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性別 女性
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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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261.  キングダム/見えざる敵 《ネタバレ》 私は監督ピーター・バーグのファンなので、監督欄に彼の名を見つけたら迷わず見る。 ついに、こんな大作を任されたとは出世したものだバーグよ。けっこう金かかってるじゃん。 と期待に胸をふくらませ、いそいそと画面に向かうがバーグも最近のはやりに抗しきれず、一貫して揺れるカメラ大作戦になってしまっていた。目が、目が痛い。 明らかに「ブラックホークダウン」を意識した作品だが、一回りも二回りも小ぶりな仕上がりを見るとやはりリドリー・スコットは偉大な変態、変態だから偉大、彼に比べればピーター・バーグは良識の人、と言わざるを得ないかなあ…。資金面での差というだけでなく。 ただその精神は「ブラックホークダウン」を踏襲していると感じる。ピーター・バーグはバカではないので間違ってもアメリカ万歳では終わらなかった。 この架空のテロ事件については最初に国務省次官が言った「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」というのが正解で、「これ以上捜査員を送り込まないで静観し、サウジ当局に任せる。」というのが大正解なのである。 それをFBIは上から下まで「仲間の報復」で一致団結し、裏の手段を使ってまでサウジに乗り込んでテロの首謀者を捕まえようと大暴れする。その過程で「ブラックホークダウン(拉致された仲間の救出のために更なる危険を冒すこと)」が発生し、無茶苦茶な市街戦の最中でもアメリカ人には一発の銃弾も当たらず、ついにFBI仲間ではなくてなんとサウジ人の警察官が死んでしまうのである。…アメリカ人はなんて自分勝手で要領が良いんでしょうか。 仲間の一人を助けるために、彼らはいったい何人の現地人を殺したでしょうか。ここから導かれる明解な論理は「アメリカ人一人の命はサウジ人一人の何倍もの価値がある」です。 というようなシビアな目線をピーター・バーグは失っておらず、テロの首謀者を殺した上FBI全員が生還したという作戦の成功を、大喜びするシーンは一切ない。 その代わりに、テロリストの孫のセリフで「テロは終わっていない」ということを示す。 …で、話は「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」に戻るのであり、冒頭のラッシュにあったように「石油を分けて欲しいばっかりによその国にずかずか乗り込んで現地の有力者と癒着してきたアメリカという国のあり方」に戻るわけだ。すごく徒労感が残る映画だった。[DVD(字幕)] 7点(2008-07-18 16:25:54)(良:5票) 《改行有》

262.  ゴースト・ハウス(2007) 《ネタバレ》 これは名義貸しですよね? いやはやパン兄弟が現地へ行って撮ったなどとはとーても信じられません。だいたい脚本も書いてないし。 ストーリー自体は使い古されたどうにもならない代物だが、パン兄弟の手にかかれば素晴らしく怖いものができるのかもしれない…そりゃ、パン兄弟が一から十までやれば。 いくら白人俳優を使って、アメリカの田舎町を背景に使ったとて、パン兄弟がこんな駄作を仕上げるわけはないと思う。明らかにパン兄弟は現地へなど行ってない。演技指導も編集作業もしてない。 なぜ名義を貸す、パン兄弟よ。なにか映画会社と取引があったのか。君たちは二流の白人TV俳優なんか使わなくたっていいものが作れるじゃん。アジアへ帰って来い。ホームで勝負し続けようよ。[DVD(字幕)] 3点(2008-07-18 15:34:41)《改行有》

263.  バイオハザードIII 《ネタバレ》 ふと気付けば、これはすごい貧乏映画ではないのか? ヘリコプターが1機しか出てこないうえ、壊さないで返すことになっているのか銃弾の一発すら当てず、血で汚したりもせず窓ガラスにヒビさえ入れず…。 アリ・ラーターがいくら売り出し中といったってまだまだB級だし、ミラ以外に目玉俳優を一切使わず、アンダーソン本人が監督もせず。ヒジョーにお粗末な作品じゃあないか。 Ⅰはそれなりに良かったとはいえ金がないならなぜ無理をしてⅢなど作る、アンダーソンよ。 見どころのアクションシーンはすべてスロモ仕様でその点ではⅠ以上にお粗末だし、ミラのワイヤーアクションがフワフワしてしまったり、とてもまともに見られぬ出来。 カルロスが仲間のために犠牲になる部分とて、最大の盛り上げ場だというのにあんまりにもあっさりしている。感染した仲間の件とて、ゾンビ映画のお約束のエピソードなのに全然盛り上がらない。 ゾンビを出すならばー、喰われた仲間の葛藤とか、やむを得ず仲間を見捨てる苦しみとか、土壇場で必然性のある自己犠牲とか、そういうのが見たいんだ。登場人物と一緒になって、悩みたいんだよ。 この作品には、お約束のファクターは盛り込まれているけど「死の恐怖」「生への執着」という決定的なマターがゼロに近いほど無視されているためホレ、これだけつまらない。金が無いならドラマに力を入れるしかないのに本当にお座なり。ああーアンダーソンよキミはどこへ行く。[DVD(字幕)] 3点(2008-07-18 15:24:34)(良:1票) 《改行有》

