う。やくざのビルとナンシーの関係もいまひとつピンと来ないのだが、結局ナンシーは、オリバーを助けるためにビルを裏切る。だが、やはりここでも描写はいまひとつで、ナンシーがビルを愛していて、それでも尚オリバーを助けるためにビルを裏切るという設定にしてくれれば面白くなった。オリバーの先輩格にあたるドジャーなどは、利用しようとすれば物語を面白くするためにいくらでも利用できるキャラだ。顔もオリバーに劣らず綺麗だが、やってることは汚いことばかり。彼がオリバーをとことんダメにするメフィストになって、オリバーがふと精神的に目覚めてそこから脱出する、というストーリーなら、どれだけ興奮できたろう。 ロンドンの街も人も、皆がもっと汚くて良かった。欲望にまみれた人間の中でオリバーが一人だけ変わっていくのなら面白いのだ。この映画では、オリバーは受動的過ぎる。自分で何かをしようとする意志がない。結局ナンシーや運が味方をして富豪に引き取られていくに過ぎない。私が共感できないのはそこかもしれない。悪に徹することもできない者が善にならんとしても魅力はない。酸いも甘いもしってこそオリバー・ツイストの物語なのではないのか。[映画館(字幕)] 4点(2006-02-01 22:55:58)《改行有》

9.  オールド・ボーイ(2003) 《ネタバレ》  タランティーノ氏絶賛というマスコミのお触れによって、遅ればせながらDVDビデオで本作を鑑賞させてもらったが、原作よりは遥かに面白いものの、ミステリーや暴力映画として観ると評価を低くせざるを得ない映画だ。  原作の設定である、10数年に及ぶ監禁生活から解き放たれた中年男が、なぜ自分を監禁したのかと問う。多くのミステリのように、犯人探しに燃える男がいるのではなく、犯人が明らかになっている上で、その理由を探すという設定はなかなかに刺激的で独創的だ。ここまでは原作通りだが、原作はそこから徐々に規模が小さくなっていき、最後は小学校時代の「羞恥心」が原因という、全く意味の分からない展開へと進んでいく。  そこは、翻案というものの良い点で、映画は、原作の余りに退屈な謎解きを排除している。原作を既に知っている身からすれば、原作がひどい謎解きを提示している段階で、それを超えるのは当然と思うが、しかしここまで刺激的な謎解きを証しするか、と思うと、うれしくなった(抽象的な言い回しで申し訳ないが、さすがにこの謎をバラすと本作の魅力は落ちるので許して欲しい)。原作つきの映画をどう料理するかが映画監督の手腕だが、うまくいっている。  だが、やはり原作と同様、疑問に思わざるを得ないのは、監禁をした理由が家庭内の問題に端を発した殺人という点である。説得力に欠けると思う。  「10数年に及ぶ監禁生活」という凄みのある事件が、序盤に起こっているのに、そこから謎が急速にしぼんでいくようでは、ミステリとしての評価は高くできない。それを超えるショックがなければいけない。私的でもいいが、もっと極めて陰惨でどうしようもなく静視できないような内容でなければ、あつくなれない。ワイドショーの一場面的な理由で監禁するというのでは、単なる社会学的な考察の域を出ていない。  暴力シーンはワイヤーがないだけいいが、へたくそなカンフーアクションでつまらない。オ・デスがわめくシーンは良い。舌を切るのもいいが、切るシーンを露骨に見せないのは駄目。観客は暴力を観に来る時、汚くてひわいな人間の姿が観たいのだから、惜しみなく見せるべきである。  主人公オ・デスを演じたチェ・ミンシュクの演技はなかなかのもの。タランティーノが本作のどこを観て審査員大賞をやろうと思ったのか不明だが、やるなら男優賞にして欲しかった。[DVD(吹替)] 6点(2005-11-21 00:02:53)《改行有》

