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プロフィール
コメント数 2258
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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301.  最高の人生の見つけ方(2019) 《ネタバレ》 偶然手にした今は亡き少女の『やりたいことリスト』。余命僅かな2人の女性が、少女に成り代わって、彼女の夢を叶えていきます。ただし、原則セレブがお金の力で豪快に夢を実現していくため、庶民からすれば単純に羨ましい限り。ちょっと意地悪な言い方をするなら、『最高の人生の見つけ方』とは、金持ちとお友達になるることですか?と。また、事情も知らぬ赤の他人が本人の承諾も無しに『親子の仲を取り持つ』など善意の押し付けもいいところ。結果オーライだから許されるものではありません。イマイチ乗れぬ(感動できぬ)展開の連続にフラストレーションが溜まりました。唯一良かったのは、手帳の少女の顛末でしょうか。こういう裏切りなら大歓迎ですけども。さて、キャスティングについて。何故吉永小百合さんだったのでしょう。生活感なく、人生経験豊富とも思えぬ、何処からどうみてもお姫様。切ない系人情ドラマに耐えぬ人選です。しかし、『最高の人生の見つけ方=自身の人生の肯定』とするならば、どんな人でも当てはまらなくてはいけません。一見ミスキャストに思える吉永さんの器用も、見方を変えれば深い意味があると思えてきます。(以下義務的余談)モノノフ(ももクロファン)として、ライブシーンについて捕捉をします。収録が行われたのは、ニッポン放送主催の恒例ライブイベント、通称『バレイベ』でした。2019年2月の横浜アリーナ。いつものガッツリライブとは異なり、ラジオドラマやコントなど企画色が強い演目が特徴。とはいえ映画収録について事前告知など無し。当日のお客には箝口令が敷かれたとか。ちなみに、収録が行われたのは2デイズの初日。私は2日目参戦でした。残念。なお、劇中ムロさんがオタ芸を披露しておりましたが、ももクロにオタ芸文化はありません。特定の曲でメンバーと同じ動き(フリコピ)をすることはあっても、基本はペンライトを振って『ウリャ』だの『オイ』だの叫ぶ程度です。ですからももクロのライブは、予習なしでも余裕で楽しめますので、少しでも興味を持った方がおられましたら、(コロナが落ち着いたら)是非お越しくださいな。全身唐辛子っぽい人とか、人形をぶら下げた人とか、見た目はキテレツで驚くかもしれませんが、基本的には圧倒的に常識人揃いですのでご安心を。[CS・衛星(邦画)] 5点(2020-10-30 21:29:45)

302.  グレイトフルデッド 《ネタバレ》 何かを検証する場合、多角的な視点を持つことは必須です。本件についても、ナミの生い立ちを知る事で、事件の原因や全体像を探ることが出来ますし、ナミの立場に立つならば、一連の狂行にも確実に合理性が存在します。しかし、被害者にとっては加害者の事情など知ったこっちゃありません。突然拘束され、辱しめを受け、息子を殺された事実が全て。今は殺すか殺されるかの修羅場ど真ん中。「これは戦争だ」この異常事態にパニクらず、的確に状況を把握した笹野じいさんは流石だと思いました。狂気には狂気をもって抗うのが道理ですから。果たして2人の全面戦争は、じいさんの勝利で終結しました。しかしながら、これはナミが望んだ結末でもあります。愛する者の手にかかり、孤独な生から解放される幸せ。しかも神様の御許しありのオマケ付き。笹野じいさんにとっては、死合に勝って勝負に負けたようなもの。無力感は想像を絶するものでしょう。さて、この後じいさんは立ち直れるでしょうか。きっと神様はじいさんに、これまでと同様に救いの手を差し伸べてくれるはずです。それが神様の仕事。しかし、元を正せば、一体誰のせいでこんな事態になったのかという話。人は苦しみから逃れる為に神様をつくり、その神様に苦しめられる。何の事はない、要するにマッチポンプです。確かに万人にとって、死だけが救いかもしれません。(以下余談)主人公ナミの子供時代を演じたのは、アイドルグループ『アメフラっシ』の愛来さん。ももクロのご縁で存じあげております。子供時代の愛来さんと、成人したナミのビジュアルマッチングが実にお見事でした。にも関わらず、お姉ちゃんの方はお前誰だレベルの違和感で不思議マックス。これは単にキャスティングの不手際か、あるいはお姉ちゃんだけは運命から脱出できた事実を端的に表すための変化と捉えればよいのでしょうか。さて、どっちなんでしょう。[インターネット(邦画)] 6点(2020-10-30 21:21:32)