264.  リーピング 《ネタバレ》 前振りとヒラリー・スワンクにすっかり騙されて、期待して見てみたのがマチガイだった。 ヒラリー・スワンクが出ようが、やっぱり映画は作り手が問題なのだ。1に監督、2に脚本、3に製作と編集、俳優なんてのは10位以下である。ああ、しょうこりもなくまただまされてしまった。お金返して。 こんなにノレない宗教映画ははじめて見たような気がする。 登場人物の誰一人として現実味が無く、ヘイブンに着いてからは「科学」の「か」の字もカンケーなくなって、ひたすらオカルトに一直線。 なんにもコワくないので無理にでも恐怖を盛り上げようと、音などでスワンクを驚かすこと度々というお粗末さ。 それぞれのキャラクターの過去のエピソードとて、取ってつけたがごとくで何の関心も持てない。 少女のオチが割れたとて私はなんの感慨も浮かばなかった。エンディングが「ローズマリーの赤ちゃん」であろうが、これっぽっちも感心などせぬ。 どうしてこんなにつまらないんだ。こんなに退屈な宗教映画もない。…彼らはマジメすぎたのか?[DVD(字幕)] 2点(2008-07-17 19:29:12)(笑:1票) 《改行有》

265.  クジラの島の少女 《ネタバレ》 おそらく作り手が己のルーツに敬意を捧げた作品であるとともに、フェミニズムの映画なのですね。 「フェ」と言っただけでそっぽを向かれそうですが、どう見てもそういうメッセージが込められた作品なんだから仕方ない。 マオリの族長の家系というシチュエーションを借りたうえでの、「男の子じゃなかった」という理由でいろいろな不便や面倒を感じながら成長してきたすべての女の子へのメッセージ、癒し、でもあるのだと思う。 マオリの人々の祖先は、約1千年前にニュージーランドに移住して住み着いた。何百年か経つと、そこへヨーロッパ人がどんどん入ってきて、数においてマオリのほうがマイナーになってしまった。 けれど、パイケアの祖父コロのように、「高貴な血」をもつ長たちは、文化と伝統の灯を絶やすまいとそのことのためだけに生きている。個人は100年もすればどうせ死ぬ。個人が死んだ後に引き継ぐことができるものは文化だけだ。文化が引き継がれなければ、人はただ生まれて死ぬだけの存在になる…族長コロを見ていると、その信念が痛いほど伝わってくる。 パイの父は優しいが弱い男であったため、妻の死に耐えられず育児も教育も後継者としての義務もなにもかも放棄してヨーロッパへ逃げた。そして何年かしたら、考え方もふるまいもヨーロッパ人になっていて、金髪碧眼の女と勝手にくっついていた。彼は族長の重責を担うには優しすぎたのだ。 後継者探しにやっきとなった祖父のもとで「男の子じゃない」というだけで、隠れて棒術の練習をしなければならないパイ。自分より劣る男子たちが祖父から教わっている内容を、物陰からじっと観察するパイ。…このへんではもう完全にウルウルしてしまっていけない。 世界中の女の子たちは、みな多かれ少なかれパイケアと同じ経験をしてきている。 心の中で、何度「パイケアのような優秀な子が男子だったら」と思ったかしれない祖父が、「女子でも後継者」と認めるまでには、クジラの座礁という不思議な現象とパイ本人の命をかけることが必要だった。「優秀」というだけではダメなので、本当に女子の行く先には難題山積である。 ラストで不肖の父が戻ってきているあたりは、やりすぎハッピーエンドの感があるし突っ込みたくなるところだが、とりあえずは祖父とパイケア両人の健気さにやられました。泣きます。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-16 20:10:59)(良:2票) 《改行有》