10.  スチームボーイ STEAM BOY 《ネタバレ》  映像の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいほど素晴らしく感動させられた。しかし、物語やキャラクター設定に多くの問題をきたしているし、テーマがはっきりとは見えてこないなど、日本のアニメとは思えない出来で、がっかりさせられる。  美しいCGを観るために、僕たちは映画館に足を運んでいる訳ではないはずだ。僕たちは美しいCGがあることは、当たり前なのであって、それでなおかつキャラクターが魅力的であって、物語が起伏に富んで面白い映画を観に来る。ことに、本作のように、娯楽映画を狙った作品なら、当然やっていなければならないことであろう。  日本のアニメないし漫画は、そうした点では素晴らしいものが枚挙にいとまがないほどに存在する。まじめにサブカルチャーを語る連中からは敬遠されがちな『ドラゴンボール』という漫画も、キャラの設定はなかなかのものであって、僕らは具体的なキャラクターに対して、想いを寄せることができる。いわゆる「萌え」ることができるのだ。日本の漫画はそうした点に大変長けている。オタクくさい漫画であればあるだけ、そうした点に長けている。『ガンダム』というアニメも、いかにもオタクくさいが、人目見て「萌え」られそうなキャラクターがわんさかいる。そうした、キャラに萌えることができる、客の心理をアニメを売ろうとする人々がちゃんと分かっているのだ。特に本作のように20億円もの資金を投じたというような作品なら、キャラの魅力について考えて当然である。だが、していない。これでは、いくらCGに金をかけたって、観客が満足する訳がない。企画の段階で疑問に思わなければならないはずだ。  多くのレビュアーがそう思うように、『スチームボーイ』は宮崎駿の『天空の城ラピュタ』に似ている。だが、当然似て非なるものである。それは物語にしてもそうだし、キャラクターの設定にしてもそうだ。『ラピュタ』では、パズーなりヒロインであるシータなり、あるいは空賊のボスであるドーラというおばさんでさえも、どんな人物か説明がなされていた。そうでなければ観客は映画にハマれないからである。しかし、『スチームボーイ』は、題材は『ラピュタ』に似ていても、肝心なところで、パクろうとしていない。CGだけは『ラピュタ』を遥かにしのぐが、それだけである。結局、「スチームボール」は、「飛行石」にはなりえなかった、ということであろうか。残念である。[DVD(字幕)] 6点(2005-11-20 23:49:19)《改行有》

11.  CUTIE HONEY キューティーハニー 《ネタバレ》 『キューティーハニー』の原作の漫画を私はよく知らないが、漠然としたイメージからすると、服を着ているのにエッチな漫画、という感じがしている。それは、変身シーンにおいて、裸の様なシルエットを見せたり、本編のアニメシーンであったような、服をはぎとられて肌が見えても、尚完全な裸体を画面にさらすことはない、ということなどから、示されているように思う。裸であることは、観客や読者は分かっているのに、完全には描かないから、想像の域で留まっている。だから、そういう映像やカットを何度も描いているので、いざ服を着ているハニーを見たり、彼女が際どい服装で出てきているのを見ると、それらも同じように、裸なのか服を着ているだけなのか、よく分からない、そういうところでエッチな気分を醸成されているよーな気分にさせられる。これは、下手に素っ裸を見せられるより助平な作法だ。もちろん、本作『キューティーハニー』も、その路線で行っているように見えるのだが、実際には違う。私は前述で服を着ているハニーを見ても、「裸なのか服を着ているだけなのか」よう分からん所でのエッチな気分と書いた。だが、そのためには、その前提として、裸のシルエットや服を引きちがれるシーンを描いておかないと、そう見えない。単に際どい服を着ているだけの女性を見て、もちろん興奮するけども、それはチラリズムとかいう作法で、『キューティーハニー』の持つ魅力ではないと思ふ。「あれ、今の裸なんじゃないか?」という助平な不安を観客に抱かせなければ、『ハニー』の持っていたエロティシズムは出てこないと思う。  無論、庵野監督がチラリズムをやりたい、というのであれば『ハニー』的なエロティシズムは要らないのだが、『ハニー』の場合はそうはいくまい。『キューティーハニー』の原作やアニメは、裸を見せるようで見せない、隠された裸体を描いていたから、既に映画の穏健なエロティシズムの助平加減では、観客は満足できないことが、予見されるからだ。だから、庵野監督が『キューティハニー』を撮るんであれば、どうしても漫画&アニメに近づいて、佐藤江梨子にセミヌードになってもらうべきだったと思う。観客に対して前述の助平な不安を抱かせるような「隠された裸体」を、矛盾するようだが、ハッキリと描かなければならなかったんじゃないか、と私は思ってしまうのだった。5点(2005-01-30 16:19:24)(良:2票) 《改行有》