303.  アストラル・アブノーマル鈴木さん 《ネタバレ》 肩書ユーチューバー、過激な言動やお花の眼帯からは地雷臭が漂います。番組制作会社からは『テレビに出しちゃいけない人』認定される主人公ですが、果たして本当にヤバイ人でしょうか。ユーチューバーは芸能界への憧れが投影された活動ですし、眼帯はタモリさんをリスペクトしたもの(嘘)。TPOで眼帯を使い分ける良識も持っています。きちんとバイトし、健康的にジョギングまでしちゃってます。確かに彼女は『拗らせ』てはいますが、常識的な方向への捻じ曲がり。そりゃ大して努力もしていない(と感じる)双子の妹(ポテンシャルは同じはず)だけが評価されたら、腐りたくもなりますよ。それに拗らせているのは何も主人公だけではありません。引き籠りの弟、将来を棒に振った妹も似たようなものでしょう。『アストラルアブノーマル』なるパワーワードはいわば誇大広告で、後に続く『鈴木さん』は主人公だけを差したものでなく、『よくある苗字』=『あなた』を意味していると考えます。誰だって、多かれ少なかれ拗らせながら生きています(と思いたい)。 『拗らせ』に特効薬はありませんが、環境変化や体験が治療効果を発揮する場合があります。主人公は『見下し対象』の才能に触れ己が無力さを思い知りましたし、弟くんは細ネクタイとの“映画史に残る”泥試合を経て外の世界へ踏み出せました。人生、何が契機になるか分かりません。芸能界という特殊空間から解放された妹が、早々に目を覚ましたのも道理でしょう。もっとも、拗らせが解消されたところで、現状は改善しません。今までより“公平に”状況を把握できるだけ。そこにある希望は『最悪に比べればマシ』程度のもの。意識高い系の人なら鼻で笑うでしょう。しかし小さくとも自身を肯定するのは大切な作業です。そこを土台として、自分なりの『正解探し』が始まります。主人公が拗らせて苦しんだのは、全てを否定したからに他なりません。 当初は『拗らせ系女子』の生態を生暖かく観察しよう位の意識でしたが、次第に物語へ引き込まれました。恥ずかしながら、主人公の気持ちは大変よく理解できるもので、私も彼女と同じように拗らせる素養を持ち合わせていることになります。双子の妹との差しの勝負(withピストルライター)、鈴木家全員集合(with逆ギレ男)の空気感は絶品で、修羅場コメディとしても秀逸でした。主にララ氏のワードセンスにやられました。エンドクレジットで彼女が踊る『コンテンポラリー風出鱈目ダンス』は、本作で提示された人生観を体現したものであり、清く正しく美しい『推奨されるき生き方』とは真逆に位置するものです。だからこそ鋭く突き刺さったのでしょうが、私の心が弱っていたことも否定できません。私にとって、大いに愛せる映画。人生に行き詰まっている人には『観ると楽になるかもよ』と無責任に勧めてみたくなる映画でもあります。[インターネット(邦画)] 9点(2020-10-25 08:27:40)(良:1票) 《改行有》

304.  屍人荘の殺人 《ネタバレ》 『吹雪の山小屋』や『絶海の孤島』といったミステリー常套の『日常遮断』状況を、『ゾンビ』を用いて成立させたアイデアは『いちご大福』なみに斬新で、さらに『ゾンビ』の特性を密室殺人のトリックのタネ仕込んだり、徹底してグロテスク描写を排除したりと、ミステリーとしてもゾンビ映画としても、意欲作であるのは間違いないでしょう。まず注目したいのが『ゾンビ』の定義。一般的には以下の条件を満たすものが『ゾンビ』と考えられます。①死人であること②人を食らうこと③知能減退と感情喪失④ゾンビに噛まれるとゾンビに変わること⑤頭が急所であること⑥もう人間には戻れないこと。細かな条件はもっとあるでしょうが、大まかこんな感じ。さて本作の感染者たちは『ゾンビ』と言えるでしょうか。答えは『わからない』。③④の条件は満たしていますが、②⑤は微妙(食らうというより噛んでいるだけ。ゾンビじゃなくても頭を破壊されれば死ぬでしょう)、①⑥は未検証です。にも関わらず館に立て籠った人たちは早々に『襲ってくる顔色の悪い人』を『ゾンビ』と認定しました。これをもって『短絡的』とか『あり得ない』と非難する気はありません。トイレに落ちてた『かりんとう』は、もう『アレ』にしか見えないのと同じ。それより、イチホラー映画の架空の設定が、常識化している事実に感動します。ホント『ゾンビ』は偉大な発明です。さて、次の焦点は『ゾンビ対処法』。人々が取った作戦は専守防衛でした。これは当然の選択です。救助が来るのは時間の問題ですから。彼らは『正当防衛』でしかゾンビを殺していません。ただし『殺人(殺ゾンビ)』の倫理ハードルは常識より遥かに低く設定されています。これは『武器』を手にした効果と考えます。映画『トレマーズ』のガンマニア夫婦同様、『武器』があるなら使いたいのが人情というもの。死が隣り合わせにあり、武器を手にし、倫理ハードルが異様に低い状況で『復讐』は決行されました。もちろん犯人には『覚悟』がありましたが、土壇場で踏み留まる可能性も十分にあったでしょう。また犯人は『ゾンビにすれば2度殺せる』と憎しみの感情を吐露していますが、『一度ゾンビにしてから殺せば心が痛まない』理由もありそうです。いずれにしても『環境』が『復讐』を後押ししたのは確か。『場の空気』とはかくも恐ろしいものです。そういう意味で、比瑠子ちゃんが明智ゾンビを殺した件も『場の空気』に違いませんが、彼女の場合は積極的に利用したのです。そもそも比瑠子ちゃんが明智と葉村くんを合宿に誘ったのは、ワトソンを明智から奪い取りたかったから。優秀な人間は千載一遇の好機を逃しません。迷探偵から名探偵へ『ワトソン君の移譲』が本作の裏テーマでありました。本作は、いわば新探偵コンビ結成エピソード。そうだとしても、明智恭介という愛すべき超優良キャラクターを葬った罪は重大であります。責任を取って比瑠子ちゃん&葉村君コンビが活躍する続編をつくって頂きたいと思います。できればコメディ強めで。[CS・衛星(邦画)] 6点(2020-10-25 08:26:33)(良:1票)