266.  人生は、時々晴れ 《ネタバレ》 原題がなぜこれなのかということを一所懸命考えた結果、タイトルの前にtakeかacceptが入るということではないかなあと思った。 階級社会の国に生まれてしまったことも、労働者階級の親のもとに生まれてしまったことも、その結果低所得者向けの団地で一生暮らしていくことも、タクシーの運転手で一生を終わることが確実であることも、息子は生涯まともな職につくことはなさそうだし、娘は掃除婦程度の仕事しかできないうえジーさんにしか口説かれないことも、自分の遺伝子のせいで子供たちがみな肥満児に育ってしまったことも、同じ理由で息子の心臓に欠陥があることも、20年も連れ添っているのに婚姻届を出さない優柔不断な自分の性格も、妻に小銭を借りなければ仕事が成り立たない甲斐性なしの自分も、早起きができないせいで余分に稼げない自分の意思の弱さ、息子の重病時に、休暇をとってディズニーへ行けば解決すると思っている救いようのない頭の悪さも。 「これは受け入れるけど、それは拒否したい」というのは許されなくて、「すべてを受け入れるか、すべてを否定するか」という問いを投げかけているのかなあと思った。 ありがちな家族のビョーキをきっかけに夫婦が和解し、オヤジは初めて早起きして空港まで客を運んだが、それとていつまで続くかあやしい。心臓病の息子が心を入れ替えて禁煙し、ジャンクフードを止められるかと言ったらその可能性はほとんどゼロだろう。娘がクッキーやポテチをやめてスリムになることも金輪際ない。「夫をカス扱い」していることを反省した妻とて、この先永遠に小言を言わずにすむとは考えられぬ。 大団円のハッピーエンドではなくて、小休止であって、この先、この家族はそう変わらない生活をしていくのだと思う。婚姻届とて、出すことはないだろう。しかし、「全部捨ててしまおうかな」と海辺で考えた結果、そこに「妻の愛」が有りさえすれば、ほかのものはすべて受け入れられるとオヤジは気付く。なにやら安易な展開だが。 ただし出演者に魅力がなく、起伏に乏しい話なので、いかにも冗長に感じる。「否定したいような醜悪な現実」を観客に理解させるがために、長い時間をとらなければならない、というのは芸がない。 短時間のエピソードを見せることによってでもそれが可能なレベルまで持っていく必要があると思う。[CS・衛星(字幕)] 6点(2008-07-16 11:09:56)《改行有》

267.  バッド・エデュケーション(2004) 《ネタバレ》 ガエル君のオカマ姿は「プルートで朝食を」のキリアン・マーフィよりはるかに良かった。 見てくれがエグいかどうかだけでなく、しぐさやふるまいが全くもってフツーの女に近かったのだ。 キリアン・マーフィを見ている時は、「必死になって女になろうとしている」結果「濃すぎてしまった」感じが痛かったけれど、ガエル君の場合は「ヤな女だなーコイツ」という感想を抱いてしまったのだ。その点、ニール・ジョーダンよりアルモドバルのほうが「女とは何か」がわかっているということなのでしょう。 いつもと同じようなアルモドバル要素に満ちた作品なのだが、ラストのあっけなさといい、何かパンチに欠ける気がする。 あえてテーマのことを推測するなら、「理想と現実」だったのではないかなあ。 劇中劇「訪問者」は、イグナシオが自ら書いたものであるから、その内容はイグナシオの「理想」と見ていいだろう。きれいなオカマに変身した自分が偶然初恋の相手に出会い、彼に金銭援助をするために変態神父に復讐して見事成し遂げる、というのがそれだ。 ところが脚本を読んだエンリケは「この話はハッピーエンドではダメ」と、サハラが返り討ちにあって殺されるラストに書き換える。これは「理想」を「現実」側に引き寄せた結果だと思う。 また、急にあらわれたイグナシオ(と偽るフアン)に、修道院時代の美少年のその後の理想形を見ながら、「やっぱりイグナシオではない」と見破るのもエンリケだ。エンリケは常に「理想」を退けて「現実」を認識する立場にある。 理想と現実というテーマはほかにもいろいろ出てきて、例えばフアンは美少年イグナシオの成長後の理想形だが、現実のイグナシオは胸を整形した汚いオカマのうえ薬物中毒。 フアンは本当は「アンヘル」になって、女性を愛し、役者として売れたいのだが、現実には「フアン」としてゲイの男に体を提供して利益を追求するしか方法がない。 しかしフアンは「現実」を排して「理想」を実現しようとする人間なので、「醜い現実」たる兄を葬り、ゲイと寝る「フアン」も葬って「アンヘル」として役者になり女性と結婚する。 この作品内では、一貫して神が軽んじられていて、本当に神様がいない。いないので、バチが当たる人もいれば、のんしゃらんとして生き延びる人もいる。その結果は「So,so」とでもいうのが相応しいので、それほど深い感慨を呼ばないのだ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2008-07-14 15:29:10)(良:1票) 《改行有》

268.  シー・オブ・ラブ 《ネタバレ》 テンポはそこそこいいのだし、脇を固める刑事たちも豪華なのだがサスペンスとしては突っ込みどころが多すぎて、犯人当てのスリルとかはあんまり期待できない。 冒頭から、フランクがサイドミラーを全く見ないで車道側に降りるとかいう細部も気になるし、暴力夫が元妻の男遊びを黙って見過ごしているという設定も有り得ない気がするし、殺すのだったら相手じゃなくて元妻のほうだという気がするし、自分がデートした男が3人も殺されているのに、何も気付かず平然として次の男を漁るヘレンという女も変だなあと思うし。 会ったばかりで「タイプじゃない」と言い放っておきながら、次に偶然会ったらもうベッドインしているヘレンという女は相当変。だいたいなぜ偶然会う。「誰とでも寝る女じゃないのよ」というお約束のセリフが非常に浮いている。 …というように脚本がご都合すぎて、せっかくのパチーノ主演作だというのになんだかなあ。 フランクという男については、仕事以外ではいつも酔っ払っているとか、女性を支配したいタイプの古い男性だとか、なのに女が居ないとどうしてもやっていけない典型的なアメリカの男だとか、人物としてはそこそこ描けていると思う。 でもヘレンについては本当に変。女性が描けていないとまともな作品にはならないという見本のような作品。若き日のサミュエル・L・ジャクソンが冒頭に出ているが話には全く絡まない。[CS・衛星(字幕)] 5点(2008-07-14 14:26:42)《改行有》