12.  地雷を踏んだらサヨウナラ 《ネタバレ》 浅野忠信主演作。浅野自身が語っている様に、浅野には珍しいタイプの明るい役柄となっている。だが、率直に言って、当時の浅野には荷が重過ぎたと思う。写真家の一ノ瀬泰造が、アンコール・ワットに理由なく飛び込むことができるための、役者の身振りができていない。浅野は泰造を客観的に見る役柄を演じているかのようだ。それでいて、役柄は一ノ瀬泰造なのだから、どうしても違和感が残るのだ。 戦争シーンもどうにもならない位に退屈である。悲惨さを訴える必要はないけれども、リアルさは訴えなければならない。戦争がそこにあるような、ヴァーチャル・リアリティの感覚。それを紡ぎ出せない映画は、精神分析的な映画でない限り、瞠目されることはない。それと、戦争が個人的であるとする映画側の姿勢も感心しない。現代の戦争は、無名の兵士達が、数値に置き換えられて行く戦争であるという。個人のなした戦争での功績など、兵器一つで吹っ飛ぶ時代だ。そこでは、誰が功名を立てたかではなく、何人死んだかが目的となっている。文字通りの意味での無名の兵士しか存在しない。現代の社会一般のように、戦争も「匿名性」の顔をあらわにしてきているのだ。 一つ良かったと言えるのは、一ノ瀬が地雷で死んだ子供の写真を撮っているシーンである。その子供は、カンボジア人で、一ノ瀬が世話になった村の子供だった。その子供はついさっきまで生きていたが、死んだ。しかし、一ノ瀬はこの子供の死体を撮る。そこには、レンズを通して現実を創作する芸術家の指がある。だからそこを村のおばさんがついてくる。なぜ撮るのか、非常識だと。一ノ瀬は現実をこれだと思いこんでいるが、それは抽象に過ぎない。おばさんは、非常識を責めるが、ここでは一ノ瀬が現実を「共有する」人物として、同じ土地に立つことを要求されているのだ。 一ノ瀬は、レンズに映されたフィルム写真を見て現実を見た気になっている、ヴァーチャル感覚の人間の姿とも言える。それを映画の中でやることが、またシニカルな響きを持っていて、おばさんも所詮はフィクショナルな存在でしかない。フィクショナルな存在が、フィクションの中で「現実に戻れ」と諭す。これは私たちの誰をシンボライズしているのか?メディアに浸っている人間の群集がいるが、その中で蒙をひらかれた人間であろう。5点(2004-10-13 11:40:41)《改行有》