305.  クロノス(1992) 《ネタバレ》 ゴシックホラーの風合ですが舞台は現代。『吸血鬼もの』にも関わらず、コウモリに変化もしなければ、人を襲ったりもしません。お約束の美女を吸血するシーンすらなし。私たちが思い描く『吸血鬼もの』とは一線を画していました。一般的なホラーというジャンルにも当てはまらない気がします。それでいて紛うことなく『吸血鬼もの』の趣。それは吸血鬼映画特有の美しさ(芸術性)が、ギレルモ・デル・トロ監督によって見事に担保されていたからだと思います。さて本作では、錬金術で生み出された『クロノス』という昆虫型機械がドラキュラ伯爵の代わりを務めました。機械内部にはグロテスクな生物の姿。コイツがクロノスのカラクリを使って人を吸血し快楽でその者を支配すると共に、人を不死の生物に変化させる仕組みです。魅入られた美女がドラキュラ伯爵に身を捧げるのとシステム的には大差ありません。効能、常習性、それに伴う代償。機械針で吸血という手法も含め、ドラッグに溺れる中毒患者を彷彿とさせます。一度そう認識してしまうと、もう『麻薬中毒者の末路』を比喩した映画としか見えなくなります。果たして主人公に与えられた選択肢とは、モンスターとして生きるか、人として死ぬかの二択。結末に救いを感じるのは、私たちが人間だからに他なりません。 素晴らしきはギレルモ・デル・トロ監督の映像作家としての実力です。聞けば本作が長編デビュー作との事ですが、どの画の端々にも監督のサインがみて取れるよう。並の監督でないのは一目瞭然でした。物語の骨子は『ドラキュラ』ですが、主人公の姿は『フランケンシュタイン』を模していました。本作のテーマ『人が人たる条件とは何か』を語る上で、人造人間もまた欠かせぬモチーフだったのでしょう。愛する人がいるからこそ、人は人でいられる。それはすなわち、人は一人では生きられないというメッセージと考えます。[インターネット(字幕)] 8点(2020-10-20 15:28:59)《改行有》

306.  オリエント急行殺人事件(2017) 《ネタバレ》 原作小説は未読。1974年制作の映画は鑑賞済の感想です。ネタバレしていますので、ご注意ください。 リブートだとか再起動だとか、いろんな言い方があるようですが、人気作品ほど高いリメイク率。特にアメコミ界隈が顕著かと。オリジナルでホームランを狙うより、人気作のリメイクで確実にヒットを飛ばす方が商売として手堅いのでしょう。そこで求められるのが、リメイクの意義です。不出来な作品ならいざ知らず、本来名作を再映画化する必要などありません。一般的には『最新の映像技術』という便利な免罪符がありますが、クラシカルなミステリーにはあまり関係ない話。そこで本作で採用されたリメイクの理由付けは、現代の価値観で捉え直す『罪』の意味でした。なるほど、40数年の歳月が名作ミステリーのリメイクを可能にしたワケです。 注目すべきはポワロの選択。探偵が提示した推理は、これ以上誰も傷つけないA案(嘘)と悲しき真相を暴いたB案(真実)の二つ。最終的にポワロがA案を採用する結末は変わりませんが、あくまで推測の範囲内に留めた旧作に対し、本作では犯人に自供を促し真実を確定させています。有耶無耶を許さない厳しさ。“どんな理由があるにせよ殺人は許されない”という強いメッセージが読み取れます。手を取り喜びを分かち合う乗客たちの姿は描かれず、ポワロは真実を闇に葬った十字架を背負いました。この容赦の無さは、現代の『コンプライアンス至上主義』に基づく正義に他なりません。かつての『慈悲』は、現代社会では『甘え』に変わるのです。これは正論。現代社会では正論で間違いありませんが、個人的には『正論なんてクソくらえ』と思います。現実で高い倫理観に縛られ、フィクションの中でさえ雁字搦めでは、息が詰まってしまいます。という理由から私はオリジナルを支持します。(注:本作は地上波放送で鑑賞しました。また旧作を見返していないので、記憶違いがあるかもしれません。その場合は御免なさい)[地上波(吹替)] 5点(2020-10-20 15:27:59)(良:3票) 《改行有》

307.  綱引いちゃった! 《ネタバレ》 外的要因(綱引きで結果を出したら解雇取り消し)と高い目標(県代表に選ばれること)で幕を開けた綱娘の活動は、終盤で内的要因(綱引きが楽しい)に変化し、目標も下方修正されました(大会に参加できればいい)。これは当然の成り行き。餌に釣られて大会に出場したら、優勝してラッキー!なんて筋書きで感動できるはずもありませんから。特筆すべきは競技シーンの短さでした。ハイライトの県大会は、終盤僅か10分程で処理されます。これは競技の特性も去ることながら、明確な『過程重視』の主張と考えます。プロは結果が全て。ですが、アマチュアスポーツは違います。健全な心身を育む『努力の過程』にこそ、本来の価値があるはず。もちろん勝つに越した事はありませんが、勝利至上主義のアマチュアスポーツなど本末転倒もいいところです。でも現実は違いますよね。その点で本作のアマチュアスポーツ観は賛同したいですし、結果を問わなかった点も綱引き競技への敬意と受け取りました(綱娘の対戦相手は体つきからしてガチ。あのチームに初心者マークがマグレでも勝ったら失礼というもの。善戦で十分な結果です)。で、本作で重視された『努力の過程』は、技術や体力より精神面でした。キーワードは「ひとりじゃない」。どんな困難も皆で乗り越えようというメッセージです。残念ながら『給食センター廃止撤回』は叶わなかったワケで、団結しても、努力しても、届かぬ願いはあります。それでも「ひとりじゃない」と思えるだけで救われるのが人間なのだと思います。 実は『白ゆき姫殺人事件』で井上真央さんの演技力の高さに興味を持ち、本作を鑑賞した次第。特別輝いていたとは思いませんが、与えられた役柄を手堅く演じていたと思います。でも、もうちょっとハツラツとしていても良かったかな。一般的に市役所職員のイメージって、あんな感じなのでしょうが。[インターネット(邦画)] 6点(2020-10-15 18:56:27)(良:1票) 《改行有》