269.  パーマネント・バケーション 《ネタバレ》 冒頭の独白では、人や場所を深く知ると、必ず醜い部分が見えてくるから「移動」するんだ、と言っている。なんというか、コップの水はなるべく上のほうだけ飲みましょう、半分より下は濁って不純物などが沈澱しているので。という気がする。 アリー少年は、居場所を探しているのではなくて、自分の居場所がないということを確認するために街をうろうろしているように見える。NYならNYで、すでに自分の居場所がないということを全部確かめたら、次の場所に移動する。コップの上澄みを飲み忘れていないかどうかの再確認作業をしているように感じた。 普段は働かない彼の生活費というのは、ヒモ状態の恋人から小遣をもらうなどして調達しているとしか考えられないが、まとまった金が欲しいと思った彼は何をするか。 自動車ドロなのであるが、その巧妙さ、スマートさには舌を巻く。 彼には罪の意識はゼロ、ほとんど捕食動物が獲物をゲットする際の必要悪、というふうにここでは描かれている。なおかつラストの独白で、アリーは自分は責任や労働や税金と無関係である、という。 さて、アリーが「責任がない」と主張している己の犯罪行為について、ジャームッシュはどういうつもりでいるのだろう。 文化によって、何が犯罪かは異なるし、幼児の割礼が罪とされない文化だってある。儀式でドラッグを使うことが罪とされない文化だってある。けれど、盗みは西洋文化では犯罪ということで間違いないだろう。 ところが、ここでは盗みが生理活動のごとく描かれている。 もし、あのあとアリーが800ドルを紛失したり、取られたり、もしくは船の中や着いた先でオカマを掘られるなどのひどい目にあうなりすれば、それが作り手の「盗み」に対する価値観というものである。 けれどアリーにとって、あくまでも盗みは己のニーズに従った自然な捕食活動なのである。たぶん、この子は人殺しやレイプや強盗はしないであろうが、更なるニーズがあれば、置き引きでもスリでもやるのであろう。 ジャームッシュに神は無く、仏も無く、従って罪も来世も因果応報も存在せず、何ものも恐れない。 私はこういう人間は恐ろしいと思うし、そう思う人の多い社会で生きたい。 船の上から遠ざかるビル群という、何となく美化されたラストであるが、現実的にはフランスに着いたアリーは、「労働はしない」と言い張りつつ男娼で稼ぐしかないと思うのだが。[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-07-10 12:38:42)(良:1票) 《改行有》

270.  おわらない物語 アビバの場合 《ネタバレ》 別々の役者が同じ人物を入れ替わり立ち代り演じる、という場合には、誰が演じてもそれは間違いなく「アビバ」である、というくらいに脚本中で「アビバ」が人物として成立していることが必要です。この場合は「無垢である(モラルをもたない)」というのが共通項となっているようです。 原題が「回文」なのですが、アビバの名前はもともと回文だから「行って戻る」、ですが、変態小児性愛者兼ヒットマンのアールは死の直前に「本名はボブ」と言います。これも回文ですから、この時点で「先に進んでいると思ってるようだけど、実は折り返し(この先同じ)だよ」という意味だと思います。ラストで、ユダがなぜだかオットーに改名しますが自分で言っているようにこれも回文なので、「最初に戻った」なのだと思う。 アビバの堕胎児は女の子でしたが、なぜ性別をはっきりさせているのかというと、アールに誤射されて死ぬのもフライシャー医師の娘だからですたぶん。「回文」なのだから、アビバの堕胎児とフライシャーの娘が対比関係にあるのです。そして、フライシャー狙撃についてのアビバの態度は、事前も事後も全く罪悪感がなく、ないどころか「やれ!やれ!」「アールは何も悪くない」というものですから、殺人に加担しています。ということは、対比関係から考えると、堕胎で殺された女の子についても、アビバは殺人に加担しているということを示しているのだと思う。 家出したアビバはきれいな場所も汚い場所も通って、水のように流されます。けれど、流れ着いたところは元の場所。「母になる」という計画も全然進まないまま。 そしてパーティーでマークが運命論を語るのですが、この、マークとの会話をする女優がなぜジェニファー・ジェイソン・リーであるのか、これは偶然ではないと思います。 「アニバーサリーの夜に」で、母親になるのが怖くて夫に隠れて堕胎したのは誰でしたっけ?ソロンズは、ラストに来て「生殖能力の有無を別にしても、アビバは本当は母親になる気が無いのだ」ということをジェニファー・ジェイソン・リーを使うことでほのめかしているとしか思えない。実際にアビバは殺人に加担していることになっているし。 それでも「希望」という問答無用の言葉を頼りにオットーとの不発なセックスに励み、満面の笑顔で「いつかきっとママになるわ」のラスト。果たしてアビバの言葉は「欺瞞」といえるものなのでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 8点(2008-07-07 15:06:02)(良:1票) 《改行有》