13.  ブラッド・ワーク 《ネタバレ》 クリント・イーストウッドお得意のアウトローなサスペンス映画。もう見飽きているが、俳優としてのイーストウッドはいつまでも格好良い老獪なイメージが付き纏う。そういう価値があるのだ。しかしいい加減脚本や演出で勝負してもらいたいと思う。蓮實重彦が絶賛している監督だが、正直ついていけぬ部分が多い。とりあえず、レビューを。  FBIに在籍している時、主人公を執拗に付け狙う愉快犯がいた。顔も素性も詳らかではないが、彼を指名して罪を犯す人間と格闘している最中、彼は心臓発作を起こして倒れてしまう。数年後、心臓移植をした彼は既にFBI捜査官ではなくなっていた。そこへ、心臓のドナーの妹を名乗る女性が現れる。姉を殺した犯人探しを彼にやってほしいというのが彼女の願いだった。そこに、あの愉快犯の姿が浮かび上がってくる。・・・  まさしくいつもながらのサスペンス映画という感じがする。おかしい所は腐るほどある。心臓移植をした元捜査官に過ぎない民間人が、かつてのツテを頼って捜査を行ったり、彼に情報を流す警察官がいたり、根拠もなく犯罪者だと決めつけた人間の乗る車に向かって発砲することなど。もっと言えば犯人との格闘もおかしい。移植された心臓はその人間にとっての心臓ではない。借り物の心臓から生み出される血を持つ人間の力など微力に等しい。しかし、それらの疑問は全てイーストウッドが演っているという一点で納得される。イーストウッドならリアルな疑問を自分に吸収するだけの摂取能力を持っているのではないか、と思わせる。それは今までのイーストウッド映画を延長させた思いだ。心臓移植をしようが、イーストウッドの摂取能力と、彼の舞台装置に自分を完全投影させることがあれば、疑問は疑問に介しない。B・ウィリスとは全く違う不死身の価値が彼には具わっている。隣に住んでいた中年の遊び人が真犯人だったという半ば予想できた展開にも、彼がウィリスとは違う価値がある。それは、不死身の超人を演じながらリアルさを漂わせていることだ。あっけなく姿をさらした生身の人間が顔のない真犯人だったとはリアルにもほどがある。組織の裏を探るとそこには隣人がいた、というのとは違う。最初から彼は姿を晒してしまっている。船上生活する浮浪人イーストウッドは地に足をつけないリアリティの持ち主のように見えた。5点(2004-06-20 23:56:52)《改行有》

14.  マッチスティック・メン 《ネタバレ》 良くできた映画です。自分の殻に閉じこもる余りに詐欺師が詐欺師に騙されるなんて、憎い演出です。一貫してケイジ側の視点に立った作品のために、屋外シーンでも部屋のシーンを見ているような錯覚を与えるが、質が高いと思います。潔癖な性格で塵一つの汚れすら許さないケイジ、あるいは肌の触れ合いをも許さないケイジに、接近して来るのは別れた妻との間に出来た娘。彼女との触れ合いによって、ケイジは徐々に肌の触れ合いを許そうとしますし、いたいけな子供の侵入によって、部屋は穢れを持ってしまいます。むしろ、その触れ合いがケイジの心を開くし、屋外へ引き出させる誘引となる。ところが、ケイジは娘と生活を共にすることができなくなってくる。一方的にケイジ側の視点で作られたこの映画にとって、外部との接触にケイジを連れ込む娘は次第に邪魔になってくるからです。潔癖なケイジの、外気さえも許さぬ、屋外を屋内であるかのように擬似化するところの、自室の無機質空間には、しかし、娘の正統防衛の行為によって血液がぶちまかれることになる。しかも、血液を大量に部屋にぶちまけることによって、部屋には死体が転がることになります。ケイジの潔癖な性格で統一されたかに見えるこの映画でしたが、その性格がもたらしたかのように、娘が無機質の部屋を、取り返しのつかない外気で満たしてしまう。それが、母よりも父を求めた娘との交流で多少外気に触れつつあった矢先のことだっただけに、ケイジは潔癖さを台無しにされることで遂に心を開くことにしました。つまり、娘が自分を助けるために犯した殺人を、ケイジ自らが全面的に庇うことにしたのでした。そして今まで稼いだ金をソックリ娘にやりたいと言い出した。と、ここまで来ればチャンチャンなのですが、冒頭に書いた通り、詐欺師ケイジが詐欺師に騙される映画ですから、ケイジは信頼しきっていた全ての者に裏切られます。潔癖症について相談していた精神分析医、無二の詐欺の相棒、取調べをした警察官、殺人事件の被害者、そして実の娘にまで。ケイジの無機質部屋を血で洗い直すこと(その血は嘘であることが明かです)が、体と体を重ね合わせる自然な人間関係へのきっかけで、転換の大規模さを演出して描いている。女性とも長く関係していなかったケイジに、レジで出会った女性との結婚、妊娠が待っているというラストは、外気や血や抱擁の必要性をケイジに教えてくれます。 8点(2004-06-20 23:46:53)(良:1票) 《改行有》