308.  シグナル100 《ネタバレ》 荒唐無稽な洗脳技術については、実はそんなに気になりません。例えば神様や宇宙人の手にかかれば魔法の動画をつくるなど造作もないでしょう(完全にトンデモSFコースですけど)。ゲームルールには従うのみ。問題は攻略法です。あまりに『無理ゲー』過ぎました。ヒントもなく「100の自殺誘発行動に気を付けろ」と言われて、どうしろと。でもゲームに参加した(させられた)以上、文句を言っても仕方ありません。お客様相談窓口は無いのですから。こんな状況でもゲーム攻略のカギ『100のシグナル』を素早く解読した者がいました。彼だけ特別に便宜を図られていたワケではなく、スタート地点は皆同じ。彼は自らの才覚で『情報』を獲得したのです(ただし過程に説得力がないのは困りもの)。このゲームの本質は究極の先手必勝。文句しか言わない人、のんびり屋など即死ですよ(私のことです)。『情報』は『武器』に同じ。悪人として描かれている彼ですが、情報を独占した事を責めるのはお門違いというものでしょう。戦争で敵に武器を分け与える人などいません。それより平和ボケが抜けない主人公たちが愚かだと知るべきです。さてこの構図、「資本家」と「労働者」の関係に見えなくもありません。「持てる者」の圧倒医的なアドバンテージの前に、その他大勢の「持たざる者」が抗うのは困難を極めます。資本主義の問題点を揶揄した社会派の作品だったら恐れ入りますが、多分そんなワケありません。 前述のとおり『無理ゲー』ですから、ゲームとしての面白さは皆無です。しかし『死に方コレクション』として楽しむ手はあります。でも『ファイナル・ディスティネーション』や『ソウ』シリーズのような凝ったギミックや理念も無ければ、ゴア描写も程々。殺しのエンターテイメントとしても、満足いくレベルに達していないと感じます。結論。好事家か橋本環奈マニアでなければスルー推奨です。[CS・衛星(邦画)] 2点(2020-10-15 18:55:13)《改行有》

309.  白ゆき姫殺人事件 《ネタバレ》 夕子の言葉『みんな自分に都合の良いように言う』は、なにも赤星の取材対象者に限った話ではありません。彼女自身は元より、物語上『謎解き』に該当する城野の回顧文にさえ当てはまります。嘘偽りだけでなく、自身すら気づかない改編もあるでしょう。事実を認定することは出来ても、それが真実とは限りません(だから「真実はいつもひとつ!」と能天気に断言する探偵さんにモヤるんですけど)。斯くもあやふやな『真実』が流通しているのが実態です。こうなると『信じたいものを信じる』のもアリな気がしますが、おめおめ騙されるのも癪な話。少しでも真実を見極めたいのが人情です。この際大切なのは自分の頭で判断すること。権威、宗教、思想等の『ものさし』を機械的に利用するのは要注意です。これらもまた『自分に都合の良いように言う』の例外ではありません。城野父のように『世論』という『ものさし』に踊らされぬために。疑問を持つこと、反省すること、広い世界を知こと。意識して自らに負荷をかけ、健全な心身を保つことが、後悔しない明日に繋がると考えます。人間、楽に慣れるとロクなことがありませんから。おっと、今日も日課のウォーキングに出かけなければ。 SNSと対比されるのが、アンとダイアナによる灯交信でした。情報量、スピード、伝搬力、どれをとっても蝋燭の火と比べるべくもありません。ただ、唯一勝る点があるとすれば、それは「相手を思いやる心」なのでしょう。ここに居る。あなたを気にかけている。それだけのメッセージで救われる命もあります。「昔は良かった」とは思いませんし、進んだ文明の針を戻すことも出来ません。SNSに限らず、包丁だろうが、原子力だろうが、あらゆるテクノロジーの基本は同じ『諸刃の剣』です。私たちに出来るのは『正しい目的』で使用すること。危険性を知ること。トラブルの対処法を身に付けておく事も肝要であります。主人公に降りかかった災難は、今や交通事故と同じ。いつ誰が被害者だけでなく加害者になっても可笑しくありません。ラスト赤星が城野に轢かれかけたのはそういう意味。SNSに規制をかけることも必要ですが、それ以上に使用法の教育が重要なのは言うまでもありません。本事件を『他山の石』としない手はありません。 ネットの声やマスコミにより『世論』が形作られていく過程は、私たちが経験している日常と相違なく、十分なリアリティと恐怖をもって物語に望めました。そんな観客の思いを受け止める当事者・城野美姫を演じたのが井上真央さん。証言者ごとに『城野美姫』は姿を変え、実体を掴ませません。この演じ分けはお見事でしたし、美人女優が平凡・地味女を演じる違和感がまるで無かった事にも驚きました。演技派女優の実力を思い知りました。『八日目の蝉』を越えて、本作を井上真央さんの代表作としても良い気がします。[インターネット(邦画)] 8点(2020-10-10 17:23:40)(良:1票) 《改行有》