271.  ウィンブルドン 《ネタバレ》 テニス全然関係なし。全くなし。 テニスの技術も勝負の精神力も、運さえも、すべて「女の応援」でなんとかなってしまうという恐るべき頭カラッポ系脚本。 私は基本的に本業を放り出して女を追っかけている男が嫌いなのだがー、そこはそれ、もう文化の違いというしかないのかもしれないこんな脚本が映画化されてしまうところを見ると。 「女が応援」「男がんばる」「見事勝利を手にしてご褒美ディープキス」という展開には吐き気がしてくるしー、かといって、出演者そのものに見ているだけで眼福なものもないことから、単に時間の無駄。 ただひとつ、発見したことといえば、「美人度」と「応援度」はどうやら反比例の関係にあるようです。キルスティン・ダンストが応援女として重宝されている理由は美人度が低いことにあったのだな。エリザベスタウンの時の疑問が少し解けて良かった。しかしあんなへなちょこサーブでテニスプロを演じるとはたいした心臓だダンストよ。[CS・衛星(字幕)] 2点(2008-07-06 16:03:31)(良:1票) 《改行有》

272.  ロード・オブ・イリュージョン 《ネタバレ》 イヤな予感はしていたがやっぱりその通りだった。 クライブ・バーカーの原作脚本監督、というのに話題性が全くなかったではないか。 2時間も使っていながら、恐るべき内容の薄さ。扱っている材料はカルトとか悪魔の憑依とか悪くない題材なのに、ちょっともコワくないというお粗末さ。要りもしないエロシーンをサービスしてしまう志の低さ。 思い出してみても、ホメるところがどこだかわからない。この調子では、バーカーはもう才能が尽きたのかもしれない。成仏してほしい類の作品。合掌。[CS・衛星(字幕)] 0点(2008-07-06 16:00:30)《改行有》

273.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 《ネタバレ》 笑わせどころがまったく自分のツボにマッチしなかった。 ハリ治療に行くと、鍼灸師によってツボがはずれたりはまったりするけれど、ウェス・アンダーソンの打ったハリはほとんどヒットしなかった。「そんなとこにハリを打たれても…」のオンパレードだった。 人物や状況を説明するために絵画や著作のカバーを大写しして説明に替える、というワザは、あまり何度も使われると芸が無い。笑わせたいために、登場人物に極力リアクションをとらせず無表情にさせて間をとる、というワザも、ロイヤルとリッチー以外のほとんどの登場人物がそうであるということから、効果が希釈されてしまっている。 人物が深刻に悩めば悩むほど観客にとってはおかしい、という状況を作り出すのに、完全に失敗している。…ボケには突っ込み、無表情にはリアクション、そうでもなければ乗り突っ込み。この監督さんは笑いが全然わかってない。 笑えないだけでなく私はストーリーもあんまり気に入らない。実子と養女の恋愛沙汰というそこだけ妙にシリアス調のエピソードもバカバカしいが、それよりもアメリカ人の専売特許ともいえる「ルール破り」を賛美するのが隠れた(というか隠れてないかもしれんが)テーマであるからだ。 彼らにとって、「ルール」はただ破ればよいというものではなく、破り方と事後のリアクションが「破り道」において重要なのである。破り方のスマートさにおいて感心されるなり、破り方にも愛嬌があるため憎まれない、なり。ロイヤルは後者である。 でも、私ははっきり言って悩まずルールを破るやつが嫌いなんだよう。ルール破りが映画に出てくるのは構わないが、それが賛美される結果になるのは私の許容範囲を超えているんだよう。 「ルール破り」の人生をまっとうしたロイヤルは死ぬ。人々の記憶に「愛嬌」を残して。個人的には全然ダメだ。[CS・衛星(字幕)] 4点(2008-07-06 14:24:52)(良:1票) 《改行有》