15.  地獄甲子園 この映画は漫☆画太郎の原作を元にして映画化されましたが、資金力のない邦画では所詮リアリティーがあるわけではなく、落胆の色を隠せません。原作はギャグ漫画ではありますが、暴力描写は過激です。笑いですくっているだけで、『殺し屋1』と変わりありません。しかし映画はまるで過激さがありません。それでは漫☆画太郎ではありません。 笑いと暴力がミックスされたものが、漫☆画太郎の魅力であり、そこでは、内臓も笑いとなります。ということは、『殺し屋1』を映画化した三池崇史に映画化を依頼した方が良かったのではないでしょうか。あの映画の暴力は多少痛々し過ぎますが、体が散逸するあたり、漫画の笑いと共通する部分があります。1点(2004-06-07 11:52:00)

16.  鮫肌男と桃尻女 冒頭のCGがカッコ良かったが、徐々につまらなくなり幻滅。『PARTY7』の時もそうだが、石井監督は、オープニングムービーの面白さを持続してもらいたい。期待させておいて裏切る作り。キャラクターが大量に出てくる割には、構成力がなく複雑な関係を見て楽しむ作りになっていない。役者は浅野忠信を筆頭に岸部一徳、寺島進など優れた役者ばかりだが、浅野は今回良くない。静かに演じ、最後にキレる若者ばかりを演じていたために、不器用さが目立つ。一貫してキレ続ける役はまだ似合っていない。どこかで対称を作らないとダメなのだろう。他の役者は個々に演じる分には割と良いが、まとめあげる位置にある石井監督に構成力がないのでダラダラと銀幕に映っているに過ぎない。  Q.タランティーノが好きだという石井監督だが、まずは暴力描写や無意味な台詞を模倣せずに、構成力を模倣していただきたい。『パルプフィクション』の複雑な構成力を見て、普通はそこに感嘆するのではないかな?だがそれには石井監督自身の計算高さが要求される。またタランティーノといえば、特筆できるものの一つに音楽の選択があるのだが、これも真似できないところであり、監督の能力が試される。そして、石井監督には、それができていなかった。膨大な音楽作品の中からいくつかを抽出するには相応の耳と自作への理解能力が必要になる。このことから、見てくれだけはタランティーノでも、中身はまるで別物であることが理解されるはずであり、石井監督は見た目の演出だけはタランティーノだが、実力を試される部分ではまるで力を発揮できなかったということになる。後発のガイ・リッチーだって遥かに上を行くぜ?2点(2004-06-07 11:43:22)(良:2票) 《改行有》

17.  コン・エアー 《ネタバレ》 前半の囚人大暴れに期待したのですが、後半以降爆発が連続し過ぎて鬱陶しい。興奮し難いことこの上ない。こういう爆発が連続する映画は、観客を楽しませるためにあるのでしょうが、なんとなく米国の戦争観を表しているように思えてなりません。この映画でも、ニックという仲間がいるために、ジョン・キューザックは飛行機を撃ち落さないようにしますが、そのおかげでラスベガスの街では死人が続出。お前さえいなければ・・・何でも戦争に口出しする米国=ニックとジョンといった印象を受けますね。  囚人たちのキャラは良かった。主演のニックもムキムキ男が似合ってます(アクションスターとして演じていますが、どことなくコメディの匂いがする感じが上手いと思います)。3点(2004-06-07 11:29:45)《改行有》