310.  サマー・インフェルノ 《ネタバレ》 ミスリード、スカシ、伏線など、脚本テクニックの手数は多いものの、どれも効果的とは思えません。あからさまで驚きが無かったり、そもそも意味が無かったりするからです。例えば発狂原因について。当初『綿毛』の可能性が疑われました(序盤から延々と伏線を張っています)。しかし直ぐさま検証を完了しシロが確定します。本来仕事が早いのは良いことですが、映画の場合はそうでもありません。折角ミスリードしたなら、少しは引っ張らないと。間違った方向に進むから意外な展開が生まれる訳で、アッサリ看破してはミスリードした意義が失われます。とはいえ感心するアイデアも見受けられました。敵と味方が頻繁に入れ替わる『バトルロイヤル』はスリリングで、どのキャラが途中退場するのか先が読めません。打開策も気が利いていましたし、オチも納得できました。ただ着想が良いだけに、もう一工夫すればもっと面白くできたとも思います。『バトルロイヤル』は大人数が参加することで変化や広がりが生まれます。視覚(メガネ)の喪失も意外とホラーでは見ませんが、相当怖い話。敵見方を間違って攻撃とか、ピンホールメガネをつくるとか、いくつも展開が生まれる種だったと思います。よく若手芸人が使う言葉で例えるなら、『跳ねた』とまでは言えないものの『爪痕を残した』くらいの満足感は得られる脚本でした。[インターネット(字幕)] 5点(2020-10-10 17:22:26)

311.  いつも月夜に米の飯 《ネタバレ》 いきなり結末に触れています。未見の方はご注意ください。 最大の関心事は、千代里とアサダが再び巡り合った経緯です。最も現実的な可能性は、アサダが千代里を呼び寄せたパターン。でも、それは母娘に別れを告げた男の決断に反しますし、再会時の驚いた様子や、砂浜を共に歩くシーンでの会話とも矛盾します。よってこの説は却下。次に考えられるのは、千代里がアサダを探し出した可能性です。アサダは2人にとって思い出の料理屋に身を寄せていたのですから、彼女の捜索網にかかっても不思議ではありません。ただ、それなら店主から「お前を探している女がいるぞ」くらいの事前情報は入りそうなもの。よってこの説も不採用。となると、残る可能性は『偶然』です。アサダを見つけた時の千代里のリアクションの薄さは気になるものの、彼女がこの再会を必然の『運命』と捉えているなら、あの態度も府に落ちます。ただ、そうだとしてもこの『偶然』、少々キナ臭いのです。何故アサダはあの料理屋に居たのかという話。もちろん馴染みの店なのでしょうが、同時に千代里が訪ねてくる危険性も排除できません。もし男が本気で母娘と縁を切るつもりなら、あの店を選ぶ道理はありません。そう、アサダは千代里が訪ねてくることを内心期待していたのでは。自分が呼び寄せるのは道義的にNGでも、彼女から見つけてもらう分にはOKという理屈。狡い。あくどい。でもその下心は理解できます。親子ほど年齢差のある年下美女をGETできる大チャンスを棒に振る独身男など、この世に存在しないのですから。彼は2人に別れを告げることで泥沼関係を一旦清算し、奇跡の再会に賭けたのだと思います。いやー見事な博打でした。アサダ自身も理解しているように、千代里の恋心は経験不足とファザコンによる『気の迷い』の類。一般的にいう『虎舞竜シンドローム』というヤツです(失礼。そんな言葉はありません)。2人の関係が、恋→愛→情と上手く成熟させられれば長続きするでしょうが、私は5年以内の決別にスーパーひとし君人形を賭けたいと思います。 さて、主演を務めた山田愛奈さんについて。基本的に表情が薄く、台詞も棒読みで、演技が上手いとは思えません(ごめんね)。ただ「今時のJK」感は抜群でしたし、感情が見えない事がかえって『女の業』を感じさせました。エンドロール直前の彼女の一言は完全に『ホラー』ですが、安易に『ロマンス』に落とし込む話でもないので、結果オーライだった気がします。また高橋由美子さんの『恋多き女』役もお見事でした。高嶺の花ではなく(失礼)、手を伸ばせば手に入る感が絶大で、現実の『モテる女』とはああいう感じの女性なのだと思います。名作ドラマ『南くんの恋人』でお馴染みの美少女が、このように成長したと思うと何か得も言われぬ感慨もあったりします。[インターネット(邦画)] 5点(2020-10-05 18:53:13)(良:2票) 《改行有》

312.  キャビン・イン・ザ・ウッズ 《ネタバレ》 本作は、原題『キャビンインザウッズ』邦題『キャビン』とは別物。ああ、ややこしい。とはいえ、こちらもかの作品に負けず劣らずクレイジーなミステリーホラーでした。いつもなら、正解・不正解にかかわらず、自分なりの解釈を述べたいところですが、本作についてはご勘弁ください。というのも、不可思議な現象を提示しているのみで、事象を読み解くヒントが見当たらないからです。真相は観客それぞれ自由に想像してね、の丸投げスタンス。黒幕は、神様でも悪魔でも宇宙人でも、どれでも問題なく当てはまるでしょう。勿論ドラッグによる幻覚説も排除しきれませんが、それが一番ツマラナイ解釈なので、わざわざ採用しないですよね。私は面白ければ何でもアリ。オチを付けない投げっ放しな結末も容認するタイプですが、本作の場合さほど面白いとも思えないため、このような評価となります。[インターネット(字幕)] 5点(2020-10-05 18:51:17)