274.  パンズ・ラビリンス 《ネタバレ》 悪の化身のように描かれている大尉側の事情でちょっと考えて見ますと、「立派な父」は死ぬ際に時計に時間を留め、息子にこれを遺した。これはどういうことかというと、「オレと同じようにおまえもいつか必ず死ぬぞ」という呪いをかけたということですたぶん。 「いつか死んでしまう」ことに激しい恐怖を抱きながら残りの人生を生きろ、というのが父の呪いだったのですね。だから、他人に時計の事を聞かれた大尉は「時計なんて知らない」とウソをつきます。 「いつか死ぬ」ということに対して、知らないフリをしていたい、という意味です。 呪いをかけた父は、「悪い父」です。では、「良い父」はどこにいるかというと、地上にはすでに居なくて、命を失ってからでないと行けない地下の王国に居る。 一方で、「母」なるものはどうなっているかというと、「弱い母」は原始的な生き方をする母です。 美しさで男性を引き寄せ、セックスをさせて妊娠することによって、恒常的な男性の庇護を得ようとする、それが原始的な生き方です。実は大尉はそんなことわかっていて、罠にはまったふりをしていますが、目的である息子を得るまでは騙されたふりをしているのです。そして、「弱い母」の罠をとても憎んでいます。これが「女性嫌悪」です。本当は女の股などから生まれたくないが仕方ない、ということです。大尉が子供のオフェリアをためらいもなく射殺する場面では、これが強くあらわれています。 「弱い母」だけが登場するかというと、そうではなくて「強い母」メルセデスがいます。彼女は「意思を持った母」で、「悪い父」と戦います。正確に言うと、悪い父に呪われた男とです。 オフェリアは父なるものの庇護を受けられず、かといって「弱い母」に教えられた生き方もしたくない。「強い母」と一緒に戦う道を選ぼうとしますが、〝この時点では(内戦の時代)〟それは適わず最終的には「良い父」の待つ王国へ行く。 「呪われた男」大尉が最期にしなければならなかったのは、自分の息子にも呪いをかけて、「呪いのチェーン」をつないでいくことだった。けれどそれは「強い母」によって、阻止されます。 女性を嫌悪する男が意思を持った女に敗北した瞬間です。 スペインにはこの後も「良い父」が存在しない時代が続いたようですが、デルトロは「強い母」の存在を強調していますからスペインというのはそれで「もっている」国なのかもしれません。[DVD(字幕)] 8点(2008-07-02 17:54:58)(良:3票) 《改行有》

275.  阿弥陀堂だより 《ネタバレ》 映画が料理だとすると、ここに使われた食材はすべてもともとが「生」「死」「癒し」なのである。「他のものが一切入っていない料理」という、ある意味珍品といえるかも、のメニュー。例えば、「憎しみ」「妬み」「嘘」「偽善」「怠慢」などはこの映画のどこを探しても出てこないでしょう。 ということで「いい人しか出てこない」というより、「3つの要素だけで作ってある」なのだ。 「仕事」というのは「他人の要求に応えることである」と言ったのは橋本治。そして、「他人の要求に応えすぎる」と、人は「消耗」する。たとえ他人の死を見取りすぎたという特殊な職業下でなくたって、「他人の要求に応えすぎる」のは不健康なことで、職業としてであっても「消耗」は避けられない。私はそれが身にしみてわかる。美智子先生の置かれた状況がよーーくわかる。 村に着いても、最初は発作も起こして「これで診察できるのかいな」という頼りなげだった美智子先生が、次第にキャリアウーマンぶりを取り戻してバリバリになっていくのがおもしろい。比べてダンナのほうは一貫して同じペース。いいかげん寺尾は見飽きたけれど、孝夫役は彼でなければならなかったというのはうなずける。 さてこの村の人々がいたずらに死を恐れず穏やかに生きているのは、梅さんの存在ゆえである。 死んだ経験のある人は誰もいないので皆「死」が怖いのだけれど、「限りなく死に近いところに生きる梅さん」の存在によって、人々の「死の恐怖」は緩和されることになる。昔の船旅に不可触の人柱を乗せたように、梅さんは「不吉なもの(死穢)を全部引き受けてくれる」身代わりのような存在だ。 よくできたシステムだと思うが、このような存在は昔は賤しまれていたのではないかと考えるのが妥当だ。最も卑なる聖=アンタッチャブル=有形無形に疎外(隔離)する、というのが日本の文化だ。 映画ではそんなことはみじんも描かれないが、私は「梅さん=アンタッチャブル」という意識で見たほうがいいと思う。それで初めて「なぜ一人であんな便所もないところに住んでいるのか」「なぜ家族の訪問が無いのか」「人が死んだ時しか村人が訪れないのはなぜ」などの疑問が解ける。 偉すぎるニョーボの亭主であるというのも実は努力と技術が居るのでバカにしたもんではなく、どんな男でもなれるというものではありませんね。たまにはこんな珍品も、の一作。[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-07-01 15:14:37)(良:1票) 《改行有》