18.  漂流街 THE HAZARD CITY 《ネタバレ》 『漂流街』を簡単に総括すると、外国人の男女が主演、外国語が散乱する、日本人が外へ追いやられている映画。漂流街は、ブラジル人の若者・マリオが、来日して一目惚れした中国娘をチャイナマフィアから奪還するところの、中心地のことなんですが、奪還されるチャイナに敵対する日本のヤクザ、あるいはヤクザやチャイナとブラジル人の若者の敵対に、国と国って感覚がない。個と個って感覚の方が強くて、漂流街では観客にいずれかの国の国籍を持つ人間の側に立ってもらうことができない。主演がブラジル人だから、ブラジル人側かと思いきや、マリオは同じ在日ブラジル人にぶち殺されるし、中国娘を付けねらうのは同じチャイナ。もう文字通り無国籍映画(笑)なんですね。 無国籍映画の面白さは、人種がごった煮になっているところなんでしょうが、日本人を観客として想定しながら、日本人が主演ではなく、外国人から見た日本人を描くのでもなく、外国人に日本観を語らせず、日本人に外国人観を語らせない『漂流街』の魅力は格別だと思います。柄本明が、「俺はガイジン嫌いなんだ」みたいなことを言っても、それが映画の本流ではないし、それに対して日本人なり外国人なりが、何らかの固定的な反応をするわけじゃない。すらっと流してしまう。人種のごった煮映画たる無国籍の街『漂流街』っていうのは、誰がどの目線で語ったとしても、国の主体的な意味に集約されることがなく、流されたままで終わっちゃいます。柄本の発言に対して、決まった反応があり、それが映画の本流だとすると、無国籍は結局どこかの国の映画になるのですが、それをしないで、日本人同士の他愛無い会話で終始しているところに、この映画の特色があるんじゃないかな、と思います。10点(2004-06-07 11:16:32)《改行有》

19.  ピンポン 漫画が面白かっただけに残念無念な出来。漫画はただのスポコンであるはずの物語を、筆使い一本でめちゃくちゃ面白くしました。切り口一つで物語も変わるもんだな、と実感させられましたね。 映画はそれをなぞりたいようですが、金がかからなすぎて全然追いついていないと思います。ほんの手触りだけなぞったが全然別物になってます。試合のシーンは、漫画が筆一本で迫力あるシーンを描いたが、あれを映画で似たような効果をさせようとしたら、CGをふんだんに使わないとダメでしょう。監督はそういうことを分かっていたと思いますが、使える金がない。それなら、映画は漫画と違う内容でも良かったんじゃないでしょうか?なまじっかペコを大ジャンプさせたり、スローモーションなんかかけるから、最近話題の『マトリックス』なんかを想像させちゃうんですよね。原作は人間離れした試合シーンがあるんで、映画化するとしたら、まんま『マトリックス』流にしないとそういう感じがでないでしょうけどもね。4点(2004-06-02 19:45:43)《改行有》

20.  フェイス/オフ ジョン・ウーの映画ってこれしか観た事ないんですが・・・合わないかもしれない。センスのある映像ではあると思うのですが、アクションシーンがいかんせん退屈過ぎる。もっと痛い暴力を観たいし、駄目ならもう少しありえそうな路線でアクションを描いて欲しいです。爆発爆発続きで、銃と銃を向け合うシーンのシークェンスも見ていて醒める一因になっています。この劇的な演出を作るために、色々セッティングしてる感じが画面が匂ってくる。いや~、いつになったら闘い終わるんだろって感じで、見せつけるために延々と長く物語をさらしているあざとさが何とも嫌です。あと、俳優陣にも難癖。安部公房の『他人の顔』にヒントを得た、人間と人間が逆になる発想はいいのですが、これを描きたいがために、最良の悪役たるニコラス・ケイジが善人を演るという失策をしてしまっています。ケイジは上手いので、善人もできるのですが、相手が何をやっても「ジョンになる」というトラヴォルタなので、彼を悪役にするならケイジを悪役にしてくれ・・・と思ったので残念でした。特にケイジは、序盤、教会で女のケツをさわりながら絶叫するシーンを演じていて、コミカルな悪役でカッコイイなあと思っていただけに落胆。トラヴォルタも悪くないのですが、『パルプ~』の頃の汚さがとれちゃって普通のおっちゃんになってしまっています。5点(2004-06-02 19:32:07)

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