313.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 絵本やアニメのように人の手で生み出されるキャラクターと違い、実写映画の登場人物には、演じる役者本来の人生があります。しかし姫には、俳優の人格が存在しませんでした。あくまでフィルムの中の世界限定、物語の住人として彼女は生を受けた訳です。しかも、姫は自分が物語のために創作された人物と気づいていました。作品が上映されている間のみ、限られた空間と時間の中で繰り返される人生。それが当たり前なら、自身の境遇を嘆くこともないでしょう。しかし、姫はフィルムの外の世界を知ってしまいました。色鮮やかな美しい世界。決められた台詞や動きに縛られない自由。愛する人との記憶が積み重ねられていく充実感。彼女にとってこちらの世界は楽園に思えたはずです。しかし、異なる世界の交流は、世の理(ことわり)に反しました。モノクロの肌に化粧で色付けできるのも、ずぶ濡れの衣服が一瞬にして乾くのも、2人が理を外れている証。理に背き恩恵を得た代償は、人に触れてはいけない、愛する者の温もりを感じられない罰でした。愛しあう2人は甘んじてその罰を受けいれたのです。2人は数十年に渡り罰を受け続けた末、男は天寿を全うしました。今度は彼が、姫がいるべき世界へ身を委ねる番です。 さて、同様の構造を有する物語として『人魚姫』が挙げられます。住む世界が違うという意味では『ロミオとジュリエット』も同じ。ご承知のとおり、これら作品の結末は悲劇です。しかし『人並な幸せが一番』という価値観の中では避けられぬ結末でした。そういう意味で、本作で2人が選択した『幸せのかたち』は異例中の異例だったと思います。劇中の昭和30年代日本では勿論のこと、同性愛をカミングアウトし、障がいを個性と捉える『多様性を認め始めた現代日本』においてさえ、画期的な決断であったと考えます。2人の選択を『幸』と捉えるか『不幸』と捉えるか、観客の価値観によってその判断は大きく分かれるはずです。 姫は人であって人でなく、その内面に複雑な思いを封じ込めている極めて難しいキャラクターでした。この難役を綾瀬はるかさんが見事に演じきったと思います。同じ美女なら30代より20代(失礼)、触れられる方が絶対良い訳はずなのに、主人公が姫を選んだ決断に違和感がないのは、単にラブストーリーというフィルターだけでなく、数々の映画で『主演女優』の大役を引き受けてきた綾瀬はるかさんの『女優の格』が成し得た奇跡と考えます。見くびっていたつもりはありませんが、綾瀬はるかさん、凄い女優さんです。[インターネット(邦画)] 7点(2020-09-30 18:24:58)(良:1票) 《改行有》

314.  こはく 《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 『父は借金をこしらえて、女と逃げた』が兄弟の認識でしたが、『女性従業員の借金を肩代わりして立ち行かなくなり、経営する会社(ガラス工房)と家族を守るため協議離婚した』が真相でした。女性従業員の口ぶりや、父親友の態度から察するに、2人に男女の関係は無かったようですが、望まぬ離婚を強いられた母はさぞ無念だったでしょう。母は子どもたちに離別の詳細を語らず、当時幼かった兄弟の中で父は不鮮明な存在となり、『捨てられた』という思いのみが蟠ったようです。傍からみれば、「もう過ぎたこと」と思いますが、当人はそう簡単には割り切れません。昇華されない不確かな父の姿は棘となり、兄の虚言癖など2人の人格に少なからず影響を及ぼしています。2人が父を探したのは、恨みごとを言いたかったからでも、家族を捨てた真相を知りたかったからでもありません。ただ会いたかったから。顔を見て、触れて、確かな父親像を自身の中に持ちたかったのだと思います。自分という人間をつくる『核』のひとつとして。タイトル『こはく』とは、幼い頃に見た水面に映る夕陽の色(=思い出の象徴)であり、『時間』を閉じ込め保管する『琥珀』をさしています。 『母を訪ねて3千里』ならぬ『父を求めて30年』。探し当てた父親は悪人ではなく涙涙の結末でしたが、これは結果オーライでした。『借金を踏み倒して逃げた』負い目や贖罪から、父は家族と没交渉だったのでしょうが、リアルにクズだったり、落ちぶれていたり、野垂れ死んでいた可能性も十分ありました。この場合どうでしょう。棘を抜くつもりで傷口を広げる羽目になっていたかも。ここで思い出されるのがヤクザ(嶋田久作)の言葉です。「お前の半分は親父で出来ている。それでいいじゃないか」。変えられぬ過去に捕らわれるより、今を大切に生きろという意味。現状を正確に把握し『肯定』することは、生き抜く上で有益な処世術と考えます。さて次なる問題は無職の兄。父と再会を果たし言い訳のタネが消えました。しかし長年己が人生と向き合って来なかった代償は大きく、悪癖は簡単には治らないもの。希望の兆しは感じられますが、果たして仕事は見つかるでしょうか。人を魅了する力と虚言癖を活かして芸人にでもなったらいいのに。 大橋彰(アキラ100%)が良かったです。演技が上手いとは思いませんが、雰囲気がありました。ヨゴレ芸人が持つある種の悲哀が、人間味という味わいに転化していた気がします。酒井敏也さんのように「ちょっと頼りない」キャラで活きるのでは。役者での活躍が十分期待できると思います。[インターネット(邦画)] 6点(2020-09-30 18:22:41)(良:1票) 《改行有》