276.  A.I. 《ネタバレ》 某月某日、1日にしつこく何度もこれを放送している日があり、ほかに見るべきものが無いので何度も見る。疲れる。 私は初見の時コレをマザコンもののごとく感じ、不快感を覚えてそんなレビューを書いたのだったが、何回も見ているうちにそうでもないような気がしてきた。 男の子の母親への執着という感情を話の中心にしなければならなかったのは、制作上のいろいろな都合ゆえ、というふうに考えると、べつにこれはマザコンもの、というふうに断じることはできないのかなあと。オスメント君の迫真の演技ゆえに、というかあまりのキモさに、「マザコン、ノー」と反射的に拒否反応を示してしまったとも思う。 あえて「無機物(メカ)」を登場させて「有機物(オーガ)」と対比させることによって、命あるものの儚さや、ラストでメカ宇宙人が言っていたように「いずれ死ぬと知っていながら、どうやって正気を保って生きていけたのか(人類は)」ということが本来のテーマなのだと思う。 だから、母子物語でなくても成立した話だった。けれど母子物語になったのは、おもにスピ側の事情「子供の無意識の邪悪さを徹底的に描きたい」という歪んだSM嗜好と、オスメント君という絶好の素材「困り顔の子供」を得たことによる。 無意識に邪悪な子供たち(それも登場するすべての人間の子供)が困り顔のオスメント君をいじめる。でもオスメント君の目的はママに愛されることだけなので、別に平気。無視してママだけにつきまとう。ますますオスメント君へのいじめが悪化。オスメント君のママへの執着も強化され、ほとんどストーカーに見えてくる。 というように、いじめられて可哀想なはずのオスメント君がどんどんキモく見えてきて、子供のいじめも、ロボット破壊ショーでの残酷な仕打ちも「何命乞いしてるんだこのストーカーが」という気持ちになってきたのです個人的には。 モニカに「愛」を吹き込まれたために「感情」を学習していくデイビッドは、ラストではついに「嘘」もつけるし「憎しみ」も表現できるようになります。成長したものだが、私には彼がモニカのストーカーにしか見えないので全然嬉しくなく、「デイビッドの母を求める気持ち」が何年続こうが、2000年後に夢が叶おうが、「よかったねー」とは少しも思えない。感動した、ともいえない。 とても異形ななにかを見せられた感じ。オスメント君でなければ、こうはならなかったと思う。[ビデオ(字幕)] 8点(2008-06-29 17:10:08)《改行有》

277.  間宮兄弟 《ネタバレ》 原作を読んでいないで言うのもなんだが、江國は恋愛至上主義を否定する小説を何本も書いているから(と勝手に思っている)、「間宮」を見た感じでは同じ路線でいいのだと思う。 たぶん江國の目的というか目標は、日本全土に巣くった「恋愛至上主義」の希釈(撲滅でなく)なんだと思う。で、「女無しでも幸福に暮らしていける兄弟」を主役に据えるというのは、江國的にはかなり「本丸に近づいた」ということだろう。本音を出してきたと思う。 が、小説の原作者が女で、映画の作り手は完全に男だった、というところから、やっぱりミスリードが避けられなかった。映画を原作とは別物と考えてもいいのだが、江國の狙いと全然違うところに着地してしまったあたりは個人的にはトホホである。やはり女性監督(ゆれるの西川監督とか)に撮ってもらいたかった。 江國は「恋愛」の存在そのものは否定していないのだと思う。それは「ある」。けれど、今は「そればっかり」ある。人生の他の様々な要素の中で、それが重要視されすぎる。「濃すぎる」から希釈しようよ、というのが江國のねらいなのだと思う。「人生のベストパートナーとは、一対の男女であるとは限らない」ではないか? でもやっぱり映画では、「女にもてなくたって、楽しく前向きに生きようよ」というわかりやすーい大団円を迎えてしまった。そうではないのだ。それではセカンドベストというに過ぎない。 そこらへんが男性の作り手の限界なのか、作り手の感性の問題なのか、監督と視聴者の世代間ギャップなのか。 佐々木のクサみに対して素人の塚地を当てて中和したあたりはさすが老練な監督といえるが、それならなぜもともとクサい佐々木でなければならなかったのか?という疑問は残る。 セリフを言うのがせいいっぱいの塚地は全面的に監督の演出通りに一挙一動しているが、結果的に「自然に見えて」正解だった。おそらく塚地の世話にかまけて佐々木を放っておいたために、クサみを消すのに腐心した佐々木の演技は終始中途半端。[CS・衛星(邦画)] 7点(2008-06-29 16:23:43)《改行有》