315.  ミッドナイト・バス 《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 家族の終焉を描く物語。妻は嫁姑問題でいち早く離脱、娘は起業し家を出て、息子は異国へ旅立って行きました。寂しい事ではありますが、遅かれ早かれどの家族にも訪れるイベントです。たんぽぽの綿毛が飛び立つように、今居る場所から別の場所へ。辿り着いた先で根を張り、また新たな家族をつくります。多くの生物がその種族を繁栄させるために採用しているシステムとも言えます。さて、最後に残されたのは夫でした。大仕事終えた男の、今後の身の振り方や如何に。残りの人生、自由気ままに謳歌する道もあったでしょうが、彼が望んだのは新たな家族の構築だったようです。余力があるオスとして正しい選択に思えますが、如何せんタイミングが遅い。遅すぎます。一つ仕事をやり終えてから、次の仕事に取り掛かりたい気持ちは分かりますが、自分の都合だけで仕事は出来ません。ましてや協働必須の家族構築であれば尚更のこと。初婚ではないにしても、若い女性の貴重な時間を無為に奪った罪を、彼はきちんと理解しているでしょうか。今カノに別れを告げた件は、確かに彼女の将来を慮っての事でしょう。でもその背景には、元妻と復縁の青写真がチラつきます。要するに男は“独りになりたくなかった”だけでは。パートナーは元妻でも今カノでも、どちらでも良かった気がします。そもそも元妻との離婚も、夫が真剣に家族と向き合っていたら避けられた話。コニタン、そんな男がいいんですか。生活拠点はどこにする?家計の分担は?子どもを望む?本気で2人の将来を見据えていたら、課題を放置などしません。物分かりのいいコニタンは「一定の距離を保ってくれて楽だ」と言いますが、男に覚悟が無いだけです。コニタンほどのイイ女であれば、誠意のない男など袖にして問題なし。コニタンには情に流されぬ賢明な判断を期待します(注:本文中のコニタンとは小西博之ではありません)。 物語を整理してみて、改めて「良いお話じゃないな」と思います。泰造はダメ男でしょう。でもこれが結構標準的な男の姿という気もします。私も面倒な案件は後回しにしますし。そういう意味では、模範的ではありませんが、リアルな人生の有様が描かれていたと思います。それに子どもがちゃんと巣立ったのですから、十分合格点の『家族』ではありますし。さて、これからの2人について。結局コニタンは泰造を受け入れる気がします。やっぱりモテ男は強いですから。悔しいなあ。私が脚本家なら、「復縁なんて、許可しません(ハート)」でワインを頭から掛けてやりますけども。で、そのあとチューな(ツンデレだな)。 見慣れた景色が多数出てくるご当地映画で、本作の深夜便はライブ遠征等で大変お世話になった路線です。という諸事情込みで、若干甘目に採点しております。[インターネット(邦画)] 8点(2020-09-25 18:54:48)(良:1票) 《改行有》

316.  PLAN6 CHANNEL9 《ネタバレ》 主人公が経営するパンクショップを訪れるお客がみな強烈!只今仕事さぼり中『マウンテンリバー山川』、マジでデスする5秒前・おかまのモジャ毛シンガー『ブーメランいとう』、1000日修行の前に一発かますぜ『釈尊いしみね』等、奇天烈キャラが勢揃い。もう名前からして反則でしょう。そんな個性豊かなお客さんに似合う服を見立てる際に、ロックを歌うのが主人公の流儀というワケ。この設定も結構クレイジーですね。ちなみに歌唱の時間は、一休さんにおける『ポクポク』に該当するのでしょうか。サブカル系シュールコメディならではの独特な空気は、楽しめる(受け入れられる)人を限定するでしょうが、こういったジャンルの中では比較的まとも(まとまっている)作品と感じます。パターンは決まっていますし、面白ポイントや、言わんとしている事の意味は解るので。しょーもないモノの中にも、あるいはしょーもないモノの中だからこそ、光るものは見つけ易いワケで、例えばお客の悩み相談に対するマヒルの回答に、意外と価値があったりします。ラスト、クズ夫がカッコよく見えるのも、それまでが酷過ぎたから。何事もギャップって大切ですね。ちなみにタイトルはエド・ウッドの「プラン9フロムアウタースペース」のオマージュではなく、主人公が見立てた洋服の数=6着と、来客人数=9人に由来しています(嘘。テキトーです)。[インターネット(邦画)] 5点(2020-09-25 18:52:42)

317.  TENET テネット 《ネタバレ》 数式は単純なのに難解を極めるのがシェーン・カルース監督の『プライマー』とするなら、複雑な数式なのに何となく分かった気にさせるのが本作『テネット』という気がします。難解であっても絶妙なさじ加減で理解を促し、娯楽性を担保するのがのノーラン監督の流儀です(注『プライマー』も難解ですが傑作ですのでみんな観てね!)。とはいえ、そこは『インターステラー』『インセプション』『プレステージ』の監督さん。単純に「面白かったね」で終わらせられる代物ではなく、作品世界の底は計り知れません。また、これらの作品と比べても格段に敷居が高いのは間違いないでしょう。いや正確には敷居が高いというより、わざと解りづらく仕立てている気がします。省略が多く説明不足。台詞は言葉足らずです。これは観客に複数回の鑑賞を促すためではないかと。鑑賞2周目以降に少しずつ意味が分かる仕組みです。本来なら誉められた趣向ではありませんが、こと本作に限ってはこれ以上ない価値ある仕掛けと考えます。過去に鑑賞した自分と、これから2回目を観る自分で挟み撃ちをするのですから。観客もまた現実世界でテネットの世界を体験する仕立て。これぞ極上のエンターテイメントではありませんか。とは言いつつも、やや敷居を高くし過ぎた気がしないでもありません。ブブカでも躊躇する位。でもノーラン監督は信じていい監督です。チャレンジすれば必ずや飛び越えられように出来ているはずです。テネットとは、主義・信条のこと。本作もまた、世界の理を人で説くノーラン的人道主義の映画でした。いち個人が幸せを掴むことでさえ、莫大な労力と知恵、周りの人たちのサポートが必要であると本作は訴えている気がします。[映画館(字幕)] 8点(2020-09-20 13:27:56)