278.  ファイナルファンタジー 《ネタバレ》 ほとんど感動するくらいダメである。 超豪華声優陣で制作費の半分くらいは喰っているのでは、と思われるが、声優の良さなどではとーてもカバーしきれるレベルじゃないダメさである。こんなに豪華な声優を使うくらいなら、彼らをそのまま実写で撮ったほうが何倍もマシなものが出来た(最低最悪の脚本ゆえ、C級作品にしかならないが)。 ストーリーを坂口が書いても(あまり感心しない内容だが)、脚本を外人が書いている時点でもうダメ。それは、もちろん坂口が英語の脚本を書く能力が無いことが理由なのだが、結果を見よ。案の定、要りもしないアメリカンジョーク満載になってしまったではないか。 アメリカ人の男=アメリカンジョークを言わないと人間扱いされない。 彼らに脚本を頼む=当然のサービスでアメリカンジョーク満載=ハリウッド映画かFOXドラマもどきの作品完成。和製のSFだというのにああバカバカしい。 アクションでも演技でも、どんなに本物ぽくたって実写に勝るものはないのだ。背景やクリーチャーの完成度くらいでは、カバーすることはとてもムリ。 なまじリアルさばかりを追求したために、結果として、この作品は「アニメ映画」ではなくて「出来の悪いアクション+表情に乏しい役者がぎこちない動きで見せるアメリカンなSF映画」でしかなくなってしまった!パチパチパチ。 本気で「世界にウケたい」と思うなら、「ハリウッドとは違う日本ならではのオリジナルな何か」で勝負しないとダメではないか。ハリウッド製のSF映画を供給されている地域では、「洋食」に対しては「喰い飽きて」いるはず。「洋食じゃない何か」を示さなければ、日本製のSF映画になど喰い付かない。 あえていうならFFⅩのような美術や世界観を使ったなら、まだ可能性はあったかもしれないが。 あまりの情けなさに迷わず成仏してほしい一作。合掌。[CS・衛星(字幕)] 1点(2008-06-29 16:19:17)《改行有》

279.  宋家の三姉妹 《ネタバレ》 土地を持たず、商業や教育などもっぱら第3次産業に従事して、「中国のユダヤ人」といわれるほど流動的に生きた宋家。彼らが最も頼りにしたものは、持ち運び可能な財産であったろう。ごっそり貴金属を持っていたに違いない。土地や家なんか持って逃げられない。 宋家の三姉妹を美化したとんでもない幇間映画である。中国史に疎い私ですら、ツバをはきたくなるほどひどいと思う。まるで、宋家の女たちが歴史を左右してきたかのような安易な描き方に唖然とする。軟禁された蒋介石のもとに、美齢が単身向かって説得するとか、飛行場の場面とかね。 生涯金満生活を送ったような宋姉妹を、なぜ映画まで作って建国の母のごとく賛美するのだろうか。この女たちは、「中国人」では全然ないではないか。 メイベル・チャンというのは女性監督だが、こんなものを作っているうちは中国人女性(といっても香港だけど)の撮るものを信用できない。見る価値なし。[CS・衛星(字幕)] 0点(2008-06-22 15:19:43)(良:1票) 《改行有》

280.  ある子供 《ネタバレ》 人は成長過程でどうやって「道徳心」を持つに至るのか? これは「道徳心の育たなかった人間は、社会で生きていけるのか」という実験的な映画に思える。 ブリュノは金髪で青い目、標準の知能と健康な体を持たされているが、これは偶然じゃないと思う。 「他人と同程度かちょっと上」くらいの条件を与えられていても、「道徳心」が欠如していた場合は人間社会で生きるに困難である、ということのためのあえての条件なのだ。 どういう理由からか、ブリュノには道徳心が育たなかった。 で、ブリュノは「他人の持つ道徳心」があまりよく理解できないので、他人が「怒ったり」「泣いたり」するタイミングが予測できない。だから、彼はしばしば「急に怒る他人」とか「急に泣く他人」とか「急に無視する他人」とかに驚かされてきた。 そして、他人の反応を「学習」して、それに対処しながら生きてきた。「嘘がバレた時は他人は怒る」「自分の物を盗まれた時は他人は怒る」「借りた金を返さなかった時は他人は怒る」とかいう具合にだ。だから、「嘘をついた相手には会わないようにするか、またはさらに嘘をつく」「盗んだ相手からはひたすら逃げる」「金を借りた相手には会わないようにする」とかいう、彼なりの対処をしてきたのだ。 けれど、「子供を取り上げて売ったら怒る」かどうかは、彼のこれまでの経験には無かった。学んでいなかったから、知らなかっただけ。 ブリュノが自首した理由は、「スクーターのガソリンがなくなって」「ごはんが食べられず」「寝るところがなく」「シャバに居れば日曜日ごとに借金取りにオカマを掘られる」のと、ムショ暮らしを天秤にかけたからである。道徳心がないかわりにケチな損得勘定ばかりが発達している彼は、「ムショ」のほうがマシだと判断した。共犯の少年のためならもっと早く自首している。 さて作り手はブリュレをムショに放り込んだところで映画を終わらせる。ブリュレも彼女も泣いている。なぜ?お互いの未熟さが情けなくて?今後はどうなるの? 私の予想はこうだ。ブリュレはひとつ学んだ。「母親から子供を取り上げて売ったら怒る」ということを。次の時は、子供がさらわれたことにしたらどうかな。いや、雑踏に連れて行ったら迷子になったっていうのはどうだろう。彼女を怒らせないために、次はうまくやらなくちゃ。 道徳心が急に育つものなら誰も苦労しないのだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2008-06-20 15:59:59)(良:1票) 《改行有》

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