318.  ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷 《ネタバレ》 実在する超有名『お化け屋敷』をモチーフに、史実の中に噂話や俗説を織り交ぜて創作したオカルトホラー。とはいえ完全オカルト仕様ではなく、精神疾患や薬物中毒による“妄想説”は排除していません。このあたり『解釈の余地を残した』のか、実在する建物ゆえ『関係者に配慮した』のか。いずれにせよ『実話』要素が足枷となり、自由な発想を阻害しているような気がしてなりません。『歴史もの』や『ヒューマンドラマ』ならいざ知らず、ホラーやサスペンスの『実話』ってホント嫌いです。幽霊が出る訳も、増築し続ける理由も、なるほど納得できるもの。でも、だからこそ意外性がなく、予想を裏切らず淡々と進む物語に退屈しました。映画の出来としては、たぶん『普通』レベル。一般的には『普通』なら『可』でしょうが、こと『ホラー』映画においては『不可』と考えます。あまりにも退屈したので、屋敷が崩れ落ちるシーンでは『8時だよ全員集合』の例の音楽を脳内再生して勝手に楽しんでしまいました。(以下余談)この素材をオカルトで仕立てるのは前述したとおり『普通』なので、別の切り口も考えてみては。たとえば莫大な金が動いている部分に焦点をあて、裏社会の資金洗浄だったり相続税対策だったり、現実的で生々しい解釈を創作してみるのも面白いのではないかと。映画化向きの極上素材なのは間違いないので『普通のホラー』では勿体ない気がします。[インターネット(吹替)] 4点(2020-09-15 18:54:03)(笑:1票)

319.  インセプション 《ネタバレ》 長編映画にもかかわらず、2時間半があっという間。これも劇中の理論同様、時間の伸縮現象のひとつです。私もまた現実と夢の狭間を行き来したと考えます。優れた映画は機材など無くとも、ヴァーチャル・リアリティが体験できるのですね。非現実世界の構築は見事ですし、多重層で繰り広げられる時間差アクションは圧巻。見どころを挙げ出したらキリがありませんが、私が最も言及したいのはエンディングです。全ての出来事が一点に集約される象徴的な場面。『早く倒れろ!』何度も心の中で叫び、エンドクレジット開始と共に唸りました。「正しい終わり方」だから深い余韻に浸れたのだと思います。アイデア、脚本、美術、アクション、配役、そして人生の意味を問いかけるメッセージ性、どれも完璧で、注文をつける箇所が見当たりません。鑑賞後は頭の中で情報を整理しながら、自身の感情を反芻し、幾度となく楽しめるお得な映画でもあります。悔やまれるのは、この傑作を茶の間のTVで観てしまったこと。迂闊でした。映画館で鑑賞していたら感動2割増しだったでしょう。教訓。ノーラン作品は万難排して劇場へ足を運ぶべし。さて、最新作『テネット』で私はこの教訓を活かせるでしょうか?[インターネット(吹替)] 10点(2020-09-10 18:54:31)(良:2票)

320.  パスワード:家 《ネタバレ》 ネタバレありますご注意ください。 スマホアプリ+ウィキリークス+情報万能主義の流行りもの(?)トリプルコンボで、トンデモSFが一丁出来上がり。普通なら『そんなアホな』で一蹴するような荒唐無稽な内容ですが、粗を隠す仕掛けは抜かりありません。そう、一般的にはアクションやサスペンス、目まぐるしい展開で観客の心を掻き乱して綻びを誤魔化すワケですが、本作ではIT関連用語の嵐で観客を煙に巻く作戦を採用しました。これはちょっと目新しいかも。ただしこの手法は諸刃の剣。前半のツマラナイ(失礼)興味のない(失礼)専門用語ばかりの会話劇で途中脱落してしまう観客もいるでしょう。さて、郊外の一軒家にゲストが集う導入は、オールドミステリーお馴染みの様式。さらに主人公は各人のパスワードを見事言い当てる『名推理』まで披露します。まさに古典ミステリーの王道フォーマット。そこに最先端のIT論、もといトンデモSFを潜ませるのですから、なかなか凝った趣向と言えましょう。個人的に面白いと感じたのは、従来なら『ターミネーター』のような大スペクタクルに仕立てる題材を、リビング内で終始するミニマムなお話にスケールダウンさせたこと。技術の進歩で小型化するのは何も電化製品に限った事ではないようで。未来は確定しているのか?未来を覗き見ることの意味、未来を変える行動の是非等々、深くて面白いテーマが転がっているのに、踏み込んで行かないのは勿体ない話。でもトンデモSFにそんな重荷が背負えるはずもなく、さらりとかわしたのは賢明な判断だったかもしれません。終盤の「実は嘘よね~ん」はフェイクでしょうが、額面通り受け取るのもまた面白い見方だと思います。冷静になれば「ナシ」な話も、惑わされているうちは「アリ」に変わるのがSFの魅力。吟味したら厳しいものの、流して観る分には『おっ』『なるほど』『そうきたか』と驚かされる程度に良く出来ていると思います。[インターネット(字幕)] 6点(2020-09-05 20:55:58)(良:1票) 《改行有》

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